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今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

大学時代からの親友と語り合ったひと時

2025-03-14 07:35:38 | 

もう数週間前の事になります。

名古屋在住の大学時代からの親友、やっこちゃんから、また電話がありました。

数か月に一回くらいの割で、電話を掛けてくれます。

 

私は、友が多い方では、と思っていますが。

その中でも、やっこちゃんは特別な存在。

大学卒業後は、めったにしか会えなかったのだけれど、会うとたちまち学生時代に戻れてしまう。

まるで姉妹のような間柄。

そう言っていいでしょう。

 

長女から隔週で届く、HITOHANAの定期便の花です。
いつも本当にありがとう♪

 

小中高時代は、まだ私は幼い所があり、精神的には不安定でした。

ですから、友達はいても、その絆は固い物とは言えませんでした。

私が心から親友と言える友に巡り合えたのは、大学時代から。

やっこちゃんとあっちゃんに出逢ってからです。

 

高校時代は、情緒が不安定なところもあり、親には心配のかけ通しでしたが、

クラス担任の先生のお蔭で、名門と言われる伝統ある女子大に推薦入学させてもらいました。

その後も、私の情緒はまだ安定していないところがありましたが・・・。

そんな私をひたすら信頼し、認め、支えてくれたのが、やっこちゃんと今は亡きあっちゃんでした。

その信頼感は絶対的なもので、私は、この二人の友のお蔭で、四年間の大学生活をなんとか無事に

過ごすことができた、と思っています。

 

左から、妹、あっちゃん、私、やっこちゃんです。

 

三人の中で、一番しっかりしていたのはあっちゃん。

先日電話で話した時も、私達はいつも天然ボケの所があったけれど、それをピリッと引き締めてくれたのが

あっちゃんだったわね、と言い合いました。

敬虔なクリスチャンでしたが、50代の時に、二人のお子様を遺して早世。

大学時代、京大生との大恋愛の末、結ばれ、幸せな結婚生活を送っていた彼女でした。

 

クリスマスのシーズン、美しいイルミネーションが輝くカトリック教会の礼拝堂で執り行わた葬儀は

今も目に焼き付いたままです。

三人で会えないのが、かえすがえす残念だけれど・・・。

やっこちゃんと話している時、きっと、あっちゃんも、傍に寄り添てくれている。

そんな気持ちで、何時もいます。

 

 

大学を卒業後、お互いに新しくスタートした人生の日々に追われ、めったにしか会う機会に恵まれなかったけれど、

その友情は何一つ変わっていない事を確信するこの頃。

開業医の奥様として、医療業務にも常に従事し、旦那さまへの協力を惜しまないで暮らしてきた彼女。

その暮らしは、夫がサラリーマン生活の私と違い、多忙ながら、優雅そのもので、旅先の宿泊は、

いつもスイートルーム。

そんな暮らしを実にさりげなく話してしまう、やっこちゃんの可愛さと上品さは特別な物。

 

大学時代も可愛くて優しくて、文句なしの友人だったけれど。

それに長い人生の積み重ねで培われた品性と心の豊かさが、友の魅力を一層引き立てています。

本当に良き友に恵まれたものです。

 

大学を卒業し、まだまだ頼りない所の一杯あった私ですのに、何故か主人に見染められ?(笑)、

大学二年生の年明けに婚約した私。

その後の人生は、良き友人に恵まれ続けた私でした。

私の成長は、ひとえに友のお蔭と言っていいでしょう

その尊敬して止まない友の内の、数名の方達がもう亡くなりました。

私の人生も、残り僅かなだけに、とてもお世話になった友への感謝の気持ちを、常に忘れないでいたいものです。

 

米国在住の時からの親友、Kさんから最近届いた絵手紙です。
寒さで萎縮したような心身が、一気に目覚めた。
そんな思いにさせてくれた、絵手紙でした。

 

前の記事でご紹介した所、何方かがお買い求めくださいました。
気に入っていただけますように。

 

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思いがけない電話

2025-02-03 07:56:08 | 

一昨日の事。この一昨日は1月21日を指します。

相変わらず、私の記事更新はタイムリーではありません。

何卒ご了解ください。

 

その日に、思いがけない方から、お電話をいただきました。

その方とは、昨年亡くなられた私の心の友、Hさんのご主人さまからでした。

私はよく「心の友」といった表現を使用しますが、普通の友との違いは、

長いお付き合いで、お互いに心から信頼し合っている間柄。

そのように思ってください。

 

下の封書は数年前彼女から戴いた心のこもったお手紙です。

今また何度も読み返しています。

 

Hさんのご主人さまからの電話は、余りに思いがけない事でしたから、一瞬、とても緊張しました。

会社も、卒業された大学も、夫と同じで、数歳年上の先輩でいらっしゃいます。

 

その少し前、Hさんとよく一緒に我が家にお招きしたKさんが、私から電話があったことを、

ご主人様にお伝えくださったようです。

そのため、奥様が亡くなられた時の様子を私に伝えるために、わざわざお電話をかけて下さったようでした。

元銀行員と言うと、どこか堅いイメージが付きまとうものですが、そんな方では全くなくて。

とてもフレンドリーな方でした。

私はすっかり打ち解け、30分以上、亡くなられた奥様のその時のご様子を伺い、数々の思い出話もすることが出来ました。

 

 

奥様は亡くなる直前まで普段と変わらず、とてもお元気だったようです。

ご夫婦共に自転車で日曜礼拝に向かう途中、動脈乖離に見舞われ,そのまま路上で倒れ、亡くなられたとの事。

私は申し上げました。

奥様は,教会に向かうおつもりが、神様のお招きで、天国に向われてしまったのですね、と。

ご主人様は、少し嬉しそうに、そうかもしれません、とおっしゃられました。

 

悲しい出来事を思い出し語り合うひと時でしたのに、何だか心がほのぼのとする良きひと時でした

Sさんも、ご主人さまが私と語り合っている事を、きっと喜んでくださったのでは。

そんな気持ちが致しました。

 

 

ご主人様宛てに、お悔やみのお手紙をちょうど書いている時の事でしたので、

その後、お電話を戴いたお礼も書き添え、お花と奥様が喜んで召し上がっていただけそうな

お菓子も一緒にお送りしました。

 

この様にお手紙やブログを書いている時も、Hさんの優しい笑顔が目に浮かび、

励まされているような心持になります。

今も時々思い出しては、まだ亡くなられたことが信じられなくて、寂しさが拭いきれないままです。

 

いつも気配りを忘れない、働き者でいらしたHさん。

今は神様の下でお務めを果たし、ご家族を見守りながら、幸せな日々をお過ごしのことでしょう。

 

大切なお手紙を認める時は、私はいつも鳩居堂の便箋を使用しています。

 

追記

 

更新の準備完了だったのだけれど、朝の家事に勤しんでいる内に、すっかり忘れてしまいました。

こんな事初めて。

遅ればせながら投稿します・

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心の友、Hさんの訃報 

2025-01-19 07:50:54 | 

年末にかけて訃報が相次ぎ、その度に私の心が揺さぶられ、その悲しさ、寂しさは

言葉ではとても表現できない程、大きなものでした。

その一つは、前のお宅のご主人様が突然亡くなられた事。

その時の気持ちは、既に昨年の記事で書きましたので割愛します

 

今日の記事は、クリスマス明けの26日に受け取った、ご主人様からの喪中の葉書きで知ったことです。

私が米国から帰国し、都内の社宅に転居して以来、親しいお付き合いをしてきたHさんの訃報でした。

数年前、手作りの昼食で我が家にお招きし、楽しいひと時を過ごしたのが、最後になってしまいました。

 

手前の席の人がHさんです。

その時,心を込めて作った私の手料理

 

