今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

ブログの効用など徒然なるままに ~ 追記あり(2023年 3月29日)

2013-01-30 12:58:14 | ブログ

前回の記事で、最後に雪かきの事について触れましたが。

私は、単なる幻惑に囚われたのかしら。(笑)

そう思いたくなるほど、銀世界があっという間に、普段の変わりない風景へと変わっていました。

雪空が、瞬く間に澄み渡る青空へと。

でも私は確かに見たの。

粉雪が舞い、その雪がさらに深くなりそうな銀世界の光景を。

恐らく、急激な気候の変化のなしうる技だったと思う事にしましょう。

何だか前回ちょっと恥ずかしくなる天候記事を書いてしまいましたので、言い訳の弁です。(笑)

 

             

 

今日は、また自分のブログのお話し。

辛いことがあると、自分のブログを見つめ直す、内省的気分になってしまいます。

単なる戯言に過ぎませんが前向きのつもりです。

 

私のブログって、臆面もなく私生活を暴露し、結構内容も、具体的。

具体的に述べるは、私の文章作法の信条の一つなのですが・・・・・・

もっと多くの方々のためになるような普遍的な話題を時に取り上げれば。

私のブログが幾分かでもレベルアップし、見映えがよくなるかもしれませんが。

私の日頃の生活は、まことに平凡そのもの。

そんなマイペースの日常を、何よりも幸せに思う性格。

ですから話題も、身辺や家族のことが多くなり、今後もこの傾向を変えることは、到底無理そうです。

 

公開ゆえに、プライベートな日々の暮らしをご紹介するのは、多少気恥ずかしくもあり、心苦しさも共ないます。

その上、いつも長文ですから、ご覧下さる方々に、一層申し訳ない気持ちにも・・・・・・

それにもかかわらず、おおらかな気持ちで受け入れて下さる方が大勢いて下さり、恐縮の至りで、感謝に堪えません。

 

            

 

私は、ブログにどんな意義を感じているのかしら?

改めて問うたところ、いろいろ挙げることができます。

今まで良く述べてきたことは、老化が進行中の頭脳の若返り、感性が磨ける、日々の思いを確認し反省し、訪れる新しい日への英気を養うことができる。

その他、ブログの効用は挙げればきりがありませんね~

 

私は、三十代の頃から、人生の目標は何ですか、と人から尋ねられると、自己研さんに努め(これは全く叶えられていません笑)、一生成長し続けること、というのが口癖でした。

今もその気持ちに全く変わりありませんが、果たして成長できたかどうか。

何とも心もとなくて・・・・・・

亀の歩みに似て、一歩一歩遅い進歩を成し遂げてきた、と思うことにしましょう。

一時的には後退したことも、もちろんありましたね~

娘達が大学生の頃、母娘の確執が多少あり(遅い反好期だったようにも)、私は今振り返ると、その対応で反省することばかり・・・・・・

きっと後退していたのだと思います。

そのころは両親を介護中で大変な時期でもありました。

 

その時代にブログがあれば、もう少し内省的な暮らしができ、立派な母親として振る舞えたかもしれない、と思うとチョット残念、

とはいうものの、ブログ綴りなどする時間的余裕は、とても持てない多忙な時期でもありました。

 

          

 

他にも、意外なブログの効用が見つけられそう。

将来思わぬ事で役立つかもしれませんよ。

私の勝手な想像にすぎませんが。

 

将来、病の床に就き、身動きがとれなくなった時、家族に自分のブログを読んで聞かせてもらうのも、暇つぶしになっていいかしら、なんて考えることも。(笑)

先日新聞記事に、認知症の治療として「回顧セラピー」なるものが紹介されていました。

うろ覚えのため、名称が違っているかもしれません。

思い出を語り合う事で症状が改善する、といった内容だったように思いますが、万一私が認知症になったなら、ブログの記事は大いに役立ちそうですね~

娘達に読んで聞かせてもらい、思い出を語り合いましょう。

画面の画像を眺めるだけでも、すっかり虚ろな瞳になり果てた私の目が、きっと輝くにちがいありません。(笑)

孫達にも将来、カテゴリ―「孫」「家族」の記事を、たまには覗いて読んでほしいな~と、淡い望みを抱いているばぁばです。

 

たとえ私がこの世から消えても、私のブログ記事は何時までも、この世に存在し続けるのですものね。

そう思うと、なんだかチョット神妙な気持ちになってしまいます。。

もっと推敲にも力を入れて、いい文章を綴らなければ、なんて思い直したりして・・・・・

でも私は、今でも、過去の記事を読み返す事は、めったにありません。

過去の記事を読むと、なぜか書く自信を一気に失って落ち込むことが多かったので・・・・・・

そんな精神状態にはなりたくなくて、できる限りその行為は避けています。

 

但し半年くらい前からでしょうか。

時折り目にすることはあっても、以前ほどは落ち込まなくなりました。

書き慣れて、多少文章が上達してきたのかしら?

でも、やはり避けている行為であることには、変わりはありません。

 

1年以上前の事。

私はカテゴリーの分類をしていないことに気が付きました。

その区分けをしようと、記事を最初から順番に読み返し始めたことがあります。

恥ずかしくて仕方なく、いたるところ推敲しまくり。

同じ内容を、一記事に二度繰り返して綴っていることも多く、丸ごと削除したり、と思いも寄らない苦労に陥りました。

文章の苦手意識が強いにもかかわらず、身の程もわきまえないで長文を綴れば、ぼろが至る所に出るのは当たり前ですね~(笑)

三分の一ほど区分けを済ませた頃、そんな作業に嫌気がさし、途中で止めてしまいました。

 

できればいつかまた、カテゴリーに分類していない残りの記事もやり通したいとは願っているのですが・・・・

更に私が望むことは、カテゴリーの名称を、もう少し雰囲気のあるものに変えたい、なんて思ったりも・・・・・

でも今更、もうそれは無理そうです。

 

 

今も、日々の記事を綴る自信が持てず、幾分ストレスを感じる気持ちは、さほど過去と変わっていない私です。

文章を書くことへの苦手意識が消えないのは、文章を書くことが本当に好きではないのかもしれませんね~

この苦手意識が消えれば、どんなにブログ綴りが楽しくなるかしら、といつもいつも思うことです

 

          

 

でも、ブログ綴りでは、文章の上手下手なんて関係ない。

その人らしさが滲み出た文章が、一番素晴らしいのでは、と思ったりもします。

私の文章も、そういった意味では、私にしか書けない、幾分ばか丁寧な(笑)、私らしい個性的な文章なのかもしれません。

ですから、拙くても、誠心誠意、一生懸命綴ってきたのだから、これで良し、と思う事にしましょう。

内容もお出かけ嫌いなブロガーらしく、まことにドメスティック。

ハイレベルな内容とはとても言えませんが。

無理しないで、今後も私らしさを大切にしていこうと思っています。

思いがけない結論が導き出せて、私なりに納得。

今日のブログ綴りは、それなりの収穫がありました。

 

先程庭に出ると、お日様にも空気にも、確かな春の匂いが感じられたような・・・・・・

沈みがちな心がとても元気づけられました。

 

私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで問いかけさせていただいただけだったのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。

翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・

今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。

ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません

 

追記(2023年 3月29日)

一昨日、娘達と昼食を共にした時の事です。

ブログ2(2)にMさん関連の記事をまとめることも強く反対されました。

止めてほしい、と。

一切かかわらない。

見ない。

無視を通す。

これに尽きると。

ママの穏やかな余生があんな人たちのせいで波風立つのは見ていられない、と。

今迷いに迷っています。

これまで載せた記事には大事な記事が沢山抜けていました。

ですから、もう一度やり直し。

娘達の気持ちを思うと、これ以上この作業はすべきでないのかもしれません。

今熟慮中です。

 

 

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東京スカイツリー

2013-01-28 08:20:38 | ブログ

東京スカイツリー

この言葉から、私が一番心に思い浮かぶ事は。

大震災後のまるで世の中が途方もない闇に包まれたかのような頃。

その大きな揺れにも耐え、その後も着々と完成に向け工事が進み、天に向かってどんどん伸びていったことでした。

それは、委縮しきった私達の心に、希望を抱かせ、どんなに元気づけてくれたことでしょう。

建築現場が見えない私でさえそうでしたから。

目の当たりにされた方々、或いは日々遠くからでも、その様子を眺める事ができた方々にとっては、一層勇気を与えてくれる存在だったに違いありません。

 

今も、その闇をじっと見つめ、闘おうとする方々。

一方では、震災後のスカイツリーのように、いつも空を仰ぎ、未来への希望を失わないで、明るく生きようと努める人達。

どちらもそれぞれの立場で、一生懸命暮らしていること。

 

大震災数日後、次女宅に招かれた私達老夫婦。

不安を覚えながら、肩を寄せ合うようにして夕食を共にし、被災地へ思いを馳せていました。

その時、次女がしみじみ言った言葉が、今も忘れられません。

「風評被害が、一番心配」と。

 

私は福島の人達がこれ以上の重荷を背負うことが忍びなくて・・・・・・

色々考えさせられたことでした。

 

裏表なんて程遠い、真っ正直な人間のつもりですが、さらに批判され、悲しい限りです。

でも人それぞれ、見方はいろいろでしょうから。

ドンマイの精神でまいります。

 

あら、話しがそれそう。

今日の話題は、孫と出かけたスカイツリーについてです

土曜日に何処かへお出かけしようとなった時、品川の水族館、動物園等、候補がいろいろ挙がりました。

スカイツリーがK君の希望で挙がった時に、すぐさまそれに飛び付いたばぁばです。

 

最初に述べた印象から、一度訪ねたいと、以前から願って止みませんでしたから。

K君のお陰で、それが実現することとなり、可愛い孫のお伴で、嬉しさが一層膨らみました。

 

実は、その前日、下校後のK君をマンションにお迎えに行った時、隣のビルにある書店で、スカイツリーの本を買ってあげたばかりでした。

ですからそれが、予備知識を身に付ける上で、私は大助かり。

既に十分物知りで、いろいろ私に説明してくれるK君。

「明日は、K君が案内役ね。宜しくお願いします。」と頼んでおいたばぁばです。

電車に乗ってからは、二人で一章ごと、その本の読み合わせを小さな声でし合いながら、目的地に向けて心を弾ませていきました。

 

 

 

いよいよ電車が終点の押上に到着。

「ホームを出たらすぐ見えるよ」というK君の説明で、私の胸は、期待感でドキドキ。

徒歩4~5分足らずだったでしょうか。

ビルの合間から巨大な超高層の建造物が、最初に垣間見えた時、私の感動はまるで幼児のごとく。

感極まって、「わぁ~凄い!!!」と歓声。

 

 

歩みを進めるうちに、すぐその全貌の姿が目に飛び込んできました。

巨大!高い!美しい!

