今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

企業オーケストラの演奏会を愉しむ

2020-01-31 06:57:07 | 文化

先日妹と、夫の勤めていた会社のOBや現役の行員で編成されたオーケストラの演奏会に出かけてきました。

できるのなら、その演奏種目の感想を綴りたいのですが、音楽はずぶの素人。

それを語る資格などまるでなく、一番綴るのを苦手な分野。

たまたま目にした新着記事の「フィルハーモーニ―管弦楽団兵庫公演」の感想を読ませていただき、只々感心。

音楽を聴くとは、こういうことなのだと思い、益々語る自信を無くしてしまった私です。

 

スターバックスで妹と1時間以上おしゃべり。
楽しかった!

 

ですから今日の記事は、演奏会は心から愉しめたものの、内容は徒然なるままの雑感にさせていただきますね。

何と言っても一番楽しかったのは、その前後の妹とのおしゃべり。

レストランでのお昼食と、スターバックスでのお茶のひと時でした。

今年になって初めて会いましたが、妹の存在のありがたさを改めてしみじみ思った私です。

 

1週間ほど前でしたかしら。

妹から電話があり、

「お姉さま元気にしてるの?何だか心配になっちゃった。だって四日間音沙汰なしなんだもの」と。

恐らく娘たちは、二週間電話をかけなくても、私のこと、心配はしないでしょう。

性格も、野球観戦以外、趣味も全く違う私たちですが、こんなに仲のいい姉妹も珍しいのでは、と自負しています。

妹の有難さを思わないではいられません。

 

妹もブログを書いています。

感性だけで綴っている私と違い、論理的な文章が書け、いつも感心ばかりしています。

読みごたえもあります。

ブログ名は、「世界に一つだけの姥花日記」です。

https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

応援宜しくお願いします。

 

立ち姿が素敵な女性は妹です。(笑)

 

だか最初から大脱線の記事に。

今日の記事の趣旨である、企業オーケストラを聴きに出かけたことを綴りたいと思います。

場所は、川崎駅前の音楽ホール。

川崎駅に出向いたのは初めての私。

大都会でびっくり。

そんな私がおかしかったのか、妹に、

「今人気が高い武蔵小杉は川崎市だし、お兄さんが入院していた病院も川崎だったのよ」

と。

川崎駅の西口にあった旧国鉄変電所のモニュメント。

新旧の建物の調和の景観も見事でした。

 

駅前の音楽ホールがある建物も、現代建築を象徴するようなモダンさ。

この建造物の設計に当たった方々の情熱と苦労に、頭が下がるような壮観さでした。

エスカレーターで上階の音楽ホールに到着。

全自由席でしたので、開演1時間前から並んだ私達。

そのお陰で、指揮者の真正面のとても良い席に就くことができました。

建物もさることながら、音楽ホールも実に見事な設計と内装で、私は目を見張りました。

 

 

私の周りには、私達と然程年齢が変わらない感じの良いご夫婦を多く見かけ、何だかちょっと羨ましくなってしまった私です。

ご主人様は、おなじ職場で働いていた方々かもしれない。

旦那様がお元気でいいなあ~、と珍しく、ちょっぴり感傷にも浸り・・・。

 

そしていよいよ開演。

演奏種目のうち、二曲は、私も学生時代好きでよく聴いた「白鳥の湖」とベートーベンの「運命」

感動したのは言うまでもありません。

 

中学生の頃、クラシックに関心を持ち、父母にステレオを買ってもらい、音楽全集も揃えてもらいました。

でも私は音楽は大好きながら、実に気まぐれな興味の対象。

今は、我が家では三台目に当たる音響機器は故障中。

音楽にはとても飢えていました。

ですから生の素晴らしい演奏に、心から感動したのは言うまでもありません。

 

 

夫が働いていた頃は黄金時代でしたが、今働く行員の方々は心労も多いことでしょう。

そんな苦労を背負いながら、ご趣味とは言え、オーケストラの楽員となり、研鑽に励まれる情熱と努力に、心から敬意を表したい気持ちになりました。

心を打つ素晴らしい音楽を提供して下さり、本当にありがとう!

私も妹も、精いっぱいの拍手を送り続けました。

 

終演後は、妹とスターバックスで大おしゃべり。

震えるような厳しい寒さでしたが、何もかもとても楽しくて、大満足の一日でした。

 

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迷いに迷った医療保険に遂に加入

2020-01-29 07:06:03 | 病気

医療保険。

恐らく多くの方は、将来の病気に備え、加入しておられるのではないでしょうか。

夫も、最大手の医療保険会社の商品に若い時から幾つか加入していて、入院中はとても助かりました。

助かりましたというのは少々語弊があるようにも。

 

夫は亡くなるまで、医療費の支払いは三割でしたが、高額医療費制度のお陰で、思ったほどその額は高くありませんでした。

記憶がもう定かではないのですが、確か70歳までは上限が15万から18万の間ではなかったかと。

70歳からは、やはり変わらず支払いは三割ながら、高額医療費制度の上限は7~8万に下がった、と記憶しています。

それ以上はどんなに治療費がかかっても、国の保険で賄ってもらえます。

 

私も、夫が決めたことでしたが、若い時から夫婦の保険にも加入し、支払いをしていたようです。

夫が亡くなった後、保険会社から、私の保険をそのまま継続するよう、再々勧誘のダイレクトメールが送られてきました。

その額は年間十数万に上りました。

夫婦加入でなくなり、値上がりしたのでは?

夫が居る時は、収入から天引きされていて、私は全く負担に感じてはいなかったのですが。

恐らく、会社に出入りする保険の外交員から薦められ、若い時に契約した物のはずです。

 

この保険では、本当に助けられてきました。

 

遺族年金の身の暮らしになると、とんでもない額に思えました。

とても無理。

17~8万の火災地震保険は今まで通り継続することにしたので、それで手一杯。

ゆえに私の医療保険の継続は、断念しました。

 

実は、前にもお話したことがありますが、私は保険が効く医療費は、被爆者のため大変優遇されていて、ほとんどかかりません。

今通っている整骨院の施術費は、それには該当しないことが多かったのですが。

ですから医療保険に入る必要性はないと思っていました。

 

それに暢気な私は、我が家の保険事情を十分把握していなくて、過労で倒れ、数度入院した時も、保険会社に入院代の請求をした覚えがありません。

被爆者手帳を使用するようになったのも、マイホーム建築以降です。

おおらかにも、馬鹿がこれでは付きますね~。

 

 

今の私は違います。

株でひと財産失ってからは、金銭感覚はとてもシビアに。

更に今は、遺族年金暮らしの身。

数千円でも無駄のない暮らしをしたいと、真剣に考えて、日々節約に努めています。

その私が数年間迷いに迷って、遂に、ひと月の支払いが3477円の医療保険に加入することにしたのです。

医療費は、被爆者のため優遇されているにもかかわらず。

 

その決心をした理由は、先進医療が上限二千万まで無料で受けられるから、っていうこと。

実は私はつい最近まで、先進医療を受けてまで生きながらえなくてもいい。

普通の治療で十分、との考えでした。

 

ところが我が家に訪問に来られた保険会社の代理店の方のお話によると、認知症の予防も先進医療でできる時代が訪れるかもしれない、とのこと。

宣伝文句に過ぎないのかもしれないけれど・・・。

その言葉で、何だか目覚めてしまった私。

近い将来、その治療をとてつもなく有難く感じる時代が来るかもしれませんもの。

もう一つの理由は、先進医療だと、抗がん剤の副作用がない治療が受けられるのでは、との期待感でした。

 

植木鉢のクリスマスローズが今満開です。
私の大好きなお花。

 

夫は癌の治療中、副作用でとても辛い思いをさせられました。

女性の場合、脱毛と言った副作用は耐えられないほど悲しいことでしょう。

その様な副作用が、先進医療では避けられるのなら、どんなに遠方の病院でも私は通うに違いありません。

但しその高額な治療費の支払いは、保険に入らなくては叶いません。

先進医療も保険がきくように、次第になってきてはいますが・・・・・。

医療は日進月歩。

さらに、今後進歩していくことでしょう。

 

