今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

今の私の思い

2017-02-23 07:06:21 | ブログ2(1)

思い悩んだ末、過去の記事を載せることに致しました。

今も、このコメントが元凶だといわれ、私の中傷が延々と続いていますから。

当時、私はなぜ、このコメントで激しい批判をKさんから浴びなければならないのか、とても理解に苦しみました。

でも、人それぞれ、思いは違うでしょうから、お詫びの言葉をブログ上に書きました。

下記の言葉です。

2013年1月30日の記事です。

私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで、問いかけさせていただいたにすぎないのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。

翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・

今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。

ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。

 

このお詫びの言葉をブログに載せても、Kさんの批判(誹謗中傷のコメントを書かれた)は相変わらずで、見過ごすにはあまりに辛く、下の記事を書きました。

タイトルは、「私のコメントの内容」です。

 

私のコメントの内容

2013-02-02 16:55:50 | ブログ2

すみません。

私が今日これから書く記事は、ご覧下さる方にとってはお読み苦しいものかもしれません。

でも突然、今日思い立って書き始めたものではありません。

人生の戒めとして、ブログに載せて残すべきかどうか、ここ数日間、悩んでいました。

弁解めいた行為に映ってしまうのでは、と心配でもありましたから。

 

恐らく娘達も、多少は気にしているでしょう。

私も、将来、その頃の自分の記事を目にすることがあるやもしれません。

たとえわずか数行のさりげない文章に過ぎないにしても、薄れた記憶の中で、

私はどんなひどい事を相手の方にコメントしてしまったのであろうと、いやな思いに陥るかもしれません。

一番悲しいのは、孫達が万一目にして、そのような悪い想像を抱くことです。

 

思いがけず、お相手の怒りの感情を読みとり、翌日お詫びのコメントを入れさせていただきました。、

それからすでに12日間が経過しますのに、日々、そのことに触れ、私への非難、批判を繰り返しておられます。

さすがに呆れ、そのような行為を執拗になさることへの理解に苦しんでいます。

怒りの沸点は、人それぞれであることが、今回の事で身に染みました。

私には計り知れない心模様のご事情が、おありなのでしょう。

 

わたしは広島の被爆者として、風評の被害を身につまされる思いで心配しています。

多少声を落として、放射能の恐怖を語ってほしいな~といった気持でおりました。

ですからその思いをお伝えし、ある疑問点があったので率直に問いかけさせて頂いたにすぎません。

 

お願いですから、今回の事はもう忘れて下さい。

非礼があったのなら、心から再度お詫びします。

 

上に挙げた理由から、その時の私のコメントを、そのままここに載せることに致します。

皆さまのお目が怖いですけれど、ご批判を覚悟の上です。

これ限り、もうお相手の方が何をおっしゃろうと、私は気に致しません。

他人から、変な詮索をされることもないでしょう。

今日の記事で、もやもやしていた心の整理をしたつもりでいます。

 

大層お読み苦しい記事を綴らせて頂きまししたことへのお詫びを、重ねて申し上げます。

 

最後に一言。

私の次女婿、一物理学者の話に過ぎませんが、放射能は基準値を超えていなければ心配はいらないとのことでした。

放射能は、宇宙や石のような物体からも出ていることで、西日本で被災地より高いところがあったり、ローマは基準値の十倍なんてこともあるようです。

いろんな説が飛び交う中、個々で冷静に判断するしかありませんね。

広島の原爆は放射能をまき散らしたわけだから、脅威がまるで違うよ、と言って笑っていました。

まき散らされた放射能を、三キロの地点で受けた私は、まだ乳児でした。

さすがに最近、ちょっとそれを意識するようになってきましたが、父と同じくらいの寿命は全うしたいものです。

 

私のコメント

いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。

もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・

私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります

私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。

今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。

どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。

差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。

| かれん桜 | 2013/01/23 07:23

 

このコメントのお返事に、大人への放射能の影響は微量だからです、と説明されていました。

そのお話しを伺い、私の疑問は晴れた思いがしていたのですが・・・・・・

 

最後の二行は、当時追記で書かれたものです。

kさんは、載せたコメントの文章の一部が修正されていると言われますが、そのようなことは一切していません。

 

私が、彼女のブログに関わったことも、ブログ上で触れたことも、この二つの記事以外、その後一切ありませんでした。

ところがコメントの内容を公表して確か数日後の事です。

「愚か者の戯言」と言うタイトルのブログが、Mさんによって立ち上げられました。

彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。

それから半年間、更新する記事も、コメントも、私の人間性や人格を批判するものばかりでした。

半年後に、そのブログは削除されましたが、その後も今に至るまで、延々と私の中傷が続いています。

 

私はできる限り無視を通してきたつもりでしたが、あまりに事実と異なる虚言でもって中傷された時は、堪えられなくなり、その方のコメント欄で反論させていただきました。

自分のブログ上で、能動的に彼女たちを批判したことは、私は一切ありません。

余りにひどい中傷が、長期にわたって続いた時だけ、私の思いを総括して述べたことは幾度かあります。

それは、ブログ2のカテゴリに載っています。

これがすべてです。

 

今も、私の原発のコメントが元凶だといわれ、私達姉妹への批判と中傷が延々と続いています。

私には、彼女たちの心模様と心の闇は、計り知れないもので、とても理解できません。

別世界に住む方との認識でいます。

彼女たちの言動に関心を持つこと事態、愚かでくだらない事との強い思いで、私たち姉妹は今います。

今後も事実とは全く異なる勝手なことばかり言われ、私たち姉妹の中傷が繰り返されるのかもしれませんが、閲覧者の方々の良識を信じるしかありません。

この度、のん子さま、えありすさまには、大変なご迷惑をかけ、心よりお詫び申し上げます。

本当に有難うございました。

 

