快風丸

俺の船に乗らないか。

ダークホース

2008-09-10 00:24:48 | Weblog
 宗右衛門町ブルースが好きだ。
僕の社会人生活と大阪生活は同時スタートだった。
学生のころは演歌が嫌いというより、忌んでいた。こんな紋切型があるおかげで、この国の音楽が退化してゆくのだと公言してはばからなかった。

 ある日、気づきました。曲が単純であるからこそ、シンガーの裁量の余地があるのだと。歌うことこそ演歌の本質、こぶしまわしこそが歌なんだと。
 20代前半のころ、カラオケの味を覚えた。ロッカーはバンド以外で歌っちゃだめだと思っていた。場末のスナックで聞いて大好きになったな宗右衛門町ブルースは歌えなかったので、いつもマリー&ファナーズのドラマーに歌ってもらっていた。

 大阪は深夜の天気予報のバックとか、ローカル局は、ちょっと気を抜くと、演歌のビデオクリップを流している。「大阪もの」。
 大阪の演歌ムーブメントはほぼアメリカ南部のブルースの状況に近いと思う。
70年代フォークとクロスオーバーしていたり、民謡、河内音頭、歌謡曲、およそ雑多な音楽要素の全てを取り入れて、洗練を許さない。歌手のファッションたるや、男はチンピラ風、良くてアマチュアゴルファー、女は場末のスナックのホステスか、良くてちょっとおしゃれして阪神百貨店に買い物に来た東大阪の主婦である。

 本日、夜8時ごろ、帰って、いつものようにNHK見ながら着替えてましたら、歌番組に平和勝次とダークホースが出てまして、件の歌を歌ってくれたわけです。
 知りませんでしたけど、詞は平和勝次氏の自作で、そもそも自主制作で500枚だけ作ったのだという。もともと浪曲師で、それだけでは食えないので、流しをやっていた、その店のホステスが客に「きっと来てね」と言うのを繰り返し、見ながら、いつかは有名になって、こういう店でそんな言葉で見送られたいという思いだったそうだ。昭和47年、200万枚の大ヒット。

 インタビューで、平和氏がギタリストを紹介すると、ギタリストがベーシストを紹介した。
「この人は、当時、体調を崩してまして。」
ペーシスト答えて曰く
「そうう、風邪ひいてまして...なんでやねん、ベース弾ひいとったやないかい。」

 あぁカラオケ行きたい。