今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

一昨年に続きカーテンがまた新しく 

2025-01-31 07:12:33 | 住まい インテリア

昨年から準備に取り掛かり始めたカーテンが出来上がり、1月の中頃、

ファミリールームと二階の一部に取り付けていただきました。

本来なら昨年中に終えることでしたが、年末はとても忙しく、体調も今一つでしたから、

年明けまで延期に。

 

 

カーテンの白さがまるで前と違い、清々しい雰囲気に。
長女から届く定期便花が、一層引き立ちます。

 

ほぼ30万の支出は、去年の予算額を割り当てたと思っています。

普通預金と同じように利用できる、みずほ銀行の貯蓄預金から振り込みました。

貯蓄預金は、私にとっては「暮らしの補充金」と言った所です。

この様に名付けてくれたのは妹なんですけれどね。(笑)

 

「暮しの補充金」が増えると、私の暮らしが豊かになる。

そう思っているので、この預金が増えるのを私はとても楽しみにしています。

いつかその予算を衣類に当てて、もっとおしゃれがしたい。

でもそれはまず家の改装を終えてから、と思っているので、いつの事になるでしょ

う。

夫が居た時は、同時に至る所リフォームし数百万の支払いをしたことも数度かありましたが、

今の私は、そんな大胆な事は、気後れし、とてもする勇気がありません。

近い将来、外壁の塗装が待っているので、その時は覚悟を決めるつもりでいますが・・・。

それまでは、年間の予算を30万と決め、少しずつ、家の改装を心がけようと思っています。

 

その計画通りに、今年(昨年の予算で)は一昨年に引き続き、カーテンを新しくしました。

これまで使用していたローラーアッシュレイのカーテンが、とても気に入っていたのですが・・・。

残念ながら、同じものはもう販売されていませんでした。

 

去年は、体調が思わしくなく、すべて次女に任せた私です。

出来上がってきたのは、イギリス製の生地の上の画像のカーテン。

タイルに合わせ、やはり前と同様のサーモンピンクで統一しました。

 

 

今までの小粒の幾何的な模様と違い、今回は木の柄です。

カーテンを閉めると、その柄が前より目立ち、多少気になりますが・・・。

ピンクのタイルにはめ込まれた絵柄にも、同じような木が描かれているので、

調和は取れているのでは。

カーテンを開けてループで束ねると、見た目は前のカーテンとそっくりに。

ですから、満足な仕上がりと言っていいのでしょう。

 

 

夫婦で隣町のカーテン屋さんまで足を運び、数度打ち合わせをし、最後までこの準備のために、

時間を割いてくれたMちゃん夫婦には、心から有難うと言いたいです。

このカーテンは、去年の予算額を充当してやり遂げた事。

 

玄関の窓のカーテンも今回新しくしました。

 

今年の予算は、シロアリ駆除のために計上するつもりで今のところいます。

既に、業者は東急ベルに紹介していただき、今後の予定の打ち合わせまで電話でしました。

とても感じのいい方といった印象でしたので、良かったです。

 

第一印象が良くて、大手の会社の紹介なら、まず安心。

シロアリ駆除の今後の打ち合わせも、今から楽しみにしています。

 

一昨日、またこのレーズンを購入しました。
大粒で、とても美味しいです。
今度で、買うのは5回目です。
ヨーグルト、サラダに5~6粒振りかけると、一段と美味しくいただけます。

私の朝食はいつもこんな感じです。パンも添えて。
上でご紹介したレーズンをサラダとヨーグルトに必ず振りかけています。
プレートとガラスの器は、長女からの贈り物です。
朝食用にピッタリで、とても重宝しています。
Mちゃん、本当にありがとう♪

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少しずつでも家の改装と補修を

2024-10-27 07:32:20 | 住まい インテリア

今年の4月に80歳になった身。

体力は年相応の私ですが、気持ちだけは割と若い。

そう自分では思っているのですが、果たしでどうでしょうか?

 

あと何年生きられるか分からないのに、今私が考えていることは、

家をもっと快適な空間にする事。

でも悩みは、予算。

夫が、退職するまでは、百万単位の金額で家の改装を何度かしてきました。

 

けれど、今は遺族年金暮らしの身。

一時期、投資で大失敗し、大きなお金を失った私です。

ですからこれ以上、あまり使いたくない。

失敗の償いをしなければ、旦那様と親に申し訳ない。

後は娘に遺してやりたい。

そんな気持ちでいつも暮らしています。

 

 

でも我慢するだけでは虚しいので、しっかりと予算を立て、飽くまで慎ましく・・・。

予算の範囲内で、家をきれいにしていきたい。

そう今は思っています。

年間の貯蓄の目標額を超えた分を、貯蓄預金(普通総合口座と変わらず、入出金が自由にできます)の口座に入れ、

それを家の改装、補修などのために使用するつもりにしています。

 

それに充てる金額は、毎年30万くらいの予定でいますが・・・。

いつか外壁塗装をしないといけない我が家。

今のところ、チョット恥ずかしい決め方なんですけれど、その指針は前のお宅にしています。

前回は、そのお宅が塗装なさった翌年、我が家もしました。

ご主人様は、大手の保険会社にお勤めだった方。

退職後も、まだご健在で、暮らしには十分なゆとりがおありのはず。

ですからそのお宅が始められたら、考える事にしました。

 

前回の時は、100万を遥かに超えました。

今はおそらく、もっと高いに違いありません。

その支払い金額を思うだけで、気持ちが落ち込みそうになりますが・・・。

それまでは、30万前後を予算に充て、少しずつ、家をきれいにしていければ、と思っています。

 

振り返るとここ数年、その一環のような事を、毎年私は手掛けてきました。

冷蔵庫を新しくし、電子レンジ付きガステーブルも新しい物に取り換え、

和室と二階の障子の張替え、昨年は,居間その他の部屋の一部のカーテンを、予算通り、ジャスト30万で、

新しくしました。

 

 

そして今年はファミリールーム、玄関など、残りのカーテンを同じ予算で、取り換えるつもりで動き始めました。

動いてくれたのは、私ではなくて、次女のMちゃん。

インテリア関連の筝には、強い関心を持つ娘ですから、何だか楽しそう。

そう私が勝手に思うだけで、娘は私のために苦労をまた引き受けてくれただけに過ぎないのかもしれません。

私はレースのカーテンだけのつもりでしたが、ファミリールームの厚手のカーテンもこの際、取り換えては、

と娘に言われました。

確かに色あせて、一部ほころびも見られます。

今使用している物は、ローラアッシュレイのカーテン生地で、とても気に入っていました。

でも同じものは、私が探した限りでは見当りませんでした。

 

 

そして先日、次女夫婦が、ローラーアシュレイの生地も扱うカーテン屋さんを隣駅で見付け、

最近夫婦で行ってくれました。

我が家の施工時の見取り図などの書類もすべて提げて。

その日から一週間くらい経過しますが、まだ見積もりがきません。

予算の範囲内で収まるでしょうか?