記事の更新は、まだ当分先になりそうです。

春淡し、春浅しといった、今の気候。

春が待ち遠しくて仕方ありません。

 

何故かここ数日、割と体調がよく、家事とガーデニングがはかどり嬉しく思っています。

今日も、素敵な日が紡げるように、お互いに頑張ってまいりましょう、

 


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墓参

2017-02-19 07:18:51 | 家族

夫が亡くなって、一年と二か月がほぼ経過しました。

振り返ると、必死で自分を支え、頑張り通してきた月日だったようにも感じられてきます。

半年間くらいは涙を拭ってばかりでしたが、さすがに最近は落ち着いた暮らしが送れるようになりました。

その間、夫への感謝の気持ちは、片時も忘れたことがありません。

遺族年金の身ながら、今までの暮らしのレベルをさほど落とさないで、心豊かに過ごせるのも、すべて旦那さまのお蔭と思っています。

 

私ができる御恩返しといえば、最初に思いつくのは、やはりお墓参りでしょうか。

春のお彼岸が、次第に近づいてきました。

菩提寺がある郷里まで足を運ぶには、新幹線で4時間少々。

結構大変な道程ですが、経費もかけ、この行程を辿ることにより、私の気持ちが、この上なく癒され、満たされるようです。

多少でも、御恩返しができたとの思いに浸れるからでしょう。

夫も、現役で仕事が多忙な時も、お盆の墓参は決して怠らない人でした。

 

感謝の思いを、何がしか行動に移さないと、今のところ気が済まない私です。

それが、墓参になっています。

 

 

去年は、そのために、三回帰広しました。

49日、一周忌の法要もいれれば、五回になりますが。

一度は長女が付き添ってくれました。

大のカープファンの次女家族は、夫が亡くなる前から、マツダスタジアムでカープを応援するのを毎年楽しみにしています。

去年は、墓参が第一の目的でしたが、お盆の頃、広島に行ってくれました。

仕事の都合で日程が私に合わせられず、別々の行動になりましたが。

 

次女家の孫息子K君が、胸迫る可愛い事を、ある日、言いました。

「僕は大きくなったら広島に住みたいなあ~

カープの応援もできるし、おじいちゃんのお墓参りもできるから」と。

 

夫にK君のこの言葉が届いたでしょうか。

さぞや喜んでくれたとことでしょう。

 

尾道
千光寺の近くからの眺望です。

倉敷

 

去年は、お墓参りの交通費を、有効活用したいとの思いから、帰京の際に、二泊三日で寄り道し、一人旅を愉しみました。

49日法要後の尾道、倉敷の旅は、妹との二人旅でしたが

春のお彼岸は、水中翼船で宮島の厳島に渡り、一日観光。

お盆の墓参の帰りは。京都へ。

秋のお彼岸は神戸へ。

一周忌の後は、姉妹でまた倉敷へ。

鎌倉にも、二泊三日の一人旅に出かけました。

 

宮島

 

振り返ると、旅慣れない私が一人でよく頑張ったものだと、感心させられます。

きっと、寂しさや不安な気持ちを少しでも拭いたくて、普段は考えられないような行動力が湧いたのでしょうか。

気候的には、ベストシーズンとは言えない時季でした。

お盆は炎天下の一人旅.

暑さで朦朧となりそうな老いた頭を必死で働かせたものです。

心配した割には、順調に運び、バッグに入れた遺影の夫への思いを深めた旅でとなりました。

 

京都 銀閣寺

 

さて今年はどうしましょう。

ひとり旅をしんどく感じて、敬遠したくなる自分がいます。

ツアー旅行の方が気楽でいいかな~、と。

気力と体力があれば、旅行は一人旅の方が絶対に楽しいとの確信はあるのですけれど。

気力は人並みかもしれないけれど、体力が劣る私。

特別、旅行好きというわけでもありません。

去年は、寂しい心を紛らわし、安らかにするために、必要な行動でした。

 

今は気持ちがすっかりい落ち着き、平常心で日々を迎えられるようになっています。

墓参は欠かさないつもりでいますが、一人旅をするかどうかは迷うところ。

一泊のホテルライフを愉しめれば、それで十分。

新幹線に乗車し、車窓を流れる風景を眺めるだけで、旅情に心行くまで浸れる私です。

 

日帰りバス旅行を幾度か楽しむのも、気楽でいいかなあ~、と。

それでも十分、心のリフレッシュはできそうです。

昨年の初秋、妹と愉しんだ某デパートの日帰り箱根旅。

今年もと思い、その旅行社のお花見日帰りバスツアーに妹を誘ったところ、

「高すぎる、観光がスローテンポすぎて物足りない」とのこと。

呆気なく、断わられてしまいました。(笑)

 

鎌倉 明月院

七里ガ浜

 

 姉妹ながら体力の差が大きすぎ、老後の楽しみ方が違ってくるのは、当然の成り行きでしょう。

私らしい余生の愉しみ方は、いまだに迷いが多くて・・・・・・。

年間の娯楽費のかなりの部分を、墓参のための旅費に当てるつもりでいます。

残りの限られた予算で、如何に余生を愉しみましょう。

数日前、妹と出かけたお花屋さんで、草花の苗を、Aちゃんよりはるかにたくさん支払って、大人買いをしてしまった私。

もしかすると、こんなささやかな趣味に、惜しみなく予算を当てる方が、日々の暮らしが潤い、私らしい余生を愉しめるのかもしれません。

 