 

       

ただただ迫りくる圧倒感に心を躍らせて、じっと見入るのみでした。

無論ブロガーですから、シャッターを押しまくりましたが、K君が気になって集中はとてもできず。

私の腕の未熟さもあり、満足な写真は余りありませんが、これからはその時撮った画像を一気に紹介してまいります。

 

夜景を一瞬でも見て帰りたい、と願い、出発を多少遅めにした私達。

到着したのは12時過ぎでした。

まず広場で整理券をもらいます。

何とその整理券の受け付けは二時半。

まだ二時間近くありました。

その間に、昼食を摂り、K君が望むスカイツリーの立体パズルを苦労して探したりしているうちに、受付時間が迫ってきました。

ショッピングセンターのビルを出ると、到着時曇り空だった天空が澄み渡る青空に。

その青さを背景にそびえたつスカイツリーは、一層輝いて美しく、私の心を打ちました。

 

       

       

 

ところが、塔の下のビルに入館してからも、入場券の窓口に到達するまで、さらに40分位待たされる始末。

やっと入場券を手にすることができましたが、大人は最初の展望デッキまでが2000円(小学生は900円)、さらに展望回廊に上るために1000円。

憧れのスカイツリーでしたが、そう易々とは上に行かせてもらえません。(笑)

 

少々待ちくたびれ、K君もご機嫌斜めな雰囲気になる一歩手前でしたが、やっとエレベーターで、展望デッキに到着できました。

お天気にも恵まれ、富士山、東京湾、レインボウブリッジ、月島、隅田川、東京タワーなど、すべてが見渡せる素晴らしい景観にうっとりしてしまった私です。

傍でK君が、本を片手に、指さしていろいろ教えてくれました。

 

        

                    上記の説明の景観スポットとは違う場所ですが・・・・・・

               

 

まずは先に展望回廊まで登りましょうということで、そこそこの時間で一旦展望デッキを後にしました。

最初に乗ったエレベーターからは、そとな見られず、壁は四季をイメージしたアートパネルで飾られていましたが、二度目のエレベーターでは乗車口側から、そとを見下ろせます。

K君は、天井から見える塔の枠組みの鉄塔の姿に、目をキラキラさせ見入っていました。

 

展望回廊からの景観は、下の階と変わりませんし、展望ガラスの枠が細かく仕切られていて、写真を撮るのには向いていません。

一番高い所に登れたた、という満足感にはひたり、回廊を一回りして、また展望デッキに戻りました。

 

   

 

この塔の高さは、634メートルです。

その高さにした理由は、昔、東京のあたりは武蔵国と言われていたので、その6、3、4にちなんで決められたとのこと。

今何でも世界一を競って目指す世相がある中、それなりの意義ある目標高であったことに、何だか嬉しさを感じ、ほっとした私でした。

 

展望デッキに戻り、喉がもうからから状態だった私は、まずは一休みと、喫茶店に入りました。

 

                        

二人でおしゃべりを楽しみながら休憩し、幾分疲れをいやす事ができました。

でも夜景を見るには、まだしばらく時間があり、その間に写真をたくさん撮りました。

空は次第に夕暮れの色へと変わり、夕闇が忍び寄ってくるのが分かりました。

何と幸運にも、ほぼ満月と思われる満丸いお月さまが天空に掛かっています。

 

        

 

 

 

幸いにも、窓際にある数少ない席が確保できた私達。

そこに腰かけ、次第に夕日に染まり、夜の帳に包まれていく光のグラデーションを、味わいながら、、都内の景観が夜景の街に変わるのを、ひたすら待ちました。

夕日が沈む一瞬の光景を写真に収めたかったのですが、やっと確保できた席を離れてまで写す気力は、私には、もう残されていませんでした。

孫可愛さで、最後の元気を振り絞って、頑張っている時間帯でしたから。(笑)

 

          

          

          

          

拙い撮影で恥ずかしいのですが、上の写真の如く、都内の光景の色合いが移り変わっていきました。

夜景はまだ見たことがなかったK君はとても喜び、私も目標を達成でき、大満足。

五時半から点灯するスカイツリー。

それを目にした私は、一瞬意外感に見舞われました。

私はクリスマスの星色のイルミネーションの輝きを想像していましたから。

その色の印象は、ほとんどブルー。

その新鮮な美しい輝きに、また新たな感動を味わうことができた私です。

 

          

 

          

 

あぁ~何だか書きくたびれてしまいました。

最後を気の利いた文章で占めたいところですが、もう今日はこれで終わりにします。

一旦投稿し、後程家事の合間に、ぼつぼつ推敲していくつもりです。

 

先程カーテンを開けると、そとは銀世界で、仰天!

昨日、孫が帰ったばかりで、疲労が抜けていない体での雪かきは、少々我が身には酷。

でも頑張らなくては・・・・・・・

皆さまの街の天候は如何ですしょうか。

でも寒明けまで、もう少し。

老体ながら、元気を出してもうひと頑張りすれば、春ですね。

愛しい日々を大切に過ごしてまいりましょう。

 

私事の超長文の思い出記事を最後までお付き合いくださいました皆さま、本当にありがとうございました。

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孫とのお出かけ

2013-01-26 04:31:24 | ブログ

タイトルが目を引く記事だったのでしょうか。

内容は、手を抜いた実に味気ないものでしたのに、なんと注目記事の1位に。

とんでもない!と、恥ずかしさでいっぱいです。

料理ブログに載せたレシピもすべて、私の古い記事のコピぺでした。

興味を抱いて立ち寄り、ご覧下さった方々には、申し訳なく思います。

 

昨夜、床に就いたのは10時でしたが、なかなか寝付けず・・・・・・

隣には次女の長男のK君の可愛い寝顔がありました。

 

ところが今朝は二時過ぎに目が覚めてしまい、眠れなくなってしまいました。

誤解を招きかねない、一方的なつらい記事があり、そのためかもしれませんが・・・・・・

お気づきになった方には、皆様のご判断に任せるしかありません。

弁解は一切しないつもりです。

 

昨夜はショックでしたが、可愛いK君の言動に慰められ、何とか自分を支えることができました。

今日は、二人で素敵な観光スポットに出かける予定です。

今日行くと、K君は二度目のようですが、私は初めて。

K君の要望で、急きょ決まったことです。

とても楽しみにしています。

 

でも睡眠が4時間弱では、体力が持つかしら。

今週は週初から、体調が思わしくなかったため、孫を預かる週末に備えて、体力を調整し、元気になることを優先して暮らしてきました。

そのためブログもしばらくお休みした私です。

これは単なる言い訳。

題材が尽きたからかも。(笑)

 

ブログなんか書いていると、睡眠不足もたたり、今日のお出かけの途中でばててしまいそう。

朝の目覚めながら、幾分落ち込んでいる自分を元気付けるため、簡単に綴らせていただきました。

今から家事を多少こなし、もうひと眠りできるといいのですが。

そして元気いっぱい、孫とのお出かけを楽しみたいものです。

 

                                           真っ黒焦げの野菜たっぷりのミ―とローフ

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横着極まりない記事

2013-01-24 13:25:14 | 料理

転載で、まことに横着な更新です。

申し訳ありません。

興味のない方はスル―して下さいね。

久しぶりに料理ブログに載せた記事を、そのまま丸ごと投稿することにしました。

 

またご無沙汰してしまいました。
体調が今ひとつで、料理ブログまで手が回らない状態でした。
味覚が多少変調をきたしているらしく、何を頂いても余り美味しく感じられません。
そのため、お料理にも、今ひとつ打ち込めない気分でいました。
心から美味しい、と自らが思わないと、料理ブログに載せる気になれないものですね~
今後に役立てるために、気に入った献立は、記録として残したい気持ちは山々なのですが・・・・・・
娘には、「料理ブログを続けるのは、年齢的にも、もう無理じゃない?止めれば」とよく言われるこの頃です。
でもまだ、なんだか未練があって・・・・・・(笑)
気ままにぼつぼつですが、もう少し頑張って見ようと思っていますので
今後とも宜しくお願い致します。

 

レシピ付き献立 サバの塩焼き・大根飯・ちくわとじゃが芋の煮物・オクラときゅうりの甘酢漬け・けんちん汁









大根飯

<材料>4人分


米・・・・・・・・・・・・・・3カップ
大根・・・・・・・・・・・・・250g
油揚げ・・・・・・・・・・・・2枚
サラダ油 酒・・・・・・・・・各大匙1
しょう油・・・・・・・・・・・大匙11/2
砂糖 ・・・・・・・・・・・・小匙2



 だしまたは水・・・・・・・・・・3カップ 
 酒・・・・・・・・・・・・・・・大匙1 
 しょう油・・・・・・・・・・・・大匙2 
 砂糖・・・・・・・・・・・・・・小匙2

大根の葉 塩 各少々

<作り方>

①米は炊く30分前にといてザルに上げ、水気をきっておきます。

②大根はマッチ棒よりやや細めの棒状に切ります。大根の葉は塩ゆでにしてみずにもさらし、水気を絞ってみじん切りに。
(今回の写真は、細ネギを散らしています)

③油揚げは熱湯をかけて油抜きをし、縦半分に切って、さらに小口から5mm幅の短冊切にします。

④鍋を熱してサラダ油をなじませ、②の大根を入れて炒め、油揚げを加えます。

⑤④に酒、しょうゆ、砂糖を加えて水分がなくなるまで炒め合わせ、米を加えて全体の混ぜながら炒めます。

⑥⑤の米が熱くなったら炊飯器に移し、Aを加えて炊き込みます。10分ほど蒸らして混ぜ合わせ、大根の葉を彩りよく散らします。






じゃがいもとちくわの煮物(4人分)

<材料>

ちくわ・・・・・・・・・・・・・・・・・大2本
じゃが芋・・・・・・・・・・・・・・・・大4個
さやえんどう・・・・・・・・・・・・・・適宜

<作り方>

① じゃがいもは一口大に切り、面取りする。十分程水に付け水切りします
  油大匙2を入れ、強火で炒めます。

② 湯通しして2~3センチに切ったちくわも入れて炒めます。

③ ②にだし汁3/4カップ(150cc)を入れます。

④ お砂糖大匙3、お酒大匙2、塩小匙1/2強で味付ける。
  おたま一杯くらい、だしを足しても良い。

⑤ 紙ぶたをし、弱火で煮て、最後にしょう油大匙2を入れます。

⑥ 軽くゆでたいんげんを仕上げに入れ、3分蒸らします。

素朴なお料理ですが、私が好物の一品です。





たことオクラの甘酢和え

<材料>2人分

たこ(ボイル)・・・・・・・・・・・150g
オクラ・・・・・・・・・・・・・・3~4本
しょうが・・・・・・・・・・・・・少々

 酢・・・・・・・・・・・大匙3
 砂糖・・・・・・・・・・大匙11/2
 塩・・・・・・・・・・・小匙1/2

塩・・・・・・・・・・・・・・・・少々


<作り方>

① たこは小さめの乱切りにし、よく混ぜ合わせたAの甘酢にしばらく漬けておきます。

② オクラは塩で軽くもんで沸騰した湯に入れ、さっと色よく茹でて水に取ります。冷めたら、水気を切って小口切りにします。
  しょうがはせん切りにして水にさらし、水気を切ります。

