由来 (WikiPedia)
「北方領土の日」をいつにするかについては、ソ連が択捉島への進駐を開始した8月28日などいくつかの候補があったが、最終的に、1855年(安政元年)に日本とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まった。
「北方領土の日」をいつにするかについては、ソ連が択捉島への進駐を開始した8月28日などいくつかの候補があったが、最終的に、1855年(安政元年)に日本とロシア(当時は帝政ロシア)との間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた2月7日に決まった。
菅直人首相は7日の北方領土返還要求全国大会で「大統領の国後島訪問は許し難い暴挙だ。元島民が元気なうちに問題を解決したいと改めて決意した」と述べたが、シナの尖閣侵犯と露メドベージェフの国後島訪問と連動して日本の主権が侵害された。この外交敗北について謝罪も反省もなかったらしい。
モスクワの日本大使館は、事前に把握しておらず、大使はロシア語も出来なかったとのことだ。
外務省のHPを見ても、これまでの歴史、交渉経緯について日本語で表示されているが、相手国や世界に向けての言語のページはない。アピールする気はあるのだろうか。
参考
■首相、北方領土で大風呂敷 外交敗北の元凶は鳩山前首相 2011.2.7 19:21
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110207/plc11020719230013-n1.htm
■北大名誉教授・木村汎 四島返還は普遍的価値に根差す 2011.2.7 02:56
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110207/erp11020702580000-n1.htm