暮らしの愉しみ方は、百人百様。

違って当然ですね。

姉妹の私たちでさえ、まるで異なりますもの。

またガーデニングに目覚めた妹。

ガーデニングと言う共通の趣味が持てるだけでも、とても心強く嬉しい私です。。

 

 神戸 六甲山牧場

 

夫の三度の食事を用意し、家事に勤しむことだけの毎日に特別不満も抱かなかった私が、一人暮らしになってしまった今。

一年少々が経過しましたが、未だにこの点の戸惑いが多くて、困りものです。

 

まずは春のお彼岸のお墓参りをつつがなく済ませましょう。

とても楽しみにしています。

 

           

 

またしばらくお休みさせていただきます。

私の本当の思いは、毎日連続投稿して、ブロガーライフを愉しめたらいいのに、何ですけれど・・・・・・。

話題も乏しく、体力も文章力にも自信がない私には、やはり重い課題です。

 

時々休憩をはさみながら、今のスタンスで、細く長く続けることを、やはり目標にしたく思います。。

今後とも、こんな私ですが、宜しくお願い致します。

 

たくさんの励ましの応援、本当に有難うございました。

 

 
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紐靴の有難さ

2017-02-18 07:14:34 | おしゃれ

私は若い時から、お出かけの靴と言えば、ヒールのみ。

フラットの靴は、ほとんど履かない人でした。

特別なこだわりがあっての事ではなく、なんとなく自然の成り行き。

 

そういえば、私の母も高齢になってからも、結構高いヒールの靴を履き、良い姿勢でさっそうと歩いていました。

それを常に見ていた私には、それが当たり前。

高齢者向きのひも付きフラット靴などは、なんとなく野暮たいイメージに感じられ、敬遠していた私です。

 

ところが今は、長い間避けてきた紐靴のウォーキングシューズが、大のお気に入り。

この心境の変化は、何に因るのでしょう。

とは言っても、街中に出かけるときは、まだ履く気にならないのですが。

我が家から私の足で徒歩20分の次女宅に赴くときは、この靴をもっぱら、今は愛用しています。

 

ヨシノヤの靴です。

気に入って購入しても、履き心地が悪くてがっかりすることが多い中、
ヨシノヤの靴で、期待を裏切られたことは一度もありません。

センスの点では、今一つのお店だけれど、高齢になると履き心地が第一ですものね。

 

この紐靴に関心を持つようになったのは、今の若い人達のトレンドの影響かもしれません。

一時、スニーカーが大変流行していましたよね。

今も、まだその流行は続いているのでしょうか?

 

いつか次女が、ドレシーなスカートの身なりなのに、白のスニーカーを履いていて、目が一瞬点になったことがありました。

その日は、入退院を繰り返す夫の病院で、主治医との家族面談の日だったのです。

その靴の違和感を後で愚痴ると、長女に、

「今はそれが流行してるんだから、いいじゃないの」

と言われたものです。

 

流行には割と疎い私ですが・・・・・・。

帰りの電車の中で、改めて乗車している若い女性の足元を見ると、なんと白のスニーカーを履いたお洒落な女性が数人いました。

長女の言葉に、幾分納得はしたものの、TPOの観点から、好ましい服装だったかは、今でも疑問ですけれどね。

 

それ以来の事です。

紐靴への私の関心が、急に高まったのは。

 

このフラットシューズも履き心地はいいです。
パンツスタイルの時しか履きませんが。

 

けれど、紐靴のウォーキングシューズとスニーカーは、まったくの別物のようですね。

本当のお洒落を目指すのであれば、スニーカーを素敵に履きこなしてこそ、センスの良いシニアー夫人として認めてもらえるのでしょう。

エルメスのスニーカーへの憧れは捨てがたいですけれどね。

なかなかそこまでの勇気も、履きこなす自信もなくて、一見似ているひも付きのウォーキングシューズで妥協。(笑)

ところが、この靴の履き心地が期待以上によくて、もっと早くから履けばよかった、と今更ながら後悔している私です。

 

紐靴を履き、青空を仰ぎながら歩む足どりの、何と軽やかなこと。

 

前述したように、徒歩20分の次女宅へ週、2~3回通うときは、この靴をもっぱら愛用しています。

履き始めてしばらくは、まだ足に馴染んでいなかったのか、今ほどの満足感には至りませんでしたが、ひと月もするとすっかり履き慣れました。

するとどうでしょう。

素足で歩いているような軽やかさ。

20分の歩行の疲れが、まるで以前と違って、足への負担はゼロと言った感じ。

足が軽やかだと、心まで軽やかになり、弾んできますね。

 

二月のカレンダーの柄です。
元気を貰える、いい言葉ですね。
暮らしにささやかでも、素敵な変化を求めて・・・・・・。
日々新たな気持ちで、迎えたいものです。

 

この靴を履くまでは、バス利用する方が多かったのですが、今はほとんど徒歩で出かけるようになりました。

もう一、二足欲しいですね~。

 

ところが、衣類費がいまだに赤字状態。トホホ

一月の衣類費の予算は(クリニング代も含まれています)は、いまなお、その赤字を埋めることに充当。

夫が亡くなって数か月後に、悲しい気持ちをお洒落でもして引き立てなくてはと思い、大出費で、ブランド物を二枚買ったのが、未だに響いている私の暮らし。

靴一足買うのも、ためらってしまいます。

 

