今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

ブログの題材に恵まれ過ぎ、記述が追いつかない私

2014-02-27 07:37:12 | ブログ2(1)

書きかけていた記事があったのですが、急に内容を変えたくなってしまいました。

今日(26日)は、夫の診察日で、1日お出かけしなくてはなりません。

この調子では、あす7時前後までに投稿できるか、少々怪しくなってきました。

最近、書きたい話題には結構恵まれ、記述が追いつかないほどです。

 

ですけれどいつも、大切な事を何か置き忘れているような気持ちになる最近の私。

書き忘れの題材と言えば、「夫の病のその後」と「我が家の庭の様子」のお知らせです。

妹夫婦に招かれ、梅の花で昼食を共に、楽しく過ごしたひと時の話題も。

その翌週には、次女夫婦に招かれ、家族全員が揃って、パパの退院祝いをしてくれたこと等も。

 

 

いつもの私ですと、何よりも嬉しいとっておきのブログ記事の題材になるはずなのですけれどね。

いつかその内と思いながら、未だにそのことも綴っていません。

必ず、近いうちにまとめてでも、感謝の気持ちを込め、綴リたいと思っています。

 

 招かれた時の次女宅のお料理の一部です

 

夫の病について詳しく書かないのは、もしや潜在的に現実逃避したい気持ちがあるのかしら。

いえいえ、そんなに深刻な状態では全くありませんから、それが理由ではないでしょう。

しばらく、そのことばかり書き続けていたので、気分転換を必要としただけのように思います。

また入院し、いよいよ手術となれば、私の心はそのことのみで占められ、いやが上でも、その話題に終始する事になるでしょうから。

 

万一、御心配下さる方がおられましたら、お知らせしないままで、心苦しく思います。

お陰さまで、夫は今のところ、とても元気です。

食べ過ぎではないかしらと思うほど食欲も旺盛で、顔色もよく、日々の数時間の散歩も欠かさずこなしています。

けれど、どうしたことか、手術の予定日が、なかなか決まりません。

それが一番の不安事項かしら。

その理由については、また日を改めて詳しく書かせていただきますね。

 

 これも次女宅の画像です。私からのかれんちゃんへのクリスマスプレゼントの洋服に着替えたお人形さん

 

我が家の庭の様子に関しても、ガーデニングに興味にある方は、詳しい近況報告を待っていて下さるのかもしれません。

この話題も、その内詳しく、と思っています。

三越のチェルシーガーデンに依頼し、プロのガーデナーさんから二年にわたって、年に四度、ガーデニングのノウハウをご指導頂き、その後自立した私です。

そのころ、頸椎を患っていたため、教えて頂いたと言うより、お任せ状態だったのですが。

それでも、植え付け下さったセンスの良い草花のレイアウトやカラースキームを見ているうちに、学べたことは大きなものでした。

 

それを思い出しながら、細々と私なりに楽しんでいるのが現況ですが、曲りなりにも、次第に私が心に描く庭のイメージになりつつあるような。

そんな気持ちも多少しています。

東南向きの我が家ですが、日当たりが良い花壇とは言えず、非常にガーデニング作業にはデリケートさを伴います。

ガーデナーさんも認めていたことですが。

うまく育たず、立ち枯れしてしまった草花は数知れず。

でもそれを乗り越えて、家族の一員のように長く付き合える草花との出会いを切望しています

試行錯誤しながら、これからも楽しんでいくつもりです。

 

 

 

水仙と浜菊

球根と宿根草の草花が可愛い芽を出し始め、春を待ちわびています。

 

とは言え、体力がない私のこと。

横着なガーデナーですから、最小の労力と、最小の経費で楽しむことが理想です。

数年の初期投資はしばらく高くついても、その内、その理想も叶えたいものと願っています。

今一番悩んでいることは、庭の中央のバ―ゴラに絡ませる植物の選択。

十数年、思いあぐね、いまだに放置したままです。

バラが理想ですが、体力的に世話をする自信が持てなくて。

でもそろそろ決めなくては、と思うこの頃です。

 

 

ムスカリとチューリップ   ブルンネラ 

 

ガーデニング、夫の病、その他いろいろ綴りたいことは、事欠かない最近の私ですが、相変わらず書くまでは、うまくまとめる自信が持てません。

宿題を抱えているようなストレスも相変わらずです。

その度に自分自身に言い聞かせていることは・・・・・・

以前にも書きましたが、心に浮かぶ思いを、一つ一つ丁寧に拾って、衒いなく真正直に書き連ねていけば、何とかなるもの、といった気持です。

 

それにしても、「度忘れが気がかり」のタイトルの記事の反響がすごくて、驚いてしまいました。

「ど忘れ」はだれでもあることですが、私の場合、かなりひどい内容でしたから、記事にしたのですが。

皆さんも、気がかりな事でいらっしゃるのでしょうか。

そうならば、同憂同士、励まし合って、いきたいところですが、皆様は私ほどひどい経験はおありではないでしょう。

今後は気をつけて、わが症状を経過観察します。(笑)

徒然なるままに、何だかとりとめのない文章になってしまいました。

恥ずかしいですが、今日はこれで終わりにします。

 

 

a様へ(kさんの事です)

相変わらず手厳しい私の批判を読ませていただきました。
私があなたのブログを時々お訪ねすることに全く他意がないことをお伝えしたばかりですが、ご理解して頂けなかったようですね。

しばらく訪問を控えていたことも再々ですが、2カ月ほど前でしたかしら。
或る方のブログから、偶然辿りつきました。
HNを変えておられましたので、あなたと知らずお訪ねしたにすぎません。

以前にもお話ししたことがありますが、些細な事で最初にトラブルが起きた後のことです。
三名の方のブログを当記事で、勝手ながらご紹介させていただいた事があります。
鮮明な美しい画像に心惹かれてのことでした。
ブログ名は「天真爛漫のちゃらんぽら」、「60からの一人旅」、そして貴女のブログです

水面の写真には、特に惹かれています。
湖、川、海の幻想的な画像には、たびたび感動してきました。

ネットの記事は不特定多数の人が見ることができます。
ですから、私がお訪ねしても、迷惑にはならないのでは、と思っていました。

「ブロック」と言う言葉を度々使用されましたが、ブロックはされていないのが常でしたから、本音は、私の訪問を疎んではいらっしゃらない、と解釈してきました。
それはどうも甘かったようです。

最近の貴女の過激な発言で、よく分かりました。

写真が拝見できないのはかえすがえす残念ですが、今後はお訪ねしません。
ですから、目を疲れさせてまで、私の訪問をチェックするような無駄な作業はもうなさらないでくださいね。

御自愛のうえ、ブログライフを心から楽しまれますよう、お祈り申し上げます。

 

      

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気がかりな度忘れ

2014-02-25 07:43:25 | 暮らし

最近は、記憶力の衰えを、ことさら感じることが多いです。

もともと忘れっぽい性格なので、今までは気にする事はほとんどありませんでしたが。(笑)

最近、その傾向が余りに著しい出来事があり、ショックを受けました。

自分のブログにおいても、そうです。

オリンピックと大雪の話題を題材にして綴った所までは、記憶にありましたが、それ以前の事が思い出せなくて、改めて過去記事を見直して・・・・・・

友人のことを話題にしたのだわ、と思い出す始末。

 

置き忘れによる探し物など日常茶飯事で、自ら犯す時間泥棒に、情けなさを通り越して、呆れるばかり。

又探し物、とさすがにおっとり系の私も、自分自身にいらいらします。

 

ノースポール

 

年のせいにすれば、それで諦めが付くのかもしれないけれど、それでは進歩がありませんものね~

何とかこれ以上、物忘れがひどくならないように、脳の鍛錬をしなければなりませんが、その対策は?

頭脳も使い、指先もまめに動かすブログ綴りほど、効果ありの所作はないと思うのですが。

 

では、運動不足かしら。

日々の生活に散歩を取り入れたいのだけれど、なかなか実行できません。

けれど、家事だけでも、少なくとも数千歩は歩いているので、過度の運動不足、と言うほどではないでしょう。

甘いもの大好きで、お茶のお伴にお菓子を用意しての一服は、私にとっては至福のひと時。

無論一口で食べられる量のものに抑えていますが、日に5~6回は楽しんでいます。

それでも体重は、ここ数年ほぼ変わりありませんから、お菓子のエネルギーは、家事労働で恐らく消費されているのでしょう。

となると、今の物忘れは、予防策のないやはり加齢の仕業?

 

ヘリクリサム・アリッサム・パンジー・ノースポール・ネメシア・ジャノメエリカ

 

最近、経験した、私の究極の物忘れは、夫の退院時の際に体験したことを、数日後にすっかり忘れてしまったことです。

夫のストーマ装具の交換法は、病室で幾度も練習させてもらいましたから、退院後も、スムーズに私は取り替えられ、全く問題は生じていません。

但し交換は、それだけではありません。

腹腔に溜まる膿を抽出する管を通した箇所のガーゼ交換もしなければなりません。

 

その交換を夫に初めて頼まれた時、私は少々ひるみました。

「上手にできるかしら?初めてのことで自信がないわ」と。

 

ところが、そのガーゼ交換の手順を、退院時の朝、看護師が私に指導したじゃないか、

と旦那様は言って譲りません。

「おまえは、メモまでしていたよ」と言います。

けれど、私は全く覚えがなくて、それをメモした用紙も見当たりません。

 

すっぽり、その時のことが記憶から抜け落ちていて、いかに思いだそうと努力しても、思い出す事ができませんでした。

こんなこと、初めてです。

ド忘れしても、他の人から説明を受けると、思い出して事なきを得るのが普通ですよね。

 

その後も、数日間、そんなことあったかしら、と記憶をなぞり続けましたが、しばらく思い出せなくて。

1週間後辺りでしたでしょうか。

そういえば、そんなことがあったような気が幾分してきました。

けれど、結局、確かな記憶は未だに蘇らないままです。

 

 

でも旦那さまは記憶力抜群の人ですから、私が忘れても何の支障もありません。

Yさんの指示通りに、私はやればいいだけのことですから。

ストーマ装具交換は三日目毎に、もう一箇所のガーゼ交換は、二日毎に行いますが、もうすっかり私は手慣れています。

 

この出来事があって以来です。

自分の脳の老化を、一層意識するようになったのは。

その後はさしあたって、何の問題も生じていませんから、まだしばらくは持ちこたえそうですが。(笑)

 

ひと月ほど前のこと。

友人と電話でおしゃべりをした際、認知症のことが話題となりました。

そして、切ないお話しを友人から聞き、他人事とは思えませんでした。

わが身が、いつか同じ運命を辿っても不思議ではない、と。

 

そのお話しとは、友人のお姉さまについてです。

とてもお洒落で、山登りがご趣味の、行動的な明るい方のようでした。

そのお姉さまが、アルツハイマー病に罹られ、数年を待たずしてあっという間に、下の世話も自分で出来ないほどその症状が重くなられたそうです。

 

お姉さまの異変に、友人が最初に気づいたのは、銀座で会った時のこと。

とてもおしゃれでセンス抜群のお姉さまにもかかわらず、その日は登山用の服装で銀座に見えました。

友人は、

「服装にもTPOがあるんじゃない?」

とやんわり意見を述べられたようです。

ところが、お姉さまは、全く意に介されないご様子だったとのこと。

 

その後は、認知症が急速に進まれ、、日常生活もままならない状態になられたようです。

登山と言えば、妹・夢路の趣味ですし、お洒落は、幾分私に当てはまる言葉かもしれません。

ですから、このお話しは真に迫り、私の心に切なく響きました。

 

セイヨウサクラソウ

 

私の母は、75歳で亡くなりましたが、70前後から認知症が急速に進みました。

アルツハイマーではありませんでしたが。

しかし、とても可愛いボケ方で、まるで私の陰のように、私を慕って、傍を離れませんでした。

 

私も4月には古希を迎えます。

とはいえ、ばばぁ~と他のブロガーさんから呼ばれるほど、老いぼれてはいないつもりです。(笑)

 

心と見かけは60代前後くらい、と自認したいところですが、脳年齢は如何なものでしょうか?

