落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

大相撲名古屋場所13日目

2006年07月21日 | 日常・身辺
 豊真将(突き落とし)玉春日
 豊真将念願の勝ち越し、好調玉春日自己タイの10勝越えを明日以降に延ばし、3敗。

 栃乃花(押し出し)安美錦
 途中安美錦の右足が土俵を割っていたがそのまま続行し、栃乃花が押し出し勝ち越し。
 物言いがついたが、判定箇所の説明だけで結果は変わらない珍しいケース。

 玉乃島(押し倒し)把瑠都
 把瑠都に今日も注目していたが、両手付きの後引いてしまった。好調玉乃島は大歓迎のかたちで把瑠都を押し倒した。
 玉乃島平幕で2敗を守り、朝青龍の優勝は持ち越し。

 稀勢の里(引き落し)垣添
 9日目から5連勝、勝ち越しまであと1勝。

 黒海(引き落とし)琴光喜
 久しぶりに見たような黒海の突き押しに琴光喜は翻弄される。地味だけれども黒海は9勝もあげたのだ。

 白鵬(寄り切り)千代大海
 もう一敗も出来ない白鵬の集中力はすごい。2敗を堅持。
 勝った後、息を細く出しながら整える。胸元は大海の突きで紅潮。

 雅山(叩き込み)栃東
 露鵬(上手投げ)琴欧州
 栃東、琴欧州共に膝の故障では無理、消化試合のようだが致し方ない。

 朝青龍(寄り切り)魁皇
 朝青龍は魁皇得意の右上手にはさせずスピードで圧勝。魁皇の表情(もう俺は限界かな)というふうに見えたが、残り2日で2桁あげるかどうか。

A級戦犯合祀に不快感のメモ

2006年07月21日 | 政治・外交
 昭和史を読んでみると、当時の勢いのあった軍事政権に対し昭和天皇が言いたいことも言えない状況が出てくる。側近に対して批判的な意見を述べておられるシーンも多くあるので「靖国のA級戦犯合祀に不快感」というメモが出てきても不思議ではない。
 
昭和天皇、靖国のA級戦犯合祀に不快感 (07/20 12:18)産経新聞
富田元宮内庁長官が残した手帳。昭和天皇の靖国神社のA級戦犯合祀についての発言が書き残されていた=20日午前、東京・大手町
≪元宮内庁長官、発言メモ書き残す≫
 昭和天皇が昭和63年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示す発言をされていたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)が書き残したメモがあることが関係者の話で20日、分かった。昭和天皇は昭和54年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝されていない。
 関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは63年4月28日付。昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。
 「松岡」「白取」はA級戦犯としてまつられている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。
 またメモには「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。
 「松平」は最後の宮内大臣の松平慶民氏(故人)、その「子」は長男でA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司(同)とみられる。


 先日訪中した自民党古賀議員や民主党小沢代表が声高に靖国神社のA級戦犯分祀を唱え、自民党山崎派(山崎拓会長)が靖国神社とは別の国立戦没者追悼・平和祈念施設の新設などを求める政策提言を発表したりしている。
 次期総裁選も控えているこの時期にこのようなメモが発表されるとやはり胡散臭さを感じる。
 産経新聞の主張では以下のように論説していた。

【主張】富田長官メモ 首相参拝は影響されない 2006/07/21 産経
 昭和天皇がいわゆる“A級戦犯”の松岡洋右元外相らが靖国神社に合祀(ごうし)されたことに不快感を示したとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモが見つかった。昭和天皇の思いが記された貴重な記録だ。
 昭和天皇が松岡元外相を評価していなかったことは、文芸春秋発行の『昭和天皇独白録』にも記されている。富田氏のメモは、それを改めて裏付ける資料だ。メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。
 靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。
 政界の一部で、9月の自民党総裁選に向け、A級戦犯を分祀(ぶんし)しようという動きがあるが、富田氏のメモはその分祀論の根拠にはなり得ない。
 天皇の靖国参拝は、昭和50年11月を最後に途絶えている。その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。
 富田氏のメモは後者の説を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。
 昭和28年8月の国会で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で採択された。これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。
 戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき「昭和殉難者」として同神社に合祀された。この事実は重い。
 小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい。


一方、媚中派議員や中共の画策に惑わされることなく毅然とした議員も多くいることは心強い。

自民有志、国立追悼施設に反対表明 (07/20 18:27)産経
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝を支持する自民党議員でつくる「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手議員の会」(会長・今津寛衆院議員)は20日、靖国神社とは別の新たな国立追悼施設建設に反対する見解を取りまとめた。21日に安倍晋三官房長官に申し入れる。
 見解は「国内的にも対外的にも、国立追悼施設建設の意義を見いだすことは困難」と強調。9月の党総裁選に関し「他国の介入、干渉を招いてはならず、この時期に追悼施設を声高に論じるべきではない」と指摘した。今津氏は会合で「靖国問題は総裁選の争点の1つであり、これだけが大きく取り上げられることは不本意だ。総裁選とは別に粛々と議論されるべきだ」と述べた。