早くこの赤字を埋め尽くして、もっとおしゃれをしたいもの、と

その暁には、ウォーキングシューズも、もう一足買いましょう。

 


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夫の遺影

2017-02-17 08:07:45 | 家族

遺影

人が亡くなった時には、必ず必要なものですが・・・・・・。

この言葉には切なく悲しいものがありますね。

葬儀で使用した祖先の遺影を、和室の欄間辺りに並べて飾っている光景を、娘時代、目にした記憶があります。

造り酒屋である母の実家がそうでした。

当主の名前は代々変わらないため、祖先を大切に思う気持ちは、一層強いのかもしれません。

普通のお宅でも、時に、見かける光景なのでしょう。

 

わが家では、お葬式で使用した両親の遺影などは、仏壇の下の小収納の中に納めたまま。

スナップ写真を葬儀屋さんに急遽依頼し、遺影写真用に作成してもらったものでしたが。

雰囲気が、元気な時の父母に似て非なるもの

髪形など、一部加工もされている感じで、愛着が全く持てず、長い期間、飾る気にはなれませんでした。

 

 

一方、夫の遺影はどうでしょう。

名の良く知れた大きなチェーン店の葬儀屋さんのお世話になりました。

長女の孫娘、さっちゃんの七五三の時に写真館で撮ってもらった記念写真の夫の顔を拡大し、それに当てました。

その遺影は、割と自然な写真に仕上がり、今では愛着が持て、大好きなものになっています。

 

けれど、出来上がった遺影を初めて見たときは、ちょっとがっかりしたのですよ。

あら、私がイメージしていたのとは違うって・・・・・・。

旦那さまがよく撮れている写真のように感じ、それを選んだのですが、少々選定を、私は間違えたようでしでした。

Yさんは、もっと美男子で、風格ある顔立ちだったのに、と。

迷った、もう一枚の方にすればよかった、と、その時はチョッピリ後悔したものです。

もう一枚の写真とは、下の画像です。

 

 

仕事にも脂がのり、一番元気なころでした。

9・11のテロ事件で崩れ去ったニューヨークの高層ビル上階のニューヨーク支店の職場で、半年の出張勤務を終え、5キロくらい太て帰国後に撮った写真でした。

写真からも、夫の暮らしの充実振りが伝わってくるようで、私が大好きな一枚です。

いつもお財布の中に、お守りのようにして、母の写真と一緒に入れています。

 

もう一枚、お気に入りの写真が。

けれど,これは葬儀後、次女が見せてくれたものなので、遺影にすることは不可能でした。

もし、知っていれば、おそらくこれを使用したに違いありません。

遺影にできなかったことを、返す返す残念に思ったものでした。

 

 

けれど、もしこの二枚のいずれかを遺影にしてたなら、今の写真のように親しみが持てたかどうかは疑問です。

余りに若すぎて、亡くなる前の数年の夫とは雰囲気が違いすぎますもの。

夫はもっと美男子だったな~と思い、チョッピリだけ不満な遺影ながら、次第に大好きになっていった訳は。

よそ行きのかしこまった顔ではなく、生活のにおいがする多少ゆるんだ顔のせいか、百面相をしてくれるのです。

 

私の心がとても充実し、生き生きしているときに、その遺影の前に立つと、夫まで笑っているように見えるのです。

一方、沈んだ心持で見ると、なんだか旦那様も心配そうな顔つきをしているように感じられて・・・・・・。

 

 

この大好きな遺影を、今は仏間の和室から、私が1日の大半を過ごすファミリールームに移動しています。

毎日、夫に見つめられているようで、とても心強い気持ちになれます。

この部屋に移されて大満足なのか、その夫の顔までが、一層御機嫌に見えてしまうのですよね。

小さな額に入った同様の写真も、いつもテーブルの上に置いています。

 

数年前あたりから、元気なうちに、自分が亡くなった際の遺影の写真を自らで選んで用意しておきたい、と常々思ってはいるのですが。

なかなか実行に移せなくて。

そういえば、母の姉に当たる伯母は、60代のころから、額縁におさめた自分の遺影を用意して、お部屋に飾っていました。

 

葬儀に出かけた際の思い出として、祭壇の中央に飾られた写真の印象は心深く刻まれるものですね。

ここ5~6年の間に、大切な友を、二人も失った私ですが。

Uさんの遺影は、彼女らしい笑顔で、それはそれは素敵なものでした。

一方、高校時代の親友だったKさんの遺影は、とても優雅で美しかったKさんとは、随分イメージが掛け離れたものでした。

 

 

もしかすると、夫の遺影にも、チョッピリ違和感を抱かれた弔問客の方達が、いらしたかもしれません。

けれど、普段の顔をして、私の心模様で色々表情を変えてくれる、この写真が今、私は大好きです。

 

           

相変わらずのようですので、下の記事をまた載せることにしました。
妹とは、共通の思いを確認し合いました。
亡き夫にも、よくそう注意されたものでした。

 私たち姉妹のことについて、あまりに事実と異なる事が、一部の方によって書かれています。
抗議したいことは、山ほどあります。けれども、言い返しても虚しいだけ。
双方とも、理解し合うことは、無理です。
姉妹ともに辛いことですが、何を言われてもスルーを通し、
これからも一切反論しないことにしました。
前を向いて、余生を大切に過ごしてまいります。
今後とも、私どものブログを、どうぞ宜しくお願い致します。

