今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

続 谷根千散策

2016-06-13 07:20:41 | 

このたびの散策で、何といっても、出逢えて一番感動したのは、森鴎外が「舞姫」を執筆した旧居でした。

「水月ホテル鴎外荘」という名称のホテルの中に保存されています。

ウォーキング終了後、参加者一同、その館内でとても美味しい懐石料理を頂きました。

 

昼食後、その旧居を訪ねた私とKさん。

静かな佇まいの、美しい日本庭園へ足を踏み入れました。

何故か、他の方達の人影はほとんどなく、ラッキー。

樹齢を感じさせる瑞々しい緑の木立の庭をを臨む場所に、趣ある古い家屋が。

広い和室が二部屋見えます。

上がって、中の様子を見せていただきたかったのですが、その日は貸し切りのお客さんがいらしたようで、残念ながらそれは叶いませんでした。 

 森鴎外が暮らしている様子が目に浮かんでくるよう。

明治の浪漫にしばし浸り、このたびのウォーキングの感慨を、一層深くした私です。

また是非訪ねたい、と心から思いました。

 

 

他では、15代将軍徳川慶喜の墓前に佇みお詣りができたこと。

日本の歴史を大きく塗り替えた潔い決断の偉業に、思いを馳せたりもしました。

 

 

夏目漱石の住居は跡のみでそれらしき形跡は何も残っていませんでしたが・・・・・。

文豪に思いを馳せ、幾分でも身近に感じられ嬉しく思った私です。

終の棲家ではなく転居を繰り返した中の一軒の跡地のようでした。

 

 

幸田露伴の有名な小説「五重塔」の塔が立っていた場所にも出逢えました。。

未遂心中の放火で、跡形もなくなっていて、心無い事をする人がいるものぞと、なんだか私まで悲しい気持ちに。

 

 

谷中霊園
この霊園には、鳩山一郎、横山大観、渋谷栄一郎などの有名人のお墓も。
この一角に五重塔の跡地があります。

 

団体行動ゆえ、丁寧に撮る心の余裕はなく、慌てて撮影したものばかりですが、

これまで掲載した画像は、私にとって特に印象深かった観光スポットで、道順に沿ったものではありません。

最後に、まだ載せていない画像を一気に掲載させて頂きますね。

綴るうちに、頭が混乱してきました。

まとまりがない文章でごめんなさい。

紀行的な文章は特に苦手意識が強くて、ブログ綴りの苦労が二倍になります。

 

 

 

根津神社

束の間の休息でしたので、見学はできませんでしたが・・・・・・。
徳川綱吉が造営した社殿を千駄木の旧地より遷座したもののようです。
重要文化財に指定されていて、江戸の建築とした最大規模の神社との事。

                     大名時計 博物館  門前の観光のみでした。  

 

瑞輪寺
徳川家康開基の日蓮宗の本山
この界隈は、日蓮宗の寺院が至る所にあり、寺町になっています。

 

                  築地塀
                  江戸時代に築造された土塀

 

谷中千は、正確に述べると、下町と門前町、寺町、武家町が一体となって連なる情緒と文化の香り高い場所です。

ゆえに見どころが満載。

思い出して綴ることで、改めてこの地域の特色と魅力を再認識することできました。

ブログの有難さですね~

けれど、苦労も多かった~

綴り終わるまでにかなりの時間を要しました。

 

お天気も良く、目にも鮮やかな新緑に、八分咲きのつつじが彩を添え、散策には絶好の日和でした。

同行した人たちとは解散後、二人で下町風俗資料館も訪問。

そこで昭和初期の風習や遊具に触れ、童心に帰った私とKさん。

知恵の輪のような遊び道具には、熱心に挑戦したり、と。

 

 

最後に、彼女の案内で、あんみつで有名な老舗の喫茶店、「みはし」に。

天下一品といってもいいような美味しいあんみつをいただき、帰路に就きました。

彼女の話では、歩行数は16350歩だったようです。

私は帰った当日は、意外に元気でしたが.翌日に疲労が出て、三時間もお昼寝。

或る表示の変化に、びっくりもした私です。

翌日、体重計に乗ると、体重は52キロ台(48キロになることが目標です。笑)で、ほとんど変わりませんでしたのに、体年齢が三歳も年取っていました。

二週間後くらいに、元の57歳に戻りました。

過度の運動は、体年齢を、かえって上げてしまうのかしら?

奇妙な発見に首を傾げた私です。

実際は72歳の私です。

でも、昨日久し振りに体重計に乗ると、59歳に。

56歳の時期がしばらく続いたこともあったのに。

実年齢よりかなり若いとはいえ、何だか悲しい。

 

 

 Kさんにまた散策に誘っていただきたいけれど、いつも最後尾の私を気にかけていた彼女。

迷惑をかけてしまい、申し訳なく思います。

今また、百歳になられたご義母様のご体調がよくなくて、車で五駅先の施設に連日通い、大変な日々でいらっしゃるようです。

本当によく尽くされていて、その親孝行に頭が下がります。

ご親族の皆様の願いが届き、さらなるご長寿と穏やかな日々を、とわたしも祈って止みません。

 

前の記事で、すでに触れましたが、そのご義母様が、最近亡くなられました。

ご家族様の心を尽くしたご介護に感銘を受けていた私です。

御心中を察し、私も心塞ぐ思いがしています。

最近は身の回りで、亡くなる方が多すぎて・・・・・・。

夫の死とも重なり、精神的には少々つらい日々です。

元気を出さなくては。

 

またしばらくお休みさせていただきます。

ながぁ~い夏休みを取りたい気持ちもしていますが・・・・・・。

気の向くまま、心の声に応えて、ブログに臨むことに致しますね。

このたびも、たくさんの応援、ご訪問、本当にありがとうございました。

 

梅雨入りし、体調を崩しやすい時期です。

皆さま、くれぐれもお体をおいとい下さいますように。

厳しい暑さに備え、体力を付け、迎える盛夏を元気に乗り切りましょう。

 

カナディアントレッキングに出発のA(妹)ちゃん(世界にただ一つの姥花日記)!

