落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

靖国参拝礼賛ニュース

2006年08月16日 | 政治・外交
 ジャーナリスト宮崎正弘氏のメルマガより

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成18年(2006年)8月16日(水曜日) 通巻第1538号

 靖国参拝に25万8000人、媚中派の阻止陰謀と情報操作は見事に粉砕された
 北京の日本大使館前の抗議僅か30人、ソウルはプロを動員しても3000人

 人人人。参拝の列がぎっしりと境内を埋め尽くし、拝殿までに四十分から、五十分はかかる。
 サイレント・マジョリティが行動に出た。参拝者は25万8000人と史上最高記録を更新した。


 考えてみれば、日本の世論操作に「靖国」をカードにしようとしたのは、最初は北京であり、便乗してソウル、台北は国内の親日派に配慮して、曖昧な態度だった。
 日本国内の工作員も同調し、世論形成を反対論へ引っ張ろうと躍起だった。読売新聞が転んだ。

 北京政府は七つの親中派団体幹部を日本からよびつけ、日本国内での反対論を盛り上げさせようと「命令」した。
 ところが、まるでご用聞きの土下座をよほどの恥辱と感じたのか、日中友好屋さえ、帰国後に恥ずかしくて北京の代弁ができなかった。代表格の橋本龍太郎が急逝したとき、中国の新聞が「剣道宰相」と持ち上げた。
 日本IBM本社は、連日のように抗議の列ができた。
 買弁の先頭にたって加藤紘一は、実家が放火された。

 「靖国」を争点として福田某は総裁選に打って出ようと、つぎにアメリカの世論工作に赴くが、斡旋の中心にいたハワード・ベーカー(レーガン政権後期の首席補佐官、その後日本大使)など過去の人だった。ホワイトハウスは「靖国は日本の国内問題」とした。
 民主党は選挙対策で靖国参拝への懐疑を語り、じつは国民の失笑を買った。

 日本の政治家に傲慢にほえて「ゲンメイ」する唐家旋も李肇星も、なぜああいう風に反日態度を示そうと虚勢をはるときに、顔がゆがむのか。
 醜悪な風貌で反日を語る様は、焦燥の表現であり、得点をうしなったリアリティを表徴し、ますます反日外交が追いつめられている実態を物語るようである。

 土壇場で日本国民の「国民感情」を知った中国は、「次期政権に期待する」と逃げの姿勢に入った。
 媚中派の某新聞は、それなら「この奥の手はどうだ」と“富田メモ”を発表したが、まさに逆効果に終わった。改竄の疑惑さえ囁かれた。

 かくて終戦記念日。
 靖国神社へ参拝した国民は25万8000人(靖国神社調べ。産経、8月16日朝刊)。
 抗議にあらわれた中国人は30人(北京の大使館前、日経8月15日夕刊四版)
 便乗して反日活動家がソウルでは3000人(ヘラルドトリビューン、8月16日一面カラー写真)
 この圧倒的な数字の落差が物語るのは、いったい何であるのか?

 産経、朝日、日経、読売などの報道姿勢を以下のように比較している

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成18年(2006年)8月17日(木曜日)通巻第1539号(8月16日発行)

靖国参拝を自虐的に論評した全国紙の比較研究
爽やかな産経、負け惜しみの朝日と日経、すり替えに躍起の読売

 << 日経は負け惜しみ一色 >>
 靖国参拝に財界人の多数の意見だと取り繕って、巧妙な反対世論を展開してきた日本経済新聞は、悔し涙の敗北感からか、紙面は「負け惜しみ」一色。
 16日付け社説は「独りよがり」が首相の参拝であり、「どうだ、中国の言いなりにならないぞ」と大見得を切る政治ショー」とばっさり。最後に「靖国問題が障害となって日中、日韓の首脳対話が途切れているのは異常である」と結論している。
 (首脳会談を回避しているのはどちらに責任があるのか、誰が考えてもわかることではないのか)

 同日付け日経は一面にも論説主幹の岡部直明が「首相の靖国参拝には思慮深さが欠けている」。
つまり「東アジア共同体構想を掲げながら、なぜ靖国参拝であえて中国、韓国を怒らせるのか」と批判しながら、「未来向く戦略を」などと空疎な遠吠え。
 アジア外交を再構築するためには「ポスト靖国のアジア包括戦略を打ち出す段階である」などと意味不明の負け惜しみを述べている。
 (小泉参拝は、北京主導の怪しげな東アジア共同体を同時に粉砕した効果をあげたばかりか、軍事大国が日本ではなく北京であるという実態を鮮やかに訴える効果があったのに)

