愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

5月の俳句(その1)

2018-05-05 23:59:44 | 趣味の俳句

 5月の大型連休をお楽しみの方、あるいはこの連休も

 職種によっては休みなく働いていらっしゃる方も

 おられるに違いありません。

 5月は風薫る季節で、とても爽やかです。

 北海道も桜の季節を迎え、春を楽しまれていらっしゃるに違いありません。

 今日は5月1日~5日までに詠んだ俳句を紹介致します。

      姉妹たち 少し深めの 夏帽子

      甘き香の 優しく包む みかん畑

      白き花 甘き香放つ みかん花

      魅了さる 大輪朱鷺草 咲きし様

      ー 越後の写真家の作品を見て -

      天守閣 変わらぬ姿 若葉かな

         どこからか 庭に舞い帰し アゲハ蝶

         淡き青 ヒメシャガ咲く 庭映える

         夕暮れて ひきがえる鳴く 時節来る

                      甘い香りを放つ「みかん花」

   

                   珍しい「シュロウの花」

                     雨の中の「ヤマボウシ」

                    雨の中の「匂い梅花ウツギ」

                       美しい「春のバラ」

                     珍しい「シラー・ベルビアナ」

 

 

 

      

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ムギワラトンボと春のバラ(その10)

2018-05-05 23:34:43 | 四季折々の花々

 ムギワラトンボ(シオカラトンボの雌)が、早くも草むらに

 休んでいました。私が子供の頃はトンボが沢山飛び交って

 いましたが、農薬が多用されるようになり、

 トンボの個体数は激減しました。

 ムギワラトンボの姿は郷愁を誘います。

 今日はムギワラトンボと春のバラ(その10)を紹介致します。

                    草むらで休む「ムギワラトンボ」

                 バラの愛好家の「春のバラ(その10)」

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「見よ、これがわたしたちの神である」:主権者なる主エホバ(その1)♪

2018-05-05 23:24:33 | 神の言葉・聖書

 私は、聖書を学ぶ前に、美しい自然界や備えられている各種物理的法則や、多種多様な動植物や食物の存在や空気や水や鉱物資源の存在や身近な美しい花々やくすしい人体を観察し、これらすべてを造られた方を神として認めよう、と考えていました。しかし、聖書を学ぶまで、主権者が神エホバである、ということには考えが及んでいませんでした。聖書を学び、私たち人間を男性も女性も神の像(かたち)に創造してくださったお父さんエホバ神は主権者であることを理解しました(創世記1:26,27.サムエル第二7:22)。今日からは、私たちの神エホバは、「主権者なる主エホバ」であることを聖書から2回のシリーズでお伝え致します。

 偉大な創造者エホバ神は、極めて多様な力を持ち、適応力に富んでおられるので、聖書中でさまざまな称号で呼ばれていることももっともなことです。それらの称号は、神エホバの固有の名に並ぶものではありません。むしろ、その名を表わすものに関する理解を深めさせてくれます。例えば、「主権者なる主エホバ」という呼び方があります(サムエル第二7:22)。その崇高な称号は、聖書の中で300回近く用いられており、神エホバの宇宙における地位を示しています。全宇宙の支配者としての権限を有するのは神エホバだけです。その理由を考えてみましょう。

 神エホバは、唯一の宇宙およびその中の地球の創造者です(創世記1章。イザヤ45:18)。聖書の巻末の書啓示4章11節には、このように記されています。「エホバ、わたしたちの神よ、あなたは栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方です。あなたはすべてのものを創造し、あなたのご意志によってすべてのものは存在し、創造されたからです」。この厳粛な言葉の当てはまる方は、偉大な創造者エホバ以外にいません。宇宙の一切のものは、神エホバによって存在するようになったので。あなたの命も神エホバのご意志によって存在しているのです。神エホバが、主権者なる主また万物の創造者であることに伴う誉れと力と栄光を持つにふさわしい方である、ということに疑問の余地はありません。あなたも、そのことについてご理解を深めていらっしゃる方のお一人であれば幸いです。

 引き続き次回も、「主権者なる主エホバ」についてお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。

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        夕暮れて ヒキガエル鳴く 時節来る 今日の一句

                    雨の中の「匂い梅花ウツギ」

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ヤマボウシの花と春のバラ(その9)

2018-05-05 00:42:27 | 四季折々の花々

 庭のヤマボウシが一斉に花を咲かせ

 5月の爽やかさを引き立てています。

 ヤマボウシの木は、庭木として、とても調和します。

 今日はヤマボウシの花と春のばら(その9)を紹介致します。

                    庭に咲く「ヤマボウシの花」

                 バラの愛好家の「春のバラ(その9)」      

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「見よ、これがわたしたちの神である」:神エホバの名の意味(その2)♪

