シャクヤクの花はボタンと共に、女性の美しい立ち振る舞いに例えられ、
「立てばシャクヤク、座ればボタン」と、いう言葉で知られています。
女性を辱める言動をしても平然としている高官たちは
少し花々を観察し、女性に誉れを配して欲しいものです。
花期は5月~6月です。
用途は切り花、鉢植え、花壇、薬用です。
花言葉は「優美」と紹介されています。
今日はシャクヤクの花と春のバラ(その13)を紹介致します。
優美な「シャクヤクの花」
バラの愛好家の鉢植えの「春のバラ(その13)」
シャクヤクの花はボタンと共に、女性の美しい立ち振る舞いに例えられ、
「立てばシャクヤク、座ればボタン」と、いう言葉で知られています。
女性を辱める言動をしても平然としている高官たちは
少し花々を観察し、女性に誉れを配して欲しいものです。
花期は5月~6月です。
用途は切り花、鉢植え、花壇、薬用です。
花言葉は「優美」と紹介されています。
今日はシャクヤクの花と春のバラ(その13)を紹介致します。
優美な「シャクヤクの花」
バラの愛好家の鉢植えの「春のバラ(その13)」
あなたも、私たちの偉大な創造者エホバ神について誇らしく、しかも親しみを込めて、主題の言葉のように呼んで、誰にも紹介することが出来ます。なぜ、そう言えますか。
小さな子供が友達の前で、自分のお父さんを指さし、嬉しさと誇らしさの混じった無邪気な口調で、「あれがぼくのパパだよ」と言うのをお聞きになったことがありますか。唯一まことの神エホバの崇拝者にも、神エホバについて同様の感情を抱く理由がそろっています(ヨハネ17:3)。聖書は、忠実な心の整えられた人々が、「見よ、これがわたしたちの神(エホバ)である」と、叫ぶ時代のことを予告してします(イザヤ25:8,9)。あなたも、偉大な創造者エホバ神の比類のない特質についての洞察を深めれば、深めるほど、最高の父を持っているという実感が強まるでしょう。
私たちの父エホバは、冷淡な方でも、超然とした方でも、遠い存在でもありません。今までに何度も紹介していますように、一部の厳格な宗教家や哲学者が教えているような方ではないのです。冷淡な神に近づこうと思う人はまずいないでしょう。聖書は天のお父さんエホバをそのような方として描いてはいません。むしろ、「神(エホバ)は愛」、「幸福な神」よ呼んでいます(テモテ第一1:11)。お父さんエホバ神は、強くて優しい感情をお持ちです、私たちの福祉を図って設けた指針を、邪悪な者が踏みにじる時には、「心に痛みを覚えられ」ます(創世記6:6.詩編78:41)。神エホバからから出る教えの実・霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(信仰とは、明確な証拠に基づき、私たちが抱く期待、希望が保証されていることを指します)、温和、自制です(ガラテア5:22,23)。この霊の実から分かる通り、神エホバの教えは私たちを益することのみ教え、平安と義が満ちる人生を歩むことができます(イザヤ48:17,18)。私たちがみ言葉の教えに沿って「思慮深い人」として行動する時には、お父さんエホバの「心を歓ばせる」ことができるのです(マタイ7:24,25.箴言27:11)。
お父さんエホバは、私たちが親しくご自分に近づくことを望んであられます(ヤコブ4:8)。み言葉・聖書は、「神(エホバ)を模索してほんとうに見いだす」ことを勧めています。「実際のところ神(エホバ)は、わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではありません」と説明しています(使徒17:27)。では、単なる人間が、宇宙の主権者なる主エホバに近づくなどということが、どうして可能なのでしょうか。
次回からは「神に近づく」ことは本当に可能ですか、の内容でお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
近づけば 金魚ら口を 開きけり 今日の一句
開き始めた「レモンの花」
夏柑は5月に入って食べると美味しい柑橘です。
甘夏柑が好まれるため、昔からの夏柑は栽培が少ないですが、
酸味が気になる方は、砂糖を少しふりかけて食べると美味しいです。
今日は夏柑の花と春のバラ(その12)を紹介致します。
珍しくなった「夏柑の花」
バラの愛好家の鉢植えの「春のバラ(その12)」
大変残念なことですが、エホバの証人のクリスチャン以外は(イザヤ43:10)、お父さんエホバ神のことをほとんど知らないでいます。私たち人間だけが愛、公正(義)、知恵、力を調和よく発揮出る能力が備えられています。なぜそうなのか、その意味も多くの方々が理解されていません。今日紹介する私たちの神エホバは、比類のない人格特性を持つ神であることについてご理解を深めてくだされば嬉しく存じます。そうすれば、地上の生き物の中で、私たち人間のみが持つ特質の意味するところを理解できるでしょう。
先にも紹介しました通り、私たちは直接神エホバを見ることができません。聖書の中には、天そのものの中をかいま見せてくれる、興奮を誘う記述が幾つかあります。エゼキエル1章はその一例です。エゼキエルは神エホバの天の組織の幻を与えられました。その組織は、巨大な天の兵車のように見えました。特に印象的なのは、神エホバの傍にいる強大な霊の被造物に関する記述です(エゼキエル1:4~10)。それらの生き物は、神エホバと密接なつながりを持っており、その外見は、それが仕えている神エホバに関する重要な事柄を示しています。それぞれの生き物には、四つの顔があります。雄牛、ライオン、鷲、人間の顔です。それらの顔は、神エホバの人格特性に含まれる四つの際立った特質を象徴していることが分ります(啓示4:6~8、10)。
聖書の中で、雄牛はしばしば力の象徴として用いられています。それは、適切なことです。雄牛は非常に力の強い動物として身近に知られているからです。一方、ライオンはしばしば公正の象徴となっています。真の公正には勇気が求められ、ライオンは勇気のある動物と見做されているからです。鷲は鋭い視力を持ち、1キロ以上も先にある小さな物も見つけられることで有名です。いわば望遠鏡の目を持っています。ですから、鷲の顔は、神エホバの持たれる先見の明のある知恵を見事に表しています。では、人間の顔はどうでしょうか。神の像(かたち)に創造された人間は(創世記1:26、27)、神エホバの支配的な特質である愛を反映する能力の点で特異な存在です(ヨハネ第一4:8)。神エホバの比類のない人格特性の力、公正、知恵、愛は聖書中で幾度も明示されているので、神エホバの主要な属性と呼ばれることがあります。
聖書が神エホバについて述べた時から、幾千年もたっているので、その間に神エホバは変わったのではないかと、考えるべきではありません。神エホバの比類のない人格特性は変わることがありません。神エホバは、「わたしはエホバであり、わたしは変わっていない」と言明しておられます(マラキ3:6)。神エホバは、気まぐれに変わる方ではありません。むしろ、個々の状況にどう対応するかという点で、理想的な父であることを実証しておられます。神エホバは、ご自分の比類のない人格特性の最も適切な面を前面に出されるのです。上に述べた四つの特質の内で卓越しているのは愛です。愛は、神が行われる事柄すべてに発揮されています。神エホバは力と公正と知恵を、愛のある仕方で行使なさいます。現に聖書は、神エホバとこの特質について、特別な点を述べています。「神(エホバ)は愛である」と述べている通りです(ヨハネ第一4:8)。神エホバの神髄であるある愛は、何を行なわれる時でも、全てその愛が動機となっているのです。私たちはそのお父さんエホバ神に見倣うように創造されているのです。
次回は、「見よ、これがわたしたちの神である」の締めくくりの内容をお伝え致します(イザヤ25:8,9)。引き続きお読み下されば幸いです。
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