愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

「肉の業」の「偶像礼拝」を避けることが出来ますか?(ガラテア5:19,20)

2015-09-26 19:33:07 | 神の言葉・聖書

 皆様方もご承知の通りに、多くの方々は「偶像礼拝」を行う状況が広く生活の中に浸透しているのをご存知の事と思います。多くの方々はご自分の所属する宗教を通し、あるいは学校教育や、幼い時に両親や祖父・祖母や周りの人が偶像礼拝を行なっている姿を見て行うようになった人たちもいます。中にはマスメディアを通して偶像礼拝をするようになった人たちもいます。多くの方々が「偶像礼拝」を行う中で、勇気を持って偶像礼拝を避けて来られた方々は幸いです。

 み言葉・聖書は「偶像礼拝」を朽ちる「肉の業」として教え、そのような行為は「神の王国を受け継ぐことはありません」と警告しています(ガラテア5:19~21)。それでも、上に述べた通り、多くの方々は偉大な創造者エホバ神が、偶像礼拝を非として教えていることをご存じなく、普通の事のように行っています。どうすれば偶像礼拝を避けることが出来るでしょうか。

 偶像礼拝を避けるためには、イエスが祈りの言葉の中で教えられた通り、唯一まことの神エホバとそのみ子イエスに関する正確な知識を取り入れることです(ヨハネ17:3)。秩序正しく法則によって宇宙を創造し、その中に人が住むために地球を創造してくださった命の源の偉大な創造者エホバ神を覚えるなら、偶像礼拝が誤りであることが容易に理解できるでしょう(創世記1:1.イザヤ45:18.詩編36:9.伝道の書12:1)。神エホバの創造された被造物に身をかがめるのではなく、全てを創造し、全ての被造物を顧みておられる偉大な創造者エホバ神にこそ感謝し、栄光と賛美を帰すのが正しいことが分かります(啓示4:11)。ですから、イエスは神エホバを心をこめ、力をこめ、思いをこめ、魂をこめて愛するように教えられました(マタイ22:37.ルカ10:27)。

 神エホバは、人々に太陽や月や星々や空を飛ぶ鳥、地上の動物や植物や食物、地中の動物や貴金属や宝石類、水の中の魚等のいかなる彫刻像や形を作り、それらの偶像に身を屈めてもならない、と律法を与えられました(出エジプト記20:4,5)。偶像礼拝は神エホバにとって殺人や姦淫や盗みと同じ罪を犯していることになるのです(出エジプト記20:13~15)。現在の多くの人々は偶像礼拝が、神エホバにとって殺人と同じように見做されるなどとは考えてもいないに違いありません。さらに神エホバは、人の手の業によって造られたものに身を屈める、つまり偶像礼拝する者を赦すことはない、とも言明されました(イザヤ2:8,9)。

 神エホバは偶像礼拝のむなしさ、不合理性について分かり易く教えておられます。大きな木を伐採し、生活の必要に用い、一方、その木から彫像・偶像を造り、その彫像に「わたしを救い出して下さい。あなた(偶像)がわたしの神だからです」と言うとしたら、それは愚かしい行為で、その木の偶像が人を救うことなど出来ないことを教えています(イザヤ44:14~17)。少し考えれば、分かる事ですが、人間の造る木造や石造、あるいは印刷した「お守り」が、私たちの願いを聞き、「お守り」をするはずがないことは明白です。更に聖書の詩編では、偶像礼拝のむなしさを次のように教えています。

