聖書のイザヤ書を調べると、偉大な創造者エホバ神の比類のない属性の愛、公正(義)、知恵、力が見事に確証されていて、私たちが神エホバの保証の言葉に信仰を抱くことができます。
神エホバに敵する者たちは、自分たちの強固な都市に対する神エホバの「全ての良い約束」が実現する時、どのように反応するでしょうか(ヨシュア23:14)。イザヤは次のように記しています。
「そのため、強い民があなた(エホバ)をたたえ、圧政的な国民の都市があなたを恐れます」(イザヤ25:3)。
全能の神エホバに適する者たちが、神エホバを恐れるようになるのは分ります。しかし、どのようにして神エホバの栄光をたたえるのでしょうか。自分たちの偽りの神々を捨て、神エホバへの清い崇拝を行なうようになるのでしょうか。そうしたことはまず考えられません。むしろ、ファラオやネブカドネザル王のように、自分たちより神エホバが圧倒的に優位であることを認めざるを得なくなって初めて神エホバの栄光をたたえるのです(出エジプト記10:16,17;12:30~33.ダニエル4:37)。
今日、「圧政的な国民の都市」とは、偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」のことです(啓示17:5、18)。その「大いなるバビロン」の主要分はキリスト教世界のことです。キリスト教世界の宗教指導者たちはどのように神エホバに栄光をたたえるのでしょうか。神エホバの「エホバの証人」たちのために、神エホバが成し遂げたくすしい事柄を渋々認めることによって、栄光をたたえるのです(イザヤ43:10)。とりわけ、1919年、神エホバが、「大いなるバビロン」の霊的な捕われから解放されたご自分の僕たちを精力的な活動へと回復させた時、それら宗教指導者たちは、「恐れて天の神(エホバ)をたたえた」のです(啓示11:13)。
神エホバは、敵する者たちの目には恐ろしく映ります。神エホバに仕えることを願う柔和(温和)で謙遜な人たちにとっては避難所です。宗教的また圧制者たちは、「エホバの証人」の真の信仰を砕こうとして、どんな手段を用いようとも、失敗します。「エホバの証人」のクリスチャンたちはイエスの教えに堅く付き従い、神エホバのご意志を守り行ない、神エホバに依り頼んでいるからです(格言3:1~6)。最終的に神エホバは、渇き切った砂漠の陽射しを雲で覆い隠すかのように、また打ち付ける暴風雨を壁で遮るかのように、わけなく敵対者たちを沈黙させます。これらの保証の言葉をイザヤは次のように記しています。
「あなた(エホバ)は、立場の低いひとのとりで、苦悩している貧しい人のとりで、暴風雨から逃れるための避難所。暑さを避けるための陰となられました。圧制者たちの怒りが、壁に打ち付ける暴風雨のようになる時、乾き切った土地の熱気のようになる時、あなた(エホバ)はよそ者たちの騒ぎを鎮めます。雲の影によって暑さが和らぐように、圧制者たちの歌は沈黙させられます」(イザヤ25:4,5)。
次回はイザヤ25:6~8節に記された内容を紹介致します。
水晶の 如く澄みきる 清水かな 今日の一句
人差し指に止まった「糸トンボ」