今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

今日もまた、最愛の孫のお話し

2012-08-31 07:34:19 | 

一昨日は、、長女家のR君への思いの丈を綴り、さっちゃんとK君のことが後回しになってしまいました.

さっちゃん、K君にチョット申し訳ないですね。

年の順ということにしておきましょう。(笑)

 

私のR君への思いは、如何せん、特別なものがあります。

何と言っても初孫で、それはそれは、尽くし方が、尋常ではありませんでした。

妹の夢路も、呆れるほどでしたから。

私は、まだ50代の後半で、夫も働き盛り。

老年に差し掛かっていたとはいえ、今とは比べ物にならないほど元気。

Rが熱を出すと、朝な夕なに、娘宅へ駆け参じ、母親の代理役を務めたものです。

幼い頃のRの洋服を選ぶのが楽しく、ラルフとファミリヤ一辺倒でしたが、私がほとんど買っていました。

夏になれば、炎天下をものともせず、幼いRを連れて、夫と旅行にも、再三出かけました。

思い出があり過ぎて、とても語り尽くせるものではありませんが。

四人の孫への私の思いには、変わりはないはず。

           

                     パパがお迎えに来て、一足先に帰るK君をお見送り

 

            K君のお荷物                        お別れするのが悲しそうなK君

しかし、年を重ねる毎に、私の体力の減退は甚だしいものがあり。

もともと異常に疲れやすい体を、孫可愛さの一途な思いが支え、気力のみで頑張っているところがありました。

その上、年金暮らしになると、、孫の世話より夫の世話に手がかかり、Rに掛けたような時間のゆとりが、全く持てなくなりました。

過労で倒れ、また入院をしたりもして。

それを見た娘達は、遠慮して孫の面倒を以前のように頼まなくなりました。

 

次女のK君とは、パパの単身赴任で、数年同居しましたが、私は年中風邪をひいてばかり。

子供の菌は強いらしく、免疫力の弱い私は、孫やお迎えの保育園で貰い受け、すぐに感染。

 

でもK君は、本当に手のかからない素直で穏やかな子で、ジジもババも苦労は全くしませんでした。

K君との楽しい思い出ばかりが、蘇ります。

 

さっちゃんとK君は本当に仲が良く、物ごころつき、遊び始めるようになって以来、喧嘩をしたことがまるでありません。

当然、年上のさっちゃんがリーダーシップを取っている訳ですが、K君も実に興に載って、面白おかしく、その相手をします。

いつも、それはそれは楽しそうな二人です。

K君は、担任の先生が、いつも大変褒めて下さるようで、今のところ、心配の要素がまるで見つかりません。

          

 

       おじいちゃんとお散歩にお出かけ                   二人が書店で選んだ本

しかし、二歳年上のさっちゃんは、気がとても強いところがあり、言葉も少々乱暴。

スカートは大嫌いで、よほど強くお願いしないと、女の子らしい身なりをしてくれません

ママに似れば良いものを、存在感の強いパパの感化の方が大きかったようです。(笑)

娘達の幼い頃とは、まったく異なる雰囲気で、私は、少々戸惑い、心配になった時期がありました。

けれど、久しぶりに会う親戚のの人達は、実に面白い子だ、と言って、さっちゃんに一目置いてくれます。

夢路の旦那さんも、さっちゃんのことを、実に可愛い子だ、と言い、お気に入りのようです。

 

こんなわけで、K君とは違って、心配な要素も持ち合わせたさっちゃんでしたが、最近の目覚ましい成長には、目を見張るものがあります。

私は感心することばかり。

私が共に過ごした4日間で、まだ小三にもかかわらず、敬服したほどのエピソードを、いくつかご紹介しましょう。

 

まずは、我が家から、家路に就くために、電車に乗った時のことです。

二人で荷物を提げ、シートに腰かけていました。

私は、わが腕に目をやった時、、腕時計をしていないことに気が付きました。

「おばあちゃん、腕時計忘れた見たい?」と、さっちゃんに話しかけたところ、さっちゃんが、元気な口調で、きっぱりと言いました。

「そんなことないよ。ばぁばは、確かに腕時計していたよ」

一瞬ドキッ!、と。

でもすぐ思い直し、さっちゃんの勘違いと、思い込もうとしました。

ところが、さらに強い口調で、絶対していた、と言うのです。

 

私が長年腕にはめてきたお気に入りの時計。。

ドキドキ、と次第に胸が高鳴りました。

 

そして何気に、バッグに目をやると、中に入れた小物の上に、その時計が乗っかっていました。

外れて落ちたのでしょうか。

こんなこと初めてのことです。

胸を撫で下ろし、また腕にはめ直そうとしたところ、さっちゃんが、また元気な口調で、私に注意しました。

「ばぁば、はめたらだめ!外れた物は、また落ちるかも知れないよ」

誠にその通りですね~

時計のチェーンに不備が生じての出来事かもしれません。

外出中に、また落下でもして、気が付かなければ、紛失の最悪の顛末もあり得ますもの。

まだ低学年にもかかわらず、さっちゃんの行き届いた心配りに、私は恐れ入ってしまいました。

まだ可愛いだけの存在と思っていた孫が、一気に頼りがいのある存在へと。(笑)

 

感心したのは、これだけではありません。

夕刻、長女宅に到着してからのこと。

夕食は、私がこしらえてあった、冷凍のカレーライスに、アボカドのビシソワーズ、サラダの三品でした。

ところが、残念なことに、ビシソワーズが余り冷たくありません。

 

そのことを、さっちゃんに話すと、「ボウルにお水を張って、そこに入れて出せば」と、助言してくれました。

そして自分でボウルに氷も入れ、すべて準備を整えてくれたさっちゃん。

私がただただ感心し、さっちゃんの機転を褒めると、「ママがいつもそうしているから」との返事。

 

更に今度は、残りのビシソワーズを冷蔵庫にしまおうとしたところ、「ばぁば、サランラップを被せてね」と。

確かに、その通りです。(笑)

「さっちゃん、本当によく気が付くわね~」というと、また、さっきと同じ返答。

「ママがいつもそうしているから」

 

ママの背をしっかり見つめて、成長しているさっちゃんです。

ママとは異なり、言葉は多少乱暴で、男勝りのところはあるけれど。

将来はきっといい奥さんになること間違いなし、と太鼓判を押してあげたい心境に、私はなりました。

 

更に、まだ感心したことがあります。

これが一番、感動したことかしら。

両親共に働いているので、子供達にも家事の分担の割り当てが、一つ二つあるようです。

さっちゃんが話すに、食洗機で洗浄後の食器やキッチン用具を、片付けるのは、さっちゃんの役目とのこと。

汚れた食器をそこに詰めるのはパパのお仕事のようでした。

お兄ちゃんのR君の分担もありましたが、内容を忘れてしまいました。

 

その日は、パパのHさんは、帰宅が遅い日。

いつもの私でしたら、気を遣って、必ずきれいに後片付も済ませ、就寝するところですが。

数日間の孫の世話で、疲労困憊がはなはだしくて、私は、これ以上働けないような状況でした。

それを察したのか、さっちゃんが、汚れた食器まで、軽く水道水で流し、食洗機に収めてくれたのです。

そのテキパキした手際の良さは、私に勝るとも劣らないほど。

おちびちゃんの可愛い奥様、と言ってもおかしくないほどでした。

実に、甲斐がいしい働き振り。

その時の写真を、連続写真のようにして、幾枚か掲載しますね。

正に、感動ものでしたよ。

 

 

 

 

今後、歳を重ねるごとに、私は弱っていく一方でしょう。

しかし、キャリアウーマンの娘達は頼ることもできず、将来に、幾分心細さを覚えていた私ですが。

意外なところに、、助け人がいてくれました。

さっちゃんが年頃になったなら、色々頼って、力になってもらいましょうかしら。(笑)

 

孫達は、四人四様、それぞれの個性を生かし、これからも健やかに成長してくれるに違いありません。

この子達のために、私に何かできることがあるでしょうか?