これが、保険に入ろうと思った理由です。

十数年と言ってもいい長い期間、オリックス医療保険の新聞広告を切り取っては、眺め、迷いあぐね続けてきた私の結論でした。

癌だけでなくあらゆる病気と怪我にも対応しています。

加入の翌日から利用でき、一生保証され、値上がりもしません。

今は加入してよかった、と心から思っています。

 

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同窓生のH君と過ごしたひと時~美しい懐石料理

2020-01-27 07:06:30 | 

小高と同じクラスだった同窓生のH君と再会。

彼のお陰で、とても意義ある楽しいひと時を過ごすことができました。

お互いに結婚後も、幾年かに一回と言った頻度で、お誘いの声をかけていただいてきた私。

小学生の時から母親同士も仲良しだったせいでしょう。

学生時代は、正に優等生で非の打ち所がないH君でしたが、ただの同窓生以上の親しさを感じられる友です。

 

この度の再会は、彼が私の両親のお墓参りをしたいということで実現しました。

それでは、お昼をご一緒しましょうということになり、最初は私が手料理を振る舞うつもりでいました。

けれど、彼はとても食通。

自分で料理もされます。

そのため、私がが作ったものをご馳走する自信が、何だか次第に無くなってしまいました。

それに、女友達と違い、男の方ですと、多少でもお酒を振る舞わないといけないでしょう。

一滴もお酒をたしめない私には、その心得もなくて。

迷いに迷って、結局我が町では定評のある懐石料理店で、お昼食を共にすることにしました。

 

カニの友和え

 

梅クラゲ・クワイの松笠煮・ワカサギの南蛮漬け・ニシンと大根の旨煮・いかのウニ焼き
新たけのこの田楽味かけ・あさつきの明太子のソースかけ

 

これは大正解でした。

とても心のこもった美しい料理一品一品を、彼は心から喜んで食してくれました。

もちろん少々のお酒も注文。

その時のお料理の画像を載せながら、お話を進めていきます。

 

新たけのこの白魚卵とじ
この後に、本マグロ等々、それはそれは美しいお刺し身の盛り合わせが出たのですが、
写真を撮るのを忘れてしまいました。

 

彼は知識の泉のような人。

話題は多岐にわたり、私は感心して傾聴するばかり。

専業主婦の私ですが、投資に関心を抱いた時から、新聞は熟読するようになりました。

投資では苦い経験しかありませんが、新聞を丁寧に読む習慣は、今でも健在。

専業主婦の私にとっては、唯一のありがたい社会の窓です。

このお陰で成長できたといっても過言ではないほど。

ですから、彼のレベルの高い話題にも、何とかついていくことができます。

相槌を打ち、時に質問もさせていただき、大いに話が盛り上がりました。

 

焼き白子とさわらの塩焼き

 

市長候補とまで言われた彼ですが・・・。

その時期不祥事に巻き込まれ、地方局のテレビでは度々報道され、責任を取らざるを得なかったのかもしれません。

これは飽くまで私の想像です。

市長にはなられませんでしたが、郷里の代々の市長の人柄、功績についても聞かせてくれました。

次期の首相候補と言われている、広島出身の岸田氏についてもいろいろと。

その他、今後の自衛隊、EUを離脱した英国について、料理の話、家庭のこと、話題は実に豊かでした。

 

ふぐと山菜のから揚げ

 

若い時から、男性のお話を伺うのは大好きだった私。

女性とは視点が違って、私にはとても新鮮。

H君は、その魅力が一番感じられるお一人です。

 

 

懐石料理店で、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、おしゃべりを愉しんだ後、両親の菩提寺でお墓参り。

その後、我が家にお寄りいただきました。

 

この日は身を切るような厳しい寒さ。

私は寒い所から帰宅後のささやかなおもてなしには、温かいものが喜ばれるのでは、と思い、用意していたのはおぜんざい。

お正月のために準備した美味しいおもちがまだありましたので。

コーヒーは好まず、紅茶党とのこと。

良い紅茶がなかったので、熱いお煎茶を干菓子とともにお出しした私です。

 

懐石料理店では、デザートに至るまで、一品一品心がこもった美味しいお料理に感動。
手料理も喜んでいただけるかもしれないけれど・・・。
お招きする方の人数が少なければ、

このお店の昼懐石を召し上がっていただいた方がスマートなおもてなしでは、とこの時、思った私です。

 

彼は大層喜んでくれました。

ゆっくりしてもらいたかったのだけれど、共稼ぎで帰りの遅い息子夫婦に代わって、今日は孫たちのために夕食を作らないといけないとのこと。

そのため、我が家には一時間くらい滞在して、帰路に就かれました。

 

私は、掛け替えのない男友達二人に恵まれた人生でした。

もう一方のN君は、去年の春先に白血病を患い急逝。

そのお別れ会に帰広して参列したことは、当ブログで記事にしたことがあります。

ですから、身内の如く親しくお話しできる異性の友は、今はH君だけ。

私にとっては親友と言える、大切な異性の友です。

 

ミニミニ同窓会が4月にあります。

たまたま用事があり上京するので、その会には出席するとのこと。

その日の再会を楽しみにして、H君を見送りました。

 

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マイホーム建築で私がこだわったこと

2020-01-25 07:14:25 | 住まい インテリア

我が家はもう築三十数年になります。

耐久年数は、まだ当分あるとは思うのですが・・・。

今後の維持費のことを考えると、とても不安になります。

今はもう会社を閉じて存在しませんが、三井物産の子会社、三井ハウスが施工した在来工法の家。

このマイホームの建築に当たり、私が自分自身で数年かけて見取り図を描き切った苦労話は、当ブログで幾度かさせていただきました

 

その図面は、自分の将来の生活まで予想して描いたものでしたから、暮らしやすく、その後、大変助かりました。

今も、その思いに変わりありません。

業者任せにしなくて本当に良かった、と思う一方、何事もスローペースの私の、どこにそんな情熱があったのか???

今では不思議でなりません。

 

<個人情報の観点から画像を非表示しました>

 

私が建築に取り掛かる前、下見を兼ね頻繁に訪れたモデルハウスでは、その当時和室は、玄関の隣に配置されている住まいがほとんどでした。

住宅雑誌でもそう。

飽くまで客間扱いになっているような感じでした。

でも私は、キッチン兼用のファミリールームのすぐ隣にその部屋を据える図面を描きました。

何故なら、私は長女で、両親の介護が必須だと思っていたからです。

同居し、両親が寝込んでも、キッチンで料理や洗い物をしながら、父母にいつでも声を掛けられる。

その様な位置に和室を作りたい、と思ったのです。

 

ハートマークの所にベッドを置きました。

今は取り外していますが、ピンクの矢印の所に、光熱費の無駄を省くため、介護期間はアコーデオンカーテンを取り付けていました。

 

それは大正解でした。

5年近くの両親の介護において、とても助かったからです。

両親が亡くなった後も、、その和室は孫たちの遊び場とし、大変重宝しました。

孫たちが目の届くところにいて、見守りながら、主婦業にも専念できたからです。

 

今も、小3のかれんちゃん用に玩具は置いたままになっています。

 

和室と同様に、今も大変重宝している部屋がもう一つあります。

それは画像で再々紹介させていただいたファミリールームです。

今はオープンキッチンは当たり前ですが、建築当時はそうではありませんでした。

私がこの部屋を望んだ一番の理由は、自分の日中の一人暮らしのため。

夫も娘たちも出かけていない大半の時間を心地よく過ごすには、程よい広さの自分の部屋が欲しいと思ったからです。

広いリビングで過ごすのはなんだか寂し過ぎる。

光熱費もかかります。

余りに無駄が多いい暮らしになりそうで不安でした。

 

 

ですから、多目的で、主婦業の大半がこなせる部屋が欲しい願って、私がファミリールームと呼ぶこの部屋を作りました。

娘たちが巣立ち、夫も亡くなり寂しい独り暮らしながら元気に過ごせるのは、ひとえにこのファミリールームのお陰だと思っています。

カーテンもソファーのクッションもピンク系にして、温かな雰囲気に。

料理、デスクワーク、野球観戦もこの部屋でします。

お昼寝だってできます。

正にオールマイテイーの私の部屋なんです。

 

