イザヤの時代、宗教指導者たちは傲慢になり、「死と契約を」結んだので、死も自分たちに手出しはしないと考えていました(イザヤ28:14,15)。
では、それら宗教指導者たちは、どこに目を向けるべきでしょうか。イザヤは次のように神エホバの約束を記しています。
「そのため、主権者である主エホバはこう言う。「私はシオンに、試された石を土台として据える。強固な土台の隅石である。信仰を抱く人は動揺することがない。私(エホバ)は公正を量り綱とし、正しさを水準器とする。ひょうが偽りの避難所を一掃し、水が隠れ場を押し流す」」(イザヤ28:16,17)。
イザヤが上の聖句の言葉を告げてから少し後に、忠実な王ヒゼキアがシオンで王に就き、その王国は、近隣の同盟国によてではなく、神エホバの介入によって救われます。しかし、イザヤの霊感を受けた上の聖句の言葉は、王ヒゼキアに成就するのではありません。後に使徒ペテロはイザヤの言葉を引用し、ヒゼキアのずっと後代の子孫であるイエス・キリストが「試された石」であること、そしてそのイエスに信仰を働かす者は、全く「動揺することがない」ことを明らかにしました。(ペテロ第一2:6)。なんとも嘆かわしいことに、キリスト教世界の指導者たちは、クリスチャンと唱えながら、イエスが教えた事柄を守り行なって来ませんでした。何故、聖書に記されている真理を調べないで独自の考えを行使するのでしょうか。王イエス・キリストの支配する神の王国を神エホバが実現げさせるのを待つどころか、この世での目立った立場や権力を欲して来ました(マタイ4:8~10)。神エホバは、上の聖句に記されている通り。「公正を測り綱とし、正しさを水準器とする」方です。神エホバの教えの公正を行わない指導者たちは、一掃されます(啓示18章)。引き続き、イザヤの言葉を次回も紹介致します。
稲穂出る 畦道整理 老農夫 今日の一句
夏は馴染みの「百日草」