もう何もありませんね~

せめて訪ねてきてくれた時は、美味しい料理を食べさせ、のんびり過ごさせてやりたいものです。。

今の私の生きがいといってもいい、孫達の今後の成長を楽しみに、私も素敵なおばあちゃんを目指して、もうひと頑張りすることに致します。

今日はK君が、またお泊まりにきます。

 

長女は、一昨日、10日間の出張を終え、、ニューヨークから無事に戻ってきました。

連日会議漬けで、さすがに疲れたとか。

愚かな私は、「それってすべて英語?」との愚問。

「もちろんよ」でした。(笑)

 

30日の歩数 6120歩

 

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孫達の個性が花開くときまでは・・・・・・

2012-08-29 06:08:40 | 

私の孫達は、三人三様。

いえもう一人、一歳十カ月の孫、かれんちゃんを忘れるところでした。(笑)

先日、我が家にお泊まりに来たのは、中一のR君、小三のさっちゃん、小一のK君です。

         

それぞれ際立った異なる個性の持ち主達。

その愛しい孫達と共に過ごせた数日間は、この上なく楽しく、まさに至福のひと時でした。

老体の身には、猛暑の只中、三人のお世話は、それなりに疲れる大変なお仕事ではありましたけれどね。

 

息苦しさは相変わらずで、体調が芳しくない私。

預かるまでは、自分の体力に自信が持てず、楽しみ以上に不安が大きかったのですが。

孫可愛さからくる一途な思いは、そんな不安を吹き飛ばしてくれるようです。

 

今なお、束の間の三日間の思い出を振り返り、無事に過ごせた安堵に浸りながら、孫達の行く末に思いを馳せ、色々と夢を描いています。

この子たちの個性が花開くときまで、私は元気でいられるでしょうか?

          

              一日目のお夕食 この調理の失敗談や、豚しゃぶサラダのエピソードを
              料理ブログで紹介しています。

 

中1の心優しいR君に、私の睡眠時間は5~6時間と話したところ、大層驚かれてしまいました。

「おばあちゃん、もっと寝ないと駄目だよ。体を壊すよ。」と、真剣な眼差しで言うのですね~

今の私には、永遠の恋人のR君に、そんな優しい言葉をかけてもらって、夢心地。(笑)

もっと体を大切にして、この子たちの成長を見届けるまでは、何としても元気でいたい、と、しみじみ思いました。

 

更にとても嬉しい言葉をR君からかけてもらった私です。

「年齢より、おばあちゃんはずっと若く見えるよ」

中一の男児が、何もなくて、こんな言葉を掛けませんよね。

むろん、私の誘い水の数言がありました。(笑)

R君の言葉におだてられ、お小遣いを奮発してしまった、ばぁばです。(笑)

R君の策略にうまく載せられたかな~(笑)

 

さて、ところがです。

このR君が、少々心配になるほど元気がありません。

私は娘二人でしたから、男の子の本質をよく理解できていません。

ですから、一方的にそのような印象を受け、いらざる心配をしているだけのようにも。

身近な男の子で思い出すのは、夢路の長男、けんちゃんぐらいです。

そういえば、中学生の頃のけんちゃんも、暗い雰囲気で、存在感がとても薄かったようにも。

それが、今はやり手の立派な公務員、良きパパですからね~

 

とは言え、パパのHさんも心配しているようです。

なんとかR君の生活を立て直してやりたいとの彼の熱い思いが、ひしひしと私の胸にも伝わってきます。

 

私が考えるに、R君は奥手で大器晩成型、といったところではないでしょうか。

年齢よりもまだ、かなり幼い気がしています。

背伸びして、御三家の中学に、運よく進学できたものの、お勉強が何だかとても大変そう。

悪戦苦闘しながら、一人でコツコツ挑んでいる姿は、何とも健気で、少々痛々しく感じるほど。

その重圧で、元気をなくしているようにも見受けられます。

 

一見、つかみどころのないR君ですが、私には彼の心情が、なんとなく理解できる気がしてなりません。

娘にも、いつか言われました。

「Rの気持ちが一番良く分かるのは、ママかもしれないわね」と。

 

恐らくエリートコースまっしぐらだった、優秀なパパとママには、息子の少々だらしない暮らしぶりが、ふがいなくもどかしく映って仕方ないのでしょうね~

高圧的なパパの態度には、私はかなり疑問を感じて、よく注意をしますけれど。

でも子を思う気持ちは、人一倍強い人。

しかし短気な性格は、そう簡単には改められませんものね~

 

孫達を二日間預かり、送りがてら、長女の家にも一泊した私ですが。

その時、Hさんと、色々おしゃべりしました。

いつものことながら、娘のことはべた褒めしてくれる彼です。

「Mは本当に頭が賢いよ。ぼくには過ぎた優しいいい嫁さんだよ」等々

母親の私の耳には、これ以上心地よい言葉はありませんが、娘より、R君のことを褒めてくれれば、もっと嬉しいのですけれどね~(笑)

          

                お別れを名残惜しんで、 次女の子、K君を抱きしめるR君

 

そんなこんなで、頭からR君のことが離れず、いろいろ思いを巡らしている私に、天の声かと思えるような電話がありました。

皆を送り出し、娘宅で家事に専念している時の事です。

電話が鳴り、受話器を取りました。

電話をかけて下さった方は、R君が小学生の低学年時から、中学生になるまで通っていた、絵画教室の先生。

新しい住まいに転居してからも、大きな画材を提げ、30分以上かけて通っていたR君。

野球を止めてからも、受験勉強の息抜きが必要だとの、両親の思いもあったようです。

 

電話は、中学生向けの油絵教室へのお誘いでした。

その先生のお話しの内容といい、語り口といい、慈愛に溢れ、一言、一言が私の心に染みいるようでした。

娘からお噂を耳にしてはいましたが、全く面識のないお方です。

でも、私は数言、会話を交わしただけで、、この方は素晴らしい資質を持たれた教育者だ、とすぐ分かりました。

 

先生が、「この度は、優秀な中学に入学され、さすがR君ですね~」と、おっしゃって下さいました。

が、私は正直にRの今の状況を伝えました。

あまり元気がないことを。

「そうですか~」と幾分心配されたご様子が声から伺えましたが、その後、次のように言われたのです。

「私は、素晴らしい才能を持ったお子さんだと、思っていますよ。

僕は、R君から随分いろいろなことを学ばせてもらいました。

R君の才能は、大学を卒業するころには花開き、きっと大成すると思いますよ。

是非R君と向き合って話がしてみたいですね~」

私は、この方こそ、Rに自信を植え付け、才能を伸ばして下さる方に違いない、と、心底思いました。

正に天からおりた救世主といったところでしょうか。またまたオーバーな表現(笑)

 

この先生のご指導が素晴らしかったのでしょう。

R君の部屋には、消防署から優秀な絵画作品として授与された賞状が飾られています。

以前ブログでもご紹介しましたが、彼の粘土作品が、4年生の図工の教科書にも掲載されました。

 

キラキラ輝く感性の芽を、生活の重圧で摘んでしまうのは、余りにもったいないですものね。

私も幼少時には、朝日新聞の絵画コンクールで入選したり、学校の夏休みのグリル帳の裏に私の絵画が載ったこともありました。

けれど、見事にその芽は摘まれてしまい、伸ばす事ができませんでした。

 

優れた人間性を身に付けた方との出会いは、何にも勝る人生の宝です。

その意義を感じて、ぜひ絵画教室に、また通ってほしいな~

ババからの強い願いです。

 

ところが、私の勧めに対するK君の返答は、

「行ってもいいんだけれど、学校が忙しいから」でした。

もちろん勉強だけでなく、テニスクラブと美術部に入部し、まじめに頑張っているR君です。

その上、電車通学では、時間が足りないのも無理からぬこと。

心に余裕を失ったR君の正直な弁ですね~

 

そこを何とか工夫して、時間の効率化を図れないものかと。

これは、大人の考えで、中1の奥手の少年に要望するのは、少々酷なことかもしれません。

 

子育ては、迷いながらも、精一杯の愛情を注いで臨む内に、子供と一緒に親も成長し、一つ一つ道が開けていくものです。

焦りは、禁物。

私も子育ての最中に、いつも自分に言い聞かせていたことでした。

そういえば、臨床心理士をなさっている娘と同年代のブロガーさんが、男の子への対応は難しいです、とおっしゃっておられた事を、今、思い出しています。

          

            テニスクラブの練習にでかけるR君。おしゃべりしながら共に歩いて、途中まで見送りしました。

 

