思い悩んだ末、過去の記事を載せることに致しました。
今も、このコメントが元凶だといわれ、私の中傷が延々と続いていますから。
当時、私はなぜ、このコメントで激しい批判をKさんから浴びなければならないのか、とても理解に苦しみました。
でも、人それぞれ、思いは違うでしょうから、お詫びの言葉をブログ上に書きました。
下記の言葉です。
2013年1月30日の記事です。
私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで、問いかけさせていただいたにすぎないのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。
翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・
今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。
ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。
このお詫びの言葉をブログに載せても、Kさんの批判(誹謗中傷のコメントを書かれた)は相変わらずで、見過ごすにはあまりに辛く、下の記事を書きました。
タイトルは、「私のコメントの内容」です。
| かれん桜 | 2013/01/23 07:23
このコメントのお返事に、大人への放射能の影響は微量だからです、と説明されていました。
そのお話しを伺い、私の疑問は晴れた思いがしていたのですが・・・・・・
最後の二行は、当時追記で書かれたものです。
kさんは、載せたコメントの文章の一部が修正されていると言われますが、そのようなことは一切していません。
私が、彼女のブログに関わったことも、ブログ上で触れたことも、この二つの記事以外、その後一切ありませんでした。
ところがコメントの内容を公表して確か数日後の事です。
「愚か者の戯言」と言うタイトルのブログが、Mさんによって立ち上げられました。
彼女の言葉では、「正義のために立ち上げた」とのことでした。
それから半年間、更新する記事も、コメントも、私の人間性や人格を批判するものばかりでした。
半年後に、そのブログは削除されましたが、その後も今に至るまで、延々と私の中傷が続いています。
私はできる限り無視を通してきたつもりでしたが、あまりに事実と異なる虚言でもって中傷された時は、堪えられなくなり、その方のコメント欄で反論させていただきました。
自分のブログ上で、能動的に彼女たちを批判したことは、私は一切ありません。
余りにひどい中傷が、長期にわたって続いた時だけ、私の思いを総括して述べたことは幾度かあります。
それは、ブログ2のカテゴリに載っています。
これがすべてです。
今も、私の原発のコメントが元凶だといわれ、私達姉妹への批判と中傷が延々と続いています。
私には、彼女たちの心模様と心の闇は、計り知れないもので、とても理解できません。
別世界に住む方との認識でいます。
彼女たちの言動に関心を持つこと事態、愚かでくだらない事との強い思いで、私たち姉妹は今います。
今後も事実とは全く異なる勝手なことばかり言われ、私たち姉妹の中傷が繰り返されるのかもしれませんが、閲覧者の方々の良識を信じるしかありません。
この度、のん子さま、えありすさまには、大変なご迷惑をかけ、心よりお詫び申し上げます。
本当に有難うございました。
記事の更新は、まだ当分先になりそうです。
春淡し、春浅しといった、今の気候。
春が待ち遠しくて仕方ありません。
何故かここ数日、割と体調がよく、家事とガーデニングがはかどり嬉しく思っています。
今日も、素敵な日が紡げるように、お互いに頑張ってまいりましょう、
ご訪問有難うございました。
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花のように泉のように
すみません。
私が今日これから書く記事は、ご覧下さる方にとってはお読み苦しいものかもしれません。
でも突然、今日思い立って書き始めたものではありません。
人生の戒めとして、ブログに載せて残すべきかどうか、ここ数日間、悩んでいました。
弁解めいた行為に映ってしまうのでは、と心配でもありましたから。
恐らく娘達も、多少は気にしているでしょう。
私も、将来、その頃の自分の記事を目にすることがあるやもしれません。
たとえわずか数行のさりげない文章に過ぎないにしても、薄れた記憶の中で、
私はどんなひどい事を相手の方にコメントしてしまったのであろうと、いやな思いに陥るかもしれません。
一番悲しいのは、孫達が万一目にして、そのような悪い想像を抱くことです。
思いがけず、お相手の怒りの感情を読みとり、翌日お詫びのコメントを入れさせていただきました。、
それからすでに12日間が経過しますのに、日々、そのことに触れ、私への非難、批判を繰り返しておられます。
さすがに呆れ、そのような行為を執拗になさることへの理解に苦しんでいます。
怒りの沸点は、人それぞれであることが、今回の事で身に染みました。
私には計り知れない心模様のご事情が、おありなのでしょう。
わたしは広島の被爆者として、風評の被害を身につまされる思いで心配しています。
多少声を落として、放射能の恐怖を語ってほしいな~といった気持でおりました。
ですからその思いをお伝えし、ある疑問点があったので率直に問いかけさせて頂いたにすぎません。
お願いですから、今回の事はもう忘れて下さい。
非礼があったのなら、心から再度お詫びします。
上に挙げた理由から、その時の私のコメントを、そのままここに載せることに致します。
皆さまのお目が怖いですけれど、ご批判を覚悟の上です。
これ限り、もうお相手の方が何をおっしゃろうと、私は気に致しません。
他人から、変な詮索をされることもないでしょう。
今日の記事で、もやもやしていた心の整理をしたつもりでいます。
大層お読み苦しい記事を綴らせて頂きまししたことへのお詫びを、重ねて申し上げます。
最後に一言。
私の次女婿、一物理学者の話に過ぎませんが、放射能は基準値を超えていなければ心配はいらないとのことでした。
放射能は、宇宙や石のような物体からも出ていることで、西日本で被災地より高いところがあったり、ローマは基準値の十倍なんてこともあるようです。
いろんな説が飛び交う中、個々で冷静に判断するしかありませんね。
広島の原爆は放射能をまき散らしたわけだから、脅威がまるで違うよ、と言って笑っていました。
まき散らされた放射能を、三キロの地点で受けた私は、まだ乳児でした。
さすがに最近、ちょっとそれを意識するようになってきましたが、父と同じくらいの寿命は全うしたいものです。
私のコメント
いつもお写真が素晴らしく、記事とともに参考にさせて頂いています。
放射能の恐怖に非常に敏感でいらっしゃるkさん。
色々なデータ―のご報告には、研究熱心なご姿勢が窺え、頭が下がります。
但し、多少矛盾も感じ、理解できないこともあります。
もしそれほどの恐怖を感じていらっしゃるのであれば、なぜ被災地に幾度もお出かけになられたのでしょうか。
放射能からいかに自分を守るか、その行動を取ってこそ、kさんのお話しに説得力が生まれてくると思うのですが・・・
私はできれば、汚染された地域の周辺に住む方々が、kさんの記事を読んで、希望がわくような前向きの内容であればいいのに、と思うことがあります
私は広島出身で、家族は三キロの地点で被爆しました。
しかし親は、運命として受け留めるしかなかったのでしょう。
被爆のことはほとんど口にせず、父は当日爆心地のすぐそばにある会社に赴きましたが、81歳まで、病気にかかることもほとんどなく命を全うしました。
最後はがんで亡くなりましたが。
今更放射能の怖さを再三訴え続けても、住み慣れた環境で暮らす事を幸せと思う人にとっては、不安を煽るだけに過ぎない記事になってしまいます。。
どのような厳しい状況下であれ、青空を仰いで懸命に生きていこうとする人がいることにも、心を留めて頂ければ、嬉しく思います。
差しでがましい事を申し上げます失礼ご容赦くださいませ。