 

病弱の身になったら、窓際に簡易ベッドを置いて、この部屋で、青空を仰いで過ごしたい。

そして寝たり起きたりして、家事もする。

そんな生活を心に描いていますが、果たしてどうなることでしょう。

 

今日の記事が、これからマイホームを建築される方々の参考に多少でもなれば嬉しいです。

 

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マイホーム建築で私がこだわったこと

2020-01-25 04:26:43 | 住まい インテリア

我が家はもう築三十数年になります。

総檜なので耐久年数は、まだ当分あるとは思うのですが・・・。

今後の維持費のことを考えると、とても不安になります。

今はもう会社を閉じて存在しませんが、三井物産の子会社、三井ハウスが施工した在来工法の家。

このマイホームの建築に当たり、私が自分自身で数年かけて見取り図を描き切った苦労話は、当ブログで幾度かさせていただきました

 

その図面は、自分の将来の暮らしまで予想して描いたものでしたから、暮らしやすく、その後、大変助かりました。

今も、その思いに変わりありません。

業者任せにしなくて本当に良かった、と思う一方、何事もスローペースの私の、どこにそんな情熱があったのか???

今では不思議でなりません。

 

<個人情報の観点から画像は非表示としました>

このヤマハのドアも、自分で選びました。

 

私が建築に取り掛かる前、下見を兼ね頻繁に訪れたモデルハウスでは、その当時和室は、玄関の隣に配置されている住まいがほとんどでした。

住宅雑誌でもそう。

飽くまで客間扱いになっているような感じでした。

でも私は、キッチン兼用のファミリールームのすぐ隣にその部屋を据える図面を描きました。

何故なら、私は長女で、両親の介護が必須だと思っていたからです。

同居し、両親が寝込んでも、キッチンで料理や洗い物をしながら、父母にいつでも声を掛けられる。

その様な位置に和室を作りたい、と思ったのです。

 

ハートマークの所にベッドを置きました。

今は取り外していますが、ピンクの矢印の所に、光熱費の無駄を省くため、介護期間はアコーデオンカーテンを取り付けていました。

 

それは大正解でした。

5年近くの両親の介護において、とても助かったからです。

両親が亡くなった後も、、その和室は孫たちの遊び場とし、大変重宝しました。

孫たちが目の届くところにいて、見守りながら、主婦業にも専念できたからです。

 

今も、小3のかれんちゃん用に玩具は置いたままになっています。

 

和室と同様に、今も大変重宝している部屋がもう一つあります。

それは画像で再々紹介させていただいたファミリールームです。

今はオープンキッチンは当たり前ですが、建築当時はそうではありませんでした。

私がこの部屋を望んだ一番の理由は、自分の日中の一人暮らしのため。

夫も娘たちも出かけていない大半の時間を心地よく過ごすには、程よい広さの自分の部屋が欲しいと思ったからです。

広いリビングで過ごすのはなんだか寂し過ぎる。

光熱費もかかります。

余りに無駄が多いい暮らしになりそうで不安でした。

 

 

ですから、多目的で、主婦業の大半がこなせる部屋が欲しい願って、私がファミリールームと呼ぶこの部屋を作りました。

娘たちが巣立ち、夫も亡くなり寂しい独り暮らしながら元気に過ごせるのは、ひとえにこのファミリールームのお陰だと思っています。

カーテンもソファーのクッションもピンク系にして、温かな雰囲気に。

料理、デスクワーク、野球観戦もこの部屋でします。

お昼寝だってできます。

正にオールマイテイーの私の部屋なんです。

 

 

介護を必要とするほどに病弱な身になったら、窓際に簡易ベッドを置いて、この部屋で、青空を仰いで過ごしたい。

そう願って止みませんが、果たしてどうなることでしょう。

 

今日の記事が、これからマイホームを建築される方々の参考に多少でもなれば嬉しいです。

 

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一人暮らしですが、退屈は死語の私

2020-01-23 07:07:30 | 暮らし

今の私は、毎日が日曜日。

今に限らず、専業主婦だった私は、ずっとそうだったのかもしれませんが。

職業を持たなくても、主婦もそれなりに忙しい。

主婦業も仕事ととらえれば、日曜日など全くなく、年中家事に専念する身とも言えなくもありません。

 

私の愛読書です。
記事に関係ありませんが、この中の画像を今日は載せることにいたします。
憧れのテーブルセッティング。
目と心の保養のため、現実化は無理でも、このような書物を眺めるのが大好きな私です

 

一人暮らしになってからも、日曜日と言った感覚に浸れたことは相変わらずなくて、いつもいつも忙しい日々を送っています。

退屈と言った言葉は、私にとっては死語、と何度もブログ上で言ってきました。

やりたいことは、家事でもデスクワークでもいくらでもあって、やり遂げた、と言った満足感に浸ったことは一度もありません。

動作も遅く、要領が悪いのが、その最もたる理由でしょう。

計画ノートのチェック事項を見て、私なりに何とか頑張れた順調な一日だった、と思う事はよくありますけれどね。

 

 

そんなマイペースの私の暮らしに、数日前、急に予定事が二件入りました。

妹とのお出かけの約束も入れると、三件です。

直近では、今週の中頃、小中高の同窓生のH君が私の父母の墓参もかねて我が家を訪問してくださることに。

このブログ上でも、デートした話題を記事にしたことがあります。

もちろん夫公認の間柄。(笑)

大学も、夫の後輩に当たります。

郷里の市長候補とまで言われたことのある、とても見識豊かで、同窓生ながら私が敬愛して止まない人です。

ですから、今からお会いできるのを楽しみにしています。

 

 

もう一つの予定は四月末のこと。

まだ当分先ですが、先々の早めのお誘いは、急な用事より、とても嬉しい私。

しばらく心で温めて、のんびり待てますもの。

 

それは、小学校の同窓生のNさんからのお誘い。

ミニミニ同窓会です。

外交官夫人として長年ご活躍された人なので、ホスピタリティーの専門家。

接待の仕方を十分心得ていらっしゃるでしょう。

色々学ばせていただきたく、今から、楽しみ。

去年は、その計画が頓挫してしまったようでしたから、今年は実現しますように。

 

我が家も、お客様をお迎えするのには、とても向いた間取りです。

ですから、いつも心の隅にお招きしたい方がいて、いつお声をかけようかしら、と考えてはいるのですが・・・。

気力と体力に今はもう自信が持てなくて、準備のことを考えると躊躇してしまいます。

 

 

気楽にお招きすればいいのに、つい力が入りすぎてしまうのも、その理由。

やりすぎの接待は、お客様の心に負担をかけるだけ。

私の悪い癖は改めなければ、と思うのですが、いつも頑張りすぎてしまう私。

去年は数名の方達を二度ほどお昼食にお招きしました。

今のところ、今年も予定はしています

口約束で終わってしまわないように、頑張ろうと思っているのですが。

 

このブログのタイトル通り、丁寧に心を込めて、「今日が一番素敵」の思いで日々を過ごす、が私のモットーなんですが。

口先だけのところもあって・・・。

実際は、体調が今一つだと、だらしない日々を送ることもよくあります。

ですから、私の書いていることをすべて鵜呑みにしないでくださいね。

歳を重ねるにつれ、理想と現実のギャップが大きくなっていく一方です。

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頭の怪我多しの我が半生

2020-01-21 07:07:20 | 暮らし

前回の記事で、私は単発的な頭の怪我を幾度か負った、と書きました。

今日はその怪我について、もう少し詳しく語りたいと思います。

以前にもお話したことがあり、同じ内容の繰り返しになり恥ずかしいですが。

それは気にしないことにしようと思っています。

 

お出かけもあまりしない平凡な暮らしの日々では、話題を見つけるのも一苦労。

同じことを書いている、としょっちゅう思う私ですが・・・。

新しい読者の方が興味を持ってくださるかもしれませんから。

反復は、お許しくださいね。

 