気を付けていってらっしゃ~い!(^^♪)

 

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谷根千散策で感動したスポット色々~止めたくなってしまったなぁ~

2016-06-12 07:00:29 | 

最寄り駅のホームで待ち合わせた私たちは、電車に乗り込み、いよいよ目的地に向かって出発です。

約五キロの道のりを歩くこのたびのウォーキングは、私にはかなりの強行軍。

このようなイベントは初体験といっていいでしょう。

自信は全くなかったのですけれど、Kさんが一緒なら、心強くて何とか頑張れそう・・・・・・。

幾分の不安を抱きながらも、心は弾んでいました。

 

谷中銀座

姿勢も良い彼女。歩き方も颯爽として、私には誠に頼もしい存在でした。

 

意欲的に参加したいと思った理由は、Kさんが誘ってっ下さった事が一番ですが、

他に、歩く行程に点在する、あまりに盛りだくさんな魅力的な観光スポットに、心から惹かれたからです。

私の興味をそそる見どころが、満載といった感じでした。

ざっとその道順をご紹介しますね。

谷中銀座ー須藤公園ー青鞜社ー森鴎外記念館(観潮楼跡)-夏目漱石旧居跡ー根津神社ー大名時計博物館ー瑞輪寺ー築地塀・観音寺ー天王寺ー谷中五重塔跡ー徳川慶喜の墓所ー鴎外荘(水月ホテル)

行き先は、都内の文京区及び台東区に位置する「谷根千」。

私は全く知らなかった地名ですが、娘たちは、母校の大学の周辺に当たるため、よく知っていました。

由緒あるお寺や建物が多くあり、「日本の歴史風土100選」にも選ばれたところだそうです。

谷中・根津・千駄木エリアのことを「谷根千」と略して言われていて、東京23区の中心地にありながらも、戦火を免れ、昔ながらの東京の下町としての風情をそのまま残す、歴史と情緒が溢れる地域。

 

 

 須藤公園
江戸時代、加賀前田藩の支藩大聖寺藩主松平備後守の屋敷であった所。

 

夏目漱石、森鴎外等が住んだ住居やその跡地、将軍徳川慶喜の墓所もあります。 

高校時代、大仏次郎著の「赤穂浪士」を読んで以来、私が一時期夢中になった忠臣蔵由来のお寺もありました。

他にも上げれば、まだいろいろあるのですが、画像のみで丁寧な説明は割愛します。

 

森鴎外記念館
残念ながら休館日で、館内に入ることはできませんでした。

 

集合時間の15分前くらいに、目的地に到着した私達でしたが・・・・・。

何と参加者は百名以上に上り、何グループかに分かれて、すでに出発したとの事。

わたし達は最終グループでした。

それがかえって良かったのか、ガイドの方は、年配の実に落ち着いたしっかりした男女お二人。

特に男性のガイドさんは、ユーモアたっぷりで声も良く通り、実に分りやすい説明でした。

 

後半の寺町界隈の散策では、私は常に皆さんから遅れがちとなり、最後尾。

そのガイドさんが、見かねて私のバッグをお持ちくださいました。

大きい割には軽くて、荷物が体力を消耗するといった感じではなかったのですが。

でもやはり、とても助かりました。

私も,、お洒落なリュックサックが欲しいけれど・・・・・・。

でも衣類費が赤字の現状では、いまは無理です。

 

他の方達の姿が見えませんね~
ずっと先を歩行中です。
昼食の予約時間に遅れそうとかで、歩行のピッチがかなり上がり、ついていくのがちょっと大変!

 

レンズは軽いものに変えていたとはいえ、一眼レフのカメラを持って歩いているのは私だけ。

それなりの重量がありますから、他の方に比べると、荷物の負荷は多少大きかったかもしれません。

ブロガーにはカメラは必須で、私はこのカメラしか所有していませんから、止むを得ないことでした。

「立派なカメラですね~」

ガイドさんに褒められましたが、キャノンのKissシリーズものにすぎません。

交換レンズに、多少上等なものを持っていますが、今回の散策では、最初から付いていた軽めのレンズにしました。

 

いよいよ散策道の観光スポットの説明に入ります。

すべてをご紹介するのは無理ですから、私の心を打った印象的な場所のみにさせていただきますね。

長くなりますので、この続きは明日に回します。

 

今回は、途中から私のブログ記事の内容も、かなり大きく変えました。

次女宅にも、頻繁に行くことになりました。

そのためか、少々疲労気味。

ブログ綴りを止めてしまいたい気分に陥ることもしばしばでした。

止められない一番の理由は、認知症になるのが怖いから、なぁ~んて。

結構、真実です。

これでは、ブログを書く理由が、あまりに消極的で、情けないですね~。

他にも、前向きな理由はありますけれど

明日、もうひと頑張りすると、しばらくお休みできると思うと、なんだか嬉しい私です。

もっと記事を軽やかに綴り、心から愉しめるようになることが、今後の私の課題といったところでしょうか

 

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谷根千散策~敬愛して止まないKさん

2016-06-11 07:13:31 | 

今日は、三日前に投稿した記事の続編です。

間が空いてしまいました。

その時、楽しかった出来事の思い出を、一気にまとめて綴る予定でした.