 「彼ら(諸国民)の偶像は金や銀であり

         地の人の業である。

  口はあっても、話すことはない。

      目はあっても、見ることは出来ない。

  耳はあっても、聞くことは出来ない。 

      鼻はあっても、かぐことはできない。

  手を持っていても、触れることは出来ない。

      足は持っていても、歩くことは出来ない。

      のどを使って声を出すわけでもない。

  これを作る者たちはまさしくこれ(偶像)と同じようになる。

      すべてこれ(偶像)に依り頼んでいる者たちは」(詩編115:4~8)。

 この詩編の言葉と同じように、亡くなった人に何かをお願いごとをしても、亡くなった人は無意識であり、もはや知識も知恵もなく、無存在ですから、生きている人の願いを聞き、助けの手を伸べることはありません(伝道の書9:4~6,10)。またある人物を偶像視し崇めても、人間には能力の限界があり、人間以上のことは出来ません(エレミヤ10:23)。救いを求めるべき方は偉大な創造者エホバ神のみなのです(詩編3:8;68:20.イザヤ49:8.啓示7:10;12:10)。み言葉・聖書の真理を学び、朽ちる「肉の業」の「偶像礼拝」を避け、お父さんエホバ神に栄光と賛美を帰される方々は幸いです(ガラテア5:19,20.啓示4:11)。

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      虫の音の 心地よきなり 散歩道 今日の一句

                 柿原から見る「丸山公園と宇和島城方面」

 

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赤のペチュニアとピンクのバラの花

2015-09-25 23:13:04 | 四季折々の花々

 ペチュニアの花は花期が長いので長く楽しめます。

 花形は朝顔の花を小さくした花形に似ています。

 花期は3月~10月です。

 用途は鉢植え、花壇です。

 花言葉は「穏やか」と紹介されています。

 今日は赤のペチュニアとピンクのバラの花を紹介致します。

                     玄関の鉢植えの「ペチュニア」

                         庭に咲いている「バラ」

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「肉の業」の「酔酒」を避ける助けをご存知ですか(ガラテア5:19,21)

2015-09-25 22:50:44 | 四季折々の花々

 皆様方の中にもお酒の好きな方がいらっしゃるかも知れません。ご承知の通りにどこの町、街にも「飲み屋さん」があり、仕事帰りの方々が、一人で、あるいは仲間の方々と立ち寄られる姿があります。そのような方の中には「梯子酒」と言って、次々と「飲み屋さん」巡りをし、週末などには遂に泥酔してしまう人もおられるようです。普段会社ではおとなしい人が、「酔酒状態」になると、まるで「人が変わる」人もおられるようです。中には暴力を振るう人もおられます。さらには「アルコール中毒」になり、治療を受けなくてはならない人もおられ、アルコールの乱用は避けなければなりません。

 聖書は、アルコール飲料を一切禁じているのではなく、少しのぶどう酒(コップ一杯程度)は健康に良いと記しています(テモテ第一5:23)。しかしながら、聖書は「酔酒」は「肉の業」であり、神の王国を受け継ぐことはないと警告し、「酔酒」を避けなければならないことを教えています(ガラテア5:16,21)。ご承知の通りに「酔酒状態」は健全な判断力が損なわれていますので、避けなければならないのです。聖書は「思考力があなたを守り、識別力があなたを保護する」と教えていますので、健全な判断力を失う「酩酊」、「酔酒」を避けなければならないのです(箴言2:11)。

