落葉松亭日記

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靖国参拝礼賛ニュース

2006年08月16日 | 政治・外交
 ジャーナリスト宮崎正弘氏のメルマガより

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成18年(2006年)8月16日(水曜日) 通巻第1538号

 靖国参拝に25万8000人、媚中派の阻止陰謀と情報操作は見事に粉砕された
 北京の日本大使館前の抗議僅か30人、ソウルはプロを動員しても3000人

 人人人。参拝の列がぎっしりと境内を埋め尽くし、拝殿までに四十分から、五十分はかかる。
 サイレント・マジョリティが行動に出た。参拝者は25万8000人と史上最高記録を更新した。


 考えてみれば、日本の世論操作に「靖国」をカードにしようとしたのは、最初は北京であり、便乗してソウル、台北は国内の親日派に配慮して、曖昧な態度だった。
 日本国内の工作員も同調し、世論形成を反対論へ引っ張ろうと躍起だった。読売新聞が転んだ。

 北京政府は七つの親中派団体幹部を日本からよびつけ、日本国内での反対論を盛り上げさせようと「命令」した。
 ところが、まるでご用聞きの土下座をよほどの恥辱と感じたのか、日中友好屋さえ、帰国後に恥ずかしくて北京の代弁ができなかった。代表格の橋本龍太郎が急逝したとき、中国の新聞が「剣道宰相」と持ち上げた。
 日本IBM本社は、連日のように抗議の列ができた。
 買弁の先頭にたって加藤紘一は、実家が放火された。

 「靖国」を争点として福田某は総裁選に打って出ようと、つぎにアメリカの世論工作に赴くが、斡旋の中心にいたハワード・ベーカー(レーガン政権後期の首席補佐官、その後日本大使)など過去の人だった。ホワイトハウスは「靖国は日本の国内問題」とした。
 民主党は選挙対策で靖国参拝への懐疑を語り、じつは国民の失笑を買った。

 日本の政治家に傲慢にほえて「ゲンメイ」する唐家旋も李肇星も、なぜああいう風に反日態度を示そうと虚勢をはるときに、顔がゆがむのか。
 醜悪な風貌で反日を語る様は、焦燥の表現であり、得点をうしなったリアリティを表徴し、ますます反日外交が追いつめられている実態を物語るようである。

 土壇場で日本国民の「国民感情」を知った中国は、「次期政権に期待する」と逃げの姿勢に入った。
 媚中派の某新聞は、それなら「この奥の手はどうだ」と“富田メモ”を発表したが、まさに逆効果に終わった。改竄の疑惑さえ囁かれた。

 かくて終戦記念日。
 靖国神社へ参拝した国民は25万8000人(靖国神社調べ。産経、8月16日朝刊)。
 抗議にあらわれた中国人は30人(北京の大使館前、日経8月15日夕刊四版)
 便乗して反日活動家がソウルでは3000人(ヘラルドトリビューン、8月16日一面カラー写真)
 この圧倒的な数字の落差が物語るのは、いったい何であるのか?

 産経、朝日、日経、読売などの報道姿勢を以下のように比較している

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成18年(2006年)8月17日(木曜日)通巻第1539号(8月16日発行)

靖国参拝を自虐的に論評した全国紙の比較研究
爽やかな産経、負け惜しみの朝日と日経、すり替えに躍起の読売

 << 日経は負け惜しみ一色 >>
 靖国参拝に財界人の多数の意見だと取り繕って、巧妙な反対世論を展開してきた日本経済新聞は、悔し涙の敗北感からか、紙面は「負け惜しみ」一色。
 16日付け社説は「独りよがり」が首相の参拝であり、「どうだ、中国の言いなりにならないぞ」と大見得を切る政治ショー」とばっさり。最後に「靖国問題が障害となって日中、日韓の首脳対話が途切れているのは異常である」と結論している。
 (首脳会談を回避しているのはどちらに責任があるのか、誰が考えてもわかることではないのか)

 同日付け日経は一面にも論説主幹の岡部直明が「首相の靖国参拝には思慮深さが欠けている」。
つまり「東アジア共同体構想を掲げながら、なぜ靖国参拝であえて中国、韓国を怒らせるのか」と批判しながら、「未来向く戦略を」などと空疎な遠吠え。
 アジア外交を再構築するためには「ポスト靖国のアジア包括戦略を打ち出す段階である」などと意味不明の負け惜しみを述べている。
 (小泉参拝は、北京主導の怪しげな東アジア共同体を同時に粉砕した効果をあげたばかりか、軍事大国が日本ではなく北京であるという実態を鮮やかに訴える効果があったのに)

 同紙のコラム「春秋」には丸山真男という正真正銘の馬鹿を引用し、たこつぼ社会を戦後日本の特色としたカリスマ的政治学者などと賞賛している。日経は「日中友好屋」だった新井明社長時代から中国路線を重視してきたため、いつのまにか、左翼政治主義の陥穽に陥っているのに、その自己矛盾に気が付いていないようである。
 最近の日経社員の志気弛緩、株スキャンダル。日経こそ、再構築の要あり。

