イスラエルは神エホバに依って特別な民として契約下に置かれ、最も幸福に生きるための律法と高い道徳基準を与えられていましたが、イザヤの時代にはどうしょうもない神エホバへの反逆者に陥っていました(イザヤ9:13~16)。この事例は私たちへの警告の例として記されているのです(コリント第一10:11)。
さらに悲しいことにイスラエルは「やもめも父なし子」も反逆者に転落しています。神エホバは、やもめや父なし子の保護者でした(出エジプト記22:22,23)。しかし、イザヤが次のように記していることにご注目してしてください.
「エホバはその若者たちおも歓ばず、その父なし子おも、やもめたちおも憐れまれないであろう。彼らはみな背教者。悪行者であり、すべての口は無分別なことを語っているからである。このすべてのことののゆえに、神(エホバ)の怒りは元に戻らず、その手はなおも伸ばされたままである」(イザヤ9:17)。
イスラエル人の神エホバへの背教は、あらゆる階層を腐敗させており、やもめや父なし子も例外ではないのっです。愛の神エホバは民が悔い改めるのを期待し、辛抱強く親切にご自分の預言者たちを遣わされました(ヨハネ第一4:8.コリント第一13:4)。例えば預言者ホセアは、「イスラエルよ、さあ、あなたの神エホバに帰れ、あなたは自分のとがにつまずいたからである」と伝えました(ホセア14:1)。やもめや父なし子まで裁きを執行しなければならないとは、そうした人たちの保護者であった神エホバにとって非常に悲しく辛い事であるに違いありません。
イザヤと同様に、わたしたちも、邪悪な者たちに対する神エホバの裁きの日に先立つ、対処しにくい危機の時代に生活しています(テモテ第二3:1~5)。であすから、生活状況のいかんにかかわりなく、真のクリスチャンが、また真理を求める温和な人たちが、神エホバの恵みを得つづけるために霊的、道徳的、精神的な清さを保ち続けることがとても重要です(ペテロ第二3:14)。一人一人が神エホバとの関係を油断なく目覚めて守るようにしましょう。偽りの宗教の「大いなるバビロン・大娼婦」から逃れたのに「彼女に罪にあずかる」ということが決してないように致しましょう(啓示17:4~6;18:2,4)。
あなたも、神エホバのご意志を固く守り行なう「思慮深い人」たちのお一人であれば幸いです(マタイ7:24,25)。
桜咲き 道を尋ねる 人のあり 今日の一句
庭に咲いている「レンギョウ」