一見の雰囲気は、私と、とても似た方でしたが・・・。

私と違い、その友はとても活動的。

剣道も習い、都市マラソンにも参加されたこともありました。

音大を卒業されたので、ピアノ教室も開き、お子様たちの指導にもあたられていました。

義父様は、ミッションの明治学院大学の総長をされた方です。

そのためでしょう。

ご家族全員が、敬虔なクリスチャンで、本当にいい方達でした。

義父様の看取りで、如何に献身的な介護されたか、その思い出話からも、とてもよく察せられてきました。

 

彼女の雰囲気に似たこの花をテーブルに飾り、お二方をお迎えしました・

 

思い出を語れば、まだまだ山ほどあります。

子供たちが中学受験の時、次女がお世話になっていた家庭教師をご紹介したことも。、

先生は娘の指導後、私が住む社宅の真向かい棟のHさん宅に行き、指導に当たる。

そんなこともありました。

長女の結婚式の時には、その息子さんにピアノで生演奏もして頂きました。

ピアノの腕は、とても評判の高い人でした。

 

書き出すと思い出が尽きません。

お互いに、マイホームを構え、別々の暮らしになってからは、出不精の私はめったに彼女に会いに

出かけることはありませんでしたが・・・。

数年前に我が家にお招きした時、あなたの手料理をご馳走いなるのはこの度で八回目と言われ、私はびっくり。

その時、その様に言われても、私は、ほとんど思い出せなくて・・・。

そのくらい元気な時もあったのですね。

 

年を重ねるうちに次第に横着になり、どんなに親しくしていた親愛なる友も、次第に疎遠になっていく。

仕方ないことなのかもしれませんが、今でも、その様な心の友たちは、私にとっては、忘れることが出来ない

尊敬して止まない人達であることに変わりありません。

私はそんな友達を、幾人もすでに見送りました。

 

今回も、喪中の葉書きを手にした時は、信じられなくて・・・。

又、お会いしたかった。

お世話になったお礼を、再度言いたかった。

今後の人生を、時々彼女と会い、励まし合い労わり合って暮らしていきたい。

そうしみじみ思い始めていた時の、喪中のお知らせ。

 

 

それから寝付くまで、私は何度涙をぬぐった事でしょう。

そして明け方の、目覚ましが鳴るまでの事です。

夢に、なんと彼女が現れてくれました。

実に不思議な状況設定だったのですが、私は入院患者の身だったようです。

病院のグランドで、スポーツ観戦をしているようでした。

その後、自分の病室に戻ろうと思ったのですが、迷ってしまいなかなか戻れません。

やっと自分の病室に辿り着きました。

ドアを開けると、そこに友のHさんが居ました。

私の病室の整理整頓をして下さっていました。

彼女らしい気遣いに感激し、お礼を言おうとしたところで、無残にも、目覚ましが鳴り、そこで夢は中断。

 

でも一瞬でも、夢の中で彼女に会えて私は感激。

また、彼女の思いがけない訃報を受け止め直し、涙と共に、胸が一杯になってしまった私です。

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前のお宅のご主人様の突然の訃報 

2024-12-16 07:18:17 | 

12月3日の記述

 

大ショックな出来事が、最近ありました

お昼過ぎの事です。

信じ難い驚きの報告を私が受けたのは,

届けて下さったのは、この地から都心のマンションに転居されたFさんです。

 

そのお知らせとは、私の前のお宅のご主人様が亡くなられたとの事。

余りに意外な事で、私は只々茫然。

信じられませんでした。

 

お散歩に出かけられるのを、よくお見掛けしていましたから。

朝のごみ出しの時にも度々お会いし、お互いに声を掛け合い、私が生ごみを編みケースの中に入れようとすると、

何時もその蓋に手をかけ、手伝って下さいました。

 

最大手の生命保険会社の重役としてご活躍された方です。

でも、腰がとても低くて、いつもお会いすると、笑顔でご挨拶下さいました

その方の突然の訃報。

 

 

そう言えば一週間前、次女が訪れている時の事です。

救急車が、前のお宅に停まり、とてもとても驚いたことがありました。

心配でならず、電話をして、その理由をお尋ねしたい気持ちに何度も駆られましたが・・・。

詮索するようで、失礼になってはいけないと思い,それは控えてしまいました。

それから数日後に誤嚥性肺炎で、亡くなられたようです。

 

私はつい最近までラインの交流は控えていたので、仲良し4人組のfさんのもとにお知らせがあったようでした。

とても電話で、直接連絡できるような状況ではいらっしゃらなかったのでしょう。

早速、Fさん、Sさんと私でご弔問に伺いました。

年に一回は必ずお食事を共にし、近況報告をし合っている間柄です。

 

奥様とお嬢様がお迎えくださいました。

お宅に上がり、お線香を上げさせていただき、その後、色々亡くなられた時の状況を伺いました。

お嬢様が支えておいでなのでしょう。

奥様は、とても気丈に振る舞って下さいました。

ご家族にとっても、思いがけない事態だったようです。

数日入院すれば、元気を回復すると思っておられたとのこと。

 

私は未だに信じられません。

86歳でいらしたようですが、お散歩にでかけられるときの、姿勢の良さ。

とてもそんな年齢には見えない日頃の雰囲気でした

身だしなみも整え、いつも颯爽とした姿でお出かけでしたから。

 

私が心の拠り所にしたいと思っている書物の歎異抄です。
夫の菩提寺のご住職様から戴いた歎異抄は文体が難しいので、
この書物を後で買い求めました。

 

今は、人の命のはかなさを思わないでいられません。

私の年齢になると、何時死が訪れるか分からない。

その予測の難しさを改めて思い、いつもその時の覚悟を心に秘めて、日々を送らなければ、と。

この度の事で、一層思い、心をまた新たにしているところです。

 

Iさんのご主人様のご冥福を、心よりお祈り申し上げ、今日の記事を終わりと致します。

 

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大切な友は私の人生の宝物

2024-12-14 07:22:34 | 

行員さんを玄関でお見送りし、30分も経過しない頃、スマホの呼び出し音が鳴りました。

長い時間、話して、少々疲れていたので、無視しようかな、と一瞬思ったのですが、やはり出ることに。

何と、電話は、大学時代の親友、やっこちゃんからでした。

前回話してから、二か月振りくらいでしょうか。

 

そしてその翌日には、近所で親しくお付き合いをしていたFさんからも。

今は転居され、数年前から都心近くのマンションにお住まいです

まだ67歳で私より遥かにお若い方ですが、心から尊敬し信頼して止まない友です。

 

向かって右の人がFさんです。
左の方は、我が家の前にお住いの奥様Iさんです。
この方も、近所の
仲良し4人グループのお一人。
Iさんは、この度、とんでもないご不幸に見舞われ、
気の毒で仕方ありません。
このお話は次回で。

 

何故か、やっこちゃんとFさんが電話を掛けて下さる時は、いつも同じ頃。

二人の友は、まるで私の体調が回復してきたのを見届けたかのようなタイミングで、いつも電話を。

本当に有難い事です。

もう一人の親友、Kさんはとても多忙な身なので、ラインでの近況報告がほとんどなのですが・・・。

最近そのラインが途絶えているので、何だかとても気がかり。

こちらから、一度声を掛けてみようと、今思っているところです。

 

70代後半の年齢ながら、今も英語の会話力を生かして
大活躍のKさん。

米国在住時からのお付き合いで、心から尊敬し信頼している友です。

 

Fさんとやっこちゃんとは、秋には会いましょう、と約束を交わしていたのですが・・・。

今の私はまだ無理そうなので、再会は来年まで延期にしてもらいました。

電話の話しは取り留めもない話題ばかりでしたが、すべて私の心に染み入るような事ばかり。

心から敬愛して止まない友の話は、いつも私の人生の励みになってくれます。

 

やっこちゃんとは、秋に旅行をする約束を交わしていましたが、今後元気になっても、娘付き添いなら

行けるでしょうが、私一人ではもう無理かな

そういうと、私が横浜に出かけるから、前、宿泊したホテルでまた会いましょうよ、と言ってくれました。

 