③ ②のオクラに甘酢ごとたこを混ぜ合わせて器に盛り付け、しょうがをのせます。






けんちん汁(2~3人分)

<材料>

大根・・・・・・・・・・・・・・・・・100g
人参、ごぼう・・・・・・・・・・・・・各20g
こんにゃく・・・・・・・・・・・・・・1/4枚
豆腐(もめん)・・・・・・・・・・・・1/3丁
三つ葉・・・・・・・・・・・・・・・・1/4束
煮干しだし・・・・・・・・・・・・・・煮干し25g 水31/2 カップ
塩・・・・・・・・・・・・・・・・・・適量
薄口しょうゆ・・・・・・・・・・・・・小匙1
ごま油 ・・・・・・・・・・・・・・・大匙1

<作り方>

① 大根は薄いいちょう切り、にんじんも薄いいちょう切り、または半月切りにします。
  ごぼうはたわしで皮をこすりながら洗い、縦半分に切ってから斜め薄切りにして水にさらします。
  こんにゃくは塩少々を振ってもみ、包丁の腹で軽く叩いてから水洗いし、水気を切り、短冊にします。

② 豆腐はふきんで包んで手で軽く押さえるようにしながら水を切ります。

③ 鍋に煮干しのだしの材料を入れて中火にかけ、煮立ったら弱火で10分ほど煮ます。
  汁の色が、薄く色づいたら火を止め、網じゃくしで煮干しを取り出します。

④ 別の鍋を熱してごま油をなじませて、大根、ニンジン、ゴボウ、こんにゃくの順に入れて強火で手早く炒めます。

⑤ 豆腐を手でちぎりながら加えて、さっとひと混ぜします。

⑥ ⑤に煮干しだしを加えて、煮立ったら弱火にし、アクを取りながら5~6分煮ます。
  野菜が柔らかくなったら、塩小匙1/2と薄口しょうゆで調味し、2センチ長さに切った三つ葉をちらして仕上げます。

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海外出張へ旅立つ次女

2013-01-19 07:08:26 | 家族

前回の記事で、明日の事が予測が付くようで付かないのが人生、と書きましたが・・・・・・・

アルジェリアで人質になった日揮の社員のご家族の方々は、まさにそんな思いで、突然の事件に驚愕し、悲嘆にくれておられる事でしょう。

或いは、不穏な情勢の国ゆえ、明日の身の危険は常に感じながら、覚悟のお仕事だったのかもしれません。

毎朝起床時、日中も度々gooのニュース等をチェックして、全員無事救出、という朗報を待っている私ですが・・・・・・・

楽観は許されない事態のようで、胸が痛みます。

今朝は、さらに4人の日本人の安全が確認されたと知り、幾分ホッとしています。

今回の事件は、過去に植民地支配をしていたフランスが、軍事介入もし、深くかかわっている国とのこと。

数年前にあったパリの地下鉄のテロ事件も、イスラムの過激集団によるもののようです。

また嫌な事件が起きなければいいのですが・・・・・・

 

               

 

実は明日、次女がパリへと、一週間の出張に旅立ちます。

何だかちょっと心配しないではおられません。

我が子二人の世話を、旦那さんに預けての旅立ち。

私の心配をよそに、Mちゃんの話しでは、主婦業から解放される、希少な最高に楽しい時間とのこと。

今勤める会社では花形の広報の部署で働くようになったのも、パリ出張中、開かれたホテルでのパーテイーで隣席した上司に気に入られ、引き抜かれたからでした。

ある商社から転職し、数年経過した頃のお話です。

 

商社では、帰宅が午前様、といったことが頻繁で多忙を極めていました。

ベトナムへ転勤で、一人暮らしで二年間、駐在したこともあります。

ハノイ大学に一年間、留学の経験もさせてもらった娘です。

 

その転勤の発令も、娘のこととはいえ、明日の我が身は予測できない、という言葉が当てはまりそうな、晴天の霹靂の出来事でした。

妹、夢路が、

「お姉さま、本当にいいの。大切なな娘を一人でそんなところに行かせて」

と言ったのが、今なお記憶新しく、思い出されます。

意外にのんきなところもある私。

会社の命令だから仕方がない、との思いで、その頃はいました。

まだ発展途上国の国ゆえ、治安も良くないのでしょう。

出勤、退社は、すべておかかえの運転手付きでしたから、幾分安心できましたが。

 

とても良い経験をさせてもらい、帰国後も、会社のアニュアルレポートの小冊子の表紙に娘の写真を載せてもらったりと、大変お世話になった会社ですが、なにぶんにも、仕事の忙しさが半端ではありませんでした。

 

  

仕事と結婚の両立は無理との判断で、今の外資系の会社に転職した次女です。

長女のMちゃんも、まったく同様の理由で、育児休暇中に、今勤める外資系の会社に転職しました。

 

お給料は幾分下がったのでは、と思いますが、良い選択だったと、私は今働く娘達の楽しそうな姿を見て、しみじみ思います。

家事との両立を果たさなければならない娘達。

仕事が辛そうでは、母親として見るに忍びませんが・・・・・・

仕事が楽しい、と言ってくれるほど、有難く心が休まることはありません。

外資は、保守的な日本の会社と異なり、自由闊達な雰囲気があり、出勤時間も服装も割と自由ですから、女性には向いた職場かもしれませんね~

 

また次女に話しを戻しますが、今回のパリ出張において使用するビジネス用語は、ほとんど英語のようです。

自分の国の言語への誇り高いお国柄とはいえ、英語の優越は越し難いのでしょう。

 

次女も長女も頑張り屋さんで、英検一級の資格を、社会人になってから取得しています。

次女は更に頑張り、かれんをお腹に抱えている育児休暇中、K君が保育園にいる間にフランス語も猛勉強。

そしてついに、フランス語の一級の資格も取得しました。

私がこのブログを開設し、数カ月たった頃のことです。

記事でも触れましたが、ご記憶の方は先ずいらっしゃらいませんでしょう。

勉強中、旦那さまから、大学を受験した時の気概を思い出して頑張れ!と度々励ましてもらったようです。

 

もともと才能に恵まれた長女と違い、お姉ちゃんに追いつきたい一心でひたすら努力を重ねて頑張ってきたような若い頃のMちゃんです。

その努力を、三十代、四十代になっても忘れず、夢を追い続けているようにも見えます。

お婿さんの絶大なる支えがあってのことと、Hさんにも心から感謝しています。

 

一週間の出張は楽しいとはいえ、大変な苦労もあるに違いありません。

行き先の国が関係するテロ事件も中東で起きているので、くれぐれも気を付けて、お仕事に励んで下さいね。

私も留守中には、多少の手助けができるように頑張るつもりですが、なんと旦那さまがインフルエンザにかかってしまいました。

このことについては次回の記事で、さらに詳しく書きたいと思います。

 

二日連続で綴るの、最近では珍しい事ですが、出張に出かける娘に送りたくて、書きました。

 

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ブログの題材に事欠きはじめた私

2013-01-18 07:10:34 | ブログ

何だか、、最近ブログ綴りへのストレス、或いは倦怠感かしら?

そんな気持ちが、また多少湧いてきたような・・・・・・

ストレスは、ブログ開設当初は、自信もなく、慣れなかったせいで、日々感じていたことでした。

途中で短いお休みは幾度かしたものの、二年以上ほぼ毎日、最近は1日おきですが書いています。

お出かけ嫌いで、家事にばかり勤しみ、平々凡々な暮らしを送ってきた私ですから。

こんなにまめに記事を綴ってきたなんて、奇跡に近いと思えるほどで、自ら驚いています。

 

よく思い起こすと、平々凡々とは言えなかったかしら。

二年の間には私事に限らず、結構山あり谷ありの人生だったようにも・・・・・・

 

            

 

            

何と申しても、3.11の大震災の津波と原発事故。

政情も混迷を極めましたし・・・・・

個人的には、夫の肝臓がんの数度の手術。

私の頸椎のだるさと痛み、息苦しさ等、原因不明の辛い症状。

白アリや台風による私の住まいの被害など・・・・・・

 

トラブルや悩ましい事ばかりではなく、嬉しい出来事もありました。

私の四番目の孫、かれんの誕生。

私の初孫のR君の思いがけない難関校の中学受験突破。

思いがけないなんて言ったら、R君に失礼ですね~(笑)

ささやかな旅行も、幾度か楽しみました。

その他にも、楽しい事がたくさんありました。

 

振り返れば、決して平たんな数年とも言えず、喜怒哀楽色々あり、その思いをブログに綴ることで、自分の気持ちを確認し、一歩一歩堅実に歩みを進めることができたようにも思います。

ブログのお陰で、自分の弱さも乗り越えられたのかもしれません。

 

疲れやすい体質上、自分の記事を書くのが精いっぱいなのが現状です。

ゆえにコメントを受けるのも、書くのもほとんど失礼している身にもかかわらず、声にならない大勢の方々の温かな応援と励ましをいつも感じながら、今日まで幸せなブログ生活を送らせて頂きました。

 

            

                                                    グリーンアイス

                        寄せ植えに植え付けてある小輪のバラです。 
                         

 

最近の辛い出来事と言えば、夫の体に、いったんは消滅したC型肝炎のウイルスが蘇生してしまったことでしょうか。

ゆえに、旦那さまの身を案じる生活は以前と変わりないながら、夫の手術前後や、震災時に比べ、はるかに平穏な日々を送ることができています。

自分の体にも、のどの異常な渇きなど、懸念すべきことはありますが・・・・・・

恐らく、自律神経の失調によるものでしょう。

自分を激励するために、我儘病と思うようにしています。(笑)

 

ですから、多くの困難に遭遇しながら頑張っておられる方々、あるいは積極的にお出かけし、多彩な趣味を楽しんでおられる方々に比べ、私の暮らしは、変わった出来事でもない限り、やはり極めて変哲のない暮らしです。

それゆえか、最近ブログ記事の題材が、いよいよ尽きてきたようにも。

そういえば載せる写真も。

これって、私にはかなり心細い事で、ブログ生活に幾分のストレスがのしかかってきます。

 

書きたいことが泉のごとくあり、自分の心情を素直な気持ちで日々綴れる状況が、ブロガーにとっては一番幸せな事ですものね。

今までも頻繁に、題材が尽きる不安を抱いてきた私ですが、不思議とPCの前に向かうと、このことを書きたい、と思い浮かぶ話題に恵まれてきました。

今後も、今程度の頻度で楽しく綴れ、更新の継続が途切れなければ、嬉しいのですが・・・・・・

今、つき当ろうとしている壁は、今度こそ厚いかな、と思っています。

 

                 

                                 グリーンアイスの蕾

 

しかし悩むほどのことではないのでしょう。

私は、毎日お休みなく記事を書くことを自分に課しているわけではありません。

1日おきに書いている今も、その思いは同じです。

綴りたいことがあるので、綴ってきただけ。

 