 同紙のコラム「春秋」には丸山真男という正真正銘の馬鹿を引用し、たこつぼ社会を戦後日本の特色としたカリスマ的政治学者などと賞賛している。日経は「日中友好屋」だった新井明社長時代から中国路線を重視してきたため、いつのまにか、左翼政治主義の陥穽に陥っているのに、その自己矛盾に気が付いていないようである。
 最近の日経社員の志気弛緩、株スキャンダル。日経こそ、再構築の要あり。

 << 自己矛盾に気が付かない読売 >>

 同日付けの読売の紙面作りは、「次期政権」にはやくも圧力をかけることで自己撞着の論理破綻をつくろうことに躍起、という印象を受ける。

 一面には一種の敗北感からか、大きな靖国報道はなく、片隅に「政府、極秘に世論調査」をしていたが、どう繰り返しても過半の国民が小泉首相を支持していたと淡々とつたえ、さらにコラム「編集手帳」では日中双方の船酔いぶりを比喩している。
 こういう一節が読売にある。
 「その国の首相が自国の領土内に外国政府の意向で立ち入りを禁じられた場所がある」が、そのことをもし、日本が是認すれば、「国家というものの背景は岸壁に激突して砕ける」のである、と部分的には正論。
しかし小泉参拝を批判したかと思えば、「対日外交を靖国一色に塗り込めた中韓両国の過ち」と北京とソウルもやんわりと批判している。
(この辺は二枚舌の中曽根路線を踏襲しているのかな)

 ところが読売は二面以降、じつに3,4,6,7、9,13面と八ページを費やして靖国記事を配置、基底にあるのは「次期政権」への圧力を巧妙にくわえて、やっぱり北京の代理論調なのである。
 とくに読売社説は「こころの問題だけではすまない」と徹底的に小泉参拝を非難しつつ、「国立追悼施設の建立、あるいは千鳥が淵戦没者募苑の拡充など、国としての新たな戦没者追悼の方法」を考えようなどと欺瞞の論理を展開している。
 (靖国神社以外の追悼施設など、中国の対日工作への敗北宣言に等しいのに)


 << 朝日は安倍次期政権のアキレス腱を狙い撃ち >>

 朝日新聞はいまさら指摘する必要もなく、北京放送の買弁派だから、要するに朝日新聞を精密に読めば読むほどに次の北京が打ちだしてくる手段がすけて見える。
 朝日には、自らが北京外交に示唆を与えているのだという潜在的な傲慢さも行間にあらわれており、なにしろほぼ全面が靖国問題の大特集という異常な紙面つくりでのぞんだ。
一面トップは「ポスト小泉安倍氏」にとって「外交改善、歴史観語る責任」があるなどとしている上、加藤紘一実家放火事件も一面で大きく扱っている。
 趣旨はこうだ。
 安倍氏は「(小泉)首相がA級戦犯を戦争犯罪人と断じるのに対し」、異なる立場をとるのは微妙ではないか、と言ってみれば安倍のアキレス腱を正確についている。
(日本にA級戦犯は存在せず、国会決議は「昭和殉難者」と全会一致で決めており、いままた「A級戦犯」などという占領軍の洗脳用語を濫用するのは、国会決議違反なのである。ところが、それを棚に上げて、安倍にA級戦犯史観をみとめよと北京の替わりに強要するのだ)

 さらに社説だけでは物足りないのか、朝日は論説主幹の若宮啓文が「追悼の在り方、吟味の時」などという不思議な論説を掲げ、そのなかで小泉外交はやけくそ気味、「退陣をひかえて華々しく散ろう」という特攻隊精神を感じた、などと素っ頓狂なことを言う。
(小泉首相はA級戦犯を犯罪者と認識していて、その歴史認識は日本の漫画世代と同じか、それ以下の度し難いほどだが)


