友人宅の庭には、毎年この時期には淡いピンク系の百日紅の花が咲きます。
通常こちらでは赤の百日紅の花が多く、我が家の庭の百日紅も赤の花です。
淡いピンク系の百日紅の花は、あまり見かけないので珍しい種類と思います。
私の手持ちの花図鑑には百日紅の花は紹介されていませんでした。
今日は淡いピンク系の百日紅の花と黄色のハイビスカスを紹介致します。
珍しい「百日紅の花」
鉢植えの「ハイビスカス」
友人宅の庭には、毎年この時期には淡いピンク系の百日紅の花が咲きます。
通常こちらでは赤の百日紅の花が多く、我が家の庭の百日紅も赤の花です。
淡いピンク系の百日紅の花は、あまり見かけないので珍しい種類と思います。
私の手持ちの花図鑑には百日紅の花は紹介されていませんでした。
今日は淡いピンク系の百日紅の花と黄色のハイビスカスを紹介致します。
珍しい「百日紅の花」
鉢植えの「ハイビスカス」
イザヤの預言の言葉は興味深く、多くの教訓が含まれています。バビロンの軍勢という「激流の通り過ぎる時」、神エホバは、ユダの政治上の同盟、つまり避難所はうそであることをあらわにされます。神エホバの言葉をイザヤは次のように記しています。
「あなたたちの、死との契約は解消され、墓との協定は無効になる。激流の通り過ぎる時、あなたたちは押しつぶされる。それは通り過ぎるたびに、あなたたちを押し流す。来る朝も来る朝も、昼も夜もそれは通り過ぎる。人々は恐怖を抱いて、聞いた事柄を理解する」(イザヤ28:18,19)。
上の聖句に示されている通り、神エホバに依り頼むことを怠り、諸国家との同盟に確信を置くなら、バビロンの軍勢の「激流が通り過ぎる時」、「押しつぶされ」、「押し流される」ことになるのです。そのような状態になって、ユダの「人々は恐怖を抱き」、やっと「聞いた事柄を理解する」ことになります。現在でも、神エホバに依り頼るより、諸国家との同盟に信頼を置く人々にとって、生じる事柄は心に訴える教訓となっています。
それらユダの指導者たちは、今やどんな境遇になっているでしょうか。イザヤは次のように記しています。
「ベッドは体を伸ばすには短過ぎ、織られた布は体をくるむには幅が狭過ぎる」(イザヤ28:20)。
上の聖句に記されている通り、ユダの指導者たちは、休もうと思って身を横たえても休めないかのような境遇です。脚を伸ばせば、足先が外に出て寒く、かといって脚を縮めると、掛け布が狭すぎるので暖かくくるまっていることができません。イザヤの時代、指導者たちにはそのような不快な状態が見られたのです。今日でも、キリスト教世界のうその避難所に信頼を置く人は皆、同様の状態になります。実に嫌悪すべきことに、キリスト教世界の宗教指導者の中には、政治に手を出した結果、民族浄化や集団虐殺など、身の毛のよだつ残虐行為に関わり合うようになった人たちもいます。愛と公正の神エホバと共に歩むことの重要性が例証されています(ミカ6:8.ヨハネ第一4:8)。
向日葵や 溢れる笑顔 見せて咲く 今日の一句
友人の庭に咲いている「ポーチュラカ」
向日葵が道辺に咲いていました。ヒマワリの花は子供たちから
大人まで夏の花として親しまれて来ました。
その向日葵に蜜蜂が来て吸蜜に夢中でした。
花期は花図鑑では8月~10月です。
実際には7月上旬から咲いています。
用途は、切り花、鉢植え、庭植えです。
花言葉は「活溌溌地」と紹介されています。
今日は向日葵とジニア(百日草)を紹介致します。
道辺に咲いている「向日葵」
道辺に咲いている「ジニア(百日草)」
イザヤの時代、宗教指導者たちは傲慢になり、「死と契約を」結んだので、死も自分たちに手出しはしないと考えていました(イザヤ28:14,15)。
では、それら宗教指導者たちは、どこに目を向けるべきでしょうか。イザヤは次のように神エホバの約束を記しています。
「そのため、主権者である主エホバはこう言う。「私はシオンに、試された石を土台として据える。強固な土台の隅石である。信仰を抱く人は動揺することがない。私(エホバ)は公正を量り綱とし、正しさを水準器とする。ひょうが偽りの避難所を一掃し、水が隠れ場を押し流す」」(イザヤ28:16,17)。
イザヤが上の聖句の言葉を告げてから少し後に、忠実な王ヒゼキアがシオンで王に就き、その王国は、近隣の同盟国によてではなく、神エホバの介入によって救われます。しかし、イザヤの霊感を受けた上の聖句の言葉は、王ヒゼキアに成就するのではありません。後に使徒ペテロはイザヤの言葉を引用し、ヒゼキアのずっと後代の子孫であるイエス・キリストが「試された石」であること、そしてそのイエスに信仰を働かす者は、全く「動揺することがない」ことを明らかにしました。(ペテロ第一2:6)。なんとも嘆かわしいことに、キリスト教世界の指導者たちは、クリスチャンと唱えながら、イエスが教えた事柄を守り行なって来ませんでした。何故、聖書に記されている真理を調べないで独自の考えを行使するのでしょうか。王イエス・キリストの支配する神の王国を神エホバが実現げさせるのを待つどころか、この世での目立った立場や権力を欲して来ました(マタイ4:8~10)。神エホバは、上の聖句に記されている通り。「公正を測り綱とし、正しさを水準器とする」方です。神エホバの教えの公正を行わない指導者たちは、一掃されます(啓示18章)。引き続き、イザヤの言葉を次回も紹介致します。
稲穂出る 畦道整理 老農夫 今日の一句
夏は馴染みの「百日草」