夏休みも、毎日テニス部の練習に黙々と通い続けるR君が、テニスラケットを抱えて我が家を訪れてくれました。

忙しい暮らしにもかかわらず、おじちゃん、おばあちゃんの願いをかなえてくれた優しいR君。

本当に嬉しく思いました。

ありがとう♪

またいつでもいいから、遊びに来てね。

 

今日は気がかりなR君の事が心から離れず、そのお話に終始してしまいました。

次回は、さっちゃんとK君の楽しいエピソードを語るつもりでいます。

又とんでもない長文に。

貴重なお時間を割いて、私の拙文に最後までお付き合い下さいました皆さま。

恐縮に存じます。

誠に有難うございました。

 

今朝は心なしか涼やかで、今のところ凌ぎやすい朝を迎えています。

くれぐれもご自愛の上、今日も一日お元気で、良き日をお過ごしになられますように♪

 

27日と28日の歩数

 

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パソコントラブルは究極の時間泥棒

2012-08-27 08:23:56 | 暮らし

       
                 

               朝日が差すまでの早朝は、いつもこの場所でパソコンに向かいます。

 

一昨日は、以前のように寝起きの早朝、PCに向かいました。

ところがPCのトラブルに遭遇し、インターネットが全く見られません。

数週間前にも、同じような状況に陥りました。

その時は、私なりに悪戦苦闘し、馴染みのない操作を色々繰り返す内に、、インターネットが復旧するといった事が、幾度かありました。

 

今回も全く同じ症状ですが、前回の対処策を思い出し、再度試みても、全く反応なし。

朝の貴重な時間を二時間近くつぶしてしまいました。

 

その情けなさは、言葉では言い尽くせないほど。

PCのトラブルに巻き込まれるのは、私にとり、本当に辛い事の一つです。

 

機器音痴の私が、トラブルに出遭うと、頭は混乱し、理屈も何もなく、めくらめっぽうな対処で、自己流の修理に挑戦します。

前回の時は、それで何とかインターネットを修復できましたが。

しかし、今回は全くだめ。

私が思いつく事を、あらん限り試しましたが、ネットに私のPCがつながってくれません。

もちろん画面に載った修復の指示にも従いますが、駄目な時は、いかなる努力も報われませんね~

二時間以上試み、ついにギブアップ。

プロバイダーのビッグローブに電話をかけ、教えを請うことにしました。

 

ビッグローブさんのお話から、私の想像を遥かに超えた深刻な事態が生じている事が分かりました、

恐らく、今現在、日本中で多くの方たちがPCが見られない事態に陥っておられるのではないでしょうか。

私には、社会問題となり、新聞に取り上げられても可笑しくないほどのニュースとの受け留め方をしてしまいましたが。

新聞には、まだ載っていないようですね。

深刻な事態とは?多分にオーバーな表現でした。(笑)

PCに精通した方には、簡単に治せる事かもしれませんから。

 

今回のトラブルは、パソコンのセキュリティー会社、マカフィーのセキュリティーサービス障害が原因のようです。

そのため、ビッグローブから、マカフィーの電話番号を教えていただきました。

かかりにくいとのことで、三か所の番号を紹介してくださったのですが、いずれにかけても、全く通じません。

通じるはずがありませんよね。

全国的な障害とのことですから、何十万人もの人の電話が、この会社に殺到しているのではないでしょうか。

個人に限らず、当然企業もこのトラブルに巻き込まれ、一時的にでもPCに於ける作業が不能になったのでは。

 

プロバイダーさんのお話では、一端マカフィーのソフトを削除し、再インストールすることで、復旧が可能とのことでした。

その指導は、ビッグローブでも教えられるそうですが、それによってンターネットが復旧するかどうかは保証はできない、と言われました。

再インストールの際には、ビッグローブの会員証が必要、と言われましたが、それが見当らな~い。

即、再インストールしませんと、セキュリティ―の不安は抑え難いですものね~

困りました~

          

                         朝日がさし始めると、こちらに移動します。

 

インターネットのトラブルでは、時間泥棒をされている情けなさを痛切に味あわされます。

一昨日からの二日間、このせいで、生活のリズムがすっかり崩れてしまいました。

とりあえず、夫のパソコンを借りて、窮状を凌いでいました。

めったに使用しない夫のパソコンは、恐ろしく反応が遅い。

トラブルで疲れ切った精神を、逆撫でしてくれますが、見えるだけで良し、と自分に言い聞かせ、今後いかにすべきか、悩みました。

その後も、数十回、マカフィーに電話をかけましたが、話し中の通信音ばかり。

 

ところがです。

夜も更けた十時過ぎに電話をかけたところ、営業時間が九時で終了とのお知らせの留守電が、耳に入ってきましたが。

その後に、通信障害に因るインターネットのトラブルのおわびの言葉と共に、その修復方法の説明がなされました。

何故、日中にも、自動音声ででも知らせてくれないの、と少々腹立たしくなりましたけれどね。

その内容は、下記の如くです。

 

コントロールパネルのプログラム追加と削除或いはプログラム機能で、マカフィーのソフトをアンインストールします。

それにより、インターネットが見られるようになるとのこと。

その上で、マカフィーのホームページを開き、再度インストールを行います。

 

この指示通りにしたところ、インターネットの修復がスムーズにでき、ほっとしました。

又、ところがです。

先程、会員証が見当たらない話を致しましたが、マカフィーも、会員とは言え、出しぬけにインストールなんてできませんものね。

就寝前で、大層疲れていたので、これ以上手間取ることに、心は拒否反応。

そうだ、サービスで一ヵ月無料のセキュリティ―ソフトのお試しがある。

とりあえずこれを申し込んで、急場の不安を凌ぎましょうと、ちゃっかりな対応を思い付いた私でした。

そして、そのインストールを開始しようとしたところが。

すでにノートンのセキュリティーが使用されています。

一旦それをアンストールしたうえで、開始して下さい、と、意外なお知らせ。

私って、二重のセキュリテイ―をかけていたのかしら???

そういえば、いつかプロバイダーに払うひかりの通信料に、毎月数百円、そのための料金を加算したようなおぼろげな記憶も・・・・・・・

 

何やっているんでしょうね~私は。

これも歳のせいにしておきます。(笑)

今日、確認の電話を入れますね。

二重にセキュリティ―をかけていたのなら、むろんマカフィーは解約しましょう。

 

今回のトラブルで、私の頓馬に気が付くといった、おまけが付き、多少は心が慰められたかしら?

いえいえ、その逆のようにも・・・・・・・

自分のいい加減さに呆れ、自信を益々失ってしまったかも。

 

それはともかく、今日は、二日間、PCに振り回され、すっかり狂ってしまった暮らしの軌道修正をしなくては。

又、万歩計を身に付けようと思い始めています。

今が一番素敵の精神で、二度と訪れない今日という掛け替えのない日を、愛しんで大切に過ごしたい、と願っています。

何だか、今日も猛烈な暑さになりそうですね~

沖縄の台風のその後も心配。

ニュースで様子を見なくては・・・・・・

くれぐれもお気を付けてお暮らしになられますように。

被害が出ませんように、心よりお祈りしています。

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しばらくぶりのブログ綴り

2012-08-25 16:35:50 | 社会 政治

 

            

皆さま、お久しぶりです。

しばらくのご無沙汰でしたが、又ぼつぼつブログ綴りを始めようかしら、と。

けれど、連日書いていた時のような意欲とは、まだ気分が程遠い感じの私です。

 

お休みを始めたのは、まだオリンピックが閉会する数日前の事でした。

今では、あの華やかな平和の祭典の記憶も感動も、次第に薄れつつありますが、29日から、ロンドンパラリンピックが開催されますね~

本大会同様、日本人はむろん、世界のアスリート達の活躍を祈りたいものです。

きっと彼らの頑張る姿の背景に、大きな挫折を乗り越え歩んできた、人生の重みと苦労を感じないではいられない事でしょう。

本大会以上の、拍手と声援を送るに値する人達。

この方達に、惜しみない応援と賛辞を、精一杯届けたいものです。

 

この平和の祭典に酔い、感動冷めやらない時に、東アジア海域で不穏な出来事が立て続けに置き、私達の心に水を差してくれました。

戦後が未だに終わっていないことの現実を、改めて実感。

少々嫌気がさす差す程の気分の悪さを、味わうこととなりました。。

 