ところが、ご近所の方とのお花見の際の二つの話題のみで、終えてしまった私です。

今思うと、一気にすべて書くなんてとんでもない。(笑)

その時の内容も、二つに分けて記事にすれば、もっと短い文章になりましたのにね~

何だか短文にするコツがわかってきたような気がしています

 

わが家の花壇の寄せ植え

 

順番に書くとなると、次はママ友達8名のお食事会とお花見。

孫息子のK君とのお出かけ。

行き先は、上野公園にある国立科学博物館で催されている恐竜展でした。

それからしばらく経過した4月26日の事。

親友のKさんと、「谷根千ウォーキング」へ参加、と言った順番になります。

 

友人とのお食事会は八名揃った写真も載せました。

麻生十番の和食どころ「きてら」の懐石料理がとても美味しくて、その説明をされたシェフの心意気に感銘を受けました。

そのあと、六本気のミッドタウンでお花見をした私達でしたが、お上りさん的心境になってしまった私。

目を見張り、感動しきり。

高層ビルが林立する近代的モダンの空間に、桜が見事に咲き誇り、都会のオアシスを形成していました。

 

 

今更ですがミッドタウンの広場の画像です。

 

それから数日後、孫息子との恐竜展へのお出かけ。

この記事は、詳しくいつかぜひ書き留めておきたいことですが、盛りだくさんだった谷根千散策の思い出を、忘れない内に、先に書くことに致しますね。

 

最近は(6月の事です)、隔日、次女宅に行き、K君の帰宅を迎え、塾に送り出すまでの母親代理業に精を出しています。
K君の嬉しそうな顔を見ると、小学校を卒業するまでは、やり遂げたいのだけれど・・・・・・。
なんだか急に暮らしが忙しくなった感じです。

 

谷根千散策に誘ってくださった親友のKさんは、私より5歳お若い方です。

私のブログには、幾度もすでに登場していただきました。

そのため、重複する説明があるかもしれませんが、悪しからず、ご了承くださいませ。

 

共に同じ時期、ロサンゼルスにおける海外暮らしを経験し、その時、親子共々、大変お世話になりました。

娘たちを、わが子のように可愛がってくださいました。

アメリカンスクール終了後、日本人学校への送り迎えも交代でしたものです。

私も慣れない異国で戸惑うことばかりでしたが、彼女のお蔭で、その苦労を乗り切り、楽しく有意義な海外生活を送ることができました

まさに恩人です。

 

英語が堪能で、それを生かし、帰国後も長い間、国際機関関連のお仕事に従事しておられた彼女。

二年ほど前に、退職されたばかりです。

 

英語で大学の講義を受け持たれたこともあるほどの才媛でいらっしゃいます。

女性ながらの長いお勤めでしたが、ご主人様は、世界的に有名な大企業の副社長として活躍されたお方。

私は夫の葬儀後、会社への対応について、ご相談にも乗っていただきました。

自己実現のためでいらしたのでしょうか。

60代半ばまで勤めあげられた、彼女の気力と努力に頭が下がります。

一方、主婦業と母親業も見事にこなされた良妻賢母でもいらっしゃいます。

 

 

実は最近、お身内の御不幸に遭遇されました。

心中をお察しして、私も悲しくてなりません。

また何時か、記事にしたいと思っています。

 

私は、社会経験豊かで優秀なKさんの足元にも及びませんが、なぜかとても気が合う二人。

心もとない私は、彼女を頼っての初めてのウォーキング参加でした。

さてさて今後の道中はいかに。

 

明日に続きます。

 

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徹底的な予算生活の私。

2016-06-10 07:12:31 | 暮らし

今後の暮らし方について思い巡らし、悩んでいることを、昨日の記事で語りました。

旅行など、外の世界にもっと関心を寄せるべきか、あるいは私の大好きな家の充実をもっと図るべきか。

両方ができれば、一番良いのでしょうが、そうすると遺族年金の収入のみでは無理です。

貯金を切り崩す生活をしなければなりません。

 

私はできれば、それは避けたい。

毎月の収入で、すべてを賄う暮らしをすることがモットーです。

私の毎月の生活費は、他の遺族年金の方に比べると多少恵まれているほうかもしれません。

遺族年金以外に、夫のアメリカ年金はほとんど全額いただけますし、他に手当ても多少あります。

でもやっぱり少ないです。

これまでの夫の収入の二分の一以下ですから。

企業年金が無くなってしまった影響が多大です。

 

私は、三十代後半から、家計簿の記帳を休んだことがありません。

その間、投資に一時期熱心になったことがありましたが、それでも家計簿の記帳は続けていました。

なぜもっと早く目が醒めなかったのか不思議でなりませんが・・・・・・。

投資を止めてからは、その損失を埋めるべく、ますます徹底した予算生活を送りました。

その努力の甲斐があって、貯蓄も、今後の心配をしなくていい程度には準備できた私です。

 

