一昨日は、、大きな荷物を携えて、銀座線の終着駅近くまで足を運んだことを綴りました。
実は、その大きな荷物とそれを収めた紙袋は、たどり着いたお店に預け、ほっとしたのも束の間、私にしては珍しく、さらに精力的に動きました。
もしかすると、こちらが第一目的だったのかもしれません。
稲荷町から上野は目と鼻の先。
徒歩で私の目的地に着くのも、十分可能です。
しかし、さすがに私の体力では無理と考え、タクシーに乗り込みました。
車内は、冷房がよく効いていて、ほっと一息。
私が目指すは、上野公園の中にある東京美術館で開催中のマウリッツハイス展です。
フェルメールの代表作、真珠の耳飾りの少女など、17世紀オランダ・フランドル絵画の名品50点が紹介されています
夏の間、この展覧会のことが常に念頭にありながら、炎天下の日々のため、行動に移す気力が沸いてきませんでした。
都心には数度用事があり出向きましたのにね~
所用を済ますと、そのまま引き返してばかり。
いつも私はこう。
展覧会が開催されるたびに、出かけたい気持ちは人一倍あるのに、いつも見逃してきました。
情けないことに、行動が伴いません。
ここ数年で、是非見たいと思ったのは、
ユトリロ展、クレー展、ボストン美術館所蔵の浮世絵展、セザンヌ展、ほかにも挙げればたくさん。
クレーは、私が若い頃、大変惹かれた画家でした。
セザンヌ展は、就学時前、母に連れられて観た、初めての展覧会です。
目白押しと言ってもよいほど、どこかで素敵な展覧会が開かれている昨今ですのに。
その気になれば、いつでも優れた芸術品に出逢える環境で暮らしてはいるのですが・・・・・・
けれど、一旦出かけると、非日常の静謐な空間に身を置き、時の経つのも忘れ、鑑賞に没頭してしまう私です。
これほど心が満たされる時空間は、さほど多くありませんね。
日頃の雑念から解放され、優れた芸術品と対峙し、過ごせるひと時の素晴らしさ。
いつもその余韻に浸りながら家路に向かうのですが、出かけて良かった、との思いで一杯になります。
しかし、今回も、予想通りの長蛇の列。50分待ちでした。
下の写真は、私が会場を後にする6時過ぎの館内の様子です。まだ相変わらず、大変な行列。
そして、並んだ甲斐あり、憧れの少女を、目前で観ることができました。
今年の春から夏にかけ、新聞で既に幾度も出会った、話題沸騰の、真珠の耳飾りの少女に。
しかし、感動しましたか、と尋ねられますと、ちょっと返答に困ってしまうかしら。
もちろん、やっと実物に逢えたといった喜びと感慨はひとしおでしたが、新鮮さには幾分欠けたようです
だって、新聞報道記事の写真で、何十回も既に目にしてきた絵画ですから。
その影響も多少あったのでしょうか。
今回は、真っ白な気持ちで臨むことができなくて、鑑賞の心構えが、まるでなっていませんでした。
私は、彼女の眼もとに、全神経が集中し、一体この瞳は、私達に何を語りかけているのかしら?と謎解きのような気分で観てしまったようです。
かの有名なウルトラマリンブルーや真珠の耳飾りが放つ繊細な光の美しさに心が向いていなかったようにも。
とは言え、私が受けた印象は、清冽そのもの。
ミステリアスな表情のため、親しみのもてる絵画とは言えませんけれど。
前回、渋谷のBunnkamuraのミュウジアムで観た時の印象も、似ていました。
香気漂う透明感と清冽さには、私達の心を洗い清めてくれるような清々しさがありますね~
心が、おのずと凛としてきます。
そこに、たとえようのない魅力を感じてしまう私です。
フェルメールの作品が、この展覧会の目玉であることは確かでしょうが、その陰に隠れて、渋い光彩を放っていたのが、レンブラントの自画像でしょうか。
私には、甲乙つけがたく、感じました。
心からの深い感動を味わえたのは、もしかすると、この自画像だったかもしれません。
レンブラントは、自画像を百数点描いていて、今回の作品は亡くなる年に描かれたもののようです。
人生の年輪が刻まれ、
哀愁を帯びた奥深いまなざし。
その顔の表情は、観る者の心を打ちます。
包容力のある、どっしりした趣をたたえた、この絵画を見ていると、とても心安らぐ思いがしました。
正に、フェルメールの絵画とは、好対照。
歴史画、「シメオンの賛歌」の神々しい雰囲気にも、思わず息を飲みました。
長い画家の間に、レンブラントは聖書の伝える「シメオンの賛歌」の物語を数多くの油彩画、素描、版画に表しているそうです。
描かれているのは、救世主を見ずに死を迎えることはない、と知らされたシメオンが、幼子キリストこそ待ち焦がれた救世主であると悟り、声を張り上げ賛歌を歌う感動的な場面。
同じ会場で、この三つの作品に出逢えただけでも、私は、本当に幸せ者、といった感じでしたが・・・・・・
しかし、何と間抜けな私は、上野まで足を運びながら、何とも悔いが残る行動を取ってしまったのです。
確かもう一作品、フェルメールの絵画が見られるはずでは、と、その会場でキョロキョロ見回してしまった私。
Bunnkamuraのミュージアムでは、三点の作品が飾られていました。
ところが、それは大勘違い。
その作品は、やはり同じ公園内で開催されている、別の会場だったのですね~
国立西洋美術館で催されている、ベルリン展での展示でした。
公園内を家路に向かう途上で気が付き、しまった~、と慌てた私です。。
これを見落とす訳にはいかない、と一旦、国立西洋美術館のフロントヤードに入りかけましたが、時刻はすでに、6時をまわていました。
日はとっぷり暮れています。
又数十分待たされては、帰宅時間は一体何時になることでしょう。
体力的にも、もう限界。
後ろ髪を惹かれる思いを振り切り、その美術館に背を向け、家路を急ぎました。
この機会を見逃すと、もう二度と見られないかもしれません。
残念至極ですが、又出直してみることは、もう不可能。
両展覧会とも、昨日が最終日でした。
30数点しか現存しないと言われている、フェルメールの作品。
今後の余生で、後いくつ、私は巡り逢えるでしょうか。
人生の楽しみの一つに致しましょう。
我が家には、オランダのデルフトの陶器が幾つかありますので、それもこの際、写真を載せることに致します。
私が一番好きなのは、一輪ざしの小さな花瓶です。
夫が、オランダに出張した時のお土産です。
夫が訪ねたことのある美術館は、アムステルダムの国立美術館とゴッホ美術館だと、言っていました。
そのころは、恐らくフェルメールのブームは、まだ到来していなかったのでしょうね。
芸術作品にも、ブームと流行があるのですね~
その時代に生きる人たちの心持を具現化しているようで、まことに面白い現象だと、私は思いました。
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