自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
僕のお母さん その3
でも風呂に入り、上がってドライヤーをかけていたら日記を書こうと思いました。
そうしたら楽しくなってきました。
日記、ブログ、フェイスブックに母との思い出を書いていこう。
母を思い出すのが供養になるのだと思います。
ホスピスに泊まり込んで3日目の夜。
初めは看護婦さんから経験上もう長くないと思う。でももしかしたら経験上の新記録を更新するかもしれないと言われてその気になりました。
お母さんは一緒に寝ていて呼吸が荒いなと感じました。
でもそんなに危機感を持たずに僕は寝ていてトイレに4時半頃行って戻って来たら看護婦さんが心配そうな顔をして部屋の前にいました。
母の血圧ももう測れないと言われました。
兄に電話して電気も点けて母の看取りが始まりました。
徐々に弱くなる呼吸、表情も弱って来ました。
僕はお母さんに何度も同じことを言いました。
「お母さんは笑ったんだよ。勝ったんだよ。かっこいい。ありがとう」
そうするとお母さんは目でうなずいてくれました。
でも徐々に弱っていく。外の強い雨風が部屋のガラスに打ちつけていました。
でもなぜかその状態が続きそしてお母さんは盛り返して来ました。そして兄が来ました。
僕は助かった。よかったと喜びました。
そしてまた僕はお母さんが目を開けているように思った時に同じことを言いました。
「お母さんは笑ったんだよ。勝ったんだよ。かっこいい。ありがとう」
お母さんは目に涙をためていました。目が赤くなっていました。僕の言葉が通じました。
そうしているうちにまたお母さんの呼吸が弱くなりました。
そして息つぎが間隔が空いて途切れていよいよ最後の一息かと思ったのですが、まだ終わりません。
そうこうしているうちにまた盛り返して来ました。
そうしていると母の教会のお友達が来てくれました。
僕はトイレに行き、スタッフルームの人たちに
「母が盛り返しました。もう最後の一息だと思ったぐらいでしたが」と笑って話して、看護婦さん、先生も笑顔で返してくれました。
僕はホスピスに泊まり込んでほとんど眠れずにふらふらになっているうちに思いました。
これはブルース・スプリングスティーンのライブを観に来ている時と似ているぞ。
ライブが終盤になり、ああ楽しかった、終わってしまうのかと思ったらアンコールがある。
そのアンコールも終わりに近づき、ありがとう楽しかったありがとう、終わりだなと思ったらさらにアンコールがある。
僕はもうふらふらで立っているのもつらい、でも楽しい。ふらふらして僕は笑っている。
僕は母にもう言うことはみんな言いました。でもお母さんはまだ頑張って生きていてくれる。
僕はもう充分母に話せました。でもまだ話せる。「約束の時」のように感じました。
そうこうしているうちにまた母が落ちて来ました。
でもまた盛り返して、そうしていると教会の牧師先生まで来てくれて、よく来てくれましたとお祭り騒ぎのようになりました。
母の看取りライブはアンコールが続き2日目に入りました。
僕は外の空気を吸ってくればいいと言われて外に出てペットボトルのお茶を飲み、戻ってひげもそりました。
そうしているうちに呼ばれて部屋に戻ったらライブが始まっていました。
僕はさらにもう一度、いや二度「お母さんは笑ったのだよ」と言いました。
するとお母さんはうなずきました。二度です。
そうしているうちにふっと顔色が薄くなり弱弱しくなりました。そしてお母さんは自分で目を閉じました。
先生のお祈りがあり、看護婦さんを呼んで、そして先生が来て亡くなったと宣言されました。
外は晴れていて、暑くなる予想だと話が聞こえました。
僕の生涯ずっと覚えている最高のライブでした。
お母さんありがとう。頑張ったよ。勝ったんだよ。かっこいいよ。ありがとう。
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