今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

七五三のお参り かれんちゃん おめでとう!

2013-11-30 14:55:46 | 

夫が緊急手術となり、突然病院に私が呼び出された日から、今日で5日目になります。

一昨日は次女、昨日は私、今日は長女と、交代で見舞ってきました。

既に予定はされていた事とは言え、突然、その手術が早まった時は、その状況にいやは予感がし、大変心配しました。

特別な事情ゆえ、仕事が大変な時期にもかかわらず、万難を排し協力をしてくれた娘達に、感謝の気持ちでいっぱいです。

ここ数カ月の次第に重くなる心身の負荷に、すっかり疲労気味の私でしたから。

今日も朝、床からなかなか離れられませんでした。

起きてからも、家事の調子は今ひとつ、快適なリズムに乗れず、すぐ気だるくなってしまいます。

体の芯まで疲れてしまったのかしら。

年の瀬も近いことですし、気持ちをしっかり持って、もうひと頑張りしなくては。

 

緊急手術後の旦那さまは、二日後には集中治療室から出て普通の病棟に戻りました。

とても狭いながら、今回の入院は、最初から個室で過ごしています。

集中治療室にいるときに、心が大きく揺さぶられるような出来事がありました。

手術後の処置を受けていた夫が、突然ICUの個室に移されたのです。

 

看護師のお話しでは、抗生物質の効かない菌が便より検出されたため、ほかの患者さんに移るといけないので、部屋を移動した、とのこと。

があ~ん、と頭を殴られるほどの衝撃を受けました。

何故なら、両親、特に母は院内感染のMRSで大変つらい目に遭い、死期を早めたからです。

近隣のご主人さまも、院内感染で亡くなられています。

ですから、この言葉には、少々アレルギーの私。

 

けれど、一昨日パパを見舞った次女が、先生からお聞きした話によると、全く心配ないことのようでした。

既に病棟に戻り、以前よりはるかに元気になっていて、看護士と次女の介添えで、病棟の廊下を1周したそうです。

次女の明るい声に接し、良かった~と、私は心から安堵しました。

そして昨日見舞った私の目に映った旦那様は、どうだったでしょう。

 

確かに歩けるほどの回復を見せてくれていましたが、まだ水分は一滴も摂れない状態です。

その状況から止むを得ないこととは言え、大層弱々しく感じられ、何時退院できるか、先の見えない不安を相変わらず覚えました。

先生のお話しを伺いたく、3時から7時くらいまで、昨日は病室にいましたが、それが叶わずとても残念でした。

 

でもこれ以上心配しても、どうにもならないこと。

実に落ち着いた物腰で、説得力のある柔らかな物言いでお話し下さる主治医のK先生です。

心から信頼申し上げ、お任せするしか、私には為す術がありません。

 

今回の記事は、緊急入院に至った理由とその処置について詳述するつもりでしたが、気分を一新し!

明るい話題に致します。

 

無論、前回の記事の冒頭でもお伝えした、孫娘のかれんちゃんの七五三の行事についてです。

旦那さまの容態次第では、一緒のお参りは無理かしら、と心配でしたが、緊急入院の知らせが翌日で、助かりました。

午前中の11時半に伊勢丹のレストラン街で、次女家族と待ち合わせた私です。

幾分早目に着きましたが、次女のお婿さんと子供達、ご義母様もすでに到着し、次女はデパートの美容室で着付け中でした。

 

かれんちゃんは、私達と一緒に早目の昼食を取り、赤いおべべに着替えます。

次女が、窮屈に思わないで心から楽しめるように、と前もっていろいろ楽しいイメージをかれんちゃんの頭に焼き付けたようでした。

ですから、大層楽しみにこの日を待っていたようです。

美容室でもお行儀よく満足そうに、髪結い、お化粧、着付けと、なされるがままに素直に従っていたかれんちゃん。

 

 

 

ママも、とても素敵で、優雅なお着物に身を包んで、まるで別人のようでした。

私が嫁ぐときに持参した、二十数枚の着物は、その後ほとんどたんすの肥やしのまま。

時代の風潮の急激な変化が、衣類も、和装から洋装へと瞬く間に変わった時代でしたから。

 

しかしながら、次女は、着ものに大変関心があるようです。

時に斬新で奇抜な服をも身に付け、私を驚かせることのあるお洒落なMちゃんですが。

ひと月前に、私の着物と帯を幾枚か、我が家から自分の家に持ち運びました。

ところが着付けが終わったMちゃんに会うと、私が予想していた黒い帯でなく、私の母がお嫁入り時に持参したグリーンの袋帯で、びっくりしました。

娘のセンスで、帯上げその他の小物に、その帯が合うと思ったようです。

着物は、洋服と異なり大切に扱えば、世代の違う孫、ひい孫と利用できる奥の深い衣類であることに、改めて感銘を覚え、亡き母の喜ぶ顔が目に浮かぶようでした。

 

 

 

ママと二人、すっかり準備が整い同じ館内で、写真撮影も終わり、いよいよ一つ先の駅の明治神宮へと車で向かった私達。

雨マークが付く日ながら、何とかお天気も持ちこたえそうです。

晩秋ながら、空気は柔らかで思ったほど寒くなく、私達を優しく包んでくれるかのようでした。

晩秋の紅葉が、境内の趣を一層深めてくれています。

 

 

 

かれんちゃんは着なれないお着物と草履ながら、なかなか振る舞いも板についていて、緊張している様子では全くありません。

七五三を伸び伸びと楽しんでいる様子に、健やかな成長を思い、ご義母様と私は目を細め、心から喜びあいました。

 

 

ほとんど喧嘩をしたことがなく、妹をいつもとてもかわいがるお兄ちゃんのK君も大変嬉しそう。

ママとパパの笑顔も、一段と輝いて見えました。

 

 

長い参道の砂利を踏みしめ、神社の本殿近くに到達した私たちでしたが、そこまででお祓いは受けませんでした。

ご義父母様は、敬虔なクリスチャンでいらっしゃるからです。

でも古来から伝わる日本の伝統行事に、家族そろって参加できたことは、今後の忘れ得ぬ、良い思い出になったことでしょう。

外国人には幾度もカメラを向けられ、そのたびに立ち止まり笑顔で応えていた娘とかれんちゃん。

モデル気分もチョッピリ味わえたかしら。(笑)

 

 

 

同じ参道を、同じ着物に身を包み、亡き母も一緒にお参りした我が子たちの幼い姿が二重写しとなり・・・・・・

歳月の瞬く間の経過を、しみじみとした感慨をもって思わずにはいられませんでした。

明治神宮の佇まいには、何一つ変化がありませんのに、人の営みは変転目まぐるしく、特に今の時代はそうですね~

地球温暖化の影響もあり、気候変動の激しい厳しい世相ながら、孫達が健やかに逞しく成長し、幸せな人生を送ってほしいもの、と心から願っています。

かれんちゃんの成長を感謝し祝う七五三ながら、夫が病に伏せているせいもあってか、いつも以上に思いが深くなる日となりました。

 

      

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相変わらず心揺さぶられる日々ながら、最上の喜びも

2013-11-28 12:34:55 | 病気

しばらく爽やか秋晴れのお天気が続きましたが、25日は珍しく曇天で、日暮れ頃から雨が降り出しました。

いつのも暮らしであれば、良いお湿りで、ガーデニングを愛する私には恵みの雨なのですが、その日ばかりは、そうはいきません。

三歳になる次女の子、かれんちゃんの、七五三の少々遅いお参り日だったからです。

少し前から、天気予報はその日だけ雨マーク。

これでは、かれんちゃんは今後雨女になってしまうのかしら、と少々気がかりになるような不運さでした。

 

 

ところが実際は、週間天気予報は外れ(前日の予報通りでしたが)。

早朝、目を覚ましカーテンを開けると、かすかに薄日もさす明るい空模様にホッとした私です。

次第に空が暗くなっていきましたが、明治神宮へのお参りがすむまで、何とかお天気は持ちこたえてくれました。

今日は、七五三のお祝いについて詳しく綴りたいところですが・・・・・・

 

 

 

私の身の周りの出来事を、順を追って書き留めていきませんと、もともと忘れっぽい私の頭は、最近の目まぐるしい変化についていけず、整理が思うように出来なくなっています。

ですから、日付に従い、順次書き留めていくことに致します。

何と言っても、今私の心をしめている重大事は、旦那さまの病の経過ですから。

何と一昨日は緊急手術で、次女と最寄駅で別れ、我が家に戻ってきたのは、真夜中の11時半過ぎでした。

 

今日は、前回もったいぶった終わり方で続きとした、主治医のお話しの内容から始めます。

放射線治療のの副作用が、非常に強い夫の体。

先生は、二十数年間、この治療に臨んできて、夫のようなひどい副作用の症状を診たのは、初めてのことでいらっしゃるようです。

副作用で、色々な臓器が炎症を起こしむくみ、そのために食事のみならず、水分さえも少量しか受け付けなくなり、脱水状態で緊急入院した旦那さまです。

入院する数日前に、体調が急激に悪化したようだとのことでした。

 

さらに、退院前から長い間続いた熱の原因も判明しました。

腸管が弱くなった部分に、微小な穴が出来、汚い腸液が流れ出て、腹腔内の一部に膿がたまり、そのために発熱したようです。

けれど、幸いにも、腹腔内には、その膿がひろがっていないため、腹膜炎には至っていないとか。

但し、その膿の菌が、血中に広がり、敗血症になっていると考えられる、と。

主治医のお話しでは、「敗血症」という言葉は、私が聞く限りでは、直接耳にしませんでした。

帰宅後、治療、検査の説明書を熟読し、初めて目にした私。

その言葉からは、死が連想され、大変なショックを受けました。

けれど、その後の先生のお話しから、敗血症にも幅があり、まだとても軽い域のものだと伺い、どんなにか安堵したことでしょう。

 

そして、発熱と体の症状を悪化させている膿を管で抜く外科的処置を緊急で行うことになりました。

その処置は簡単なもので、先週の土曜日に無事に終了。

膿を出すための管を通したことで、100ccの膿が取り出せたようです。

そのため、翌日から、次第に体調は改善していくでしょう、とのことでした。

今後は、しばらく経過を観て、臓器の炎症が落ち着いてきたなら、早めに一時的な人工肛門を作り、食事を食べれるようにしましょうと、言われました。

点滴のみに頼っていては、体力の改善は期待できないので、食事をすることが、とても大切なようです。

 

そういえば旦那さまが、栄養剤のリキッドに頼り切り、私の食事を一切受け付けなくなったのは、、病院から戻った直後からでした。

嬉しい診断報告を受けたにもかかわらずです。

最初は、腸内に食事のかすがたまるのを恐れてのことのようでしたが、その内放射線の副作用が強く出はじめ、いっそう受け付けなくなったのでしょう。

もし、診察前のように、食事が取れていたなら、体力が付いて、副作用も軽く済んだのかもしれない、と思ったりも多少しますが、その辺りの因果関係は、素人の憶測で分かるものでは到底ありません。

 

