私を攻撃する事だけを目的に開設された「愚か者の虚言」というブログが、一時期ありました。
私はその当時、大変悩み、辛い思いで明け暮れたものです。
家族からは、
「相手の人達からどんな中傷を受けても、気にしてはいけない。徹底して無視を通すように」
と度々注意を受けました。
「どうして相手の言葉に応えるの?そんなママの姿を見るのは悲しい」
と涙ながらに、娘から意見されたこともありました。
画像はすべて昨日撮った、我が家の庭の様子です。
辛い心も、可憐な花たちに語りかけることで、随分癒されました。
家族には心配をかけたくない気持は、当然のようにあり・・・・・
その後は、相手のブログ上に私の中傷が載っても、無関心を装い、家族達の忠告を守るように、必死で努めてきたつもりです。
それが良識ある大人の態度、との自覚も、私には十分ありました。
私との対話を先方が強く望んでも、応えないよう努力している様子が、今回貼り付けさせていただいた過去記事の途中にも綴られています。
Mさんのブログではその頃、一カ月以上にわたり、更新するたびに、私の中傷記事が載りました。
(先程、数記事読み直しました。けれど、余りに事実と異なる文章を目にし、気分が悪くなり、それ以上読む気には、とてもなれませんでした。)
Mさんのみならず、KさんNさんのブログも、同様の有様でした。
今回の中傷より、はるかに厳しいものだった、との記憶があります。
でも私は、ほとんどノーコメントを通しています。
確か、Nさんのコメント欄には、1~2度、私の反論を載せた覚えがあります。
その時から、すでに八カ月が過ぎ、曲がりなりにも穏やかなブログライフを過ごせていました。
Kさんのブログでは、相変わらず私を批判する言葉を、再々見かけました。
Kさんが新しいブログを開設された際は、Mさんのブログで、HNをクリックして、偶然出合えたにすぎません。
それにもかかわらず、八か月も経過して、何故、Mさんのブログにコメントを入れてしまったのか。
愚か者の虚言のブログを立ち上げ、Kさんとは一心同体のような行動を取ってこられた方のところに。
それさえしなければ、今回のようなトラブルは発生しなかったでしょう。
先方の方々の直後の反応から、すぐ自分の軽率で愚かな行為を悔やみ続けました。
今更後悔しても、後の祭りですが、いくら悔やんでも悔やみきれません。
そのコメントの内容は、Kさんのブログをお訪ねする理由を述べたに過ぎないものでした。
「他意など全くなく、美しい画像と端正な文章に惹かれての事です。Kさんにそのようにお伝え下さい」といったような内容です。
多少怖いもの見たさもあったかもしれません。
けれど、私への批判の言葉は、またか、と思う程度で、ストレスには、もうほとんどなっていませんでした。
相手の方を批判する言葉等、一切、私は、そのコメントに書いていません。
悪意など、まるでなかったとはいえ、私のこの言動が、油に火を注ぐ事になってしまったのは事実です。
その結果、事が思わぬ方向へと発展していきました。
私には、到底理解できないような行為で、相手側は対応されたのです。
その記事はすぐ削除されました。
そして、私がひどいコメントを書いたのが今回のトラブル原因と言われ、
過去のことまで余りに事実と違う表現で取り沙汰され、私への批判と中傷が、特にコメント欄において、また仕切りに繰り返えされるようになりました。
こんなつもりではなかった、とコメントしたことをどんなに後悔したかわかりません。
誠意をもって、きちんと説明をすれば理解をしてもらえると思ったのが大間違いでした。
他人とのトラブル経験等ほとんどなく、平穏な人生を過ごしてきた私の、人を見る目の甘さ不確かさなのでしょう。
先方の方々は、最初から、私と話し合おうとか、理解し合おうといった気持は微塵もないことは、これまでの経緯から、重々承知のはずでしたのに。
私が愛読しているブログのコメント欄にも、最近KさんやMさんのコメントが載っていました。
数日間ご無沙汰していたのですが、ある方のブログ名紹介で不穏なものを感じすぐ訪ねました。
私のせいで、穏やかなブログ(夢逢い人様のブログです)が荒れていて、申し訳なく心苦しい限りです。
いつもは10時前に床に就く私が、なぜか夜更かしし、真夜中にその方のコメント欄を目にしました。
心身ともに飽和状態に近いほど疲れ切っていましたので、冷静ではいられなかったのでしょう。
そこに書かれた、Kさんの余りに真実と異なる感情的な言葉に、体が震えるほどの憤りを感じました。
中傷コメントを入れたみゆきという方が、IPアドレスで私と確認されている、と平然と又も言い放たれ・・・・・・
こんなウソが許されるのでしょうか???