 
一昨年、再会したホテルの和食処にて
彼女とは、まるで姉妹の様に一心同体。
そのくらい気が許せる、心優しい人です。
洋服まで同じブランドでした。(笑)
 
 
この時宿泊したホテル。
彼女は、旅先で利用するホテルはいつもスイートルームなので、
この日は、庶民の私も大奮発。(笑)
 

友と会って心行くまで語り合えるのは、正に私にとっては至福のひと時。

体力にも欠ける私は、頻繁に会うのは無理だけれど、それだけに会えた時の嬉しさと喜びはひとしおです

私のそんな気持ちは一瞬で理解し、優しく応えててくれる友たち。

私にとっては、家族と妹の次に大切な人たち。

人生における掛け替えのない宝物

常にそう思っています。

 

クリスマスが近づいてくると、小さなお孫さんがいらっしゃるお宅では、プレゼントを何にするか
悩まれるのではないでしょうか。少々高価ですが、この玩具は心からお奨めです。
私の孫たちの間では一番人気がありました。
私はクリスマスやお誕生日などのイベントの時に、パーツを少しづつ買い求め、下の画像になるまで揃えました。
木の玩具は、散らかっていても、全く目障りにならず、その点でも私は助かりました。
今はもうありませんが、渋谷の児童館や青山のこどもの城にも置かれていた玩具です。

 

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親友二人に励まされて・・・

2024-09-09 07:31:52 | 

最近は体調不良だけでなく、猛暑、年齢、色々原因はあると思うのですが、体力が続かなくなってきました。

起床がとても速いので、お昼前に眠くなっても当然と言えば、当然なんですが・・・。

できれば昼食までは寝ないで、家事と主要なデスクワークを済ますのが私の理想です。

でも最近は、その願いが叶ったことは一度もなく、午前中からぐったり。

昨日も時計の針が十時を回るともう息切れ。

二度仮眠を摂ることも、最近はよくあります。

 

今は何時でもすぐ床に就けるように、ファミリールームの隅にお布団をたたんで置いています。

二階は何となく避けています。

 

 

お布団は重たくて、今の私の体では持ち運びは無理ですから。

古いショールを掛けるといったちょっとした工夫で、お布団が全く目障りにならなくなりました。

上の画像のような感じです。

 

この日も仮眠を摂るつもりで、早くから横になり、暫くうとうとしていた午前中の事。

携帯が鳴り始めました。

それは大学時代からの親友、やっこちゃんからの電話でした。

嬉しい!眠気が一気に覚めました

 

6月頃から体調を崩し、今一つ気持ちが晴れやかになれない期間中における二度目の電話です。

まるで私のその時の状況が理解できているかのような適時にかかってきます。

多少回復し体力が付いてきたころにいつも。

親友には、ふさわしいタイミングまで分かるものなのでしょうか

 

 
数年前、横浜のホテルで再会、宿泊した時の想い出写真です。
お気に入りのブランドも同じでびっくり。
着ている服も、同じお店で購入したものでした。

 

もう一人の親友Fさん。

ご近所の心の友が都心のマンションに転居した時、娘達までが私の心に与える影響を心配した程でしたが・・・。

彼女からも、少し前、私が元気になったのを見計らったかのようなタイミングで電話がありました。

6月の終わりの頃だったと思います。

 

私は自分から電話を掛ける事はほとんどしません。

友は二人共、私と違いとても多忙な身。

電話で邪魔をしたくないからです。

大学時代からの友は、開業医のご主人様の傍で看護師さん達を見守りながら、医療事務に日々励んでいます。

最近、娘さんご夫婦にその仕事を半ば受け継いでもらい、多少楽になったようでした。

 

一方Fさんは、私より数世代若くて(60代)、今お孫さんのお世話で、日々とてもお忙しそう。

趣味も豊富で、社会的な活動にも時々参加なさっていて、とても行動的なかたです。

私も60代の頃は孫の世話に追われて多忙でしたので、よく理解できます。

 

ですから、私からは電話を掛けにくくて・・・。

でも二人から、頻繁ではありませんが、時を見計らったかのように、必ず電話をくださいます。

するとお互いに積もる話が一杯。

いつも一時間以上、おしゃべりが続きます。

 

お互いの友情と信頼関係に全く揺るぎのないことが再確認出来る時。

私は、彼女たちの優しさと温かさに触れ、思わず涙ぐんでしまう程の幸せを噛みしめます。

一昨日話した大学時代の親友とは、運命的な出会いの日の事。

同様に親しかったもう一人の50代で早世した友の思い出話など、懐かしい話題が尽きなくて・・・。

10代にタイムスリップしたかのよう。

近況報告も色々と。

 

学生時代の私達
北海道に旅行中に撮ったものです。

左端は妹です。その隣が早世した友、あっちゃん。
右端がやっこちゃんです。

 

Fさんには、あなたは、いつも私の人生の目標などと言われ・・・。

私は、それはとんでもない感違いと言い返し、恥ずかしさで一杯に。

でも私の生き方で、何か少しでも参考になることがあるのなら、嬉しい限りですが。

私の方こそ、見習うことが一杯。

私より二回り位年下ですが、尊敬して止まない友です。

彼女とも、電話があると、いつも一時間以上積もるお話をして、友情を再確認します。

 

良い気候になったら、また会いましょうと、お互いに約束を交わし合いました。

大学時代の友とは、京都で会う約束をしていたのですが、私の事情を知って、上京してくれるとの事。

でも今の体調ではまだとても無理。

早く元の元気を取り戻せるように頑張りたいと思います。

 

大切な友がもう何人も天に召され、失ってしまった私ですが、まだ支え合い励まし合える親友が居る事の有難さ。

今の年齢になると一層心強く嬉しく思います。

大切な友は、家族と同様に私の人生の宝物です。

 

私の日々の暮らしにはノートが欠かせません。
計画を立てたり、その他いろいろメモもします。

下の大学ノートを年に数回購入して使用しています。

 

下の小型のノートも私のお気に入りです。
このノートは使用目的をしっかり決めて大切に使用しています。
他の色もあり、一回り大きいノートもあります。
いろいろ使い分けてみたいと思っています。

 

 

 

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参加できなかったイベント

2024-08-09 07:16:16 | 

私の体調が悪くなり、床から離れられなくなった時期、楽しいイベントが二度ありました。

一つは、ママ友の食事会。

もう一つは、次女家の孫娘かれんちゃんのバレエの発表会です。

もちろん、私は両方共欠席。

とても残念な事でした。

今日はまずママ友の会について、お話しさせていただきます。

 

この会は、次女が中学入学して間もなく発足し、何と今日まで中断することなく続いています。

そのきっかけは、娘の中学受験の時の事。

学校近くの喫茶店で、娘達の試験が終わるまで共に席を同じくした見ず知らずのお母様方と、意気投合したのが始まりでした。

最初は5、6名の集まりに過ぎなかったのですが、一時は14~5名に。

今は、亡くなられた方、退会された方もいらして、10名程度でしょうか。

この集まりが始まってから、40年近くになります。

中断したのはコロナ禍の時だけ、

年に一回の集いが、今日まで継続しました。

ほんとうによく続いたものです。

 

去年、私も参加した時のママ友の会の画像です

 

でも残念なことに、私が一番親しくしていた二名の方は、もう亡くなられ、メンバーにはいらっしゃいません。

もうそれから10年以上になります。

その二名の方達とは、家が割と近い事もあって、この会以外にも、年に数回お食事を共にしていました。

度々ブログにも登場していただています。

お人柄を、私は心から尊敬し、お慕いして止まない方々でした。

 

夫も亡くしあまり月数も経たない時の事でしたから、私の寂しさは只事ではなく・・・。

次女は、私の心情を察するあまり、お二方のお葬式には付き添ってくれたほどです。

余程、私の事が心配だったのでしょう。

今でも身近に感じられ、声を掛けると返事をしてもらえそうな気持になります。

 