処置のお陰で、諸臓器の数値その他は、その後、すべて良い方向に向かい、急速に回復に向かっていったのです。

外科的処置が行われた翌日の日曜日は、娘達が交代でパパを見守り、私は休養日。

月曜日は、かれんちゃんの七五三のお参りで、明治神宮へ、その足で病院へと向かった私です。

その夜は、さすがに疲労濃く、睡眠を七時間近く取り、元気回復に努めたつもりでしたが・・・・・・・

翌日も鉛のように体が重たくて、一向に家事がはかどってくれません。

そういえば、夫の世話で、時に涙声になりそうな厳しい介護生活が始まってから、一度も気が抜けない日々を送ってきた私です。

この疲れは、当然と言えるでしょう。

しかし更なる緊張の連続が、なおも続きます。

 

七五三も無事終わった翌日は、長女にお見舞いに行ってもらい、私はまた休養を取らせてもらうことに。

私にしては珍しく、1時間の長い仮眠を取るつもりで、ベッドに疲労濃い体を横にし、携帯を枕元に置きました

ところがその途端に、携帯のメロディーが流れ出しました。

何と、主治医のK先生が、夫の病室からお電話をかけておいでです。

私は驚きはね起き、姿勢を正し、緊張した心持で、先生のお話に聞き入りました。

その内容は、また次回に続きといたします。

 

最近は、ご覧下さる方々に、ご心配をかけるような終わり方ばかりで、申し訳なく思います。

ほとんど毎日、午後から往復4時間近くかけて病院に出かけ、余りに忙しく、心身ともに疲労も濃くなってきています。

そのため、ブログ綴りに十分時間をかける、物理的、精神的余裕が共にありません。

とは言っても相変わらず長文ですが・・・・・・・(笑)

今後もこのような形態で、続編続きの記事が続きますこと、なにとぞご理解下さいませ。

 

病院のあるT大学の構内もすっかり秋色に染まり、晩秋の趣です。

その光景を写真に収めたい、とカメラ持参で出かけても、行きは時間に追われ、帰りは疲れてぐったりで、カメラを向ける気力が沸いてきません。

今日は七五三の画像のみで、今後は画像なしの記事も、投稿するつもりでいます。

 

夫の順調な回復を祈り、娘からの報告を待ちわびながら、今日は家事に打ちこみましょう。

それにしても、七五三のかれんちゃんの可憐な姿が今も目に焼き付いて離れない私です。

ひと目、夫にも見せたいと思った私ですが、幼児の病室への入室は厳禁で、夫も身動きが出来ない状態では、その願いは叶えられず、本当に残念でした。

 

      

 

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心配は尽きないけれど・・・・・・

2013-11-25 09:05:54 | 病気

この度の夫の病の記事を書き始め、既にどのくらい経つのでしょうか。

夫から、若い時、患った痔ろうが再発したらしいと聞かされたのは、真夏の太陽が照りつける猛暑の時季でした。

その後、内視鏡の検査を受け、大腸癌、との宣告をまた受けてしまった旦那さま。

それからは、病院選び、検査、入院と、夫のがん治療のために夢中で過ごした数カ月でした。

その間も季節は確実に巡り、もうすぐ年の瀬を迎える12月。

私の60代最後の1年間が、こんなことで締めくくられる事になろうとは・・・・・・

複雑な思いを抑えることができません。

年が明けると数カ月で、古希を迎を迎える私です。

 

先日の友人の葬儀で十数年ぶり会った友人から

「Kさんは年齢よりずっと若く見えて・・・・・・。介護疲れはみじんも感じられないわ。

私は、今までIさんが、私の生きる目標だったけれど、突然亡くなってしまって、指針を見失い、どうしようか、と思っていたの。

でもこれからは、Kさんを私の目標にすることにするわ」

との身に余る過度のお世辞に、穴があれば身を隠してしまいたいほどでした。

 

とんでもない!!!

「見かけ倒しもいいところよ」と、私は言いました。(笑)

一方、思いがけない友人の言葉を励みに、自分磨きにもっと努めなければ、と素直に喜んだ私でもあります。

惜別の情をこんなに感じたことが、親以外であったかしらと思えるほどの悲しい葬儀でしたが、このことについては、また日を改めて綴ることに致します。

 

 

今日もまた、夫が突然再入院した、その後の経過報告です。

葬儀を終え、その足で上着を着替え、夫のもとに向かいました。

病室のドアの前で、回診に見えた主治医の先生とばったり出くわしてしまった私です。

K先生がどうぞお先にお入り下さい、と手を招いて下さいましたが、私はとんでもない、といった気持ちでした。

お世話になっている先生方には、足を向けて寝られない心境で、感謝とおすがりしたい気持ちでいっぱいの身です。

無論、チームを組んでおられる三名に先生方の後から、夫の様子を気に掛けながら入室しました。

 

旦那さまは、すっかり安心しきったような穏やかな顔とは言え、わが家にいる時より、一段と弱々しく我が目に映り、胸騒ぎを覚えました。

そこで、先生の話された内容を、ブログに備忘録として詳しく記述しておきたいところですが、残念ながら、正確に綴れるほどの確かな記憶ではありません。

私は病室に着いたばかり。

夫の病状への不安と葬儀の悲しみで、心は平静とはとても言えない状態でした。

先生を迎える心の準備には程遠く、メモの準備もできていませんでした。

そのため余りよく覚えていませんが・・・・・

付き添った次女の話も入れてお話ししますと、病院に到着した時は、脱水状態がひどく、注射針を差す事が困難なほどだったようです。

脱水症状の恐ろしさを改めて痛感します。

夫が、食事はむろん、水分さえ多くは受け付けられなくなった理由は、私には想像も及ばなかった、放射線による副作用のようでした。

 

                               秋の或る日、病院からの1時帰宅時の夕食の献立

 

私はこれまでブログ上で、抗がん剤より放射線治療の方が副作用が軽いようだ。

だから、自分ががん治療に臨む際は、放射線治療を希望したい、と何度か書いてきました。

私の一番の理由は、女性の命である髪が抜けるのは絶対いや、といった実に単純な理由かもしれません。(笑)

 

けれど今回の治療に当たり、旦那さまの最近の様子を観て、少々認識を新たにしつつあります。

放射線の副作用は、すぐにあらわれるのではなく、ある程度時間が経過して顕著になるようですから、まさに油断大敵といった感じ。

しばらく気が許せない状態が続くことがよくわかりました。

先が良く見通せず、先々の影響に幾分の不安を抱いて暮らすのも、、中途半端な気持ちを継続せざるを得ず、何とも辛いものですね~

 

私は旦那さまが治療に当たり始めると、これまでは医師の言葉を絶対的に信頼し、色々な情報に惑わされないように努めてきました。

ですからネットで検索したり、その関連の書物を紐解く事も最低限にとどめてきました。

ところが今回の治療は、福島原発事故以来、注目の的であり、悪の権化のごとく扱われている放射線を使用しての治療です。

 

昨夜は、多少その関連の書物を見たり、ネットを検索し、言いようのない不安に襲われ、私にしては珍しくなかなか寝付くことができませんでした。

先生のお話しでは、あまり例のない強い副作用が夫の体に出ているとのこと。

先日診察した時はとても良好な状態だったのですが、おそらくその後に副作用が顕著となり、ここ数日で急激に悪化したのでしょう、とのこと。

色々な臓器が炎症を起こしむくんでいます。

そのために食事が受け付けられません、と。

 

                                     退院後、割と元気な頃の夕食

内臓が炎症?

各臓器がむくんでいる?

私には体内の変化ゆえ、想像もできなくて、それだけになんとも恐ろしい感じがしました。

 

そして翌日は午後から長女がパパに付き添いましたが、あい変わらず元気がなかったようです。

そしてその翌日の土曜日、私が病室に入ると、夫の周りには今までなかった心電図、血圧、その他の数値を計測する医療機器が設置されていました。

さらに酸素吸入器まで鼻孔にに取り付けられている夫を目にして、私は一瞬背筋が凍るほどの衝撃を覚えました。

「先生が話しがあるようだから、幾度もお前に電話をしたけど通じなかった」と、いら立った口調でYさんが私に言います。

私は、病院に向かう車中で、バッグの中の携帯の音に気付かなかったようです。

「先生のお話し」といった言葉に、私は深刻な事態を予感。

更なる不安を覚え、泣きたいような心境でした。

 

その内容とは・・・・・・

次回に続きます。

 

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夫が再入院

2013-11-22 17:56:11 | 病気

もうすぐ12月を迎え、主婦にとっては一番多忙な年の瀬も間近ですのに・・・・・・・

私の最近の暮らしは、年末の主婦暮らしとは余りにかけ離れた厳しい状況です。

とは言え、意外にも家事ははかどっていて、その順調さが、私の心に、幾分の落ち着きと安らぎを与えてくれています。

年末大掃除のガラス拭きも、5分の1程度終わったかしら。

各部屋の収納棚の整理は、ほぼ十月で終えています。

お掃除も順調にはかどっていて、各部屋も割と小奇麗。

旦那さまの介護も、ほぼ30分間隔で手をかけ、気を遣うようにしてきました。

 

ただ一つ、日々気になりながらも出来ない事は、パンジーなど晩秋に植え付ける草花の購入で、お花屋さんを回ること。

その時間だけは未だに取れず、ハンギングバスケットも空の状態で、気持ちが少々焦ります。

年内には植え付けを済ませたい、と強く願っているのですが・・・・・・・

 

 

 

実は夫が、昨日また再入院いたしました。

旦那さまも私も正直なところ、ホッとした気持ちでいます。

入院前4~5日の夫の状況は、ただ事でないものがあり、私は不安を抑え難くて、とても心配でなりませんでしたから。

熱が上がると、目がうつろになり、肩で息をし、気力がすっかり失せたような状態で、本当につらそう。

でも寡黙なYさんゆえ、私が尋ねても「気だるい」というだけで、多くを語ろうとしません。

 

いてもたってもいられず、主治医にお電話をかけ、ご相談をしたところ、

「尿の出が悪くなっている」との夫の言葉に驚かれたようで、翌日緊急入院ということになりました。

私は便の事のみに気が集中し、尿の量へ注意を払う事を怠ってしまっていたようです。

旦那さまも、同様のようでした。

 

緊急入院となったものの、私は翌日の午前中は、高校時代の親友の突然の訃報で、お葬式に参列することになっていました。

何としても、お別れの言葉をかけお見送りしたかったので、次女にお願いし、パパに付き添い、タクシーで病院に行ってもらうことに。

前の晩に、慌てて入院に必要な備品をバッグに詰め、用意した私です。

旦那さまには、

「入院が決まって良かったわね~あなたを看ていると、不安で心が張り裂けそうだったから」

と言いました。

当人も、体内で何が起きているのかわからなくて、不安でいっぱいだったに違いありません。

 

ここ数日間は、私は脱水症状を強く懸念し、いつも以上に水分の補給に気を遣い、夫に任せるのでなく、私が管理して気を配るようにしていました。

退院後は、夫が好むミネラルウォーターのボルビックを常に購入し、ほかにもレモンティーや時に口直しにコカコーラ―も枕元に置いていたのですが。

夫は思ったほど飲んでいなかったのかもしれません。

必要最低限でも、1日の量を決め、すべて飲み切るように私が管理すべきであったと、深く今は反省しています。

              