今、ハラハラドキドキして、待っているところです。

それに新しいお店なので、どこまで信用していいのか。

その点も不安です。

 

実は、うちはすべて家の事は、東急ホーム(数年前横文字の会社名に変ったのですが)にお願いしてきました。

店長さんともとても親しく(まだその地位に就かれる前からのお付き合いでした)安心してお任せできたのですが。

「驚くほど家がきれい。30年以上経過した家にはとても見えない」と数年前褒めて下さったのも、

この店長さんでした。

 

ところがその大手のリフォーム会社が、最近、突然、ダイワハウス管轄下になってしまったのです。

信じられない事で、本当にびっくり。

私には余りになじみのない会社なので、今は住宅の補修の頼りの支柱を失ったような気持ちで途方に暮れています。

 

それゆえ、娘が見付けてくれたカーテン屋さんも、少々気がかり。

今は見積書が来るのを、今か今かと待ち侘びているところです。

 

私が常に切らさないように用意しているものです。
ヨーグルトにサラダなどにいつも利用している大粒のとても美味しいレーズンです。
貧血の予防その他、健康食品として私にとっては欠かせない物です。

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カーテンのその後

2023-08-30 07:09:45 | 住まい インテリア

今日は少し前の記事で話題にした、一階の各部屋のカーテンの取り換えについて、その後の経過をお話しします。

私の予算は、30万のつもりでしたのに、営業の方が示された見積額は、60万以上。

その額を目にした時は、一瞬言葉を失う程、驚きました。

その後、次女といろいろ相談し、結局予算の30万で何とか収められるようになりました。

 

その対処策とは、とりあえず、すべてのカーテンを洗ってみる。

その時の汚れの落ち具合で、取り替えるかどうか判断することに。

居間のカーテンだけは、条件なしですべて替える事ことにしました。

 

この策は、私たちの狙いどおりになりました。

意外にも、想像以上にきれいになったからです。

試しに、最初、私がお手洗いの下方に掛けてある小さいカーテンのみ洗いました。

過去に、カーテンを洗濯機で洗い、びりびりに破れ、無残な姿になったことがあります。

ですから今回は、その反省に立ち、洗濯機で洗うことはしませんでした。

手で丁寧に押し洗いし、脱水にも欠けず、手でそぉ~と絞り、濡れたまま、元のポールに掛けました。

 

 

娘がカーテンを持ち帰る時、

「洗濯機に手洗いと手絞りと言うボタンがあるから、それを使用しようと思うのだけれど」

と言いました。

私はすぐに猛反対。

「絶対破れるから、それは止して」

と強く言いました。

 

カーテンの取り外しに頑張る次女

この踏み台を、娘宅から持ち運び作業してくれました。
落下しないかと心配で、胸がはらはらどきどきしました。。

 

そして次の週末に娘宅から戻ってきたカーテンは、すっかりきれいになり、私はその色に全く違和感を感じませんでした。

娘も同様で、私と一緒に納得。

まだしばらく使用できると判断。

このお陰で、大きな金額を削ることが出来そうで、二人で大喜び。

 

掲載された画像のカーテンは現状維持のカーテンです。
まだ他にもありますが、写真を撮っていません

 

それからしばらくして、東急Reデザインのリフォーム営業部の方とカーテン屋さんが見え、最終の打ち合わせを。

数日後に新たな見積書をお持ちくださいましたが、正に私の予算とドンピシャリの30万円。

嬉しい限りでした。

 

 

我が家のカーテンの色は真っ白ではなく、オフホワイトとのこと。

私にはサンプルを見せてもらっても、区別が付きませんでしたが、今まで通りのオフホワイトにすることに。

カーテンを新しくすると、居間の雰囲気が多少は変わるでしょうか。

出来上がるのが今から待ち遠しい限りです。

 

 

今年の夏は辛くて、自力では元気でいられそうにありません。
上の二つのビタミン剤に私は頼りきりです。
興和に尋ねたところ、両方を同時に飲むと、ビタミンを過剰に取り過ぎるので、
体調に合わせての飲み分けた方がいいと言われました。

この暑さも、もう少しの辛抱ですね。

お互いに頑張りましょう、

 

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カーテン狂騒曲 

2023-08-20 07:04:20 | 住まい インテリア

お盆を迎える前の事。

カーテンの取り換えを、いよいよしなければならない出来事に見舞われました。

居間の出窓のデザインカーテンの上げ下げをするチェーインが、突然切れてしまったのです。

それならチェーインを取り換えればいいだけなのですが・・・。

カーテンの取り換えは、もうずっと前からの私の念願でした。

ですからこの度の出来事は、その決心をするいいきっかけになってくれました。

 

ソファーの後ろのカーテンです
今は、止むを得ず、ひもで一つに束ねています。

 

このカーテンも今回は新しくします・

 

二階のカーテンをすべて取り換えたのが、十年くらい前の事。

一階のカーテンの取り換えは、今度で三度目になります。

早速、いつも私がお願いする電鉄系の総合住宅会社に電話し、下見に来ていただきました。

 

この営業所の店長さんには、お若い時からずっとお世話になっている私です。

この店長のWさんが、数年前、久しぶりに我が家を訪れて下さった際、

「30年以上経過した家にはとても見えない。驚くほどきれいだ」

と褒めてくださいました。

その言葉が嬉しくて忘れられず、未だにその話を時々娘達にして、得意になる私です。(笑)

 

 

この度来て下さった女性の方も、とても感じの良い方だったので、一安心。

我が家を去られるときには、Wさんに宜しくお伝えください、と私は言いました。

 

カーテンの取り換え費用の予算は、およそ30万円と見立てていたのですが・・・。

とんでもない、実際の見積額は何と68万円!!!