2018-05-05 00:06:34 | 神の言葉・聖書

 皆様方も、全ての動植物や食物、そして人間にはなぜ名前があるのだろうか、と、お考えになられたことがあるかも知れません。偉大な創造者エホバ神は宇宙を創造し、人が住むために地球を秩序正しく創造し、地上に全てを創造し、環境を整えた後、「エデンの園」に人間を「神の像(かたち)」に創造してくださいました(イザヤ45:18.創世記1:26,27;2:7,15)。そして、最初の人アダムに、神エホバの創造物に名前を付けて呼ぶようにされました(創世記2:20)。最初の人間に「アダム」と名付けたのは神エホバで、アダムの妻に「エバ」の名前を付けて呼んだのがアダムです(創世記3:17,20)。アダムとエバの子供たちに名前を付けたのはアダムとエバの両親です(創世記4:1,2)。このようにして、人間は子供たちに名前を付けて呼ぶ様になり、今日に至りました。しかも、子供の名前を付けるときは、親は、将来どのような子供になって欲しいかを熟考し、意味を考えて名前を付け登記します。それほど、人名が大切なのは、神エホバのお名前の意味に由来しているためと考えられます。

 先回に引き続き、神エホバのお名前の意味についてお伝え致します。神エホバのお名前の意味は、民にとって確信になったに違いありません。今日の私たちにとって同じです(詩編9:10)。

 例えで考えてみましょう。親は、子供を育ててゆくに当たって、いかに多様な務めを果たし、知恵を働かせ柔軟に適応力を発揮すべきかを知っています。親はほんの1日のうちに、看護人、コック、教師、しつけ係、金銭管理、家のメンテナンスの仕方、仕事の進め方、裁判官など、さまざまな役割をこなさなければなりません。求められる役割があまりに多岐にわたるので、気が遠くなる、と言う人もいるほどです。親は、幼い子供から絶対の信頼を寄せられていることを感じます。両親は痛みを和らげてくれ、子供同士のどんなけんかも治め、壊れたおもちゃも直し、次々に浮かんでくる質問にはみんな答えてくれる、という親への絶大な信頼です。親の中には、限界を感じて自信を失う人や、時に子育てに挫折感を抱く人もいます。親の役割の多くを果たす点で自分は情けないほど資格がないと感じてしまうのです。

 神エホバも愛のある親のお父さんです。しかし、神エホバは、地上にいる自分の子供である人間に最善の世話をするために、ご自分の完全な基準の枠内で何にでもなることができます。ですから、私たちは、神のみ名エホバを思い巡らすとき、神エホバを、想像しえる最良の父親と考えます(ヤコブ1:17)。モーセ及び、他の全ての忠実な人々はやがて、エホバがまさにそのお名前の通りの方であることを体得することになりました。神エホバがご自身を、無敵の軍司令官、自然界のあらゆる力の統御者とならせる様子を、また比類のない律法者、裁き主、建築者、食物と水の供給者、衣服や履物の維持者など、様々な者とならせる様子を、畏怖の念を覚えつつ目撃したのです(出エジプト記参照)。

 このように神エホバは、ご自分の固有の名エホバを知らせ、その意味を説明し、さらにご自分がその名の意味するとおりの方であることを実証して来られました。明らかに神エホバは、私たちがご自分を知ることを望んでおられます。では、私たちはどうこたえ応じるでしょうか。モーセは神エホバを知りたいと願いました。その熱烈な願がモーセの生涯の歩み形造り、天の父エホバに非常に親しく近づくよう、モーセを導きました(民数記12:6,8.ヘブライ11:27)。残念ながら、モーセと同時代の人の多くは、同様の願いを抱きませんでした。エジプトごう慢な王ファラオは、モーセがエホバの名を述べると、「エホバが何者だというのか」と言い返しました(出エジプト記5:2)。ファラオは、神エホバについて、もっと知りたいとは思わなかったのです。それどころか、その神エホバを、取るに足りないもの、もしくは無用のものとして、あざけりを込め退けました。そうした見方は、残念なことにいたって一般的です。そのために人々は、最も重要な真理、つまり神エホバが主権者なる主であるという真理に対して盲目になっています。キリスト教世界でも、聖書の教えにないマリアを崇拝させたり、イエスを神にしたりし、大きな誤りを犯しています。

 次回は、「主権者なる主エホバ」という、重要な真理についてお伝えします。引き続きお読み下されば幸いです。

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       どこからか 庭に舞い帰し アゲハ蝶 今日の一句

   

                   道辺の「シュロウの花」

 

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