 

1週間前に、長女が届けてくれたミネラルウォ―タ―2ダースと和菓子です。

叶 匠壽庵 山寿菓

日持ちのするとても美味しいお菓子ばかりです。お茶のお伴で一服すると、介護に疲れた体がいやされホッとします。

 

先日、受けた病院での診察時には、前々回の記事でもお伝えしたように、直腸の炎症と浮腫以外異常はありませんでした。

栄養状態もすこぶる良好でしたから、直腸の回復を待って、体力が付けば手術に入りましょう、と先生がおっしゃったのですが。

そして夫婦揃って安堵に浸りきり、新たな日々が始まったつもりでした。

 

ところが意外にも、旦那さまが、突然食事を受け付けなくなったのは、その翌日からです。

K先生から勧められた栄養剤のリキッドを飲むことのみに頼り切り、私が作った食事には一切口を付けません。

リキッドだけではカロリー不足だから、食事を口にするように再三勧めましたが、

「食べるのが怖い」

と不機嫌に一言いいました。

旦那様らしくない言葉に驚いた私です。

 

大腸と直腸の現状況を図に描いて説明して下さった先生の言葉の印象が強過ぎたのでしょうか。

食事をすると、ますます食事のかすが腸に溜まり、苦しくなる自分が連想されたようです。

けれど数日経過すると、浮腫で細くなり通りが悪くなっていた直腸が貫通したかのように、一気に流れるがごとく便が出るようになりました。

旦那さまには、それがまた大変なショックだったみたいです。

私は、その話を聞き、

「ショックどころか、大変うれしいことではないかしら。直腸のむくみが取れ、快方に向かっていることでしょうから。

でも、下痢が続いている時は、脱水症状になりやすいから、水分の補給に気をつけないと駄目よ」

と幾度も言っていました。

 

 

 数日で使い切り、介護用品の出費が家計を圧迫しそうです。

左の介護用品は、次女が注文してくれたアマゾンから届きました。

 

その後も食事は一口程度しか食べてくれません。

私が「もう少し召しあがったら」というと、「怖い」の表現が、「何故か喉が一切、食事を受け付けない」に変わりました。

そしてげっぷをしきりとし、吐き気をもよおしそうになったりします。。

喉が受け付けない、とはどういうことなのでしょう。、

私には理解できない事ばかり。

もしや私の旦那さまは、拒食症に似た状態になってしまったのでは、と思いました。

怖い、のどが受け付けない、といった表現から、精神的な事が大層懸念され、前向きな言葉をかけて励ましたりしたのですが・・・・・

 

しかし実際は、そんな生易しいことではありませんでした。

主治医のお話は、私が心配していたことも一部的中していましたが、あとは意外な内容で、自宅での素人介護と看護の難しさを改めて痛感させられました。

でも特別深刻な事態ではないようで、一安心といったところですが・・・・・・

でも、何だかとても心配で落ち着きません。

今日は私は休養日にしてもらい、昨日の夕刻見舞いに来た長女が、引き続き今日も午後からパパに付き添ってくれます。

前向きにできるだけ明るく対処して行けば、背負う苦労は軽くなるとの私の信念で、頑張るしかありません。

長くなりましたので、この続きは次回に回します。

 

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久しぶりに整形外科医院へ

2013-11-20 15:55:51 | 病気

前回の記事は、、夫の喜ばしい診断結果をお知らせした私でしたが・・・・・・

その翌々日、私はすっかり体調を崩し、苦手な医院に、久しぶりに出かけてきました。

恐らく、主治医からの良い知らせに、退院後の緊張が一気に抜け、どっと疲れが出てしまったようです。

肩と首の懲りが異常で、胸やけがするほど。

手も幾分しびれた感じで、節々の痛さがただ事ではない感じがしたからです。

 

更に心配だったのは、夫が入院後しばらく経ち、始まった胸の痛み。

最初は、ただの筋肉痛と軽く見ていたのですが、良くなるどころか、夫が退院して益々ひどくなってきました。

整形外科に出かける日は、常時ずきずき痛み、体の屈伸の度に顔をしかめてしまうほど。

入浴する度に、鈍痛があるあたりを手で触り、しこりがあるのでは、と心配してしていた私です。

 

 

今、私が病の診断を受け、がんなどと言われたら、それこそ大変な事に。

たとえそうであっても、せめて時間差がないと困りますよね~

夫の症状が回復後に、私が具合が悪くなるといった感じに。

 

しかし我が家に限って言えば、どちらにしても、私の状況はさしてよくはならないでしょう。

旦那さまは、非常に困ると思うけれど。

だって、身近で世話をしてくれる人がいなくなるのですもの。

 

一方、夫は元気で、私が病に伏せた時のことを想像してみましょう。

恐らく、仕事はできる人だったかもしれないけれど、他の事は、でくの坊に近い旦那さま。

私の役には、何もたってくれないと思います。

それどころか、辛い病の身を鞭打ってでも、相変わらず旦那さまのお世話をしないと、私はいけなくなりそう。

そんな状況は、私が言うまでもなく、娘達も想像できる事でしょうから、子供達には心配と迷惑をかけるだけ。

ですから、私が長期間、床に伏す生活は、何としても避けたいことです。

 

とは言え、病は晴天の霹靂の如く襲ってくることがありますものね~

特に、私のようにお医者嫌いで不養生な暮しをしている人間にはありがちな事。

病は、しばしば自己責任の範疇で起きる、と思えば、改めて養生ある暮らしの大切さを思わないではおられません

でも、これがなかなかです。

家事、その他の諸事を優先して、定期検診等もつい後回しにしがち。

皆さまは、如何ですか?

 

私は、娘達によく注意しています。

「今は医学が進歩し、ほとんどの病は早期発見できれば、治る時代よ。

家族のためにも、毎年必ず健康診断を受けてね。

勤め人のストレスは大変なものでしょ~

病にむしばまれる確率が高いと思うから、お願い!」

それに対する娘達の答えは、

「会社では毎年、健康診断を受けることが義務化されているから、心配しなくて大丈夫よ」

「それなら安心だけれど、出来ればもっと念入りに検査して貰える人間ドッグを受けてほしいの」

と私はよく言っています。

 

そう言う私は、何もしていませんから、そんな意見を言う資格などないのですけれどね~(笑)

親心で、言わずにはおられません。

 

 

一方、夫の病は、不養生もその一因とは言えないところがあります。

肝臓がんは、C型肝炎によるものですし。

亡義父が内科の開業医で、その注射針が原因のようです。

眼の難病も遺伝的要素があり、予防云々では、どうしようもないことでした。

今回の大腸がんも、二か所の病院で、年に幾度も定期検診を受けていたにもかかわらず、早期発見ができなかったこと。

宿命的な病と言えないでもありませんね~

 

喫煙と飲酒は、多少影響したのかもしれません。

肝臓がんの診断を受けた後、いずれも見事に断ち、さすがYさん、と私も娘達も、その潔い決断に驚きを隠せないほど感嘆したものでしたが。

ところが、それも意志貫徹とはいかず、陰でこそこそ吸うようになったようでした。

 

或る日のこと。

夫が喫煙中に、書斎に突然入った私。

Yさんがたばこを吸っている姿を目撃し、ビックリしました。

すると同時に、書斎机の前の小窓から、慌てて吸い殻をポイっと、坪庭に向けて投げ捨てたYさん。

まるで子供のような挙動を執る旦那さまに、呆れ返っててしまった私ですが。

同じことを懲りず、その後も、幾度も繰り返します。

その無邪気さに、呆れるを通り越し、可愛らしくさえ感じることがありました。(笑)

私は、「たばこを吸ってがんになっても、同情してあげないわよ~」

と。

 

今回の病気における初診で、先生から、日にたばこを何本くらい吸いますか、と問診を受けた旦那さま。

もうばれても仕方ない、と観念したようで、正直に、

「以前は15本くらいでしたが、今は5本程度です」

と答えていました。

私は、「5本も吸っていたの?」と、内心びっくり!

恐らく散歩時、必ず寄るカフェで、私の目も気にしないで、のびのび吸っていたのでしょうね~(笑)

 

たばこを吸ってたから大腸癌になった、と断定できる程、その因果関係は単純なものではないでしょう。

従来の本数を三分の一にまで減本したその努力を買ってあげるべきかもしれません。

でも今回の病でさすがに懲りて、煙草もお酒同様、止めてくれることを期待しています。

 

 

さて、最後になりましたが、整形外科における私の症状の、医師の診断は。

ストレスからくる痛みと懲りでしょう、とのことでした。

「NHKで最近報道された番組を観ませんでしたか?」

懲りの原因は、ほとんどがストレスによるものです、とおっしゃいました。

 

胸の痛む個所も、そこは肋骨の下に当たり、肺には関係ありません。

ストレスを抱えるとよく痛むところです。

骨には全く異常が見られません。

薬を服用しても、相変わらず痛むようなら、内科的疾患が疑われますから、そちらの診察を受けるようにして下さい、との事でした。

 

私が不安になった、肺がんの疑いはない様で、一安心!

その後、順調に胸の痛みは回復し、今ではその症状はほとんど感じられません。

ストレスと言われ、私の今の暮らしの現状から、心から納得していますが、今の生活は、まだ当分続きそう。

 

診察の際受けた施術が、キセノコー治療とウォーターベッドマサージ。

どちらもとても気持ちよく、体が軽くなった感じがしました。

先生に、このマーサージのみ受けに来てもいいですか、とお尋ねしたところ、

「どうぞ、どうぞ、お気軽においで下さい。そういう方が多いです」と。

 

でも国の保険に甘えて、医療費を無駄に使うのは申し訳ない気がしてしまう、今の世相。

厳しい財政事情を察して、ほどほどに利用することに致しましょう。

 

それにしても、私の旦那さま、本当に回復に向かっているのかしら。

先生の良いご報告にもかかわらず、ますます食欲が落ち、気力も減退しているように見えます。

又胸の痛みが始まりそうな、ストレス多い暮らしが相変わらず続いています。

思いがけない友人の悲しい訃報もありました。

澄んだ秋空さえ、物悲しく私の目には映るこの頃。

こんな暗いことは言わないで、青空に向かって、大きく手を広げ深呼吸をし、

「さぁ~元気を出して!」

と自分を励ます事に致します。

 

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思いがけない嬉しい診断

2013-11-18 08:18:38 | 病気

今年の秋はぐずついたお天気が多く、爽やかな秋晴れが例年に比べ、少なかったように思います。

ところが晩秋となり、やっと秋らしい澄んだ青空が、連日続くようになってきました。

退院後初めて夫に付き添い、T大病院に出かけた日も、小春日和で、まさに抜けるような青い空。

良い幸先を予感させてくれるかのようでした。

 

未だに熱の上がり下がりが激しく、下のコントロールもほとんで利かない旦那さまです。

私の介添えがあるといはいえ、この状態で病院に無事にたどり着けるのかしら?

診察日の数日前から、私は不安でなりませんでした。

 

T大病院のあるキャンパスの建物 法学部?