最近のショックな出来事以来、幾分自信喪失気味です。

体力となると、年相応、あるいはそれ以下でしょうね~

 

もし、アルツハイマー病が宿命づけられているのであれば、如何に心配し予防を心がけても、避けられない事かもしれません。

もと国の元首だったレーガン氏やサッチャ―女史でさえ、患った病ですから。

 

どうせかかるなら、私の母のように、可愛いく呆けたいものですが・・・・・・

そのためにも、心を磨き、年を重ねても老醜がでないように気をつけて、心清らかに日々を送りたいものです。

 

アルツの宣告を受けたなら、がんで余命半年と言われるより、はるかに衝撃的で辛い出来事になるのでしょうね~

出来れば避けたいことと、心から願います。

 

今日は朝から、少々暗いお話しで、ごめんなさい。

読み流された後は、忘れて下さいね。

 

      

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完璧な舞に感極まって・・・・・・

2014-02-23 07:30:21 | 暮らし

夫が病の身で(とはいえ、とても元気です)、個人的には外出もままならない平凡な暮らしながら、なぜかブログの話題には全く事欠きませんでした。

けれど、ここ数週間は、決して平凡とは言えませんでしたね。

ソチ冬季オリンピックが始まり、大雪にも二度、見舞われました。

感動と困惑で心が揺さぶられた日々と、と言えばいいのでしょうか。

 

私は、静かな生活が好き、と言うより、それに慣れてしまったので、余りに心を動かされる出来事には、心身共に弱いところがあります。(笑)

一昨日は、ライブではありませんでしたが、女子フィギアースケートのフリ―演技に感動の余り、朝から少々疲労気味。

選手たちの迫真の華麗な舞を、息を呑む思いで見入ってしまった私です。

結果は分かっていたので、緊張しないで済みましたが、浅田真央さんの完璧な演技には、心が震えるほど感動。

彼女の前日の苦悩とプレッシャーを思い、そこからよく立ち直れたもの、と。

その逞しさと一途さに、目頭が熱くなってしまいました。

彼女のみならず、上位の選手達は、いずれも、素晴らしい氷上の舞いで、僅差の闘いでした。

 

予定外の事で、2時間近く朝の時間をつぶしてしまった私。

日頃のリズムを取り戻すのに、少々時間はかかりましたが・・・・・

真央ちゃんの素晴らしい演技と、終了後の涙にぬれた清々しい喜びの表情が忘れられず、しばらく感激の余韻に浸っていました。

 

妹・夢路のブログ(プラチナのように輝いて)から拝借の画像です。

 

 

彼女のフリー曲のラフマニノフ・ピアノ協奏曲第二番は、私が大好きな曲の一つです

ですからその曲が使用されたことも、とても印象的で嬉しい事でした。

今後はこの曲を聴く度に、彼女のオリンピック最後の舞が浮かんでしまいそうです。

 

私達は、スポーツにおいてドラマ的シーンに出逢うと、日頃は絶対味わえないような感動の渦の中に巻き込まれてしまう事がよくありますね~

何故でしょう?

思うにスポーツの成果は、日々のたゆまない努力、鍛錬、忍耐を伴う練習の末の昇華だからかもしれません。

特にオリンピックの選手達の日頃の心身錬磨は、人間の肉体の限界に挑むほどの過酷な物のはずです。

それが実を結び大輪の花を咲かせた時、観る者も、その苦労を思い、感極まってしまうのでしょうか。

今回のフリーの浅田真央さんの演技は、前日の経緯から、それ以上の感動を覚えたのは当然のことのように思います。

 

オリンピック参加となると、アスリートたちは、突然国代表と言う大きな責任と重荷を負わされてしまいます。

その重圧たるや、大変なものでしょう。

参加することに意義がある、本来は個人技を競うスポーツの祭典(団体戦もありますが)のはずなのに、マスメデイアの盛り上げ方はそれを許しませんね。

私たち国民も、国を意識してみるのは止むをえないことで、当然の成り行きかもしれません。

 

但し日本人は、スポーツの選手には、懐が深く優しい国民のように思います

勝ち負けで、選手を差別したり、糾弾はしませんよね。

 

数年前のこと、テレビで耳にしたのですが、国際試合で負けると、殺される危険性さえある国もあるようです。

ワールドカップのサッカー試合の話でしたが。

そこまでの緊張を強いられた選手達は、気の毒としか言いようがありません。

 

負け、期待に添えないと、途端に冷遇する国は、確かにあるのかもしれません。

選手の自主性を重んじず、国によっては、才能ある個人を、オリンピック選手に長年にわたって仕立てあげる風潮もあるでしょうから。

そうなると、オリンピックの平和の祭典の意義も、次第に薄れてしまいそうです。

オリンピックも、時代の流れとともに、多少の変化はあるのでしょう。

商業主義が強く出た時もありましたね。

今はどうなのでしょう。

オリンピックにおける裏外交は慎むように、との訓示もありましたが。

 

理想は、最近の記事で一度述べたように、国を問わず、素晴らしい演技をしたすべての選手に同等の拍手が贈られれば、それが一番、オリンピック精神にかなうはず。

オリンピックに参加できた時点で、アスリート達の素晴らしい実績に、心からの賛辞を贈りたい。

東京オリンピック時は、観衆がその精神を大事にして観戦することを心がけたなら、類ない素晴らしい雰囲気のオリンピックになる、と私は確信します。

 

      

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日々の暮らしをいかに充実させるか・・・・・・

2014-02-21 07:16:54 | 暮らし

昨夜はブログのことで少々落ち込み、旦那さまの夕食の用意のみし、早々と床に就きました。

そのため、今朝(20日)は、真夜中の2時過ぎに目が覚めてしまった私です。

私のストレス解消法は、眠ること。

これほど安上がりで、手っ取り早い手段は他にはないでしょう。

二十分の仮眠でも、十分その効果はあります。

 

落ち込んだ日の就寝前に、私が最近、更に取り入れたこと。

それは、日頃はもったいなくて小粒の真珠玉程度しか塗らない美容液を、数倍肌に塗り付けることです。(笑)

翌朝、鏡で、多少でも前日より輝いた張りのある肌を見ると、女ごころは、それだけでも元気が出てくるものですね~(笑)

ストレスは美容にも大敵ですから。

 

そんな朝でしたが、日本ブログ村のマイページを開くと、思いがけずたくさんのインポイントを頂いていて、驚ろき、感激してしまいました。

恐らく、「かれん桜さんらしいわね~」と苦笑いしながら、ポチっと押して下さったのでしょうか。

恥ずかしながら、本当に有難うございます。

お陰さまで、とても元気づけられました。

 

 

最近は、暮らしのリズムがうまく取れていて、割と日々の日課が順調にこなせています。

昨日は、夕方から、そのリズムが崩れ、立て直せそうになかったので、早々と寝てしまったのですが・・・・・・

今朝は、気分一新し、また溌剌と日課をこなしつつある、といったところです。

 

まだ真夜中にもかかわらず、私は、家事の日課と幾種かのデスクワークを同時進行でこなしています。

「同時進行」

このやり方が、一番私には向いていて、心が満たされるようです。

 

長女に、

「ママは欲張り過ぎだから、なかなか達成感が味わえないのよ」

と言われたことがありましたが、確かに的を射ているかもしれません。

 

でもお稽古事などと言った、それなりに努力を必要とする事を日課に取り入れているわけではありません。

マイペースで、気ままに出来ることばかりです。

やりたくなければやらなくても、生活に然程の支障はきたしません。

 

だからこそ、無計画にだらだら過ごしていては、私の多種多様な日課をやり遂げることは到底無理でしょう。

そうならないためにも同時進行は、非常によい暮らし方だと思っています。

この方法は、真新しいことではなく、新聞や書物で推奨しているのを、2~3度見た覚えがあります。

 

 

しかし同時進行とは言え、長女が言ったように欲張りすぎて、その項目が多過ぎの私。

十種類近くあるデスクワークを同時進行でこなすのは、結構大変!

家事も同様です。

身支度、整理整頓、ガーデニング、お洗濯、掃除、収納箇所の整理、調理等・・・・・

デスクワークは、日記と料理ブログの記述、他の方のブログ日記の訪問、家計簿の記載、新聞通読、読書、料理・ガーデニング等の学習、手紙を書く、その他、といった具合です。

この方法ですと、大変ながら、日々多少でもすべての事がこなせ、前に進んでいくので、とても満足感が私は得られます。

時間の分担は僅かですから、手紙も、便せんですと一週間がかりの事もありますけれど。

 

その都度、優先する項目は必ずあるのですが。

午後からは、むろん料理が優先になります。

但し、それのみに打ち込むのではなく、他の日課も僅かでも順番に取り入れています。

 

 

多くの皆さんは、こんなことなさらず、目の前のさしあたってしなければならない家事をこなしながら、なんとなく日々をお暮らしなのかもしれません。

いつか親しくしているご近所さん数名でお食事を共にした時、この話をしたところ、笑われてしまいました。

「計画なんて立てないで、なんとなく暮らしているわ」とおっしゃっていました。

 

 

私は疲れやすい体質のため、度々襲ってくる疲労感に如何に打ち克つかが、人生の大きな課題でした。

そのような自覚に目覚めたのは、多少成長した結婚後からですが。

それからは試行錯誤の繰り返しでした。

最近は、無理のない程度のにんじん(私の場合は、その日の小さな多くの目標)を目の前にぶら下げ、同時進行で、それを一つ一つこなし消化しながら暮らしています。

すると、あまり疲労を感じないで物事が効率よくはかどります。

生活にメリハリを付ける、と言うことかしれません。

一つの事に長時間集中すると、ぐったりしてしまって、私は、しばらく立ち直れなくなってしまいますから。

 

