雨上がりの鬼百合に黒アゲハ蝶が忙しく吸蜜に来ていました。
鬼百合には蝶たちが吸蜜にくる姿はあまり見たことがありませんでしたので、
鬼百合に黒アゲハ蝶が来て、忙しく移動して吸蜜する姿は珍しいと思いました。
ただ一つの花びらにじっと止まっていないので蜜は少ないのかも知れません。
今日は鬼百合に黒アゲハ蝶と黄色のポーチュラカを紹介致します。
鬼百合に吸蜜に来ていた「黒アゲハ蝶」
庭植えの「ポーチュラカ」
雨上がりの鬼百合に黒アゲハ蝶が忙しく吸蜜に来ていました。
鬼百合には蝶たちが吸蜜にくる姿はあまり見たことがありませんでしたので、
鬼百合に黒アゲハ蝶が来て、忙しく移動して吸蜜する姿は珍しいと思いました。
ただ一つの花びらにじっと止まっていないので蜜は少ないのかも知れません。
今日は鬼百合に黒アゲハ蝶と黄色のポーチュラカを紹介致します。
鬼百合に吸蜜に来ていた「黒アゲハ蝶」
庭植えの「ポーチュラカ」
本日からはイザヤ書の28、29章をしばらく紹介させて頂きます。
神エホバの民イスラエルとユダはしばしの間安心しています。両国の指導者たちは物騒な世の中での安全を求めて、神エホバに頼るのではなく、力のある大国と政治同盟を結んでおり、イスラエルの首都サマリアは、隣国シリアに頼り、ユダの首都エルサレムは無慈悲なアッシリアに望みをかけています。
北の王国のある人たちは、新たな政治的同盟に信頼を置く一方で、神エホバからの保護も期待しているようですが、相変わらず崇拝に偶像の金の子牛を用いています。同様にユダも、神エホバの保護を頼みにできると思い込んでいます。彼らは我々の首都エルサレムは神エホバの神殿があるのではないか、というわけです。しかし、どちらの国の前途にも、予想外の出来事が待ち受けています。神エホバはイザヤに霊感を与え、神エホバの教えの道に外れた民にとっては、実に不思議に思える事態の進展を予告させます。そのイザヤの言葉には、当時のイスラエルとユダに対する言葉だけではなく、今日のすべての人に対する肝要な警告が含まれています。
イザヤ28章の預言の冒頭で、びっくりするような言葉を述べています。次のように記されています。
「エフライムの酔っぱらいたちの派手な冠には災いがある!その輝かしい美しさは、しおれゆく花のようだ。それはぶどう酒に酔いつぶされた者たちの肥沃な谷の上にある。エホバは力強い者を持っている。その者は、ひょうを伴う激しい嵐、破壊的な暴風、ひどい洪水を引き起こす雷雨のように、力強く冠を地面に投げ落とす。エフライムの酔っぱらいたちの派手な冠は、足で踏みにじられる」(イザヤ28:1~3)。
北の十部族の中で最も傑出した部族のエフライムは、イスラエル王国を全体を代表する者となっています。イスラエルの首都サマリアは、「肥沃な谷の上」の美しく堂々たる場所という地の利に恵まれていました。エフライムの指導者たちは、エルサレムのダビデの王権から独立という「派手な冠」を誇りにしています。しかし、彼らは「酔っぱらい」であり、ユダに対抗してシリアと結んだ同盟のゆえに、霊的な酩酊状態に陥っていました。彼らが大切にしているものは皆、侵入者たちの「足で踏みにじられる」ようになります(イザヤ29:9と比較)。エフライムは自分たちが危うい状態にあることに気付くでしょうか。続くイザヤの言葉は次回に紹介致します。
浴衣着の 娘(こ)たち来客 道の駅 今日の一句
庭植えの「ポーチュラカ」
今年はアゲハ蝶やシジミ蝶や紅シジミ蝶は、いつもランタナに来て
吸蜜していますが、セセリ蝶の姿が見えませんでした。ところが、やっと