ウッドコーンのビクターの音響機器。
とても美しい音色が出ます。でも故障中。音楽に飢えている私です。

 

今も、費目の分け方は同様で、羽仁もとこさんの家計簿を使用しています。

夫が亡くなってからも、数万に過ぎませんが、貯蓄も出来ています。

旅行費、衣類費、お寺費などは毎月残りますが、これは今後使い切ることなので、貯金額にはむろん入れていません。

衣類費は、赤字状態で、毎月の予算額ほぼ二万円を、赤字を埋めることに、今は充当しています。

夫が亡くなって数か月後、自分を慰めたくて、好きなブランドの洋服を二着買ってしまいました。(トホホ)

それが消えるまでは、衣類はしばらく買えない私。

早く赤字をなくしたいところですが、来年までかかりそう。

まだしばらくの辛抱です

 

 

 

旅行費の二万円は、今後、お墓参りに年に数度帰広するため、その経費でほとんど消えてしまいそうです。

秋のお彼岸は、長女が墓参してくれそうですし、広島が大好きな次女家族も、毎年一度の広島行きを心がけてくれるようです。

ですから、わずかながらですが予算の旅行費が余るかもしれません。

でもこの残りでは、大したことは愉しめませんね~

 

十分暮らしを愉しむためには、固定の予算以外の項目の経費をいかに節約して残すかにかかっています。

それが食費、保健衛生費(化粧品代、美容院代などもこの項目に入れています)、交際費、交通費、教養費といったところでしょうか。

予算額すべてを使い切っても、多少は貯金ができるように予算を立てました。

けれど、この額は為替の変動の影響を受けます。

今のところ数千円ですが。

アメリカ年金が収入の一部だからです。

 

世界的なベストセラーになりましたね。

最初読んだ時は、この程度の内容と少々がっかりでしたが、その後結構傾倒してしまっている私。
ここに書かれている暮らし方は、私の目指すところかもしれません

 

将来的には、衣類費も、計画的な購入で買い揃え、ほとんど買わないでいいようにしたい、と思っています。

高価な宝石はもう無理です。もともとあまり興味がなかった私ですが。

それが暮らしの潤いのための充当金に出来れば、生活にもっと余裕が生まれそう。

「フランス人は10着しか服を持たない」を見習いたいものです。

 

最近は、こんなことばかりよく考えるので、記事の内容も金銭的な記述が多くて、なんだか恥ずかしいです。

夫はお金の話をとても嫌いましたから、心が咎めますが・・・・・。

人生の大きな節目を迎えたゆえ、止むを得ないことと、自分を慰めています。

熟慮して、今後に備えないといけないことですから。

さぞお読み苦しい事でしょう。

ごめんなさい。

 

私が座右の書として愛読している草柳大蔵氏の書物に、下記のような文が載っています。

 

~お金を意識するときがくる。その使い方に自分の「程度」を意識する~

 このシチュエーションは、最初にお給料をもらった時の気持ちの変化に触れたもののようですが。

 今の私も、遺族年金と言う、私のみの収入を毎月手にするようになり、初心に帰り、似た気持ちでいます。

 

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今後の暮らし方に思い巡らす私 

2016-06-09 08:11:27 | 日記

親友のKさんから、お誘いのメールがあったのは、今回の谷根千散策のひと月半ほど前の事でした。

NPO主催企画の案内が目に留まり、興味を持ったので、早速問い合わせられたようです。

ところが参加費が4200円と高額だったので、他の友人を誘うのには躊躇いがあり、私に声をかけて下さったとの事。

いつもはご一緒のご主人様は、予定が他におありだったようです。

彼女の誘いを、心から嬉しく思い、参加したい旨、お返事を出したのはいうまでもありませんが・・・・・。

参加費に気を遣う彼女に、私はとても考えさせられました。

 

年金暮らしともなると、むやみにお友達を誘って負担をかけてはいけないのかもしれない、と。

わたしも今後、気を付けなければ、と思いました。

私も遺族年金暮らしとなり収入は激減し、今までよりシビアな予算生活を送っています。

友人とのお付き合いは愉しいけれど、頻繁にとはまいりません。

夫が亡くなり、自由時間はたっぷり。

まだ何かと忙しく、そんな気分からは程遠いですが。

けれど、経済的自由は遥かに縮小。

この矛盾がチョッピリ悲しいけれど、現実をしっかり受け止めて、心豊かに暮らしたいものです。

 

さて、楽しみにしていた谷根千散策の日がいよいよ迫ってきました。

この日のために、初めて紐靴をヨシノヤで購入した私です。

今はやりの、お洒落なスニーカーに惹かれはしたものの、さすがに私の雰囲気には無理があり過ぎと思い、普通の紐靴になりました。

白のパンツを意識して、薄めの色に。

 

左のヒールは、私が今一番気に入っているお出かけ靴です。

 

この靴を履いて、日帰りの散策や旅行を、今後積極的に愉しみたいと、或るデパートの旅行パンフレットなども取り寄せ、意気込んでいる私ですが・・・・・・。

果たしてどうなることでしょう。

それにしても、ここは割高過ぎ。

行き届いたサービスが期待できそうで、一番惹かれる旅行社ですが・・・・・・。

 