シニアー世代ともなると、多くの方々は、これまでの経験を生かし、自分が一番快適と思える暮らし方を、すでに確立されておいでなのでしょう。

私は相変わらず、迷ってばかり。

掛け替えのない日々を、少しでも充実させたいとの思いは、人一倍強い方かもしれません。

私のブログタイトル、「今が一番素敵」も、その願いの表れです。

未だ理想型を見出しているとは言い難い私ですが、日々の暮らしの工夫を楽しんでもいます。

今後も、計画ノートとタイマーを常にお伴にして、悔いのない日々を過ごし、自分磨きに努められれば、幸いです。

 

画像は、後程アップ致します。

 

      

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大雪は懲り懲りだけれど・・・・・・

2014-02-19 07:09:21 | 暮らし

「水曜か木曜日、また雪が降るらしい」と夫が話したのは、週末だったでしょうか。

その後のYさんの話しでは、それは避けられそうで、ホッとしていますが。

私は、かなりのショックを受けました。

今時はやりの言葉、想定外が当てはまるような大雪に、先週の週末、また見舞われたばかりです。

二度目は、さらに深い積雪で、北国にいるような錯覚に陥りそうでした。

 

 

事実、二度目の雪による被害は、相当大きなもののようですね~

交通網が寸断され、交通マヒによる物流障害で、物資不足が至る所で顕著となり、国民の生活にも支障をきたしているようです。

マクドナルドがパン不足なんて、信じられません。

我が家には予備の食パンがもう 一斤ありましたが、心配で、旦那さまに散歩がてら、もうひと袋、買ってきてもらいました。

このような狼狽買いは、恥ずかしいことなのですけれど。

今日(18日)は、数日分の食材の買い出しの日と決めていましたが、スーパーの食料品の物価高が心配で、明日に延期しました。

多少でも安くなった方が助かりますから。

 

さて、二度目の大雪の当日。

前回と同様に、ご近所の方々が出ての雪掻き作業になりましたが、最初の時ほどの威勢が感じられませんでした。

皆さんが現われたは、11時前頃だったでしょうか。

恐らく、「またか」とのうんざりした気持ちはいずこも同様で、出足が鈍られたのでしょう。

私も同じでした。

 

この画像は最初の大雪のもので、二回目はもっと積雪が深かったです。

 

家事をしながら、常に外の気配に耳を澄ませていた私。

雪を掻くスコップの音が聞こえ始めたなら、おもむろに出ていこう、と心に決めてはいたのですが・・・・・

「どなたも出ないようであれば、私も待機したまま、自然に溶けるのを待ちたいなぁ~」なんて横着な気持ちに。

そんな願いが叶うわけありませんのに、お日様がガンガン照り付け、雪を溶かしてくれることを夢見ていました。

けれど、やはりその内、音が・・・・・・

サック、サック、と。

前のご主人さまが、作業開始です。

 

雪の重みに耐えられず折れた庭の草花達

 

すると、早く出てお手伝いをしなければ、と、私の気持ちが焦り始めました。

そうはいっても、我が家のポーチ周辺の雪掻きが精いっぱいの私なのですが。

前回では、御夫婦揃って、或いはご家族総出の光景も見られましたが、旦那さまが代表となり、その作業をされる家がほとんどです。

特に今回はそうでした。

 

体力のない私は年齢的に、もうそろそろ限界のようにも。

でも、そんなことは言ってはいられません。

旦那さまは病の身ですし、歳を理由に引籠りに徹する勇気もない私です。

三番目くらいに早々と出陣し、雪との格闘開始でした。

 

西洋サクラソウ

 

実は婿が、手伝いに来てくれることになっていたのですが、バス停に行くと、バスは運行が中止。

タクシー乗り場に行くと、待てど暮らせど、やってこない。

そのため、「これから歩いて行きます」と、申し出てくれました。

私はとんでもない、と思い、断りました。

その優しい気持ちと言葉だけで、十分です。

 

私が住む町は、東急電鉄が丘陵地帯を計画的に開発、造成し、作り上げた街並み。

並木道路は広く、垢ぬけた佇まいで、私は東急家族の一員のようなつもりで暮らしています。

次女婿は、この町をこよなく愛し、我が家の最寄り駅のすぐそばのマンションを購入してくれました。

そのお陰で、老夫婦にとってはとても心強い存在です。

 

しかし丘陵地帯だったため、坂道が多く、雪にはとても弱い所。

大雪の日から二日経過した17日も、自宅方面行きのバスは、運行停止状態で、困ったものです。

こんな状況ですから、深い雪道を徒歩で婿が往復するのは並大抵のことではありません。

 

 

私は自分でできることは、年の限界まで自分でやり遂げ、若夫婦の優しい言葉は、すべて貯金しておこうかしら。(笑)

老化予防のためにも、自立した暮らしを維持し続けたい、といくら願っても、必ず頼らないと生きていけない日が訪れますものね~。

その時は、素直にその優しさに甘えさせてもらい、残り少ない余生を、何の心配もしないで穏やかに暮らしたいものです。

 

それにしても、我が国は相変わらず受難続きで、今後が思いやられます。

北国ではありませんから、この度のようなひどい雪害までは想像していませんでした。

しかし、災害が多い事は、今に始まったことではなく、日本民族の宿命と言っても過言ではありませんね。

四季の激しい移行も、大昔の住民は、災害と思えるほど戸惑ったのではないかしら。

私の勝手な想像ですが。(笑)

しかし、度重なる天変地異に耐え、そのたびに知恵を働かせ、逞しく生き抜くことで、日本人は賢くなり、繊細な情感を持つ民族として、多方面で、著しい発展を遂げてきました。

そう思うと、多少勇気が沸いてきます。

先人たちに倣い、いかなる災害も、明るく元気に乗り越えなくては、と。

 

ネメシア

 

またまた、きれいごとを書いている私。

建て前はそうでも、やはり大雪の雪掻きはもう懲り懲り。

娘には、「三度も雪かきの重労働をさせられては、ママの命は縮んでしまう」

な~んて、大袈裟な事を言っています。(笑) 

 

        

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栄光の陰の苦労を知って、ますます感動

2014-02-17 07:14:07 | スポーツ

 

オリンピックが佳境に入り、日本選手の活躍も目立ってきました。

歳のせいか、気分的にはいつもほどの盛り上がりを自分自身に感じていなかったのですが・・・・・・

目覚め時間のタイミングが、割りといいようです。

ライブとはいかなくても、それに近い感動の一瞬を、十分味わうことができています。

 

 

今朝(16日)も目を覚まし、階下に降り、さっそくテレビをつけたところ、ラージヒルのジャンプの試合中継中。

と思いきや、すでに試合は終わっていました。

けれど、画面の雰囲気と、アナウンサーの高揚した口調から、日本選手が期待通りに活躍したことが分かり、胸躍る思いでテレビにくぎ付け。

案の定、葛西選手が銀メダルの快挙。

他の選手たちが、彼を称え、抱き合い、歓喜する光景は、実にさわやかで素敵なものでした。

 

 

私は日頃、スポーツに然程興味があるわけではありません。

新聞のスポーツ欄は飛ばしたり、読んでも斜め読み程度。、

ですから、この度のソチ冬季オリンピックでも、選手にまつわる予備知識は全くと言っていいほどありませんでした。

 

 

ところが、テレビはむろん、連日新聞紙上を賑わすオリンピック報道は見ないではいられません。

そして華やかな演技の裏で、いかにアスリート達が苦労をしてきたか、といった裏話に、とても弱い私です。

その苦労を知ると、ますますその栄光が輝いて、私には感じられてきます。

金メダル受賞の羽生選手も銀メダルが決定した葛西選手も、大変な苦労人であることがよく分かりました。

 

 

40代にして、オリンピックで初めて受賞した葛西選手。

そのメダルには、特別の重みと輝きを、どなたでも感じられたに違いありません

彼のスキー人生が、これまでいかに山坂あり大変であったか、といったことも、最近の報道で初めて知った私です。

肉体の衰えとも闘い続けなければならなかったでしょう。

若い人達には、たゆまぬ努力の大切さを思わせ、人生の励みにも模範にもなる存在、と言えるのかもしれません。

 

 

彼は金メダルを目指し、これからもなお、頑張るそうです。

不惑の40代ですもの、彼の行動力は、その言葉にふさわしいですね~

正に中年男性の星、といったところかしら。

いえいえ、老若男女を問わずでしょう。

同じ世代の若夫婦達も、今後の人生、葛西選手のように、夢と目標を見失わないで、ひたむきに生きてほしいな~、と願ってます。

如何なる困難も、彼のように、不屈の精神で乗り越えて下さいね。

 

 

 一方、19歳にして金メダルに輝いた羽生選手。

一見、まだ初々しい少年っぽささえ感じられる若者ですが。

大変な苦労を背負いながら、練習に励む歳月だったようです。

それを知った時の私の驚きは、結構大きなものでした。

 

彼は幼い時から喘息持ちで、数年前、海外での練習中にも激しい発作に見舞われ、休養を余儀なくされたとのこと。

その体質を改善するために、針療法の治療が欠かせず、それを受けながらの、激しい日々の練習のようです。

しなやかで華麗な演技と柔らかな表情からは、そのような苦労は、みじんも感じられませんが。

 

更に東日本大震災の被災者の一人でもある羽生選手。

自宅はむろん、練習場のリンクも倒壊し、しばらく利用できなかったとのこと。

知らなかったのは私くらいで、今さら書く程の事ではないのかもしれませんが、そんな苦労を乗り越えての金メダル。

日本中がこの喜びに沸いた中、特に東北の方々の嬉しさは、格別のものでいらしたに違いありません。

まだ若い青年ながら、彼の不屈の精神に、葛西選手同様、心からの賛辞と拍手を送りたいきもちでいっぱいです。

 

メダリストになった選手を除けば、アスリート達の試合結果の成績は悲喜こもごもなのでしょうが・・・・・・

その結果にかかわらず、すべての選手たちに同様の拍手を届けたい。

選手全員のこれまでの並々ならぬ努力と苦労、そして、そのひたむきさを思い。

各国と競うことではなく、オリンピックに参加できたその成果を、一人ひとり称えてあげたい。

それが、私の理想ではありますが・・・・・

でもやっぱり、わが国の選手のメダル受賞は、格別に嬉しくて嬉しくて・・・・・・

が正直な思いです。

 

追記

とても残念ながら、羽生選手の演技の写真をまだ撮っていなくて、この記事に載せることができません。

これから、まだ観るチャンスは度々あるでしょうから、その折りにでも撮り、あとからこの記事にアップしたいと思います。 

 

      

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軽やかな体で働けるように その心がけを大切に

2014-02-15 07:31:25 | 暮らし

寝過ごしてしまった私。

今(昨日の14日)は6時半で、これから朝食、身支度では、ブログ綴りのタイムリミットの七時まで残りわずか。

日頃の私ですと、止むを得ず延長するところですが、このけじめは今後出来れば厳守したい私です。

 

