村田英雄の代表曲に「無法松の一生」という歌がある。
物語の舞台は小倉。
「無法の松」とは富島松五郎のあだ名である。
いわゆる演歌で、九州の場末のスナックならどの店も今でも一日に最低一回は歌われているであろう
と思われる。
なんともいえない日本人の心の奥底に響くリズム、そして物語性が民族の心根をゆさぶるのだろう。
ずいぶん前に、図書館で、村田英雄の浪曲のCDを借りて聞いた。
解説には、原作は松五郎の恋心が小説の中心であり、戦時下の言論統制の一環で、少年との心の
交流に主題が置き換えられているとなっていた。
それはすごくつまらない、面白くないことだと心にひっかかったので、いずれ原作を読んでみようと思った。
忘れていた原作のことを思い出したのは、前回、帰省した折に、小倉の駅西の場末の古い
歓楽街など歩き回って、「小倉生まれで玄海育ち、口も荒いが気も荒い」という歌詞がいまだに
リアリティーをもっているこの街のありように心を動かされたのだと思う。
ネットで調べたら、岩下俊作という作家の「富島松五郎伝」というタイトルで1941年に刊行されて
いるとのこと。
岩下俊作は、直木賞、芥川賞に何度か候補になったが受賞はしていないそうである。
この「富島松五郎伝」、すでに絶版となっており、文庫版をネットオークションで手に入れた。
帰省の新幹線で読み始めた。
おもしろい。
時代の空気とか、荒くれ者が闊歩する小倉の街、無学で喧嘩っ早い人力車夫のしかし純情でまっすぐな
心根とそれを支え、ときに疎んじ、しかしどこか魅かれるているそのまわりの人々。
描かれる恋愛模様は、今どきのメロドラマでもなくあからさまな性描写もなく、抑制的な表現の末に、
深く広い心の存在を示している。
松五郎が祇園祭の太鼓を打つシーンがやはり印象的だ。
「流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち」。
小節は全編を通してリアル。
作家は、小倉出身で、舞台も実際の地名であり、映画公開当時、架空の人物の「富島松五郎」の居住地を
訪ね、「ここが松五郎さんが住んでいたあたりですか?」という観光客も少なからずいたという。
来年は、祭りのころに帰って来よう。