詩編80編1節~11節には、神エホバの民の「敵はその好むままにあざ笑う」ゆえに、民の救いのための祈りの言葉に「耳を向けてください」と懇願する言葉が記されていました(詩編80:1,2,6)。今日紹介する詩編80編12節~19節には、神エホバがご自分の民を「天から見下ろし、見て、世話してください」と懇願し、神エホバの右手がご自分の民の上にあるなら、神エホバに堅く着くことを宣言し、「わたしたちを生きながらえさせてください」。エホバの「み名を呼び求めるためです」と祈っています(詩編80:14、17,18)。
詩編80編12節~19節には次のように記されています。皆様方はみ言葉からどのような教訓を学び取られるでしょうか。
「12 あなたはなぜその石壁を打ち壊されたのですか。
その道路を通って行く者はなぜだれもが
それ(ぶどうの実)を摘み取ったのですか。
13 森から出て来るいのししがそれ(ぶどうの実)を食い荒らし、
原野の動物の群れがそれを食べつづけます。
14 バングの神(エホバ)よ、帰って来てください、
お願いいたします。
天から見下ろし、見て、世話してください。
このぶどうの木を。
15 あなたの右手が植えたこの(ぶどうの)株を。
あなたがご自分のために強くされた
子を見てください。
16 それは火で焼かれ、切り断たれています。
あなたのみ顔の叱責により
彼らは滅びうせます。
17 あなたのみ手が、あなたの右手の人の上に、
あなたがご自分のために強くされた
人間の子の上にありますように。
18 そうすれば、わたしたちがあなたから
引き返すことはありません。
わたしたちを生きながらえさせてくださいますように。
わたしたちがあなたのみ名を
呼び求めるためです。
19 万軍の神エホバよ、わたしたちを連れ戻し、
あなたのみ顔を照らし出してください。
わたしたちが救われるために」(詩編80:12~19)。
上の聖句では、イスラエルの民は「ぶどうの実」に例えられ、その民が敵たちよって荒らされてゆえに、神エホバに「帰って来てください」と懇願しています(詩編80:12~14)。イスラエルの民は神エホバの救いを必要としていました。上の聖句の中で神エホバの「右手の人」という言葉が記されています(詩編80:17)。この「右手の人」とは、神エホバの義の右手によってしっかりつかまれている人、つまり「エホバの民」を表わしています。イザヤ書には神エホバの「義の右手」について次のように記されています。「「恐れてはならない。わたし(エホバ)はあなたと共にいるからである。周りを見回すな。わたしはあなたの神だからである。わたしはあなたを強くする。わたしはあなたを本当に助ける。わたしはわたしの義の右手であなたを本当にしっかりととらえておく」と」(イザヤ41:10)。この聖句が示している通り、私たちの方から神エホバの「義の右手」を離さない限り、神エホバが私たちを強め、助けてくださるのです。ですから、詩編作者の一人のアサフも「わたしたちがあなた(エホバ)から引き返すことはありません」と宣言しています(詩編80:18)。「あなた(エホバ)から引き返すことはありません」とは、神エホバから離れることはありません、神エホバと共に歩みます、という意味です(ミカ6:8も参照)。私たちが、神エホバの「み名」を呼び求めることは非常に重要で、救いに関係しているのです(詩編80:18の後半。ローマ10:13)。あなたもエホバの「み名」を呼び求める方のお一人であれば幸いです。
寒き日も 笑顔温か 受付嬢 今日の一句
ご近所の庭に咲いている「カタバミ」