そういえば、今朝のNHKの朝のニュースで、ネット依存症の事が報じられていました。

そのような若者たちが、お寺に通い、写経をしたり、仏像の絵をなぞったりして、精神を統一し、そのような暮らしを反省、改善する事が目的のようでした。

お寺を出ると、途端にスマホを覗く若者たちに苦笑いしてしまった私ですが・・・・・・

 

私は果たして、どうでしょう。

そこまでには至っていないでしょうね~

携帯のネットは私はキッズ用にして一切見ませんし、メールもやりません。

PCに向かうのは日記ブログと、料理ブログの他は、ブログ村の他の方々の日記を読ませていただく程度ですから。

 

昨日14日の窓からの雪景色

 

でも願わくば、もっとネットとのお付き合いを短くしたい、と常々思い、悩んでいます。

そのためには、日記の更新回数を減らすなり、思い切って料理ブログは辞める、といったことも再三思ってきたことですが・・・・・・

習慣化してしまうと、その生活を変えるのも、結構なエネルギーと固い決意のようなものを必要とするようです。

妹の夢路にも、折りあるごとに相談を持ちかけている私です。

 

それでも変えられない理由は、ブログ綴りを心から楽しんでいる自分でもあるからでしょう。

もう少し時間に余裕があれば、悩むことは全くないのですが。

 

同じ出窓から見た今朝の雪景色

 

そういう意味では、退職後の男性の方々にとっては、PCほど時間つぶしに良い機器はないのかもしれません。

無限の情報と知識が詰まったPCは、時間つぶしのみならず、自己研鑽にもなる道具ですから。

物理学者の次女婿も、研究は学術書より、ネットによるところの方が大きいようです。

私の旦那様は、PCはあまり見ませんけれど。

 

私は数日前も、旦那さまに、また愚痴を羨ましげに吐いてしまいました。

「退職後のあなたの暮らしが羨ましくて仕方ないわ~

あなた同様、私も子育て家事、その他の諸事一切任され、精一杯頑張って働き続けてきたのに。

主婦には、どうして退職がないのかしら?

この調子だと、私は一生働き続けることになりそうだし、若いころより、今の方が却って、忙しいくらいよ。

わたしも、退職して気ままにのんびり暮らしたいのに。

とても不公平だと思わない?」

と。

そんなこと言っても相変わらず、ポーカーフェースの旦那さまです。

こんなことを言いつつも、主婦業は私の天職と思い、誇りに思っているのですけれどね。

 

昨日の庭の様子

 

実は今日(昨日の事です。紛らわしくてごめんなさい)寝過ごしたのには、理由があります。

ここ二日間、疲れが抜けきらないので、携帯の目覚ましをセットしないで、床に就きました。。

自然に目が覚めるまで、寝たいだけ眠っていようと。

そう思っても、夜中と朝方に生理現象で目が覚めてしまうのですが。

日頃は二、三度目の目覚めで、起床することがほとんどです。

けれど今朝は、疲れを取るためにもうひと眠りと思い、目を閉じたところ、また熟睡。

その結果、ブログを書く時間がほとんどなくなってしまいました。

 

実はその前々日は、旦那さまの退院後、二度目の診察日でした。

ところが、外出中、自分でも笑ってしまうほど、寝てばかり。

幸いにも、往復共、シルバーシート席の端が確保できたため、車体に体を持たれかけるようにして心地よい眠りを貪ってしまった私です。

それも最寄り駅から、丸ノ内線への乗り換え地点の大手町まで、一度も目が覚めませんでした。

病院の帰りは、旦那さまが電車に乗るのを見届けて、私は三越で買い物を済ませ、帰途についたのですが。

帰りは、何と終点まで寝過ごす始末。

更に病院の待ち時間も寝ていました。

 

私は、眠り呆けた自分の不甲斐ない姿を恥ずかしく思う一方、自分が心底疲れている、と実感しました。

三越で買い物中も、体が重たくて、気分が余りよくありませんでした。

 

家の中で出かけることもなく、日課をこなしている程度では、自分の疲労に意外と気づかないものです。

私がそれを強く印象付けられた事が、過去の思い出にあります。

寝たきりの両親を介護していた頃のことです。

 

未だ介護保険もない時代、妹の絶大なる協力と、訪問看護婦さんの週一度の介助と治療で、何とか元気に両親の世話をしていました。

周りの方から、よく苦労をねぎらわれたものでしたが・・・・・・

私は当然のことをしているといった思いでいましたから、然程苦労に感じたことはありませんでした。

しかし真夜中も、介護は再三しなけれななりません。

年中の睡眠不足は避けられず、疲労は溜まっていく一方だったのでしょう。

 

日頃の買い物や、区役所における、諸事の手続きなども、妹が率先して引き受けてくれ助かりましたが、むろん私もたまに出かけます。

外の空気に当たると、その時初めて自分がいかに疲労困憊しているか気付かされ驚いたものでした。

交差点で信号待ちをしている時、太陽光線が異常に眩しく感じられ、頭がくらくらし立って入られないような気分に度々襲われたものでした。

 

今、我が家では、旦那さまが病を患い、私の介護を必要としています。

そのため、以前より多忙な暮らしになりました。

けれど、両親を介護していたころに比べると、比較にならないほど楽で、苦労と思うほどのことではありません。

両親を介護していた頃と同様で、妻として、当然のことをやっているにすぎませんから。

 

しかし年には勝てないのでしょう。

この程度のことでも、外出中、眠りほうけてしまうほど、私の体には負荷がかかっているようです。

 

和室から見た昨日の坪庭の様子

 

今の私にとり、何が一番大変かと言えば、三度の食事作りでしょうか。

手術に備え、体力をつけることが非常に大事と、主治医に度々言われていますので、夕食のみならず、朝、昼も、栄養価の高い食事を心がけるようにしています。

通常でも、私は半日はキッチン周りの仕事に追われている人間でした。

それが、さらに多くなっては、私の家事量は増える一方です。

 

そんな多忙な暮らしながら、好きななデスクワークとガーデニングにも打ち込み、お茶の一服も忘れたくない私です。

五服ぐらいしていて、お茶の時間が多過ぎなのが、本当は悩みの種なのですが。(笑)

今のところ、とても良いリズムで暮らせているので、この調子で頑張りたいところ。

まずは疲労をためないように心掛け、軽やかな体で日々の日課をこなす事が出来るように努めましょう。

  

この記事は、昨日の朝書きはじめた文章を、そのまま綴ったものです。

その後、悲しくなるほどの大雪で、まるで北国で暮らしているような心境。

そして今朝早く、羽生結弦選手の金メダルの快挙。

高橋選手と町田選手の頑張りにも、心から拍手を贈りたいです。

高橋選手のほっとしたような爽やかな笑顔が、とても印象的でした、

 

 

非日常のひと時に浸れた嬉しい早朝(枕元で、携帯のテレビを初めて使用しての観戦でした。笑)でしたが、カーテン越しに見た外の雪景色に又仰天。

先日より、ベランダが、もっと高い積雪になっている。

現実に引き戻されたいま、今日の私の暮らしに不安を抱きながら、ブログ綴りを終えようとしています。

又先日のように、老体鞭打っての数時間の雪掻きでしょうか。

今のところ、荒れ模様でそれどころではなさそうですが・・・・・・。

 

お出かけの方は、くれぐれもお気を付け下さいね。

 

追記 妹夢路のブログのタイトルを見てビックリでしたが、とても元気でいつもと全く変わりありませんでした。

自らが病に万一見舞われた時の思いは、姉妹ですね~

とてもよく似ていました。

又いつかこのことにも触れましょう。

経過観察程度の症状であることをひたすら祈っています。

 

 

      

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久方ぶりに時事の話題 冬季オリンピックと都知事選

2014-02-13 07:27:21 | スポーツ

スポーツの平和の祭典、ソチ冬季オリンピックが開催され、一週間が過ぎようとしています。

出だしは好調とは言えない日本でしたが、ここ数日ではメダリストも登場し始め、嬉しい限りですね~

 

 

開会式は真夜中の放送ゆえ、リヤルタイムで観ることは諦め、私はその番組を録画しました。

テレビ好きではない私です。

録画とはいえ、くぎ付けになり数時間、観続けるのは無理なため、家事の合間や、家事をしながら、最後までの視聴でした。。

 

 

さすが伝統的に、音楽、バレエなど芸術に秀でたお国柄。

気高ささえ漂う、洗練された清々しい演出に魅了されま した。

 

 

日本の出だしは、期待に反して不調でしたが、今回は、然程残念に思えない私。

年のせいかしら?(笑)

若いころは、もっと愛国精神が高揚したものでしたが・・・・・・

 

 

 

無論、選手たちのこれまでの想像を絶する練習の苦労を思い、その成果を最大限に発揮してほしいと願うものです。

しかし、オリンピックでメダル数を競い、国威を高めようとするのは如何なものでしょうか?

まして失敗した他国の選手を嘲笑するなんてことは、絶対あってほしくないですね~(浅田真央さんの件)

 

 

私は今回の華麗な開会式を見て、しみじみ感じたことがあります

このオリンピックがなければ、世界はもっとぎすぎすしたものになっていたのではないか、と。

開会式を観た人達は、平和の有難さを再認識したに違いありません。

人種、民族、宗教等の違いを超え、アスリート達が一堂に会し、輝いた笑顔で存在することの意義を思い。

こんな素晴らしい祭典にもかかわらず、テロにおびえなければならない現実は、本当に悲しいことですが。

オリンピック開催の陰で、差別、貧困、紛争などで苦しむ人たちがなお、地球上に数知れずいることにも思いを馳せなければならないのでしょう。

 

 

六年後には、いよいよ東京で開催されるオリンピック。

そして、この度の選挙で、都知事は舛添氏に決まりました。

私は、横浜市に在住していますが、出かけるのはいつも東京ですから、横浜都民(笑)の意識で暮らしています。

ですからこの度の選挙にも高い関心があり、できれば一票を投じたいほどでした。

 

 

投票者の思いはそれぞれでしょうから、選挙の事に触れるのは多少ためらいもありますが・・・・・

私の個人的感想は、舛添氏には、猪瀬氏と変わらない高い能力を感じ、大いに期待しています。

元厚生労働大臣と言う経歴と、実際に認知症のお母様を介護された身でいらっしゃいます。

恐らくその経験を生かし、今の日本の課題に取り組み、よい成果を出してくれるに違いありません。

自民党を飛び出した情熱も、この際買いましょう。

このお人柄から、政府の言いなりには絶対ならない気慨を感じますから。

 

 

さてこの都知事のもと開かれる2020年の東京オリンピックのころ、日本はどんな状況になっているのでしょうか。

綱渡りのようなアベノミクス経済が、今の上向きな状況を、それまで果たして維持できるのか。

そうならば、嬉しいことですが、エネルギー問題、著しい高齢化、格差による貧困の増加、消費税アップ、最近の自然災害の多さなど。

乗り越えなければならない課題が山積しています。

 

 

舛添氏には、都知事として、これらの課題に真っ向から取り組み、我が国の首都、東京が、まず模範を示してほしいものです

そして東京オリンピックが、夢と希望に満ちた輝かしい式典になることを、心から願って止みません。

 

すべてテレビの画像を撮ったものです。

 

私のブログ綴りの時間リミットは、一応七時ですので、これで打ち切り、家事をしながら、推敲をボツボツしていきます。

画像は、また後ほどに。

今後もこの方針でまいりますので、よろしくお願い致します。

 

      

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どか雪に足がすくんで・・・・・・

2014-02-11 05:56:28 | 暮らし

皆さまのお住まいの地域は、当地同様、まれに見る積雪でいらしたのでしょうか。

シニアー世代ともなると、雪かき作業は一苦労ですが、私は老体鞭打って、夫の分まで励もうと数時間頑張りました。

朝、目覚めた時、ベランダの手すりに、二十センチ程度の雪が積もっているのを見て、まずびっくり。

これは大変、と怖れをなした私でしたが、東の空は朝焼けで茜色に染まっていました。

雪景色とのコントラストが目に鮮やかで美しく、ほっとしたものです。

 

ブログ日記を書き終え、朝寝坊の旦那さまの朝食を用意し、いよいよ雪かきと、玄関ポーチに出たところ

階段の状況を見て、仰天!