物価高騰が原因でしょうか。(涙)

 

営業のNさんも、「私の予算の範囲内で多分収まるでしょう」とおっしゃられていたので・・・。

見積書を出すときは、とても申し訳なさそうな顔をされました。

私もびっくりで、しばらく言葉がありませんでした。

 

さあ~、それからの数日間、悩みに悩みました。

もちろん支払えない額ではありませんが、私には暮らしの予算というものがあります。

夫が亡くなってからは、この予算の範囲内で暮らすことを私はモットーにしてきましたから。

 

 

次女に話すと、

「我が家のカーテンよりドレープがたっぷりとられているし、二枚重ねになっているから当然の価格だと思うわよ」

との事。

 

そして、次女といろいろ話し合い、居間のカーテンの取り換えは予定通りにする。

しかし、他の部屋のカーテンは、一応洗ってから検討することとしました。

洗うと恐らく破れてしまう懸念がありましたし、天井が高い我が家。

窓も大きくて、レールからカーテンを外すのは、私にはとても無理。

そう次女に話すと、脚立を持っているから、それを足場にすれば、はずせる、とのこと。

そんな危険なことして落下したらどうするの。

想像するだけで怖い事でした。

私の娘とは言え、もう五十代になりますから。

 

しかし、それを実行するのはお盆の行事が済んでから。

まずは、これを無事に済ますことが先です。

ですから、時系列通り、この続きは、お盆の行事について書きおわってからにいたします。

 

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マイホームと造園にかけた私の限りない夢

2021-10-18 06:50:30 | 住まい インテリア

ガーデニングの夢は未だにくすぶったまま、と前の記事で書きました。

初孫のR君が生まれる前に突然思い立ち、庭のリフォームに取り掛かったのは二十年前の事。

緑と草花に囲まれた庭のテラスで、孫に絵本を読んで上げる。

そんな夢を描いた私です。

そのために素敵なガーデンチェアーとテーブルを置きましょう。

その前に目隠しになるトレリスも据えましょう。

私の手は、庭の図面を描くことに夢中になりました。

 

 

予算は、はじめ100万のつもりでしたが、夢がどんどん大きくなり、その額を遥かにオーバー。

私の気持ちが定まらないので、営業の方の判断で、工事が途中でストップ。

一月後からまた再開する、といった事もありました。

 

スケールはまるで違いましたが、マイホームの図面を描いた時と似た情熱が限りなく湧いてきたものです。

マイホームは、その図面を描き終わるのに3年くらいかかりましたけれど。

そのために、住宅雑誌は恐らく50冊くらい目を通したと思います。

 

hh

日中は家族みんな出かけて一人ぼっちになるので、家事室を少し広くした自分の部屋が欲しいと思い、
この部屋の図面を描きました。
これは大成功。ひとり暮らしの今、私が寂しさを感じないで暮らせるのは、この部屋のお陰です。

 

マイホームの施工に当たっては、娘達の中学受験が終わるまでは取り掛からない、が私の固い決意でした。

アメリカから帰国後のその数年間は、私には恵の期間。

熟慮できたからです。

最初は、住宅会社任せの所もありましたから。

 

将来、親を引き取った時、介護がしやすいように和室を隣に設置しました。
これも大正解でした。

介護用のベッドは、見える畳の所に置き、炊事をしながらいつでも母に声をかけることができました。

 

自分の気持ちは、月日が経過するにつれどんどん変化していきます。

マイホーム建築の時は、焦って安易に決めない方が、絶対にいいと思います。

私は二度契約を解除し、最後に決心したことは、自分の家なのだから人任せにするのは止そう。

自分が暮らしやすい家は、自分が一番よく分かっているはず。

そう思い、住宅会社の方から手渡された方眼の設計用紙百枚に、毎日自分の夢を追って、マイホームの図面を描き続けました。

 

 

その図面を、大手の施工会社の若手の優秀な設計士さんに見せたところ、とても感心され、

「素晴らしい図面です。このまま建てましょう」

とおっしゃって下さり、出来上がったのが今の家です。

 

 

「僕が考えたのは、屋根のかけ方と窓の大きさ位ですよ」

と後で言われました。

とはいっても、渋谷展示場のモデルハウスを設計されたYさんと、営業マンのIさんの温かなお人柄に支えられての、私のマイホームづくりでした。

今でも、設計士さんとは、年賀状の交換をしています。

 

 

ガーデニングがテーマの記事のはずでしたのに、すっかり脱線してしまいました。

また続く、とさせていただきますね。

次回では、最近購入予約した、ちょっと贅沢なガーデニング用品をご紹介いたします。

イギリスからの輸入品ですので、日本に到着するのはもう少し先。

ひと月近く迷い、購入を決意した物です。

とてもとても楽しみにしていますが・・・。

我が家の庭に調和してくれるのかが、少し不安。

でも、首を長くして心待ちにしています。

 

前の記事で虎屋の最中をご紹介したところ、数名の方が他の詰め合わせの物をお買い求めくださいました。

とても私は参考になりました。

娘達の嫁ぎ先への年始のご挨拶は、これにしようかしら。

 

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窓の緑

2021-05-01 07:13:27 | 住まい インテリア

いよいよ話題が尽きてきました。

こういう時、自然の移ろいを豊かな感受性でもって受け止め、描写できるといいのだけれど。

そうすれが、話題なんていくらでもあるはず。

でも残念ながら私には、その感性が貧弱なのか、綴る自信が今一つ持てなくて・・・。

ミセスサファイア様の文章に、いつも憧れて止まない私です。

 

家の中から外を写すには、私の撮影技術は余りに未熟すぎ。
何度シャッターを押しても、思い通りに撮れません。

 

今日のタイトルは、狭い我が家の庭なのに、余りに恥ずかしい内容ですが・・・。

思ったままを綴ります。

我が家は、天井まで届くような大きな窓ガラスが至る所にあります。

そこからは今の時期、溢れるような瑞々しい若葉、青葉が目に入り、その清浄さに心が洗われるようです

親友のKさんが海外から帰国され、始めて我が家に見えた時のこと。

その緑の多さに感動して下さいました。

そういえば確かにそう、と思い、改めて我が家の恵まれた環境に気が付いた私です。

 

数度、雑誌社などから、専門のカメラマンが写真撮影に見えたことがある我が家ですが・・・
或る時は、「窓から見える庭の風景」というテーマ―の撮影がありました。

 

但し、今ファミリールームの出窓から見える風景は少し物足りなくなってしまいました。

その前の狭い裏口に向かう通路に植えられたヒメシャラと今の時期、紫の鮮やかな花をつけるハーデンベルギアが両方とも枯れてしまったのです。

 

元気だったころのハーデンベルギア
ある年末、植木屋さんが強剪定したところ、一気に弱り枯れてしまいました。

 

何か植えないといけないと思うのだけれど、その植栽場所の狭い花壇は、下は擁壁のコンクリート。

さらに目の前に、空調機が設置されています。

植物にとってはこれ以上悪い環境はないでしょう。

そんな場所にまた何か植えるのはためらわれます。

 

昇ったばかりのばかりの朝陽が差し込んでいます。

 

緑がなくなり、窓越しの光景は寂しくなりましたが、それでもなお、私には好きな遠景があります。

その窓から見える風景が、わたしは好きで・・・。

毎朝、ラジオ体操をする時、目の保養を意識して、その遠景に目をやりながら体操に励みます。

 

遠くに見える背の高い大木が私のお気に入り。

凛とした裸木の時の姿が特に好きなのですが。

今はこんもりと緑が茂っています。

毎日この遠景を望みながら、ラジオ体操に励み始め、もうすぐ一年半に。

お休みしたのは数度だけです。

 