 

「おうちでのんびりマイペース」に、幸福感を一番感じる私です。

妹にも、

「無理して旅行しなくてもいいんじゃない。

家庭的なことが好きで、家に一日いても退屈しないお姉さまなんだから、それを心から愉しめば」

 と言われました。

 

旅行に出かけても、帰宅するとぐったりで、しばらく体調をいつも崩す私。

気持ちのリフレッシュとは、必ずしもなりません。

 

でもでも一方では、それでは暮らしの意欲がなさすぎ。

これまでは、家族のために、母親業と主婦業に明け暮れひたすら頑張ってきた私です。

それが生き甲斐でもあり、私の心を十分に満たしてくれることでした。

 

けれど、今後の残り少ない余生は、一念発起。

外に目を向け、行動範囲を一気に拡げ、豊かな体験をしなければ、と思う自分がいます。

さてさて、その気持ちを行動に移すことが、本当にできるでしょうか。

自分自身でも、よく分りませんが・・・・・・。

ネットは既に私の興味の対象を察知しているようです。

私が見るサイトにことごとく、旅行社の広告ばかりが載ります。(笑)

 

 

十位は妹のブログです。

 

一層の事、旅行の予算を、家の充実にすべて向けてはどうかしら。

それなりの価格の絵画など買えて、お部屋の空間を引き立ててくれそう。

旅行と異なり、形となっていつまでも残り、私の心を潤し満たしてくれることでしょう。

 

家具も一部取り替えて、お部屋の模様替えも出来そう。

毎週、切り花をいっぱい買い、お部屋中に飾る程度の贅沢ならできそう。

節約志向が強くなり、かなり削っている食費の予算もアップできそう。

友人達を時々家に招いて、軽い昼食を振る舞ったり、アフタヌーティーのひと時を持っのもいいなぁ~。

上に挙げたことが実現するなら、旅行より、私はもっと幸せな充実感を味わえるかもしれない。

何だか、とても裕福な印象を与える描写になりましたが、さにあらず。

遺族年金の暮らしですもの。

いずれもささやかな思い入れです。

 

 

最近は頻繁に訪ねる次女宅ですが、いつもさりげなくお花が飾られています。

 

何だか、今後の暮らしが混沌としてきて、何を選択すれば良いのかよく分からなくなってきました。

最近は、こんな悩みに明け暮れ、限られた収入の一番良い使い道を模索する日々です。

 

まだ今日の記事は、長々と続くのですが、いったんここで打ち切らせていただきますね。

私のブログ記事の文章は長過ぎと、つくづく思うこの頃。

妹とも、昨夜この悩みで長話。

読む方にも、こんな拙い文ですのにお付き合いくださり、貴重な時間を割いていただくのはあまりに心苦しくて。

私も要らぬ苦労をして、ブログライフが心から愉しめてていません。

文章を短くすれば、もっと軽やかな気持ちでブログに臨めることでしょう。

 

と決心しても、すぐ元に戻ってしまう私ですが、しばらく努力してみますね。

この続きは明日、またつづります。

 

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思い出のエピソード二つ

2016-06-08 07:28:40 | 

前々回の一連の投稿では、「楽しい事もいろいろ」とのタイトルで記事を書きました。

夫を亡くし、寂しい私の暮らしに、彩りを添えてくれた出来事でした。

けれど、その時には十分なことが書き切れず、心残りのままだったようにも。

折角の楽しい思い出ですから、備忘録のために、もう少し詳しく綴りたい、と思います。

お花見の日の話題など今更、といった感じがしないでもありませんが。

印象的なこと、面白いエピソードについて。

これからの残り少ない余生。

「想い出」は一つ一つ愛おしむように一層大切にして、私の心の滋養にしていきたいです。

 

詳しく書き留めてまだいないイベントを順番に綴るとなると、ご近所の仲良しさんたちと出かけた目黒川沿いのお花見でしょうか。

友人お二人のうちFさんは、私より一回りお若い方ですが、親友と言っていいほど心から信頼し合っています。

このたびのお花見で、Fさんのファッションが、ハッとするほどわたしには新鮮に映りました。

ドレッシーなワンピースに、薄いエレガントなショールを羽織っておられたFさん。

靴はもちろん歩きやすいローヒールでしたが。

 

それに比べ私は、イナバヨシエのお店で、随分前に求めたジーンズのジャケット、白のパンツスタイル、といったラフな格好でした。

めったに着用しない自分らしくないコーデイネート。

多少無理してきている気分もあったからでしょうか。

お花見に当たって、さくらに敬意を表するかのようなFさんの優雅なお洒落が、とても素敵に私の目には映りました。

花を愛でる服装としてぴったりに感じられ、自分の身なりがなんだか恥ずかしくなってしまった私です。

 

素敵なお二人

 Iさんもとてもセンスの良い方。私同様に、モノトーン色の洋服がお好きなようです。

 

お洒落も、TPOがとても大切ですよね。

そのTPOも、人の目を気にするのではなく、自分の心に素直になって、一番ふさわしいと思う洋服を選びたいものです。

そう言えば、「谷根千散策」でご一緒したKさんの服装も、とても素敵で印象的でした。

軽装ながら、エレガントな大粒のパールのイヤリングと、同様にパールのペンダントのネックレスを身に着けておられました。

一見ミスマッチのように見える組み合わせですが、とても似合っていらして、彼女の上品なチャーミングさを一層引き立てていました。

Fさんと同様に、私は幾度見惚れてしまったことでしょう。

 