書く作業には、それなりの集中力を要しますし、貧弱なボキャブラリーから、適切な言葉を選び文章にしていく作業は、決して楽なことではありません。

書き出しで調子が出ると、文章の流れに乗れ、キイボードを打つ手がスムーズに動く方ですが。

そうは言っても、かなりのエネルギーを消費します。

書き終わると、ほっとした気持ちと同時に、それなりの疲労感に見舞われますもの。。

 

けれど、心は実に自然体のつもりでいます。

てらいも気取りもなく、素直な気持ちで書いています。

でも長女にいつか言われましたね~

「ちょっと文が気取った感じがする」って。(笑)

文章から皆さんが受ける印象より、実際はもっとかなりいい加減で、がさつな人間です。(笑)

 

楽しさ半分、苦労半分のブログ。

幾度も壁にぶつかりながら綴ってきましたが、今回の壁が厚いなら、無理して突き破ろうとしなくてもいい。

心から書きたいと願う題材が見つかるまで、お休みすればいいだけですものね。

このようなスタンスでブログに臨んでおられる方は、大勢いらっしゃいますもの。

 

或いは、気の利いた数行の文のみで、空白は写真で埋める。

楽で良いと思うのだけれど、素敵な文章で短くまとめる才能は、そう簡単に身に付けられるものではありません。

詩情豊かな感性と文才がないといけませんもの。

写真の腕も、まだ初心者そのものの域のままです。

(追記 お断りしておきますね。このようでないといけない、と言っているわけでは決してありません。

極めて短文の記事の場合の、私の理想論を述べているにすぎませんから。笑)

 

といったところで、休む事もいとわず、心から書きたいと思うことに出合うまで待って、のんびり綴りましょう、という思いに。

こんな単純な結論に自分を導くために、随分回りくどい文章を書いてしまいました。

申し訳ありません。

 

私がブログを話題にした記事を書いた時には、ブログ生活に行き詰まりを感じている時、と思って、適当に聞き流して下さいね。

綴ることで、自分の気持ちを整理しようとしているだけですから。

 

でも、明日のことは、予測が付くようででつかないのが人生です。

何が起きるかわかりません。

自分の気持さえも、読めない事が。

明日は明日の風が吹くで、起きたならまずPCに臨み、その時の自分の気持ちに素直に向かい合いましょう。

そして、また書くことが何か思い浮かべば、今までと変わりなく綴っていく事に致します。

 

こんな私ですが、今後とも、変わりないお付き合いの程、宜しくお願い致します。

 

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雪景色に亡き母を想う

2013-01-16 06:43:39 | 想い出

一昨日は、久しぶりに本格的な雪が舞い、そとはたちまち銀世界へと。

元気な子供たちが、嬉々として子犬のように雪道を駆けまわる姿を想像していましたが・・・・・・

今の時代、もはや懐かしい光景になってしまったのかもしれませんね~

高齢化で子供たちが少ない我が家の周辺は、静寂そのもので、車の通る気配すら感じられませんでした。

でも私の孫達は、恐らく庭で雪遊びを思う存分楽しんだのではないかしら。

今は中1になるR君が、受験勉強中に、自分の背丈より高い雪だるまをこしらえ、娘が携帯で、それを見せてくれたことを懐かしく思い出します。

 

            

 

成人になられ、振袖をお召しになった嬢様方は、お出かけの際は、さぞかし大変な道程だったに違いありません。

でも、晴れ着が白のベールに包まれた銀世界で、いっそう艶やかに映り、人目を引いた事でしょう。

余りに不運なお天気で、お気の毒過ぎはしましたが。

 

私は、一面銀世界の光景を目にした際、、いつも最初に心に浮かぶのは、母の告別式の日の雪景色です。

一昨日のように、突然訪れた雪の乱舞。

前夜から降り始め、都会ではめったに見られない、十数センチの積雪でした。

その純白の光景が、母の死の悲しみを一層深くする一方、私の心を優しく慰めてもくれました。

しかし、母の棺が居間に置かれている夜、私はただただ悲しく泣き崩れた状態で、涙が枯れて果てるほどでした。

そして高熱が出て、寝込んでしまう始末。

情けない姿になり果てた私とは違い、妹夢路は、実に気丈に振る舞ってくれました。

母の棺の前に、子供達を集め、まるで母に聞かせるかのように、共に愛唱歌を歌っていました。

おばあちゃん子だった私の娘達や我が子の悲しみを察して、懸命に励ましてくれたのでしょう。

その姿は、今思い出しても胸を打ちます。

 

            

 

私の年齢にほど近い頃から、認知症が進み始めた母でした。

父の心配を察し、我が家で母を引き取り、同居し始めたのは間もなくの事。

父は、実家を離れ難く、しばらく一人暮らしをしていましたが、その後はやはり同居。

 

最後の数年は、入退院を繰り返していた母でしたが、医療ミスとしか思えないような事で、突然亡くなりました。

認知症が重くなり、幼子に戻った母は、可憐そのものな性格で、私を頼りきっていました。

妹曰く、「まるでお姉さまの影のよう」

その位、私の傍を離れませんでした。

 

実家が造り酒屋で、十数人の子供達の末っ子。

母専用の子守が付くほど恵まれた家庭環境で育てられた母でしたが。

嫁いでからは、広島で被爆、その後、結核を患ったりと、一転、苦労の多い暮らしに変わりました。

初々しくて可憐な表情の娘時代の写真と、結婚後しばらくの写真が、まるで別人のように変わって見えます。

苦労を重ね凛とした母の表情には、違った美しさを感じる私ですが、戦時中に嫁ぎ、戦後の物資が乏しい中で私達を育てるのはさぞ大変なことでしたでしょう。

私に似て体が弱く、疲れるとよく床についていました。

でもとても気丈で、芯の強い母でした。

ですから歳を取るまでは、母が弱音を吐くのを聞いた覚えが、ほとんでありません。

 

            

               

                       雪に埋もれていた寄せ植えですが、いつもと変わらない元気な花姿

 

その母が亡くなった年齢に近づこうとしている私です。

でもまだ、その歳に到達するには五年以上ありますが。

 

先日、母の実家、造り酒屋の前々代の当主の奥様に当たる伯母から、松の内が明ける前に、突然電話がかかってきました。

当主の奥様らしく女将のような風格で、とても美しい人ですが、伯父が亡くなった時に会ったのが最後。

久しくご無沙汰しています。

 

電話口から、聞き覚えがかすかにある声が響きました。

「Mちゃんですか?Mちゃん?S子です。」

聞き取りにくくても、声色ですぐ判りました。

「S伯母様ですね。お元気でいらっしゃいますか。ご無沙汰で申し訳ありません」

といった月並みのご挨拶から始まりましたが・・・・・

お電話をかけて下さったのは、お年賀状のお礼でした。

「読んでとても嬉しかったので、電話をかけたのよ~」と。

添え書きした数行の文章が、心に響いて下さったのでしょうか。

懐かしい声のお言葉が、心にとても染み入りました。

ご年齢を伺ったところ、何と、九四歳になられたとのこと。

そんなお歳に!と思わず驚き、そのご年齢にしては、口調のしっかりしておられるのに感嘆した私です。

「Mちゃんが、お母さんが亡くなった年齢に差し掛かろうとしているのだもの、私が年を取るのは当たり前よ~」と言って、笑っておられました。

歳月の流れは、「光陰矢のごとし」といいますが、その言葉を改めてしみじみ実感した私です。

 

            

 

私達は母の実家を、いまだに本家と呼んでいますが、その本家の手配だったのでしょう。

大雪の日、母の郷里の人達が貸し切りのマイクロバスに乗って、母のお葬式に駆け付けてくれました。

恐らく一昨日同様、交通マヒ状態だったにもかかわらず、貸し切りバスに乗って雪道を馳せ参じて下さった伯父や伯母様達。

ほとんどが亡き人になられましたが、その方々の切なる優しい心情も思い出し、母への想いを雪景色を見ながら、一層深くした私です。

 

お話は一転変わり、雪掻きの話題。

この老体を鞭打って、昨日の朝、二時間近く頑張りました。

ご近所の方七人でしたが、何とか我が家の周辺道路の雪を隅に寄せ、安心して歩ける通路ができました。

終了後に、即ベッドに。

その位、ぐったり疲れた私です。

夫は風邪を引き、まだ回復とは言えない状況でしたので、渋々私一人で請け負いましたが、午後からは散歩に出かけた旦那さま。

「ご近所を大きな顔をして歩いてはだめよ!」と、私はちょっぴり皮肉を込めた一言を、夫に投げかけました。(笑)

 

実は一昨日の夕暮れ時、次女から電話。

「今からH(旦那さん)がK(小一の息子)を連れて、ママの家の雪かきをしに行くから」

「本当!助かるわ」

「ママの家の周りをすればいいのでしょ?」

「そうはいかないわよ。前のお宅の道路側も一緒にしてね」

とお願いはしたものの、彼らが想像する以上の重労働ですから、私は遠慮がち。

「いいの、いいの。Kもおばあちゃんのうちの雪かきをしたいって張り切っているから」と。

そこまで言ってくれるのなら、と私は次第に厚かましくなり、お隣のスーパーでのお豆腐と牛乳の買い物までお願いしてしまいました。

 

そして期待して待った私ですが、待てど暮らせど、到着しません。

日は暮れる一方です。

恐らく交通手段がないのでは、と思いはじめていたところ、娘からまた電話。

やはりその通りでした。

マイカーでのお出かけは最初から諦め、タクシーかバスを利用するつもりだったようでしたが。

お買い物は済んでいたのに、諦めざるを得なかったようです。

 

チョット残念だったけれど、次女夫婦の優しい気遣いに触れ、心温まる思いがしました。

 

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睡眠導入剤

2013-01-14 07:14:08 | 健康

毎日、良いお天気ながら、厳しい寒さが続いています。

昨日は、冷たく張りつめたような空気が幾分和らぎ、ほっといたしましたが・・・・・・

今日は打って変わり、霙混じりの、一層寒さ厳しげな空模様です。

成人の日ですのに、あいにくのお天気で、振袖をお召しになるお嬢様方は、お気の毒ですね~

足元にお気を付けてお出かけ下さい。

 

           

 

皆さまは、お風邪など召していらっしゃいませんか。

我が家は夫婦揃って風邪を引き、私はすでに一週間近くになります。

夫は一昨日辺りから、その症状が出始めました。

もしかすると私の風邪が移ったのかしら。

先日、病院の診察時にも、咳の出ることを医師に伝えたのですが、お薬は頂けなくて・・・・・・

喉は赤くなかったようです。

 

その後も咳込みがひどく、夜が熟睡できませんでしたが、やっと治まってきました。

睡眠にまつわる、あまりに恥ずかしいお話しがあります。

正直に語ることを旨とする私のブログ。

思い切って、しゃべってしまおうかしら。

でもやっぱり恥ずかしいな~

エイ!しゃべっちゃえ!と自分を勇気づけ、語ることに。(笑)

 

            

 

実は、夏ごろから私の最大の悩みに、夜が熟睡できないことがあります。

その理由は、のどの渇きが異常といってよいほ程ひどく、大量に水分を摂るため、夜中に生理現象で幾度も目が覚めます。

具体的に述べるなら、ほとんど三回起き上がり、トコトコお出かけする始末。

厳しい寒さの今の時期は、温かなお布団から抜け出す決断力には、相当なエネルギーを要します。

本当に辛い苦行ですが、こればかりは辛抱できません。(笑)

睡眠時間は50代の頃から、ずっと6時間弱の私。

こんな状態でさらに咳込んでは、夜ほとんで寝ていないのも同然。

ですから体調が悪いのは当たり前かもしれませんね~

喉の渇きがひどくなってきた8月ころから、睡眠の悩みが尽きません。

 

更に恥ずかしい話題がありますが、文章の流れをスムーズにするために、後回しに。

気分が向けば、触れさせていただきますね。(笑)

 

            

 

ですけれど、先日病院で診察を受けた時は、お薬一つ頂けませんでした。

一番不安に感じていることが、糖尿病であること。

夏ごろからの辛い症状と、それ以前の頚椎の痛みと息苦しさも、もちろん伝えました。

 

先生は、「最近痩せましたか?

