今日はお天気が良い・・が寒い。
昨日、ついに花粉症の薬(抗アレルギー薬)を飲んでしまった。去年のだけどね。
だから、今の所は大丈夫なんだけど・・花粉が確かに多くなっているような気がする。
いやだなあ~
○1月3日(木)
この『岩山』の入場料を払った所で、『地図』をくれたのだが、それにそって観光する事にしたkおばちゃん。
このお猿さんの群れ・・の先にあるのは・・眺めの良い場所と、『洞窟』とある。
へーー洞窟があるのか・・とそちらに進む事にする。
洞窟入り口脇の駐車スペースは満杯!お巡りさんの誘導に従って、その奥の方の道に・・ああ、kおばちゃんの嫌いな縦列駐車!!しかも皆向きが反対・・ということはこの奥に方向転換できるスペースがあるのね・・と付き辺りで転換して・・一番止め安い(人気のない)入り口から遠い場所にイビザ君を駐車しました。
入り口の窓口で『入場料は幾ら?』と聞いたkおばちゃんに『入り口でもらった領収書をみせろ・・』といわれ、お財布からとりだすと・・そうあのとき三種類もらったんです・・そのうちの一枚にポンとスタンプをおしてお終い。入場料混みということね・・と理解しました。
ポントおされたのはこれ
ここは、セント・マイケルの洞窟St.Michael's Caveというようです。
入り口を入ると・・下に下るような構造になっていて・・
こんな感じで天井からは鍾乳石が垂れている。
この洞窟の存在はローマ時代から知られていたようだが・・昔は地底深くでアフリカ大陸と繋がっている・・なんて考えられていたみだいだ。
見学できる洞窟そのものはそんなに大きくないと思うが、深さは深い所でである250ft (62.5m)あるとか。だからそんな地底トンネルのような物語がうまれたのかもね。
ちなみにこのセント・マイケルの名まえは、イタリアにある同様の洞窟からとってきたらしいけど、セント・マイケルつまり大天使ミカエルは冒険の神様だとか。だからぴったりなのかもね。
洞窟内部には大きな空間があって、その半分くらいのところには
『座席』がしつらえられていた。
その座席からこんな景色がみえる。
冒頭の画像も同じ。ここは第2次大戦の時は『病院』として機能させるはずだったらしいが、現在はコンサート、バレエ、戯曲の上演のほか美人コンテストのようなイベントにも使われてるらしい。
さくっと見学したつもり・・のkおばちゃん。
出口のところにこんなプレートがかかっていたのが気になった。
大きくして見ると こんな感じ。
どうも、そのないようによると1865年9月21日から1870年の7月25日まで、このジブラルタルの総督であった、サー・リチャードSir Richaerd Airey K.C.Bの許可によってこの洞窟は正式に探索されたらしい。
186年代といえば・・モーツアルトの活躍したころね・・なんて思ったkおばちゃんです。
見学を終わって外に出たら・・出口のところにあるおみやげ物やさんはもう店じまい・・あ、そういえばこの洞窟内部撮影禁止だったかも・・今サラ遅いか・・
5時は過ぎてるけどまだ明るいので
も少し見物をしよう考えたkおばちゃんです。
お天気は・・だいじょうぶかな?
昨日、ついに花粉症の薬(抗アレルギー薬)を飲んでしまった。去年のだけどね。
だから、今の所は大丈夫なんだけど・・花粉が確かに多くなっているような気がする。
いやだなあ~
○1月3日(木)
この『岩山』の入場料を払った所で、『地図』をくれたのだが、それにそって観光する事にしたkおばちゃん。
このお猿さんの群れ・・の先にあるのは・・眺めの良い場所と、『洞窟』とある。
へーー洞窟があるのか・・とそちらに進む事にする。
洞窟入り口脇の駐車スペースは満杯!お巡りさんの誘導に従って、その奥の方の道に・・ああ、kおばちゃんの嫌いな縦列駐車!!しかも皆向きが反対・・ということはこの奥に方向転換できるスペースがあるのね・・と付き辺りで転換して・・一番止め安い(人気のない)入り口から遠い場所にイビザ君を駐車しました。
入り口の窓口で『入場料は幾ら?』と聞いたkおばちゃんに『入り口でもらった領収書をみせろ・・』といわれ、お財布からとりだすと・・そうあのとき三種類もらったんです・・そのうちの一枚にポンとスタンプをおしてお終い。入場料混みということね・・と理解しました。
ポントおされたのはこれ
ここは、セント・マイケルの洞窟St.Michael's Caveというようです。
入り口を入ると・・下に下るような構造になっていて・・
こんな感じで天井からは鍾乳石が垂れている。
この洞窟の存在はローマ時代から知られていたようだが・・昔は地底深くでアフリカ大陸と繋がっている・・なんて考えられていたみだいだ。
見学できる洞窟そのものはそんなに大きくないと思うが、深さは深い所でである250ft (62.5m)あるとか。だからそんな地底トンネルのような物語がうまれたのかもね。
ちなみにこのセント・マイケルの名まえは、イタリアにある同様の洞窟からとってきたらしいけど、セント・マイケルつまり大天使ミカエルは冒険の神様だとか。だからぴったりなのかもね。
洞窟内部には大きな空間があって、その半分くらいのところには
『座席』がしつらえられていた。
その座席からこんな景色がみえる。
冒頭の画像も同じ。ここは第2次大戦の時は『病院』として機能させるはずだったらしいが、現在はコンサート、バレエ、戯曲の上演のほか美人コンテストのようなイベントにも使われてるらしい。
さくっと見学したつもり・・のkおばちゃん。
出口のところにこんなプレートがかかっていたのが気になった。
大きくして見ると こんな感じ。
どうも、そのないようによると1865年9月21日から1870年の7月25日まで、このジブラルタルの総督であった、サー・リチャードSir Richaerd Airey K.C.Bの許可によってこの洞窟は正式に探索されたらしい。
186年代といえば・・モーツアルトの活躍したころね・・なんて思ったkおばちゃんです。
見学を終わって外に出たら・・出口のところにあるおみやげ物やさんはもう店じまい・・あ、そういえばこの洞窟内部撮影禁止だったかも・・今サラ遅いか・・
5時は過ぎてるけどまだ明るいので
も少し見物をしよう考えたkおばちゃんです。
お天気は・・だいじょうぶかな?
地底でアフリカと繋がってるんじゃないかと考えると楽しいですよね。
明るいし、でもここはちょっぴり期待よりも小さかったです。