これからもそんな私の暮らしを、庭の緑が見守り続けてくれている。

そう思い、残り少ない余生の日々を、もうひと頑張りしましょう。

30日と5月1日の歩数

 

3829歩と4246歩

 

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庭の活用~至福のひと時

2020-08-25 06:58:19 | 住まい インテリア

私は時々睡魔に見舞われ、私の暮らしのリズムと計画が狂わされることがよくあります。

そういう時は、とても情けない。

頑張りたくても、睡魔による倦怠感には打ち勝てません。

そういえば、大学の講義中も、よくうとうとしていました。(笑)

その様な時、私はどのように対処すればいいのか分からなくて・・・。

いやいや横になることが多いです。

眠たいのを我慢して何かに取り組んでも、能率が上がらないし苦痛ですから。

 

就寝時間が、一人暮らしになってからはとても速い私。

大体、20時~21時の間には床に就きます

平均起床時間は3時から4時の間。

2時に起床なんてことも、時々あります。

ですから午前中の早くから、眠くなるのはやむを得ない事なのかもしれないけれど。

 

カーテンの上が気になっているのだけれど・・・。
我が家は天井が高くて、手がやっとこさ、届くところ。
恥ずかしい画像ですが、自分では対応が難しくて、そのままになっています。

 

私の前のお宅の奥様は、夜型の暮らしの上、お昼寝をしたことが全くない、とおっしゃいます。

そういえば、急に思い立ち真夜中に階下に降りて、前のお宅を見るとまだ煌々と電気がついています。

そのせいでしょう。

夜はぐっすりお休みになれ一度も目が覚めないとのことでした。

その話を聞くと、羨ましくて仕方ない私。

早寝早起きが一番健康には良いと言われるけれど、必ずしもそうではないのかもしれませんね。

 

日中の眠気を覚ますには、しばらく動くこと。

その様に次女婿のHさんから聞いたことがありました。

ですからそれを実行するように心がけていますが、最近新たな対処法に気が付きました。

外に出て新鮮な空気をいっぱい体に取り入れると、目が覚めるようです。

 

恐らく眠くなるのは脳内の酸素が欠乏しているせいもあるのでは?

余りに間違った考えでしたら、本当に恥ずかしいですが。

 

庭で過ごすとき、蚊の襲来は悩ましい事。
最近懐かしい金鳥の蚊取り線香と、おしゃれな蚊取り線香立てを購入しました。
レトロっぽくて素敵。移動も簡単です。
お部屋においても、良い雰囲気で、とてもとても気に入っています

 

 

私はそのように思い、庭で過ごす時間をもっと多くするように、心がけるようになりました。

真夏の日中は陽射しが強すぎて無理ですが、明け方と夕暮れ時はそれが可能。

起床時、外はまだ夜の帳でも、私はしばらく庭に出て、夜空の星を眺めたりしています。

寝起きのまだすっきりしない頭が、たちまちクリヤーになります。

 

 

 

 

明け方、庭木の緑や広々とした空に時々目を遊ばせながら、読書やパソコンの作業をする。

それは正に至福のひと時

心が充たされ、あらたな活力が湧いてくる思いがします。

空調が効いた閉じられた空間で過ごすより、はるかに健康的で気持ちも良くて。

 

長女宅は広いオープンキッチンの部屋と、やはり同じ広さの居間がL字型に繋がっていて、前面はガラス張り。

緑の芝生を敷き詰めた庭がそこにはあります。

次女宅はマンションですが、角地の一階で、子供用の自転車でしたら乗り回せるほどに広い庭に恵まれています。

この庭を、もっと有効利用すればいいのに、といつも思う私です。

庭はガーデニングや緑を愉しむ場所だけでなく、居室感覚でもって、もっといろいろ活用できますよね。

 

 

裏のお宅のお庭は全面、腰丈になるほどに草がぼうぼうと茂っていて、それを見るとといつも「もったいないなあ~」と思ってしまう私ですが。

体力も衰えていく一方の私達の年齢では、放置もやむを得ない事情もあることでしょう。

私は見て見ぬふりをしていますが・・・。

そのせいで、裏の庭に近い玄関にやぶ蚊が多くて、それがちょっと悩ましいです。

でも、雑草を抜いてください何て、言う勇気は私にはとてもありません。

 

生き方は人それぞれ。

自分は自分の価値観を大切にして、良き余生を過ごしたい。

そう願うだけです。

 

今日の日の出です。
今日も、弱い心に負けないで、充実した良き日を過ごせますように。
カープも勝ちますように。

 

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雨どいの色選択で大冒険した想い出

2020-07-24 07:19:02 | 住まい インテリア

もう梅雨明けが目前ですね。

今年も豪雨による被害は想像以上で、私はその痛ましい光景を見るに堪えませんでした。

被災地の皆様の復旧に向けての逞しい姿に、私はただただ感服するばかり。

私にはそんな気力があるだろうかと、いつも自問自答してしまいます。

 

次女宅に寄った時、娘に尋ねました。

「あなたの所は我が家より土地が低いようだけれど、水害になった時大丈夫なのかしら」と。

河川はかなり遠いのですが、やはり心配で。

するとMちゃんが応えました。

「ハザードマップの中には入っていないから、安心していいんじゃない」と。

 

先日のニュースで耳にしたことですが。

今後襲うであろう豪雨には、今の河川の堤防では役目を果たせなくなると・・・。

温暖化が原因のようですが、行く先、この様な恐ろしい水害が度々起きるのでしょうか。

河川が近い妹にも、「いつでも避難できる準備はしておいた方がいいわよ」と一言余分な注意までしてしまいました。

 


次女家族

今日の記事の話題は背景に映っている雨樋のお話です。

 

幸いにも我が町は、今年の梅雨は、割と穏やかな天候に恵まれました。

滝のような豪雨には出遭ったことがなく、雨が降っても風情あるしとしと雨。

気温も割と低く、このまま梅雨が明けてくれると本当に助かります。

 

梅雨と言えば、雨樋の下働きを私は思わないではいられません。

雨樋が屋根に当たる雨水を処理してくれるおかげで、落ち着いて過ごすことができるのでしょう。

もう随分前のことになりますが、積雪で雨どいがしなり、その役目を果たさなくなった時がありました。

その時は、ぽたぽたと雨が軒下に落ちて地面はびしょびしょに。

雪害によるものでしたから、すべて住宅総合保険の補償で新しいものに入れ替えることができました。

 

 

この雨どいで、その後、私は大冒険をしたことがあります。

わが家の外壁と屋根の再塗装をした時のことです。

雨どいの色は、ダークブラウンが一般的ではないでしょうか。

ホワイト系の雨どいも時々見かけますが。

 