左がKさんです。四歳お若い彼女。姿勢も良く歩き方も颯爽として。

 

高齢になると(ご近所のFさんは、まだまだお若いですが)、次第にお洒落にも無頓着になていきそうで、なんだか心配。

ママ友のTさんから、以前に伺ったお話が、私には忘れられません。

Tさんのお姉さまは、とてもお洒落な方でいらしたようです。

ところが、急に服装を構わなくなられたことで、お姉さまの異変に気づかれたTさん。

その後、アルツハイマー病との診断があり、症状が日増しに重くなられたようでした

 

お洒落を愉しむことと、ブログ記事をわずかでも毎日綴ること。

この二つを心がけているだけで、認知症の予防になるかもしれませんね~

 

もう一つ、お花見の日の面白いエピソードを、語らせていただきますね。

ご一緒した友人、Iさんの対応の機転に、思わず慌てたものの、大笑いしたお話です。

 

 

 「土山人」

 

Fさん、Iさん、私の三人で、目黒川沿いのお花見を、時におしゃべりしながら愉しんでいました。

途中、Fさんが、芸能人も良く訪れ、雑誌にも掲載されたことがあるという、有名処のお蕎麦屋さんに案内して下さいました。

まるで隠家の如く目立たない場所にあります。

店内に入ると、実にセンスのいい和風モダンの空間が私達を迎え入れてくれました。

付け合わせの小鉢が数点付き、それぞれが注文したおそばが供されました。

何と美味しい事。

感動ものでした。

まだ、真新しさが何となく感じられるお店ですから、おそらく長女夫婦がこの近辺で暮らしていた頃にはなかった事でしょう。

 

実はその後、長女夫婦が新婚時代に暮らしたその場所に、いつの間にか辿りついてしまった私達です。

突然の如く、懐かしい、けれどチョッピリ曰くつきのマンションが目に飛び込んできたときの私の感激は相当なものでした。

この時代に、長女家に初孫が誕生。

それはそれは足繁く通った所です。

 

 

既に以前の記事でも、このマンションにおける、私の複雑な思いを綴ったことがありますが。

賃貸にするために、手付まで払い、購入寸前になっていたこのマンションの物件を、娘たちに譲った経緯があります。

その大金を、魔がさしたとしか思えない、投資につぎ込んでしまった私。

投資顧問に騙されたかのように、その大金が激減してしまいました。

けれど、投資はあくまで自己責任。

投資顧問を恨む気持ちはありませんし、今ではもう過去の事。

くよくよしても始まりません。

 

 

そのマンションに、十数年ぶりに再会した私でしたが、管理が行き届いているのでしょう。

新築当時の外観と何一つ変わることなく、かすかにピンクがかった外壁は、目黒川沿いの桜とコラボしてとても美しく、風格ある優雅な佇まいのままでした。

友人達も、その美しさに感動してくれました。

 

長女家は、そのマンション購入が良いきっかけとなり、人生に弾みがついたようです。

今では都心の閑静な住宅地に一軒家を構え、このマンションは賃貸にして運用しています。

 この話を、友人達にしたところ、Iさんが、

「譲ったのが他人でなくてよかったじゃない。他人だったら、もっと残念だったと思うわよ」と。

 

本当に、Iさんの言う通りです。

長女たち夫婦はその後、順風満帆な幸せな結婚生活を送っています。

私が老後の夢にかけた、このマンション。

それを手放し、思い切りよく婚約中の長女とフィアンセのHさんに譲りましたが・・・・・。

その時、子の幸せを強く願った親の祈りが、叶った、と思うことにしましょう。

 

私は懐かしさの余り、前庭のようになったポーチのコートに足を踏み入れ、玄関ドアのあたりまで、行きました。

すると管理人さんが突然現れ、言いました。

「ここは関係者以外、立ち入り禁止です」

 

 

その注意を受けて、私は慌てて立ち去ろうとしたとき。

友人のIさんが、咄嗟の機転を働かして言葉を返しました。

「この方、このマンションの所有者です」

 

私は一瞬ビックリ!

彼女が後で言いました。

お子さんの所有物なら、~さんも同様よ。

 

苦笑いをしながらも、彼女の咄嗟の言い回しに感心した私です。

その一言で、管理人さんは引っ込んでしまいました。

今も、所有者でいられたなら、家賃が副収入となった私。

くらしの潤いに、どんなになったことでしょう。

子供とはいえ、譲ったことが、またちょっぴり悔やまれた一瞬でした。

 

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ビックリの私 長女がテレビに登場 

2016-06-07 07:15:20 | 家族

これからお話することは、私事に過ぎない、実に他愛ない事です。

断る程のことでは、なかったかもしれませんね。

私のブログは個人的な話題ばかりで、何だか恥ずかしい~

過去の記事を読むと、社会的な問題にも、時々触れているのですが・・・・・・。

今も、関心は結構ある私です。

けれど、年を重ねると共に、知識不足が一層気になり、自分の言葉で語る自信がなくなってしまいました。

社会問題や、普遍的な事柄も取り上げて、もっと高尚な内容にしたいとの思いはあるのですが、なかなか・・・・・。

 