太りましたか?

顔の表情が変わった、と周りの人に言われませんか?」

等と、矢継ぎ早に質問を受けましたが、私は「いいえ」の返事ばかり。

「食欲不振でも痩せないのは、甘味飲料水や乳製品、果物などを大量に食べているせいかもしれません」と、お話ししました。

年末からミカン箱は、既に二箱目も注文し取り寄せた私です。

喉の渇きを潤すために、日々7~8個は食べていますよ。(笑)

 

診察後の先生の感想は、「目もきれいだし、のども赤くありません。

お話を聞き、表情を見る限りでは、糖尿病ではなさそうですね~」

とのことでした。

 

            

 

問診による先生の診断ですから、私はむろん納得したわけではありませんが・・・・・・

夫の担当医と違って、雰囲気はとてもいい先生でした。

予約外の初診の患者さん担当の先生ですから、まだ青年医師といった感じ。

でも語り口が温かで、威圧的なところがなく、患者さんの目線でお話し下さり、、すべてを受け入れて下さりそうな包容力と優しさをたたえておいででした。

どことなく、手術を受けた渋谷のN病院の担当医、T先生に似ていらっしゃいます。

 

実は診察を受ける前、看護士からも、私の症状についてかなり細かい問診を受けています。

その際、総合病院で診察を受けたことがほとんどない私が、認識を再度、新たにすることがありました。

既に記憶がおぼろげで正確にお話しする自信はありませんので、あしからずご了承くださいね。

 

「次回からこの病院に来る際には、まずかかりつけ医による診察後にして下さい。

あなたのような患者さんは、通常は受け付けていませんが、今日は特別、先生に回します」

といった感じの内容でした。

私も、異論はなく、重病でもない私が大病院の医師の手を煩わすのは、少々申し訳ない気がしました。

夫が診てもらうついでに、といった気持と、被爆者の健康診断が念頭にありましたので、ついつい軽率な行動を取ってしまった私です。

 

先生とのお話の途中でも、看護士から注意された旨お伝えし、お詫びしました。

その時のお答えは、「確かにそうですが、構いませんよ。今後も私が診ていきましょう」とおっしゃって下さり、次回も予約外の受け付けにするように言われました。

さてさて来週の血液検査の結果は如何に?

それが分かるまでは、もう取り越し苦労をするのは止めにして、まずは質の良い睡眠が取れるように、努力しましょう。

寝付きはとても早い私で、問題はないのですけれど・・・・・・

 

              

 

最後に最高に恥ずかしい話題に戻しましょうかしら。

語るには、とてもとても勇気がいりますが・・・・・・

 

実は数日前、夫から睡眠導入剤を一粒貰いました。

夫は肝臓の手術後、目の難病も見つかり、一時寝つきが悪くなり、入院中から使用し始めました。

今は時たま服用する程度のようですが、常備しています。

 

夏頃でしたか、私はその睡眠導入剤を夫から貰い、割って1/2錠にして服用したことがあります。

その時、とてもよく眠ることができました。

ですから、また服用することにより、夜中に起きないで熟睡ができれば、日々の疲労感が抜け、体が軽やかになるのでは、との大いなる期待を持って飲み込みました。

その期待は裏切られず、いつになく体調も良くフットワークも軽やかになった、ここ二日間の私です。

 

但し、とても気がかりなことがありました。

もし熟睡してしまったら、粗相をしてしまわないかしら、と。(笑)

日頃の私の真夜中の行動を慮れば、確実視されるようなことだと思ったのです。

 

ところが旦那さまの応え方は、

「睡眠導入剤は、睡眠薬ではないよ。寝つきをよくする薬に過ぎない」と。

そんな心配は無用といった感じでした。

 

「そうかな~何時か使用した時、とてもよく眠れたわよ。睡眠薬の効用もあるんじゃあないかしら?」

と反論した私ですが、夫の言葉を信じて、今回は一錠を飲みほして床に就きました。

 

その結果は?

とんでもないことに。(笑)

ご想像にお任せします。(笑)

 

            

 

            

でも熟睡できたお陰で、蓄積疲労が解消し、とても嬉しい私です。

体力は人並みとは言えない虚弱体質ながら、お医者様嫌い、お薬嫌いの私の人生でしたが、睡眠導入剤の効用には感動しています。

一昨年の夏ごろでしたかしら。

酷い息苦しさで悩んでいた頃、飲んだ精神安定剤とは違います。

今回のお薬は、あとに引きません。

定刻通りに目覚め、気分もさわやかです

その時は強制的に眠らされ、起きた翌日も日中、頭がぼんやりし家事が全くはかどりませんでした。

こんなお薬、二度と使用したくない、と思い、その気持ちをこのブログでも綴りました。

 

この度のお薬には、そのような後遺症はないようです。

ですから、せめて一週間に一度程度利用し、蓄積疲労の解消に努めることができれば、と。

そうすれば、もっと元気な老後を今後送れるのではないかしら。

もしかすると、私の体調不良の原因は、睡眠の質が悪いだけ。

そんな単純なものだったりして・・・・・・

自己診断は、相変わらず好きな私です。(笑)

 

しかし粗相をしない対策を医師に教えていただかなければ・・・・・・(笑)

とてもとても恥ずかしい締めくくりですが、うら若き乙女の頃とは違い、羞恥心もなくなってくるお年頃の私。

恥を忍んで正直に綴りました。

大変失礼申し上げました。

今日の記事のことは忘れて下さいね。

 

              

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旦那様に異常がなく、まずは安堵

2013-01-12 09:15:18 | 病気

今日は、昨日の続編です。

 

いよいよお互いが診察を受け、今後の運命が決まります。

何て、あまりにオーバーな表現。(笑)

でも自分のこと以上に、夫の血液検査の結果が気になります。

 

二人して仲良く並んで長椅子に腰かけ、名前を呼ばれるのを待ちました。

「お前は五番目だったから、俺より早いよ」と言う旦那さま。

私が知らないうち内に、早くも私の順番まで確認してくれたようです。

 

ところが、夫の名前が間もなく呼ばれ、Nさんは、「こんなに早く血液検査の結果が出るはずがないのだけれどな~」と話し、怪訝そうな表情でした。

私は、「きっといつになく順調に運んだんじゃないの。早いに越したことはないから良かったじゃない」と言って喜びました。

診察室の前の椅子に腰かけ、再度名前を呼ばれるのを待ちました。

15分程近く更に待たされた後、中に入り先生にまずはご挨拶。

笑顔のない無愛想な先生が、ちらっと私達を見たかと思うと、視線はすぐPCの画面へと。

そして言われたことは、「まだ検査の結果が来てないよ~。もう30分ぐらい待ってね。」と。

夫の言ったとおりでしたから、お互いに顔を見合わせて苦笑い。

それではまずは私が受けてきましょうと、そちらの診察室前の席に座りました。

ところが間もなくして、また旦那さまが呼びにきました。

順番が回ってきたとのこと。

こんなに素直に私を頼る可愛い夫を、私はかってみたことがありません。

何だか嬉しくて、とても優しい気持ちになれました。(笑)

 

            

そして私は受付でお断りして、また夫の診察室に入っていきました。

ところが、なんとまた、検査結果が先生の許に届いていなかったのです。

仕方なく、私は自分の待合室に逆戻り。

そして無事に診察が終了しました。

この診断の結果は、後程説明することに致しまして・・・・・・

 

廊下に出ると受付の前に立つ夫の姿が目に入りました。

傍に寄りながら、これで安心して旦那様の診察に立ち会えると安堵していた私です。

 

ところが夫の口から飛び出した言葉は、余りに意外で、しばらく茫然としてしまいました。

その時の夫婦の会話は、

夫 「もう診察は終わったよ」

私 「なぜ待ってくれなかったの?」

夫 「先生が奥さんいなくてもいいよ、いいよって言ったんだよ」

 

私は幾度も右往左往された上に、これではあまりに情けないし残念、と思いましたが、終了してしまっては、どうすることもできません。

再度お願いしてお話しを伺うなんて、厚かましい事をする勇気はありませんでした。

もしかすると、先生は、私におっしゃられた言葉さえ忘れていらっしゃるのかもしれません。

きっとそうですね。

100人くらいの患者さんを今日はすでに診た、と夫にいつか話されたほど、多忙な先生でいらっしゃいますもの。

 

先生の言葉を、私は少々気にかけ過ぎたのかしら。

でも夫に付き添うのはやはり正解、と、その時、また改めて感じることがありました。

 

「診察の結果、どうだったの?」と私が尋ねると、夫が次のように話しました。

「肝機能の数値は正常だったよ。先生が言うに、正常な内は、体を痛めるインターフェロンの治療をわざわざする必要はないそうだ。

機能が悪くなってきた時に、また考えましょう、と言われたよ」と。

 

今度受けるとこの治療は三度目になります。

去年の年初に入院してまで始めた新薬の治療は、とても順調な経過を辿り、一度はC型肝炎のウィルスが消滅しました。

ところが年末になっての検査で、その憎たらしい菌が、また蘇ってしまったのです。

そのショックはとても大きく、しばらく情けない思いに浸りきっていました。

むろんこのブログでも、その時の心境をお伝えしています。

だってスタート台に又逆戻りさせられてしまったわけですから。

それまでの努力が何一つ報われなかった、ということですものね~

 

 

その上、今のところ未だ国の助成がおりていません。

12月の診察の際、私は次のように話しました。

「助成がおりないで高額でも構いません。必要とするなら治療を始めて下さい」と。

すると先生が、入院費も入れると数百万もかかるようなことだよ。

肝機能は、今のところ正常なんだから、そんな無理をする必要はないよ。

助成を待ちましょう」と。

 

数百万!