 << 自己矛盾に気が付かない読売 >>

 同日付けの読売の紙面作りは、「次期政権」にはやくも圧力をかけることで自己撞着の論理破綻をつくろうことに躍起、という印象を受ける。

 一面には一種の敗北感からか、大きな靖国報道はなく、片隅に「政府、極秘に世論調査」をしていたが、どう繰り返しても過半の国民が小泉首相を支持していたと淡々とつたえ、さらにコラム「編集手帳」では日中双方の船酔いぶりを比喩している。
 こういう一節が読売にある。
 「その国の首相が自国の領土内に外国政府の意向で立ち入りを禁じられた場所がある」が、そのことをもし、日本が是認すれば、「国家というものの背景は岸壁に激突して砕ける」のである、と部分的には正論。
しかし小泉参拝を批判したかと思えば、「対日外交を靖国一色に塗り込めた中韓両国の過ち」と北京とソウルもやんわりと批判している。
(この辺は二枚舌の中曽根路線を踏襲しているのかな)

 ところが読売は二面以降、じつに3,4,6,7、9,13面と八ページを費やして靖国記事を配置、基底にあるのは「次期政権」への圧力を巧妙にくわえて、やっぱり北京の代理論調なのである。
 とくに読売社説は「こころの問題だけではすまない」と徹底的に小泉参拝を非難しつつ、「国立追悼施設の建立、あるいは千鳥が淵戦没者募苑の拡充など、国としての新たな戦没者追悼の方法」を考えようなどと欺瞞の論理を展開している。
 (靖国神社以外の追悼施設など、中国の対日工作への敗北宣言に等しいのに)


 << 朝日は安倍次期政権のアキレス腱を狙い撃ち >>

 朝日新聞はいまさら指摘する必要もなく、北京放送の買弁派だから、要するに朝日新聞を精密に読めば読むほどに次の北京が打ちだしてくる手段がすけて見える。
 朝日には、自らが北京外交に示唆を与えているのだという潜在的な傲慢さも行間にあらわれており、なにしろほぼ全面が靖国問題の大特集という異常な紙面つくりでのぞんだ。
一面トップは「ポスト小泉安倍氏」にとって「外交改善、歴史観語る責任」があるなどとしている上、加藤紘一実家放火事件も一面で大きく扱っている。
 趣旨はこうだ。
 安倍氏は「(小泉)首相がA級戦犯を戦争犯罪人と断じるのに対し」、異なる立場をとるのは微妙ではないか、と言ってみれば安倍のアキレス腱を正確についている。
(日本にA級戦犯は存在せず、国会決議は「昭和殉難者」と全会一致で決めており、いままた「A級戦犯」などという占領軍の洗脳用語を濫用するのは、国会決議違反なのである。ところが、それを棚に上げて、安倍にA級戦犯史観をみとめよと北京の替わりに強要するのだ)

 さらに社説だけでは物足りないのか、朝日は論説主幹の若宮啓文が「追悼の在り方、吟味の時」などという不思議な論説を掲げ、そのなかで小泉外交はやけくそ気味、「退陣をひかえて華々しく散ろう」という特攻隊精神を感じた、などと素っ頓狂なことを言う。
(小泉首相はA級戦犯を犯罪者と認識していて、その歴史認識は日本の漫画世代と同じか、それ以下の度し難いほどだが)


<< 爽やかな産経、安倍氏に苦情も >>

 産経は「六年越し、国益守る」とサッパリ。
 靖国への言いがかりは政治工作におけるカードに過ぎず、事態を意図的にこじらせるのは、北京が半永久的に日本人のヤマト精神を凍結させ、冷蔵庫の中にでも閉じこめておくという孫子の末裔らしい戦略から発したものだ。
 『産経抄』で産経新聞は長谷川三千子論文を援用し、「他国が自国の好戦的な戦没者慰霊施設のことは棚に上げて、日本の靖国神社にケチをつけることは、『別の手段をもってする戦争』の一つなのだ」と本質をずばり抉っている。

 また産経は朝日や読売、日経などの媚中派とは異なって、安倍氏が靖国参拝をしなかった苦悩、「歯切れ悪く」「総裁選、争点化回避狙う」と基底によこたわって本質を衝いている。
 参拝を避けた安倍は選挙が終わるまでの戦術行使、そのあとは参拝を強行すればいいのである。が、その決断をもてるか?
 (保守陣営の中には安倍政権への期待が大きいが、はやくもその期待は裏切られており、くわえてカリスマ性に乏しい安倍氏の優柔不断ぶりが露呈、率直に言って安倍氏への過度の期待は禁物ではないのか)

 ―― というわけで、久しぶりに各紙を特急で比較検討してみた。
 精神衛生にわるい朝日新聞なんて本当に久しぶりに読みましたね。毎日? 朝日の亜流でしょうから、比較検討の対象とはならざりし。

 昨日夕方NHKニュースでは、中共、韓国の参拝批難ニュースを力(?)を入れて報道していた様に思う。
 朝のNHKニュースでは「靖国神社へ参拝した国民は25万8000人」という報道はなかった。
 国民皆様の視聴取料でなりたつというNHK、なんだかおかしくはないか。