そのお二方を含め、4名の方が亡くならています。

その当時、大蔵省の次官の奥様だったUさんの突然の訃報は、衝撃的でした。

テニスのレッスン後、帰宅し、そのまま帰らぬ人に。

数か月前、銀座の和食処でお会いしたばかりでした。

 

私が欠席した今年の会の時の写真です。

 

そんな悲しい出来事を乗り越え、高齢にもかかわらず今日まで継続できたのは、何故でしょう。

皆さんが、実に穏やかな優しいお人柄による所が、大きいように思います。

時々、ラインで皆さんの会話が盛り上がることがよくあるのですよ。

皆さんの美しい言葉遣いに圧倒され、お返事する時、私は何時も少し緊張します。

ラインに未だ慣れていないせいもあるでしょう。

 

こんな楽しい会話が飛び交います。

 

私の友人はみなさん、わたしが尊敬してやまない方ばかりばかりです。

大学時代の親友は、まるで姉妹のようですけれどね。

 

今一番心配なのは自分の体力。

去年と今年の患いで、私は相当に自信を失ってしまいました。

用心しませんと、引きこもりになってしまいそうで不安です。

時にはお断りも躊躇せず、これからは無理はしないで、自分の健康を維持できる範囲のお付き合いを目指そうと、

今は思っています。

 

毎年同じ学校の同窓生で開かれるミニ同窓会です。

 

10月には、小中高の同期の卒業生たちで、、傘寿の会の同窓会が開かれます。

最近、幹事さんからお声がかかりましたが、それは一応欠席のお返事をさせていただきました。

直前でも参加したくなれば、参加して下さいと言われましたが、今の体調では大勢の集まりに出る自信はありません。

最近、自分の心境の変化には少々驚いていますが、年を取るとは、こういう事なのかもしれません。

 

ママ友の会も、幹事さんの意向で、今年はお休みといった話にも一時期なりました。

ところがその後のラインの交信がとても盛り上がり、やはり集まりましょうと、という事に。

皆さん、どなたももう高齢。

今後、続けられるか心もとない限りですが、今はラインという会話の手段もあります。

交流は、色んな方法で愉しめる世の中になりましたものね。

その手段を駆使してでも、お付き合いを細く長く続けられることを願っています。

 

      

 

昨日の南海トラフ地震臨時情報の速報には、大変驚かされました。

揺れが強かった地域の皆様のお気持ちを察して余りあるものがあります。

我が身にも、直接関係してくるこの度の情報。

心は緊張したままで、テレビやスマホのニュースには常に目を通すように心がけています。

大事になりませんように祈るばかりです。

 

我が家の地震対策用品。
揃えはしましたが、いざとなった時、私は使いこなせるでしょうか。
まるで自信がありません

 

広範囲を明るく照らしてくれ、私はとても気に入っている懐中電灯です。
一階と二階の寝室に置いています。

 

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私の狼狽と素敵なひと時

2024-06-05 07:37:13 | 

最近は、水回りの不具合、来客の日の前日起きた家の建具の不調で、少々狼狽気味の私でしたが・・・。

お友達を迎える直前に、とんでもない事が更に起き、困り果て、私の惨めな気持ちに一層拍車がかかりました。

その日、お迎えする友とは、よく行き来していた当時は、色々とお頼りし助言もいただいた身。

ですから、そんな状況でも、彼女なら何とかなると思い、お迎えできた私です。

 

ハプニング続きでかなり憔悴していた私でしたが
彼女の明るい人柄で、一気に元気を取り戻せました。

 

我が家は築40年以上になりますが、水回りの不具合に見舞われたことはまるでなく、最近に至りました。

いつか便器に物を落として詰まり、その処置作業をお願いしたくらいです。

ところが最近は、キッチンの流しの排水口からスムーズに水が流れてくれない事が時々ありました。

私なりに、排水パイプの掃除を試みたり、排水口にネットの網をかぶせたりと・・・。

これ以上通りが悪くならないように心がけていました。

排水管の高圧洗浄の広告のチラシもよく目にしていましたが、頼む時は大手の信頼できる業者さんで。

これが私の方針ですから、その様にしようと思っていました。

 

この部屋で思いがけない出来事に又見舞われました。

 

キッチンの水回りの件は様子見で、冷静でいられたのですが、窓の開閉の突然の不調にはかなり狼狽してしまった私です。

ところがです。

Iさんをお迎えする直前に、前日の窓の故障に引き続き,とんでもないことがまた起きてしまいました。

何と、水洗の便器の流し水が、便器から溢れ、床がビショビショに。

私は、しばらく呆然。

床を拭いたりしてその処置に追われ、気持ちは急速に落ち込み、惨めになる一方。

友がいらっしゃる時間が、どんどん迫っていましたが、私の心中はお客様を迎えるどころではなくなってしまいました。

私は床を拭くのが精一杯。

それ以上何をすればいいのか、対処する手立てが分からず、途方にくれました。

 

この時、私が唯一救われたことは、窓の時と違い、電話一本で、すぐ業者さんが駆けつけてくれるサービスに申し込み、ロイヤル会員にもなっていたことです。

そのため、一時間後には修理のアポイントを取ることが出来ました。

 

その電話をかけて十分後には、チャイムが鳴り、友が我が家に見えました。

久し振りに会った彼女でしたが、余りに素敵!

一瞬見惚れてしまった私です。

後で伺った所、84歳になられたとの事。

そんなお歳にはまるで見えません。

上品で輝くようなオーラ―を私は浴び、直前までの苦労が吹っ飛んでしまったかのようでした。

 

ひじき寿司・新じゃがとさつまいものコロッケ・ごま豆腐・ほうれん草のごま和え・茶わん蒸し
胡麻和えはスナップエンドウにして多少の季節感を出すつもりでしたが、
買い忘れ、急遽、ほうれん草に替わりました。

 

その後、私たちは業者さんを迎え、修理の作業をお任せしたまま、お昼食を共にしました。

思い出話あり近況報告ありで、話題が尽きず、素敵な時間が流れていきましたが・・・。

一方では、業者さんの作業の事も気になり、時々傍に行き、進捗状況を尋ねたり、と。

結局、作業は私たちのお昼食が終わり、お茶の時間になるまで続きました。

 

その後、修理完了の報告を受けました。

その業者さんが、不具合が生じた原因の説明をなさっている時も、彼女は実に適切な質問をし、業者さんとも、すっかり意気投合。

排水管の構造にもよく精通している彼女に、私は感心するばかり。

彼女と業者さんに、高圧洗浄をすることを強く勧められました。

それで早速、その場ですぐお願いした私です。

東京ガス系列の会社なら、信頼してお任せできますから。

 

 

お茶は出しましたが、駆け付けサービスのお仕事では、お時間を取らせてせては申し訳ないと思い、お菓子を少々包んで差し上げました。

電話連絡後一時間で駆けつけて下さり、修理代は無料。

翌々日の高圧洗浄も、支払いは4千円少々。

ロイヤル会員なので、3万円までは、東京ガスが負担してくれました。

 

翌日行われた排水管の高圧洗浄の作業の時の画像です。

 

大変な出来事が、彼女のオーラ―に包まれたまま、いつの間にか終わりました。

いらっしゃる前は、先が思いやられた私でしたが、彼女のお蔭で、苦労が半減した思い。

相変わらず素敵なお人柄の彼女に一層惹かれた私です。

 

翌日の私のお昼食。すべて前日の残り物です。

 

 

 

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私が尊敬して止まない友達  追記あり

2024-05-28 05:48:03 | 

一昨日は、私の心の友を、十数年ぶりに我が家にお招きしました。

若い頃は、私の手料理で、度々友を招き、楽しいひと時を過ごしたものです。

一昨年でしたか、社宅時代のお友達をお招きしたところ、一人の方に、今度が8度目、と言われ、私の方がびっくり。

そんなにお招きした覚えは、私自身にはありませんでしたから。

でも最近は、私にはそのようなおもてなしは、もう無理と思う様になっています。

 