 さらに「肉の業」の「酔酒」を避ける点で次の聖書の箴言の言葉は助けになります。「ぶどう酒はあざける者であり、酔わせる酒は騒がしい。それによって迷い出る者はみな知恵がない」と記しています(箴言20:1)。飲みすぎの「酔酒」の影響を考える必要があるのです。知恵を失うなら、人生は快く平安の道、命の道ではなくなるのです(箴言3:15~18も参照)。さらに聖書の箴言は次のように教えています。「災いに遭っているのはだれか、不安を抱いているのはだれか。口論をしているのはだれか。心配しているのはだれか。理由もなく傷を負っているのはだれか。目の鈍くなっているのはだれか。それはぶどう酒と共に長い時を過ごす者、混ぜ合わせたぶどう酒を探し出すために入って来た者たちではないか。ぶどう酒が赤色を呈し、杯の中できらめきを放ち、滑らかに流れるとき、これを見てはならない。それは終わりにはのようになる。まむしのように毒を分泌する。あなたの目は奇妙なものを見、あなたの心はゆがんだことを話す。そして、あなたは必ず、海の真ん中に横たわっている者のように、帆柱のてっぺんに横たわっている者のようになる。「彼らはわたしを打ったが、わたしは病気にならなかった。彼らはわたしを殴ったが、わたしはそれに気がつかなかった。わたしはいつ目覚めることだろう。わたしはそれを求めるであろう」」(箴言23:29~35)。この聖句はどのような人を描写しているのでしょうか。「酔酒の人」ですが、さらに進行し「アルコール中毒」の人を描写しています。このような状態は本人のみならず、家庭を混乱に陥れます。適度な飲酒は益もありますが、アルコールの乱用を、上の聖句を読み避けられる方は幸いです。

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      ほんのりの 甘さ美味しや 栗ご飯 今日の一句

                     庭に咲いている「ミニトマトの花」

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黄色のボール状の菊と赤のコスモス

2015-09-25 00:28:12 | 四季折々の花々

  秋は日本人にとって、菊の花を楽しむ時期です。

 近くのホームセンターで鉢植えの

 黄色のボール状の菊の花を売っていました。

 とても温かく、かつ優しい雰囲気の菊の花です。

 今日は黄色のボール状の菊と赤のコスモスの花を紹介致します。

                     鉢植えで売られていた「菊」

                         鉢植えの「コスモス」

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仕事に対する正しい考え方:「一握りの憩いは、二握りの骨折り・・・に勝る」(伝道の書4:6)

2015-09-25 00:18:52 | 神の言葉・聖書

 皆様方も勤勉に働き、家族の必要物・物質的な必要と霊的な必要を備えていらっしゃる方々は幸いです。私たちは仕事をする者として創造されていますが、仕事に対する正しい考え方を抱いていらっしゃるでしょうか(創世記2:15,19)。このように考える人もおられるかも知れません。競争の激しい職場で生き残り、少しでも良い立場を得て、より高い給料を得るためには、自分の仕事を他の何よりも優先しなければならない。そう考えて仕事に全精力をつぎ込むあまり、自分の家族の必要、特に霊的必要や自分の健康を顧みなくなった人もいます。

 聖書は何と教えているのでしょうか。聖書は、仕事に対するバランスの取れた考え方をするように勧めています。勤勉な働きの人を褒め、怠惰な人を戒めています(箴言6:6~11;13:4)。また、自分の仕事に熟練した人となるようにも促しています(箴言22:29)。神エホバの教えは、勤勉に質の良い仕事を行って、世の中に貢献するように促しているのです。一方、聖書は、仕事中毒になるほど働くことは良しとはしていません。憩いの時を程よく取るように勧めています。次のように伝道の書には記されています。「一握りの憩いは、二握りの骨折りと風を追うことに勝る」(伝道の書4:6)。また、幸福な人はみ言葉を毎日読み、その教えを黙想し、自分の生活に適用する人が成功する、と教えています(詩編1:2,3)。ですから、自分と自分の家族の霊的必要を顧みなくなる、あるいは若さにまかせて健康を顧みなくなるほど仕事にのめり込んではならないのです。家族と健全なレクレーションを楽しむ時間も必要なのです。命を削るような仕事の取り組みはふさわしくありません。人生に成功を収めるには、み言葉を日毎に学ぶ時間も取分ける必要もあるのです。特に親は、み言葉を学び、神エホバの教えを自分の心に取り入れ、子供たちに毎日教えることも怠ってはならないので、仕事のみになって、霊的な必要を備えることを怠ってはならないのです(申命記6:4~9)。

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    栗の実を 食べよと姉妹 訪ね来る 日の一句

                     ご近所の庭に咲いている「ジニア」

 

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