愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

ヒぺリクムと春のバラ(その26)

2018-05-28 22:24:37 | 四季折々の花々

 こちらは、早くも梅雨入りの発表がありました。

 夏日の気温が続き、ご近所の庭にヒぺリクムの花が

 見事に咲いています。黄色の花びらが緑の葉に調和し

 とても爽やかです。

 花期は花図鑑では6月~9月と紹介されています。

 用途は切り花、鉢植え、庭植えです。

 今日はヒぺリクムと春のバラ(26)を紹介致します。

                   ご近所の庭の「ヒぺリクム」

                  鉢植えの「春のバラ(その26)」

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神エホバは力の大いなる方:神の力は神に近づく妨げになるか(その1)♪

2018-05-28 22:08:47 | 神の言葉・聖書

 神エホバは人格を持つ神であり、ご自分の力を完全に制御しておられます。私たち人間も備えられている能力、力を愛や公正(義)の特質を基軸に知恵で制御しないで用いるなら暴力になります。ですから、神エホバの力用い方について学ぶことはとても重要です。

 神エホバの力のゆえに恐れるべきでしょうか。そうであるとも、そうでないとも言わなければなりません。恐れるべきであると言えるのは、この属性が、敬虔な恐れを、つまり先に紹介した内奥からの畏敬または敬意を抱く十分な理由となるからです。そのような恐れこそ「知恵の初め」である、と聖書は述べています(詩編11:10)。一方、恐れるべきではないと言えるのは、神エホバの力が、神エホバに対して病的な怖れを感じたり、神エホバに近づくことを知り込みしたりすべき理由とはならないからです。

 人間の「力を腐敗しやすく、絶対的な力は絶対に腐敗する」。これは、英国の貴族アクトン卿が1887年に記した言葉です。この言葉は幾度も引用されて来ました。これは否定しがたい真実である、と考える人が多いからでしょう。歴史が繰り返し示して来たとおり、人間の場合は不完全で、往々にして力を誤用します(伝道の書4:1;8:9)。そのため、多くの人たちは権力者を信頼せず、関りを持とうとしません。さて、神エホバは絶対的な力を有しておられます。その強大な力のゆえに神エホバが何らかの点で腐敗したことがあるでしょうか。全くありません。すでに考慮したとおり、神エホバは聖なる方であり、決して腐敗することのない方です。この事物の体制下の世の中で腐敗した権力者とは異なっています(ヨハネ第一5:19)。神エホバは、これまで一度も強大な力を誤用したことはなく、これからも決してありません。神エホバのお考えは、人間よりはるかに高く、知恵の源の方であり、その知恵は深いのです(イザヤ55:8,9.ローマ11:33.ヨブ9:4)。

 次回は、神エホバ強大な力を用いる時、常に公正(義)や知恵や愛と調和して用いられることをお伝え致します。引き続きお読みくだされば幸いです。

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        早々と 梅雨入りの報 温暖化 今日の一句

    

                 裏庭に咲いている「ホタルブクロ」

 

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カンパニュラ・サラストロと春のバラ(その25)

2018-05-28 03:01:40 | 四季折々の花々

 こちらでは「蛍袋」と呼んでいるカンパニュラ・サラストロが

 庭に次々と咲いています。こちらでは紫と白の花を見かけます。

 花期は5月~6月です。

 用途は切り花、鉢植え、花壇です。

 花言葉は「真剣な恋」と紹介されています。

 今日はカンパニュラ・サラストロと春のバラ(その25)を紹介致します。

    

         裏庭に咲いている「カンパニュラ・サラストロ」

                  鉢植えの「春のバラ(その25)」

コメント (4)
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神エホバは力の大いなる方:力は目的にとって導かれる♪

2018-05-28 02:11:57 | 神の言葉・聖書

 私たち人間は、偉大な創造者エホバの比類のない属性の力を発揮できるものとして、神の像(かたち)に創造されています(創世記1:26,27)。私たちが授けられたを、善を行うために用いるなら、エホバ神のご意志を行なっていることになります。言うまでもなく、森友問題、加計学園問題に見られるような力を誤用することがあってはなりません。力を用いる時に制御しなければなりません。

 神エホバの霊、活動する力は、いかなる物理的な力よりはるかに大いなるものです。そして、神エホバは、非人格的な力でも、単なる力の源でもありません。神エホバは人格を持つ神であり、ご自分の力を完全に制御しておられます。その事は備えられている命と深い関係のある物理的法則の電磁力、重力、強い核力と弱い核力を調べるとよく分かります。では、神エホバは何のためにその畏怖の念を抱く力をお用いになるのでしょうか。

 これから取り上げる点ですが、神エホバは、全てを創造し、保護し、回復させるため、またご意志を行なわない邪悪な者たちを処断するために力をお用いになられます。すなわち、何であれご自分の完全な目的にかなう事柄を行なうためにお用いになるのです(イザヤ46:10)。時には、ご自分の性格や基準の幾つかの重要な面を明らかにするためにお用いになることもあります。そして何よりも、ご意志を遂行することに力を注力されます。つまい、神の王国によってご自分の主権の正しさを立証し、聖なるご自分のみ名を神聖なものとすることに力を注がれます。何ものも、その目的をくじくことはできません。

 さらに神エホバは、私たち一人一人の益のために力をお用いになられます。聖書の歴代第二16章9節に注目してください。こう記されています。「エホバに関しては、その目はあまねく全地を行き巡っており、ご自分に対して心の全き者たちのために表してくださるのです」。先にお伝えしましたが、エリアの経験はその一例です。そのような畏怖すべきかたちで神エホバがご自分の力をエリアに示されたのは何故でしょうか。邪悪な王妃イゼベルは預言者エリヤを処刑させると誓っており、エリヤは命かがら逃れ、身を隠していました。エリヤは、孤独と恐怖と失望を感じていました。それまでの労苦がすべて無駄になったかのようでした。不安にさいなまされるエリヤを元気づけるため、神エホバはエリヤに神エホバの力をまざまざと思い出させました。風と地震と火によって、宇宙で最も強力な方エホバが、エリヤと共におられることが示されました。全能の神エホバがエリヤの側にいてくださるのですから、イゼベルからの何ものも恐れなくてよいのではないでしょうか(列王第一19:1~12)。

 今は神エホバ奇跡が行われる時代ではありませんが、神エホバはエリヤの時代から変わっておられません(コリント第一13:8)。今日でも、ご自分を愛する者たちのために力を用いることを願っておられます。神エホバは高大な霊の領域に住まれるとはいえ、私たちから遠く離れておられるわけではありません。神エホバの力は無限であり、距離は何ら妨げになりません。むしろ、「エホバは、ご自分を呼び求めるすべての者・・・の近くにおられます(詩編145:18)。かって預言者ダニエルがエホバに助けを叫び求めた時、祈りがまだ終わらないうちに、ひとりのみ使いが現れたほどです(ダニエル9:20)。神エホバがご自分の愛する者たちを助け、強めるのを、何ものも阻むことは出来ません(詩編118:6)。この事を理解すると私たちは平安な気持ちになるのではないでしょうか。

 次回は、「神の力は神に近づく妨げになるか」についてお伝え致します。引き続き聖書の真理を親しんでくだされば幸いです。真理はあなた方を自由にします(ヨハネ8:32)。

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        奉仕終え 憩いの時の ところてん 今日の一句

                    宇和島市役所入口の「ツツジ」

 

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