私の予想を超えていてびっくりでした。

高額とはいえ、毎月5~7万円位の範囲内と予想していました。

入院費が高いのでしょうか。

数百万とはいえ、それが二百万なのか三百万なのか、私には見当もつきません。

その額次第では、今から覚悟を決めて臨まなければいけません。

副収入があるわけでもない年金暮らしの身です。

それにもかかわらず、70歳を過ぎても、医療負担が三割の我が家。

故に、医療費の家計負担への重圧はかなりのものです、

 

もし私が今回、夫の診察に立ち会えたなら、近々、助成が下りる見込みがあるのか、おりない場合、およそ治療費はどの程度かかるのか、もう少し具体的な説明をお願いしたでしょうに・・・・・・

むろん、旦那さまは、そんな質問は一切していませんでした。

来月の診察の際には、是非伺ってみたいところです

私がお願いしたことですから、覚悟はできているつもりですが。

 

助成を待ちましょう、と言われた先生ですが、夫の肝機能の数値次第では、先生も助成なしで、治療を始めるおつもりでいらっしゃるのかしら。

夫のみの診察とその後の報告では、私は分からない事だらけ。

心がもやもやしたままです。

 無口な夫とは言え、先生にはもう少し詳しく説明してほしかったですし、私も立ち会うべきでしたね。

 

            

                      寄せ植えの草花 厳しい寒さながら元気いっぱい!

                      ガーデンシクラメン・オレガノ・ビオラなど

 

何はともあれ、夫の肝臓の機能数値が正常で、本当によかったです。

今年は、診察毎にハラハラドキドキしなければならない暮らしを余儀なくされる私達夫婦。

少々情けないですけれどね~

特に三カ月ごとにN病院で撮るCTの画像の結果を見るのが不安でなりませんが。

 

インターフェロンでウィルスが消滅していたなら、年が改まった今、新年にふさわしく、夫婦揃って、どんなにか晴れやか気持ちでいられたことでしょう。

 それが叶わず、がんになり易い体質に戻ってしまった旦那さまです。

しかし夫の年齢になると、がんになる確率は高くなるようですね~

夫の会社の同僚の訃報が、最近我が家にも多く届くようになりました。

皆さん、がんで亡くなられています。

医学が進歩し、早期発見であれば治る病気、不治の病ではなくなってきてはいますが・・・・・・・

不養生のわたしには、言う資格等ありませんが、、みなさま、定期検診は怠りありませんように。

 

昨夜も、同僚から、電話で訃報がありました。

その方に向かって、「今度は俺の番かな」なんて冗談を言う夫。

連絡下さった人は、お世話好きな方で、その連絡係のような役回りになっておられるようです。

何だかお気の毒・・・・・・

 

とんでもないことを言う旦那さま。

私は、もちろん注意しました。

冗談でも、そんな縁起の悪いことを言わないで、と。

 

私は、自分は楽観的性分だと思ってきました。

若夫婦にもそう言われています。

言葉で語るほどには気にしていない、とは思いつつ、もし自律神経失調症なら、潜在的なストレスに計り知れないものがあるやもしれず・・・・・・

その点、夫は冷静そのものです。

大手術にも数度臨み、病と闘いながらもの暮らしでしたが、ここ数年間の彼の態度は、以前の日常の暮らしと全く変わりありませんでした。

実に平静な、淡々とした暮らしです。

そんな主人には、心からの敬意を払わないではおられません。

私の方がはるか多く、体調の愚痴を述べて、夫を心配させています。

いえ!心配はしていませんね~

又始まった、と聞き流しているだけ。(笑)

 

さて、夫のことばかりで、私の診断がどうだったか、まだお伝えしていませんでしたね。

実はまだ何も分かっていません。

問診と血液検査をしたのみで、検査の結果は再来週の予約日に、報告を受けることになっています。

 

また分かり次第、お知らせするつもりです。

きっとその結果は、、いつものように多少貧血気味。

他の数値はすべて正常、と言われるのではないかしら。

それを一番望む私だけれど、さんざん弱音をブログに吐いてきた身にとっては、それでは余りに恥ずかしいようにも。

とにかく、結果を待って、その内容次第で、今後の暮らしの改善を具体的に検討しようと思います。

被爆者希望診断が受けられる病院も探し、足を運ぶ予定にもしています。

 

次回は続編ということで、私の診察にまつわるお話しをもう少し綴らせていただきます。

投稿が遅くなってしまいました。

推敲がまだ余り出来ていません。

ごみ収集の時間が迫っています。

まずはその持ち出しを済ませてから、ボツボツと・・・・・・(笑)

 

ブログ綴りが予定の時間をかなりオーバー

推敲がすみ次第、いよいよ家事をスタート。

予定に追いつくために疾走して頑張ります。

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相憐れむ夫婦になったのかしら?

2013-01-10 06:44:57 | 病気

1月7日、松の内最後の日に、夫婦共に受診するため、最寄りの総合病院に出かけてきました。

夫婦揃って、診察が目的で同時に出かけるのは、恐らく初めてのことではないかしら。

旦那さまは、月に一回の血液検査と担当医の診察。

私は、被爆者希望健康診断の予約と、秋口以来の体調不良の体を一度診てもらうためでした。

 

            

 

実は、今日のお出かけは、私の場合、状況次第のところがあり、行けるかどうか、前夜、非常に心配しました。

何と前日の夜、突然(?)発熱、38℃3分もありましたから。

体調は、いつもと変わらず、午前中は元気。

でも午後から気だるくなり、夜になると一層気分が悪く、働くのもやっと、といった感じになりました。

どこかで、自分の病はすべて自律神経失調症が原因では。

気持ちをもっとしっかり持てば、乗り越えられるはず。

或いは異常な寒さへの拒否症だったりして・・・・・・(笑)

 

すなわち精神的なものが原因と、自ら診断を下して、自身に発破をかけようともしてきました。

ですから、高い熱があるのは意外で、本当にびっくり。

もしかすると、これまでも夕刻の異常なだるさに見舞われた時は、発熱していたのかもしれない。

その前の悪感を、厳しい寒さによるもの勘違いしていたのでは。

そう思うと、一層心配に。

相変わらず翌朝は、前日の熱が嘘のように、また元気に。

 

            

               早春に咲くモクレンの芽吹き。すでに膨らみが感じられ躍動が伝わってくるようです。

 

ほっとした私は、早々に身支度し、九時半の旦那さまの予約に合わせ、一緒に病院へと出かけました。

私の受診もさることながら、まずは夫の付き添いを優先しないといけません。

 

何故なら・・・・・・

昨年末、夫が診察後、旦那さまの症状が心配になり一人、その日の午後病院に赴き、担当医に面談した時の記事をご記憶でしょうか。

その時、先生がおっしゃられたことは、「今後は必ず奥さんが同伴した方がいいよ。ご主人は頑固な人だから」と。

私は手術を受けた渋谷のN病院には必ず同伴しますが、最寄りの病院の診察にはほとんど付き添いませんでした。

夫が、血液検査を受けるだけだから来る必要はない、ときっぱり拒否してきたのが事実です。

 

先生のお話は、まるで意思疎通が旦那さんではうまくいかない、とおっしゃらんばかりでした。

私はひどい誤解だと、少々気分を害しましたけれどね。

確かに夫は無口な人で、無駄口(?)はたたきません。

ですから医師に質問もほとんどしない人です。

しかし先生が話されたことを一言一句、聞き洩らす事は決してありません。

記憶力は抜群で、実に忠実に医師の言われたことを守り、自己管理は徹底しています。

 

それに比べ、私は一言漏らさず聞いたつもりでも、何処か抜けているような・・・・・・

私が、夫と明らかに違うところは、医師によく質問をすることです。

自分の症状も、詳しく報告します。

 

更に、先生の口調や顔色で、奥或いは裏を読みとろうとします。

夫のような重病の場合に限りますが。

楽観的にとらえていいのか、悲観的なことなのか。

先生の表情や物言いで、およそ見当が付きますよね~

 

女性は男性よりイマジネーションが働く生き物と自分では思っているのですが、皆様はそのように思われませんか?

妹、夢路(ブログ名 プラチナのように輝いて)とはこの点で、いつも認識が一致。

時に旦那さんについて愚痴る時、お互いにそうそう、と言って、心から共感し合っています。(笑)

 

ですから自分が理解し、納得がゆくまで、更に詳しく訊きたいとの思いに駆られます。

その点、夫は先生が口外される言葉がすべてで、それで終わり。

故に、質問する時は、夫の顔色を伺いながら多少ドキドキする私。

くだらない質問をする、と彼が気分を損ねるのでは、と不安になるからです。

 

こんな具合ですから、医師側からみれば、夫の話だけでは、日々の容態や暮らしぶりが理解できず、意思疎通がうまく図れない患者さん、と言うことになるのかもしれません。

でもあまりおしゃべりな患者さんも、お医者様は対応に苦慮されるでしょう。

ですから、ほどほどにと、むろん私も心がけ、早く切り上げるようにはしていますけれどね。

 

            

                      早春を告げるはなみずきの花芽 花咲く日が待ち遠しい

 

余談が多くなりました。

これからが本論かしら。

いえ本論は、この調子ですと、明日になりそうな予感がしてきました。(笑)

もう少し、序章といったところでしょうか。

徒歩ですと15分足らずのところにある、名の知れた大きな総合病院に辿り着いた私達夫婦です。

私の両親が医療ミスに近い事が原因で十数年前に亡くなっていますので、この病院には、あまり良い印象を私は抱いていません。

その上、夫が手術を受けた渋谷のN病院とは、院内の雰囲気がまるで異なり、天井も低く、どことなく辛気臭い雰囲気がします。

というより、N病院が、あまりに素敵過ぎるというべきで、比較しては気の毒かも・・・・・・

但し看護士教育は徹底しているようです。

N病院の看護師より、とても感じがよく、心が和み、癒されます。

 

N病院の担当医から、インターフェロンの注射は、近くで受けるように勧められ、この病院に、また通い始めました。

もう少し詳細に説明させていただくなら、長年最寄りのこの総合病院で肝臓の治療を夫は受けていましたが、がんの手術に際して転院。

肝臓の手術では名医との誉れ高いN病院の院長先生にお願いした、との経緯があります。

そして今は、両病院の医師が、時に連絡を取り合いながら、夫の治療に当たって下さっています。

 

            

                    厳しい寒さの庭に彩りを添えてくれる、ガーデンシクラメンなど

 

さて、初診の私は、まず受け付けの窓口で手続きをしなければなりません。

しばらくぶりで戸惑っている私に対し、旦那さまの態度がいつになく優しい。

相憐れむ感情が幾分芽生えているような雰囲気でした。(笑)

長年通い、院内のことを熟知しているようです。

頼れると思うと、すぐそれに乗っかって、依頼心を百パーセント発揮してしまうちゃっかり者の私ですから。

病院にいる間は、夫に全面的に頼ってしまいました。

 

ただ受け付けで分かった、残念なことがあります。

この病院では、五月と十一月の定期健康診断は受け入れているけれど、不定期の希望診断は受け付けていないとのこと。

そのため予約が叶わず、被爆者の健康診断は、今回は諦めることに。

体調不良の診察だけしてもらうことにしました。

紹介状がないと、初診料3500円を取られるところでしたが、被爆者手帳を見せると、それも無料でほっとしました。

 