過去の経緯の記事は、カテゴリー、ブログ2にまとめて、十数記事に過ぎませんがすべて載せました。
一両日、迷い悩み抜きましたが、当時の記述に目を通していただくのが、
一番わかりやすいと思いましたので。
Mさんのお言葉を拝借するなら、「経緯を間違いなく把握」していただくためにも。
いずれの文章もほとんど、生々しい状況の時に書いたものです。

 


hanaさんの件は、今見たところ、妹だと断定したKさんの文章は取り消されているようです。
そのため、表現を少し変えます。
未明のhanaさんが、妹だと思われている節がありますが、妹ではないことを断言します。

 

 
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不安な世界情勢

2017-02-16 07:01:54 | 社会 政治

今年の世界情勢は如何に。

専業主婦の私と言えども、不安で一杯です。

自分なりの強い関心はあるのだけれど、頭の中は新聞の受け売りの知識が漠然と詰め込まれているだけ。

ブログの記事として、うまくその思いをまとめて綴る自信などまるでありません。

ですから、具体的には書けないけれど、なんとなく不安に感じることを、主婦の感覚で、かいつまんで語らせて頂きますね。

間違った捉え方だったり、表現が不自然でも、大目に見て下さい。

 

 

オバマ大統領が就任したときは、録画だったかもしれないけれど、テレビの前にくぎ付けとなり、感動しながら観続けたものでした。

このたびのトランプ氏の就任式は、私は観る気にもなれなくて。

この余りの気持ちの落差が、本当に悲しいだけでした。

 

 

オバマ前大統領は、すべてがうまくいったわけでは、むろんないでしょうけれど、バランス感覚に秀でた、実に立派な大統領として歴史に鮮やかな記憶を留めることでしょう。

プラハのスピーチを筆頭に、折々の世界的行事における演説も素晴らしかったですね~

私は大好きな大統領でした。

 

 

けれど彼の努力の賜物と言うべきレガシーである、医療皆保険、温暖化対策などが、ことごとくつぶされそうな、今の状況を知るにつけ、ほんとに悲しくて、他国の一庶民に過ぎない私でも、虚しさいっぱいになります。

オバマ氏の悔しさは、想像を絶するものでしょう。

 

 

自国中心主義を掲げ、差別的な過激発言を繰り返す新大統領のトランプ氏により、今後のアメリカはどのようになってしまうのでしょうか。

懐深く、多様性を尊重し、自由を愛する米国が、一夜にして、違う色に染まってしまったかのようで、本当に悲しいです。

 

第40代大統領だったレーガン氏も、就任する前の選挙戦では、過激発言が多かったようです。

けれど、大統領になると、国際協調路線を重視した政策に転換したとのこと。

それを知り、トランプ氏も、就任後は態度を変えてくるのでは、と期待しましたが、その願いは見事に裏切られてしまいました。

メキシコ国境の壁の建設、イスラム教徒の入国禁止(これは司法によって阻止されたようですね)など。

本当に実行しようとする姿に、やるせなさと憤りすら覚えます。

 

メキシコの国境周辺の街、ティファナに、アメリカ在住時、出かけたことがありました。

その暮らし振りの貧しさが、今なお私の心に焼き付いています。

あの辺りに壁ができるのかしら、などと、漠然と想像していますが。

メキシコは、八割方はアメリカの輸入で経済を支えている国のようです。

その様な国は、他にもあるでしょう。

 

 

アメリカが自国さえよければよいといった利己主義な政策に陥れば、どうなる事でしょう。

世界中の国々の底上げを図り、貧しさを失くし、世界平和を目指すと言った崇高な人類の願いは、完全に頓挫してしまいますね。

グローバル化により、富の集中の偏りが生じ、格差を広げたことは確かでしょうが。

だからと言って、トランプ氏の政策が、その問題を解決するとは、とても思えません。

 

私にとってのアメリカは、滞在期間5年に過ぎなかったけれど、良き想い出のみの大好きな国です。

それだけに、今の状況が残念でなりません。

 

このたびの日米首脳会談は実に良い雰囲気で、両首脳の今後の親密ぶりが窺えるものでした。

相性がいいのでしょうが・・・・・・。

安倍総理は、なかなかしたたかに振る舞っているとの印象を、私は受けました。

むやみに反対するのではなく、表面上は静観の構えでいらっしゃいますが・・・・・・。

 

内心はどうなのでしょう。

大統領に就任するまでは、政治家としては、全くの素人だった、トランプ氏です。

安倍総理は今後、懐柔策を図り、徐々に国際協調路線へと、トランプ氏の政策を転換させる企みがおありなのでは。

そんな感じがしないでもありません。

 

懐深く、多様性を尊重する自由な国、アメリカに戻りますように。

 

日本がとても重要な立場となり、世界平和と経済発展のために、貢献するのでは。

安倍総理の今後のアメリカへの対応には、非常に関心がある私です。

少々期待し過ぎかしら。

 

日本頑張れ!