頭の怪我の話に戻ります。

もともと賢いとは言えない頭が、怪我を負うたびに劣化したと思うと、何だか末恐ろしい。

遠からず認知症を患うのでは、と心配になります。

前回の記事でもお伝えしたように、頭に単発的な怪我を負うと、認知症になりやすいそうですから。

 

思い出す限りでは、最初の怪我は、夫の赴任先の米国から帰国した時。

その荷を社宅でほどき、整理している最中のことでした。

壁に掛けたばかりの木製の重い柱時計が落下して、私の後頭部に直撃。

整形外科で傷口を数針縫いました。

六年生の長女の受験のための家庭教師の面接のとき。

私は頭から顎にかけて、白い包帯をグルグル巻き。

何ともみじめな姿でした。

 

記事にふさわしい画像がなくて・・・。我が家が使用した柱時計の変遷でも。
ネットから借用した画像です。
娘たちが幼い頃は、これとそっくりのはとぽっぽ時計を使用していました。
落下したのは二代目の時計。
真四角で重量のある木製の時計でしたが、画像はありません。。

 

それからまた幾年か経過し、社宅に入ってきた走行中の清掃車のバックミラーが、私の頭にぶつかり、けがを負いました。

業者さんが、その後金一封をもって謝罪に来られたものです。

 

更に、今のマイホームにクリスマスシーズンの頃引っ越してすぐのこと。

数日後に大雪に見舞われました。

我が家の前の公道は緩やかに勾配しています。

ところがその道に慣れていなかった私は、軽やかな足取りでその雪道を歩いて、ごみ集積所へと。

途中で滑って、すってんころりん。

後頭部を強く路面に打ち付け、かなりの出血。

タクシーを呼び、慌てて病院に行き、処置してもらいました。

雪道の転倒は他にもにもありましたが、説明は省きます。

 

今、居間の隅に掛けられた柱時計。
マイホームを新築当時に購入した物です。
それから三十数年、私の人生の時を刻んでくれたとの思いで見つめると、感慨深いものがあります。

 

最近では一昨年のお盆の真夜中の転倒。

脊柱管狭窄症を患い、回復途上にあったものの、足も膝の調子もまだよくないときのことです。

転倒した日は、たまたまベッドではなく和布団に寝ていました。

夜中に用足しに行こうと思い、起居が多少不自由だったにもかかわらず、支えもない所で自力で立ち上がろうとしました。

ところが、バランスを崩し激しく転倒。

打ち所が悪かったのか、この時は大出血。

あわや救急車と思いましたが、何とか気を鎮め、朝まで待ちました。

 

少々身勝手だったけれど、緊急の電話を掛けたのは妹宅です。

娘たちは恐らく仕事を終えて家事も済ませ、ぐっすりと休んでいることでしょう。

明日の仕事の苦労も思うと、真夜中に起こして心配をかけるのは余りに不憫。

真夜中でも、気楽に電話できるのは妹宅の方でした。

 

「これこれしかじかで、大量の出血をしていて、まだ血が止まらないの。

悪いけど、朝、私の安否確認の電話をかけてくれない。

多量出血で、気を失っているかもしれないから」

と言いました。

 

怪我を負った時は朝が待ち遠しくて、何度も時計を見たものでした

 

和室の至る所、血糊が付いて悲惨な状況でしたが、意識はしっかりしていて、朝まで起きて過ごしました。

九時となり、最初に電話を掛けたのは毎週お世話になっている整骨院。

脳神経外科では定評のある病院を紹介いただき、タクシーで向かいました。

その時は異状は見られなかったのですが、頭痛が頻繁にその後起き、今度は近くの病院で再検査。

すると撮ったMRIの画像に影がありました。

とても不安になりましたが、去年のの夏のMRIの再検査では、その影は消えていて一安心。

経過観察のため、今年の夏も、またMRI検査を受けることになっています。

幾度もけがを負った頭だけれど、脳神経外科の先生のお話では、年相応の脳の萎縮は多少は見られるけれど、心配するほどのことでは全くありません、とのことでした。

 

整骨院の先生には、

「年齢の割には回復力がとてもある体ですね」

とよく言われます。

自己治癒力という言葉が大好きな私ではあるけれど、年齢をもっと重ねるにつれ、その力が衰えていくのは必至。

これ以上、怪我を負わないように注意しないといけません。

慎重なようで、おっちょこちょいのな所がある私のこと。

先が思いやられますが・・・。

良き食生活を心がけ、適度の運動もして、頭と体の健康に努めたいものです。

 

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茫然とした自分の大ボケ行為

2020-01-19 07:16:24 | 暮らし

最近犯した大ボケ行為。

いよいよ私の脳もおかしくなってきたのでは、と茫然自失するような出来事が最近ありました。

 

朝のことです。

ごみ収集日でしたので、早めに身支度をして、その準備をしました。

この区域は、収拾が早くて、八時半ころには、収集車がやってきます。

幸いなことに、ごみの置き場所は、勝手口側の階段を下りたすぐそば。

遠くから運ぶ人は大変では、といつも思う私。

近いので、私はとても助かっています。

 


我が家の分別ごみ箱

 

そのごみも出し終わり、一息つき、私はまた家事を始めました。

まずはシンクの前に立ち、洗い物、と思ったのですが、排水口の様子が変。

何としたことでしょう。

排水口に取り付けてある金物のごみ受けかごがありません。

しばらくその状況をどのように受け止めればいいのか分からなくて???

頭が混乱寸前になりました。

どこを探しても、それが見当たらないのです。

 

心を落ち着けて、必死でこの状況を理解しようと努めました。

そして出た結論は、

私は、生ごみと一緒に、その受け皿を捨ててしまったという事。

 

白の矢印のところです。

 

自分に呆れかえり、茫然自失。

新築当初から三十数年間利用し、使い古したものでしたが、さほど汚れてもいなくて、私にとっては有難いキッチン用品の一つ。

まだ一度も水の詰まりを起こしたことがないのは、この器具のお陰でしょう。

ですのに、ごみと一緒に捨ててしまうなんて。

 

恐らく、他に急用が出来て、ごみ袋の中に一瞬仮置きしたつもりが、そのまま袋を閉じて、ごみの集積場所に運んでしまったようです・

こんなボケ行為をするようでは、もう私はだめ。

とてもとても大きなショックを受けました。

 

 

その後、とてつもない心配と不安に襲われた私です。

我が家のシステムキッチンは、特注でこしらえてもらったもの。

三十数年前のことです。

恐らく我が家の排水口に合う商品は、もう販売されていないのでは。

特注で作ってもらうとなると、時間がかかる。

その間、ごみの処理はどうすればいいの?、と。

無駄な費用も掛かりますし。

 

自分のボケ行為に呆れ果て、余りのショックで、寝込みたいほど情けなくなりました。

でも一人で悩んでいても解決がつきません。

このシステムキッチンを作ってもらったお店クチーナに、とにかく相談してみよう、と私は思いました。

 

 

その結果は、拍子抜けするような喜ばしい返答。

とても親切な受け答えをする女性の方から、いとも簡単な解決法を教えていただきました。

排水口の口径は、ずっと変わっていないとのこと。

ネットのサイトでも売られています。

わが社にもありますが、当店の販売ですと排水管が取り付けた商品しか扱っていません。

ネットで購入された方が安いですよ、とのこと

 

意外にも簡単に買えることが分かり、私の不安はすべて杞憂に終わりました。

ネットの買い物は、書物以外苦手な私。

描いたイメージとは異なるものが届き、がっかりすることが多いいのだけれど。

今回はジャストフィット。

私が長年に亘って使用していたものとそっくりの排水かごが届きました。

サイズもぴったり。

 

 

こんなにホッとしたこと、最近あったかしら。

それにしても、私の不注意な行為はただ事ではありません。

日々の生活でも、弱くなってきた頭のせいで、混乱したり慌てたりすることが多くて。

 

最近、NHKの番組で、認知症を患われた学者さんを介護する家族の暮らしが報道されたようですね。

私は見落としてしまいましたが、衝撃的な内容のように、私には思えました。

何故って、その学者さんは認知症の研究では第一人者でいらしたからです。

この病は、人によっては避けて通れない宿命的なこと。

この報道の内容を知って、その事実を改めて認識せざるを得ませんでした。

 