さて今日、私が今から取り上げる話題は、またまたプライベート色濃い娘の話。

母親の私が、わが目を疑うような驚きの出来事がありました。

多少大袈裟な表現になるかもしれませんが、笑って聞き流して下さいね。

 

単刀直入にお話すると、長女のMちゃんが、テレビに登場しました。

その番組を見る前日の事です。

Mちゃんから、

「もしかすると私がテレビに映るかもしれない」

との報告がありました。

「どんな風に映るのか分からないのだけれどね。恐らくちょこっと、出る程度だと思うわ」と。

「夜の~テレビ局のニュース番組だから、良かったら見てね」と。

「十時なんて時間は、もう私は床に就いて眠っているわよ。

そんな時間まで起きていられないから、録画にしておくわ」

と言って電話を切りました。

その時は、期待するほどのワクワク感など更々なくて、見落としたらそれまで、といった程度の受け止め方だったのです。

出ても、Mちゃんの働いている姿がちらっと画面に映る程度の事を、イメージしていた私です。

 

 

とはいえ、次女にも報告しました。

なぜなら、録画を頼みたかったから。

テレビをめったに観ない私は、その操作に自信が持てなくて・・・・・・。

録画したつもりが、し損ねていたらいけないと思いました。

 

その翌朝、ひと働きし、朝の家事を済ませた後に、おもむろにテレビをつけた私です。

心配は取り越し苦労だったようです。

録画画面が、そのニュース番組になりました。

その番組が開始して、間もなくの事。

娘が働く会社の商品のデモンストレーション会場が、そこで大きく取り上げられました。

 

その後、応接間らしき部屋に映像が変わりました。

或るニュース番組の、私も良く知っている男性のコメンテーターがそこに立っていました。

するとその部屋に、黒の短めのジャケット、白のパンツ姿の女性が入ってきました。

胸が大きく空いたインナーに、控えめな小粒のダイヤのペンダントのネックレス。

まさしく、その人は、私の娘のMちゃんでした。

 

 

予期もしない意外な展開に、私は只々驚き、その後は固唾を呑んで、じっと見ているのが精一杯。

挨拶を交わした後、腰かけた二人の対談になりました。

5~6分でしたでしょうか。

コメンテーターの質問に、Mちゃんは臆せず自然体のまま、実に落ち着いた丁寧な口調で、応えていました。

キャリアウーマンと言うより、楚々とした優しい女性といった雰囲気。

私が日頃、目にするMちゃんより、はるかに美しい素敵な女性に見えました。

 

いつもは、時には小言も言う、我が子に過ぎないMちゃんです。

社会での活躍の一端を、テレビで観ることになろうとは夢にも思っていませんでした。

テレビを見終わった後も、私はなんだか夢心地。

いつものMちゃんとテレビのMちゃんが結びつかない気分で、戸惑ってしまいました。

 

 

娘の話によると、コメンテーターの方は、とても感じがよくて話しやすかったとのこと。

実際は、一時間近く談話した内容が編集され、7~8分の放映になったようです。

海外の社員と、テレビ会議をする場面も映り、Mちゃんが優しい通る声で、流暢な英語をしゃべっていました。

 

 

私は素直に感想を述べ、心から褒めてあげました。

「自然体の対応で、とても感じが良かったわよ。

会社の印象アップに、少しはなったのではないかしら。

いつものMちゃんより、はるかに美人に映っていたけれど、テレビ局の方がヘヤーやメイクを手直ししてくれたの?」

と訊きました。

「そんなことしていないわよ~」

と言って笑ったMちゃんです。

 

 

 

大学卒業後5~6年、銀行勤めをし、今の会社に転職した長女。

外資系のため、自由闊達な社風で、兼業主婦の立場の女性には働きやすい職場環境のようです。

そのため、私も安心して、それを見守ってきましたが、要職に就いてからの多忙さは、かなりの模様。

体を壊さなければよいのですが。

それが、心配でならない私です。

 

次女も似た転職をしています。

我が子が二人ともキャリアウーマンだと、母親はちょっと寂しい心境なんです。

いつ電話をかけても留守電の日が多く、すぐに話ができません。

私は、会社に電話をかけることはめったにありませんが、倒れるなどの緊急事態になった時、留守電だと、どうすればいいのでしょう。

どちらか一人でも専業主婦であったなら、余暇を一緒に愉しめてよかったのに、と思うことがよくあります。

 

私は子育て中、わが子が将来、仕事人間になることなど、夢にも思っていませんでした。

良妻賢母になり、幸せな家庭を築いてほしい、とそれだけを願い、育てた娘たちです。

既に時代の風潮でしたから、止むを得ないところがありましたが・・・・・・。

機会均等法が成立し間もなく、総合職で男性と変わらない職に、二人とも就きました。

私の人生の歩みとは全く異なります。

 

色々心配もし、複雑な気持ちなることも多々あるけれど、エールを送り温かく見守っていくしかありません。

旦那さまの看護と介助に忙しく、その後、思いがけない不幸で 諸事に追われ、しばらく協力が何もできていない私ですが。

すべてが一段落すれば、以前のようにいろいろ力になってあげられることでしょう。

先日は、ママに代わって次女の息子のK君の学校の行事に参加してきました。

昨日も、次女宅でK君の帰宅を迎えました。

この話題は、またそのうちに何時か、記事にさせて頂きますね。

 