ところが、私は、雨どいの色見本を見て一瞬で惹かれた色がありました。

それは、モスグリーン。

わが家の屋根の色は長い間ブラックでしたが、外壁塗装の際、落ち着いた赤系にしました。

樋を緑にすると、何だかクリスマスカラーみたいになってしまうなあ~、と思いましたが・・・。

モスグリーの色にすっかり魅せられてしまった私です。

 

 

ブログ用に庭の光景を撮影する時、茶色の雨どいが、いつも目障りで仕方なくて・・・。

レンズに入らないように苦労して撮影していました。

ところがモスグリーにしてからは、樋を邪魔に思ったことがまるでありません。

草花や庭の光景と一体となり、写真に納まってくれるようになりました。

 

私がモスグリーを選んだ時には、工務店のおじさんに言われました、

「この色を選んだのは奥さんが初めてですよ」と。

私の心は一瞬張り詰めました。

色の選択でこんな冒険をするなんて。

私は大失敗を犯したのかもしれない、と。

もっと無難な色を選ぶべきではなかったか、と。

胸がドキドキしまくりでした。

 

しかし、塗装が終了し、全体を眺めた時、モスグリーンの雨どいが我が家の雰囲気をとても良くしてくれていて、大成功だと思いました。

皆様にも是非お奨めしたい色です。

ガーデニングを愉しんでいらっしゃる方達には、特に。

 

 

家も庭も自分の手で夢を追いながら図面を書き上げ、大冒険のような出来事でした。

その点、雨どいの色の選択は、小さな冒険に過ぎませんでしたが、成功して、本当に良かった。

70歳も後半に入った今の私には、もう冒険する気力はなさそう。

 

できる事なら、これからも五感を磨いて、自分の好みに合った素敵な暮らしを、私らしく紡ぎたい。

その様に願っています。

 

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続 マイホーム建築の想い出~見取り図描きに夢中になってしまった私

2020-07-13 07:01:33 | 住まい インテリア

今日は、最終的に決めた施工会社の営業マンと設計士さんの態度について最初に触れたいと思います。

二社目の仮契約を解約後、私は他人任せはもう止めようと思いました。

そしてモデルハウスや住宅雑誌を参考にしながら、レポート用紙に、自分が理想とする家の間取りを描き始めたのです。

 

その頃お会いしたのが、三井ハウスの渋谷モデルハウスの営業マンIさんでした。

その方が、私がレポート用紙に描いた見取り図を見て手渡して下さったのが、分厚い設計用の方眼紙一冊でした。

その社からの提案の図面の提供は一切なさらず、

「良かったら理想の家の間取りを描いてみてはどうですか」

とおっしゃられたのです

 

 

この態度が、私の心に火を付けました。

家建築への情熱が益々高まり・・・。

その後は見取り図を自らの手で完成したい。

その気持ちを抑える事ができなくなってしまって。

その後、一年間夢中になりました、

 

私は幼い頃から家の間取りを描くのがとても好きな子でした。

画用紙はむろん、地面に描いて遊んだ記憶があります。

幼児時代だけに過ぎませんが、お絵かきは得意で、朝日新聞全国コンクールで入賞しり、夏休みのドリルに私の絵が載ったり、と。

そんな経験もしました。

明らかに右脳人間の私。

(妹は左脳人間です。妹のブログ https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

それも多少は幸いしたのかもしれません。

 

建築に取り掛かるまでの二年間、モデルハウスには頻繁に足を運び、住宅雑誌を恐らく50冊以上買い求めたと思います。

それらを参考にしながら、一年半くらいかけて、自らの手で見取り図を完成させました。

その見取り図は、営業口調にのせられ、仮契約までした二社の図面とはまるで異なるものでした。

 

 

米国から帰国したのは、6月の初め。

長女が中学受験で、その翌年、思いがけず第一志望校に合格。

土地を購入したのは、その年の5月。(記憶が定かでなかったので、登記簿で確認しました。)

その直後から家建築の準備をスタート。

けれど、次に意欲満々で頑張る気持ちを示していた次女の受験が二年後に控えていました。

 

次女のMちゃんの勉強を見ながら、二度某社と仮契約しそれを解約。

その後、将来のマイホームの見取り図を描き続けた私です。

中学受験は、親の協力も欠かせません。

塾は、週に一回四谷大塚という塾の週末テストを受けているだけでしたから。

私もそれなりに頑張っていました。

そんな気力と体力を自分が持ち合わせていた何んて、今の私には信じられませんが。

若かったからできたことなのでしょう。

 

 

次女も、お姉ちゃんと同じ中学に無事合格。

そして同時進行で頑張ってきた見取り図も完成。

 

ところが、その無理がついに祟り、次女の受験終了後から一気に体調を崩し、真夜中に救急車で病院に搬送され、二週間入院となりました。

その時は血圧が急激に下がり、三途の川を渡りかけた私です。

その後、家族や身内には、あの時もし息絶えていたら、私はは過労死だったとよく話したものです。

 

我が家担当の設計士さんは、渋谷のモデルハウスを設計された、お若いながら、社で一番評判がいい方でした。

彼は、私の描いた見取り図を見て、大層感心しなさり、このままで建築OKです、とおっしゃって下さったのです。

完成後、住宅雑誌や週刊誌にも掲載してくださいましたから、本気で認めて下さったのかもしれません。

 

「僕が考えたのは、屋根のかけ方と窓の大きさぐらいです」が、設計士Iさんの口癖でしたが。

私は心から彼の実力とセンスを信頼していました。

建築中の我が家にも、営業のIさんと共に、度々見え、完成まで見守り続けてくださいました。

今もなお年賀状のやり取りをしています。

 

 

マイホーム建築時の苦労話を書きたくて、自己満足にすぎない我が家の過去の画像を適当に載せています。

あまり皆様の共感を得られないのでは、と恥ずかしい限りですが、この話題の記事をもう一度だけ綴らせていただきますね

ご興味のある方は、もう一記事ご覧いただけると嬉しいです。

マイホーム建築に当たって私が一番大切に思う事について、再度お話しさせていただきます。

 

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続 マイホーム建築の想い出

2020-07-12 06:44:19 | 住まい インテリア

今日もマイホーム建築の想い出を、違った視点からお話しさせていただきます。

その当時、私は40代の前半。

世間知らずの専業主婦。

それなのに、夫はすべて私任せ。

一切、この事に関わろうとしませんでした。

マイホーム建築だけでなく、育児も一切合切すべて私任せ。

それでいて文句は一言も言わない人でした。

 

夫は雨露凌げればどんな家でもいい。

もともとはマンション志向の強い人でしたから、家へのこだわりは全くなくて・・・。

君の好きなように建てればいい。

そんなことは口には出しませんでしたけれどね。

金銭的なこともすべて私に任せてくれました。

ですから、私が何もかもすべて決め、夫は本契約の印鑑を押しただけです。

 

