桃のお節句、雛祭りがもうすぐですね~
いにしえの雅な世界に私達をいざなってくれる、私の大好きな行事の一つです。
去年は、今頃、七段のお雛さまを飾り付け、ブログでもご紹介させていただきました。
ところが、今年は、いまだにいつもの和室の光景。
去年の年末張り替えた畳の青さだけが、目に沁みます。
何だか、とても残念。
まずは、雛祭りにまつわる夫婦の会話をお聞かせしましょう。
一度、以前に断られたことを、また蒸し返してお願いする、私からの語りかけで始まります。
私 「あなた、雛祭りが近づいてきたわよ。やっぱり、雛人形飾りましょうよ。雛壇組み立ててくれない。」
夫 「今年は飾らなくていいだろう」
私 「どうして?」
夫 「去年飾ったじゃないか」
私 「去年飾ったら、今年は飾らなくていいなんて、変よ。お雛様は、毎年飾るものよ。虫干しにもなるから、飾るべきだと思うわ。」
そういったところ、夫が、私の痛いところを突いてきました。(笑)
夫 「その前は、長い間飾ってなかったじゃ~ないか。二年に一回位でいいだろう。」
夫の言う通りなんですね~
去年は、久しくお蔵入り(?)だった雛人形のお箱を、傷みがないことを祈りながら、恐る恐る開けた物でした。
これも、まさにブログの効用で、私の少々マンネリ化した気持ちに風穴を開けてくれたことの一つ。
日本の伝統的な風雅な行事を、心から楽しむ暮らしの余裕を持とうと、私の気持ちに働きかけてくれたのでした。
ですから、夫に「長い間飾らなかったじゃないか」と言われると、返す言葉がなくなってしまったのです。
「二年で一回でいいじゃないか」の言葉は、しっかりと記憶に止め、今年は諦めることに。
その代わり、来年は遠慮なくお願いするつもりです。
雛壇の組み立ても、自分でやれないことはないけれど、かって一度も取り組んだことはなく、夫任せできた私です。
今更、この歳になり、それをする意気込みまではありません。
但し、飾り付けをしませんと、箱の中から、すすり泣く声が聞こえてくるような後ろめたさを、毎年感じます。
余りに美しく繊細で、優雅なお姿のお人形には、魂が宿っているような錯覚に陥りますから。
預かった孫が、その季節に泊まった時のこと。
ひな人形のお膝元に、お布団を並べて敷き休みますが、豆電球の薄明かりに浮かび上がる姿には、生き霊めいたもの感じ、心騒ぐ思いがしたこともありました。
さて我が家のお雛様のお話は、この位にし、次女家に、私がお祝いで贈った雛人形の写真を御紹介致しましょう。
本来なら初節句の去年のひな祭りに贈るべきでしたが、次女が多忙で、落ち着いて吟味する時間がなく、今年になりました。
私からの贈り物とは言え、娘の審美眼に叶うものを選ぶ自信など、全く私にはありませんから、娘にすべて任せ選んでもらいました。
マンション暮らしですから、最初から、内裏雛のみの雛人形で、質の良いものを買いたいとの要望でしたが・・・・・・
正にその願いが叶ったような内裏雛様。
私も、素晴らしい選択を、心から嬉しく思い、贈り甲斐の喜びに浸ることができました。
高貴な優しいお顔の内裏雛様に見守られ、これからも、かれんちゃんが、健やかにすくすく成長しますように♪
ひたすら願って止まないじじ、ばばです。
かれんちゃんのパパは、明後日から出張で、帰宅が三月四日とのこと。
そのため、一日遅れの雛祭りのお祝いですが、両家の祖父母を招いて催してくれるそうです。
その日を楽しみに待ちましょう。
但しその前に、うれしい悲鳴の多忙な日々が待ち受けています。
次女が子供達を連れて、四日間ほど、我が家に大移動してきます。
自分の体調に合わせ、無理をしないように心がけながら、次女家族と共にに、楽しい日々を紡ぎたいと願っています。
移り気な私のことですから(笑)、断定しかねますが、余程書きたいと思う題材が浮かばない限り、1週間ほどお休みいたします。
再開いたしましたら、また変わりなくお付き合いのほど宜しくお願い致します。
今日もご訪問下さいまして有難うございました。
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