ここのところショッキングな事が続いて・・ちょっとお疲れのkおばちゃんです。
まず第一に・・・自宅PCの接続環境が非常に悪くなしました。
最近はTVを見なくなったので・・周りのおばさま方の話題についてゆけなくなっています。
未だにワイドショーとかを見続けている人が『まったく○電の役員報酬はなによ!あんなにもらってるのに画上げですって?』という意見を聞くと辟易してきます。
以前のM党のやりかたと同じ。やれ、埋蔵金だ天下りだと騒いでいたわりには、あんだけの税金しか節約できないじゃないですか。
それと同じ。役員報酬云々カンヌンで、大切な事を報道し忘れていませんか??
○電株を大量に所有している企業はどうなるんですか??とかのほうが大問題だと思います。役員報酬は当然そのうち下がります。それは自明理のはず。そんなことで大騒ぎするより、これからの経済の行き先を案じてください。と思わず言ってしまいました。
彼女も『判っちゃいるけど面白くない』といってましたけどね。
○8月6日(土)
気球に乗って空中散歩を楽しんだkおばちゃん。もう時刻は・・夕方になてます。さて・・お次はどうしましょうか。
そうだ、クラクフのもう一つの名所に行って見ましょう。
その名所・・というのはここからもちろんあるいてゆけるところです・・が、足を痛めているkおばちゃん。一日中今日は歩きっぱなしなので結構おつかれでもあります。でも、せっかくここまできたんだからね・
kおばちゃんが向ったのはカジミェシュKazimierzという地区です。14世紀にポーランド王カジミェシュ3世がこの地区をユダヤ人街として制定したとか。
商才にたけたユダヤ人達はこのクラクフの町にもしっかり根付いておりました。
で、このクラクフの町のユダヤ人達は近年ある映画でとても有名になったそうです。その映画は『シンドラーのリストSchindler's List』スティーヴン・スピルバーグ監督の第2次世界大戦時代を描いた映画です。
しかしこのkおばちゃんが足を踏み入れたカジミェシュKazimierz地区は、その時代より更に前にユダヤ人達の集落として発展していったそうです。
時間的に夕方のころです。だからでしょうか?旧市街の賑わいはありません。
あそこに広場のようなものが見えます。行って見ましょう。
ここはPlac Nowyと呼ばれる場所のようです。新しい広場とでも言うことでしょうか。19世紀になってから作られたようです。
戦前はこの広場に生贄の儀式の台があったようですが、現在は市場に利用されたりしているみたいです。
夕方ですけど・・野菜売りの屋台がありました。うーーん。
なんとなく野菜モノだと『朝市』というイメージがあるのですけどね。
広場の周りには、ホテルやカフェ、バー、レストランのような飲食店が軒を連ねていました。
そのおこぼれに預ろうというのでしょうか・・鳥がゴミ箱をつついてます。
飛べない鳥も歩いていました。でも・・この斑の鳥はなんていう種類でしょうかね?
kおばちゃんには、にわとりと、カラスと、鳩の混血のように見えてしまいました。
民族としては連綿と交わることなく存在し続けるユダヤ人と対極の鳥かな・・なんてへんなことを考えたkおばちゃんです。
通りの名前にしてもIzaak。これはよくアイザックと読みますよね。旧約聖書の『創世記』にも登場する
代表的なユダヤ人名ではないでしょうか。
ユダヤのやはり香りのする地区です。
この建物はIzaak Synagogueですって。元々は1600年代にたてらてたもののようですが、ナチスに占領された時代に中味はこわされてしまったようです。
この辺りは建物は野古くから残っているのでしょう。ユダヤの星がプレートについています。
こちらもヘブライ語の表記のある建物。KRAKOW´S GREAT RABBISってなんでしょうね?
ラビ RABBISとはユダヤ教の宗教的指導者であり学者のようなお方。一説には911を予言していたとも言われる方ですね。
中はなかなか重厚な雰囲気が漂っていました。ちょっと入り込むには敷居が高いような気がしたkおばちゃんです。
こちらはKowea Itim le-Tora Synagogue というらしいです。ヘブライ語で立法研究のシナゴークとでもいうのでしょう。
現在はアパートとして使用されているとか。この半円形開閉できる窓が特徴らしいです。
あのつきあたりまで行って見ましょうかね。
左に手に広場に続く脇道というか小道がありました。
あら、地図がかかげてあります
現在地は・・右上部の赤い○の部分ですね。ああ、ここがこの地区の中心的な場所のようです。
Szerokaという場所のようです。そしてここにはSynagoga Stara 旧シナゴークと言われる建物の建っているようです。
まず第一に・・・自宅PCの接続環境が非常に悪くなしました。
最近はTVを見なくなったので・・周りのおばさま方の話題についてゆけなくなっています。
未だにワイドショーとかを見続けている人が『まったく○電の役員報酬はなによ!あんなにもらってるのに画上げですって?』という意見を聞くと辟易してきます。
以前のM党のやりかたと同じ。やれ、埋蔵金だ天下りだと騒いでいたわりには、あんだけの税金しか節約できないじゃないですか。
それと同じ。役員報酬云々カンヌンで、大切な事を報道し忘れていませんか??