 

娘達も心配する一方、時期的に仕事がとても多忙で、会社を休める状況ではないようです。

長女は、「タクシー代は私が払うから、往復、車を利用してね」と、言ってくれます。

私はどのような交通手段を取るべきか、しばらく思案にくれました。

結局、行きは通常通り、電車と最寄駅までの往復はタクシーを利用にすることにしました。

帰りは、夫の体調次第で決めることに。

 

多少冒険的な事ではありましたが、熱がなくお腹の張りも軽い時は、割と元気な旦那さま。

顔色も、悪くありません。

妹とこの様子が話題になる度に、Yさんの強靭な精神力に感心。

「私達には真似のできないこと」と、いつも言い合っています

退院後も、食事が余り取れず、高熱の上げ下げが一カ月にも及べば、体力が消耗し、床から離れる気力も失せてしまうのが普通ではないでしょうか。

 

この不思議な状況は、この度の検査結果と主治医のお話しから、とても納得できたことなのですが。

そのお話は、あとで述べることに致しますね。

 

 

 

病院に出かける当日、その心準備で気が張っていたのでしょうか。

旦那さまの顔つきはしっかりしていて、割と元気そう。

私はその様子を見て、Yさんに言いました。

「昨夜話した通りに、通常のルートでいつも通りの交通機関を利用して出かけない?

運動不足解消にもなるから。

いつもよりかなり時間がかかると思うから、早目に出て、ゆっくり向かえば、大丈夫ではないかしら。。

多少不安でも、思い切った行動を取ることで、自分の体力に自信が付いて、元気も湧いてくると思うの・・・・・・・」、と。

夫も、「それでいい」と言ってくれました。

 

大層気がかりではありましたが、幾分緊張した面持ちで家を出た私達。

万一の場合に備え、キャり―カ―トには、リハビリパンツ以外に着替えの衣服一式も詰めました。

しかし幸いにも、その後は何の支障もなく、爽やかなお天気にも助けられ、無事病院に辿り着くことができた私達です。

 

三四郎池 臆病な私は、降りるのはここまでが限界(笑)

 

生理検査室での採血後、さぁ~いよいよ主治医のK先生との面談です。

夫は退院後も高熱が続き、便の通りも悪く、とても快方に向かっているようには私には見えません。

ですから、厳しいお話しが予想され、胸が今にも高鳴りそう。

緊張した心持で、夫の順番を1時間近く待ったでしょうか。

 

少々待ちくたびれてきたころ、ポケットベルが鳴り、診察室へ。

二週間ぶりにお目にかかったK先生。

病室に見えた時より、多少印象が変わり、威風堂々としたお姿として我が目には映りました。

 

入院中、大変お世話になったお礼を申し上げ、「先生のその後いかがですか」の質問にお応えした私達。

自宅療養中の、あまり芳しくない状況をお話ししました

そしていよいよ、先生の診断によるご説明です。

それは、夫のこれまでの状況からして、信じ難いほど嬉しい内容でした。

 

熱があるようですが、バイ菌感染、肺炎の懸念も一切ありません。

腫瘍マーカーも、ほとんど正常値です。

栄養状態も、非常にいいですね~

からだ全体の栄養バランスもとても良好で、申し分ない状態です。

白血球も正常です。

肝臓にも全く異常が見られません。

放射線治療の効果が非常によく出ている様子が、血液検査の結果から分かります

この良好な状態を維持し、もう少し体力が回復したなら、手術に入りましょう。

 

恐らく、このお話しを伺った時の私の顔は、安堵と喜びに溢れ、さぞ輝いていたに違いありません。

医師の言葉を一言、一言確認するかのように頷く旦那さまの表情も、とても明るく私の目には映りました。

 

 

その後、さらに先生のお話しが続き、熱の原因を突き止めるために、臨時受付でCTを撮ることに。

発熱の原因は、放射線治療の副作用で必ず起きる大腸炎の個所に膿が溜まっているのかもしれない、とのことでした。

ところが、撮ったCTの画像によると大腸には全く問題なし。

その下の直腸が放射線直腸炎で浮腫を起こしている事が判明しました。。

そのため、通り道がとても細くなり、食べた物が、大腸に溜まる一方だったようです。

それ故の夫の不快感だったのでしょう。

 

しかし、その割には熱が下がると、旦那さまが普段と変わりない様子に戻ったりし、不思議でならなかった私ですが・・・・・

その理由は、副作用で、炎症が起きて当たり前の大腸に全く異常がなかったからのようです。

細々とした食生活ながら、それが幸いし、私が気を遣った食事の栄養が十分に体に吸収されていたのですね~

私の努力の甲斐も多少あったのかしら。

栄養状態がすこぶる良好!と食生活の質の高さを、肝臓治療担当の先生と同様に褒めていただき、主婦として、こんなに嬉しいことはありませんでした。

 

私は、夫の日々の体の不調と発熱の原因が分からず、不安でなりませんでしたが。

先生のお話しを伺い、体に鬱積していた澱のようなものが、洗い流されたような気持ちに。

心の重荷が一気に軽くなりました。

 

CT検査の前に放射線治療の担当医にもお会いしました。

いつも通り、副作用の症状をチェックするアンケートに記入するのですが、放射線治療は、確かに副作用が軽いです。

ほとんどの項目がなしで、夫がチェックを入れたのは下痢と食欲不振くらい。。

吐き気、皮膚疾患もなく、その他の症状も該当せず。

夫が書きん込むのを私は傍らで見ながら、心の片隅で誓っていました。

「万一、自分が癌を患ったなら、たとえ連日の通いで大変でも、放射線治療を希望しよう」と。

とは言っても、症状次第で、こればかりは自分で決められることでもなさそうですね~

個人差もあるでしょう。

 

 

思いがけない喜ばしい報告を、心に抱き締めるようにして病院を後にした私達。

その感想を夫に話す度に、私は安堵感溢れる思いで言いました。

「本当によかったわね~おめでとう!」と、幾度も。

寡黙なYさんが、その度に頷いて、ほっとした表情になるのを見て、なおさら喜びを噛みしめた私ですが、さすがに疲れた様子の旦那さま。

遠方ながら、長女の言葉に甘えて、帰りはタクシーで家路に就いた私達です。

 

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老老介護かしら?

2013-11-16 06:04:09 | 病気

今年も余す日数は、ほぼひと月半。

齢を重ねるごとに、相変わらず時の経過が加速度を増していくようで、この調子ですと、私の余生も、あっという間に終わってしまいそう。

益々、1日、1日の掛け替えのなさを思う昨今ですが・・・・・・

その思いに応え、悔いのない素敵な暮らしを日々紡んでいるかと問われると、何だかチョッとうなだれてしまいそう。

今の私は、老老介護のような、かなり厳しい生活を送っています。

 

しかし、充実した暮らしとは、必ずしも、日々を楽しんで暮らすことばかりではないでしょう。

逆境の中にあっても、心の持ちよう次第で、「今日は一番素敵」に限りなく近い生活は可能なはず。

そう思って、自らを励まし支え、元気付けて暮らす日々ですが・・・・・・

「言うは易く行うは難し」で、きれいごと通りにはなかなかまいりませんね~

 

チェリーセージ

 

退院してからは、想像以上の忙しさで、毎日、家事と夫の世話に追われています。

病を患っているとは言え、自分の身の回りのことは自分で或る程度でき、落ち着いた暮らしぶりの旦那さま。

むろん、気難しさが、いっそう強くなってはいますが、それは止むを得ないことでしょう。

な~んて、如何にも理解ある妻のようですが、この気難しさと不機嫌さにかなり閉口もしている私です。

 

しかし、旦那さまの辛さは、私の想像異常なのかもしれません。

数日前の昼食時のことです。

Yさんが言うに、「昨日の午前中と同じように、朝から腸液も便も一切出ないで、異常にお腹が張って苦しい」と。

私が用意した食事にも、ほとんど手を付けません。

そして、床に中腰で座り込み、食卓の椅子に顔を伏せています。

最近、ときどきする姿勢で、その状態が体の不快さを、多少楽にしてくれるようなんですね~

 

そんな旦那さまの辛そうな姿を観ると、私も食事を勧めるどころではありません。

腸閉塞がとても恐ろしいからです。

そして、その姿のまま、Yさんが一言吐き出すかのように、次のようにつぶやきました。

「なんで、こんな思いをしなければならないのだ」と。

 

病と闘っている最中も、全く弱音を吐くことなく、淡々と冷静に日々が送れる強靭な精神の持ち主のYさん。

私は時に余りに心配が高じ、率直にその気持ちを伝えることがあります。

すると、「なぜ、そんな悲観的な事を言うのだ」とYさんは、いつも私をたしなめます。

 

夫から、「なんで、こんな思い・・・・・・」との弱気な言葉を初めて聞いた私。

私のストレスは頂点に達してしまうほど、不安になりました。

「ただ事ではないのでは?」と。

 

 

 

退院後、一向に熱は下がらず、37度台から39℃前後を行きつ戻りつで、37度に下がっても、それは解熱剤を使用しているからにすぎません。

肛門の機能はすっかり失われています。

リハビリ用の紙パンツとパットで凌いでいますが、それでもパジャマとシーツの頻繁な汚れが避けられません。

お洗濯が追い付かないほどで、時に「また?」と、その後始末に胸塞がる思いとなり、介護する私は、涙声になりそう。

けれど、本人は、もっと自分へのふがいなさで苦しんでいるに違いありません。

できるだけ平静さを装って、元気に明るく振る舞うよう、心掛けてはいますが。

 

少し前までは、家事の片手間に夫の世話ができると見ていた私です。

しかし、それは余りに甘い考えであることが、次第に分かってきました。

とは言え、夫の頭は相変わらず頭脳明晰で、私よりはるかに記憶力もよく、性格の崩壊は無論ありません。

それにもかかわらず、想像以上の大変さ。

自分の疲労がどんどん濃くなっていくのが分かります。

改めて、認知症の方を介護するご家族の苦労を思わないではいられません。

 

 

 

私も十数年前、すでに両親の介護で経験済みの身ですが。

その頃はまだ50代で、今よりはるかに元気。

身も軽く、妹、家族も協力してくれました。

しかし、今は老老介護の上、周りの身内も、それぞれ自分の仕事や子供の事に追われて、協力を気軽に頼める雰囲気ではありません。

 

恐らく、夫の病が、しもの症状といった特異性のゆえ、汚れのお洗濯ものに追われ、いっそう介護の厳しさを強く感じてしまうのでしょう。

そんな苦労を味わい、心が次第に張り詰めていく中、私は改めて実感し、反省したことがあります。

 

病人の世話は、家事の片手間や思い付きでやってはだめ、とう言うこと。

しかし自己犠牲を払って、そのことのみに専念するのも賢い対応とは思えません。

このような逆境にいるからこそ、暮らしの潤いと、心の余裕を維持する努力が大切ですね~。

 

私は日々の生活で、生活のリズムを非常に大切にして暮らしています。

そのリズムを作るために日々利用しているツールが、当ブログで幾度もご紹介したタイマーなのですが。

そして、数日前思ったことは、用事があろうとなかろうと、数十分置きに必ず夫のもとに行って声をかけ、身の回りの世話をするように心がけよう、と。

そうすれば、早めに早めに対応でき、介護の諸事を慌てないで落ち着いてこなす事が出来るかもしれません。

旦那さまが、病の重荷を軽くして、多少でも日々を快適に過ごせるように、もっともっと気を遣ってあげなければ、と思うこの頃です。

 