 

 

ロサンゼルスから帰国し、割と早く土地を購入。

この時も幸運としかいいようのない不動産との出合いがありましたが、この説明は省きます。

家の建築に実際に取り掛かり始めたのは、その二年半後。

その間に長女と次女の中学受験がありました。

 

しかし後で振り返ると、帰国から娘の中学受験が終わるまでの家建築のために与えられた猶予が、どんなに貴重なものであったか。

私は受験が終わるまでは、家の建築には取り掛からない、と堅く決心していました。

娘たちの受験がなければ、どうだったでしょう。

恐らく余り時間をかけず施工会社を決め、さっさと家を建てたのではないかと思います。

振り変えるだけで恐ろしい。

まるで違う家になっていたでしょうから。

 

 

ここで私からのおこがましいですが、またご提案。

1千万単位の高額な経費が掛かる家建築には青写真完成までに、少なくとも数年はかけたほうがいいということです。

何故なら人の気持ちは移ろいやすいもの。

自分が描く理想の家は、そう簡単には決められません。

日ごとに、イメージは変わっていきます。

 

私も最初は、住宅会社に頼り切っていたところがかなりありました。

営業マンは、さほど時間をかけないで描いたであろう設計図を私に見せ、家の建築を迫ります。

それはそれは熱心に。

その間も他社の営業マンも、度々訪れ、我が家で施工してほしいと頼み込んできます。

 

 

私も、一生懸命イメージ作りに努め、私の希望を伝えました。

しかし常に迷いがあり、何と二社とも仮契約までしたのに解消してしまったのです。

どうしても納得は行かなかったからです。

 

その契約解消前後に、私が出会ったのが、今は会社が閉じられてありませんが、三井物産の子会社三井ハウスでした。

この会社の営業マンの対応が私にはとても理想的に思えたのです。

何故理想的に思えたかについては次回の記事でお話しさせていただきますね。

 

追記

今、こんな暢気な記事を綴ると、顰蹙をかってしまうのでは・・・。

そんな心配をしたくなる程に、社会の様相が只事でなくなってきています。

コロナの感染拡大、九州や中部地方の目も当てられないような水害の報告。

私はそのせいか体調も今一つ。

もう高齢者ゆえ、それに免じて現実逃避。

穏やかな気持ちで淡々と暮らすしかありません。

暢気な記事でごめんなさい。

 

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マイホーム建築の想い出

2020-07-11 06:54:05 | 住まい インテリア

今日の記事はライフスタイルカテゴリーのブロガー様向けかもしれません

マイホーム建築予定の方達の目に留まれば、の思いで綴らせていただくことにしました。

シニアカテゴリーの皆さんはもう関係ない事でしょうが、お子様やお孫さん世代の方達のお役に多少でも立てば嬉しいです。

 

わが家は新築して36年以上が経過しました。

それにしては、きれいなほうかもしれません。

私は若い頃は特別掃除好きでもなく、どちらかと言えばいい加減。

子育て、親の介護、孫の世話、夫の介護と多忙を極め、体力的にもそれで精いっぱい。

行き届いた念入りな掃除にまで手が回りませんでした。

 

ですのに、住宅関連の業者さんや、私が長年お世話になっている大手のリフォーム会社の店長さんが見えると、必ず褒めてくださいます。

「30数年も経過した家にはとても見えない。

きれいに維持されていて感心します」と。

心から、その様に褒めて下さるので、私もつい嬉しくなってしまうのですが。

 

 

褒められるほどに何故きれいなのか、その理由が自分でもよく分からないのですが・・・。

恐らく、広い居間は普段あまり使用せず、一日の大半を私は隣のファミリールームで過ごしてきたせいかもしれません。

ここで私からのご提案。

ファミリールーム(広い家事室或いは主婦の部屋と言えばいいでしょうか)が設置されていると、非常に便利だと言うことです。

 

私は、幾度もお伝えしてきたことですが、この家の図面は隅から隅まですべて私が方眼用紙に描きつくし、その通りに建築してもらいました。

この苦労話はまた追ってお話しさせていただきたく思いますが、図面を描くにあたって、私が一番願ったことは、このファミリールームを作ることでした。

 

三十数年前は広いリビングが重要視され、そこが家族の居場所だったように思います。

私はマイホーム新築に当たり、都内の住宅展示場には数えきれないほど足を運びましたが、モデルルームはすべて広いリビングが主流でした。

でも私はその設計では納得がいかなかったのです。

 

何故って、子供も学齢期になれば、日中、我が家にいるのは私一人。

ですのに広い居間で過ごすのは、空調の効率を考えても余に不合理。

私はひとりだけでも快適に過ごせる多目的な自分の部屋が欲しい、と切実に思いました。

その願いを叶えたくて、私が図面に描いたのがファミリールーム。

主婦の部屋と言ってもいいかもしれません。

 

 

夫も亡くなり一人暮らしとなった今の私には、このファミリールームがいかに心の癒しと救いになってくれているか分かりません。

広い居間で過ごす暮らしでしたら、寂しくて仕方なかったでしょう。

ファミリールームのお陰で、空調費も最小限に抑えられます。

多目的ルームなので、あらゆることがこの部屋で完結できます。

 

わが家のファミリールームは十畳ほどありますが。

キッチン空間を広めにとり、自分用のデスクとできればパーソナルチェアを設置すれが、多目的スペースになるのではないでしょうか。

これからマイホーム建築を予定している方には、私の部屋と言えるキッチン付きの広めの家事室をぜひお薦めしたいです。

 

私のパーソナルチェアー
以前はこの椅子を二つ置いていました。

 

今はオープンキッチンが主流ですね。

長女宅も次女宅もそう。

私は、多少先見の目があったのかもしれません。

但し、その部屋が広すぎると、私の部屋と言ったイメージではなくなってしまいますね。

長女宅はそんな感じ。

居間に通じる仕切りもないので、光熱費はさぞかし嵩むことでしょう。

わが家のように小窓を設置すれば、居間にも開かれた部屋になるので便利になりますよ。

 

ファミリールーム側から写した小窓の画像

居間側からです。

 

今後マイホームを建築予定の方は、キッチンのそばに家事室に近い自分だけのおしゃれな空間を設けられることを私はお薦めしたいです。

このような間取りを薦める特集記事が掲載された雑誌を数年前に買った覚えがあるのですが、捨ててしまったのか見つけられませんでした。

キッチンに自分の安らげるコーナーを設けるのは、今では真新しい事ではないのかもしれません。

 

明日はまた私のマイホーム建築の時の苦労話と、その体験に基ずいた提案をさせていただきます。

 