夫は血液検査を受けに行き、私は内科で受付を済ませ、その際、夫の付き添いを優先する旨、伝え、Yさんが来るのを待ちました。

3~40分し、待合室にやってきた旦那さま。

いよいよ間もなく、お互いの診察が始まります。

ところが、そこに辿り着くまでに、受付側の手違いや行き違いが色々あり、私は右往左往し大変でした。

 

何だか気を持たせるような終わり方で申し訳ありませんが、夫婦の診察結果、手違いなどについては、あす続編として綴らせていただきます。

夫婦の診断結果は、乞うご期待といったところでしょうか。(笑)

もし宜しければ、またお立ち寄りくださいね。

 

  

                                   シャラの樹の新芽 

 

ここ数日、幾分寒さが和らぎ、凌ぎやすい日が続きました。

春が待たれますが、まだしばらく耐寒生活を余儀なくされそうですね~

こういう時は、記事に載せましたお庭の草木の芽吹きの膨らみ等を眺め、春の足音が遠からじであることを喜び、元気を出しましょう。

 

昨日の歩数 5202歩

 

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我が家のお正月アルバム 最終章

2013-01-08 08:27:38 | 家族

我が家のお正月について、三回に分けご紹介するなんて、少々大げさで気恥ずかしい感じがしますが。

平凡な日々を送り、題材が尽き果てるのを不安に感じながらブログ綴りをしている身には、一つのテーマを数回に分けて書けるのは、とても有難いことです。

さて、今日は最終章。

初詣など、触れたいことは色々ありますが、すべてを書くのは大変。

ですから、私の心に深く刻まれた、印象的なお正月の出来事、三点に絞ります。

新春の家族の語らい、孫の様子、久しぶりに燃やした暖炉について。

 

前回のブログでも感想を述べましたが、私が思うにお正月で一番楽しく有益なことは、家族全員の団欒で、心行くまでおしゃべりできることではないでしょうか。

三度のお料理も、お節が利用されますから、台所担当の私と娘達ものんびりした気分になれ、おしゃべりはいつも以上に弾み、花が咲きます。

下の写真は、お正月に撮った写真の中で、私が一番お気に入りの1枚かもしれません。

幼いころから夢多き次女。

こだわりは私に似て、いえそれ以上に強いところがありますが、この時も、いろいろ最近の夢を語ってくれました。

 

          

 

                   

次女は1月の中頃、パリに出張予定。

長女も三月にアメリカへと、同じく、仕事で赴く予定です。

正に鳶が鷹を生んだとは、私のような母娘を言うのでしょうけれど。

可愛いおばあちゃんで構わないけれど、親の威厳もチョッピリ失いたくないな~と複雑な心境に、時になることもありますよ。(笑)

上から目線で、エリート意識が覗くような心外なことを言われると、カチ~ンと頭に来たりして。

長女夫婦で、チョットありました。

すぐ気を取り直しましたけれどね。

 

頭が良いに越したことはないでしょうけれど、人間にとって一番大切なことは、一生かけて人格を磨くこと、というのが私の信条ですから。

人格の優劣で、人間の評価はなされるべきですよね。

そういう私は、この年齢になっても、哀しいかな。

まだ未熟者そのものです。

その点、娘達、かなりの高得点をあげられるとは思いますが、親子ですから、時に失礼な物言いと感じ、腹が立つことがあります。

でもそう感じたのはほんの一瞬。

心に残る楽しい会話ばかりでした。

 

どんなに多忙でも、いろいろな日本の行事を親子で楽しんで、丁寧な暮らしを心がけたい、との次女の弁。

その心がけが、さっそく発揮され、とても美味しいお茶を入れてくれましたので、ご褒美に、私が愛飲しているお気に入りのお茶の葉を一袋、プレゼントしました。

 

長女からも、とてもためになる納得のいく助言をもらいました。

私の日課が、体力がないにもかかわらず、欲張り過ぎだ、と指摘されました。

五つあるとするなら三つぐらいに絞って、達成感を味わうようにした方がいい、と。

そうすれば気分的にもっとゆったり暮らせるわよ。

更に物事へのかかわりが丁寧過ぎる、とも。

もっと省略して、効率の良い暮らしをしないと、大変よ、とも。

ずぼらなところもたくさんある私だけれど、言われると納得できるところもあります。

この助言を受け、さっそく実行し始めている私ですから、今年の生活スタイルは多少変わり、のんびり過ごせるかもしれませんね~

親の威厳を保ちたいとの気持ちがある反面、娘の助言にはとてもとても素直な私です。(笑)

未だ取り上げたい家族全員で語り合った良い話題がいろいろありますが、長くなるのでこの辺で次のテーマに移ります。

 

しばらくぶりに燃やした暖炉について。

 

            

マイホームを新築時に大いなる憧れを抱いて設置した暖炉ですが、30数年の間に使用したのは、ごく僅か。

クリスマスとお正月に華やぎを添えるために薪を燃やす位でしたでしょうか。

安楽椅子に腰かけ、暖炉の炎の揺らめきを見つめながら、読書にふける自分をイメージしたものでしたが、そんな精神的ゆとりは持てず、毎日あくせく暮らしてきたのが現実です。

そのような訳で、暖をとるというより、ムード作りの一役を担ってくれる存在でした。

しかし今回のお正月で初めて暖炉の醍醐味を味わった気がしました。

 

長女のお婿さんのお陰です。

彼が、オリーブの木を薪にして自宅から持参。 

実は、一昨年の台風15号の際、家の周りに植え付けられ、立派に成長したオリーブの木が一本、根こそぎ倒れてしまいました。 

一年間蘇生を期待して様子を見たそうですが、残念なことに枯死してしまったのです。

何と売れば、立派に成長したため、百万はする代物だったとか。植木屋さんの弁。

本当かしら???信じられない。

それを植木屋さんが薪にしてくれたのです。

 

我が家の薪と一緒にくべ、点火剤も使用しましたが、オリーブの木は太すぎて期待したように燃えてくれません。

長女婿のHさんはすっかりはまり、暖炉の前で炎に集中。

 

            

その魅力に取りつかれてしまったようでした。

彼の努力の甲斐あり、しばらく経つと燃え方に勢いが付き、はぜる音とともに、まるで焚火のような炎になりました。

 

            

 

これまでは火の粉が飛ぶのが心配で、フロントのガラス戸は締めたままで、輻射熱で暖を取っていましたから、ぬくもりに多少物足りなさを感じていました。

今回はガラス戸は開いたままに。

すると本当に温かで、火の熱が体にじかに伝わってきて、しんまで温められ、心がとてもなごみます。

火は、人間の暮らしの原点そのものですものね~

もっと日常に暖炉を燃やす暮らしを心がけたい、と改めて思いましたけれど、いつもファミリールームに閉じこもって暮らしている私には、広い居間は敬遠しがち。

やはりそんな暮らしは、無理かもしれません。 

 

  

       炎の様子を見つめる旦那様               大学のクラブで先輩、後輩だった次女のお婿さんと長女
                                        楽しそうに、何をおしゃべりしているのかしら?

 

彼曰く、「薪は結構な値段がするから、近くの里山の枯れ木を拾ってくればいいんだよ」と。

そうなんです。我が家からほど近いところに素晴らしい里山があります。

出無精な私は、孫のK君に案内され、初めて気が付いたのが、ブログを開設した頃でした。

その時散策したコースは、一人歩きにはちょっと怖いな、と感じましたが、衆議院選挙に出かけた折、もっと安全な違うルートを発見しました。

次女夫婦に、運動靴をはき、健康のためにウォ―キングをすることを強く勧められたお正月。

その里山は、絶好のウォーキングコースになりそうです。

この里山については、ブログでまた触れましょう。

 

暖炉のお話はこの位にして、最後は孫達の話題で今日の記事を締め括る事にします。

長くなりますが、もうしばらく宜しければお付き合いくださいませ。

三人の孫達は(正確に言うと4人ですね~)、本当に仲良しで、いつも集まると意気投合。

かれんちゃんも、負けじとお兄ちゃんお姉ちゃんの相手になり、心から喜んでいます。

 

                                            

未だかって喧嘩をする姿を見たことがありません。

一番年上の、初孫のR君は、年が離れているせいか、浮きがちなところが、今までは多少ありました。

けれど、ここ数カ月の間に、背も急に高くなり、とても元気に。

いつも、おちびちゃんたちの遊びのリード役を買って出ていました。

おふざけが興に載ると、ドタバタ騒ぎが始まり、また家が被害を被るのではないかと、私はハラハラドキドキ。

すでに傷跡だらけの我が家で、昨年のリフォームで補修もして貰っています。

でも、家は二の次の私。

そんな元気な孫達の姿をながめるのが、この上なく嬉しいジジとババでした。

 

            

お正月二日目の朝、お婿さんの実家に移動するため、まず長女家族が我が家を後にしました。

車が走り去り、四つ角を曲がると、突然次女家の長男のK君が一人でその方向に向かって歩きだしました。

 

                

そして角にたどり着くと、いつまでも車が去った方向をじっと見つめて、動こうとしません。

息子の気持ちを察したパパが、そばに行き後ろからそっと抱き締めると、いつまでも泣きじゃくって、別れを惜しむK君。

 

   

一人佇んで、寂しさに堪えている後ろ姿は、あまりに愛おしく、私までもらい泣きしそうに。

そんなに楽しかったのね~良かった!良かった!と、K君に、心の中で語りかけました。

 

そしてしばらくして次女家族も我が家を後に。

 

  

 

又元の静かな夫婦二人暮らしに戻った私達。

来年も夫婦そろって元気にお正月を迎えられることをひたすら祈りつつ、我が家のお正月記事はこれで終わりとします。

個人的な思い出綴りに過ぎませんのに、最後までお付き合い下さいました皆様、本当にありがとうございました。

 

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我が家のお節料理

2013-01-06 06:53:54 | 家族

新しい年を迎え、今日が六日目。

明日で松の内も明け、主婦の私もお正月気分がすっかり抜け、通常の暮らしに戻るといったところでしょうか。

一昨日で、おせちの残り物もほぼ食べきってしまいました。

私はもともと和食党ですから、おせちは大好き。

ゆえに準備するために膨大な時間をかけて調理しても、さほどそれが苦になりませんでした。

ところが昨年の年末は、いつもの調子が出ず、すべてが遅れがち。

31日に訪れた娘達に、間に合わなかった数品はお任せ状態で、母親のメンツは丸つぶれ。(笑)

すっかり気弱なおばあちゃんになり果ててしまいました。

今回のお節は、前もってかってない多くの品数を、娘達が役割分担してくれることになっていました。

ですから、私は楽々と準備完了のはずだったのですけれどね~

 

ところが年末の多忙な時期になっても、体調が一向にすっきりしません。

家族のクリスマス会でも、途中でダウンしてしまう始末。

その後も体力が続かず、年末の計画がどんどんずれ込んでいきました。

去年は、若夫婦が訪れる前、31日の午前中にはすべて仕上がっていましたのに。

年が明けてからも相変わらずで、娘達の絶大なる協力のもとに、無事乗り切れたお正月でした。

 