しばらく茫然としてしまいました。

足首まで埋まってしまいそうな積雪。

雪と言うより、私には白い岩盤のように見え、足がすくんでしまいました。

 

 

驚いている時、旦那さまが二階から降りてきました。

「ねぇ~あなた。凄~い雪よ。どこから手をつければいいか分からないわ?」

と嘆かわしい声で、Yさんに話しかけた私です。

「一人では無理」と弱気になりましたが、今は全く頼りにならない旦那さま。

助け船を出してもらいたい次女夫婦は旅行中です。

 

すぐ思い直し、自らを鼓舞し、ひたすら除雪作業に励みはじめました。

私らしく、愛用のタイマーを1時間にセットして。(笑)

長時間やり過ぎると、体力の消耗が早過ぎ、かえって能率が上がらないと思い、タイマーが鳴ったら10分程度の休憩を入れて一服することにしました。

 

 

私が作業を始めた時は、まだ5~6人でしたが、その内、80代の方を除き、ご近所の人達がほとんど勢揃い。

御夫婦だけでなく、社会人になられたお子さん達も皆さん協力して下さいました。

数時間かかったものの、見事に除雪が完了し、通行に不自由のない状態になりました。

 

雪のみならず、地震、巨大台風、竜巻、何でもありの今の世相です。

遠くの親戚より、近くの他人と言った諺がありますものね~

御近所の方々が揃って笑顔で協力しながら除雪に励まれる姿に、私は頼もしさと心強さをを、とても感じることができました。。

 

急速に高齢化が進む、我が国。

出入りもあり、若いご家族もおられますが、我が地域も同様です。

覚悟を決めて、又の時に備え、もっと体力をつけなければ、その内役立たずの人間になってしまいそう。

 

右側の花壇 

先日、次女宅で御馳走になった時、娘達と主人が、

「風邪ひとつひかないほど元気」

と、お互いに健康自慢をしていました。

旦那さまも、今でこそ、病で臥す事が多いですが、70代になる前まで、とても丈夫な人でした。

娘達に、「風邪を引いて会社を休んだことは一度もないよ」と。

すると娘達が、「私達も似たようなものだわ」と。

それに対し、私は、応えました。

「いいわね~あなた達は丈夫で。私は、体力がないために、人生でいかに損をしてきたか分からないわ」と。

 

 軒下に避難させたものは、いつもと変わりなく元気ですが・・・・・・

これからでも遅くありません。

体力増強に励み、今後の異常気象に備えるのみならず、国の医療費削減にも貢献したいものです。

と強がりを述べても、実際は雪かき作業が終わると、ぐったり。

即ベッドに直行。

二十分の仮眠がいつもは習慣化している私ですが、雪かき後は1時間半も熟睡してしまいました。

この齢になり、今さら体力増強は無理そうですね~

私の今後の課題は、いかに気力を充実させるかでしょう。

私の母同様、気力においては、人並み以上かもしれません。

本当かしら・・・・・・?(笑)

 

無残な姿になった花もあり、涙が出そう。

草花の逞しい生命力を信じましょう。

 

その後、気付いた事は、まだ庭と、勝手口側の階段の除雪が手を付けていないことに。

それは明日に又、と先延ばししてしまった私です。

今日は(10日)、どんな状況になっていることでしょうか。

但し単独作業の範囲内ですから、気ままにボツボツ、と思っています。

皆さまは、もうお済みなのでしょうね~

羨ましいな~。

私はもうひと頑張りします。

 

      

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友の優しさ 徒然なるままに

2014-02-09 09:02:52 | 

雪舞う日に格別の嬉しさを感じ、心躍る思いがしたのは、何歳ごろまででしたでしょうか。

その頃の童心が懐かしく、戻れるものなら戻りたい心境ですが・・・・・・・

しかし、今の年齢では、その思いは打って変わり、

早朝(8日)、起床した私は、旦那さまの退院日のように予報が度外れてくれることを期待しました。

カーテンを引き、恐る恐る外を見つめたところ、

さほどの積雪ではなく、程良い雪化粧と言った感じでホッとしています。

今の状態のままですと雪かきはしなくて済むのですが・・・・・・・

これから本降りになるのかしら。

 

 

昨日のお買い物で、少々腰を痛めた私。

腰痛は、今のところ治まっているようですが、今日の雪かきを出来れば避けたいところ。

もし、雪かきとなれば、旦那さまには全く期待できない我が家です。

その上、去年、婿と孫で雪かきしてくれた次女家は、今伊豆に旅行中。

この老体鞭打って、一人で頑張るしかありませんね~

そうなったからには、覚悟を決め、精を出しましょう。

心から楽しんで・・・・・・なぁ~んて、ただのやせ我慢?

いえいえ・・・いやいやするのと、楽しむのとでは、心身の疲労はまるで違う事を承知している私ですから、心掛けだけでもそのつもりでいます。

 

昨日は、積雪によリ当分お出かけは無理、と悟り・・・・・・

ほぼ空になりかけた冷蔵庫の野菜室をみて、今日のチャンスを逃すと大変とばかりに、夕刻買い物に出かけた私です。

その準備をしている時、友の記事で御紹介した、Kさんからお電話がありました。

長年お勤めだった国際機関の会社を最近退職された方です。

出かけ先からかけて下さったようで、

「あすは大雪のようよ。帰宅したら、仏像彫刻のお稽古に出かける主人を駅まで送るので、これからお買い物なら、お迎えに行きますよ。」

と声をかけて下さいました。

無論、困った状況ではありませんでしたから、お断りしましたが、その言葉に感激してしまった私です。

お出かけ中も、その温もりを抱きしめていたせいか、さほど寒さを感じないで済みました。

 

 

スターバックスで久しぶりに一服し、買い物のメモに、記帳漏れがないか、料理カードを見てもう一度確認。

コーヒー豆を購入する際、お店の方と数言談笑。

私は豆を引いてもらう時、プレス用とコーヒーメーカー用半々にしてもらいますが。

店員さんがおっしゃるには、お店のスタッフは、プレス用を好みますとのこと。

そういえば、長女のMちゃんも、プレス用を使用した方が、味が良いと話していました。

皆さまにも、ご参考になるのではないでしょうか。

 

 スターバックスで購入したコーヒー用品です。左側がプレス用です。

 

さてその後、いつもは地下の大手スーパーに足を運ぶ私ですが・・・・・・

最近その建物と道路を隔てた位置にあるスーパーの方が、明らかに価格が安い事に気が付きました。

その上、食材に限って言えば、野菜などは、そのお店の方が豊富で気に入っています。

4月から、いよいよ消費税アップですものね~

今までとさほど変わらない予算生活を送るために、ない知恵を絞ってでも、対策を一つ一つ打っていかなければ、との思いでいます

 

今日の文章は何だか支離滅裂ですね~、

でも徒然なるままに、進めていきます。

と言うわけで、そのスーパーに向かいましたが、その途中で、懐かしい方に久しぶりにお目にかかりました。

十数年ぶりだったため、ご本人か確認するのに時間がかかり・・・・・・

声をかける際も、人間違いだったらどうしよう、と少々ためらわれましたが、思い切って、声をかけました。

「もしや、Kさんでは?私、~です」と名乗りました。

思った通り、Kさんでした。

驚いたように、懐かしさいっぱいの温かな笑顔で応対して下さったKさん。

今朝、お電話を下さった友人の御主人さまです。

 

小柄な方で、ジャンパーをお召しになり、ナップサックをしょわれたお姿は、庶民的そのもの。

でも実は、数年前まで、世界的に名の知れた大企業の副社長でいらしたのです。

威厳からは程遠いKさんのお姿からは、失礼ながらそんな立派な経歴は想像出来ないほどなのですが。

 

 

そのような恵まれた境遇でいらっしゃるにもかかわらず、奥様はお仕事に励まれ、最近退職されたばかりです。

ロス在住時、わが子のように可愛がって下さったKさんの奥様の生き方は、恐らく娘達の模範であり、大きな励みになっているに違いありません。

 

さて、K様と数言談笑しその場を離れ、スーパーに向かいました。

そこで、山のように食材を購入し、最近買った大袋のキャリーカートに詰めたものの入りきらず、数袋は手に提げ、やっとの思いで駅のタクシー乗り場へと。

日もとっぷり暮れたころ、無事に家に到着。

 

 

通販で求めました。機能重視で。

軽く、手で提げてお買い物に出かけています。

かなり大型ですが、たくさん詰め過ぎると型が崩れてしまうのが難点です。

 

すると玄関ドアの脇に、お洒落なラップで包装されたチューリップの植木鉢が置かれていました。

その下に、お出かけ先で走り書きされたのでしょう。

ノート用紙に温かな下記の言葉が添えられていました。

 

「お元気のようで安心しました。義母のお部屋にお花を買いにいきましたら、チューリップが目につきました。

赤、白、ピンクの三色の花が咲くそうです。春の足音が聞こえてくるようです。

母と、私、そして~さんにも、チューリップの鉢を買いました。

明日は雪のようです。

ほんの少しだけ、一足先の春の香りをお届けします。

どうぞお体ご大切に」

 

 

数駅先の介護施設でお暮らしのご義母様をお見舞いされるにあたり買われたチューリップを、私にまで、お届けて下さったのです。

ご退職なさったとは言え、絵画やお習字のお稽古も始められ、90歳にほど近い御両家のお母様のもとにも足しげく通われるご多忙な身のKさん。

それにもかかわらず、先日お贈り下さった洋蘭のみならず、このようなお心遣いをいただき、何とお礼を申し上げれば良いのか・・・・・・

私も退職祝いにと、心に温めているものがあリますから、その内と思っています。

 

前回の記事で、今後は一期一会のつもリで、友との交流を大切にしたいと書いたばかりですが。

Kさんは私に対してのみならず、身を持ってそれを実践していらっしゃる心麗しいご人格の方。

これからでも遅くありません。

多くのことを学ばせていただこうと、御退職を契機に、ますます親しくなれる幸せを噛みしめているこの頃です。

 

 

追記

実際は昨日の日中は、猛吹雪となり、就寝前、明日も同様の荒れ模様との報道を目にした時は、恐怖すら感じてしまいました。

今朝は、私の期待通り、天気予報は度外れのようですね~良かった!