この度の韓国大統領の竹島上陸の理由の根っこには、慰安婦問題の未解決がある、と言われているようですが・・・・・・

しかしながら、日本はすでに慰安婦の犠牲者に200万の賠償金を払っているとの事。

福島の被災者への一人あたりの義援金額や東電の賠償金に比べ、200万とは、貨幣価値の違う韓国では、大変な金額になりませんか。

これ程の賠償を受け、さらに何が不服なのでしょうか。

恐らく私には理解できていない複雑な事情が、まだいろいろあるのかもしれませんが。

 

下記の記事は、小泉氏が首相時の外務官僚、田中均氏の弁です。

「1995年の、村山富市内閣の時です。私は当時、総合外交政策局の総務課長として直接担当したからよく知っています。民間の資金でアジア基金を設立し、国民の寄付を募り、政府もお金を出した。慰安婦だった人達に一人当たり200万円の償い金を、首相のおわびの手紙をとともにお渡ししました。韓国政府に異存がありますかと尋ねたら、自分たちは関係ないと。日本への請求権は法的に決着が付いているから韓国政府が資金を提供すべきだという大統領もいました。」

 

それに比べ、広島の被爆者の私達は、アメリカの政府や民間から、その苦労や犠牲に報いる賠償を受け取ったりしたでしょうか。

全くそんなことはありません。

けれども、恐らくアメリカを憎んでいる人は、今はほとんどいないでしょう。

日本人には、サンフランシスコ条約で戦後処理が終わったために請求する資格がなくなった現実を、受け入れる潔さがあります。

日本人の素晴らしい資質ですね~

東日本大震災の極限の状況下でも、潔さと覚悟で持って、冷静に対応し、頑張り続けた日本人。

 

中国人や韓国人の言動には、私達の国民性からは、理解し難いものがありますが、彼らには彼らなりの言い分がある事は間違いないでしょう。

その言い分に、日本国民として、耳を澄ませる必要もあるのかもしれません。

 

しかし、天皇陛下を見下げたような大統領の失礼な言動や、野田首相の親書を送り返すといった、外交では前例のない行為。

国際司法裁判所で、正々堂々と闘うことを拒否する態度。

余りに大人気なくて、私は、空いた口がふさがらない、といった感じでいます。

 

とは言ったものの、尖閣諸島の魚釣島へ香港の活動家に続いて、日本の地方議員までもが上陸し、日の丸を振ると言った応酬的な振る舞いをしましたね。

これには、とてもがっかりしました。

情けない人達!

竹島も、尖閣も、日本の領土であることが、動かし難い既成事実と確信するなら、もっと冷静に悠然と構え、大人の対応ができないものでしょうか。

子供じみた感情的な抗議行動に、どんな意味と意義があるのでしょう?

これでは、日本人も中国や韓国の人達と、全く変わらないと・・・・・・・・

 

都議員も、竹島への上陸の申請を出し、国の許可が下りたようですが。

これには地質調査や、不動産の鑑定などの目的があり、多少は理解できても、今後の行動が、領有権問題の解決に有益なのか、甚だ疑問です。

もっと日本人らしい冷静な対応で、地道な努力を積み上げ、よい解決策を見つけてほしいもの、と心から願っています。

 

今日は久しぶりのブログ綴りですのに、いきなり政治の話で、なんだかちょっと恥ずかしいですけれど。

私がお休みの間に、他にも、事件がいろいろあり、心を揺り動かされました。

 

シリアで、とても美しい女性ジャーナリストの山本美香さんが凶弾に倒れ亡くなられたのも、大変なショックでした。

民間人からの初起用の中国大使、元伊藤忠の社長さんだった丹羽宇一郎氏の退任も、がっかりしました。

この方のエッセイを新聞記事で読むたびに、感動し、安藤忠雄氏、稲森和夫氏と共に、私が心から敬意を払う方のお一人でしたから。。

尖閣諸島の買い取りへの批判の言葉が、退任させられる理由だったようですが・・・・・・

民間人のまともな感覚は理解してもらえないのが、政治の世界。

丹羽氏も、そのご苦労から解放され、良かったのかもしれませんね~

本当にお疲れさまでした、と心から労いのお言葉を申し上げたい気持ちで一杯でおります。

 

次回からは、孫達とともに過ごした数日間の実り豊かな、素敵な思い出を綴りたい、と思います。

ほとほと疲労困憊しましたが、孫可愛さの一途な気持ちが、私の体を支えてくれました。

今後は、気の向くまま、数日に一度程度の投稿回数になるかと思いますが・・・・・・

誠心誠意、心を込めた内容にしたいと願っていますので、引き続き、以前と変わらないお付き合いの程、宜しくお願い致します。

 

忙しい上に、暑さで体に余力がなく、カメラを手にしたのは、わずかな時間。

孫達のスナップ写真が少々あるのみです。

他はほとんど撮っていません。

載せるに適当な写真がなくて、困りました。

今日載せた冒頭の一枚は、私がキッチンのシンクに立って家事をする際の、居間を見通せる窓からの風景です。

お花は、庭の花壇で摘みました。

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相変わらずの猛暑で堪えますね~
秋を心待ちにして、もうひと頑張り致しましょう。
夏のお疲れが出ませんように、くれぐれもご自愛下さいませ。

 


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又の、しばしの夏休み

2012-08-10 05:33:42 | 暮らし

残暑になると、、毎年せみの声が、ひときわ大きく、感じられますね~

ひと夏の命と知り、精一杯自分の存在意義を歌っていると思うと、なんだか切なくもあり、哀れ。

そしてお盆入りとなり、主婦は、蝉しぐれを耳にしながら、準備に何かと追われる多忙な日々です。

 

今日は、お盆供養の施食会法要に参列するために、妹、夢路と菩提寺にまいります。

そして明後日は、ご住職さまが、我が家に来て、お経をあげて下さいます。

この二つの行事に、毎年欠かすことなく臨んできました。

精霊棚を作ったり、お寺さんをお迎えする用意などと、忙しいお盆ですが・・・・・・

今年は、今まで以上に、改まった気持ちになりたい、なんて、急に思ったりしています。

どうした心境の変化でしょうか。

だからといって、例年とは変わったことを、特別するわけではありません。

ただ一つ、去年とは変えたいと思ったことは、お盆の間は、PCをお休みしようと。

仏様をお迎えしているのに、日々パソコンに向かうのは、如何なものかしら、なんて、突然思ってしまいました。

 

亡くなった両家の両親や、ご先祖様と向き合い語り合う内に、今後の人生を如何に過ごせば、いっそう実り豊かになるか、

ご教示いただけないものかしら。

せめて気持ちだけでも、ゆったり持って、私の日常の姿を見て頂こうなんて、殊勝なことを思っています。

 

と、気取って見ましたが、お盆にかこつけて、またブログをお休みする理由をつくっただけです。(笑)

余り深い意味なんてありません

 

ブログの再開は、お盆明けの頃と思っていますが、長女が、21日から、また海外出張します。

その間、孫の面倒も見てやりたいと思っていますので、もう少し先になるかもしれません。

 

昨日は、初秋を思わせる心地よい風が立ち、凌ぎやすい一日でしたね~

でも、今日はまた暑さがぶり返し、猛暑になるとか。

 

皆さまには、くれぐれもご自愛の上、厳しい夏を、お健やかに乗りきって下さいね。

 

今、なでしこジャパンのサッカーの決勝戦を観ながら、ブログを綴っています。

予想通り、手に汗握る熱戦です。

本当に素晴らしい試合!

でも怖くて、私は直視できません。

延長戦になってほしいな~

残り三分です。

どちらが勝っても、私は両チームに、心からの拍手と賛辞を送りたい。

そんな気持ちでいます。

 

お料理ブログは、記述が遅れがちで、載せていない写真がたまっています。

頭を使用しなくてもできる機械的な短時間作業ですので、投稿の継続も、考えています。

宜しければ、時に覗いて応援して頂けると、大変嬉しいです。

 

ではまたお会いする日まで、ご機嫌よう♪

 

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感動の日々

2012-08-09 08:17:57 | スポーツ

         

 

 

立秋が過ぎ、お盆が目の前。

暦のめくる早さに驚かされ、少々焦りますが、年取るとは、こういうことのようです。

私のテンポは、このスピードより、周回遅れといった感じですが、気にしない、気にしない。

マイペースで、日々を送る以外、手立てがありませんもの。

おたおたと、でも毎日を何とかつつがなく、充実させて送っているといったところでしょうか。(笑)

 

オリンピックも、余すところ4日。

世界のアスリートたちの活躍に、胸を打たれ、日々感動の連続ですね~

オリンピックの主役は、個人であって、国ではない、との記事が、今回のオリンピックでは、特に目立ちます。

その通り、と頭では分かっていても、やはり、日本頑張れ!との言葉に、心がこもります.

