早くも12月に入りましたが、午後からは少し薄日も
射してきたので、久しぶりに宇和島市の文化歴史資料館に
行って来ました。
この資料館に行くと江戸時代は現在の宇和島市の街の所は
海であったことが分かります。海を埋め立て現在の街が
できたことを知ることができます。
宇和島城の周りにも海水のお堀があったのですが、
埋め立てられ、現在は道路になっています。
狭い土地を埋め立て、現在の街に発展してきたことが分かり、
当時の人々の労苦がしのばれます。
今日は宇和島市の文化歴史資料館と樺崎砲台跡を紹介致します。
1.宇和島市の文化歴史資料館
(1)文化歴史資料館の外観
(2)文化歴史資料館内の展示物の一部
下の写真は樺崎砲台の大砲のレプリカ
下の写真は「実測宇和島市街図」です
2.文化歴史資料館の左前にある樺崎砲台跡(現在残っている砲台跡は1つですが、5っ砲台が据え付けられていたようです。樺崎砲台は海を埋め立て、石垣を築き造られたようです。賢かった宇和島藩の伊達の殿様はイギリス艦隊が来た時に、ここの砲台から「祝砲」を撃って歓迎し、平和外交を展開したと聞きます。
下の写真は砲台跡を後面から見たものです(溝の部分に大砲が据え付けられていたようです)