外で会うのが一番気楽。

そう思っているのですが、この度、また少々頑張ってお声を掛けました。

曽野綾子さんが、お客様を招き、手料理をご馳走するのが好き。

料理は肉じゃがの様な家庭料理ばかり、と書かれていたエッセイを思い出し・・・。

そのようなスタイルのおもてなしなら、今の私でもできると思いました。

 

83歳にはとても見えないI様
純白の大輪のバラのイメージの彼女。

改めて、彼女のお人柄に心から惹かれました。

 

私には心の友と言えるような、尊敬して止まない友人が幾人かいます。

皆さん、私と違い、社会参加して、色々活動している方々が多いです。

私自身は、典型的な専業主婦で、家の事しかできない無能人間。

そう思っていますが・・・。

これまでの人生、何故かいつも前向きで、社会参加にも余念がない、生き生きと過ごす人たちに声を掛けられ、

一気に親しくなる。

そんな人生を送ってきました。

 

私にはない物をたくさん見に付けていらっしゃる。

そして心が驚くほどきれい。

人の悪口や噂話を聞いた事が全くなく、いつも前向きで明るいご性格の方達ばかり。

私はきっと、その様な人に惹かれるのでしょう。

 

 

ご近所には、いつも人の噂ばかりしている三人組さんが居ましたが、私はそういう人は大の苦手。

できるだけ距離を置くようにしています。

今はお具合が悪いのか、ご三人共、姿を見かけません。

 

この様に、友人にはとても恵まれた人生でした。

つい最近の事。

次女宅で団欒を過ごし、我が家まで車で送ってもらった時も、娘にその話をしました。

ママは友人達にはとても恵まれた人生だったこと。

友人たちのお蔭で成長できたことなど。

すでに何度も言っている事なので、娘は十分承知していて、心から頷いていました。

 

とは言っても、私の本質は、典型的な専業主婦。

若い頃から体力にも欠けていて、家事と子育てをするのが精一杯。

そんな私でしたから、内向きの暮らしを送ることが多かったです。

でも今後、自力で日々を送れるのはもうそんなに長くはないでしょう。

元気な内に、最後の交流に励みたい。

最近、その様にとても思う様になってきました。。

今のうちに、お世話になった方々に会い、私の感謝の気持ちもを再度伝えたい。

 

 

暫く疎遠になっている、大切な心の友の顔が、最近はよく浮かんできます。

この度、久しぶりに私の手料理で、我が家にお招きした方も、そのお一人です。

思いがけないことがきっかけの出会いでしたが、私が心から惹かれ、尊敬して止まない人でした。

この方の薫陶も受け、一層前向きに人生を送れるようになったと言っても過言ではありません。

そのような方々が、ほかにも数人いらっしゃいます。

 

長女のMちゃんが取り持ってくれたご縁だったのですが、この度会えて、本当に感激。

十数年年振り位だったのですが、お人柄は無論、お姿も全く変わっていらっしゃらなくて、私には驚き。

83歳のご年齢ですのに。

久しく会わなかったのが悔やまれる程、相変わらず素敵なかたでした。

でも、そのご無沙汰の年月は瞬く間に埋まり、まるで身内の様に打ち解けて語り合えました。

 

 

庭のバラの画像はすべて5月17日に撮影したものです。

 

長女に先日、Iさんに会うの、と話したところ、私もぜひ会いたい、と言っていました。

その理由と、この度の友との再会についての詳しいお話は、次回の記事でさせていただきますが・・・。

お迎えする直前に、とんでもないハプニングが起き、大慌て。

80歳の身には、少々応えましたが、優しい友のフォローもあり、何とか乗り切ることが出来ました。

 

      

 

最近は目の調子があまり良くありません。

ドライアイとの診断を受けてから、視力がかなり落ちました。

最近は、パソコンに向かいブログを綴るのは、起床して朝食を摂るまでの時間とし、日中は出来るだけPCを見ないように心がけています。

そのため、推敲もいい加減。

他の方々のブログ訪問もなかなかできなくなってきました。

せめて応援だけでも、と思っていますが、この様な訳がありますので、ご無沙汰お許しください。

 

今後、娘達との旅行、ママ友さん達とのお食事会等々と相変わらず楽しいイベントがいろいろ控えています。

少しのんびり過ごして、体力を温存しましょう、

 

皆様も、清々しい新緑が眩しい、爽やかな季節。。

くれぐれもご自愛の上、良き日々をお過ごしください。

 

追記

旅行が間近に迫っているのに、体の調子が今一つです。

そのため、娘達との旅行を無事に終えるまで、ブログ更新は一週間前後

お休みさせていただきます。

 

私が心からお薦めできるヘアケア用品です。

シャンプー、トリートメント後は、このミストを付け、私はセットをしています。

普段も出かける前はこのミストを付け髪を整えるようにしています。

 

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何時まで経っても大学時代のまま

2024-04-15 07:39:36 | 
3月の日記
 
半年振りくらいになるでしょうか。
 
大学時代の親友から電話がありました。
 
お互いに80歳が目前の年齢ながら、話すと、大学時代の友、やっこちゃんそのまま。
 
友も、私の事をそう言います。
 
お互いにまるで変らない。
 
誇張でもオーバーな表現でもありません。
 
電話だとお互いの年老いた姿が目に入らないので、一層その様に感じるのかもしれません。
 
 
昨年、娘達と母校の大学を訪れた時の画像です。
 
 
 
学生時代と変わらない優しい声とおっとりした口調が、私の心に染みました。
 
もう一人、あっちゃんと言う友が私たちにはいて、三人の信頼関係はゆるぎない物がありました。
 
あっちゃんは、その当時、京大生の彼氏がいて、その人と結婚。
 
その方とは今も年賀状のやり取りをしていますが、あっちゃんは50代の半ばに二人のお子様を残して早世。
 
本当に残念です。
 
北海道旅行をした時の写真です。
左から妹、あっちゃん、私、やっこちゃんです。
 
 
彼女が、三人の中では一番しっかりしていました。
 
ペギー葉山の「学生時代」は、私が一番好きな曲の一つですが・・・。
 
その歌詞は、正に私の学生時代の雰囲気そのまま。
 
「姉のように慕い・・・」の歌詞を聴くと、敬虔なクリスチャンだったあっちゃんが目に浮かび・・・。
 
今でも胸が熱くなります。

曲を載せたいと思ったのですが、カギがかけられ、以前のように利用することができなくなっていました。

とても残念です

 
 
やっこちゃんと話すときには、いつも必ず亡き友の思い出がでます。
 
学生時代の時と同じように、三人で語り合いたい。
 
でもそれは叶わぬ夢ですから。
 
二人で話す時、いつもあっちゃんが傍に居る。
 
そんな気持ちでいます。
 
 
やっこちゃんの提案で、4月に一泊の小旅行に出かける計画が、また持ち上がりました。
 
もちろん私は大乗り気ですが・・・。
 
そのためには、家計の予算を一層引き締めないといけなさそう。
 
何故なら、前、一緒に旅行した時もそうでしたが、友が利用する部屋はいつもスイートルームなんです。
 
 
 
以前旅行した時、宿泊した部屋です。
 
ホテルの和食処にて。
お気に入りの洋服が偶然同じで、同じブランドの装いになりました。
 
 
彼女のご主人は、愛知がんセンター勤務を途中で辞め、その後は、開業医となり、順風満帆なお暮らしでした。
 
友は、医療事務を引き受け、看護師にも気を遣いながら、最近までご主人と一緒に働いていました。
 
けれど、割と最近の事のようですが。
 
その仕事をやはり医師のお婿さんが引き継ぎ、彼女の仕事も、娘さんがほとんどなさるように。
 
それで、今は週に数回だけ、夫婦でお仕事に励まれているようです。
 
「今までより、かなり自由時間が増えたの」と言い、嬉しそうでした。
 
それだと、私も今後、電話がかけやすいです。
 
 
もう一人の友,あっちゃんはがんを患い闘病中の時,やっこちゃんの旦那様が良き相談相手になって下さったようでした。
 
私もいざとなったら、名古屋まで足を運んででもそうしましょう。
 
 
横浜と名古屋では距離にするととんでもなく遠く感じますが、二人で話すと、その距離は一瞬で埋まります。
 
まるで姉妹のような掛け替えのない親友達が居る幸せ。
 
それは私には、何にも替え難い人生の宝物だと思っています。
 
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小学生時代の級友三人で楽しい会食 3月の日記

2024-04-07 07:29:14 | 
3月4日の事です。
この日は、珍しく春の陽気で、私はコートなしで出かけました。
行き先は緑ヶ丘。
初めて目にする駅名です。
 
