ここ一両日は、私の暮らしにはめったにないような、強硬なお出かけでした。
二日目の儀式が終わり、妹と帰途に就いた時は、もうフラフラ。
体力があり、日頃私の疲労感が今一つ理解できないと言っている妹は、チョッと呆れた様子でしたが。
前日の睡眠時間が、三時間少々。
ですから、当然の事でした。
その儀式とは、私の叔母の葬儀です。
もう、二十数年前に81歳で亡くなった父のすぐ下の妹。
最後に会ったのは、7年前。
その後、妹と毎年のように、
「おばさまはその後、お元気かしら。今年は、必ずお訪ねしようね」
が私達の合言葉のようになっていました。
ところが、我が身にも、夫の闘病生活と介護、夫が亡くなるなど、いろいろ大変なことがあり、心ならずも、ご無沙汰を重ねてしまいました。
それを、心苦しく思っていた時の突然の訃報です。
後悔先に立たず。
訃報が入った時は、お訪ねしなかったことが悔やまれ、とてもショック受けました。
ですから、体調は今一つでしたが、如何に無理をしてでも、我が家から一時間半以上かかる、斎場に向かわないわけにはいきません。
お通夜から帰宅したのは夜の十一時過ぎ。
翌朝は、6時過ぎに家を出て、9時から始まる葬儀に遠方まで出かけました。
そして、妹と、最後のお別れをしてきました。
その席で、喪主の私より三つ年下の従兄弟、Hさんや、唯一まだ生存され、お元気な叔母様の妹、Hさんから、亡くなる前の近況を詳しく知ることができました。
享年98歳でいらっしゃいましたが、介護で身内がご苦労されたのは、一月足らずとのこと。
それまで、ずっと一人暮らしをなっていました。
入退院を繰り返されたものの、最後まで気丈に明るく振る舞われ、、天寿を全うされた叔母様。
名の知れた或る知的な主婦サークルに長年所属し、活躍もしておられたので、友人も多く、その方達の励ましや支えもあったようです。
その友人の方々数名がお別れの言葉を述べられました。
その友人の弔辞や、家族のお話によると、最後まで世の中への好奇心を失わず、暮らしやすい良き社会にになる事をひたすら願っておられたとのこと。
亡くなられる前まで、社会問題の話題が大好きで、義憤から、色々語られる事も多かったようです。
妹のHさんが、今の時代で若ければ、おそらく政治家になっていたのでは、と半ば冗談を交えておっしゃっていました。
私の知らなかった叔母さまの人柄の一面を知り、私もお話をもっといろいろ伺えば良かった、と残念にも思いました。
最後まで、認知症の気は全くなく、入退院を繰り返された最後の一年間も、明るいご性格には変わりがなかったようですが。
叔母さまの半生は、波乱万丈だったと言っていいのかもしれません。
妹と、葬儀の帰り道、その話題にしばし浸り、叔母様の御苦労も偲び、感慨を新たにしました。。
喪主を務められたHさんは、東大在学の頃は、安保闘争の真っ最中。
何と彼は、最前線の学生グループの主要な一人として、闘争に明け暮れました。
そのため、しばらく刑務所生活も経験。
その後、研究者になられ、大学でも教鞭をとられ、今は悠々自適のお暮らしですが。
とても愛情深い叔母さまの心配は、相当なものだったようです・
さらに、大手建設会社の管理職でいらした叔父様は、まだ50代の頃に、急性白血病で亡くなられました・
その後しばらく経過して、今度はまだ三十代の娘さん、Tちゃんとの悲しい別れが待っていました。
早稲田を卒業され、フリーライターとして、雑誌などにエッセイを載せ、活躍しておられました。
都会人らしいセンスの良いお洒落をした溌剌としたTちゃんの姿が、今も私の目に焼き付いています。
二人で、山口の秋芳洞に旅したこともありました。
大変な数々の苦労を乗り越えながらも、最後まで明るく気丈に振る舞われ、天寿を全うされた叔母さま。
そのためか、葬儀は、惜別の儀式ながら、、どこか明るさが漂う、とてもいい雰囲気でした。
私は、この度の叔母様の御逝去と葬儀で、しみじみとした思いになったことが二つあります。
一つは、葬儀は永遠のお別れのの悲しい儀式であるとともに、亡くなった人の人生を讃歌する儀式でもある、ということ。
もちろん、若い頃、突然襲った家族の死をその様に受け止めることはなかなかできないでしょうが。
長寿を全うされた場合は、そのように言っていいのではないでしょうか。
もう一つ思ったことは、理想の死に方とは、最後まで認知症にはかからないで、老衰で自然死を迎えること。
できれば一人暮らしを全うして。
叔母さまは、亡くなる数日前まで、意識はしっかりして、お元気だった様ですが・・・・・・。
老衰による臓器の機能不全は著しく、医師から数日の命と言われ、その通りになられました。
ほとんど苦しまずに、眠るように亡くなられたようです。
私は、今年の年賀状に、
おばさまの暮らしが私の目標です。
いつまでもお元気で、わたしの励みになってください、
といったようなことを書きましたが、亡くなられた今も、その気持ちに変わりありません。
T叔母様のように、好奇心を元気の素にして、一人暮らしを続け、家族に迷惑をかけないで、私も天寿を全うしたいものです。
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