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不条理な出来事 祈り

2016-06-06 07:12:14 | 人生

夫が逝き、その数か月後に、また信じられないような大地震が九州の中部を襲い、多くの人が亡くなりました。

この数か月の出来事は、私の記憶に深く刻まれ、改めて生きることの意味を問い直してくるかのようです。

病に蝕まれ、74歳で亡くなった夫は、おそらく無念であったに違いありません。

もう少し生きて、孫たちの成長を見届けたかったことでしょう。

けれど、東日本大震災や、このたびの地震で命を落とした方々の無念さと悔しさは、それ以上だったのではないでしょうか。

 

わたし達は、この世に生を受け、思春期の頃あたりからでしょうか。

限られた人生であることを、強く認識し始めるのは。

ゆえに、かけがえのない一日一日を悔いなく大切に過ごしたい、と願うのかもしれません。

私のブログのタイトル「今日が一番素敵」にも、そんな思いを込めました。

 

 

今は平均寿命は、男女とも伸びて、80歳を超えています。

けれど、この年数とは裏腹に、想定外の出来事や逆境が、私達の暮らしに突然襲いかかる危惧は、ますます増してきたかのように感じられる昨今。

このたびの地震も、敢えて言わせていただくなら、夫の思いがけない眼の難病やがんの罹患、死も、それに当たるように思います。

抗い難い、不条理な出来事が時に起きるのも人生。

特に天災は、老若男女、貧しい人、富める人、如何なる立場の人も、平等に対峙しなければならないこと。

時に非情になる自然は、人を差別などしません。

 

私の大好きな言葉、「諦めと覚悟」が、また胸に浮かんできます。

このブログ記事では、数年前から2~3度触れてきました。

常に覚悟をし、時には潔く諦め、前を向いて生きようとする気持ちを失わない限り、きっと私たちは元気に人生を歩めるのではないでしょうか。

 

そのような人たちの姿を、災害が起きるたびに、映像を通してですが私は見てきました。

その姿は、時に神々しくさえ私の目には映り、ただただ頭が下がる思いがします。

私も如何なる不幸に見舞われても、それを受容し、立ち直れる人でありたいと、強く願っていますが・・・・・・。

こればかりは、実際に遭遇してみないと、分りません。

 

 

夫が逝ってしまった後、数か月は、思い出しては涙、涙の日々でしたが、時の流れに癒されて、私は、次第に元気になっていきました。

私の場合、旦那さまの余命は数年と知らされ、心の隅で覚悟はある程度できていました。

ですから、受容は当然の事かもしれませんが・・・・・・。

でもやはり辛かったです。

自然災害や、交通事故、その他の突発的な出来事による身内の死は、受け入れる覚悟ができていないだけに、もっと辛いことでしょう。

 

私達は、いつ襲ってくるかもしれない不幸や非情な出来事を思い、常に覚悟と諦めの心構えが必要なのかもしれません。

諦めの言葉には、何か虚しい響きがありますが、私が初めてこの言葉を、覚悟と共に目にした時の意味合いは、とても前向きなものであったと思います。

ですから好きになりました。

 

最近も、同様の言葉を、朝日新聞のコラム「異論のススメ」で目にしました。

京都大名誉教授の佐伯啓思の言葉です。

私が楽しみに読んでいる、新聞記事の一つです。

そこに載っている文章を引用し、終わりにさせて頂きますね

 

 

だが本当の「あきらめ」は、思考停止でもなければ敗北主義でもない。本当に「あきらめる」には覚悟が必要であり、それは容易なことではない。その覚悟とは、人知を超えた巨大な自然の前にあっては、人間の生命など実にもろくもはかない、という自覚を持つことである。それは生への過度の執着を断ち切り、幸福を物的な富の増大に委ねることの虚しさを知り、そして人の生も自然の手に委ねられた偶然の賜物であり、われわれの生命はたえず危機にさらされると知ることでもあろう。

かって哲学者の和辻哲郎は、日本人の精神的傾向として、「戦闘的な恬淡(恬淡)」と言い、また『きれいなあきらめ』ともいい、それを極めて荒々しい日本の自然風土と結びつけた。確かに日本人の「あきらめ」は、こうした人智を超えた「自然」への畏怖と不可分であった。それはまた、今日のわれわれを支配する「近代的」生活や価値観を見直すことでもある。これは相当に「覚悟」のいる「あきらめ」なのである。

 

追記

このたびのオバマ大統領の広島訪問と慰霊碑の参拝、被爆者との対話は、被爆者の身の私にとって、本当に嬉しい事でした。

零歳の乳児の時に、爆心地から三キロの地点で被爆した私です。

その後、私の人生の晩年になり、やっと実現した、アメリカ大統領の広島訪問。

その間の長い歳月を思わないではいられません。

 

戦争は、太平洋戦争に限らず、過去の幾多の戦争、今も続く紛争や内乱も含め、人間の醜い面が露わになった現象そのものです。

謝罪すべきか否かでなくて、人類総懺悔で臨まないといけないことのように思う私です。

もちろん、市井の人たちや子供たちには罪はありませんが・・・・・・。

 

戦争だけは覚悟して諦めるのは、あまりに悲しい。

人類の良心を信じ、いつか核廃絶が実現し、地球上から、戦争も貧困もなくなることを、祈って止まない私です。

 

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