<< 爽やかな産経、安倍氏に苦情も >>

 産経は「六年越し、国益守る」とサッパリ。
 靖国への言いがかりは政治工作におけるカードに過ぎず、事態を意図的にこじらせるのは、北京が半永久的に日本人のヤマト精神を凍結させ、冷蔵庫の中にでも閉じこめておくという孫子の末裔らしい戦略から発したものだ。
 『産経抄』で産経新聞は長谷川三千子論文を援用し、「他国が自国の好戦的な戦没者慰霊施設のことは棚に上げて、日本の靖国神社にケチをつけることは、『別の手段をもってする戦争』の一つなのだ」と本質をずばり抉っている。

 また産経は朝日や読売、日経などの媚中派とは異なって、安倍氏が靖国参拝をしなかった苦悩、「歯切れ悪く」「総裁選、争点化回避狙う」と基底によこたわって本質を衝いている。
 参拝を避けた安倍は選挙が終わるまでの戦術行使、そのあとは参拝を強行すればいいのである。が、その決断をもてるか?
 (保守陣営の中には安倍政権への期待が大きいが、はやくもその期待は裏切られており、くわえてカリスマ性に乏しい安倍氏の優柔不断ぶりが露呈、率直に言って安倍氏への過度の期待は禁物ではないのか)

 ―― というわけで、久しぶりに各紙を特急で比較検討してみた。
 精神衛生にわるい朝日新聞なんて本当に久しぶりに読みましたね。毎日? 朝日の亜流でしょうから、比較検討の対象とはならざりし。

 昨日夕方NHKニュースでは、中共、韓国の参拝批難ニュースを力(?)を入れて報道していた様に思う。
 朝のNHKニュースでは「靖国神社へ参拝した国民は25万8000人」という報道はなかった。
 国民皆様の視聴取料でなりたつというNHK、なんだかおかしくはないか。

「老ヶ石」判明

2006年08月15日 | 散歩・山歩き
 先日10日船坂谷を歩いた際、老ヶ石が見つからなくて気になっていた。今日再度見つけるべく訪れた。
 お盆休みで、河原には家族連れが多く訪れ、バーベキューを楽しんだりしていた。

 地図上では船坂谷入り口から「川上の滝」の中間点にある。確かに山道の傍らに大きな岩が2つある。手前の岩はより大きい。この岩なら通ったことは覚えている。しかし、ガイドブックにあるような大きなものではない。そこでもう少し子細に見てみることにした。

 岩の手前に夏草に覆われた谷側に降りる小さな踏み跡が見つかった。そこをかき分け降りていくと、その岩の反対側に出た。あたりの草やツタを払いのけると、岩の根元に祠が作られ、30センチほどの朽ちかけた木の鳥居も飾ってあり、錆びた硬貨がパラパラと乗っかっている。伝説ではこの岩に触ると「老ける」らしい。
 (あっ、やっぱりこの石がそうだったのか)
 その位置から見上げると、やはり巨石だった。カメラを向けたが近すぎて入りきらない。しかし、後ろはブッシュが蔓延って下がることが出来なかった。ガイドブックの写真は、かなり前の写真らしいことがわかった。

 諦めて、なんとか斜めからでも全体を写したいと引き返し、アングルを決めていると、川遊びの少年3人が上がってきた。聞いてみると、このあたりは以前はもっと開けていたという。
 石の大きさを表現するために彼らに対照物になってもらうべく頼むと、巨ゾウの背中のような岩の上に快く上がってくれた。
 岩の向こう側が山道、右下の根元に祠がある。

頑固に靖国参拝

2006年08月15日 | 政治・外交
 小泉首相が公約通り、最もふさわしい終戦の日に靖国参拝を挙行した。
 「お疲れ様でした」と申し上げたいと思う。
首相「戦争犠牲者に敬意の念」 靖国参拝理由を説明 (08/15 11:42)産経

 15日午前、靖国神社参拝を終えた小泉純一郎首相は記者団のインタビューに答え、8月15日に参拝を行った理由を説明した。首相インタビューの一問一答(全文)は次の通り。

 ――どのような気持ちで参拝したのか

 過去の戦争を反省しつつ、2度と戦争を起こしてはならないと。今日の日本の平和と繁栄は現在生きている人だけで成り立っているのではない。戦争で尊い命を犠牲にされた方々の上に今の日本がある。戦争で祖国、家族のため命を投げ出さなければならなかった犠牲者に、心から敬意の念をもって参拝している。その気持ちは変わらない。 過去5年間の私の靖国神社参拝に対する批判は3点に要約される。

