今日もバタバタと一日。いやになってします。
明日が一つの山場なので・・なんとかなりますように。
ここのところ殆ど買い物に行っていないのでなんなのですが、消費税増税で本体価格の標示がされるようになったのは良いんですが、ちょっと文字が大きく無いですか?税込価格より。
なんだか騙されているような気になっているkおばちゃん
だってね、消費者としては自分のお財布から幾ら出ていくかが問題であって・・本体価格が知りたい訳じゃ無いですからね。
販売側の『値上げじゃありません。税金分だけ叩くなりした・』って言い訳しか聞こえて粉息が致します。
○10月8日(火)
聖母マリアと聖ニコラスの昇天教会Kościół pw Wniebowzięcia NMP i św Mikołajaをぐるりだけ眺めておしまいにしてしまったkおばちゃん。ボレスワヴィエツBolesławiecの町をまだうろつきます。
そういえば、この教会の裏にあったこの建物、とっても興味をひきました。
いえ、何が・・と言われるとこまるのですが、この窓の形です。旧東独やチェコでもみかけたのですが・・この窓の形が気になります。
なんだか人の瞼の下にある瞳みたいじゃありませんか?三つ目のお家といったところかしらね。
いつもこのタイプの家を見るたびに思います。
暗くならないうちにもう少し徘徊しないとね。
再びここへ戻ってきました。さてどういしょうか・・
ふと、矢印看板の右側に立っている標示が気になりました。
ちょいと読みにくいかな。通りの名前の下にしろ地の看板がアリ、名称がかいてあります。
『 Muzeum Ceramiki陶器博物館』ですって。
そう、このボレスワヴィエツの町は陶器で有名なんですよね。
こんな看板もあり、期待がふくらいみます。
ところがです・・あら、 Muzeum Ceramiki陶器博物館は工事中。
全面工事中と行ったところでしょうか・
入り口の脇にこんなものが置いてあるので、まあ、場所は町がいなさそうですが・・残念でした。
しかたがない・・・そういえば、こんな地図があったから・・この町をぐるりと囲んでいた・・であろう城壁の一部かこの近くあるようです。
そこへいってみようかしらね。
この左側の石の壁が・・昔の城壁ですね。
お城を守る・・というよりは町を守る壁のようです。
ボレスワヴィエツはの市民は1241年のモンゴルによるポーランドの侵攻のレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąに参加したそうです。
そのときから町の城壁は形を取り始めた、1251には完成したようです。その後、1316年には敵対的侵入から町民を守るようにするために、より良い、新たな壁が街を構築したそうです。モンゴル帝国軍の東欧侵攻ですね。
こんな堅牢な城壁をつくっても・・結果的にモンゴル軍は勝ってしまったのですよね。
ちなみに、このレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąはドイツ語では「ワールシュタットの戦いSchlacht bei Wahlstatt」と呼ばれることもあるそうで、この Wahlstattは死体の山を意味する言葉だとか・・
それほど残忍で悲惨な戦いだったのでしょうね。
モンゴル軍の脅威から町を守る為につくられた城壁、今は平和な風景の中に溶け込んでます。
こんな感じでね。
現在も利用されているところもすごいですけどね。
さて、フォード君の待っているところの直ぐ側まで出てきてしまいました。
この向い側に人の出入のけっこうある建物があったので入って見ましが・・ショッピングセンターでした。
Galerii Bolesławiec City Centerです。
こちらでおトイレをお借りして・・フォード君のところに戻りましょうかね。
明日が一つの山場なので・・なんとかなりますように。
ここのところ殆ど買い物に行っていないのでなんなのですが、消費税増税で本体価格の標示がされるようになったのは良いんですが、ちょっと文字が大きく無いですか?税込価格より。
なんだか騙されているような気になっているkおばちゃん
だってね、消費者としては自分のお財布から幾ら出ていくかが問題であって・・本体価格が知りたい訳じゃ無いですからね。
販売側の『値上げじゃありません。税金分だけ叩くなりした・』って言い訳しか聞こえて粉息が致します。
○10月8日(火)
聖母マリアと聖ニコラスの昇天教会Kościół pw Wniebowzięcia NMP i św Mikołajaをぐるりだけ眺めておしまいにしてしまったkおばちゃん。ボレスワヴィエツBolesławiecの町をまだうろつきます。
そういえば、この教会の裏にあったこの建物、とっても興味をひきました。
いえ、何が・・と言われるとこまるのですが、この窓の形です。旧東独やチェコでもみかけたのですが・・この窓の形が気になります。
なんだか人の瞼の下にある瞳みたいじゃありませんか?三つ目のお家といったところかしらね。
いつもこのタイプの家を見るたびに思います。
暗くならないうちにもう少し徘徊しないとね。
再びここへ戻ってきました。さてどういしょうか・・
ふと、矢印看板の右側に立っている標示が気になりました。
ちょいと読みにくいかな。通りの名前の下にしろ地の看板がアリ、名称がかいてあります。
『 Muzeum Ceramiki陶器博物館』ですって。
そう、このボレスワヴィエツの町は陶器で有名なんですよね。
こんな看板もあり、期待がふくらいみます。
ところがです・・あら、 Muzeum Ceramiki陶器博物館は工事中。
全面工事中と行ったところでしょうか・
入り口の脇にこんなものが置いてあるので、まあ、場所は町がいなさそうですが・・残念でした。
しかたがない・・・そういえば、こんな地図があったから・・この町をぐるりと囲んでいた・・であろう城壁の一部かこの近くあるようです。
そこへいってみようかしらね。
この左側の石の壁が・・昔の城壁ですね。
お城を守る・・というよりは町を守る壁のようです。
ボレスワヴィエツはの市民は1241年のモンゴルによるポーランドの侵攻のレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąに参加したそうです。
そのときから町の城壁は形を取り始めた、1251には完成したようです。その後、1316年には敵対的侵入から町民を守るようにするために、より良い、新たな壁が街を構築したそうです。モンゴル帝国軍の東欧侵攻ですね。
こんな堅牢な城壁をつくっても・・結果的にモンゴル軍は勝ってしまったのですよね。
ちなみに、このレグニツァの戦いBitwa pod Legnicąはドイツ語では「ワールシュタットの戦いSchlacht bei Wahlstatt」と呼ばれることもあるそうで、この Wahlstattは死体の山を意味する言葉だとか・・
それほど残忍で悲惨な戦いだったのでしょうね。
モンゴル軍の脅威から町を守る為につくられた城壁、今は平和な風景の中に溶け込んでます。
こんな感じでね。
現在も利用されているところもすごいですけどね。
さて、フォード君の待っているところの直ぐ側まで出てきてしまいました。
この向い側に人の出入のけっこうある建物があったので入って見ましが・・ショッピングセンターでした。
Galerii Bolesławiec City Centerです。
こちらでおトイレをお借りして・・フォード君のところに戻りましょうかね。