そんな声援をかけたくなるような、今の世界情勢と我が国です。

 


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K君は今のおばあちゃんの元気の素

2017-02-15 07:19:34 | 家族

退屈な暮らしではないのだけれど、平凡そのものな穏やかな日々。

最近は、穏やかとは言えなかったかなあ~

心身ともに、少々疲れることがあったから。

 

そんな時でも、週2~3回、孫宅に出かける祖母のお務めは、つつがなくこなしてきた。

とても良い気晴らしになる。

昼下がりに出かけ、帰宅はいつも大体、五時半過ぎ。

行きはてくてく歩き、帰りはバス。

私の足では20分かかる。

 

先週の中頃、次女宅に出かけた日の事。

K君は、私がそろそろ家路に就こうと、身支度を整え、バッグを抱えた時に戻ってきた。

この日は塾がない上、下校時間が早いと聞いていたので、行く必要はなかったのだけれど、何となく来てしまった私。

家に上がると、下校後いかにも大慌てで外に飛び出した様子がうかがえる、K君のお部屋の散乱振り。

ランドセルも厚手のコートも投げ捨ててあった。

 

 

友達の家にでも出かけたのかな、と思っていたが、公園で友人たちと遊んできたようだ。

帰宅したときのK君は、頬を紅潮させ、輝いた元気いっぱいの表情。

持参のおやつは次回来ると時にまた、と思い、バッグに収めたばかりだった。

和菓子だったので、口に合うかちょっと心配しながら、「食べる?」と訊くと、嬉しそうな笑顔で目を輝かせて、大きくうなずくK君。

和菓子の草餅にかぶりついた。

 

K君の純な優しい笑顔に接すると、私は元気をいっぱいもらった気分になれ、この上なく幸せ。

K君、いつもありがとう。

今のおばあちゃんの、一番の元気の素かもしれません。

K君が大好きだったおじいちゃまも、天国でいつも見守ってくれていることでしょう。

 

行く途中の沿道の風景
空を仰ぐと、冬空が凛として真っ青。

 

話題をちょっと変えて・・・・・。

先日のある日、娘は週明けから海外出張で、パパと子供たちの三人暮らし。

パパは、学者さんなので、サラリーマンに比べると、帰宅も早く、時間の融通も利く人。

料理も得意、子育ても実に上手。

娘は、協力的な優しい旦那さまに恵まれ、仕事にも専念できるようだ。

私の夫とも、長女のお婿さんともタイプが違う。

夫婦げんかも一度もしたことがないらしい。

だから、私は安心しきって、Mちゃんが出張時も、孫たちの事はお婿さんに任せ、あまり気を遣わないで済む。

 

マンション住まいの次女家族だけれど、お庭が広い。
かれんちゃんは、時々自転車を乗り回して遊んでいるようだ

 

もし、彼が残業をこなす普通のサラリーマンだったなら、Mちゃんは、、転職でもしなければ、仕事の継続は無理だったかもしれない。

今の仕事は、余りに忙しくて。

或は私が、五十代のころのように、母親代わりとなり、孫たちの夕食の準備をしたりと、献身的に尽くしていたのだろうか。

今の年齢では、恐らくもう無理かもしれないけれど。

 

どちらかと言えば、心配なのは長女宅の方。

長女のお婿さんはサラリーマンで、帰りも遅く、家事には余り協力的でない。

終末は、ゴルフにお出かけのことが多いらしい。

とは言っても、家事子育て、他の諸々の事、すべて私任せだった夫よりは、はるかに手助けしてくれているようだ。

 

次女宅

 

長女は、ある会社の部長職で、責任ある仕事に携わる身。

次女も、それに似た要職で働く身だけれど、責任の重圧は、長女の方がはるかに大きそう。

次女同様、海外出張も時々こなす。

細身の体で頑張るMちゃんが、親の目には少々痛々しく映るのだが。

 

但し長女は通勤が次女に比べるとかなり楽。

都心に住んでいて、自転車通勤も、しようと思えば可能な域に住まいがある。

実際は、バスによる通勤のようだけれど。

 

 

日も暮れた七時半ころ、時々、私に電話をかけてくれる。

「ご無沙汰してるけど、元気にしてる?」と。

つい最近もあった。

帰宅途中のバスを待つ間の束の間の時間。

恐らく家に着くのは八時ごろ。

それから家族の夕食に取り掛かるのだろう。

想像するだけで、その暮らし振りの多忙さが、我がことのように伝わってくる。

 

けれど、声が、とても弾んでいて明るくて安心。

声で、親の私には、その時の娘達の心身の健康度が計れてしまう。

 

二人とも、私とは大違いで、聡明な頭脳と逞しい精神力と体力に恵まれているようだ。

だから、私は時に心配になるものの、どこか安心し切っているところがあり、気ままな余生を送らせてもらっている。

 

人生、健康が、第一です。

お仕事はほどほどに、体を何よりも大切にして、心豊かな日々を送ってくださいね。

そう願って止みません

 

書きたい話題が浮かばず、なんとなく綴り始めた今日の記事でした。

こんなことを書くつもりでは、またくなかったのだけれど、それなりにまとまったようですので、今日はこれで終わりにします。

文体も、ちょっと変えてみました。(笑)

 

 


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デトロイト美術館展

2017-02-14 06:50:22 | 文化

先日、上野の森美術館で催されていた「デトロイト美術館展」に出かけ、ゴッホ、ピカソ、ルノワールその他の名画を鑑賞してきました。

名画鑑賞は、日帰りの箱根バス旅行で妹と一緒に訪れたポーラー美術館以来、数か月振りの事です。

何と、それも最終日。

酷い混雑が予想されましたが、非日常の空間に浸って、現実から少々逃避したくて仕方なかった、そのころの私。

名画鑑賞は、その目的には、絶好の場所です。

そのため、身を刺すような冷たい木枯らしが吹く日でしたが、思い切って一人で出かけてきました。

 