 1つは中国・韓国が不愉快で反発しているからやめろという意見。私は日中・日韓友好論者だ。就任以来、中国や韓国との友好交流の拡大を続けている。どの国とも1つや2つの意見の違い、対立はある。不愉快なことがあると、首脳会談を行わないことがいいのか。私は「いつでも首脳会談を行う用意がある」と言っている。靖国神社を参拝をしなければ首脳会談を行う、するならば首脳会談を行わないというのが、はたしていいのか。よくない。日本の首相は民主的な手続きによって選ばれている。私は今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても「未来志向で友好を図っていこう」「互恵、相互依存関係を深めていこう」「中国の発展、韓国の発展は日本に脅威というより、むしろ日本にとってチャンスなんだ」ということを表明してきた。
 私を批判する方は「中国の嫌がっていることはやるな」という。「中、韓が不快に思うことはやるな」ということだろう。中韓が日本の国連安保理常任理事国入りに反対していることは日本にとっては不愉快だとして、私が「中国、韓国と首脳会談を行わない」と言ったら、どちらを批判するだろう。私は中、韓が反対しても「首脳会談をすぐに行おう」と言っている。私が拒否しているのではない。「中国の嫌がることはやめなさい」というのが靖国参拝への批判の1つだ。
 「中国に不快な思いをさせてはいけない。中国、韓国の言うことを聞きなさい。そうすればアジア外交はうまくいく」。必ずしもそうではない。どの国も意見の違いを乗り越え、未来志向で友好関係を進展させていくのが日本としても、他国としても大事ではないか。中には「ブッシュ大統領が靖国参拝するなといえば、しないだろう」と。そんなことはない。ブッシュ大統領が「靖国参拝するな」と私に言ったとしても、私は行く。大統領はそんな大人げないことは言わない。

 もうひとつはA戦戦犯が合祀(ごうし)されているから行ってはいけないという議論。私は特定の人に対し参拝しているのではない。この戦争で苦しい思いをされ、できれば避けたかった、戦争に行きたくなかった、多くの兵士がいる。そういう犠牲者に対し、心から哀悼の念を表すべきだ。これは日本の文化ではないか。A級戦犯のために行っているのではない。2度とこのような苦しい戦争をさせないという気持ちで参拝している。

 3点目は「憲法違反だから靖国神社参拝しちゃいかん」という人がいる。憲法第19条、20条をよく読んでもらいたい。私は神道を奨励するために靖国神社に行っているのではない。過去の戦争を美化、正当化したりするために行っているのではない。また軍国主義を称揚するような気持ちで行っているのではない。第19条の思想および良心の自由はこれを侵してはならないとある。まさに心の問題だ。日本の首脳が、日本の施設にお参りすることを「外国の政府がもっともだ」「小泉がいかん」と批判する。これが本当にいいことなのか。

 ――なぜ8月15日を選んだのか

 最初、多くの方々が「8月15日だけはやめてくれ」と言っていた。そういう方々の意見も聞き、あえて15日を避けて参拝してきた。しかし8月15日を避けても、いつも批判や反発が起きる。何とかこの問題を取り上げようとする勢力(がいる)。いつ行っても同じだ。今日が適切な日だと判断した。

 ――総裁選への影響は

 総裁候補の考え方とマスコミが争点にしたがっている面が強いから、いかがなものだろうか。

 明快でわかりやすい。何故これまで、このようにできなかったのか。
 現職の総理大臣が終戦の日に靖国神社に参拝するのは、21年前に当時の中曽根総理大臣が参拝して以来のことという。
 来年からはいちいちマスコミに参拝理由を説明することなく、当たり前のごとく、これを範として行われるよう願いたいもの。

次期総裁は波乱もなく

2006年08月13日 | 政治・外交
 次期総裁選は波乱もなく小泉路線を引く継ぐ安倍氏に決まりそうだ。
 いい方向だがそれにしても、親中派の古賀氏(分祀論者)や二階氏(江沢民心酔者)が、小泉氏の靖国参拝を待たずに安倍氏支持表明をしている。いったんは主流に沿っておいてまたぞろ対中外交批判をするつもりなのか。武士道精神もヘッタクレもなくなっている。