できる事なら避けて通りたい病ですが、神様のみぞ知る領域なのでしょう。

私は単発的な頭の怪我に、数回見舞われています。

それも、認知症を速める理由になるとのこと。

 

けれど、恐れてもどうすることもできません。

今後は、自分のボケ行為で慌てふためくことがもっと多くなるでしょうが・・・。

そんな自分を愛おしく思える、心の余裕を持ちたいものです。

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今年初の草花の買い物だったけれど苦労多し

2020-01-17 07:09:35 | ガーデニング

前回では庭のことを記事にしましたが、今日も又、同じ話題です。

ちょっぴり情けない内容ですが。

実は我庭の今の花壇は、冬枯れして、なんとも殺風景。

こんな寂しい庭を見るのは、今までになかったことのようにも。

 

数日前、購入した草花を植え、寂しかった庭に、多少彩りが出てきました。

 

昨年の春から夏にかけての庭の花壇は、誇れるほどに美しく、娘たちも私の努力を認めてくれていたのですが。

その後、体調も今一つで、急速にガーデニングへの情熱が冷め、放置したまま。

水やりだけは怠らないようにしていましたが、新しい苗を植え付ける意欲が湧かなくて。

何もない空間が至る所に出来た花壇になってしまいました。

 

一番残念なのは、私が大好きなクリスマスローズの間違った刈込み。

これから、クリスマスローズが咲き誇る時期になるのに、未だに茎だけ。

新葉があらわれてくれません。

 

花壇の隅にあった小さなクリスマスローズを、数日前ここに移植してみました。
よく見ると、嬉しい気付きが。
昨秋刈り取ったクリスマスローズの根元からも、芽が出ていることを発見。

下の画像の矢印の所です。

 

ここ数年、手間と経費が掛からない庭を目指してきた私。

質感や色の異なるリーフ物をできるだけ多く植えるように心がけてきたつもりです。

クリスマスローズは常緑なので、その点でも助かっていました。

その努力の成果が多少あって、草花を植えるスペースが、次第に少なくなってきています。

もともと百花繚乱のような華やかな庭は好みではありません。

 

右側の植物はスキミア

 

それに我が家の庭は、横幅は結構あるのですが、奥行きが狭い。

そのためフェンスに絡まった植物や庭木が日陰を作り、東南の角地の家ながら、花壇の日当たりは良くありません。

そのため、花を育てるのには向いていないようです。

と言ったものの、これは聞き苦しい言い訳。(笑)

花が思うように育ってくれない一番の理由は、私の世話がいい加減だからです。

 

数日前に植え付けたばかりのカレンジュラ。
私がマーガレットの次に大好きな花です。
冬にも強く、花期がとても長くて、野の花の趣。

 

瑞々しい緑の中に、アクセントとして可憐な花の群集を点在させる。

そんなしっとりとした落ち着いた庭を、私は目指しているのですが。

更に本当は、宿根草が主の庭が理想。

でも、日当たりが悪いせいでしょうか。

一年草と変わらない短い花の命で終わってしまうことが多いです。

 

今咲いている植木鉢のクリスマスローズ。

宿根草ながら、期待に背かず、毎年清楚な花を付けてくれます。

 

そのため、美しさを維持しようとすると、結構お金がかかります。

最近、ガーデニングのその経費が何だかもったいないことのように思えてしまって。

支出を疎んじるようになっていました。

 

経費のかからない庭を目指したいとの強い思いから、数日前、私はある行動に出ました。

前から気になっていた草花の卸業者さんへ赴くこと。

我が家から、距離的にはさほど遠くはないのですが、アクセスは、バスの乗り換えがあって不便そう。

そのためずっと敬遠していました。

そのお店に、先日初めて出かけたのです。

恐らく、私がいつも利用する百貨店の園芸店より、かなり安いはずとの期待感を持って。

 

数日前に完成した寄せ植えですが・・・。
中央のウエストリンギアは寒さにあまり強くない、と最近知って、今途方に暮れています。
イメージ先行で植え付ける私の気質は相変わらずです。

 

私がよく利用する最寄り駅周辺は、大手のの都市銀行や証券会社がすべて揃った大都会のような光景です。

ところが駅の前にあるバスターミナルでバスに十数分ほど乗車。

卸業者の園芸店へ赴くために降車した場所は、畑が広がる田園風景。

そこから、私が目的の園芸店に向かうために歩いた狭い沿道。

それは、ガードレールがあるものの、すぐ横の国道を車が猛スピードで頻繁に走り抜けていくところでした。

おっかなびっくり。

いつ事故に巻き込まれるか分からない。

そんな雰囲気でした。

 

今回購入したマーガレットですが・・・。

耐寒性がある草花ではないのに、待ちきれず植え付けてしまった、無慈悲な庭主の私。

 

行く先に園芸店の大きな看板が見えました。

そこをを右折すると、周りはすべて畑。

バスを乗車した駅前の都会が嘘のよう。

田園風景とは言え、冬枯れて、殺風景そのもの。

こんなところまでお花の経費を節約するために訪れる必要があるのか、ちょっぴり疑問に?

 

 

こんな労力を惜しまないでやってきたのだから、期待にそぐわない買い物をはしないぞ、との意気込みでしたが・・・。

朝から整骨院の施術、その他の用事があって外出していた私。

かなり疲労の色が濃くて、重い足取りでした。

 

やっと辿り着いたお店に陳列された商品は今一つ。

小売業者に卸した後の残り物では、と思いたくなるような精彩を欠いた苗ばかり、

でも確かに安い。

100円台の苗が多くて。

結局4500円程度の買い物になりました。

 

 

家に戻り,整姿し、枯れた花を取ってやると、苗の勢いはさほど悪くありませんでした。

苦労した甲斐があったのかもしれません。

そして翌々日から、早速植え込みにかかった私。

毎日二時間ほど庭作業して頑張ったのに、全部植え付けるのには数日かかりました。

楽しいけれど、とても疲れる作業。

 

こんな事、あと何年続けられるかしら、と不安が心をよぎりますが・・・。

草花は、愛しい我が家族。

もっともっと愛情を注げるように心がけようと、心新たにしています。

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続 根気と体力に欠ける私が人生でやり遂げられたと思う三つのこと

2020-01-15 07:13:19 | 人生

私は習い事をしてもいつも続かず、人生でやり遂げたことなどあまりなくて恥ずかしい限りですが。

子育てとマイホーム建築、庭造りは、私が誇れる成果かもしれません。

今その実りが、私の余生を潤し、夫のいない一人暮らしをどんなに支えてくれていることでしょう。

 

子育ては、未熟なところがいっぱいある世間知らずの私にしては、信じられないほど順調でした。

勉強で苦労したこともなく、娘たちは二人とも国立の大学を卒業。

その後はキャリアウーマンとなり、第一線で今は活躍中です。

良き母、良き妻として、幸せな家庭を築いてもくれています。

 

私が子育てで一番大切にしたことは、動機付け。

子供たちのモチベーションを高めるための語りかけには、色々努力をしました。

結果ではなく頑張る過程が大切と、事とあるごとに言い続け、努力する大切さを、幼い時から教えました。

その努力は、信じられないほどに実り、花を咲かせてくれ、本当に嬉しく思っていますが・・・。

私の娘たちへの願いは、専業主婦となり、幸せな家庭を築いてほしい。

それだけでした。

ですから、思いがけない展開に、度々驚いてもきました。

 

三つ目の私が成し遂げられたこととは、庭のリフォームです。

 

昨日、数時間庭作業に取り組み、草花を少し植え付けましたが、
今日掲載する画像は前の物ばかりです。

 

庭のリフォームは、初孫誕生に当たって、急遽思いつき取り掛かったものでした。

庭にガーデンファニチャーを置き、優しい陽射しに包まれて、そこで孫に絵本を読んで上げる。

そんな夢がありました。

リフォームする前までは、生け垣の植物が塀のフェンス沿いに植わっているだけ。

趣のまったくない地味な庭でした。

 

 

