北朝鮮のミサイル乱射に対する安保理決議で日本外交を高く評価している記事が目立つ。
桜井よし子氏のブログを見ると、以前のテポドンミサイルの対応との比較を書いておられ、今回の対応を評価している。
2006年07月27日「 外交の勝利は堂々たる主張から 」より一部分
平成18(2006)年7月29日[土] 産経
【正論】大阪大学大学院教授 坂元一哉 「国際社会動かす決意示した日本外交 中韓の対北柔軟論にも変化促す」より一部分
日本は「普通の国」になりつつある。次期総裁、内閣も是非これを踏襲してもらいたいもの。
桜井よし子氏のブログを見ると、以前のテポドンミサイルの対応との比較を書いておられ、今回の対応を評価している。
2006年07月27日「 外交の勝利は堂々たる主張から 」より一部分
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日中の空中戦が続くなか、日本の外務省が揺れた。12日の中露両国による非難決議案提示以来、外務省の一部で「落とし所」を探る動きが始まったと報じられた。従来の日本外交なら、このあたりから流れは変わり、中国への卑屈ともいえる妥協が成立していったはずだ。
しかし、麻生太郎外相は、中露の非難決議案受け入れに傾こうとする外務官僚を、「あんたらはけんかの仕方を知らない」と叱責したという(7月17日付産経新聞)。議長声明から非難決議に中露が譲歩したのは日本の「突っ張り」があったからであり、日本が日本の主張を展開することではじめて道は開けていくとして、官僚たちの“落とし所”説を蹴ったという。安倍官房長官も、日本も中国案にのった方がよいと説得する北岡伸一国連次席大使に「不快感を示し」、そのような取り組みを否定した旨報じられた。
小泉首相も「最後まで突っ張れ」と述べ、強い姿勢を崩さなかった。政治家が官僚群の用意する妥協案にのらず、自ら外交を主導した結果、国連での中国有利の状況が反転したのは明白だ。こうして流れを再逆転させようと主張する日本に、米国も手を貸した。
イラク、イラン問題に手をとられ、東アジアでの新たな問題は極力回避したいとして、中国案に傾きかけたかに見えた米国に、北朝鮮に断固たる意思を示したいとする日本との協調路線を歩ませたのは、まさに、政治家たちが今回の国連外交を官僚に任せず、自ら主導した結果である。
日本が進むべき道とは
この状況を98年と較べると、絵に描いたように対照的だ。人間が違えば事情は全く違ってくることを痛感せざるを得ない。98年、北朝鮮が発射したテポドンが日本列島をとびこえて三陸沖に着弾した。日本の上空を他国のミサイルが切り裂いて飛んだのは大きな衝撃であり、脅威だった。にもかかわらず、当時の日本は非難することも出来ず、何の力もない報道向け声明を出したのみだ。
ときの首相は小渕恵三氏、官房長官は野中広務氏、外相は高村正彦氏、外務省アジア局長は阿南惟茂氏、中国大使は福田康夫氏と幼なじみである谷野作太郎氏だった。野中氏以下、阿南、谷野氏ら見事に親中国派が揃っていたのだ。これでは小渕首相が何を考えようとも、中国にも北朝鮮にも厳しい政策を打ち出せるはずがない。政策はまさに人間が変われば確実に変わるのだ。
平成18(2006)年7月29日[土] 産経
【正論】大阪大学大学院教授 坂元一哉 「国際社会動かす決意示した日本外交 中韓の対北柔軟論にも変化促す」より一部分
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≪安保理決議は明白な勝利≫
妥協の結果は日本にとって悪いものではなかった。国連憲章第7章の表現が削られているので、制裁に法的な強制力がないといわれる。だが、安保理が中国も含めて全会一致で採択した決議である。「政治的な」強制力はある。何より、最初は議長声明でお茶を濁そうとしていた中国が、北朝鮮非難と制裁の文言が含まれる決議案に賛成した事実は大きい。それは中国が「甘い」柔軟論から「厳しい」柔軟論に転換するきっかけになるかもしれない。
さらに本紙(7月17日付)で岡崎久彦氏が指摘したように、決議が北朝鮮への制裁を主導する日米に「お墨付き」を与えた意義も大きい。
この安保理決議は日本外交の明白な勝利である。だがそれは長い外交戦における一つの勝利に過ぎない。事態が今後どう展開するか誰にも分からないし、楽観はまったく許されない。国家の生存にかかわることでもあり、ときには天に祈りたい気持ちにもなる。だがそれはやるべきことをやった後のことだろう。
この危機に日本は、国際社会を自ら動かしていく決意を示し、行動し続けるべきである。「天は自ら助くる者を助く」という明治の気概がいま再び求められている。(さかもと かずや)
日本は「普通の国」になりつつある。次期総裁、内閣も是非これを踏襲してもらいたいもの。