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ある報道の見出しにびっくり

2020-04-02 07:01:30 | 住まい インテリア

「ローラアッシュレイ経営破綻、英国 新型コロナで打撃」

 

最近、この報道の見出しを見て、びっくりした私です。

なぜ?なぜ?と疑問符がいっぱいになり、心がちょっぴり落ち込みました。

イギリスでは、長い伝統がある名門のお店と言っていいのはないでしょうか。

世界的にも名が知られたローラアシュレイが、コロナ騒動の打撃で経営破綻するなんて、信じられません。

 

私は若い頃、可愛い小物を買ったことも度々ありましたが、長年、特別贔屓にしていたわけではありません。

けれど、インテリア関連では、とてもお世話になり、今も感謝しています。

それは、クロスとカーテンです。

 

ファミリールームの出窓のカーテンとクッション
長年使用していて、もう色あせ、少々恥ずかしくなるほどですが・・・。
あまりに愛着があり、替える気になれない。

 

お値段がとても張るので、ごく一部使用しているに過ぎませんが。

いずれもとても気に入っていて、できれば今後もずっと使い続けたい、と願っている私です。

何故なら、もう同じような商品は手に入らない、と或る時、覚悟したからなのです。

その覚悟に追い込まれたのは、今回の報道によってではなく、昨年の夏のことでした。

 

一階のお手洗いのクロス

 

最寄り駅のすぐ近くにお店を構えていたローラーアッシュレーが、日本から撤退すると知ったのです。

その張り紙を見て、とてもとても驚いた私。

もしかすると経営不振に陥っているのでは、と心配になったものでした。

 

浴室の脱衣場のクロス

 

きっとその通りだったのでしょう。

経営不振だったところに、コロナショックの打撃。

ひとたまりもなく、経営破綻へと追い込まれたのでは。

 

長女の部屋のクロス

次女の部屋のクロス
張り替えた時、次女は水色にすれば良かったと、少し悔やんだクロスです。

 

ショウウインドウの前を通る度に、つい足を止めたくなる夢のあるお店でした。

本当に、本当に残念です。

経営再建して、何とか存続してほしいもの、と心から今は願っています。

 

二階のお手洗いのクロス。
一番ローラーアッシュレイらしい柄で、遊び心を発揮したつもりだったのだけれど
これは我が家には派手過ぎて、明らかに失敗でした。

 

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マイホーム建築で私がこだわったこと

2020-01-25 07:14:25 | 住まい インテリア

我が家はもう築三十数年になります。

耐久年数は、まだ当分あるとは思うのですが・・・。

今後の維持費のことを考えると、とても不安になります。

今はもう会社を閉じて存在しませんが、三井物産の子会社、三井ハウスが施工した在来工法の家。

このマイホームの建築に当たり、私が自分自身で数年かけて見取り図を描き切った苦労話は、当ブログで幾度かさせていただきました

 

その図面は、自分の将来の生活まで予想して描いたものでしたから、暮らしやすく、その後、大変助かりました。

今も、その思いに変わりありません。

業者任せにしなくて本当に良かった、と思う一方、何事もスローペースの私の、どこにそんな情熱があったのか???

今では不思議でなりません。

 

<個人情報の観点から画像を非表示しました>

 

私が建築に取り掛かる前、下見を兼ね頻繁に訪れたモデルハウスでは、その当時和室は、玄関の隣に配置されている住まいがほとんどでした。

住宅雑誌でもそう。

飽くまで客間扱いになっているような感じでした。

でも私は、キッチン兼用のファミリールームのすぐ隣にその部屋を据える図面を描きました。

何故なら、私は長女で、両親の介護が必須だと思っていたからです。

同居し、両親が寝込んでも、キッチンで料理や洗い物をしながら、父母にいつでも声を掛けられる。

その様な位置に和室を作りたい、と思ったのです。

 

ハートマークの所にベッドを置きました。

今は取り外していますが、ピンクの矢印の所に、光熱費の無駄を省くため、介護期間はアコーデオンカーテンを取り付けていました。

 

それは大正解でした。

5年近くの両親の介護において、とても助かったからです。

両親が亡くなった後も、、その和室は孫たちの遊び場とし、大変重宝しました。

孫たちが目の届くところにいて、見守りながら、主婦業にも専念できたからです。

 

今も、小3のかれんちゃん用に玩具は置いたままになっています。

 

和室と同様に、今も大変重宝している部屋がもう一つあります。

それは画像で再々紹介させていただいたファミリールームです。

今はオープンキッチンは当たり前ですが、建築当時はそうではありませんでした。

私がこの部屋を望んだ一番の理由は、自分の日中の一人暮らしのため。

夫も娘たちも出かけていない大半の時間を心地よく過ごすには、程よい広さの自分の部屋が欲しいと思ったからです。

広いリビングで過ごすのはなんだか寂し過ぎる。

光熱費もかかります。

余りに無駄が多いい暮らしになりそうで不安でした。

 

 

ですから、多目的で、主婦業の大半がこなせる部屋が欲しい願って、私がファミリールームと呼ぶこの部屋を作りました。

娘たちが巣立ち、夫も亡くなり寂しい独り暮らしながら元気に過ごせるのは、ひとえにこのファミリールームのお陰だと思っています。

カーテンもソファーのクッションもピンク系にして、温かな雰囲気に。

料理、デスクワーク、野球観戦もこの部屋でします。

お昼寝だってできます。

正にオールマイテイーの私の部屋なんです。

 

 

病弱の身になったら、窓際に簡易ベッドを置いて、この部屋で、青空を仰いで過ごしたい。

そして寝たり起きたりして、家事もする。

そんな生活を心に描いていますが、果たしてどうなることでしょう。

 

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マイホーム建築で私がこだわったこと

2020-01-25 04:26:43 | 住まい インテリア

我が家はもう築三十数年になります。

総檜なので耐久年数は、まだ当分あるとは思うのですが・・・。

今後の維持費のことを考えると、とても不安になります。

今はもう会社を閉じて存在しませんが、三井物産の子会社、三井ハウスが施工した在来工法の家。

このマイホームの建築に当たり、私が自分自身で数年かけて見取り図を描き切った苦労話は、当ブログで幾度かさせていただきました

 

その図面は、自分の将来の暮らしまで予想して描いたものでしたから、暮らしやすく、その後、大変助かりました。

今も、その思いに変わりありません。

業者任せにしなくて本当に良かった、と思う一方、何事もスローペースの私の、どこにそんな情熱があったのか???