とは言え、余りに自己中心的なわがままを言われると、つい悲しくなり愚痴の一つや二つ出てしまう私。

又、「言うは易く行うは難し」の文句を、思い出してしまいました。

 

この記事は、前回の記事投稿前から、家事の合間にボツボツ綴っていたものです。

実は前記事の投稿日の午後、退院後初めての診察を、T大病院で受けてきました。

その際の血液などの検査報告は思いがけない内容で、感極まってしまうほど、嬉しいものでした。

当記事は、かなり暗いものですが、この時点では、ありのままの心情でしたので、このまま投稿させて頂きます。

 

      

 

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10月1日の日記 息苦しさから解き放たれて・・・・・・

2013-11-14 07:53:20 | 病気

又今日は、過去の日記に戻ります。

 

爽やかな季節を迎え、澄んだ青空と真っ白な秋雲のコントラストが何とも鮮やか日々です

心地よい日和のお陰もあるのでしょうか。

心配事が尽きない日々ながら、毎日、前向きの明るさは失わないで、元気に私は暮らしています。

1~2日置きの病院通いは大変ながら、家事も順調に捗っていると言ってよいでしょう。

何故か呼吸の苦しさの症状も、今はすっかり治まリ助かっています。

思い起こすに、この息苦しさの発端は、旦那さまの最初の手術が終わった頃のことでした。。

 

私はいつもそうですが、重大事が起きると、その期間は心が張り詰めているせいか、割と元気にその課題に取り組めます。

そして無事に何とか乗り超えるのですが・・・・・・

その緊張の糸が切れた時が、油断大敵。

幾度か過労で倒れ、緊急入院といった憂き目を味わってきました。

 

 

原因不明の息苦しさに始めて襲われたのも、まさにそのようなタイミング。

夫が肝臓がんの最初の手術を受け、夏の終わりに退院。

順調に回復し、翌年の五月の連休後半、次女家族と旅行をして帰宅後、間もなくのことでした。

旅行もできる程、元気になり、これで旦那さまはもう大丈夫、と一気に気が抜けてしまったのかもしれません。

その後数年間、首の異常なだるさと息苦しさに悩まされる事に。

その間に、夫の肝臓がんの再発もありました。

首にコルセットを装着して病院通いしたのが、今では懐かしくも、余り思い出したくない記憶です。

 

今回も、今は気持が張り詰めているせいか、いやな症状に見舞われる事は幸いにしてありません。

数年間にわたる自らの症状の原因は、精神的な事、あるいは自律神経失調によるものと勝手に自分で決め込んで、納得出来たのが確か去年の冬頃でした。

不思議な事に、自らを自分で説得して以来、その症状が和らいできたように思います。

原因や理由が分からない時、人は一番不安で、悲観的になるものでは。

その思いが益々病状を悪化させるといった悪循環に陥ってしまうものかもしれません。

気持ちを楽にするためには、原因が判明しなくても、無理やりにでも、自分を納得させる口実を作ることも大切ですね~

 

私は症状がひどい時は、お医者嫌いながら、さすがに心配になり、何度も医者通いをし、病院や医院で検査を受けました。

しかし異常は見られませんでした。

ゆえに、最後は自分自身で理由を見付け、強引に自らを納得させてしまったと言うことなのでしょう。(笑)

 

 

しかしその後も、突然その症状がまた現れ、しばらく持続するのも確か。

完治の確信は未だに持てていませんが、一つ言えることは、夏の暑さが、この症状を併発する一因のようにも。

今春はおさまっていた息苦しさが、猛暑の頃になると又現れ、暑さと息苦しさの二重の責め苦に悩まされた私です。

但し、去年に比べると、遥かに元気で、その息苦しさの程度も、作夏ほどはひどくなりませんでした。

厳しい暑さも一因とは言え、猛暑で酸素が薄くなるわけがありませんのにね~(笑)

でも異常な熱気で、息が出来ないように感じるのは、もしかすると私だけではないのかもしれません。

けれど、その症状はとてつもないストレスをもたらします。

私はよく旦那さまに言いました。

「誰かが、私の首の根っこを締め付けているようで、苦し~い」なんて。

でもそんな時、気にしな~い、気にしな~いで通すしかない私。

ストレスを抱えても、いつまでもくよくよしない能天気な性格が、私を支えてくれています。

 

 

旦那さまが病と闘っている間は、自分はしっかりしなければ、との思いが常にあります。

ですから、恐らくこの息苦しくなる症状は、多少私を不憫に感じて遠慮し、近寄らないでいてくれるのかもしれません。

放射線の治療が終了。その後の手術経過が良好なのを見届けたころが、いちばん油断大敵。

もう二度と、私に忍び寄ってほしくない小悪魔です。

どうか正常に呼吸ができる今の健常な体が、いつまでも続きますように。

 

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あなたの理想の医師像は?

2013-11-12 08:14:36 | 病気

お医者嫌いの私も、ここ数年は体調を崩し余りに辛く、医院に通うことが度々ありました。

更に、その十数年前には、両親の介護で日中、病院に入り浸りの時期もあり、実に多くのお医者様と接してきました。

最近も言わずもがなで、夫が医療の恩恵を受け、お医者様には頭が下がりっ放しの日々です.

感謝の念に堪えないでいます。

 

前々回では、大変お世話になっている医師の陰口をたたき、あとから少々自己嫌悪に陥ってしまった私。

山より高く海より深し、といった思いで、その有難さは、言葉で言い尽くせないものがあります。

そのお陰で、肝臓はすっかりよくなり、健康な人と変わりない状態にまで、夫は戻ることができました。。

私には理想の医師像に見え、120%(笑)の信頼を寄せていた方です。

先日お目にかかった時の数々の言葉は、意外感でいっぱいでしたが、私の受け止め方にも、少々誤解があるのかもしれません。

120%の20パーセントがはげ落ちたと言うことに致しましょう。

素晴らしい先生とは言え、まだ若夫婦と同じお年頃。

人の命を預かり、厳しい外科手術に臨まれる日々。

疲労が重なり、ストレスを感じておられるに違いありません。

なにを言っても腹を立てそうに見えない私が、その発散の良い対象だったのかもしれませんね~(笑)

 

 

さて、前回の記事は、大変嬉しい事がありました、とのお話しで終わりました。

そのことについて、今日は多少詳しく綴ることに致します。

もう一年以上前の事でしょうか。

バス停で、自治会のお当番で班長をしていた頃、顔見知りになった、私と同年配の奥様と立ち話をする機会がありました。

その時、かかりつけ医のことが話題となり、その方のお世話になっている医院を紹介して頂きました。

私は未だに、心から信頼ができる個人医院に、巡り会えていませんから。

 

その旨お話ししたところ、

「自分の先生は、とても優しい方で、よく面倒をみて下さる」

と言われました。

そして次のようにおっしゃいました。

「体調を崩し診察していただくと、時に、我が家に、その後の様子を心配してお電話をかけて下さることがあるのよ。

そんなこと、私の人生で初めてのことだったから、とても感激したの」と。

そう言われれば、私も同様で、個人医院でも病院でも、そんなお電話をいただいた事は一度もありません。

 

今通っているT大病院では、表玄関先に、一日の診察予約患者数が表示されています。

その数は、毎日ほぼ3千から4千台ではなかったでしょうか。

高齢化社会になり、診察を受ける人はますます増え、諸先生方のご多忙は察するに余りあるものがあります。

患者一人一人へのきめ細やかな対応を望むほうが、我儘というものなのかもしれません。

そのような接し方をなさると、患者の診察待ち時間が異常に長くなり、それも問題ですものね~

 

 

ところが、年配の如何にもお偉そうな主治医の先生が、何とわざわざ私の自宅に、数日前お電話をかけて下さったのです。

「その後、如何ですか?気になりましたから、お電話しました。」とおっしゃいました。

心細い思いで暮らしていた私が、いかに感激したかは、言うまでもありません。

家族に病人がいて、その症状が思わしくありませんと、不安が尽きないものです。

わざわざ自宅にまでお声ををかけて下さった先生のお優しさは、言葉では言い尽くせないほど有難く・・・・・・

胸熱くなる思いで、精一杯のお礼を申し上げた私です。

私が最初、夫の様子を話し、その後、Yさんが、今の状況を先生に詳しくお伝えしました。

 

夫がお世話になっているT大病院では、いつも三名の医師がチームを組んで、病室を回診しておられます。

主治医となって下さった医師のメンバーが、夫の病室に来て下さったのは、入院後、しばらく経過してのことでした。

当初数週間は、前にも触れた、官僚タイプのチョッと冷ややかな雰囲気の先生。

無駄口はしゃべれない方だな~との印象で受け止めていた私です。

とはいえ、あくまで、これは私の第一印象に過ぎませんが。

但し、旦那さまも、私とは違った表現でしたが、余り好感を抱いていないのが分かりました。

「患者の言うことは聞かないで、一方的にしゃべる先生だ」と。

 

ところが主治医の先生は、夫も私も大変気に入り、心から信頼を寄せています。

私が初めてお目にかかった時、一目で、先生の温かさ、包容力を感じ、幸運な出会いを心から喜びました。

実に落ち着いた物腰。

柔らかなトーンの口調でお話しになられ、患者の言葉にも、真摯に耳を傾けて下さいます。

全体から醸し出される雰囲気は、私が尊敬して止まない、財界の稲盛和夫氏に似ていらっしゃるようにも。

 

更に嬉しいことは、その先生に従っておられる若い医師たちの雰囲気とお人柄の素晴らしさ。

一番若く見える男性医師は、純情で誠実そのものといった感じ。

今後の成長がとても期待できるようなお方です。

 

 

そしてもうひと方の、女性医師の、何と魅力的な事。

まるでマリア様のような優しさと温かさで、患者家族を包んで下さいます。

その穏やかな優しさと知性あふれる眼差し、美しい顔立ちに接していると、医師もさることながら、女性の理想像を観ているかのよう。

ご年齢は、恐らく娘達と然程お変わりないでしょう。

同じ女性でありながら、齢を重ねた我が身の未熟さを、恥ずかしく思ってしまう程です。

 

病気になっても、病院では、医師を選ぶことはなかなかできません。

今は情報社会で、名医図鑑などもあります。

夫の肝臓医のように、神の手などと言われるお医者さまに治療していただくことも、十分可能な時代ではありますが・・・・・・

担当医までは選べませんね~

 

肝臓治療を受けている夫の診察室で、私は面白い現象を捉えています。

私の勝手な思い込みかもしれませんので、その点を斟酌し、適当に聞き流して下さいませ。

当病院では、ポケットベルが渡され、それが鳴ると、診察室の前の通路に設置された長いすに腰かけて順番を待ちます。

その廊下には、温かなぬくもりある木製のドア―五つあり、各部屋で、先生方が診察をされているのですが・・・・・・

 

診察室から出てくる患者さんの表情が、明らかに違って、私の目には映るのです。

ひときわ、その表情が明るく輝いて感じられるのは、夫の担当医師の診察室から出てくる患者さん達。

先生のお人柄と、前向きな語りかけが、私達に対してと同様、他の患者さんにも、元気と希望を授けているにちがいありません。

もし孫が将来、医師になったなら、このようなお医者さんであってほしい、と私は願います。

 

しかし、先日夫の近況を知らせにこの診察室を訪れた際は、さぞ沈痛な暗い表情で、その場を私は後にしたことでしょう。

長いお付き合いの間には、こんな日もあって仕方ないのかもしれませんね~

 

いつか、次女家に招かれ夕食を共にした席で、理想の医師像が話題になりました。

次女のお婿さんの弁は

「先生の人柄は然程気にならない。

如何なる時でも適切な治療を施してくれる優秀な医師が、一番の理想」

と。

「果たして私はどうかしら?」と、しばし考え込んでしまいました。

人格か腕のどちらかをあえて選びなさい、と言われたなら、私は人格重視かもしれません。

名医でなくても、せめて並みの医療技術は身に付けていて欲しいですが。

患者の気持ちを察し、優しい言葉で元気づけ励ましてくださるだけで、免疫力が向上し、病と闘う意欲もわいてくるというもの。

皆さまは、理想の医師像に、どんなイメージを抱いていらっしゃいますか?