リフォームに当たって、私はマイホー建築の時と同様に、自分の夢を追い続けました。

高島屋のガーデンアイランドのガーデナーさんが描かれた図面では満足できなくて、私は自分の意見や要望をどんどん言いました。

そのせいで、工事が一月ほど、ストップしたほどです。

営業の方が、私の描くイメージが煮詰まるまで、しばらく工事をお休みした方がいいと思われたのでしょう。

その間に、私は図面を何度も描き直し、夢の実現に精魂を傾けました。

予算は最初百五十万位でしたのに、とんでもなくオーバーしましたが。

新しく生まれ変わった庭は、マイホーム完成時と同じ感激に浸ることができました。

 

人任せにせず、こだわりを持って、自分なりに精いっぱい努力すると、精神的、体力的消耗は計り知れません。

マイホームの図面が最終的に完成。

次女の受験も志望校に受かり、無事終了。

その数か月前には義父も亡くなり、看護や葬儀で数度帰省。

その当時は人生の縮図のような様相を呈していました。

その無理が祟ったのでしょう。

いよいよマイホームの建築に着手するといった時のこと。

遂に、私はダウン。

死ぬ一歩手前のような症状に見舞われ、救急車で真夜中に搬送され、二週間以上の入院を余儀なくされました。

しばらく酸素吸入を取り付けたままでした。

 

でも今は頑張ってよかった、との思いだけです。

そして今、私が成就できた、子育て、家づくり、庭造りが、私の余生をこよなく幸せにしてくれています。

 

ピンボケですが・・・。

孫が修学旅行のお土産でくれた絵ハガキの一枚です。

 

一方、株式投資では、ひと財産失うほどのとんでもない損失を被りました。

マンションを購入し、手付金まで払いましたのに、その物件を一目ぼれした結婚前の長女夫婦に譲り、その大金を私は投資に注ぎ込むといった愚行を犯してしまったのです。

数十万の家賃収入で悠々自適の余生を送る夢は、その愚かな行為でもろくも消えました。

この様な成功と失敗体験を積んで、今の暮らしがあります。

 

「若い時の苦労は買ってでもしろ」との諺がありますね。

投資で苦労したのは50代の中頃から60代の初め。

若いとは言えませんが、75歳の今の身に比べればまだまだ若い時でした。

この失敗があったからこそ成長できたことも色々あります。

 

ですから、この愚痴を吐いたことは、私はほとんどありません。

今はすべてに感謝して、身の丈に合った暮らしを今後も精いっぱい素敵に紡ぎたい、と願っているだけです。

 

何事があっても、咎めることなく、おおらかに見守り、子育て、マイホームの建築等々、すべて私に任せてくれた夫の度量には、いくら感謝しても感謝しきれない思いでいます。

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根気と体力に欠ける私が人生でやり遂げられたと思う三つのこと

2020-01-13 07:48:27 | 人生

年末年始はイベントが多く、ブログの記事の話題は割と豊富。

安心していられましたが、これからが何とも不安。

一人暮らしで平凡な毎日。

体力に欠けるため、お出かけすると疲労困憊してしまうことが多くて。

もともとおうち大好き人間ですから、引きこもりがちの暮らしですが・・・。

そんな暮らし方が、全く嫌ではありません。

家の暮らしをマイペースで充実させることに、一番生き甲斐を感じてしまう方。

そんな性格の私が、理想と夢を追って自分で図面を描き、実現したのが我が家。

この恩恵は計り知れず、いつもマイホームの空間が、私の心を潤し、夫のいない寂しさも癒してくれています。

 


私が一番好きな部屋。
一日の大半をこの部屋で過ごしています。

 

次女が中学受験を始める数年前から、マイホームの建築に具体的に着手。

土地を購入したのは、更にその数年前のことです。

但し、家を建て始めるのは、次女の受験の後、と固く心に決めていました。

次女の受験の面倒もみながら、家の建築もするなんて、私の体力ではとても不可能、との思いがありましたから。

この時間的猶予は、まさに天の恵み如きでした。

私が理想の家を建築できた一番の理由です。

 


今日の画像は、この記事のために慌てて昨日撮ったものばかりで、余りに拙くて少々恥ずかしいですが。

 

最初の頃は、業者任せの所がありました。

業者さんが設計された図面に私は安易に飛びつき、二度も具体的に話を進め、仮契約を結んだほどです。

しかし時間を置くと、人の気持ちは自分の意識とは関係なく変化していきます。

建築着手は、次女の受験が終わった後と決めていましたので、一年以上の期間がそれまでにありました

その間、住宅展示場に何度も足を運び、読んだ住宅雑誌もおそらく数十冊を超えました。

その影響でしょう。

私が心に描く理想のマイホームは、どんどん変わっていったのです。

 

 

契約解消に当たってドタバタ劇もあり、契約金の一部も失ったりしましたが、妥協しなくてよかった。

業者任せですと、まるで別物のマイホームが出来上がっていました。

次女の中学受験がなければ、もっと安易に建築に取り掛かったのでは、と思い・・・。

この時間的猶予は、神様のお取り計らいとしか思えなくて、自分の幸運が、今でも信じられないほどです。

 

 

マイホームは一生で一番高い買い物ですのに、多くの人があまりに安易に家を建てたり、購入してしまうのではないでしょうか。

その準備のために、数年はかける。

是非そのようにしてほしいと、若い方々には助言したいです。

そして業者任せにしない事。

 

 

私は仮契約を二度解約し、違う業者さんから頂いた設計用の分厚い方眼用紙に自分の夢を追ってひたすらマイホームの図面を、一年間以上かけて描き続けました。

幼い時から、絵が割と得意で、家の見取り図を描くのが大好きな性格だったことも幸いしました。

 

 

我が家担当の方は、渋谷のモデルハウスを建てた若手の優秀な設計士さんでしたが、「僕が決めたのは屋根のかけ方ぐらいです」と言われたものです。

今年も年賀状のやり取りをしました。

いくら自分で見取り図を描いたとはいえ、設計士さん、営業の方などとも仲良くなり、大変お世話になりました。

感謝の気持ちは今も変わりなく、毎日頑張ったあの頃が懐かしいです。

この記事は次回に続きます。

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R君成人のお祝い会

2020-01-11 07:04:17 | 

1月13日の成人式を迎えるにあたって、R君の成人のお祝い会が、一足先に、ホテル椿山荘で両家の祖父母も招かれ、開かれました。

ホテル椿山荘は、長女夫婦が結婚式を挙げたところで、特別な想い出がある場所。

 

数十倍の倍率でしたのに抽選に当たり、ホテルの目の前にあるカトリック教会で式を挙げることができました。

 

その頃は、外資系のフォーシーズンが経営するホテルだったのですが。

今は経営主が、椿山荘に変わっています。

でも今も、ホテルの雰囲気はその当時と何一つ変わらず、品格ある瀟洒なインテリアと意匠は、目が覚めるように優雅。

私がこの世で一難好きなホテル、と言っても過言ではないかもしれません。

 

 

そのホテルの目の前の教会で式を挙げた長女夫婦。

そして授かったのが、R君です。

私にとっては初孫。

私はまだ元気いっぱいの50代。

それはそれは献身的に尽くし、可愛がったものでした。

 


長女の義父母様と久しぶりにお会いできました。
いつも温かく見守って下さり、感謝の気持ち一杯でいます。

 

ママの育児休暇が終わり、保育園に入園した日、私が迎えに行きました。

やっと物心がつき始めた頃のこと、

泣きはらした顔で、放心状態のようにふらふらと部屋から出てきたR君。

迎えに来た私のもとに辿り着き、抱きついて、ひたすら号泣。

2度とママとパパに会えないのではとの恐怖で怯え、さぞかし長い一日だったのでしょう。

そんなR君の切なく愛おしい姿を、今でも私は鮮明に想い出すことができます。

 


個室でお食事を共に


R君が誕生の時のワインが用意されていました。

 