わが家からは、結構遠い上野です。

家事を済ませて、軽い昼食をとってから美術館へと、少々遅い出発でした。

四時半閉館とあって、少し気が焦り、足早に。

それにしても、閉じるのが早いですね。

最終日だからと言うわけではなさそうでした。

 

 

二時前に到着した私でしたが、入場券売り場の行列は思ったほどの混み様でなく一安心。

ところが、その行列に身を置いた時、思いがけないご親切に出逢いました。

 

私と年齢がさほど変わらない素敵なご婦人が、突然声をかけて下さり、次のようにおっしゃたのです。

「お写真を撮っていらっしゃるとき、お一人のようにお見かけしました。

宜しければ、この券を差し上げます。

今日は最終日で、余ると無駄になりますから」と。

 

突然のご親切に、私は一瞬戸惑いましたが・・・・・・。

素直に喜び感激した面持ちで、「本当に宜しいのですか?」と言いながら、そのお言葉に甘えてしまいました。

するとさらに、「ご一緒に愉しみませんか?」とおっしゃて下さったのです。

 

嬉しいお言葉でしたけれど、本心は、美術鑑賞は一人で気ままにが一番望ましい、との思いでいつもいる私です。

それに、結構長い道中でしたから、化粧室に行きたくてたまらなかった私。

その前は、それなりの行列でした。

お待たせするわけにはいかず、丁寧にお礼を申し上げ、そこでお別れすることとなりました。

 

後で思ったことは、半額でもお支払いするべきではなかったかと、いうこと

咄嗟の事で、その様に気が回らなくて。

今でも、清々しい上品なシニアー夫人の笑顔が、感謝の気持ちと共に、瞼に浮かんできます。

 

上野公園の片隅の花壇に咲いていた水仙。
このお花がぴったりの雰囲気のお方でした。

 

館内の名画鑑賞で、一番印象的且つ感動したのは、ゴッホの自画像。

デトロイト美術館展では、一番注目の名画でした。

他では、やはり私が好きなルノワールをはじめとする印象画の画家たちの作品です。

私が割と好きな、モディリアーニの絵画も、数点ありました。

 

ピカソの作品もたくさん展示されていましたが、私はどうも苦手。

鑑賞力が乏し過ぎます。

 

 

実は、その美術館展の全作品が載った図録を、2000円も払って売店で購入したのに、どこかに置き忘れてしまった間抜けな私。

ですからいつものように、その画像を写して、ブログ上にアップすることができません。

そのため、少々寂しい記事になり、とても残念です。

皆様のご期待にも添えなくて、申し訳ありません。

 

アメリカの公共美術館で、世界的な名画を最初に購入したのがデトロイト美術館との事。

その後、市が財政破綻し、一時は運営費が賄えず、閉鎖の危機に追い込まれたこともあったようです。

けれど、市民や各方面からの支援で、立ち直り、今ではデトロイトの街で、市民の憩いの場所として繁栄しているとの事でした。

 

この絵画の写真の言われが解らなくなってしまいました。
確かデトロイト美術館の壁面に飾られた絵画ではなかったでしょうか?

 

美術鑑賞で、私が一番惹かれるのは、もしかすると、名画に囲まれた空間の非日常性と静謐な雰囲気かもしれません。

何だか、心が洗われるような気持ちになりますものね~

名画を見ても、正直言って深く味わう鑑賞力は私には備わっていませんから。

画集に載っていた名画を観られた、といった自己満足に酔っているだけかもしれません。

それで十分嬉しい私です。

 

その点では、今回はチョッピリ不満足。

最終日だったため、混雑が甚だしくて、名画の前にたどり着くまでにも時間がかかり過ぎ。

のびのびと、いろんな角度からゆったり鑑賞することなど許されませんでした。

人の気配の方が強すぎて、美術館の展示場に漂う非日常性の雰囲気にも少々欠けていました。

 

 帰りに、公園内にある老舗のレストラン、来々軒で一服。
味も評判のお店、
夕食も摂りたいところでしたけれど、次女宅でご馳走になる日でしたのでパス。

 

私がこれまで出かけた美術館で、一番印象に残っているのは、渋谷に所在する松涛美術館のような気がしています。

小林秀雄展を催していた時のことです。

とても小さな美術館でしたが。

人も少なかったせいか、落ち着いた空間に身を置いてゆっくり鑑賞できました。

その思い出は今も鮮明です。

 

 

展示場の片隅に、カフェがあったのも、実にユニーク。

小林秀雄が収集した骨とう品などを遠目に観ながら、コーヒーとケーキで一服できた夢のような至福のひと時でした。

その感動は、今も忘れられません。

また何時か訪ねてみたいものです。

 

美術鑑賞は、作品だけでなく、美術館そのものが必見の価値ありの芸術的建築物の場合が多いですね。

私は、いつもそれを鑑賞する醍醐味を味わうのも、楽しみに出かけます。

そのもっともなるものが、世界遺産になった、建築家ル・コルビュジエ設計の国立西洋博物館でしょう。

何度か訪れたことがある場所ですが、世界遺産となった今、また訪問の機会があれば、改めてじっくり見直したいもの、と今から楽しみにしています。

 

 


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冬のガーデニング

2017-02-13 07:08:51 | ガーデニング

厳しい寒さが続く冬の間は、ガーデニングは敬遠しがちな私です。

私に限らず、多くの方々がそうなのかもしれませんが。

その間も、春に向けて、地上でも地下でも、植物の命の鼓動と息拭きは続いているのですよね。

そのような想像力を働かせて、ガーデニングに臨むことが大切なのでしょう。

 