今では不思議でなりません。

 

<個人情報の観点から画像は非表示としました>

このヤマハのドアも、自分で選びました。

 

私が建築に取り掛かる前、下見を兼ね頻繁に訪れたモデルハウスでは、その当時和室は、玄関の隣に配置されている住まいがほとんどでした。

住宅雑誌でもそう。

飽くまで客間扱いになっているような感じでした。

でも私は、キッチン兼用のファミリールームのすぐ隣にその部屋を据える図面を描きました。

何故なら、私は長女で、両親の介護が必須だと思っていたからです。

同居し、両親が寝込んでも、キッチンで料理や洗い物をしながら、父母にいつでも声を掛けられる。

その様な位置に和室を作りたい、と思ったのです。

 

ハートマークの所にベッドを置きました。

今は取り外していますが、ピンクの矢印の所に、光熱費の無駄を省くため、介護期間はアコーデオンカーテンを取り付けていました。

 

それは大正解でした。

5年近くの両親の介護において、とても助かったからです。

両親が亡くなった後も、、その和室は孫たちの遊び場とし、大変重宝しました。

孫たちが目の届くところにいて、見守りながら、主婦業にも専念できたからです。

 

今も、小3のかれんちゃん用に玩具は置いたままになっています。

 

和室と同様に、今も大変重宝している部屋がもう一つあります。

それは画像で再々紹介させていただいたファミリールームです。

今はオープンキッチンは当たり前ですが、建築当時はそうではありませんでした。

私がこの部屋を望んだ一番の理由は、自分の日中の一人暮らしのため。

夫も娘たちも出かけていない大半の時間を心地よく過ごすには、程よい広さの自分の部屋が欲しいと思ったからです。

広いリビングで過ごすのはなんだか寂し過ぎる。

光熱費もかかります。

余りに無駄が多いい暮らしになりそうで不安でした。

 

 

ですから、多目的で、主婦業の大半がこなせる部屋が欲しい願って、私がファミリールームと呼ぶこの部屋を作りました。

娘たちが巣立ち、夫も亡くなり寂しい独り暮らしながら元気に過ごせるのは、ひとえにこのファミリールームのお陰だと思っています。

カーテンもソファーのクッションもピンク系にして、温かな雰囲気に。

料理、デスクワーク、野球観戦もこの部屋でします。

お昼寝だってできます。

正にオールマイテイーの私の部屋なんです。

 

 

介護を必要とするほどに病弱な身になったら、窓際に簡易ベッドを置いて、この部屋で、青空を仰いで過ごしたい。

そう願って止みませんが、果たしてどうなることでしょう。

 

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八月の日記 適切なタイミングの恩恵 

2018-09-12 08:00:07 | 住まい インテリア

今夏の暑さは、例年の比ではなく、厳しいものでした。

私は、日中に何度もぐったりし、仮眠をとっては、息を吹き返しています。

でも世間で騒ぐほどには、私は暑さが応えないのかもしれません。

 

寒さの方が、がぜん苦手で、秋風が吹き始める爽やかな季節を迎えると、冬の心配をしてしまいます。

一人暮らしになってからは、ますますその苦手意識が強くなりました。

夏は屋内にいる限り、クーラーのおかげで快適に過ごせますもの。

冬の暖房の澱んだような空気感が、私はまた苦手です。

 

夫がすでに闘病中だった2013年の頃のこと。

東京ガスが、冷暖房の器具の販売を中止すると発表しました。

我が家の空調はすべてガスによる集中システム方式でした。

ですから、大変なショックを受けました。

いろいろ不具合が出てきても、おかしくない時期。

けれどその部品交換も、数年でできなくなるとのこと。

業者さんも勝手だな~と、腹立たしく思ったものです。

 

いろいろ考えあぐね、思い切ってすべてのエアコンを電気に取り換えることにしました。

ガス使用のエアコンは冷暖房の効果も、あまりよくありませんでしたので。

100万以上かかりました。

 

 

 

 

 

この年には二階と一階のインターホンの取り換えも、行っています。

町内に落雷があり故障.

修理不可能な状態になってしまったからです。

 

そして更に、その翌年には、外壁と屋根の塗装までも。

この改装の決断をした理由は、雪害で雨どいがすべてまた機能不全となり、足場を組んで取り換えなくてはならなくなったからです。

足場の経費は、40万近くとなり、その費用を無駄にしたくないとの思いからでした。

雨どいの取り換え費用は、個人住宅火災損害保険金ですべて賄うことができましたが。

そして翌年は、ファミリールームのクロス張替、床の再塗装も。

二階のカーテンの取り換えも。

 

夫の介護をしながら、何かにとりつかれたように家の改修工事にも、私は励んでいます。

やむを得ない事情があり、必然的なことだったのですが

家をきれいにすれば、夫に襲い掛かった病魔を退治できる。

そんな思いもあった気がします。

 

業者さんに、この色で注文するのはあなたが始めて、と言われた雨樋。
勇気のいることだったけれどモスグリーンの雨樋は大成功でした。

 

遺族年金のみとなった今では、このような大きな出費のリフォームは、とてもしんどいことに違いありません。。

今になって思えば、これも神様の導き。

あるいは私が一人暮らしになった時に困らないようにとの、夫の計らいだったのでしょうか。

あまりの適切なタイミングは、私の決断だけではありえないこと、のように思えてきます。

 

そのおかげで、住居に関しての心配はさほどしないで、今、私は日々を過ごせます。

なぜか、感謝の気持ちが、自然と湧いてきます。

 

<個人情報に関する画像と判断しましたので非表示と致しました>

 

 

もちろん、こうしたい、ああしたい、と思うことは限りなくありますけれどね。

一階のカーテンの取り換え。

シロアリ駆除剤の散布。

ファミリールーム以外の部屋のクロスの張替え

畳の取り換え等々。

 

毎月の余裕費を、これらのことに計画的に順次回せば、不可能なことではないけれど、それでは何だか虚しい。

夫の墓参のための広島行きは欠かせないし、ほかにも使いたいことはいろいろあって。

限られたささやかな年金収入を最大限に生かした暮らし方は、人それぞれですね。

性格や趣味、生き方によって、当然違います。

妹と私もお金の使いみちは、まるで違いますから。

 

私はおうち大好き人間ですから、関心があるのは、インテリア関連、ガーデニング用品、キッチン用品など。

お洒落をすることも大好き。

でも年齢的には、断捨離を心がける必要に迫られていますから。

気持ちは実に複雑です。

 

9月12日の早朝5時過ぎの空模様

 

賢い節約をしながら、一番意義あることにお金を使い、余生を心豊かに暮らしたい。

節約といえば、7月から8月にかけての電気代は、1万円ちょっと。

正確に言うと、10802円。

少ないと思われませんか?

クーラーを消したのは就寝時だけです。

私はいつも、大好きな十畳足らずのファミリールームに籠っていますし、電気はすべてLED.

このせいかもしれません。

 

これからも自分が心から望むことに、大切なお金を回せるように、楽しい節約生活を心がけようと思っています。

 

   

 

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