専業主婦の私と娘たちのの間柄とは違い、日中はほとんど親子離れ離れで暮らしたR君。

幼い頃は、私がママに変わって、色々面倒を見たものでしたが・・・。

ママのいない寂しさはぬぐえず、いろいろ苦労もあったに違いありません。

もちろんそれ以上に楽しいことも一杯あったでしょうけれど。

料理好きの私は、その画像もぜひ載せたかったのですが、撮り忘れが多すぎたため、今回は省略します。

 

そのR君が、とうとう二十歳の成人式を迎えることに。

感慨無量の私です。

初孫で、一番手をかけた子ですから。

 

でも今、私が一番気がかりなのも、R君。

心がとても繊細で、逞しさに欠けるところがあるように見受けられるからなのですが。

どこの家庭でも、最初の子は、そのような傾向がありますよね。

 


お兄ちゃんと妹の微笑ましい光景

 

私たち姉妹もそう。

妹の方が私より遥かに逞しくて、手のかからない子供でした。

私の方が親に、いろいろ心配をかけました

 

R君の妹のさっちゃんもそう。

私は天真爛漫で逞しいさっちゃんとお兄ちゃんの性が逆だったら良かったのに、と何度思ったかしれません。

繊細ゆえに、これからも人一倍苦労が多いのでは、と心配にもなりますが。

 

でもR君はR君らしく、自分の人生を切り開いていってくれるに違いありません。

とても澄んだ賢そうな大きな眼は、力強い眼差し。

何かやり遂げてくれそうな予感がする祖母ですが。

パパとママが優秀過ぎたために、なかなか自分に自信が持てないところもあったのかもしれません。

 


R君を一とても可愛がった夫が居ないのはかえすがえす残念でしたが・・・。
とても和やかな良い会でした。
長女も、後で楽しかったわね~、と。
お婿さんが、毎年このような会を開こうかと提案。
大賛成の私でした。

 

成人になった今、R君が力強い自我に目覚め、飛翔する姿を私は見届けたいものです。

成人のお祝いの席では、大学院に通いたい、とも言っていました。

学問を究めるのも、素晴らしいことですね。

選択の道が色々あって羨ましい。

私は、どんな人生を歩むにしても、心優しいR君に、陰ながら、精一杯のエールを送り続けてまいります。

 

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我が家のお節料理

2020-01-09 07:07:21 | ちょっと一服の記事

お正月のたびに毎年披露させていただいてきた、我が家のお節料理。

毎年瓜二つで、全く変わり映えしませんが。

変わらないということに、我が家の伝統を思い、幸せを噛みしめられるひと時です。

変わったことと言えば、作り手です。

60歳までは、私がほとんどすべて作り、家族に振る舞っていました。

洗い物も、私が率先してやりました。

日ごろ仕事と育児で多忙を極める娘達には、実家に戻った時くらいのんびりしてもらいたい、との親心で一杯でしたから。

 

 

ところが還暦を過ぎた年末だったでしょうか。

急に具合が悪くなり、暮れに思いもしなかった入院生活。

何とか年が明ける前に退院。

その頃長女が住んでいた青山のタワーマンションに居候。

しばらくふらふらで歩くのがやっと、そんな雰囲気で、長女に面倒を見てもらいました。

 

 朝食の食卓

梅型人参を入れるのを忘れたようです。

 

その時以来、娘たちの態度が急に変わりました。

家族のイベントがある時は、私に頼らず、すべて娘たちが取り仕切るように。

お節の娘たち担当のお料理が、年毎にみるみる増えていき・・・。

最近のお正月で、私が必ず作るのはお煮しめと、あと数品で終わり。

今年の私担当は、お煮しめ、七色なます、ごぼうの牛肉巻き、鶏の野菜巻き、里芋の含め煮でした。

楽をさせてもらっているつもりですが、それでも準備するのは結構大変。

手際が、どんどん悪くなっているのでしょう。。

三段重のお節を、長年に亘って、私が一人ですべてこしらえていた時代があったなんて、嘘のようです。

 

 

10月に結婚し、最初に迎えたお正月も、実家に遠距離電話を何度もかけ、母のお節と変わらない品数を、やっとの思いでを作り上げたものでした。

それからおよそ52年間、毎年お正月を迎える度に、ほとんど同じ内容のお節を作り続けてきた私です。

こしらえなかったのは、先述した年末の入退院後の年始、夫が12月に亡くなりその翌年迎えたお正月の時だけ。

 

 華やかな絵柄がお正月のふさわしいと思い、初めて今右衛門の器にお煮しめを盛ってみました

 

それを、いつの間にかしっかり受け継いでいる娘達。

最初は慣れないお節づくりに、いろいろ苦労もあったでしょうに。

今は、もう完璧。

以前は、家族が起床する前に、私がすべて詰め、食卓の準備もしたものでしたが。

今は、お節を詰める際も、私はほとんど手を出しません。

恐らく娘たちの頭には、自分なりのイメージが出来上がっていて、好きなようにしたいでしょうから。

私は任せています。

 

夕食の食卓

写真を撮る前から、食べ始められてしまい、みっともない姿に。
仕方なくカモフラージュしてパチリ。
毎年、長女が美味しい焼き豚を用意してくれるのですが、今年は残念ながらありません。

 

このお節、我が家ではいつも大好評なんです。

一番幼いかれんちゃんも、お節が大好きのよう。

食卓は、居間の座卓を子供用にしているため、お皿とお箸を持って、お重箱のお料理を数品取っては自分の席に戻り食べています。

いつも笑顔がいっぱいで、私が尋ねると、「お節大好き!」と答える子供達。

私はそれを眺めてご満悦。

さすがに私の孫たち、と。

 

楽しい元旦の日が暮れ、お夕食の後、長女家族は自宅に戻りました。

次女家は二日の午後、義父母様宅でお祝いの席に就くため、我が家を後にしました。

 

義父母様宅用に次女が詰めたお節です。 さぞ喜んでくださったことでしょう。
このお重箱は、昨年次女が購入した物です。
次女家のように北欧風のインテリアの住まいにはぴったり。
お節がとてもよく映えました。

 

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家族が全員揃った大晦日とお正月

2020-01-07 06:57:25 | 家族

大晦日に例年通り、長女と次女家族も揃い、賑やかな年の暮れを迎えた我が家。

一足先に、次女家の孫息子K君が、ガラス拭きのワイパーを片手に訪れました。

ジョギングしてきたようです。

頬が紅潮した健康的な笑顔が、何とも可愛く、頼もしくて。

有難う。

感謝感激の私。

 

その後しばらく経過し、家族全員が揃いました。

まず皆が一斉に手掛けてくれたのが、ツリーをしまう事。

二階の納戸や、簡易階段を上って屋根裏まで運んでくれます。

わいわいおしゃべりしながら、家族全員が協力して、天井に届きそうな大きなツリーを片付ける光景は、幸せを絵にかいたよう。

私の胸は熱くなりました。

この間も、孫息子のK君はせっせと二階のガラス磨き。

長女家の孫娘さっちゃんは、玄関周りと道路の清掃をしてくれました。

 

 ツリーを眺めながら、クリスマスの日の食事会の写真です。

 

後期高齢者になった私は、60代になるまでのように一人で何もかもやりこなすのは、もうとても無理。

家族の協力があればこそ迎えられる、準備万端の清々しいお正月です。

 

その中でも、今年一番協力してくれたのは次女のMちゃん。

27~8日頃毎年、私と次女で、お正月の食材を買い物するのが恒例になっています。

今年は、28日の開店後すぐ、スーパーに二人で出かけました。

 

その前日のことです。

次女から、長女Mちゃんのテニス練習中における目の事故を知らされたのは。

次女は、お節料理の分担をどのようにするかお姉ちゃんに電話を掛けた時のことでした。

私は大層驚き、ショックを受けたのは言うまでもありません。

このお話は、後日詳しく書きたいと思います。

お正月明けにまた診察を受けますので、その後の経過が分かりますから。

少しずつ視力は回復しているようですが、我が家では、ひたすら安静に努めてもらいました。

年明けの4日には、長女家の長男R君のの成人のお祝いをホテルのレストランで開きましたが、見た目はいつもと変わらず、とても元気そう。

診察の結果が待ち遠しいですが、眼科では定評のある病院。

私は安心しているのですが・・・。

 

 