不甲斐ない自分を情けなく思い、何とか気を引き立て頑張るように努めもしましたが、幾度も体を横にして休養。

むろん大晦日の日も、九時過ぎには床に就き、みんなと一緒に、年明けを迎えることはできませんでした。

 

でも年末年始、若夫婦家族と共に過ごした二日間は、お正月にふさわしく、実に楽しい華やいだ時が流れ・・・・・・

心は十分過ぎるほど満たされ、至福の時を過ごす事ができました。

娘達に、私が話したことは、

「お正月の素晴らしさは家族が一堂に集まり、数日間寝食を共にして、心行くまで語り合えることではないかしら」と。

長女も次女も、大きくうなずいてくれました。

 

さて、今日はその時の様子をお正月アルバムとして、このブログでご紹介させていただきますね。

もともと大した腕でもないのに、カメラ撮影の言い訳をするのはみっともないことですが、満足のいく写真が少なくて選ぶのに苦労しました。

体調がすぐれなかったため、いい写真を撮ろうという気持ちは薄れ、ただ機械的にシャッターを押しまくって撮った写真ばかり。

でもそんな中から、多少でも写りの良い写真を選んだつもりです。

宜しければ、ご覧下さいませ。

 

まず我が家の元旦の朝の食卓です。

 

            

   

   

写真に写っていない数の子は、撮影後に供しましたが、お煮しめは玄関の下駄箱の上に置いたまますっかり失念。

夕食時に初めて食卓に。

 

去年のお節に比べると、手抜きもあります。

酢ばすなど。

いくらも買い忘れ。

長女がこしらえた八幡巻きは、とてもスマート。(笑)

お肉をもう少し巻いてほしかったな~

次女がこしらえた鶏つくね。

ケシの実を少量上にかければ良いだけなのですが、全体にまぶし付けられてしまいました。(笑)

こんな小さな失敗はありますが、きんとん、黒豆、昆布巻き、その他、例年と変わらない見事な出来栄えでした。

夕食の食卓の写真も、もう一度載せておきますね。

 

             

  

焼き豚も、年末に作ってあったのですが冷蔵庫の奥の方に入れたままで、すっかり忘れてしまいました。

お皿へのお節の盛り方、なんだか変ですね~(笑)

オードブルのような雰囲気にしてほしかったのですが。

 

我が家のお節の内容は下記のごとくです。

 

一の重 紅白かまぼこ、黒豆、伊達巻き、田作り、二色卵、栗きんとん、リンゴ羹、数の子等

二の重 えびの養老煮、昆布巻き、八幡巻き、宝來揚げ、鶏つくね、いかの松笠焼き、里芋の白煮、鶏のオレンジ風味巻き

三の重 七食なます、菊花かぶ、しめさば、たたきごぼう、鮭の南蛮漬け

お煮しめ

 

私のお節は、ほぼ毎年同じ内容です。

ほぼ六割方は、母から伝授されたもので、その時のボロボロのテキストを相変わらず見ながら作っています。

妹、夢路も同じテキストを持っていて、かなりの品は、同じ味付けのはず。

 

長女婿が、たまたま私が開けてていた去年の私の料理ブログを見て、そっくり同じだな~と言っていました。

その後、「毎年同じっていうところがおせちの良い所なんだろうな~」とも。

私もそう思います。

母から子へ、さらに孫へと言い伝えられ、その家ならでのお節の味と雰囲気があるのではないでしょうか。

しかし、恐らく我が家は、私の代で途絶えそうな感じがします。

キャリアウーマンの娘達には、私が作るお節料理をすべて揃えることは、到底考えられないようですから。

寂しい気もしますが、これも時代の移り変わりで仕方ないことなのでしょう。

 

嫁いで最初に迎えた年末年始は、風邪を引きダウン。

それでも38℃の熱を押して、電話で母に幾度も分からないところを尋ねながら三重のお節を作りました。

途絶えたのは、60歳の年末に入院した時だけです。

 

そういう私も、毎年、今年はもう、体力的に無理かしら、と迷うことが多くなってきました。

二八日から三十一日の午前中まで、ほぼキッチンに立ちどおしのお節作りは、かなりの重労働ですもの。

でも長い間続いた慣習を断つには、それなりの勇断を必要とするようで、なかなか止められません。

来年、また作ることになったなら、その気力がまだある自分の健康を喜びましょう。

 

お正月アルバムというタイトルにして、さらに色々な光景の思い出写真を載せる予定でしたが、既に長文になってしまいました。

今日はこのあたりで一旦打ち切り、続きはまた次回とさせていただきます。

今日のタイトルは、我が家のお節料理に変更します。

宜しければ、又ご訪問下さり、続編もお読み頂ければ幸いです。

 

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新春を迎えての思い

2013-01-04 08:02:09 | 家族

           

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

皆さま、清々しい新年をお迎えの事と存じ上げます。

ご挨拶が遅れ、誠に申し訳ございません。

昨年中は、多くの方々に私の拙いブログをご訪問、応援を頂きましたこと、

新年に当たり、改めて厚く御礼を申し上げます。

本年も、引き続き変わらぬお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。

 

当地は、年末年始は一時は大雪に見舞われるとの予報でしたので、新年早々の雪かきは嫌だな~、と少々心配致しました。

ところが、あにはからんや、素晴らしい快晴のお正月日和の三賀日。

幸先の良いスタートで、今年の穏やかな時の流れに期待し、心が弾みましたが、さてどうでしょうか。

 

それに引き換え、北日本や日本海側は、猛吹雪の荒れ模様で、豪雪に見舞われている様子。

お正月とはいえ、その方面でお暮らしの方々は、ご苦労が多いことでしょう。

お察し申し上げます。

雪国を訪ねたことがほとんでない私には、今もって、淡い憧れの場所ではありますが。

しんしんと降る純白の雪は、お正月の清々しさと家庭のぬくもりを、一層引き立ててくれるものなのかもしれませんね~

三好達治の詩、「雪」をまた想い出しました。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。 

豪雪地帯にお住まいのお宅の、華やいだお正月膳後の、静かな夜の光景が、目に浮かんできます。

 

被災地の方々にとっては、二度目のお正月。

まだ仮設住宅にお住まいの方。

郷里に戻れず、他の地域で帰郷の見込みもたたず、新年をお迎えになった方々。

如何なる厳しい境遇であれ、年改まるお正月は、明るいお気持ちになられ、心新たにされたに違いない、と思うのは甘い想像でしょうか。

今年も、忍耐と努力を余儀なくされる日々であろうか、と思いますが、希望を決して見失うことなく、頑張って下さいね。

 

被災地の人のみならず、格差社会がひどくなった日本では、貧困の窮状で、おもちすら買えないご家庭も多いに違いありません。

その様な方々にも、思いを馳せたいと思います。

 

            

 

私は年末年始、体調が相変わらず、今ひとつでしたので、横になる度に、色々な思いが駆け巡りました。

我が家にも、大きな課題があります。

夫の三カ月ごとの定期検診。

そのたびに、診断の結果を心配しなければならないこと等・・・・・・

幸せばかりを描いていられない現状ですが、我が家の今を切り取るなら、やはり絵に描いたように幸せな家庭なのかもしれません。

こんなに恵まれているのに、先のことを心配してくよくよ思い煩うなんて、贅沢な悩みですね~

そう思って、夫の体を案じ、体調不良な我が身を思い、気弱になりがちな自分を、咤激励しています。

 

新しく迎えた新年には、家族一堂が我が家に集まりました。

若夫婦両家が大晦日から二泊三日、共に過ごし、思いのこす事がないほど幸せに満ちた明るいお正月でした。

 

   

 

私は、「こんな幸せな宵を送らせてもらったのだから、翌朝、おばあちゃんが床の中で亡くなっていた、という顛末になるのが最高の死に方だわ」と冗談で話したほどです。(笑)

孫息子二人、孫娘二人と、バランスよく可愛い孫達にも恵まれ、みんな健やかに成長しています

娘達は、その子たちの成長を見守りながら、恵まれた幸せな家庭生活を築いています。

 

            

 

不安と言えば、我々夫婦の体調と、日本の行く末と自然災害ぐらいでしょうか。

でもこんなこと心配しても、すぐ解決付くことではありませんから、私のみならず、行政も人事を尽くして、天命を待つ心構えで臨んでほしいものですが。

大震災時も、人事を尽くすどころか、政争に明け暮れていた政情を、また思いだしました。

新年を迎えるのとほとんど同時に、新政権に生まれ変わった日本。

いやが上でも、期待は高まりますが・・・・・・

現政権は、国民の期待に応えてくれるでしょうか?

 

私個人にとっては、二度と訪れない今日という日を如何に充実させるかが、さしあたって一番大切な課題。

他愛ないと思えるような日々の所作と所為の綿々としたつながりが、人生そのものですものね~

今年も、一時いっときを愛しむように、大切に暮らして行きたいものです。

とは言いましたが、これが難題。

言うは易く行うは難しですね~

すぐ弱い心や体調に負けてしまう私です。

でもそのような心掛けを抱いて暮らせば、多少はましな余生が過ごせるのではないかしら。

 

次回からは、お正月の様子を、2~3のテーマに分けお伝えできれば、と思っています・

我が家のお正月アルバム、新春の家族の語らい、といったタイトルを予定していますが。

 

体調が余りよくないので、まずは健康診断を受けることを忘れないように致します。

その結果がいつものように異常なしだと、嬉しい半面、なんだかちょっと解せない戸惑いですっきりできなくなりそうです。

すなわち、単なる老人性無気力。(笑)

そんな症状に、徐々に侵されれつつあるのかしら?

度々私を襲う、疲労感、脱力感、倦怠感を克服する方法を、医師からしっかり聞いてきます。

異常な喉の渇きについても・・・・・・

もしかすると、内科より心療科がいいのかもしれませんね~(笑)

 

私はブログを開設し、二年少々になります。

その間、日々に抱く私の思いを、素直な気持ちで正直に発露することに徹してきました。

貧弱なボキャブラリー、少ない体験、浅い教養と、私のブログ書きの障害を乗り越えての所作には、楽しい半面、いろいろ苦労も多く、疲れもしました。

過去の生き方を、そのたびに反省もしたりして・・・・・・

 

又、ご覧下さる方々の、立場、境遇、価値観は、人それぞれ千差万別です。

私の記事の受け止め方も、様々でいらっしゃることでしょう。

共感して下さる方、反感を抱く方など・・・・・・私のブログに目を通した方々の心に湧く感情を思うと、ふと怖くなってキーボードを打つ手が止まることもあります。

公開には、常に付きまとう不安かもしれません。

その戸惑いを乗り越えて、日々の思いと暮らしを、思い出記として今後も綴っていくつもりでおります。

 私事がほとんで、勝手なことばかり書いておりますが、

海容の精神でお読み下さいますよう、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

 

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ご訪問、ありがとうございます。

末筆ながら、お訪ね下さる皆様にあられましては、本年が幸多きお年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。 

 


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