辛い食べ物が好きだというと味のわからないヤツだと決めてかかられることがある。
はっきりしておきたいのは、辛い食べ物が食べたいと思う欲求とおいしいものが食べたい
という欲求は違うものであるということ。
辛いものは、べつにおいしくなくても構わない。おいしいものが辛い方が良いということもない。
まったく異なる価値観に基づく行動であると理解していただきたい。
先日、新しいインドカレー店でカレーを食べた。
ナンのおかわり自由、そして辛さが1~5、選べる。
4にした。
おいしかったが後悔した。
なぜ5にしなかったのかと。
カレーこそ、辛さを追及するべき食べ物だ。
カレーの辛さのステップは、また、大人の階段そのものであった。
幼児のころ、ハウスバーモントカレー甘口でカレーの味を知り、中辛、辛口、そして
ジャワカレー辛口の衝撃の辛さを小学校5年で辛さをやせ我慢して、「おいしい」とうそぶいてみせた
あのときこそ、大人の階段を息を切らせて登り始めた瞬間なのだ。
前置が長くなったが、なんとなく辛いものが食べたくなったのは、4辛のカレーに甘んじた敗北感
と無関係ではない。
小倉駅でお土産に買っためんべい辛口はほんとうに辛い。辛くておいしい。
しかし、それだけでは、インドカレーの雪辱をぬぐうには足りないと思われた。
ウィルキンソンEXTRADRYジンジャーエール。
これもまた辛い。
さあ、勇気を出して、もう一度大人の階段を3段飛ばしで駆け上がるのだ。
めんべい辛口をひとくちかじり、エクストラドライで流し込む。
辛い。
辛い。
また辛い。
深刻な辛さだ。
辛さの余韻は求めたものにたどり着くという幸せの具現化にほかならない。
”おいしい”とは別の方向にある、食べる幸せのお話でした。