駐車場横のブッドレアにセセリ蝶が来て吸蜜をしていました。
この蝶も子供の頃からとても馴染み深い蝶です。
今日はブッドレアにセセリチョウとヒぺリクムの花を紹介致します。
やっと姿を見せた「ブッドレアにセセリ蝶」
知人宅の「ヒぺリクム」
神エホバは、ご自分の民であっても、ご意志を守り行なわない場合に、公正の原則にそって懲らしめを与えられました。
西暦前607年、神エホバが、エホバの道を外れたご自分の民を流刑というむちで打って懲らしめられると、ユダの民には苦痛が増し加わります。イザヤは次のように書き記しています。
「彼(ユダ)は自分を打つ者によって打たれなければならないのか。虐殺される民のように殺されなければならないのか。彼女(ユダ)を追い出す時、あなたは大声で叫び、彼女と争われる。東風の日に、神(エホバ)は激しい突風で彼女(ユダ)を追い払う。このようにヤコブの過ちは贖われる。彼(ヤコブ)の罪が取り去られる時、次のような結果になる。神(エホバ)は祭壇の全ての石を、みじんんに砕かれた石灰石のようにし、聖木や香台は一つも残らない。防備された都市(ユダ)にはだれも住まなくなる。牧草地は見捨てられ、荒野のように放置される。そこで子牛が草を食べて横たわり、枝を食べ尽くす。小枝が枯れると、女性たちがやって来て祈り、それで火をたく。この民(ユダ)は理解が欠けている。そのため、彼らを造った方(エホバ)は憐れみを示さず、彼らを形作った方(エホバ)は情けを掛けない」(イザヤ27:7~11)。
ユダ国民の罪があまりに大きく、動物の犠牲で贖うことは出来ません。それで神エホバは、「激しい突風」で、羊ややぎを負い散らすように、ご自分の民のユダを故国から追い出されます。そのユダは荒廃し、だれも住まない地になります。その後は、「女性たち」としてあらわされている「弱い諸民族」でさえ、その地に残されたものを使うことが出来ます。そのようにユダの民は神エホバからの憐れみ、情けを受けることがなくなりました。
しかし、神エホバがご自分の民を捕らわれから救出する時が来ます。神エホバは、言わば、木に捕らわれているオリーブを農夫が自由にするように、ご自分の民のユダを自由にします。イザヤは次のように記しています。
「その日、エホバは流れる川からエジプトの谷に至るまで、実をはたき落とす。イスラエルの民よ、あなたたちは次々に拾い集められることになる。その日、大きな角笛が吹き鳴らされ、アッシリアで滅びつつあった人たちとエジプトに散らされた人たちが来て、エルサレムの聖なる山でエホバにひれ伏す」(イザヤ27:12,13)。
キュロス王は西暦前539年に、勝利を収めた後、アッシリアやエジプトにいるユダヤ人を含め、自分の帝国内のユダヤ人全員を自由にする布告を出しました(エズラ1:1~4)。それは、あたかも「大きな角笛」が鳴り響き、神エホバの民のために自由の賛歌が響き渡るかのようです。このようにイザヤの預言の言葉は必ず成就し、これからも成就します。
次回からはイザヤ28章、29章を紹介致します。
ポンポンと 大輪の咲く 花火かな 今日の一句
愛媛県立吉田高校の「ソテツ」
子供の頃は川辺で、川トンボを沢山見かけましたが、
最近はめったに見ることがなくなりました。個体数が激減しているのだと思います。
川トンボは羽が黒く、胴体は青黒く見えます。
川トンボが鬼北(きほく)町の川辺に休んでいました。
今日は川トンボとキンカンの花を紹介致します。
個体数の少なくなった「川トンボ」
まだ咲いている「キンカンの花」