会うのは、全員小学校時代の同級生たち。
声をかけて下さったのは、Nさん。
何故か、旧姓しか今思い出せなくなってしまいました。
こうなったからには、他の方も、すべて懐かしい旧姓の頭文字で、今日の記事は綴る事に致します。
 
 
私は約束の時間通りに、目的の駅に到着しました。
既にNさんがお待ちかねでした。
ところがあとの二人がなかなか見えないので、Nさんが電話を掛けたところ、東横線のまるで違う駅前で、うろうろしておられる様子。
 
緑ヶ丘の駅は、大井町線。
何故そんな駅に降車することになってしまったのか。
私に行き先を教えて下さったHさんが迷われるなんて・・・。
とてもとても理解に苦しむことでした。
 
後で、彼女たちには、Googleの路線案内のサイトを教えて差し上げました。
私はそれを利用し始めてからは、待合場所に迷わず必ず時間通りに到着できるようになりましたから、
それを利用していなければ、彼女たちの行動は他人事ではありません
「高齢になると道に迷うのは日常茶飯事。
お互いに気を付けましょうね」と言い、大笑いした私達です。
 

 
三名は、小学校時代の仲良し同級生達だっただけでなく、中高も国立大学の付属でしたから同様の学生生活を送りました。
その時はクラスは異なりましたけれど。
 
但し、この度声をかけて下さったNさんは、小学校6年生の時に、東京の学校に転校。
ですから会うのは今度が二度目ですが、とても懐かしい思いを抱かれるようです。
 
その上、彼女は外交官夫人となり、海外での活躍が多く、日本の友達とは長いブランクがありました。
ですから、旧友に会えるのは殊更嬉しいようです。
 
 
この想い出写真は、Nさんの親戚の別荘に招かれた時のものです。
Nさん家は政治家が多く、この別荘を所有する叔父様は、確かこの当時、大臣でした。
左端は私。私の前の二人は母と妹です。
この写真をNさんに見せたところ、懐かしがりとても喜んでくれました。
 
みんなが揃い、駅から徒歩数分の場所にある、Nさんの友人が経営するイタリアンレストランで昼食を摂りました。
実は会う前、私は少々緊張していました。
外交官大使夫人の経歴がある方と聞くだけで、洗練された華やかな世界を想像してしまったからです。
こういう時、狭い世界で暮らしてきた自分に、何だか自信がもてなくて・・・。
せめていつもより、少しおめかしして出かけようと、パールのネックレス迄かけていきました。
 
ところが実際に会うと、昔と全く変わらず、お母様にお人柄がそっくりの実に明るくて気さくな方。
とてもとても楽しいおしゃべりのひと時が持てました。
 
 
 
 
  
画像の他に、前菜、デザート、確かもう一皿あったのですが、
話に夢中になり、写真を撮り忘れてしまいました。
 
 
話す話題は同じでも、ご主人の職業が異なると、その内容もまるで違いました。
如何にも高齢者らしい年金の話しになった時のこと。
昨年、ご主人様を亡くされた、整形外科病院の院長夫人でいらしたHさんが
口火を切られました。
私にはサラリーマンのような年金はないの。
その代わりに、何か所かある駐車場や賃貸の部屋の貸し料金が結構入るので、それで暮らしているの。
 
もう一人の友は、ご主人様はマツダにお勤めだったようで、海外生活も経験されていました。
この方のお話でびっくりしたのは、専業主婦だった奥様にも企業年金が支給されるとの事。
わたしは思わず、「羨ましい」と言いました。
我が家は厚生年金より企業年金の方が多い位だったのですが・・・。
夫が亡くなると同時に、その支給は無くなりましたから。
 
外交官夫人でいらしたNさんのお話では、アメリカ駐在の時期もあったけれど、外交官はアメリカ年金は受け取れないのよ、と。
それは気の毒と思い、理由を教えてもらいましたが、もう忘れて思い出せません。
 
旦那様の職業によって、同じ話題でも、内容はまるで異なり、とても興味深かったです。

私の隣の方が、この度声をかけて下さったNさんです
 
その後、それだけでは物足りず、東横線の自由が丘駅近くのの喫茶店に。
レストランは大井町線でしたが、徒歩でその喫茶店にも行けました。
Nさん宅は東横沿線の駅の近く。
緑ヶ丘迄歩いていらしたとの事。
長女宅にとても近い所にお住いです。
この辺りは電車を利用すると、乗り換えもあり、遠く感じますが、すべて徒歩圏内であることを初めて私は知りました。
 
レストランでも喫茶店でも、話題は尽きることなく泉のように湧いてきました。
まだご夫婦そろってご健在なSさんは、既に自宅を売却し、住宅型の高齢者施設に入居されていらっしゃるようでした。
とても満足され、落ち着いたお暮らし振り。
その具体的なお話も、将来のために聞かせてもらいました。
Nさんの一見華やかに見える外交官夫人の苦労話も色々伺いました。
 
あっと言う間に数時間が経過。
もっともっとおしゃべりを続けていたい気持ちを振り切り、
「また会いましょうね」と言て、別れた私達です。
 
国立の付属と言った一貫した環境と教育で育まれた人間性には、どこか共通の物を感じ、まるで親戚に出会ったような気持ちに私たちはなれます。
同窓生の皆さん、母校を悪く言う人は一人もいません。
褒める方ばかりです。
恩師への感謝の気持ちを忘れることなく、同窓の絆をこれからも大切に温めていききたいものですが・・・。
 
年齢的にはもう一期一会の心境。
親友達との思いがけない別離を、何度も経験してきた私ですから。
一層、その気持ちを強くしています。
 
その内に同窓生の傘寿の会が一泊の旅行を兼ねて催されるようですが、
昨年、同窓会の京都旅行にも出かけ、私にしては珍しく今年も他の予定が
盛りだくさん。
自分の体力と家計の予算を考慮すると、すべての参加は無理かもしれません。
その時になって決めることに致します。
 
追記
前日に一言園芸日記を更新しています。
 
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親友のKさんの訪問

2023-09-03 07:08:19 | 

8月の月末に、親友のKさんから久しぶりに電話がありました。

アメリカ在住以来、身内のような存在の彼女です

声を聴くのは久しぶり。

私より4歳若いだけなのですが、溌溂とした澄んだ美しい声が、私の心を一気に元気付けてくれました。

メール交換は頻繁に、絵手紙も一月に一回ぐらいの頻度で届けてくださいます。

 

この度の訪問は、ブル―ベリー狩りに出かけたので、お宅にもお届けしたい。

月見草のお花も一緒にと。

相変わらずの彼女の優しさに感激。

首を長くして待ちました。

 

戴いた月見草の植木鉢とブルーベリー
私の目の前で、夜、開花しました。

 

主人が家にいるから、すぐお暇すると言われたのですが、少しの時間でもと私からお願いし、上がっていただきました。

おもてなしできるようなものがなく、麦茶にWestのクッキーのみ。

 

そして始まったお喋りはとめどもなく、2時間近くが瞬く間に経過しました。

私の友人は皆さんそうですが、話題はいつも前向きで、明るいお話ばかり。

人のうわさ話、ましてや批判は皆無と言っていいでしょう。

 