○電株を大量に所有している企業はどうなるんですか??とかのほうが大問題だと思います。役員報酬は当然そのうち下がります。それは自明理のはず。そんなことで大騒ぎするより、これからの経済の行き先を案じてください。と思わず言ってしまいました。
彼女も『判っちゃいるけど面白くない』といってましたけどね。
○8月6日(土)
気球に乗って空中散歩を楽しんだkおばちゃん。もう時刻は・・夕方になてます。さて・・お次はどうしましょうか。
そうだ、クラクフのもう一つの名所に行って見ましょう。
その名所・・というのはここからもちろんあるいてゆけるところです・・が、足を痛めているkおばちゃん。一日中今日は歩きっぱなしなので結構おつかれでもあります。でも、せっかくここまできたんだからね・
kおばちゃんが向ったのはカジミェシュKazimierzという地区です。14世紀にポーランド王カジミェシュ3世がこの地区をユダヤ人街として制定したとか。
商才にたけたユダヤ人達はこのクラクフの町にもしっかり根付いておりました。
で、このクラクフの町のユダヤ人達は近年ある映画でとても有名になったそうです。その映画は『シンドラーのリストSchindler's List』スティーヴン・スピルバーグ監督の第2次世界大戦時代を描いた映画です。
しかしこのkおばちゃんが足を踏み入れたカジミェシュKazimierz地区は、その時代より更に前にユダヤ人達の集落として発展していったそうです。
時間的に夕方のころです。だからでしょうか?旧市街の賑わいはありません。
あそこに広場のようなものが見えます。行って見ましょう。
ここはPlac Nowyと呼ばれる場所のようです。新しい広場とでも言うことでしょうか。19世紀になってから作られたようです。
戦前はこの広場に生贄の儀式の台があったようですが、現在は市場に利用されたりしているみたいです。
夕方ですけど・・野菜売りの屋台がありました。うーーん。
なんとなく野菜モノだと『朝市』というイメージがあるのですけどね。
広場の周りには、ホテルやカフェ、バー、レストランのような飲食店が軒を連ねていました。
そのおこぼれに預ろうというのでしょうか・・鳥がゴミ箱をつついてます。
飛べない鳥も歩いていました。でも・・この斑の鳥はなんていう種類でしょうかね?
kおばちゃんには、にわとりと、カラスと、鳩の混血のように見えてしまいました。
民族としては連綿と交わることなく存在し続けるユダヤ人と対極の鳥かな・・なんてへんなことを考えたkおばちゃんです。
通りの名前にしてもIzaak。これはよくアイザックと読みますよね。旧約聖書の『創世記』にも登場する
代表的なユダヤ人名ではないでしょうか。
ユダヤのやはり香りのする地区です。
この建物はIzaak Synagogueですって。元々は1600年代にたてらてたもののようですが、ナチスに占領された時代に中味はこわされてしまったようです。
この辺りは建物は野古くから残っているのでしょう。ユダヤの星がプレートについています。
こちらもヘブライ語の表記のある建物。KRAKOW´S GREAT RABBISってなんでしょうね?
ラビ RABBISとはユダヤ教の宗教的指導者であり学者のようなお方。一説には911を予言していたとも言われる方ですね。
中はなかなか重厚な雰囲気が漂っていました。ちょっと入り込むには敷居が高いような気がしたkおばちゃんです。
こちらはKowea Itim le-Tora Synagogue というらしいです。ヘブライ語で立法研究のシナゴークとでもいうのでしょう。
現在はアパートとして使用されているとか。この半円形開閉できる窓が特徴らしいです。
あのつきあたりまで行って見ましょうかね。
左に手に広場に続く脇道というか小道がありました。
あら、地図がかかげてあります
現在地は・・右上部の赤い○の部分ですね。ああ、ここがこの地区の中心的な場所のようです。
Szerokaという場所のようです。そしてここにはSynagoga Stara 旧シナゴークと言われる建物の建っているようです。