いくら否定しても、KさんMさんは、この非難を私に幾度も浴びせ、ここ数年間に及ぶ私の精神的苦痛は、相当なものでした。
しかし、このような事は、今に始まったことではありません。
お相手の虚言に、私はどんなに苦しめられてきたかわかりません。
それが度を超すと、私の堪忍袋の尾は切れて、コメントせざるをえない心理状態になりました。
一方、とても丁寧な言葉で意見して下さる方もいらっしゃいました。
そのような方々の意見は、おおむね同じ内容でした。
自分のブログのコメント欄を閉じたままで、相手のブログにコメントを入れるのはフェアーではないと言うものです。
この言葉は、今後肝に銘じてブログライフを送りたい、と思っています。
心苦しい弁解になりますが、このご意見に対する私の思いを、最後に語らせていただきますね。
紹介した過去記事にも載せていますが、私との対話を、潜在的に強く望んでおられたのは、Mさんです。
今回のトラブルでも、私がその場を離れる少し前に、私に質問状を突きつけ、回答を迫り、とことん戦い続ける意志を明確にされています。
「相手がSOSをその内出してくるだろうから、その時、又対応を考えましょう」とか、
「私はとっくに勝っている」、とのMさんの言葉に、私は彼女の戦闘的な執念を感じ、ぞっとしました。
再度見苦しい弁解になりますが、トラブルの発端が、自分のブログにあったとも、私は思っていません。
今回の発端となった私のコメントも、誠実に綴り、相手への批判、意見など一切述べていませんでした。
それをトラブルへと変貌させたのは先方の方々です。
無論、その方々の中傷に耐えられず、時に反論する私にも、責任の一端はありますが。
彼女達は、以前にも言われたように、私を批判することは、大変意義深いこととの認識でいらっしゃるのでしょう。
(私が載せた過去記事に、この言葉が載っています)
私は違います。
取るに足らない、余りにくだらない事ですから、ブログ上でこの件を綴るような事は出来るだけしたくありませんでした。
私がトラブルを起こしたわけではないので、私のブログが関わる必要性はほとんどない、と思いました。
自分のブログがトラブルを発生する原因を作った、との認識があれば、コメント欄は設定しなくても、自分のブログ上で意見を述べることはしたでしょう。
Kさんの原発記事にたいして、広島の被爆者としての私の思いと疑問点を綴ったコメント。
今回の私の最初のコメント。
それがトラブルの原因と、先方は言われますが、私には到底納得がいきません。
原発記事への私のコメントは、貼り付けた過去記事に載っていますので、宜しければご覧下さい。
両方とも、私には、単なる言いがかりに思えてなりません。
原発記事へのKさん宛の私のコメント。
その程度のことで、なぜそんなに憤られたのか、その当時、私は全く理解できませんでしたが・・・・
翌日お詫びの言葉を、私は入れました。
それでも相変わらず、私の中傷がブログを更新するたびに続き、ブログ上でも、お詫びをしています。
下記の言葉です。
2013年1月30日の記事です。
私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで問いかけさせていただいただけだったのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。
翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・
今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。
ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。
それにもかかわらず、「愚か者の戯言」という私のみを攻撃するブログが、立ち上げられてしまったのです。
清楚な白のチューリップを植えたつもりでしたのに、お化けチューリップが現れました。
実は、このコメントを載せる1年前に、私のブログ記事を彼女は批判されています。
「丁寧な言葉だけれど、差別用語を使用していてがっかりした」
というものでした。
私は誤解が悲しくて、弁解をさせていただきましたが、怒りの感情などみじんも沸きませんでした。
もし逆に、私がこの言葉を彼女に向けていたなら、どうなっていたことでしょう?
Kさんは、自分が最初に批判したことには、一切触れられませんが、このような経緯を辿り、いまだに私への非難が続いています
私には計り知れない、もっと根の深い嫌悪感情が私に対しておありなのでしょう。
それが理由で、延々と数年間にわたり、私への批判と中傷が続いたとの認識で、私はいます。
私は、事実と異なることを言われ中傷されると、性格的に、義憤を抑えられなくなってしまいます。
そのため、時にそれを否定し反論するために、コメントを相手側のコメント欄に入れさせていただきました
それが一部の方々から、強く批判されています。
そして、私がその方のブログを汚したとまで。
本当にそうでしょうか?