産経抄 平成18(2006)年8月12日[土]
 「鳴り後かせぐは丹波太郎」という言葉がある。丹波太郎とは兵庫県や京都府の丹波地方に発生する入道雲の異名だ。雷が鳴った後に雨を降らせ大暴れする。その雲にたとえ「まだまだ稼ぐぞ」という、博打(ばくち)場で生まれたことわざだそうだ。
 ▼それだけではない。この季節に雷が鳴ると後が怖いぞ、という警鐘も含まれているのだろう。ところがこちら、自民党総裁選という入道雲を見ると、ほんの少しゴロゴロと鳴っただけで、雷雨など降りそうもない。文字通り「雲散霧消」してしまいそうな雲行きである。
 ▼8月15日に小泉首相が靖国神社を参拝すれば「非安倍」勢力が安倍晋三政権阻止で結束し大政争となる。ほんの1カ月前までそんな見通しだった。しかし参拝するかどうかもわからないうちから、実力者が相次いで安倍支持を表明したり、立候補を断念したりしているのだ。
 ▼このままでは、大した波乱も起きないまま初の戦後生まれの首相が誕生しそうである。この雪崩現象の理由は言うまでもない。「安倍政権」の中でしかるべき処遇を受けたい。発言権を保ちたいということにつきるだろう。「永田太郎」の正体見たりといったところだ。
 ▼解せないのは、親中派で小泉首相の対中政策に批判的だった古賀誠氏や二階俊博氏らまで安倍支持に回ったことだ。安倍氏はどうみても外交面では小泉路線の継承者だ。それなら首相に批判的な谷垣禎一氏を支持するか、自ら立候補すべきではなかったのか。
 ▼むろん、対中姿勢や靖国問題を政争の具にすることは中国を喜ばすだけで好ましくはない。しかしそれなら、普段から中国側の代弁者となることだけはやめるべきだろう。打算だけで乗り込まれたのでは、バスが迷走しかねないからだ。

六甲 船坂谷

2006年08月10日 | 散歩・山歩き
 今日は船坂谷(西宮市山口町)を歩いた。

 有馬街道・船坂橋~川上の滝~六甲山上ドライブウェイ~船坂峠~有馬街道・船坂

 今日はいろいろ失敗があった。この谷の目玉は「老ケ石」という巨岩と「川上の滝」である。
 ガイドブックでは相当大きな石と紹介されていて写真に撮りたいと思っていた。船坂橋と川上の滝の中間ぐらいにあるはずだが、見落としてしまった。たいがい名物には標識や案内板がありそうなものだが気がつかず通り過ぎたらしい。
 アプローチの河原は車が入れるので不法投棄やキャンプ後のゴミなどが散乱しており残念。



 川上の滝からいよいよ上流に入っていくが、2度ほど迷った。ガイドブックには踏み跡もはっきりしない所があり迷わないように注意せよとあるが、今がその場面なんだというのが初めて歩くものにとってはなかなか分かりにくい。
 1回目は、知らぬ間に元の地点に帰ってきてしまった。なんだか見たような景色だな、錯覚かなと思っているとなんと元の位置だ。
 2回目は、途中からテープ標識が見つからなくなった。こうなれば、主を失った犬同然。引き返して再度地図とガイドブックを読み直した。沢を渡るとき向こう岸のテープ標識が見つからなかったためだった。

 谷で一休みし立ち上がるとき、ツルリとやってしまった。尻餅をつき、左の小指を突いてしまった。幸い今日は手袋をしていたので岩で切ったりすることはなかった。
 「分け入れば水音」「すべつてころんで山がひつそり」など山頭火の句が思い出された。

 それやこれやで、コースタイム2時間が4時間(昼食休憩含む)かかってしまった。
 船坂谷は神鉄沿線の谷よりは荒れた感じがする。ロープ伝いの崖もありやはり経験者向きかもしれない。
 帰路は東六甲縦走路の一部で低い熊笹の快適静かなな尾根道。なぜか蝉の声が少ない。しかし船坂峠から船坂にいたる道は、だんだんと荒れてくる。歩く人が少ないためだろうか。
 林道の終わりで、ふんだんに清水が湧き出るところがあり、車でポリタンクに汲みに来ていた人があった。

