今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

新幹線利用で久しぶりの墓参旅行

2023-03-25 07:07:47 | 旅行

数日間ご無沙汰でした。

実は、夫のお墓参りで、郷里に帰省していました。

本当に久しぶり。

コロナ禍になって以来、出かけていませんでしたから。

 

その間に、一層年を重ね、体力にも自信を無くし、もう一人で出かけるのは無理。

娘に付き添ってもらうつもりでいたのですが・・・。

暮らしのリズムを大きく変えたところ、最近になって、急に体調がすこぶる良好に。

これなら一人でも大丈夫、と思い、一人旅を実行。

 

旅情を感じられるようないい画像があまりなくて・・・。
これは新幹線のシートで撮りました。
行きはガラガラで、3~4名しか乗客がいませんでしたが、帰りはほぼ満席。
運のいい事に、私の隣の席は帰りも空いていて、とてもゆったりできました。

 

その間、年相応のボケ行動が幾つかあり、はずかしい思いもしましたが・・・。

他人に迷惑をかけるようなことではなかったので、自分自身の心に収めて終わり。

気が付いて注意して下さった方々は、年寄りにありがちな事と思われたのでしょう。

笑っていらっしゃいました。

 

バイキングのお料理はとても充実していて、食べてみたいものが一杯でしたが。
私がお皿に載せたのはこれだけ。

 

具体的にお話ししてもいいのですが、やはり恥ずかしいので、一つだけご報告。

ホテルで、セルフサービスの朝食を摂るために列に並んだところ、受付嬢に言われたことは、

「後ろにヘアーカーラーを巻いたままですよ」と。

まさしく赤面の心境。

大慌てで外しました。

まだ7時前で、レストランが開いて間もない時でしたので、私の後ろには誰もいらっしゃらなくて・・・。

どなたも気づいていませんから、と言って慰めてくださいました。

 

 

前日の夕食は和食でした。

夫の七回忌の法要の時に利用し、お料理の美味しさと盛り付けの美しさに感動した記憶が蘇り、同じお店を選びました。

ところが、とてもがっかり。

同店とは思えないほど、質が落ちていたからです。

8000円お支払いしたのですけれどね。

 

おうどんではなく、良いだしのおすましが良かったのですけれどね。

 

でも、後でたまたま新聞の切り抜きを読んでいた時、その理由が分かりました。

旅行業界はコロナ禍で不況の期間が長かったのですが・・・。

やっと最近になり景気が戻ってきたものの、一旦辞めた従業員の戻りが悪く、人手不足が深刻なようです。

食材も高騰し、苦しい経営は相変わらずとか。

その為でしょう。

前回の時は、一品一品、時間を置きながらサーブされたお料理が大きなお盆に並べられ、一気に運ばれてきました。

それを見た時、何だかとても違和感を抱いた私でしたが・・・。

新聞を読んで納得。

人手不足を補い、人件費を節約するための苦肉のサービスだったのでしょう。

恐らく一品一品サーブされたなら、ずっと前に家族達と一緒に食した時の感動を味わえたのかもしれません。

 

ロボットサービスも味気なくて、いつも苦手に感じている私ですが。

日本の得意とする真心のこもった丁寧なおもてなしが、ホテルでさえ次第に失われていく現況を思い・・・。

残念で、寂しい限りの私でした。

 

 

もしかすると、私一人だけの席だったゆえかもしれませんねぇ~。

いつか電話して、一品一品のおもてなしを復活して下さい、とお願いしてみようかしら。

お客の印象も良くなり、お店の今後の発展のためにもなると思うのですけれどね。

 

帰途に就く前、自分自身の記念写真もパチリ

 

旅行記を書くつもりが、最初から食べ物の話では。興ざめしてしまいますよね。

ごめんなさい。

次回からが本文と致します。

 

今後は、のんびりとブログに臨むつもりです。

ですから気が向いたら、また綴る事に。。

数日先になるかもしれませんが、ご了解ください。

 

追記

麦さんとの過去の出来事の経緯の真実を理解していただきたくて、私が書いたそれ関連の記事を

すべて抜き出して、ブログ2(2)として、ひとまとめにする作業をしています。

私は何を言われてもひたすら耐え、無視を貫くように心がけてきましたが、

時々どうにも耐えられず、書いた記事です。

 

彼女が勝手に何をおっしゃろうと、私は自分が記したもの以外、責任を持つ必要はないと思っています。

彼女の余りに事実と違う放言の中傷に、長年辛い思いをしてきましが、

これ以上は堪えられず、この行為に出ました。

何卒ご理解ください。

 

 

 

 花のように泉のように

お立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅への想い

2022-04-05 07:18:08 | 旅行

二週間ほど前の事だったかしら。

妹に、「お姉様はもっと旅行を愉しめばいいのに?