三好達治の「雪」の詩が何故かとても好きな私です。

けれど、最近は雪害による痛ましい事故も多く、必ずしも平和な雪景色の情景ばかりを思い浮かべられない時代になってきた感じがしています。

豪雪地帯にお住まいの方々は、御自愛のうえ、くれぐれもお気を付けてお暮らしくださいませ。

 

今日は朝寝坊したうえ、これから除雪作業で忙しくなります。

画像は、暇を見つけアップさせていただきます。

 

      

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親愛なる友人達との想い出 感謝の気持ちを込めて・・・・・・

2014-02-07 07:20:01 | 

今回で、友に関する自分史は終了と思うと、一気に肩の力が抜けてしまいそうです。

最初、友のことを語り始めた時は、こんなつもりでは全くなく、一回の記事で終了するつもりでした。

ところが書くにつれ思いが溢れ、、延々と続くことに。

 

今回に限ったわけではありませんが・・・・・・。

「この表現では、私の思いが的確に伝えられていないな~」と感じ、書き直す事が、いつも以上に多かったように思います。

私が親しくしている友人は、私が心から尊敬し、見習うことが多い人達ばかりです。

ゆえに、つい美辞麗句の表現になりがちで・・・・・・

語彙が貧弱な私は、素敵、清らか、といった言葉を安易に使用してしまいます。

でも事実、私の友人の共通した長所は、心が清らかで優しさあふれる人柄であることなんですけれど。

言葉を選ぶのに苦労しましたが、拙い文章は相変わらず。

友へ抱く私の親愛の情を、正確に伝えられたとは、思っていません。

 

 

 

いよいよこの一連の記事も、今日で終了です。

書き終わる充足感が殊の外あり、改めてブログとの出合いに、感謝しています。

 

さて皆さまは、去年の過去記事で私が、親友の突然の逝去について綴ったことをご記憶でしょうか。

11月の初旬のことでした。

高校時代の親友のIさんです。

遠い想い出ですが・・・・・・

結婚式にお招き頂いたのに伺えず、祝電を打った覚えがあります。

「知性と優しさと優雅さを兼ね備えられた薫様、云々」といった文章で。

 

亡くなられた年の前年の秋、箱根の同窓会で会い、心行くまで語り明かした私達でした。

ですから、私には彼女の死が信じられず、訃報に接した時、呆然としたものです。

未だに信じられない気持でいます。

ますます美しくなられ、健康に輝いていらっしゃるようにお見受けしていたのですが。

それ以来、人の命のはかなさを一層思うようになりました。

 

但し、彼女との親交は高校時代のみで、その後は同窓会その他で、たまに会う程度でした。

度々会食の誘いを受けたことはあるのですが、ほとんど夜で、歳を重ねてからは、それは無理と感じお断りばかりしてきました。

今更ながら、それが悔やまれますが・・・・・・

 

 

 

私は奥手な性格でしたから、高校時代は、友情の固い絆を結ぶほど成長していなかったようにも。

ですから友人の有難さも、さほど感じていなかったのでしょう。

彼女の素晴らしさと相性の良さを感じるようになったのは、50代以降の同窓会からでしょうか。

亡くなられる数年前からは特に、もっともっと親交を深め、人生の来し方行く末を語りたい、と心から願うようになりました。

 

ゆえに、彼女の葬儀後、小学校からのクラスメートで私より親しかったOさんが、

「Iさんは、あなたの事がとても好きだったと思うわ」

と言われた時は、涙が溢れ・・・・・・。

私も同じ思いでしたから。

願いを果たさなかった後悔の念で、胸がいっぱいになりました。

 

彼女の訃報を知って、郷里の市政で活躍をされた同窓生のH君からの突然の便りがありました。

そこに綴られた文句に下記のような一節があります。

「これからは一期一会の思いで、友達と会いましょう」

しみじみこの言葉を噛みしめる昨今です。

 

 

さて高校を卒業後、私は京都の大学へ。

最初の二年間は寮生活でしたが、そこで素晴らしい友二人に巡り会い、親友として共に四年間の大学生活を送ることができました。

 

私は友人が出来るにあたって、特別努力をした覚えはほとんどありません。

磁石のようにお互いに自然に惹きつけられ、成り行きながらしばらく経過すると離れ難い絆で結ばれています。

相性という表現が、一番適切かもしれませんが、運命的な出会いがこの一言で言いあらわせるものでしょうか?。

 

私の友人すべてに共通した性格は、優しさが際立っていること。

そして心がとても清らかなこと。

私は別として(笑)、他人の陰口を聞く事がまたくなかったと言っていいほどです。

 

とはいえ学生時代は、お互いに未熟で価値観も確立しておらず、信念何ていった大それたものはなかったでしょう。

特に私はそうで、まだ幼さの残った欠点だらけの人間でした。

思い出すに、とても謙虚で優しかった大学時代の親友たちに、短所なんてあったかしら?

思い出せないほど、素敵で魅力的な人達でした。

親元を離れての四年間の学生生活が、親友たちの友情と優しさに如何に支えられていたことか。

改めて感謝の思いが沸いてきます。

寝食を共にしたことは数知れず、北海道、四国一周など、旅行にも再三、三人で一緒に出かけました。

果てしなく続く賀茂川の土手を、楽しいおしゃべりに花を咲かせ歩いた事も数知れずです。

 

 

「あっちゃん」との愛称だった瞳の実に清らかで美しい親友は、京大生と恋愛関係に。

絵にかいたような素敵なカップルで、私達が羨むほどでしたが・・・・・

一人娘さんで、家を継ぐことが当然と期待された身だったため、親の猛反対に遭い、それを押しきっての結婚でした。

夏休みなどの帰省中に、手紙のやり取りをしたくても、彼女はそれが許されない身。

そのため、我が家に届いて彼の手紙を、私の名前で彼女宅に転送する、といったこともしたものです。

 

私に性格が似たところも多々あり、いつも二人で行動すると珍道中気味で、笑いが絶えなかった、「やっこちゃん」。

今では、名古屋のかの有名ながんセンターを離れ、開業された旦那さまの右腕となり、多忙ながら幸せで有意義な日々を暮らしておいでです。

最近の電話で、外国旅行に誘われたけれど、今の私の体力と状況では・・・・・・。

 

京都御所の緑を庭のように享受して過ごした大学生活は、思い出深く、私の心の中で今も輝いています。

今の私なら、もっともっと充実できたのに、といった反省点もたくさんあるのも学生時代。

若かりし頃の暮らしは、いたってそんなものなのでしょう。

私の欠点もすべてよしと懐深く受け止め、親友として付き合ってくれた友人達に、今更ながら改めて、感謝の気持ちが沸いてきます。

 

 

今日の友についての文章を始めるに当たり、高校時代の親友の逝去について書きましたが。

実は彼女のみならず、私は大事な親友を、数十年前にも失っています。

先程から綴ってきた大学時代の親友の二名の一方、あっちゃんです。

最愛の旦那様とお子様達を残して、あっちゃんが慕ってやまなかった神様のもとに、早々と召されてしまいました。

大学時代、澄んだあっちゃんの深い瞳は、いつも神様を見つめて暮らしているように感じられた私です。

クリスマスシーズンに、美しイルミネーションの瞬く荘厳なカトリック教会で執り行われた葬儀のミサ。

はるばる名古屋から赴いたやっこちゃんと二人で、最後のお別れを棺の前でさせて頂きました。

思い出して綴るうちに、涙がホロリの私です。

 

去年、妹に高校時代の親友の訃報を知らせた際、

「お姉さまは、親友を早く失うわね~」としみじみと語ったAちゃんです。

他にも友人は多い私ですが、別れは本当に辛く・・・・・・

その上、情けないことに、後悔の念がいつも付きまといます。

そのやるせなさは、たとえようがありません。

 

家事に追われてばかりで余生を暮らしていては、友情を深めることはままならないでしょう。

体力は益々衰えていく一方ですが、何とか時間を効率的に過ごし、素敵な友人達との交友を一層深められないものか、と。

私を必要とする今の夫の病を思うと、それを叶えるには、相当の努力が必要と思わずにはいられませんが。

電話をかけたり、ささやかな贈り物を届けたり、と感謝の気持ちを表す手立ては色々ありますから。

会う機会が少なくても、そのような心遣いを忘れないようにしたいものです。

 

五回にわたって長々と、友との想い出を語らせていただいた私でしたが。

綴るうちに、しみじみとした感慨に浸ることとなりました。

今回の記事で、すでに幾度も使用した言葉ですが、私の人生は、如何に多くの友人達によって美しく彩られ、支えられてきた事かと。

親愛なる友への溢れる感謝の思いを胸に抱きつつ、友にまつわる私の人生史を終わりと致します。

長い間、この一連の記事をお読み下さった皆様に、心よりお礼を申し上げます。

 

      

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続 親愛なる友人達 最終章?

2014-02-05 09:28:12 | 

今日(3日)は立春。

今後は、春の微笑みが至る所で、そこはかと感じられてくるのでしょうか。

嬉しい限りです。

昨日の予報では、今朝から寒波が襲ってくるとのことでしたが、5時過ぎの我が家の室温は16度。

心配したほど寒くなく、ほっとしていますが、日中は如何に?