8月の満月

2006年08月09日 | 写真・絵
 また暑い一日に戻った。青空も磨りガラス越しのようで開放感がない。

 夕方山の端から満月が顔を出した。高度が低いためか靄の影響で赤い月になった。
 午後7時30分頃


 夜更けとともに天空に上がった月は煌々と輝きだした。

朝の菊水山

2006年08月08日 | 散歩・山歩き
 昨日に引き続き、朝から真っ青な空が広がり、ちぎれ雲が西へ次々に流れてゆく。
 朝食もさっさと片付け、菊水山に上がった。頂上に近い記帳所では早朝登山の人たちがもう談笑していた。
 私自身はこの時間帯(8時半頃)に来ることは滅多にないが、いつもこんな調子なんだろう。
 強い風で木々の葉が裏返り山肌の緑が白っぽく見える。汗もさっとひいて心地よかった。

今朝の菊水山

お盆の上の鈴蘭台地区、後ろは丹生山系

 台風7号は紀伊半島の南の海上を北上し、9日の朝にかけて紀伊半島から東海にかけての沿岸に接近し、上陸するおそれがあるとのこと、ひどくなければいいが。

吹き払われた靄

2006年08月07日 | 日常・身辺
 梅雨が明けてから、暑さも厳しくなった。だが、いつも靄がかかりスカッとした青空がのぞめなかった。
 午後、風が出てくるとともに、それがウソのように吹き払われ、天高く筋雲も見えた。南の海には台風が3個発生し、その影響かも知れない。
 そういえばもう立秋なのだ。狭いベランダだが日射しが敷居にまで届くようになった。
 夕方菊水山の上空に月が出た。調べてみると明後日9日が満月らしい。

 裏の高台から






日が落ちると月が煌々と輝きだした。食卓からちょうど見える高さ、一杯やりながら眺めた。

原爆記念日

2006年08月06日 | 政治・外交
 広島に原子爆弾が炸裂してから61年目になる。14万人が、3日後長崎では7万人が焼き殺された。大戦の雌雄がおおかた決し、英米中のポツダム会談で日本に降伏勧告がだされているときである。まったく余計な2発だった。一説には終戦後のソ連との冷戦に備える実験の意味もあったという。

 先日女子大生二人がインタビューを受けているようすをTVで見た。
 「61年前日本がアメリカと戦争していたのをご存じですか?」
 「えーっ、うっそー」「ほんとうですか」
 茶髪、猫顔の今時のファッションの二人だったが、こんな手合いが多くなっているそうだ。

 核保有国からの慰霊祭への参列はロシアだけだったらしい。隣国中共は200発の核弾頭を保有する。
 次期総裁候補の靖国参拝見解もはっきりしてきた。谷垣、麻生、額賀の三氏は参拝自粛だそうだ。蚊帳の外の民主小沢氏は、自民党総裁選で「歴史認識争点に」とほざいている。中共のシナリオ通りに国論を分断させる工作に余念がない。自民党内には媚中派、親中派が多くピンク色に染まっている。「アジア外交は行き詰まっている」という彼らの催眠術に国民はだまされ、参拝批判世論は50%を超えたとか。

摩耶山 黒岩尾根

2006年08月04日 | 散歩・山歩き
 紺碧の空に沸き立つ入道雲。そんな写真が撮りたいと思うのだが、なかなかそのような天気にならない。
 山に上がれば、光化学スモッグの上にあがれるかも知れないと、わずかな希望を抱いて出発。
 午前中用事があって11時に出た。バイクで洞川まで行きそこからトェンティクロス~黒岩尾根~摩耶山を歩くことにした。
 
 黒岩尾根は健脚向きとのこと。なるほどコースタイム2時間のところ昼食を含め3時間ぐらいかかった。エッチラオッチラ登るしかない。赤松が多くいい香りがする。残念ながら見晴らしは悪く我が町、海もスモッグの彼方。
 さすがに汗が噴き出る。汗滴るカッターシャツは脱いで縮のシャツ一枚で行くことにする。
 途中であったのは若者一人、白髪頭3人組だけだった。
 帰りは前回歩いた桜谷を降りた。西日が遮られほの暗くなった山道ではカナカナゼミの声にせき立てられるような気がした。
 大きくまわって元の洞川に戻ったのは17時をまわっていた。持って歩いた1.5Lの麦茶はちょうどなくなった。
 バイクが誰かに持って行かれてないか心配したが、ちゃんと待っていてくれた。
 黒岩尾根終点の摩耶山にて
 黒岩尾根 夕方、分水嶺越えから