どうして旅行に行かないの。

Mちゃん(娘の事)たちに連れていってもらえば」

と、強く勧められたことがあります。

その勧め方が、旅行をしないと後悔するわよ、と言わんばかりの強い言い方だったので・・・。

その時は、私なりの理由を話し、聞き流して終わりでしたが・・・。

 

軽井沢の万平ホテル
私が一番気に入ったホテルかもしれません。

 

その後も、あまり気分がすっきりしなくて。

暫くして、妹にまた電話。

「貴女がいくら旅行好きだからと言って、自分の趣味を私に押し付けるのは止めてくれない。

私はあなたとは趣味は違って、私は私で充実した余生だと今思っているのだから」

と言いました。

 

老後は、自分が一番好きと思える事に没頭。

私の場合、家事とデスクワークがそれに当たるのかもしれません。

家事にはガーデニングも含みますし、デスクワークも実にいろいろです。

とは言え、これでは、面白味がなさ過ぎですね。

でも、退屈なんて一度も思ったことがなくて、いつも時間欠乏症に陥って悩んでいる私です。

 

私の旅行の時のファッションを、いくつかアップさせていただきますね。

 

実に私は、安上がりにできた人間。(笑)

体力不足もあり・・・。

ささやかでも、家の中で、日々を悔いのないように過ごせれば、それで十分。

特別晴れやかなイベント何て、何もなくても、私は一向に構わない。

平凡が何より、と思って、いつもいつも過ごしています。

 

 

実はこんな私でも、夫が亡くなってしばらくは、旅行にもよく出かけました。

両親が亡くなった後もその傾向がありました。

イギリス、沖縄、ベトナム、タイ、プーケット島、軽井沢、信州、京都、神戸その他いろいろ。

旅行好きでは特別なかったのですが・・・。

何だかあまりに寂しくて・・・。

家にこもってばかりいると、自分がおかしくなってしまいそうな不安に見舞われたからだと思います。

 

 

ところが、広島に墓参で出かけた時の事。

平和公園を数時間かけて歩き回り、一泊二日の旅を終え、我が家に戻りました

すると、翌日から急に脚の調子が悪くなり、次第に歩行が困難に。

 

その後も、悪化していく一方でしたので、妹に介添えをしてもらい、やっとの思いで歩き、総合病院の整形外科の診察を受けました。

すると、レントゲンの撮影画像を見ながら、先生がおっしゃった診断名は、脊柱管狭窄症。

生活の質を6割くらいに落とすか、手術しか治す方法はない、とまで言われてしまいました。

 

その時はお先が真っ暗。

いよいよ杖の暮らしかと、覚悟を決めたほどでしたが・・・。

私は痛い、痛いと言いながら、しばらく様子見をする事にしました。

病院への紹介状を書いてくださった個人クリニックで、お薬をいただきましたが、痛み止めの対症療法に過ぎません。

若い時から、お薬嫌いの私。

ですから、ほとんど服用せず、足を引きずる不自由な暮らしを、平常心でするように心がけました。

 

 

私は、「自己治癒力」と言う言葉が大好き。

ですから、この時も必ずその内に治ると、固く信じて疑わなかったのです。

 

そして、ある日の事。

整形外科医院に出かけるため、バス停でバスを待っていた時の事。

隣の班にお住いの、80代後半の奥様に偶然出会いました。

ちょうど私の傍を通り過ぎる処で目が合い、お互いにご挨拶を交わし・・・。

そして唐突な話題ながら、何故か脊柱管狭窄症を患って苦労している旨、その奥様にお話ししてしまった私です。

班が違うため、お付き合いはほとんどありませんでしたが・・・。

この奥様は信頼できる方と、見た目の印象だけで、私は確信していましたから。

 