 

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肺炎が気がかり 私の苦い思い出

2013-11-10 13:20:44 | 病気

私の住む街は、ツリーのイルミネーションが輝き、早、クリスマスムード一色になってきました。

それで、少々早いかしら、と思いましたが・・・・・・

最近の我が家は、クリスマスでワクワク気分になるどころではない雰囲気です。

せめて毎日開く私のブログのテンプレートは、早めにクリスマスの飾りつけにして、逆境の時だからこそ、童心も忘れず、元気に明るく、と願いました。

私の年齢には、少々かわいすぎる絵柄ですが、小さな少女に、娘達の幼い頃と、孫娘の姿を重ねると、とても幸せな気持ちになれます。

今年も、例年と同じこのテンプレートでクリスマスシーズンのブログライフを楽しみたいと思います。

 

夫の赴任でアメリカ滞在中に求めた木製のオーナメントです。

 

昨日は大層重いお話しをしてしまいましたので、今日は草花のお話でもして、ブログ気分を一新したいところですが・・・・・・

夫の容態は退院後も良好とは言えず、ここ一両日、ますます心配な状況になってきました。

そのため、備忘録として、いまの夫の症状を書きとめておこうと思います。

退院後微熱が上下していましたが、一昨日は朝からその熱が高めで、午後には38℃7分まで上がりました。

主治医のK先生から、38℃5分を超えるような事があれば、連絡するように言われていましたので、早速電話をかけた私です。

 

先生のご指示は、もし来られるようであれば、診察をします、と。

しかし、現状から、それはとても無理なことのように思いました。

その後、Yさんが出て、主治医とお話しし、入院中に渡され、まだ数錠残っている解熱剤を服用して、しばらく様子を観ることに。

 

しかし前の晩、解熱剤を服用したにもかかわらず、翌朝も38℃以上あり、熱は下がっていませんでした。

私は、とても心配になりましたが、

「もうしばらくすれば熱は下がってくるよ」

とYさんは、落ち着いた言い振り。

確かにその通りで、お昼前にはには一度36℃台になりましたが、夜はまた上がり、、38度9分に。

 

先生がおっしゃるには、

「下痢や食欲不振は、放射線治療の副作用で、ほとんどの人が経験することで心配ありません。

二週間もすれば、治まってくるはずです。但し、発熱はあまり例がないので気をつけていきましょう」

と。

 

この熱は、もうそろそろひと月に及びます。

私は、一時、院内感染を危惧しましたが、そのような菌は検出されなかった、と聞きホッとしたものです。

でも、いまだにその熱が下がらず、本当に心配。

院内感染に次いで、私がとても心配しているのは肺炎です。

食欲がなく一周り痩せた今の夫に、体力、免疫力共にあろうはずがありません。

高い熱が続けば、肺炎の危険を疎かにはできない、と私は思っています。

 

 

私が、それを懸念して止まないのには、訳があります。

自分自身が、その病気にかかり、三途の川を渡りかけるといった苦い思い出が、過去にあるからです。

 

次女が中学受験を無事に終え、数日後のことです。

次女のインフルエンザが、私に感染しました。

次女の受験前、ほぼ1年間は、人生の縮図のように色々な出来事に見舞われ、疲労困憊している時のことでした。

家の新築の青写真がほぼ出来上がる、といった嬉しい時期でもあったのですが、そのために私の全精力を使い果たした感がありました。

次女の受験にも、いろいろ気を遣って居た私です。

 

ところが受験の当日の朝、Mちゃんの寝息がとても荒く、額に手を当てると火のように熱く仰天。

何と39度台の熱が。

すぐさま、早朝、かかりつけの小児科医院に電話で連絡し、娘を連れていき、注射を打ってもらい、熱冷ましの頓服を服用。

急激に熱が下降したのを見届けて、受験に臨みました。

親子共に、緊急の事態に、不安と緊張感一杯のまま電車に乗り、受験場に向かった私達です。

ところがその車中で、視線を下に向けたところ、次女の履いている靴が、何と日常用の汚れた運動靴でした。

面接もあり、黒の皮靴が相応しかったのですが。

でもその運動靴が、思わぬリラックス効果を生み出してくれました。

思わず親子で、その頓馬な所為に、顔を見合わせ、吹き出して笑ってしまったのです。

その後、急に気が楽になったことを、今でも良く覚えています。

 

次女は高熱を強引に下げて臨んだ受験にもかかわらず、姉が通っている第一志望の中学に無事合格。

インフルエンザの症状も、みるみる快方に向かっていきました。

ところが数日経つと、同じ症状が現れ、今度は私が寝込んでしまいました。

それまでの1年間、多忙を極め疲れ切った体には、抵抗力も免疫力もまるでなかったのでしょう。

一向によくなってくれません。

熱冷ましの頓服を飲み、一時的に下がっても、また39度台まで上がると言った症状の繰り返しで、自らの体力が次第に弱っていくのが、自分でもよく分かりました。

そのころ、、母が上京し、一緒に暮らしていました。

風邪で寝込んではいましたが、家族の事は母に任せていられ安心していたのですが。

そしてある日の夕食。

私はいつになく食欲がわき、一瞬息を吹き返したかのように元気になりました。

その夜のことです。

 

 

真夜中、幸いにも目が覚め、自分が虫の息であることに気が付いたのです。

大きな重しが肺と心臓を押しつぶしていると言えば良いでしょうか。

臨終前の、波動のない一直線の心電図のような状態だった、と言ってももいいかもしれません。

浅い呼吸で、ほとんど息が出来ない状態でした。

気丈にも、隣の夫にか細い声で呼びかけ、救急車を至急呼んでほしい、と自らお願いした私です。

 

Yさん、母、子供達も、さぞ驚いたことでしょう。

私は意識が薄れる中、覚えているのは、救急隊員が手足などのマッサージをしていたことぐらいでしょうか。

上の血圧が、40あたりまで下がったようでした。

真夜中に、まだ命を落とすのは早過ぎる、と神様が思われ、私を起こして下さったのかもしれません。

目が覚めないで、そのまま朝を迎えたなら、家族が気が付いた時には、この世の人でなくなっていたかもしれませんね~

 

入院してからは、数日、酸素マスクをつけた状態でした。

退院してからも、半年くらい突然地の底に沈むような感覚に度々襲われ、苦労しました。

けれど、くよくよしないどこかいい加減さがある性格が、その症状を一年ほどで乗り越えさせてくれました。

 

しかしこの苦い経験は、風邪を甘く見てはいけないことと、肺炎の恐ろしさを痛感させてくれました。

ゆえに、熱が既に一カ月近くに及ぶ夫の症状を、殊更心配してしまう私です。

 

ただ一つ、とても嬉しいことは、旦那さまに食欲が出てきたこと。

昨日の朝は、トースト、オムレツ、リンゴ3切れ、ヨーグルト、コーンスープでしたが、ほとんど残さず食べてくれました。

先生がおっしゃる通り、副作用が治まってきたのかもしれません。

食事がよくでき、体力が付くに従い、熱も下がってくれるとよいのですが・・・・・・

熱が下がれば、私が付き添ってでも、15分程度のお散歩をしてもらいたい、と願っています。

お風呂にもつかりたくて仕方がない様子の旦那さま。

熱が下がった時に、今日は私の介護付きで入浴もさせてあげたいものです。

私なりに工夫し、短時間ですが湯船に浸ってもらい、その中で石鹸を使用して体を手早く洗って上げましょう。

その後、シャワーで洗い流す予定でいます。。

 

直腸がんの患部が、本当に快方に向かっているのか今のところまだ分からず、何とも不安ではありますけれど。

くよくよしても始まりません。

先生を信頼し、毎日、私が出来ることを精一杯努めていくつもりです。

 

他に、昨日の朝、とても感激する嬉しい事がありましたが、それについてのご報告は、日を改めさせていただきますね。

 

      

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倫理的とは思えない理不尽なお話し 9月30日の日記

2013-11-08 11:50:14 | 病気

ここ数日、心の向くままに、近況を綴ってきた私ですが、今日はまた、過去の日記に戻りたいと思います。

未だ投稿していない過去記事は、残り数回分しかありませんが、後は、どんな内容だったかしら?

これまでも、冒頭文を読んだ限りでは、自分が何を書いたか思い出せないことがしばしばありました。

日記なんて、意外とそんなものなのかもしれませんね~

日々の出来事の印象や思いを、つれづれなるままに、ただ記述しているだけに過ぎないことが多いですから。。

 

さて、これからが過去の日記です。

9月30日が、何を指しているのか、書いた本人が良く分からなくなってしまいました。

書きはじめた日なのか、投稿日なのか。

4~5日かけて、少しずつ綴った日もありましたから。

まぁ~どちらでも、いいでしょう.(笑)

しかし、今回の記事は、余りに印象が強烈で、忘れることはありませんでした。

大変な長文ですから、ご多忙な方は、最初からスル―でお願いします。

 

 

三回目の夫の一時帰宅も終わり、いつも通り、病院まで見送ってきた私です。

放射線治療は、25回照射の3分の1にも至っていませんから、入院生活が、まだまだ当分続くことを覚悟しなければなりません。

当初、夫も私も、我が家からは遠方のこの病院で治療を受けること等、全く考えていませんでした。

 

紹介状宛のT大病院の医師にお目にかかり、内視鏡検査結果の報告を受けたうえで、近くの病院に転院する予定だったのです。

初診の際、手にした問診票の最後に、自由になんでも書きこめる欄がありました。

そこに、遠方による通院の困難さと懸念を夫は書き込み、口頭でもその旨、医師に伝えしました。

ところが、一切考慮はしてもらえず、或いは心に留める時間的余裕がおありでなかったのかもしれません。

それほど夫の患部の状態は緊急を要するものだったのでしょうか?