もちろん、個人の健闘、そこに至るまでの努力、苦労などを思い、一人一人にも、精一杯の拍手を送っています。

         

 

今回のオリンピックに於ける日本の選手たちの活躍で、特に印象的なのは、チームプレイの素晴らしさでしょうか。

水泳、フェンシング、卓球、サッカー、バレーボール、等々。

いずれも、個人以上に、団結力の精神が光って、私達の心を打ちます。

 

水泳の、男子、女子のリレーの活躍には、言葉にならないほど感激しました。

強化練習の時から、選手全員が一丸となって精進し、オリンピックを目指す体制を取ったとのこと。

その効果が、見事に花開き、今年は、水泳界、最高の成果を生んだようでした。

         

 

東日本大震災以来、日本で大切にされた言葉、絆が、オリンピックでも、生かされ、光っているように見えて仕方ない私です。

きっと被災地の人達の弛まない頑張りと努力が、選手たちの活躍の原動力になっていることは、間違いないでしょう。

そんなことを思い、日本の選手たちのメダルラッシュを、なおさら嬉しく感じるこの頃です。

        

         

 

一方、女子100と200走で惨敗した福島千里選手のように、日頃の実力が発揮できなかった選手達は、何だか可哀そうにもなりました。

今回の事にくじけずに、これからも夢を追って、自分らしい競技生活を楽しんでほしいと、心から願っています。

そして、今後の更なる活躍に期待します。

 

北島選手の、敗戦後の、実に爽やかで、潔い態度。

室伏選手の、神々しく見えるほどの、落ち着いた態度と表情。

彼の口から発せられた、含蓄ある言葉の数々。

日頃の涙ぐましい努力と精進の賜物が、競技の成果のみならず、素晴らしい人間性を作り上げる見本のような方達だ、と思いました。

選手達の活躍のみならず、輝いた人間性にも、魅了されるオリンピックです。

         

 

応援で、少々お疲れ気味の私ですが、これからも老体鞭打って、声援を送り続けます。

日本頑張れ!世界のアスリートたち、頑張れ!、と。

http://www.youtube.com/watch?v=Hhr7h7Zsp5Q

 

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被爆者の私  その思い

2012-08-08 05:56:03 | 想い出

旅行記が終わり、通常の日記を綴れる日が、やっと訪れました。

さて今日は、何を題材に取り上げましょうか。

オリンピック、我が家の夏の庭、ささやかなリフォーム、私のその後の体調等々、心にいろいろ浮かびはしますが・・・・・・

浮かぶだけで、それを文章にするとなると、また別問題。

うまく表現する自信がなくて、ブログは私にとって、相変わらずチョッピリ生活のストレスです。

 

いつものように、衒うことなく、素直に正直に、自分の心情を綴れば、何とかまとまる、との気持ちで、これからもまいります。

案ずるより生むが易し、といったところでしょうか。(笑)

 

いろいろ心に浮かぶ、書けそうな題材を挙げてみましたが、それ以外に取り上げたい大切な事が、もう一つありました。

自分の生い立ちから、見過ごすことはできなくて・・・・・・・

それは、一昨日の原爆の日、平和祈念式典です。

今年は、67回目に当たります。

懐かしい平和公園がテレビに映り、例年通り、炎天下にもかかわらず、大勢の参列者で溢れていました。

        

 

このブログで、すでに触れたことがありますが、原爆についての私の思い出と思いを、再度、お話しさせて頂こうと思います。

同じことの繰り返しになりますが、重複の程は、ご勘弁下さい。

 

私が生まれ育った故郷、広島。

山の幸、海の幸に恵まれ、川の風景がとても美しい、爽やかな雰囲気のする街です。

原爆投下で焼け野原となった悲惨な状況から、目覚ましい復興を遂げ、今日の繁栄があります。

奇跡といってもよいほどかもしれません。

 

私は、この土地で、原爆投下の前年、日本の敗戦色が濃くなった、まさに非常事態の状況下で、生を受けました。

そして翌年、爆心地から三キロ離れた地点で、被爆。

私の家族はその時、九死に一生を得ると言った、幸運に恵まれました。

原爆投下が、8月7日ですと、家族は全滅していたからです。

 

爆心地から徒歩10分程度の場所に父の勤める会社がありました。

出勤していた人は、恐らく全滅だったに違いありません。

父が助かったのは、前日まで出張で、その翌日は出社を30分遅らせることができたから。

 

我が家の裏に当たる通りの主婦も、爆心地近くの勤労奉仕に出ていたため、全員亡くなったと、聞かされています。

翌日は、我が家の通りの番でした。

ですから、もし原爆投下が、8月7日なら、父母も私も、生きていませんでした。

私の家族のように、紙一重が、生死を運命づける出来事が多かったのも、原爆の日の一面でしょう。

 

当日、父は、会社まで出かけ、悲惨な会社の状況を我が目で確認。

帰りは黒い雨を浴びて、帰宅しています。

その後しばらく、私達は、母の郷里に疎開したようですが、さほど間をおかず、広島に家族で戻りました。

 

こんな運命的な出来事を乗り越えて、暮らしてきた我が家ですが。

私は、物心が付き、今日の暮らしに至るまで、原爆の影やその負担を辛く感じたことは、全くと言って良いほどありません。

(妹夢路のブログに、ABCの事が書かれていますね~記憶にあまりないなぁ~一度出かけたにはよく覚えていますが。)

唯一の哀しい思い出は、約1年ほど、祖父母の家に預けられたこと。

 

母が、戦争前後の苦労で結核を患い、入院することとなりました。

入院日に、黒い車がお迎えに来た時のことを、よく覚えています。

母のあとを、泣き叫びながら私は追いました。

 

預けられた祖父母の家近くで、近所の子供達と遊んででいる時の事。

傍を霊柩車が通りました。

親指を隠さないと、親が死ぬと友達に言われ、慌てて隠そうとしたのですが、間に合いません。

「そのせいで、離れて暮らしているお母さんが、死んでしまうかもしれない」と、幼心を非常に痛めたものでした。

まだ年端もいかない年齢ながら、鮮明に記憶しているのは、あまりに辛い出来事として、心に深く刻まれたからでしょう。

 

母は、実家の援助もあり、ストレプトマイシンという、その当時大変高額な薬が服用でき、命を取り留めることができました。

その後も、戦後の物資が乏しい中、荒廃しきった広島での子育ては、想像を絶する苦労があったに違いありません。

母専用の子守が付く程のお姫様のような娘時代を送った母が、一転、どん底に突き落とされてしまいました。

そのギャップに寄るすさまじい苦労は、推して図られます。

          

                      夕焼けが美しかったので、我が家のベランダで撮りました。

 

しかし、そのような我が家ながら、原爆の苦労話が話題にのぼることは、ほとんどありませんでした。

両親は、余りに悲惨なことゆえ、触れることさえ、ためらわれたのでしょうか。

忘却の彼方に押しやって、放射能の体への影響といった不安や心配の要素はすべて掻き消し、平凡な日常を送りたかったのかもしれません。

そのお陰で、私も、被爆者といった意識を全く持たないで、人生を送ることができました。

被爆者手帳を利用すれば、医療費、居住市の交通は無料といった恩恵がありましたが、被害者意識が皆無だった私。

ゆえに、被爆者保護の手当てを利用し始めたのも、40代の中頃からでした。

 

問題意識の強い方には、呆れた人生と映るかもしれません。

けれど、広島県人には、原爆の苦労を話題にする人は、意外に少ないです。

私の知る限り、広島における小、中、高の生活でも、そのことが大きな問題として取り上げられた記憶がありません。

友人達と、それが話題になったこともありません。

原爆の傷跡は、至る所にあったはずですが・・・・・・・・

広島市民の大方の人は、忘れ去ることで、心の平安を取り戻すことができたのではないでしょうか。

被爆者の意識からは解放された、意外にも、屈託のない暮らしぶりでした。

 

