私たちの神エホバは、私たち人間を男性も女性も「神の像(かたち)」に創造してくださいました(創世記1:26,27;5:2)。従って男性と女性も平等であり、性によって差別があってはなりません。私たちが「神の像(かたち)」に創造されていることは、神エホバの比類のない特質の愛、公正(義)、知恵、力を学び、映像を映し出すようにそれらの特質を反映した生き方ができる能力が与えられているのです。さらに、イエスは私たちが見倣うことができるように完全な手本を残されました(ペテロ第一2:21)。
神エホバの四つの主要な特質・愛、公正、知恵、力は、イエスの歩みのうちに見事に表明されました。イエスは、病気や飢えを、さらには死や自然おも制する力を持っていました。とはいえ、力を乱用、誤用する利己的な人々とは異なり、自分のために、あるいは他の人を害するために奇跡的な力を用いることは決してありませんでした(マタイ4:2~4)。イエスは公正を愛しました。不正な商人が神殿で人々を食い物にしているのを目にした時、イエスの心は義憤に満たされました(マタイ21:12,13)。貧しい人々や虐げられた人々を公平に扱い、そうした人々が、自分の魂(命または体)にとって、「さわやかなものを見いだせる」よう助けました(マタイ11:4,5,28~30)。「ソロモン以上の」者であったイエスの教えには、比類のない知恵が示されていました(マタイ12:12)。それでも、イエスは、自分の知恵を見せつけようなどとはしませんでした。イエスの教えの言葉は、愛と公正と知恵と力が調和よく反映し、民衆の心に達しました。分かり易く、簡明で、実際に即した教えだったからです。
イエスは、神エホバの愛の際立った手本でした。神の王国の宣教期間を通じて、感情移入や同情心をはじめ、愛の数々の面を発揮しました。他の人が苦しんでいるのを見ると、哀れみを抑えられず、幾度も、そうした思いやりに満ちた気遣いに動かされて行動しました(マタイ14:14)。イエスは、即座に病気の人をいやし、飢えた人に食物を与えましたが、それよりはるかに重要な面でも同情を表わされました。人類に恒久的な祝福をもたらす神の王国に関する真理を知ってそれを愛するよう、謙遜に人々を助けたのです(マルコ6:34.ルカ4:43)。何よりも、イエスは、他の人々のために進んで自分の魂(命)を投げ打つことにより、自己犠牲的な愛を示しました(ヨハネ15:13)。
このように優しくて、公正で温かい、豊かな感情の持ち主に、さまざまな年齢や生い立ちの人々が引き付けられたのも当然ではないでしょうか(マルコ10:13~16)。いずれにせよ、私たちは、生きた手本であるイエスについて読んだり、考えたりする際、このみ子のうちにみ父エホバの比類のない四つの特質が鮮明に見いだせていることを常に思いに留めておくのはふさわしいことです(ヘブライ1:3)。
次回は、神エホバに近づく助けになる、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、エホバ」という内容でお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
奉仕終え 午後のひと時 ところてん 今日の一句
庭に咲いている「バラ」