あなたは、幼い時や思春期にご両親や先生から懲らしめを受けたことがありますか。きっと懲らしめを受けたご経験をお持ちではないかと思います。当初は「懲らしめ」という言葉から、だれも懲らしめは受けたくないと思うかも知れません。でも、ご経験を通して学ばれた通り、道理をわきまえた大人に成長するためには懲らしめはとても重要です。親や先生は子供を愛するゆえに懲らしめを与えます。聖書の箴言(しんげん)にも「神エホバの懲らしめを退けてはならない」と次のように記されています。それは何故でしょうか。
「我が子よ、エホバの懲らしめを退けてはならない。その戒めを憎悪してはならない。エホバは、父がその楽しみとする子を戒めるように、ご自分の愛する者を戒められるからである」(箴言3:11,12)。
上の聖句に記されている通り、神エホバの懲らしめを退けてはならないのは、神エホバご自身が愛する者を戒められるからです。
「懲らしめ」とはどんな意味でしょうか。ヘブライ語の動詞形のヤーサルには、「懲らしめ」、「懲罰」、「矯正」、「説き勧め」という意味を伝えています。ギリシャ語聖書に出てくるパイディアやパイデウオ―も基本的に同じ意味があります。また主として子供を育てるのに必要なもの、鍛錬、教訓、教育、矯正、懲罰と関係があります。ですから、神エホバも私たちを愛するゆえに懲らしめを与えてくださり、道理をわきまえた人に成長させてくださるのです。
神エホバの懲らしめは、聖句の通り愛の表明でもあります(箴言3:11、12)。人間の間違った見方を正し、知的能力と行動様式を形成するための教訓をお与えになります。モーセの時代のイスラエル人への懲らしめは、エホバ神の偉大さの表明を目撃することが含まれ、神エホバがェジプトの神々に裁きを執行し、ご自分の民を開放し、紅海でエジプトの軍隊を滅ぼした時、エホバの比類のない力が表明されました。不従順なイスラエルに厳しい裁きを執行されることも幾度もありました。食物や水が奇跡的に備えられた際には、神エホバの言われる全ての事柄を心に留め、それを適用する教訓が結びついていました。こうした懲らしめ全てはイスラエルの民を謙遜に成らせるとともに、神エホバへの正しい恐れを抱き、信仰と従順によってそれを示すことの必要性を銘記させるのに役立ちました(申命記8:3~5;11:2~7)。
親は子供を正しく懲らしめる際には、神エホバを代表するものです。そのため、聖書に記されているエホバの教えに基づき懲らしめる必要があります。そして子供は、永続的福祉を促進することを意図して親が与える、愛の表明としての懲らしめにこたえ応じなければなりません(箴言1:8;4:1,13;6:20~23;13:1,24;15:5;22:15;23:13,14.エフェソス6:4)。
あなたも、神エホバからの懲らしめを進んで受け入れ、古い人格を脱ぎ捨て新しい人格を身に着ける方々のお一人であれば幸いです(エフェソス4:20~24)。
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