即、入院の手続きへとお話しが進んでしまったのです。

さらに検査入院の途中で、検査結果と今後の治療報告を受けた際も、25日連日の通院は無理であることを伝えました。

その折、「入院はできませんか」と一度だけお尋ねした私です。

それ以上お願いした覚えは全くありません。(後述の文章とこれがとても重要な関わりがあります。)

 

結局、夫が目の難病を患い不自由な身で暮らしいることが考慮され、検査入院後引き続き、放射線治療のための入院も認められました。

交通の便が良い二か所の病院のいずれかにに移る話しを夫としながら、一時帰宅途上にあった時のことです。

携帯に、このご連絡を頂いたは。

素直に喜び感謝した私達です。

この病院で元外科部長をされていたM医師の患者ということも、異例の扱いをして下さった一因のようでした。。

 

上記の内容は、後半で記す「重いお話し」に関連があります。

伏線、と思って下さいね。

 

T大の構内の建造物です

 

検査入院終了後、そのまま引き続き、治療のための入院がスタートしました。

その後、毎日患部に5~6分間放射線を照射する治療が続いています。

果たして順調にその効果が現れているのでしょうか。

旦那さまは、いつもと変わりない様子で、副作用は全く生じていないようです。

 

夫から言いだしたことですが、今回の一時帰宅は、初めて一人で戻ってきたYさん。

早速、体調の具合を聞いいたところ、、「食欲がなくなってきた」と言いました。

ついに副作用、と私は一瞬身構え心配になりましたが、我が家では私が出す手料理を、すべてペロッとたいらげ、その不安は瞬く間に解消。

とても安心しました。

 

妹夫婦が先週の中頃お見舞いに行ってくれましたが、穏やかで元気そうな印象を、夫から受けたようです。

実は、妹達がお見舞してくれていた頃、私は肝臓がん治療の担当医に、夫の近況を知らせるべくお会いしていました。

そこで、実に複雑なお話を聞かされ、何とも後味の悪いことに・・・・・・

 

その先生が、T大の卒業生であることも、今回のお話しで初めて私は知りました。

年頃は、娘達と変わらない雰囲気の先生でいらっしゃいます。

もしや同じ時代に、学びの舎を共にしておられたのかもしれません。

その大学の医学生は、天才、といってもいい一握りの人種の方達。

狂気と天才は紙一重なんていいますものね~

私には、近寄りがたい多少怖れをなす領域の人達に見えます。

 

しかし、担当医の先生は、なかなかハンサムで、笑顔の実にさわやかな方。

T大の医学部生だったようには、全く見えません。

お話はいつも前向きで明るく、お会いするたびに元気を授けて下さいました。

まさに理想の医師像、といった印象で、私は受け止め、年甲斐もなく、憧れの気持ちさえ抱いていました。

 

 

むろん、大腸がんの件では、この先生を立てることに気を配った私です。

最寄りの病院で診察を受け、内視鏡検査を勧められた時も、まず最初にこの先生にお電話をかけ、ご相談に乗って頂きました。

先生の病院は、二週間先まで予約の申し込みが受け付けられない状況とかで、個人の内視鏡専門のクリニックを勧めて下さいました。

 

そのクリニックで大腸がんと診断され、紹介状を手渡されたこと。

T大病院のW医師宛であることも伝えました。

宛先の医師について、「とても権威ある先生で、その人に会えるのは幸運な事です」とまでおっしゃいました。

更に、「夜でもお会いしたい、と強くお願いし、できるだけ早く診察を受けるように」とも。

 

私なりにお世話になっている先生を精一杯立てたうえでの、その後の行動を取ったつもりです。

むろん、担当医の病院での治療を進めて下されば、そのようにするつもりだったのですが。

そのようなお話は、一切ありませんでした。

 

このような経緯を辿り、肝臓の担当医にお会いした私です。

夫の病状を詳しく説明させていただくつもりでしたが、すでにT大病院から、連絡が入っていて、詳しい内容を、ご存じでびっくりしました。

その連絡後、カルテもすべて、送り届けて下さったようです。

私はゆえに、それ以上お伝えすることもなく、お礼のみを申し上げました。

院長先生の患者という理由で、特別扱いの入院が許可され、大変助かったことを。

 

                            正門に通じる銀杏並木 両側の建物が法学部、文学部のようです。

この時からでしょうか。

先生の雰囲気が急に変わりました。

 

まず驚いたのは、「院長にはまだこの話は報告していません。院長にお礼をしたいのなら、私を通して下さい」との言葉。

私達は、術中に説明を受けた以外、主治医にお目にかかったことは一度もありません。

もう一度、ありました。

退院時に、お礼のご挨拶をさせて頂くために。

これでは、金品の授受を匂わされているのも同然の気がしました。

そして、次に夫の長期入院を厳しく批判されたのです。

 

患者が長期入院をすると、病院は数百万の損失を被る、と。

長期入院の場合は、患者は、ホテル住まい或いは賃貸のマンション等に住んで、通院する人が多い。

或いは子供たちが全面的にサポートし送り迎えもするものですよ、と。

 

私は、こんな言葉が、理想の医師像と敬愛してやまなかった先生の口から吐かれていることに、驚き、暗然としました。

家庭には、それぞれの事情があります。

むろん、入院は私達が強く望んだことではない、といいましたが、先生の耳には、ほとんど届いていない雰囲気でした。

そして、患者は医師によい治療をしてもらうように気を遣うことが一番大切、とまで言われ、さらに大きなショックを受けた私です。

夫が、この病院に戻ると、T大病院は困るのですよ、とまで。

何がいけないの?

私の心のうちでは、?のマークでいっぱい。

更に、検査まで受けて転院を希望するのは医師に大変失礼な行為だとまで言われました。

 

他にもいろいろ聞かされましたが、私はまるで白い巨頭の世界に紛れ込んだかのよう。

頭が混乱し、先生の一言一言をショックを受けながら傾聴するのが精いっぱい。

そんな雰囲気を察しられたのでしょう。

身を乗り出すようにして、

「私が言わんとすることが分かりますか?」

と、お話しの途中、幾度もおっしゃいました。

何だか、とても、とても奥の深いお話しのようにも聴こえました。。

 

私には、納得できない理解不能なお話しばかりでしたが、「分かりますか?」の三度目くらいの質問に

「理解できるような気も多少してきました。医学界は、厳しい世界なのですね~」

と、わけのわからない感慨を述べた私です。

すると先生が、

「その通りです」

とおっしゃいました。

 

 T大の正門

 

T病院と、N病院の間に何か確執でもあるのでしょうか。

或いは、主治医の院長先生、担当医とT大病院との間に何かが存在するのでしょうか。

夫がT大病院で治療をすることが、余程お気に召さない印象を、私は受けました。

夫に私がその報告をすると、私とは違った感想を、次のように述べました。

「定期的に、検査と診察をしていたにもかかわらず、大腸がんを見落とした落ち度を主治医に厳しくたしなめられ、お前に当たっただけではないか」と。

 

中には患者さんが、見落としを指摘して、苦情を訴えても不思議ではないような事。

私はむろん、そんなことを言ってませんし、触れてもいません。

内心では、医師から一言お詫びがあってもいいのでは、といった気持が無きにしも非ずでしたが。

 

今まで良好な関係が築かれていて、この先生のお陰で、明るい希望を常に抱き、夫の闘病生活に臨めると、心から感謝していました。

その信頼が、一気に失望と不信感に変わり、この落差をいかように埋めれば良いのか、戸惑うばかりです。

いまだにそのショックから完全には、私は立ち直れていません。

 

最近、旦那さまに数度、次のように話しました。

「遠くて通うのが大変だけれど、肝臓の治療もT大病院にお願いし、病院を一本化しない?

私、~先生への信頼が地に落ちてしまって、いまだにそのショックから立ち直れないでいるの。

この度のことで、先生の気分を害してしまったから、今後、どのような扱いをあなたがされるか心配でならないわ。

患者の対応次第で、治療が変わるかのような口ぶりだったのですもの。」

 

私はその時のことを思い出すたびに、未だに少々落ち込みます。

私の大切な旦那さまが、訳の分からない病院の闇の世界に巻き込まれてしまったかのようで、何ともやりきれない気持ちでいます。

昨夜の電話での、妹夢路の感想は、「病院選びは、本当に難しいわね~」でした。

 

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秋冷がひとしお身に染みるこの頃 元気に明るく

2013-11-06 13:14:01 | 病気

秋が深まリ、折々、紅葉に見惚れるこの頃です。

我が家の小さな拙庭も、シャラ、花水木、紫陽花の葉が染まり、緑の季節とは粧い、趣共に新たに。

赤葉、黄葉と色鮮やかな樹木の姿が、まるで私の心まで、秋色に彩ってくれるよう。

 

私の人生は十分齢を重ね、まさにその秋色。

季節と重ね合わせて受け止めますと、人生で一番素敵な時のようにも感じられてきます。

秋同様、もののあわれを感じ、心深くなる今の年齢が。

春色の青春を謳歌する人達への負け惜しみかしら。

たとえそうであっても、「今が一番素敵」が信条の私ですから、この気持ちを大切にしましょう。

年相応にこの時期を素敵に過ごしたいもの、と強く願います。

 

 

そういえば「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがありました。

実るほどに成長できていない私ですし、頭は呆けかかって軽くなる一方。(笑)

このことわざを噛みしめますと、ちょっと複雑な心境になりますね~

あら!少々ひねくれた受け止め方過ぎました。(笑)

私なりに多少は成長はしたでしょうから、心の頭は垂れて(姿勢は凛として)、謙虚に慎ましく暮らしていかなくては。

そして願わくば、秋色のまま人生の終焉を迎えたいものと。

突然、そんなことを思った私です。

 

ところが、この年末は、一時的にしろ、旦那さまの人生は、季節通りに冬の時代を迎えそうです。

一昨日、退院したばかりのYさん。

とは言え、体調が余りよいとは言えません。

微熱があり、下痢が止まらず(普通の便も出ているとか。)、肛門痛もあるようです。

主治医のお話しでは、放射線治療の副作用なので、止むをえないとのこと。。

二週間ほど経過すれば、この症状が治まってくるようです。

本当にそうなってくれるでしょうか?