私には、今のところ、その判断が正しいか間違っているのか、良くわかりません。
ネット専門の相談機関にでも、いつか尋ねてみたいほどです。
私は先程も述べましたように、私のブログ上で、相手を批判し、トラブルのきっかけを作ったとの認識はありませんから、コメント欄を空けてまで対応する必要が何故あるのか分かりません。
私のブログ上の記事では、「姉妹」の記事が批判されていますが、読んで頂けば分かるように、とても明るい内容で、姉妹の性格の対比を述べたまでにすぎません。
妹も半ば冗談で話したことです。
恐らく、最近のそのブログ記事が、あなた達のことを取り上げた唯一の短い文章かと思いますが、この程度のことが読み流せないのでしょうか。
そんな貴女を見るにつけ、
「私達姉妹には異常に厳しく、自分には殊更甘い」
ご性格を見る思いがします。
私は「貴女が愛した命が消え 虹の橋を渡ってしまった日・・・・・・」の言葉に、どんなに傷ついた事でしょう。
タイトルは「貴女に」でしたね。
入退院を繰り返す夫を介護する身です。
体力がなかなかつかない夫に、なりふり構わず、栄養価の高い三度の食事を作ることに私は専念してきました。
そんな私に向けて吐かれた、心ない言葉。
私は驚き、傷つき、貴女の想像力のなさに、愕然としました。
(今日の、追記です。愛犬がなくなられたことには、その時点では全く触れておられませんでした)
しかし、私はそんな言葉を取り上げ、いちいちあなた達を批判するような事はしませんでした。
何を言っても虚しいだけ、との思いがあるからです。
私が止むを得ずコメントを入れてまで反論したのは、事実と余りに異なる偽りの表現で中傷を受けた時のみです。
けれど、虹の橋の言葉に憤った人の気持ちは、涙が出るほど有難く、胸熱くなる思いがしました。
私の心痛を察して余りあるものを感じて下さったのでしょう。
本当にありがとうございます。
今回のトラブルにおいて、タイトル「姉妹」が、私があなた達を話題として取り上げた唯一の記事と言いましたが、これまでのトラブルも同様です。
私への批判は、先方の方々のブログにおいてで、一方的でした。
先程も言いましたように、時に反論コメントを入れさせていただいたのは、あくまで事実と異なることを述べ、私を中傷された時のみです。
嘘偽りを許さない義憤から、その反論が出来たからこそ、どんなに辛いことを言われても、私は自らの精神の均衡を保つことができた、と思っています。
しかし反論すると、口汚い中傷を、私は嫌っというほど浴びせられました。
そしてブログ主さんは、それを止めることなく、一人一人に感謝の言葉を述べ、喜んでおられる様子でした。
そして、あなたを擁護するコメントがほとんどない、と得意げに書かれていました。
それでも、私がブログを汚したことになるのでしょうか。
私は自分のブログでは、あなた達の誹謗中傷は一切していないし、問題提起したこともありません。
それでも、コメント欄を開けて、私は、対応しなければならないのでしょうか。
とても私には、納得できません。
最後に、kさんのブログをお訪ねしたことについて。
この件でも、強く非難されています。
「アクセク解析を付ける理由」といったタイトルでしたでしょうか。
その記事を書かれた時のみ、最近ではお訪ねしましたが、その前後、私はもう数カ月、彼女のブログは訪問していません。
私が何を間違ったか、一時期投資には励んだ時のことです。
大きな損失を被り、これ以上続けることの愚かさに気が付き、トレードを中止することにしました。
そのころ、ブログではありませんが、投資関連で、「私の部屋」を持っていました。
その部屋で、辞めるにあたり、これまでの苦労を述懐する記事を綴りました。
数年間の自力のトレードによる損失額も計算し、その記事で公表しました。
私の経験談が、多少でもお役に立てば、との思いからです。
ところが、その部屋に「ごめんあそばせ」と言って、ある方が訪ねてきました。
最初は当たり障りのない文章でしたが、来る度に言葉が激しくなり、「恥知らず」といった罵詈雑言で埋め尽くされるようになったのです。
私はそれをみて、即座にその部屋についていた拒否設定機能を起動させました。
ゆえにその後はその方によるストレスを抱えることは、二度とありませんでした。
私は原発の記事以外、Kさんのブログにコメントを入れた事は一度もありません。
それでも、私の訪問がストレスなら、拒否設定をなされば、すぐ解決が付くことです。
それもなさらないで、ご本人がおっしゃっていたように目の疲れる大変な作業にもかかわらず、アクセク解析で、いちいち私の訪問をチェックする行為を止めようとなさらない貴女。
そして、自分で自分にストレスを課しておられるだけの貴女。
ですのに、私の迷惑行為と、Mさんと口を揃えて酷く非難される意味が、私には到底理解できません。
この記事を書くにあたって、久しぶりにMさんのブログを読ませて頂いたところ、相変わらずこの事で、私を非難しておられましたので、私の反論を綴らせていただきました。
前回、私への激しい批判と中傷が同様の三名の方々で続いた時、ひたすら沈黙を守り、最後に私のブログ上で総括的な弁論をしています。
ですから、今回も同様に、最後に自分のブログ上で、私の思いを心行くまで語らせていただきました。
前回は、ほとんど反論しませんでしたが、今回はコメントしたことのみが悔やまれます。
でも、他でもストレスを抱える身の私。
嘘はきっぱり否定し、ストレスを発散することで、心のバランスを保つ必要があったのでしょう。
「コメント欄を設けない限り、相手側から如何に批判されようと、その方のコメント欄で反論するのは、ネットマナーに違反する。
自分のブログのコメント欄を開けて対応すべきである」
とのご意見は、私は未だに消化不良気味です。
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ご訪問いただきまして有難うございました。
私のコメント
いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。
もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・
私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります
私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。
今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。
どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。
差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。