宮応かつゆきの日本改革ブログ

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独ソ不可侵条約がヒトラー・ドイツの世界大戦の引き金に。「スターリンの巨悪と展開」(第11章)を読む

2013年11月28日 | 綱領関連

 1939年9月1日、ヒトラーはポーランド侵略戦争を開始しました。 「8月31日ソ連最高会議が独ソ不可侵条約の批准を決定した翌日の9月1日、それを待っていたかのように、ヒトラーはポーランド侵略戦争を開始しました。 ~中略~これにたいして、イギリスやフランスも~中略~9月3日には、それぞれドイツに対して戦争体制をとることが声明されました。 ついに世界大戦が開始されたのです。 これによって、独ソ条約が平和への貢献であるどころか、ドイツのポーランド侵略に大きく道を開いて第2次世界大戦への引き金になったことが、明らかになりました」(「前衛」12月号212頁)

 「9月17日(同年)、赤軍は国境を越えて、ポーランド東部への侵入を開始しました。 そして、ドイツ軍とソ連軍は、双方の占領地域の境界線をあらかじめ相談しあっていたかのような調子で、なんの摩擦もなく、ポーランドの東西に併存することになりました。 そして、9月28日に、独ソ両国間でポーランド分割の境界線を決めた『独ソ境界ならびに友好条約』なるものが調印され、世界に公表されました。 こうなると、ドイツの対ポーランド戦の開始にあたって、ソ連とドイツとのあいだに、その形式はどうあれ、ポーランド分割の密約があったことは、おおいかくしがたい事実となりなりました」(同誌、222頁)

 「しかも、同じ日に、ドイツ政府とソ連政府は共同宣言を発表して、イギリスとフランスの政府が、『ポーランド国家の崩壊』と独ソ両国によるその分割を既定事実として承認し、これをもってドイツとのあいだの戦争状態を終わらせることをよびかけたのです。 そしてこの呼びかけが受け入れられず、戦争がなを続く場合には、『戦争の継続の責任はイギリス、フランスに属する』という嚇し的な声明までつきつけられていました」(「同誌、同頁)

 不破さんは、「第11章 コミンテルンの迷走」の締めくくりとして、コミンテルンでの戦争規定と各国共産党の方針の問題でスターリンが取った態度について述べています。

 「第1は、スターリンが、ドイツと結んだ東ヨーロッパ再分割の秘密議定書(これこそ独ソの政治同盟の核心をなすものでした)を完全に闇に隠したまま、ソ連のポーランド侵入、ドイツとの国境協定、ソ独両国政府宣言など、事実と行動を先行させる形で、新路線をコミンテルンと各国共産党に押し付け、最後には、ソ連とドイツの政治同盟に足並みをそろえる事実上の親ファシズム路線を、コミンテルンの公認の路線とするところまで、事態をみちびいたことです」(「同誌」230頁)

 日本共産党の第26回党大会決議案第6章は、覇権主義、大国主義の問題を取り上げています。 特に中国の将来展望のなかで、「覇権主義や大国主義が再現される危険もありうるだろう。 そうした大きな誤りを犯すなら、社会主義への道から決定的に踏み外す危険すらあるだろう。 私たちは、”社会主義をめざす国々”が、旧ソ連のような致命的な誤りを絶対に再現させないことを願っている」

 


11月27日(水)のつぶやき

2013年11月28日 | 憲法・人間

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