 

 

                          夫の病室                           病室の窓からの眺望

 

旦那さまは寡黙な人。

あまり詳しく自分の状態を語ってくれません。

ゆえに、今ひとつYさんの症状が飲み込めない所がある私です。

 

入院し、検査、放射線治療を受け退院するまでに、ほぼ二カ月を要しました。

しばらくの期間、副作用は全くなく、とても元気だったのですけれどね~

後半となり、放射線照射が残すところ、あと4~5回という時になって、急に夫の容態が芳しくなくなってきました。

或る日、旦那さまに体の調子を尋ねたところと、何と、「最悪!」と言いました。

「最悪???」

余りに夫に似つかわしくないこの言葉に、大変驚き、ショックを受けた私です。

 

何故なら、結婚以来、そんな感情的表現を夫が口にしたのは、初めてのように思ったからです。

「何が最悪なの?」と訊いても、相変わらずの反応で、よく私にはその症状が掴めません。

下痢がとても不快らしいのですが、腹痛はないようです。

下痢だけで何故?といった気持が、その当時はありましたが・・・・・・

今は肛門痛もあり、その辛さがとてもよく理解できます。

 

 

退院に備え、食事指導は受けた私でしたが。

ご飯も柔らかめ程度でよく、不溶性の食物繊維の多い食材や揚げ物、刺激の強い香辛料を避けるくらいだったでしょうか。

魚、肉共にいいようですし、果物(缶詰の方が良好だったかしら)、ヨーグルト、牛乳等、ほとんど口にしていいものばかり。

とてもホッとしましたが、旦那様は食欲がまるでありません。

日頃は、お痩せさんなのに、結構な大食家です。

私の料理ブログに掲載した献立程度でしたら、あっという間に、残さず食べてくれます。

私は自分のお皿には、夫の半分程度しか盛らなくても、よく残しますのに。

ですから、その急激な食欲減退ぶりが信じられなくて、心配が募る一方ですが。

 

でも昨日の朝は、簡単にこしらえた朝食を全部食べてくれ感激しました。

退院の日の昼食は、ぶりの照り焼き、卵焼き、冷ややっこ、お粥でした。

夜はタラチリに、カボチャの甘露煮。

 

 

 

食欲が多少でも出て、散歩ができるようになれば、体力が付いてくるのでしょうが。

下痢と肛門痛が止まらないと、それも無理で、先がまだ見えない状態です。

下痢とは言え、一般の認識の下痢とは、なんだか異なる様ですし。

 

夫のお迎えで、車を出してくれた物理学者、次女婿のHさんが、放射線の影響、効果等の出方を説明して、わたしを多少安心させてくれました。

うろ覚えでも、その時のお話しを紹介してもいいのですが、間違ったことを書くと、彼に申し訳ないので止します。

私が言い方を間違えたに過ぎなかったのでしょうが、以前、放射線を放射能と書き、ずいぶん厳しく問い詰められた事がありましたから。(笑)。

先生からも、治療終了後に放射線の効果が表れ、がん細胞が急速に縮小していく、と聞かされています。

 

夫は十時過ぎ、主治医に最後の診察を受け退院。

次女のお婿さんの案内で、物理学部の校舎を教えてもらったりしながら、大学構内を抜け、自宅へと向かいました。

自宅用に買い足した医療品の大荷物を車に積み込んで。

帰宅後の看護が、とても不安な私でしたが、パパと一緒に迎えに来てくれたK君の明るい笑顔とおしゃべりに、ずいぶん心を癒され助かりました。

 

構内をデジカメ散歩した時、Y講堂は残念ながら工事中でした。

Y講堂の裏に物理学部、工学部があるそうです。

安保闘争時さながらの古い建物に、改めて驚きました。

 

その後は、半ば看護師の心境で夫の世話をしている私です。

放射線治療はほぼ一カ月過ぎまで、その効果をチェックすることが出来ないのが、何ともじれったいですが。

くよくよしても始まりませんもの。

元気になることを確信し、年内予定の検査入院と手術を待ちましょう。

秋風が、一層冷たく身に染みる、この頃の私です。

 

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注目記事について

2013-11-03 08:31:49 | ブログ

余すところ過去記事が五つのみとなり、次の記事を推敲して投稿しなければ、と思いつつ・・・・・・

内容が結構重たく、未だにそのショックから完全に立ち直れないでいます。

そのため、なかなかその記事に向かう気になれません。

病院関連のことなのですが。

少々もったいぶった書き方で申し訳ありませんが。

そのため今回も、近況の報告と、最近、私が日本ブログ村へ抱く、或る思いについて綴らせていただきます。

 

 

1昨日は更新をお休みしてしまいましたが(昨日もさぼってしまいました)、その理由は。

早朝、家を出て、病院に向かわなければならなかったからです。

昨日も、夫を迎える準備で、忙しくて。

前の記事でも触れましたが、病院で栄養指導を受けてきました。

私が先生に、夫の退院後の食事のことが心配でお尋ねしたところ、この指導を受けますか、と言われ、、早速申し込みました。

ところが栄養士さんの空いている時間が、朝の9時からのみ。

遠方のため、早朝でないと間に合いません。

 

いつも毎晩、8時になりますと、旦那さまから、その日の様子を知らせる電話がかかってきます。

昨夜は、そろそろ電話のころと思いつつ、明朝、洗髪して髪を整えてから出かけたいと思い、八時前、早々と床に就きました。

やはり案の定、私が眠りに就きかけた時、携帯のメロディーが。

特別、その日も変わった事はなかったようです。

 

ただ一つ、とても嬉しかった事がありました。

夫の病室には、回診で三人の先生が交互に見えていて、どの方が主治医か、今までよく分かりませんでした。

ところが昨日、夫のもとに見えたK先生が、

「僕が主治医に決まりましたので、宜しくお願いします。

手術も私が執刀しますが、安心してお任せ下さい。

大丈夫です。」

と言われたそうです。

 

夫も私も、とても気に入ってるお方でしたので、心から喜び安堵しました。

先生への思いは、又日を改めて、いつか記事にさせて頂きますね。

その話の後、旦那さまが珍しく、私に優しい言葉かけを。

「ラッシュの時間だから、気を付けるように。

急行は止した方がいいだろう」

と言いました。

確かに、夫が言う通りなんですが、そのためには、私が予定していた時間よりかなり早く家を出ないと、間に合いません。

早朝のお出かけで、寝過ごしては大変と思うあまりか、なんだかいつになく、寝つきが悪い上に、二時過ぎには目が覚めてしまった私です。

 

ウインターコスモス

 

そしてお話しが脈絡もなく、一転、ブログ村の話題に移ります。

この飛躍は、いつものことですので、私に免じてご容赦を。

ご覧になっている方の関心が一気に高まってこられたのではないでしょうか。(笑)

寝つきが悪かったのも、下記に記した理由も、多少はあったかしら?

無理やりの関連付け。(笑)

 

私の拙いブログにも関わらず、多くの方がお越し下さり、応援まで頂き、素直に嬉しく、もっと頑張っていい記事を書かなければ、と思うのですが・・・・・・

知識不足と語彙不足は、今更どうすることもできません。

私事の話題ばかりで、表面的な記述を恥ずかしく思っています。

恐らく一部の方達が、私のブログの雰囲気に何となく惹かれ、あるいは関心を示して、お訪ね下さるのかしら、と勝手に思い、感謝しています。

 

一時ブログ村を離れた時、読者が減るどころか却って増え、その嬉しさを素直に綴ったことがありました。

するとある方がブログに、次のような事を書かれました。

「読者が多いからといって、あなたのファンであるわけではありませんよ」と皮肉たっぷりに。

ご指摘を受けるまでもなく、よ~く分かっているつもりです。(笑)

でも多くの方がお訪ね下さるだけでも、やはり嬉しいものですね~

 

私は我儘な対応と思いつつ、コメント欄は設定せず、気ままに自分の思いのみを述べさせて頂いています。

自分のブログを綴り、勝手にブックマークさせていただいたブログの記事を読み、時にお料理ブログも記述する。

それで精いっぱいの状態です。

 

コメント欄を設定していないため、私が閲覧者の方々の共感の度合いを測るバロメーターは、インポイント数なのですが・・・・・・

いつも最近は一定の数が、増減することなく続く日が多くなってきました。

ところが前回は、珍しく10ポイントほど減少。

すると私は、ちょっと心がざわつきます。(笑)

私の記事の内容に共感してもらえない箇所がきっとあったのではないか、と。

「それはどこかしら~?」と、自問自答。

コメント欄があれば、こんな自らへの問いかけは、不要なのでしょうが。

でもやはり、それを設定すると、疲れ切ってしまい、私のブログライフがたちまち崩壊するのが目に見えていますから、できません。

 

皆さまの共感を得たいと思って書く内容に気を遣っているわけではありませんが。

でも、それが気にならないと言ったら、ウソになりますね~

更新しなければ、むろんイン、アウトともに半減します。

それが極端なのも、私のブログの特徴なのかもしれません。

昨日も、いつもは平均500以上のインポイント数が、190.

1400程度のアウトポイント数が、なんと620に。(涙と苦笑い)

その前日も、お休み致しましたから、ほぼ同様です。

頑張って更新しなければ、反応が薄く、多少がっかりですが、当然のことですね~

 

 

インとアウトのランキングは、、いろいろ規制がかけられているため、公明正大とまで言えなくても、素直に受け入れられ、余り疑問も抱きません。

私がいつも分からないのは、注目記事のランキングです。

私も度々上位に位置することもありますが、ランキング上に上りさえしない記事もあります。

内容によりけりで、注目されたり、されなかったり、と。

これも、当然で自然な成り行き、と思っています。

 

でもその基準は、相変わらず、私にはよくわかりません。

どなたでも臨む可能性がある、身近で普遍的な人生問題がタイトルの記事ですと、良く注目記事になっているようにも。

爽やかなタイトルで、楽しそうな記事も。

或いは、ブログをはじめて開設され、ブログ村の会員になられた方の記事。

タイトルは、「ブログ始めました」が多いようですが。

片や、お休み宣言、或いはブログ閉鎖のお知らせ内容のブログなど。

更に、何だか意味ありげな過激なタイトル記事。

そして最後に、もしかすると一番注目度が高いかもしれない、他人の中傷記事。

 

注目度が一番高い最後は、私は理解に苦しみますが、他の理由は、いずれも納得できます。

初めて開設されたブログは、何だかとても初々しい印象で、覗いてみたい気持ちが自ずと湧いてきます。

頑張って!と応援をして差し上げたいところですが。

一方、お休み宣言ですと、なにゆえ?と、他人事ながらちょっと心配に。

 

私は自分の所にリンクさせていただいているブログは、余程多忙でない限り目を通しています。

リンクしていないながら、読み応えある素敵な記事もむろん。

あとは時間が許せば、注目記事で興味がそそられるものを拝読するようにしています。

なかなかそこまで時間が取れないのが、私の現状ですが。

 

 

妹と、この注目記事がたまに話題になることがあります。

そして、おなじ感想を抱いてしまうのですが。

「ある程度、自分でもランク操作ができてしまうところ。だから自分の記事は絶対触れないようにしましょう」と、言いあっています。

 

できることなら、この場所も、不自然な操作ができないように、規制をかけてもらえるといいのに、と私は常日頃、思うのですが。

同一人物は、1日に1回しかクリックできないなど。

一層のこと、本人はクリックできないようにしては。

他人が関心を抱くから、注目記事になるわけですから。

 

公明正大と認められる場所が、一番人は心地よく、疑念を何も抱かないで、心から楽しめるもの。

この場を借りて、ブログ村の村長様にお願いするなんて、ちょっと失礼でしょうか。

 

上位を占める記事が、一部決まってしまっているようにも感じられ、その理由が良く分からないことも。

素晴らしい記事は、他にもたくさんあるように思います。

普段地味で、人の目を引かないだけでは。

そのような記事を発掘し、ご紹介いただけると、本当に嬉しいです。

そんな新しい素敵なブログとの出合いが、このサイトを一層意義ある場所にしてくれると思うのですが。、

皆さまはそのようにお感じになりませんか?

 

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