(予報通り、日が昇るとともに、次第に寒さが厳しくなり、午後には淡い初雪が舞い落ちました。)

 

立春の日に、友についての最終章を綴れることに、さほどの理由があるわけではないのですが、単純に嬉しく感じてしまう私です。

懐かしい友人達のことを日々綴るうちに、私の心はほっこりと温まり、一足早い春を迎えたかのような心境でしたから。

 

さて、今日は帰国後に恵まれた親愛なる友人達について書くことに致します。

帰国して我が家が落ち着いた場所は、東横線の渋谷から数駅の鷹番に所在した家族寮。

経堂の時と同様に閑静な住宅地のなかにあり、、広大な敷地に数棟の四階建ての建物が立ち並んでいました。

この寮で、私はまた尊敬して止まない素晴らしい友人に巡り会うことができました。

お名前は、Hさん。

更にその友を通して、家族寮の方ではありませんでしたが、同様のお人柄の友人Kさんにも巡り会えたのです。

我が家にも数度お招きし、細く長くその後も親交が続いています。

 

 

Hさんは、ご家族そろって敬虔なクリスチャンで、奥様の心の清らかさはたとえようがないほど。

その上、天性の明るさを備えた方ですから、いつも周りを照らし、私もどんなに多くの元気を頂いたかわかりません。

次女の受験期には、同年齢のお子様がHさんにもいらっしゃいました。

偶然にも、ほとんど時期を同じくして、マイホームを建築し、引っ越しまししたが・・・・・・

お互いに、厚い信頼感で、その後も結ばれていた私達です。

娘の家庭教師をご紹介したり、次女が大学生になった時は、三女の方の家庭教師をさせていただいたり、と色々と密な交流が、寮を出てからも続きました。

 

マイホームの建築前後に、私はさらに運命的な出会いがあり、そのお付き合いは、何と25年間、続いています。

次女が受験中のこと。

その学校最寄りの喫茶店で、子供達の試験が終了するまでの時間を共に過ごした数人の母親達。

その私達が発起人となり始めた会が、名称はよつば会となり、25年間経つ今も、中断することなく続いています。

 

このブログにも、その集いについて幾度か綴ってきた私です。

同じ価値観を共有する人達の集まりは、何と心地よい事でしょう。

まるで真綿に包まれたような優しい時間がいつも流れます。

その時の話題も年相応に変化し、多くのことを皆さんから学ばせて頂きました。

 

 

 

そして、そのメンバーのお一人でいらっしゃるNさん。

とてもお美しくて、態度はいつも控えめ。

けれど、芯は実にしっかりした方です。

私は、ほかの方同様、敬愛して止まないNさんですが、その方の私への信頼は並はずれていらっしゃり・・・・・・

本当に見め麗しく清らかな雰囲気のお嬢様を、長女婿の弟さんに、ご紹介して数カ月で嫁がせてしまい、遠縁の親戚関係に。

共に中学受験したのは、そのお姉さまで、次女とは大学まで一緒でした

 

病院にも、お母様とお二人でお見舞いに来て下さいました。

お嬢様の幸せに満ちたお話しを伺い、責任を果たせた喜びを改めてかみしめ、胸が熱くなったものです。

この記事も綴り、草稿のままで保存しているのですが、過去記事の公開を途中でやめてしまったものですから、そのままになっています。

近日中に、数ヶ月前の過去記事ですが、公開しようかしら。

 

 

この会のお付き合いは、二十数年にも及ぶゆえ、その間に、身につまされるような悲しい出来ごとを耳にするのはやむを得ないことですね~

病を患われたり、、ご主人様を亡くされたり、と。

その度に支え合い励まし合ってきた私達の温かな交流は、今後も途絶えることはないでしょう。

 

そして残すは、近所の信頼する友と学生時代の親友についてとなりました。

私は、これまで環境が変わるたびに、幸いにも、親友といってよいほどの親密な関係を築くことのできる友に、その都度恵まれてきました。

しかし今までは仮住まいでしたから、物理的なお別れはどうすることもできませんでした。

皆さん、介護やお孫さんのお世話で忙しく、再三お会いする事は叶わなくなりましたが、心の絆はゆるぎないものであ事を確信できます。

 

一方、マイホームを構えてから、またもや、私は良き友に恵まれています。

率直にお伝えするなら、私は今住む地域で、生まれて初めて人間関係の難しさ、煩わしさをを思い知ることになりました。

自治会の班長をしている時から、価値観の異なる人達の理解に苦しむ言動に悩んだものでしたが、今は当たらず障らずで、穏やかな人間関係を築いています。

最近も、そのグループのお一人の方が寄っていらっしゃり、ご近所の旦那さまの浮気について噂話をなさろうとされました。

私が、「他家の内情が他人に分かるはずはないでしょう。

単なるうわさでしょう」

と言って一笑に付したところ、

「本当なのよ~」

と言いながら、さすがに恥ずかしそうに、私のもとを離れて行かれました。

他にも、理解できない言動が再三あり、少々住みにくさを感じないわけではありませんが・・・・・・

 

私より一回りお若く、とても才能豊かな奥様が、私を信頼して下さり、最良の理解者として、斜め向かいにお住まいです。

娘時代には海外に留学され、その時出逢った方と結ばれ、実に堅実でお幸せな結婚生活を築いていらっしゃいます。

三人のお子様を立派にお育てになり、最近は、お母様の介護でお忙しくていらっしゃるようですが。

 

 

私に厚い信頼を寄せて下さり、私はその期待に十分応えられないまま、歳を重ね、

今では心もとなくなってきた私が、この方を頼っているのが現状です。

Fさんの存在が、どんなにか私の日々の心の支えになっていることでしょう。

折々で、優しいお心遣いを頂戴し、、最近ではお買い物をいつでもするので、遠慮なく声をかけるように、と再々おっしゃって下さいます。

東日本大震災直後は、成城石井のス―パの前に朝早く並ばれ、毎回そこからお電話を頂きました。

足りないものを買って届けますから、と。

その時は、あまりに厳しい状況でしたから、そのお言葉に甘えさせてもらったものです。

 

近所で嫌なことがたまにあっても、同じ価値観同士の私達は、語り合う事で、いつもすぐ元気復活。

たちまち前向きのの暮らしに私は戻れます

ご近所で巡り会えた良き友は、一生のお付き合い故、本当に心強く、Fさんの友情への感謝の気持ちは、言葉で言い尽くせないほどです。

終の棲家に至るまで、環境が変わるたびに親友が出来た私は、果報者なのでしょう。

 

このような友情の原点は、やはり学生時代の友達。

私にとり、学生時代の交友は、友情の原風景で、ここからその後のお付き合いが発展していきました。

ゆえに、その頃の友人は、今なお輝きを失うことなく、、私の人生の貴重な宝物です。

その友のことについて、取って付けたようにこれ以上最後に綴るのは、なんだか忍びなくなってきました。

ここまで、ひたすら忍耐しお読み下さった皆さまには、心よりお詫び申し上げますが、もう一章付け加えさせて下さい。

次回の記事で、友人にかかわる私の自分史は本当に終わりといたします。

 

      

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続 親愛なる友人達 その3

2014-02-03 07:40:29 | 

今日こそ、友についての記事は終わりにしなければ。

そんな思いで、PCに向かった私です。

昨日は、旦那さまが退院以降初めて、家族が全員次女家に揃い、夕食を共にしました

先週も、妹夫婦に招かれ、とりあえず退院のお祝いをしてもらった私達。

本番の手術は、まだこれからですから、取り敢えずは、次女家の場合も同様ですが、いずれも本当に心安らぐ楽しいひと時でした。

 

思い出は、時間を置かず、すぐ記述したほうが、その情景を生き生きと綴れますものね~

ところが、今のところ、時の流れと共に、最近の数々のイベントの記憶が薄れていきそうで、何とも気がかりです。

ブログの題材にこんなに多く恵まれるのも、珍しいこと。

お出かけ嫌いで、我が家での平々凡々な暮らしが多い私ですから。

でも今のブログ書きのペースは、崩したくありません。

何とか薄れがちな記憶を呼び起こして、一つ一つ順番に記事を書きあげていくことに致しましょう。

 

最近は、前置きが長いですが、さて、これからが本文です。

 

 

続 親愛なる友人達 その3

 

前回は、ロサンゼルス在住時代の親友について述べました。

今日は引き続き、帰国後のお付き合いで親しくなり、心からの信頼を寄せる友人達と、学生時代の忘れ得ぬ友について綴ります。

その前に、ロスで大変お世話になったKさんの事について、もう少し語らせて頂こうと思います。

 

この事に触れると、また文章がとてつもなく長くなりそうですが・・・・・・・

出来るだけ端的に、と自分自身に言い聞かせはするものの、この調子ですと、もう一回続編がありそうな予感がしてきました。

ブログサイトは、字数に制限があるわけではありません。

このような展開になったからには、腰を据え、自分史の一端を綴るつもリで、もうひと頑張りしましょう。

この懐の深さもブログの素晴らしさですものね。

それに甘え、心行くまで、といったところでしょうか。

今日も、長文のプライベート記事ですので、どうぞスル―でお願い致します。

 

我が子のように娘達を可愛がって下さったKさん。

帰国が決まって間もなく、彼女が私に語りかけた一言が、娘達の人生に多大な影響をもたらす事になりました。

今でも言いしれぬ感謝の気持ちいっぱいでいます。

その言葉がなければ、娘達のその後の人生は、恐らく全く異なる様相を呈していたに違いありませんから。

その一言とは、「Mちゃんは、J学院に入学すれば、とても楽しい学生生活が過ごせると思うわ」でした。

 

 

海外暮らしだった私はその頃、加熱した日本の受験競争を知る由もありませんでしたし、私の教育観は、それとは程遠いものだったのです。

子供達は、多様な境遇で育ったお子さん達がいる公立校で伸び伸びと楽しく過ごし、鍛えられて成長した方が将来のためになる、といった考えでいました。

私自身は、小学校から大学の付属校で、温室育ち。

虚弱体質で、意思薄弱なところもあり、苦労しましたから。

 

とは言え、心から敬愛するKさんの一言は、私には捨てがたく、貴重な助言に感じられました。

しかし、長女は小六で、受験勉強を始めるには少々遅過ぎる年齢。

けれど、日本の状況にまるで無知だった私は、そういう意識さえ、その時は然程持ち合わせませんでした。

東京のその学校が、どの程度のレベルかも分からないままでしたが。

けれど、わが子をよく知るKさんが進めて下さるからには、娘達にはふさわしい良い学校に違いない、と感じ、次第に心が動かされていったのです。

(最終的に選択した学校は、私の好みで、同レベルのカトリック系のF中学でしたが。)

 

 

しかし、娘にそれを押しつけようとは、さらさら思わなかった私です。

その事で、まず最初にMちゃんの気持ちを問いかけた際、私が手にし見せたのは、合格発表光景を撮った、週刊誌の写真でした。

そして、日本には受験制度があることを教えたのです。

合否が決まり、合格すると親子で抱き合って、この写真のように喜んだりするものなのよ。

そのためには、一生懸命勉強しないといけないのよ」

と言った具合。(笑)

そして、「Mちゃん、受験してみたい?」と尋ねたところ、意外にも大きく頷いて、

「受験したい」と応えたのです。

 

そして帰国の準備に取り掛かり始めた、4月の中頃からでした。

慌ただしい暮らしの中、私が揃えた参考書で、勉強に打ち込み始めMちゃん。

無論私も協力しましたし、事情をお話ししたところ、日本人学校の先生まで、その準備のための個人指導をして下さいました。

本格的な受験勉強体制に入ったのは帰国した6月の半ばからですが、今日の記事のテーマとは関連ありませんから、これ以上は綴りません。

 

Kさんの一言で、長女は中学受験に臨むこととなり、その延長線上に、大学の同窓生と結ばれた今の娘達の人生があります。

 