その点、福島の人達は、情報過多の中にあり、苦労が一層増幅されているようで、気の毒に感じもします。

時代の違いで、致し方のないことではありますが。

低放射能の影響などが、あまりオーバーに声高に吹聴されると、差別の要因になりはしないかと、心配にさえなります。

 

個人の力でできることには限りがあります。

心許ない政府ですが、行政を信じ、いやなことは忘れて、静かな平穏な日常を取り戻したい、と願う方々も大勢いらっしゃるに違いありません。

 

政府は、原発の事故で、苦労を背負わされた人達への目配りを、もっともっとしなければ、責任を果たしたとは言えません。

健康管理の医療の助成も当然でしょう。

その要請の働きかけは、然るべき人たちに、是非頑張ってもらいたいものです。

 

一方で、福島の人達には、あまり周りの情報に心を惑わされることなく、穏やかに平穏な日々を暮らしてほしい、と願うのは、私だけでしょうか。

 

関東地区の放射能の量で一喜一憂して暮らす過敏さには、正直言って、私は理解に苦しみます。

そんなに心配しなくても大丈夫、と生きた証人の私は、伝えたい心境です。

当日爆心地近くまで出かけ、黒い雨まで浴びた父は、82歳まで生を全うしました。

最後はがんを患ってなくなりましたが、それまで病気とは全く縁のない人でした。

放射能の影響を受けやすい乳児だった私も、今なお、元気に暮らしています。

 

しかし、核廃絶と、核の平和利用をへの対応となると、あまりに難しい問題で、私には未だによく分かりません。

核を平和利用している限り、何時それが戦争に転用されないとも限りませんものね~

核が、世界の平和にとって脅威であることは変わりないでしょう。

 

昨夜、夫に夕食の時、「あなたは、原発は廃止すべきと思う?」と尋ねてみました。

夫は、「反対ではない」と答えました。

その理由は、化石燃料は、いつまでも持たないし、自然エネルギーはまだ未発達の状況だから、というものでした。

 

私も、夫と同意見です。

野田総理も平和式典で述べられたように、脱原発依存の基本理念は私も変わりありませんが。

あまりに性急に、この問題に対応し、廃止か持続かの結論を下すのは如何なものでしょうか。

自然エネルギーの開発に全力で臨む一方、今はある程度の原発の利用も止むを得ないのでは、と思います。

その安全性を高めるための研鑽に、日本の最先端の科学技術と知識を生かし、精魂を傾けて取り組んでほしい、と。

そして我が国のみならず、原発利用をする国々のためにも、その安全性が高められるよう、国際的な尽力と貢献をしてほしい、と願って止みません。

 

最後にまた、同窓生の慶応義塾大学の元工学部教授のお話を、再度ご紹介しましょう。

私の心にかかり、拭い去ることのできない言葉です。

今の私は、複雑な心境で、受け留めていますけれど・・・・・・

 

核を平和利用する以外に、人類が生き延びる道はない。

どんなきれい事を述べても、人類が滅亡すれば、元も子もありませんよ。

私達は、子や孫の世代より、もっともっと先を見据えないといけないんだよ

 

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最終章 軽井沢の思い出記 優しい手

2012-08-06 06:40:14 | 旅行

              

 

僅か二泊三日の旅行でしたのに、私はいつまでこの思い出を綴るつもり?

もういい加減にしなければと思いつつ、今日も又、書き始めています。

今日こそ、最終章にしたいものです。

出来るだけ、手短に要領よく、と自分に言い聞かせていますが、私の事。

きっとまた、長文になるでしょうね~

最後となると、何もかも詰め込もうとの意気込みですから。(笑)

 

さて、最終章に当たって、私がどうしても触れたい思い出に、軽井沢の野鳥の森での、ネイチャーウォッチングがあります。

http://picchio.co.jp/sp/

私の体力でついていけるかしら?

足場が悪いと、高所恐怖症の私は、途中で足がすくんで前に進めなくなったりしないかしら、と不安が先に立ち、参加を躊躇せざるを得ませんでした。

Mちゃんも、止した方がいい、と言って、その間の別行動を勧めます。

      

 

でも私は、この時を逃すと一生このような機会に恵まれないのでは、と思い、勇気を出し、長女とさっちゃんと行動を共にすることにしました。

詳しい説明は割愛しますが、参加して本当に良かった。

私の一生に、かけがえのない思い出ができた、との感慨に浸ることとなりました。

 

ネイチャーツアーで出会えた生き物は、キツツキ、ホウジロ、シジュウカラ、ザトウムシ、いも虫、カメムシ、アオゲラ、コナガ、クロツグミ等々。

野生の猿にも、度々出会いましたよ。

クマが木登りした形跡のつめ跡や、地面に残された大きな足跡もまでも、詳しいガイドさんの案内で、確認できました。

      

                                             野生のおサルさん

   

                  クマの足跡                            クマの木登りのつめ跡

 

私が心配した足場は、全く問題なし。

まるで童心に返ったようなワクワク感で、グループの人達と楽しく元気に、行動を共にすることができました。

このツアーは、すべてが感動的な事ばかりでしたが、その中で、殊更、印象的で、私の心に深く刻まれたことを、ここにご紹介しましょう。

 

        

 

心に深く刻まれた出来事とは、ガイドさんの生き物に対する、この上ない優しさと慈しみある態度です。

ある虫を葉影から取り上げ、そっと手のひらに載せ、特殊な顕微鏡で拡大し、私達に、その生態を観察させて下さいました。

その虫を元の葉に載せようとしたところ、スムーズにその葉に戻ってくれません。

「怯えているようですね~」とおっしゃりながら、その生き物を居た場所に返す時の、真剣な眼差しと仕草。

ガイドさんの気持ちが虫の心と一体になってしまったのでは、と思われる程に、精魂傾けての対応でした。

正にその態度は、親心そのもの。

そっと、優しく優しく取り扱いながら、幾度も幾度も同じことを繰り返し、やっと虫が葉に乗ってくれた時。

安心と安堵に浸られたお顔は、神々しく輝いて、私の眼には映りました。

その姿を見て、私は、反省しきりで、我が身の、自然の生き物に対する普段の振る舞いを、恥ずかしく思った次第です。

 

皆さんは、クマに出くわしたなら、咄嗟にどんな行動を取られるでしょうか。

今回の体験で、この知恵も授かりました。

クマは、本来は小心な動物だそうです。

何もなければ、人間を襲うこともあり得ないとのこと。

人間が怖がり、悲鳴を上げたり、背を向けて逃げだすと、襲ってくるようです。

ですから、万一出遭った時は、冷静な態度でクマと向き合ったまま、静かに後ずさりすると危険を免れられる、と教わりました。

しかし、いざとなった時、そんな冷静な態度が果たしてとれるものかしら??

全く自信がない私です。

 

クマと言えば、碓氷峠の山登りでのエピソードを思い出します。

私が一人、バス到着を待ってホテルの前を散策している時、山登りの途中の娘から、電話が入りました。

「クマが出るらしいので、さっちゃんと大きな声で歌いながら峠に向かっている」との話。

それを聞いた私は、仰天!

二人の行く方が心配で、すっかり情緒不安定に。

エントランスの前にいたホテルマンに、最近のクマの出没状況について思わず尋ねてしまいました。

最近クマが出たという話は耳にしたことがありませんと、との一言で、幾分安堵。

すぐ娘に連絡を入れました。

ところが、3~4日前に目撃されたみたいとの、又驚きの報告。

 

もちろん無事に会え、ほっとした私ですが、クマに襲われ命を落とした人の報道を耳にするのも事実。

不運な出来事として片付けられることではありませんものね~

鈴を身に付けて歩くのも、クマ撃退のよい方法のようです。

妹の夢路夫婦始め登山好きの方々は、くれぐれもご注意くださいね。

     
                                                黄色い鈴を身に付けられたガイドさん

 

さて、軽井沢の思い出記を、とりわけ印象に残った事のみに注目し、綴ってきました。

とは言うものの、私達が回った観光スポットは、ほとんど取り上げたつもりです。

史実など、詳しいことは省略してしまいました。

横着で不勉強な私の一面をお見せして恥ずかしいですが、いつものことですので。(笑)

 