年齢的に、体調についての愚痴は出ますけれどね。

でもそれは私だけかな。

Kさんは、76歳ながら驚くほど元気。

行政通訳、医療通訳の資格も取得し、多方面で精力的にご活躍。

一方では、83歳になられるご主人さまとまだ就学前の双子のお孫さんのお世話にも余念がありません。

 

私はいつも内向きの暮らし。

彼女は外交的で社会活動にとても熱心。

対照的な性格ですのに、とても息が合い、話すとお互いに納得し合う事ばかりです。

 

私の目の前で開花した一瞬です

 

今は彼女に戴いた月見草が愛おしくて仕方ない私。

昨日は、何と開花の一瞬を見届けることが出来たのですよ。

動く花びらを見たのは初めてです。

花の命の躍動を目の前にして、大層心打たれました。

翌朝にはしぼんでしまいましたが、色がピンク色に変り、それはそれで愛くるしくしばらく見惚れてしまった私です。

 

 

Kさんには翌日開花した月見草の写真と共にお礼のメールを書きました。

お互いに、今後も変わらず元気でいられるといいのだけれど・・・。

私は先行き、何時まで彼女と親密なお付き合いができるか、少々心細くなってきています。

恐らく、異常な今夏の暑さのせいで体調を崩し、気が弱くなているだけでしょう。

 

昨日の私のお粗末な昼食
頑張らない時はいつもこんな感じです
戴いたブルーベリーを早速ヨーグルトに載せて。
もぎたての美味しさはやはり格別でした。

ブルーベリーを頂いた翌朝の朝食

最近ゆで卵がすっかり気に入り、朝そればかり作ってていたら、
目玉焼きの作り方のコツを忘れ大失敗。

これはその前日の朝食です。

 

Kさんのみならず、私の人生は良き友人にとても恵まれたものでした。

良き友達のお蔭で成長できた、と言っても過言ではない程。

ですのに、私は不器用なので、家事をやり遂げるのが何時も精一杯。

そのお付き合いを大切にする努力を、余りしてこなかったような気がして悔やまれます。

今後は、人生の宝物と言っていい友人達に、感謝の言葉をもっと伝えたい。

今、しみじみそう思う私です。

 

この日の夜、寝室からスーパーブルームーンを見ることが出来ました。
でも、私のカメラと私の腕では、これが精一杯。
望遠レンズがあれば、もう少しきれいに撮れるのかもしれませんね。

 

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また同窓会のお知らせ

2023-06-21 07:06:11 | 

最近は、ブログの話題に恵まれて、割と楽に記事を綴ることが出来ました。

でもいよいよ、その話題も尽き、題材が浮かばない。

日頃は、毎日が平凡そのものですから。

その平凡が全く嫌でない私。

一日、家で暮らしていても、退屈することはまずありません。

 

そんな私に、また最近、思いがけない電話がありました。

高校時代の同窓生からです。

東京に在住の人ですが、先日開かれたミニ同窓会には欠席でした。

いつも声が暗い。(笑)

何故でしょう。

いい人なんですけれどね。

 

彼女の話では、秋に、恩師のH先生のクラスの同窓会をする予定との事。

先生の回忌法要の供養とお墓参りを兼ねて、京都で行うそうです。

あなたは出席できますかとの打診の電話でした。

 

これは、随分前、鳥羽で開かれた同窓会の時の画像です。
目的は小学校の担任の先生のお墓参りでした。

 

H先生には一方ならぬお世話になったので、ぜひ参加したいところですが・・・。

十数年前、先生の訃報が入った翌々日には、愛媛に飛び、お葬式に参列させていただいた私です。

先生は愛媛大学に勤務された後、正岡子規の記念館の館長をなさっていました。

 

その頃、親友のH君に誘われ、先生に会いに、二人で連絡船に乗って、愛媛に出かけたこともあります。

それは急に持ち掛けられたことで、私は他の用事で、帰広したのですけれどね。

 

当時、私はまだ60代の後半。

とても元気だったなあ~、と今更ながら懐かしく思います。

最初の画像の様に、小学校の先生の墓参も兼ねた同窓会が、鳥羽で開かれた時も出かけました。

女性は三名だけ。

同窓会の後、伊勢志神宮まで足を延ばしたのは5名のみ。

女性は私一人。

そんな積極性が自分にあったなんて、嘘見たいです。

 

伊勢神宮の近くの和食処の前で

 

最近連絡があった秋の同窓会にも、参加したいのはやまやまなのだけれど・・・。

今の私の体調で、集団行動の旅行ができるでしょうか。

歩くのも遅くて、みんなに迷惑をかけてしまいそう。

つい先日開かれた同窓会の様に、数時間おしゃべりを愉しむのとはわけが違います。

 

ですから、前向きに考えますが、お返事は無事に夏を超えられてからにします、と応えました。

同窓生は、皆80代に一年足らずでなる人ばかり。

その中でも私は一番年上。

お誕生日が4月3日ですから。

細々とでもご縁が続き、会えば学生時代に一瞬で戻れてしまう不思議な仲間たち。

この貴重な時間をむげに断るのはもったいない気がするのですが、私の体調次第。

 

昨日(18日)は暑さ負けか、体がだるくて、身の置きどころがないほど辛かったです。

チョッと異常な体調でした。

退院してから、ずっと調子が悪い。

今日(19日)は退院後、二度目の病院での診察があります。

入院した時にお世話になった先生で、掛かりつけ医ではないのですけれど・・・。

微熱がしばらく続き体が本調子でなかったことを話すつもりです。

その微熱は、一週間前からもう出なくなりました。

 

同窓会に参加するにも、体が元手。

もう少し元気にならないと、参加はとても無理そうです。

今のままでは、今夏の猛暑が恐ろしい。

無事に乗り越えられるでしょうか。

 

同窓会ではありませんが、幼馴染で親友と言っていいN君と、英語の家庭教師としてお世話になった
K先生をお訪ねした時の想い出写真です。
お二人共、もう帰らぬ人となられ、私は寂しくなる一方です。

もう一人の親友H君も(上の画像の左端の人です)、一年前から病を患い今療養中です。
回復を祈るばかりです。

 

お返事は夏が過ぎてまで待ってもらう事にし、一応前向きに検討しますとだけ答えました。

コロナの事も気になりますものね。

私は、小、中、高の担任の先生にはとてもお世話になりました。

ですからその御恩は今も忘れる事がありません。

中高時代の英語の家庭教師の先生、数学の家庭教師の先生のことも同様です。

 

人のめぐり逢いには、とても恵まれた人生だった私。

その最もたるものが友でした。

友のお蔭で成長できた、と言っても過言ではありません。

でもこれからは、会うのさえ難しい年齢になっていくのでしょう。

でもその想い出の宝物は、何時も胸に温めて暮らしたいです。

 

つい最近あった同窓会が、コロナ禍になる数年前に前に開かれた時の画像。
皆今より若くて元気そう。

 

もし出かけても、これが最後かな。

マイペースの一人暮らしが全く嫌でない自分の性格を、この年齢になると有難く思います。

穏やかな平凡な日々、それで十分な私。

これからは、小さなささやかな喜びを積み重ねて、日々を愛おしんで暮らしていきたいです。

あと半年少々で、80歳になるのですもの。

なんだかんだと、体調には問題ありの私ですが、私は健康のようです。

このお話は次回で。

 

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ミニ同窓会へと

2023-06-17 06:55:14 | 

脳神経外科で診察を受けたばかりでしたのに、翌日、新宿までお出かけした私です。

私にしては、少々非常識な行動、と言っていいのかもしれません。

けれど、その日は朝から気分も良く、前日まで悩ましかった頭痛も消えていました。

微熱もありません。

ぎりぎりまで迷ったのですが・・・。

決めた行き先は、小中高のミニ同窓会。

 