草花は人間と変わらず、命を灯し、生の営みをしている生き物そのもの。

冬の間、庭の作業を余り疎かにし過ぎると、その命を殺してしまうことになりかねません。

そうなっては、大変ですが。

その状況にも、多少鈍感な所なところももある、無慈悲な庭主のわたしです。

 

ガーデニングを語る資格なんて、私にはないな~

そう思うことがよくあるほど、実に気まぐれで気ままな草花の世話の仕方をしています。

 

冬の間は、水遣りと花柄摘みぐらいしかやっていませんでした。

何だかとても寂しいわが家の、今の庭の光景です。

こんなにうら寂しい花壇は、ここ5~6年なかったことかもしれません。

 

 

花が少ない冬の時期でも、毎年、可憐なパンジーが、花壇や寄せ植えの鉢を色鮮やかに彩ってくれるのですが。

どうしたことでしょう。

今年は、花が咲いてくれません。

毎年良く咲く場所に植え付けたのですけれど。

去年は、日照不足のせいと思っていましたが、今年に入ってからは、晴天続きの日々。

その理由ではなさそうです。

何故なのか解りません。

ハンギングと門扉前の日当たり絶好の場所にある寄せ植えのパンジーのみが花を付け、私の目を愉しませてくれています

 

平凡といえば平凡だけれど、こんなにありがたく好ましい花は,そうありませんものね。

この花が欠けると、一番大切な物をどこかに置き忘れしてきたかのように、心もとない私です。

 

 

そういえば、パンジー以上に好きなマーガレットも、まだ購入していない始末。

本来なら宿根草ですから、買い付けなくても毎年わが家の花壇に咲いてくれるはずなのですけれど。

私にとっては、恥ずかしいお話ながら、いつも1年草扱いです。

節約志向が強い今の暮らしでは,なんとしても、今年は宿根草として育て上げたいものですが。

 

私が頚椎症を患い、首が回らないほどひどい状況になった時は、数年間ガーデナーさんのお世話になりました。

年に四回着て下さり、季節の草花を植えこんでいただいたものです。

その時は庭作業が楽で、本当に助かりましたが、そんな贅沢はもうできません。

 

お世話になったのは、某デパートの草花売り場の若い素敵なガーデナーさんでした。

彼女のおかげで、植え方やアレンジのコツなどのノウハウも、学ぶことができました

それを十分生かした庭とは、今はとても言い難く、少々恥ずかしいです。

 

 冬の花と言えば、クリスマスローズ。
今回の記事では触れていませんが、私の一番好きな花。
またいつか話題にさせて頂きますね。

 

 夫が亡くなってからは、以前のように草花の苗を、季節毎に大人買い何て、できなくなってしまいました。

そのせいか、花壇への意気込みも何だか減退。

 

奥行きのない狭い庭のように一見見えますが、横幅が広い我が家。

勝手口に通じる北東向きの通路、和室の前の坪庭、玄関の門扉までのポーチ。

それをすべて含めると、結構な面積になり、いたるところに寄せ植えのテラコッタが配置されています。

常緑のプランツでも植えて、その空いたスペースをできるだけ埋めませんと、植えこむための費用だけで大きな金額になってしまいそう。

 

細々と、でも頭を使い、精いっぱい美しい庭を作り上げられないものかと、春に向けて、今は思案中の私です。

そろそろ、春の草花を買いに出かけましょう。

 

 

昨年の秋頃から、ブログのカテゴリーにガーデニングをまた付け加えた妹。(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)

その妹から、つい先日の事、一緒に春の草花の苗を買いにゆかない、とのお誘いの声がかかりました。

妹は、私よりはるかに研究熱心なところがあります。

今後は頼りになるアドバイザーになってくれることでしょう。

心強い限りです。

 

種から私は育てたりするから、苗が大きくなったら譲って上げるわね、と。

その代りではないけれど、海外旅行で長期間家を留守にするときは、私が草花を預かることになりました。

今後は、姉妹仲良く、協力しあって、ガーデニングを愉しめそうです。

 

また、イングリッシュガーデンの夢が膨らんできました。

体力勝負のところもあるガーデニングですが、高齢の私は、適当に気楽に。

でも精一杯の愛情は注ぎたいと。

なんだか矛盾する思いを抱えて、いいよ春の庭作業の開始です。

 

      

 

私たち姉妹のことについて、あまりに事実と異なる事が、一部の方によって書かれています。
抗議したいことは、山ほどあります。けれども、言い返しても虚しいだけ。
双方とも、理解し合うことは、無理です。
姉妹ともに辛いことですが、何を言われてもスルーを通し、
これからも一切反論しないことにしました。
前を向いて、余生を大切に過ごしてまいります。
今後とも、私どものブログを、どうぞ宜しくお願い致します。

過去の経緯の記事は、カテゴリー、ブログ2にまとめて、十数記事に過ぎませんががすべて載せました。
一両日、迷い悩みぬきましたが、当時の記述に目を通していただくのが、
一番わかりやすいと思いましたので。
Mさんのお言葉を拝借するなら、「経緯を間違いなく把握」していただくためにも。
いずれの文章もほとんど、生々しい状況の時に書いたものです。
一月間だけの対処です。
そのあとは、元のカテゴリーに戻すつもりでいます。

 


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