最後に、軽井沢銀座の事に、多少触れましょう。

一時、俗化がはなはだしいと言われ、若者の街のごとくの印象の報道がありました。

恐らく、この銀座通りが、その典型だったのでしょう。

しかし、私の目には、大変面白味溢れる魅力的な通りとして、映りました。

お店に惹かれたのみならず、私の想像力が膨らんでいったからです。

昔、宿場町として賑わった頃の光景と、今の光景が二重写しとなり、ワクワク感が高まりました。

  
 さっちゃんお気に入りのママとお揃いの洋服を身に付けて     特別なイベントはすべてお休み 休養十分な夫

 

中仙道有数の宿場町として栄えた当時の面影は、通りには何もありません。

しかし、昨日ご紹介した鶴屋旅館の前、銀座通りの終わる地点は、中仙道の難所の一つと言われた碓氷峠の入口です。

そこに立つと、往時が偲べます。

時空を超えて、、同じ日本人として命がつながれ、六十九次で最も栄えた宿場に足を踏みしめ、生きている不思議。

そして、ロンドンでは、オリンピックが開かれようとしていました。

滔々たる時の流れと、その変遷の感慨に浸れるのも、、史跡に出合える旅ならでは魅力かもしれません。

 

この銀座通りで有名なパン屋さん、浅野屋、コーヒー味のアイスクリーム、モカソフトが有名なミカドコーヒー、ジャムの発祥のお店、沢屋等。

他にも、おしゃれな雰囲気のお店がいっぱいでした。

 

二日目の銀座通りの散策でお土産を多少物色し、三日目の観光の後、夕刻家路に付いた私たちでした。

 

バッグの中には、碓氷峠の県境にある熊野皇大神社で買い求めた大切なお守りも。

神主さんが、祭壇でお祓いまでして下さいました。

孫達の健やかな成長を願って、私のかけがえのない宝物となりそうです。

何よりの思い出の記念品にも。

大切にしなくては、と思っています.

 

Sさん、Mちゃん、お心遣い、本当にありがとう。

お陰さまで、とてもとても楽しい素敵な旅でした。

また新たな思い出を紡ぐことができました。。

   

 

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私なりに頑張ってきた人生

2012-08-04 09:15:07 | 旅行

オリンピックは、毎日熱戦が繰り広げられ、感動のドラマを生んでいます。

私は観戦で家事も寸断され、なんだか落ち着かない日々。

その熱さと同じように、お天気も異常にアツイ。

今年が異常と感じるのは、もしや私の勝手な思い込みかしら。

例年、夏には、この程度の暑さだったのかもしれない、と思ったりもしています。

他の皆様の受け止め方は、如何でいらっしゃいますか?

 

私は、体力が限界点に達しそうな日々の中、何とか気力で家事をこなし、オリンピックを観ているている有様です。

私の人生で、こんなに辛い夏は初めてかもしれません。

でも、愚痴って不満を言っても始まらないのが、天候ですものね~

こんな状況だからこそ、凛として気力で乗り切ろうと、息苦しさに耐え、何とか頑張っている私です。

     

                      軽井沢で、よく見かけたヤマアジサイ

 

とは言え、昨日は起床時から、余りに気分が悪く、さすがに心配に・・・・・・

医者通い嫌いな私が、止むに止まれず、医院の門をくぐり、診察を受けてきました。

その時頂いた二種類のお薬が、効いたのでしょうか。

今朝はいつになく、体が軽やかで、気分も爽快です。

血液検査の結果はいつも通り。

多少貧血気味ながら、すべて正常値でした。

先生が、納得のいく、大変興味深いお話もして下さいましたが。

この事については、また日を改めて、お話しさせて頂きますね。

 

快適なリズムを維持して、メリハリのある暮らしを送る事が、私の心身を一番楽にしてくれることは、百も承知のはずなのですが。

そのリズムが、狂ってばかり。

狂っては立て直し、狂っては反省し、また立て直す。

そんな日々がずっと続いています。

 

軽井沢に、或いは次女家族がよく通う蓼科の別荘近くのお気に入りのホテルでも、避難したいのが正直な気持ち。

あの清涼な空気に包まれて暮らせば、私は、息を吹き返すに違いいない、と思ったりもしますけれど。

旅行から戻ったばかり今の私には、贅沢な願い、と諦めましょう。

 

けれど、軽井沢のタクシーの運転手さんの話によると、最近は例年、軽井沢も夏は暑く、日中は30度を超すとか。

それでは避暑地とは言えませんね~

でも夜間は涼しくなるようです。

その点、次女婿のご実家の別荘は、標高の高い所に位置するので、異常気象もなんのそので、冷涼な気候のようです。

 

次女家族は、昨日の朝、その蓼科へと出発しました。

義父母様と一緒に、毎年この時期は、その別荘で過ごしています。

かれんちゃんは、物心つく年齢となり、今年は、緑豊かな自然の中で、バカンスの日々を、思う存分楽しめるに違いありません。

 

さて今日もまた、旅行記の続きをと思いましたが、前置きが何だか、とても長くなってしまいました。

昨夕、いたたまれず、医師の診察を受けたばかりの私の事。

自らの健康に焦点を当て、旅行記からはかなり逸脱した内容になりますが、お話を進めてまいります。

           

                   二日目の朝、観光に出発です

私は、幼い時から虚弱体質で、よく熱を出して、学校もお休みがち。、

あだ名は、骨皮すじ子とつけられるほど痩せた少女でした。

ところが、今は見る影もなく、貫録十分な女性になり果てましたけれど。(笑)

 

でも疲れやすい体質だけは相変わらずです。

如何にその体と折り合いを付け、主婦業をしっかりこなすかが私の一生の課題といっていい程。

 

今までは、時に過労で倒れ、入院したことも幾度もある私の体。

何とも心もとない限りですが。

とは言え、その体に甘んじることなく、、何とか順調に自分の責務はこなしてきたかな~、と自負しています。

 

私が、割とつつがなく人生を送れたのは、いろいろな岐路に立たされた時、選択を間違えなかった事に寄るのかもしれませんね~

投資で道を踏み外し、大損を被るといった、失敗もありました。

けれど、手遅れにならない内に、止めるという選択ができました。

夫選びも、間違えたかしら?(大笑い)

いえいえ、そんなことはありません。

私には過ぎた旦那様です。(笑)

 

旅行中、長女にチョットだけ、ある事を褒めてもらいました。

「ママは、選択眼と直観力が、とても優れている、と思うわ」と。

鳶が鷹を生んだ、典型的な親子ですから、私は褒められるようなことは、不本意ながらめったにありません。(笑)

ですから、ちょっぴり嬉しかったです。

非常に疲れやすい弱い体質ながら、いざとなると、その辺りの判断力が功を奏して、今もこうして穏やかな平和な暮らしを維持できるのかもしれない、と思うこの頃です

 

そんな母親と異なり、娘達は、鉄人と言ってもよいほど丈夫な人達。

夫も、今こそ大病を患いましたが、それまでは風邪ひとつ引いた事がなく、会社も娘同様、皆勤賞に近かった、と言ってもいいでしょう。

私だけが、異質。

私の体質を、長女も次女も受け継がなくて本当に良かった、としみじみ有難く思います。

その鉄人ぶりを、Mちゃん親子が、旅行中も大いに発揮してくれ、私は驚き桃の木山椒の木でした。(笑)

 

1日目は、ショー記念礼拝堂の観光だけでしたが、翌日はいろんな観光スポットを見て回りました。

その詳細は明日に回すとして、夕刻間近か、碓氷峠の見晴台に出かけることになりました。

ホテルの前に、その峠行きの可愛い送迎バスが止まります。

                 

 

しかしMちゃん親子は、まだ十分余力があるとかで、徒歩で目指す事に。

頂上に辿り着くには、1時間半程はかかるようです。

既に、いろんな所を巡り、老夫婦は、かなりお疲れ気味。

徒歩なんて、とんでもない、といった所でした。

夫は前日同様、ホテルで休養。

私も、お部屋で休憩しながら、しばらく迷いましたが、バスでMちゃん親子を追って、峠に向かう事に。

 

この山登りで、ブログに綴りたいエピソードがありますが、それも明日に回します。

山の頂で、無事に出会えた私達。

しかし、濃い霧に覆われ、期待した眺望は虚しく裏切られる結果に。

         

その展望台で、しばし休み、長野と群馬の県境にある峠のお茶屋で、束の間の一服。

またバスに乗り、この時は三人揃って下山。

                  

 

 