既に数日前、幹事のA君には、体調が思わしくない事を告げ、欠席のお返事をしていました。

彼がその時言うには、当日の返事でいいから、良かったら出席して、と。

それで、その言葉に甘え、当日の朝の8時頃になって、出席の旨のお返事をしました。

体調は完全回復とは言えなかったけれど、環境を変え、気分転換を図ることも必要と思ったからです。

 

行く決心をした後、慌てて洗髪し身なりを整え、goo乗り換え路線で、電車の発車と到着時間を検索。

約束の時間の15分前には、新宿に到着するように計画を立てました。

この路線案内は、本当に便利ですね。

これを使用するようになってから、遅刻は全くしなくなりました。

 

 

西新宿の改札口を出て、警察署の前で待っていると、幹事のA君が、また迎えに来てくれました。

前回と同じお店なのですけれどね。

一人で辿り付ける自信が持てなくて。

今回は、一生懸命、目印を目に焼き付けたので、もうそろそろ独り立ちしなくては。

次回は迷った時のことも考え、一時間前に到着し、迷ってでも道順を覚えようと思います。

これ以上、頼り切っての行動は、余りに情けなくて恥ずかしいですから。

 

お店に到着したのは、約束の時間の5分前でした。

席に就いていたのは、まだ7~8名位。

全員が揃うと十数名位の小さな同窓会。

その中で、私が想い出と共に親近感を覚える人は、半分くらい。

中高とも、5クラスありましたから。

 

その頃は、中国地方では、灘中高に次いで難しい進学校でしたが。

私は、小学校からのエスカレータ進学組。

(夫は中学からでした)

小学校は、6年間同じクラスで、担任の先生も変わりませんでしたから。

その時代を共にした同窓生は、忘れることはありませんけれど。

 

中高からの優秀な外部生には、他クラスですと、未だに馴れ馴れしくは話せない人もいます。

社交的とは言えない私の事ですから、その点は残念だけれど、今更性格は変えられないので。

席に就いても、にこにこ笑って、みんなのおしゃべりを聞いているだけかな。

もう一人の幹事のH君には、

「とても元気そうじゃないですか」

と言われましたが。

見かけだけの私です。(笑)

 

 

女性は、4名だけの出席でしたが、皆さん、とてもいい方。

心から和んで、落ち着いた雰囲気の中で、いろいろ語り合うことが出来ました。

コロナ禍でしばらく会えなかった間に、お二人の方は、ご主人さまを亡くされていました。

 

Mさんは、お痩せになり髪も薄くなられ、その後のご苦労が偲ばれるような痛々しさでしたが・・・。

医師の娘さんと息子さんが、お父様の外科病院を引き継ぎ、今も何不自由ないお暮らしです。

 

ご主人を亡くされたもう一人の同窓生Mさんは、高校時代とても優秀で、お茶の水女子大のの数学科に進学。

その頃はクラスも違い、親交ははまるでありませんでしたが、自然体の本当にいい方。

今回、しみじみそう思いました。

述懐するように、ご主人の思い出話をたくさんして下さいました

 

私が、夫が亡くなった後に色々後悔をし・・・。

もっと、こうしてあげればよかった、ああしてあげればよかった、と思い続けた話をすると・・・。

「そうそう、私も同じ。その気持ち、とてもとてもよく分かる」

と、心から頷かれ・・・。

こんな賢い方でも思いは同じであることに、私の心も慰められました。

 

そう言えば、整形外科の病院の窓口で多くの患者さんに接してこられたMさんにも、

私が主人を亡くしてまだ間もない時、

「後悔しない人なんて誰もいない。

介護とはそういうものよ」

と言って慰めて下さったものです。

 

 

この度集まった女性三名の方の中で、まだご主人様が健在なのは、Kさんだけ。

髪は銀髪になさり、それがとてもお似合いで、何とも魅力的。

大学教授でいらしたご主人様のお写真を始めて拝見したのですが、スタイル抜群でダンディーそのもの。

彼女の大輪の様にいつも輝いている笑顔の意味が、よく理解できたような気になりました。

お料理がとてもお得意のようです。

 

皆さん、本当に心優しくて、落ち着いた雰囲気のいい方ばかりですから・・・。

今度いつか、私の手料理で我が家にお招きしたい。

そして、もっともっといろいろな事を語り合いたい。

そう思いましたが、私にそんな気力と体力がが残されているでしょうか。

 

男性の方々は、お酒が入ると意味の分からないジョークで盛り上がり、私はとてもついていけませんが。

それもまた楽しで、良い雰囲気のまま同窓会はお開きとなりました。

 

その後、女性三人、カフェに入りお茶を共にしての二次会。

それもお別れとなった時、Kさんが、

「今が一番楽しかったね,」

と仰り、皆、心からそれに共感。

笑ってしまいました。

 

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三ねん振りに開かれたママ友の会

2023-06-03 07:24:19 | 

美容院に行った翌々日、私にしては久しぶりの遠出。

品川まで出かけてきました。

コロナ禍になって以来、3年振りに開かれた、ママ友の会に出席するためです。

場所は駅から徒歩4~5分、品川プリンスホテルの高層階の和食処でした。

 

体調は今一つだったのですが、私が敬愛して止まない人達ばかりのこの会には、どうしても出席したくて・・・。

少々無理をしてのお出かけ。

でも、久しぶりに友達に会えて本当に良かった。

とても充実した素敵なひと時を過ごすことが出来ました。

 

 

この会は、次女の中学受験の時、近くの喫茶店で、娘達の試験が終わるまで、たまたま席を同じくして、

おしゃべりを始めた母親同士のご縁が始まりです。

幸いにも、娘達は、みんな無事に合格。

その輪が次第に広がり、内部生のお母様達も加わり、今に至るのですが・・・。

亡くなられた方も数名いらっしゃいます。

 

一番驚いたのは大蔵(財務)次官の奥様。

テニスから戻られ、廊下でお倒れになったままの突然死。

その数か月前、銀座でのお食事会でお目にかかったばかりでした。

お母様の介護で名古屋によくお出かけでした。

テニスで焼けた小麦色の肌がとても素敵で、上品な凛としたお姿が今も目に焼き付いています。

 

これに天ぷらと炊き込みご飯が付き、後はデザートでした。

 

他にも、未だに信じられない悲しいお別れがありました。

同じ沿線だったため、そのママ友の会とは別に、年に数回食事を共にして、親密なお付き合いをしていたUさんとTさん。

お二方共、素晴らしいお人柄で、会うたびに、心が洗われるようでした

気配りの行き届いた本当に優しい方々でしたのに。

そのおふたりが半年の間を置かず、突然の様に亡くなられ、私は一人ぼっちになってしまったのです。

 

突然とはいえ、重いパーキンソウ病を長年患われていたUさん。

進行の早い乳がんと闘っておられたTさん。

先の覚悟はしておられるような感じがしましたが。

そのことはおくびにも出さず、いつも穏やかな口調で明るく振る舞われたお二方。

わたしの目には神々しく映ったものです。

 

それにしても、早過ぎる訃報のお知らせが届いた時は茫然。

涙が止まりませんでした。

私は未だに信じられなくて・・・。

彼女たちの声が聞こえてきそうです。

あの時代の楽しい交流が今も続いていたら、とかえすがえす残念でなりません。

 

この画像、コロナ禍ゆえの面白可笑しな独特の光景ですよね。(笑)
記念に載せる事に致します。
写真を撮る時くらい、マスクは外しましょうの一声がありました。

 

でも遺された人たちで、この会は今も続いています。

お互いに尊重し合い、胸襟を開いて、何でも語り合え、お付き合いが出来る人たち。

年齢を考えると、あと数年続けばいいほうかもしれませんが・・・。

80歳の後半になってもまだお会いできると嬉しいのですが。

その時は娘達に手を引かれてかしら。

さすがに、そんな気力はもうなくて、無理なことかもしれませんね。

せめて元気な内ははずっと足を運びたい。

私にとって、娘達の中高時代の想い出と共にある、何にも替え難い大切な集いです。

 

 

 

 花のように泉のように
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