こんな訳から、次女の張り切りようはいつも以上で、お節をすべて私が作っても構わないと言った意気込み。

さすがに私の娘と、感心するばかり。

でもそれではあまりにも申し訳ないので、五品くらいは私が準備することにしました。

 

スーパーでは、時に私に相談しながら、てきぱきと買い物をこなすMちゃんの後を、私はついて歩くだけ。

60代になるまでは、車も運転していましたから、私が一人でほとんどお正月準備をしました。

後片付けも一手に引き受けるほどに元気な時代もあったのですが。

今では、力関係は完全に逆転。

しっかり者の娘たちに,頼り切っている私です。

 

大きな鯛を姿良く焼くために、格闘中のMちゃん(元旦の日の写真です)

 

それにしても、お野菜のなんと高い事。

ほとんどの野菜が、400円台。

私が目を丸くする傍で、余り迷うことなく、ショッピングカートにお目当ての食材を放り込んでいくMちゃん。

懐事情がいいことがその様子からも伺え、変なことで感心し、安心する親でした。

 

もちろん後で、お正月用経費は分担し合いましたけれどね。

私は食べる量も少ないということで、わずかの負担で済みました。

とは言っても、年賀状の印刷代、お正月の花、おもち、松飾、お年玉、その他お正月用の小物費、お節の食材の一部等々。

すべて合わせると、5万ははるかに超えます。

植木の剪定も入れると、私のひと月の遺族年金収入の半分近くが年末に、一気に消えてしまった感じ。

年末年始は、お金が本当にかかりますね~。

来年は一層の覚悟で、早くから予算に計上しようと思いました。

 

 

 お年玉袋も用意しました。

 

今回は年末に、日常使いの家計簿以外に、小さなノートの臨時年末家計簿を新たに用意しました。

次回のお正月準備の時に役立つことでしょう。

年末の収支と預金残高が一目でわかりますから。

今年も無駄のない慎ましい暮らしを送って、去年と同額の貯金を目指すつもりでいます。

何のための預金か、よく分からなくなることもあるのだけれど・・・。

遺族年金暮らしながら、そのささやかな余裕に、何だか私はホッとできます。

 

 

みんなの協力で、我が家の年末の大掃除も無事に終わり、夕食の準備も整いました。

大晦日の夜は、次女の考えで、今年は初めて手巻き寿司と年越しそば。

いつもは鉄板焼きなのですが。

何もしないで文句を言ってはいけないのだけれど、私は例年通り鉄板焼きが良かったかなあ~。

何故って、牛肉、えび、ホタテなどでたんぱく質が十分とれて、お野菜もたっぷりお腹に入れられるからです。

お節では少々足りない栄養を、補給できるように思います。

ちょっぴり、その残念な気持ちを伝えたけれど、家族揃って頂く手巻きずしの何と美味しかったこと。

お蕎麦もたっぷりいただき、炭水化物の取り過ぎで太るのではと、幸せな心配もしました。

 

紅白歌合戦を愉しみながら、夜が更けていきました。

頼もしく、しっかり者の若夫婦達は、おしゃべりも大好き。

お婿さんたちは、亡き夫と違い、声も大きいです

談笑では大輪の花が咲きましたが、私はもっぱら聞き役。

早寝早起きが習慣になってしまっているので、九時過ぎると眠気に襲われ、もう起きていられません。

新年を迎える前に床に就くのは、この数年間、毎度のこと。

 

年末の最後にみんなに伝えた一言は、

「今年初出演の竹内まりやの歌をぜひ聴いてね。

涙が出るほど良い曲だから」と。

年納めにもふさわしい、心に染みる本当に素晴らしい曲。

私もこの宇宙の星で巡り逢えた愛しい人たちへの感謝の気持ちを忘れず、新しい年も良き日々にしたいもの、と心から思いました。

 

最後にその曲を載せて、今日の記事は終わりにします。

https://www.youtube.com/watch?v=sYzOXbjTlUI

 

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掛け替えのない時間を愛しむ~昨年の反省

2020-01-05 07:20:59 | 家族

新しい年を迎え、心はとても晴れやか。

スタート地点にたてた心境になれる新年は、特別な日。

何度迎えても、やはり嬉しいお正月ですが、夫がいない寂しさは拭えません。

 

今年は、例年ほど念入りに掃除や、整理整頓ができていなくて・・・。

やや不完全燃焼気味で迎えたお正月でしたが、もう若くないのだから無理は禁物。

そう思って、適当なところで終了してしまいました。

 

去年は、全般的に一年を通して、余念のない小掃除は計画的に心がけてきたつもり。

ですから年末になっても余り焦らないでいられたようにも。

今年もこの方針を継続して、「毎日少しずつ、丁寧に」を実践していくつもりでいます。

 

お正月に大活躍してくれた漆器類。
手前の輪島塗のお椀は、母が私のお嫁入りの時のために用意してくれたものです。
輪島塗のお屠蘇器は実家で使用していたものです。

 

とは言っても去年の暮らし方は、今一つだったかなぁ~。

家事のやり方では迷いが多く、理想的なテンポで働けたとはとても言い難いです。

歳のせいで、動作が緩慢になり、益々要領が悪くなったせいかもしれません。

 

若い時から、私は計画を立てるのが大好き。

とは言っても計画倒ればかりなんですけれどね。

計画を立てるのは、掛け替えのない日々を充実させたいとの思いが、人一倍強いからなのですが・・・。

 

 

私は、ひねもすのたりと暮らすのが苦手な性分なんです。

この歳になったら、そんな暮らし方も悪くないと思うのだけれど、私はだめ。

却って精神的に疲れてしまいます。

 

ですから目先に目標を立てた計画的な暮らしをしないと、元気が出ません。

意志薄弱で、頑張りが効かないところがある私ですから。

その目標をやり遂げると、私の大好きなデスクワークを、まるでご褒美のように少しの時間、愉しみます

優先順位を決め、やり遂げるとノートにメモもよくしています

とは言っても、疲れると、メモもできなくなり、だらだらだらだら過ごすこともよくあるのですよ。

 

去年は、体力と気力の衰えが見られる自分と向き合いながら、良き暮らしのリズムを模索し続けました。

晩秋の頃になって、やっと私にとって理想的な暮らし方が会得できたように感じ、その方法をブログ上で書くつもりだったのですが。

まだその時ではなさそう。

相変わらず今も、多少の迷いがありますから。

 

 

何はともあれ、かけがえのない時間を心から愛しむ。

少しでも、私の理想がかなうように、家の暮らしを何よりも大切にして、素敵に過ごす。

そう願っています。

今、手にしている本に、私のその願いを実によく言い当ててくれている文章が載っていますので、ご紹介させていただきますね。

 

家での時間を見直すと、日常に小さな喜びを感じるようになります。
「期待値をあまり高く持たない」ということでしょうか。
限られた中で快適に過ごす方法を考えるようになります。
毎日、同じように続く、当たり前の日常は一見、「地味で普通」ですが、「私らしく」を追求していくと、心地よく満たされていきます。
「地味で普通だけど、私らしい」は、実は最強なのです。
未来は今の連続だから、今の日常がハッピーなら、これからもハッピーだと思えます。
お金をかけなくても、一輪の花を飾るだけで心は華やぎますし小さなキャンドルの灯り一つで癒されます。
質のいいオリーブオイルをかけて食べるサラダはとても美味しいですし、お気に入りの上質なタオルを使うと心も柔らかくなります。
すべてにお金をかける必要はありません。
使うところと使わないところを決めることで、快適な暮らしは手に入ります。

家で過ごす時間にこそ、幸せのヒントが隠されている。
限られた空間で快適に暮らすひと工夫をする。

 

 

ブログを綴っていると、素敵な一年になりそうな予感が、益々してきました。

自分を励ましてくれるこのブログの効用は、本当に有り難いもの。

この場を提供しいろいろご尽力下さっている、gooや日本ブログ村の社員の皆様に、感謝の気持ちで一杯です。

今年も一年間、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

次回からは、家族全員が集まって賑やかに過ごした大晦日、元旦の様子、我が家のお節にについても書きたいと思います。

 

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