しかし何と、Mちゃん親子は、その直後、また雲場池方面までサイクリングに出かけたのには、またもびっくり。

体力のない私には、信じられないような行為。

そのバイタリティーには、驚くばかりでした。

 

帰りの新幹線の車中で長女に、「意欲はあるのに、体力がついていかないといった状況は、とても可哀そうに思うわ」と同情されてしまいました。

私は答えました。

「でもママは、そんな体に甘んじて、生きてきたわけではないわよ。

過労で倒れて、度々入院はしたけれど、必死で、その疲労感を乗り越え、それなりに頑張って生きてきたつもりよ。

そう思わない?」

と言ったところ、Mちゃんが大きく頷いてくれました。

 

その理解してくれている娘の様子を見て、私はもう十分嬉しくて・・・・・・

それ以上語ることは、何もありませんでした。

 

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軽井沢の奥の深さ

2012-08-02 12:35:51 | 旅行

 

         

                                       室生犀星の別荘だった旧居

今日も、また旅行記です。

又恐ろしいほどの長文。(笑)

退屈な文章でお読みぐるしいと思います。

どうぞ、スル―なさって下さいね。

 

今回の軽井沢の旅行で、非常に興味深く感じたことがありました。

軽井沢が、避暑地として認められるようになった初期の頃から、文豪達を惹きつけてやまない土地柄であったこと。

森鴎外、正岡子規、尾崎紅葉、田山花袋等々、多くの文学者がこの地にかかわる執筆をしています。

同じく室生犀星、堀辰雄、有島武雄、川端靖成、その他多くの作家たちが、別荘を構え、この地を愛して止みませんでした。

その旧居や跡地、文学碑などが、いたるところに点在するのも、軽井沢の特徴です。

作家に限らず、政財界の多くの著名人が、この地に別荘を構えたことは言うまでもありません。

 

それほどの魅力が、どこにあるのだろうと・・・・・

観光のみならず、それを知りたい、と私の錆びた感性が多少研ぎ澄まされたようにも。(笑)

そして、素直に、それを認める結果となりました。

私の感動が、極まりないものだったからです。

 

過去の一番良き時代に比べると、開発が進み、俗化著しく、変容はすさまじいものだったに違いありません。

そして、この歳になり初めて、この有名な避暑地を訪れた私です。

しかし、今更ながらですが、その奥深い魅力が、幾分なりとも理解できたような、気持ちにも。

昨日は、私なりの感動を、拙い文章で精一杯綴りもしました。

 

旅行二日目に私達は、万平ホテルからほど近い、室生犀星の別荘だった、旧居を訪ねました。

前の林の小径は、「犀星の径」と名付けられています。

葉影がゆれる、密やかな雰囲気漂う小径を歩くうちに、犀星の旧居に到着しました。

純和風の端正な趣の建物で、障子の白さが、緑の林の中、ひときわ清々しく目に映ります。

その凛とし風雅な佇まいに、作家、詩人、室生犀星の人柄と感性を身近に感じる思いがしました。

   

          

犀星の書物を手にしたことは、恐らくない私ですが、日本文学史上では大家のお一人ですね~

芥川龍之介との親交も深く、堀辰雄など、若い文筆家の面倒をよく見た方のようです。

この別荘には、その他、川端靖成、円地文子、志賀直哉、正宗白鳥、大仏次郎、吉川英治等、著名な作家が集い、温かな交流があったとの事。

 

犀星の小径を、このような思いで踏みしめ、その旧居を訪ねると、過去の情景が彷彿されるようで、いっそう感慨深いものがありました。

軽井沢の詩情豊かな自然は、作家、詩人達の心を憩わせ、創作意欲を駆り立てるに十分な環境だったのでしょう。

 

軽井沢が舞台となった堀辰雄の小説、「風立ちぬ」と「美しい村」。

透明感漂う美しい題名のみで、私は若い時、この書物に、とても心惹かれました。

物語のロマンへの想像が、膨らんだものです。

風立ちぬは読みましたが、美しい村は、記憶が全くありませんね~

小説に描かれた結核療養所、サナトリウムの建物は、今はもうなく、その前を通る小径は、サナトリウムレーン(ささやきの小径)と名称が付けられています。

         

                     軽井沢で、よく見かけたのの花。ダイコンソウ

芥川龍之介も「軽井沢日記」を、格調ある名文で綴っているようです。

是非読んでみたいもの、と思いました。

 

昨日は、私達が宿泊した万平ホテルをご紹介しましたが、過去の作家達が一番利用した宿は、中山道の入口に立つ鶴屋旅館です。  

                

今もなお健在で、日本旅館としての格調と趣にあふれた外観を呈しています。

私はその前に佇み入口に目をやると、、この旅館を出入りする文豪達のの姿が、思い浮かぶようでした。

その奥座敷を、芥川龍之介などが、文学的サロンの場として利用したようです。

 

 

このように、軽井沢は、著名な文筆家たちの憩い、交流、活躍の場だったのですね~

しかし、一方では、この場所を死に場所として選んだ有名な小説家もいます。

最近でも、音楽家の加藤和彦さんが、この地で自死し、報道されましたね~

軽井沢を死に場所として選ぶところがいかにも彼らしい、という記事が目に留まりました。

彼らしいとは、どういう事なのかしら、と軽井沢への私の関心が、深まったものでしたが・・・・・・

 

過去で有名なのは、有島武郎の情死です。

有島武郎の書物で忘れられないのは、「ある女」でしょうか。

奔放な女性、葉子の生き方に、私は若いころ、鮮烈な印象を受けました。

鳩山由紀夫氏初め政財界の別荘が多い、三笠通りを少し外れた林の中に、有島武郎終焉の地碑の小さな道標と別荘の跡地があるようです。

 

三笠通りと言えば、忘れてならない軽井沢の観光スポットがあります。

有島家ともゆかりの深い、旧三笠ホテルです。

          

期待通りの、品格漂う麗しい西洋建築でした。

このホテルの創業者の実業家、山本直良は、有島武郎の妹と結婚しています。

一風変わった強い個性で、私達を楽しませてくれた音楽家、故山本直純氏は、この人の孫に当たるそうです。。

 

この旧ホテルは、明治39年に開業されたました。

木造洋風建築に、ゴシック風の重厚さを加えれれた建物で、建てられた当時は、軽井沢の鹿鳴館と言われたとのこと。

上流階級の人々が集うパーティーが、度々催されたました。

その空間に身を置くと、往時の華やぎが、さざめきとなって聞こえてくるようです。

このホテルを、有島武郎等、白樺派の作家たちが、文学的サロンとしても、利用していました。

 

 

軽井沢の観光スポットとして、一見の価値十分ありです。

まだお訪ねになっていない方は、ぜひ訪れ、その周りの散策道も、散歩されては如何でしょう。

私達は、野鳥観測後、帰途に就く前の、タクシーに寄る慌ただしい観光でしたので、のんびりすることができなくて、少々残念でした。

 

ざっと、作家と軽井沢にまつわる題材に焦点を絞り、私が心惹かれたことを、かいつまんで綴ってみました。

もちろん、これまで語ってきたことは、私の知識ではありません。

ホテルに到着した日に、館内の売店で目に留まり、買い求めた書物が、私の軽井沢の旅を一層有意義なものにしてくれました。

下の写真が、その本です。

 

私は、ガイドブックは余り好きではありませんから、いつも斜め読みばかり。

但し、観光する際に、その土地の印象を綴ったエッセー等の良書に出合えると、それは大変幸運なことに思います。

今回は奇しくも、その幸いに巡り合うことができた私です。

 

とてつもなく長い文章に、またなってしまいました。

最後までお読み下さった皆様には、大切なお時間を割いてまで目を通して頂き、誠に恐縮です。

本当に有難うございました。

あともう1~2回で、旅行記は終わりたいものと・・・・・・・。

少々飽きてしまいました。(笑)

 

長女は、昨日から家族で五泊六日の九州旅行に出かけています。

台風の影響でお天気が心配でしたから、電話をかけたところ、よいお天気に恵まれているとのこと。

まずは一安心です。

普段共稼ぎでは、子供達とも密度の濃い触れ合いができませんものね~

良いかかわりを意識的に持って、子供達が一段と成長するように心がけてね、と老婆心から助言しておきました。

お天気に恵まれ、楽しい旅行になりますように、心から祈っています。

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