その後の幸せに満ちた有意義な娘達の学生生活を思い、Kさんへの感謝の気持ちを忘れることはありませんでした。

私は友情によるとてつもない人生の贈り物をKさんから頂いた、といった感慨に今でも浸ることがあります。

でも、それに対する恩返しを、私は何かしてきたでしょうか。

何もしていないな~、と言った自責の念にかられてしまいます。

 

これからでも、遅くありません。

私事に紛れてご無沙汰に打ち過ぎるばかりでなく、もっともっと親愛なる友人達に心をかけ、大切にしていかなければ。

このブログを綴りながら、そうしみじみ思いました。

 

 

何だか文章がまとまってしまいましたので、今日はこれで終わりにします。

友との親交の自分史は、もうしばらく続くことになりますが、こうなったからには、最後まで心を込めて書きあげましょう。

このように綴ってくると、尊敬に値する素晴らしい友人に、いかに私は多く恵まれてきた事かに、改めて思いを致さないではいられません。

 

ネット場にも、素敵な方は大勢いらっしゃいますけれど、リアル社会の友人は、共に苦楽を分かち合う等、共通の思い出に溢れた長いお付き合いがあります。

重みにおいて、比較にはならないでしょう。

架空社会に嵌リ過ぎ、リアル社会の友人を疎かにしては、本末転倒ですね~

ブログ綴りはほどほどにして、もっと大切な事に打ち込むべきでは。

書いているうちに、そんな思いが強くしてきました。

 

心の整理整頓が出来るのも、ブログの素晴らしいところ。

今日はひとまず、これで終了し、朝はガーデニングに精を出す事に致します。

午後から一気に気温が下がるようです。

皆さま、くれぐれもご自愛のうえ、素敵な一日をお過ごしになられますように。

 

追記

手もとに新しい画像がほとんどありません。

後程写して、挿入するつもりです。

日の上らないうちに、庭の草花を撮りたいところですけれど、間に合いそうにありません。

光の捉え方が、本当に苦手な私なので。

 

投稿すると、気持ちに区切りが付き、家事に集中できます。

それゆえ、今後はこのような方法を、再々取らせていただくかもしれません。

ご了承くださいませ。

       

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続 親愛なる友人達

2014-02-01 11:54:27 | 

ここ数日間、、我が家ではイベント(?)続きで、私はとても多忙な日々でした。

イベントだけで、さっさと帰宅すればよいものを、その足で高島屋や、日本橋の三越に足を延ばしたりしたものですから、疲れるのが当然。

この一両日、体調が今ひとつで、妹家族と会食した翌日は、何と三時間もお昼寝。

十分休養を取ったにもかかわらず、相変わらず疲労が抜けず、久しぶりにちょっと息苦しい。

タートルセーターのネックまわりが煩わしいといった感じなんです。

 

最近の疲労の一番の原因には、思い当たることがあります。

お出かけ前は、女性は、朝の家事、身支度とそれなりに時間がかかります。

ところが二日続けて、その忙しい時間帯に、旦那さまの人工肛門のトラブルがあり、その世話で小一時間費やす事に。

今後のことが、また新たに思いやられ、心身共に少々疲れてしまったようです。

この事については、又いつか日を改めて詳しく綴らせて頂きますね。

 

今日は、また前回に引き続き、親愛なる友について述べることに致します。

綴っているうちに、若かりし頃の記憶が蘇り、きっと元気復活してくれることでしょう。

全く構想を練っていませんし、思い出が走馬灯のように駆け廻り、これはまとめるのは大変、と少々戸惑い気味ですが。

 

さて、これからが本文です。

依頼心の強いところもあった私は、海外に在住するまでは、母に頼っているところがかなりありました。

何かとよく面倒をみてくれ、孫達の可愛いがり様、世話の焼き方も、それはそれは言葉では言い尽くせないほど愛情深いものでした。。

それ故の、親娘のいさかいも無きにしも非ずでしたけれどね。

育児観は、世代の相違で違って当然でしたから。

でも今はすべてが、良き思い出。

母の厳しさのお陰で成長できたところも大いにあり、、両親には感謝の気持ちのみでいます。

 

そんな私が、突然親元を離れ海外移住となり、まさに大海原に放り出されたような感じでした。

前述の理由から、私が真の自立を果たしたのは、結婚より海外在住以降かもしれません。

 

ロサンゼルスに渡るまでは大変不安でしたが、異国の生活が始まると割と早く、スムーズに溶け込むことができました。

それは一重に、その地で巡り会った素晴らしい友人達のお陰です。

特に親密なお付き合いをさせていただいたのは、Kさん、Aさん、Iさん、Nさんでした。

Nさんは夫の同僚の奥様でしたが、他の三名の友人達は、いずれも別会社の方ばかり。

 

夫の退院に当たりKさんが届けて下さった蘭の花

 

 Kさんとの運命的出会いがなかったなら、私たち親子にとって海外暮らしは、もっと不安なものだったかもしれません。

英語が堪能で、その地域の日本人駐在員の奥様方の中でもリーダー的存在で、日本人とアメリカ人の橋渡し的ボランティアにも熱心な方でした。

優しくて前向きで、行動力のあるお人柄。

そして実にチャーミングで笑顔の素敵な方です。

私は尊敬して止まず、溢れるような親愛の情を抱いていました。

その方と親しくお付き合いさせていただいた事で、異国の生活を、どんなに心安らかに楽しく過ごせたか分かりません。

私達は、まるで身内のように親しくなり、娘達を子供同然のように可愛がって下さいました。

日本人学校送迎も日々交代でやったものです。

 

その輪に、さらに加わって下さったのが、AさんとIさんでした。

私ほどのKさんとの交流はなかったかもしれませんが、いろいろなイベントを共に楽しんだものです。

皆さん、品性が高く、麗しいご性格。

その上、向上心が旺盛で、良妻賢母の典型のような素敵な方ばかりでした。

 

Iさんとは日本人学校のPTA役員でご一緒に働き、週末の教会もいつも共に過ごしました。

堂々とした風格で、幾分男勝りな気質の匂い漂う方でしたが、心は清らかでまっすぐ。

筆跡にも、そのご性格がよく現れています。

実に美しい端正な字を認められます。

手にするたびに、私は見惚れてばかり。

幼稚園の卒園式における、PTA会長としてのIさんの式辞の何と感動的だったことか。

今でもその内容を覚えている程です。

 

 

今年頂いた年賀状とお見舞いのお便り

 

 

 Aさんは、とても美しい華のある方で、私はKさんと同様くらい親しくなりました。

長女の友人のお母様で、凛としたたたずまいと振る舞いに、私は憧憬の念すら抱いたほどです。

 

主人の同僚の奥様も素敵な方で、家族同士のお付き合いを楽しみ、旅行も再三ご一緒しました。

ご主人様は、幼い娘達の憧れ的存在でした。

夫には内緒ですが、私も同様だったかもしれません。(笑)

家族同士の気の置けないお付き合いは、余生の暮らしまで続くものと期待していましたが・・・・・

残念ながら、退職後、郷里の四国に戻られ、遠出の外出がままならないお体になられ、思うようにはまいりません。

 

ロス在住のころは、私達はまだ30代で、若く輝いていて、一番活力に満ちた夢多き幸せな時代でした。

その後、それぞれ時期は違いこそすれ、帰国した私達。

その後の暮らしは、年を重ねるに連れ、人生の色々な課題に直面せざるを得ず、ロス時代の華やぎと輝きとは違った色を放つようになっていきました。

それは、誰しも受け入れざるを得ない、人生の宿命と言えば宜しいのでしょうか。

旦那さまがお亡くなりになったり、自らの病、親の介護など・・・・・・

私も、まだ介護保険がないころ、寝たきりの両親の世話で、熟睡できない毎夜を過ごした苦労の時代がありました。

 

しかし、他の方々は、専業主婦に甘んじてのほほ~んと暮らしてきた私とは異なります。

その友人達は、帰国後も、それぞれ御活躍で、ほんとに頭が下がることばかりです。

Kさんは、つい最近まで、堪能な英語を生かして、主に新興国を支援する国際機関にお勤めでした。

大変裕福な御家庭でいらっしゃいますのに、90歳近くになられる両家のお母様のお世話もなさりながらのお仕事。

海外出張をされたり、いろんな国際的イベントに参加され、ご活躍でした。

大使に会わせてあげるから、と私もお招きいただいた事もありましたが、英語力にも自信が持てず、出かける勇気が沸かなくて・・・・・

自己実現のための意欲と情熱を思うにつけ、月とすっぽんのような友人関係と常々思う私です。

 

Kさんからの贈り物のランチョマット

アメリカの女性雑誌の一年間購読のプレゼントをして下さった事もありました。

 

お住いも割と近くですが、これまでは、余りにご多忙な様子で、お電話は遠慮することがほとんどでしたが・・・・・

Kさんはこまめにメールで近況を知らせて下さっていました。

そのKさんが待ちに待った御退職。

こんなことを言っては少々失礼かしら。

途端に、私達の密な交流が復活。

お互いに電話のやり取りも再三しています。

お買い物は、私がして届けてあげるから、と相変わらず優しいKさん。

無論そんなご迷惑をかける訳にはまいりませんが。

 

Iさんは、帰国後しばらくして、ご主人様を亡くされ、その思い出を偲ぶ自著の書籍を出版されました。

高校の英語教師としてその後ご活躍で、お嬢様は、娘達の母校の大学で、確か教鞭をとっておられるはずです。

 

Aさんは、帰国後ボランティアに精を出しておられたようですが・・・・・・・

その後お母様のご介護、さらに数年前、夫と同じ肝臓がんでご主人さまを亡くされました。

そして奥様も、心臓の手術をなさったり、最近、また体調を崩されご苦労が絶えないようですが。

東京女子医大にお見舞いに伺った時の事。

凛としたたたずまいと優しさ、優雅さは、ロス時代と全くお変わりなく、二人でロス時代を振りかえり、しみじみと語りあったものです。

 

帰国後、四人が揃って、おしゃべりできたのは、5~6年前、我が家にお招きした時だけですが。

皆さん、それぞれ人生の課題に直面し、大変なお暮らしであるけれど、もう一度ロス時代の親密な関係を取り戻し、友情を深められれば、どんなに幸せな事でしょう。

お互いに元気なうちに、と願うばかりです。

 

今回の記事で友についてのお話は締めくくる予定でしたが、まだ終わりに届きませんでした。

ご覧下さる方々は、とんでもない長文で、さぞご退屈なさったのでは、と心苦しく思います。

でも、宝物のように心に大切にしまっていた友についての良き想い出。

ブログと言う媒体のお陰で、その思い出を綴り保存できる幸せを、今感じています。

そのため、もうひと頑張りし、そのことについてすべて書き終えたいと。

大変な長文で、個人的記録以上の何物でもありませんので、どうぞスル―で宜しくお願い致します。

 

      

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