そしてこの偶然の出逢いが、その後の私を幸運に導いてくれたのです。

整骨院に通うことを強く勧めて下さったからです。

私は、その足ですぐ、紹介して下さった整骨院に直行。

藁にも縋る気持ちでした。

 

通ったのは一週間に一回程度でしたが、その後から、みるみる快方に向かいました。

とは言っても、バスのタラップの昇降は相変わらず苦労し、階段も両足を交互に挙げて昇ることはできない暮らしが当分続きました。

今はそれも普通にできます。

 

 

それ以来のことです。

墓参で帰広する以外、旅行に行くのは一切やめました。

私の人生の優先順位で一番大切なことは足の健康寿命を少しでも伸ばすこと。

それに尽きると思っているからです。

 

もともと旅行は特別好きな事ではありませんでしたから・・・。

本来の自分の暮らしに戻ったと言っていいのかもしれません。

今でも足首は少し痛くて、膝も同様。

起居動作はかなりつらいです。。

コロナ禍になり、整骨院はお休みしていましたので、そろそろ又通い始めたいのですが。

感染は今も相変わらずなので、毎日のように迷っています。

 

数十年愛用したビトンのキャリーバッグは軽くて大好きでしたが、さすがに古くなり過ぎ、
東急のタイムレスで買い取ってもらいました。

 

出不精でおうち大好き人間であることが、今のご時世でも、私はストレスを溜めないで暮らすことが出来、幸いしているようですが。

私がファンのショコラさんのブログで、老健でお世話になっているお母様のことが書かれていました。

92歳になられるお母様。

病気もなく頭もしっかりしていらっしゃるのに、足だけがご不自由とのこと。

このまま車いすの生活になってしまうのではと,きょうだい4人でご心配なさっている様子が記述されていました。

その場合、介護施設に入るか、自宅介護が可能か等々。

 

私も、ショコラさんのお母様の様になる可能性が高そう。

その場合、私が望む、自宅で最後まで自立した暮らしをするなんて、もう無理なのでしょうか。

脚の健康寿命を如何に伸ばすかが、今の私にとって、益々重要な課題に思えてきました。

 

4月3日で78歳になったばかりの私です。

高齢者ゆえに直面しなければならない課題を一つ一つ賢くクリヤーして、

子供たちに迷惑をできるだけかけない、自立した暮らしを目指して、今後も頑張りたいものです。

 

お立ち寄りくださいましてありがとうございます。

PVポイントのみ参加しています.

 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 日帰り墓参旅行

2019-09-03 07:12:13 | 旅行

駅から割と近いところに所在する夫の菩提寺。

娘たちが、

「この位置なら、マツダ球場の歓声が聞こえるわよ。

パパは、きっと喜んでいるんじゃない」

と言ったものでした。

 

私は、夫をしばらく両親のそばで眠らせてあげたい、との思いが強かったし、

このお寺は、義父は主治医となり、親しいお付き合いをしていたようでした。

そのせいか、住職様も、ご母堂の前住職様も、とても親しげに私に接してくださいます。

 

いつもお玄関先まで伺い、ご挨拶をする私ですが。

この度はその前に、墓地に行く通路で、ご住職様にばったりお目にかかりました。

私を見るなり、もろ手を差し出すように大歓迎して下さいました。

「暑い中はるばる、よくお越しくださいました」

とおっしゃって下さって。

 

とてもとても優しい雰囲気のまだお若いご住職様。

私は大好きなお方です。

このご住職様に見守っていただければ、私のような人間でも、浄土に行けるのでは・・・。

そんな気分にさせてくれます。

私が死んだ時は、このご住職様にご上京いただき、お経をあげていただきたいなあ~。

 

母が家にいますから、とおっしゃっいましたので、お墓詣りを済ませて、そちらにも伺いました。

ご住職様もお戻りになられ、しばらく談笑。

 

 この記事用の画像がないため、過去に撮ったものを載せます

 

春のお彼岸以来、数か月ぶりの墓参。

いつもお墓の前に佇むと、夫への感謝の気持ちが沸き起こり、感無量になります。

でも、ゆっくりはしていられません。

今回も日帰りの予定できています。

お墓詣りを済ませたなら、二時半過ぎに、夫の従兄弟に当たる、N先生(元医師)ご夫妻のお宅にも伺う予定だからです。

 

 掃除道具一式を持ち運び、ひたすら墓石を磨き、草取りなどのお掃除に励みました。

ところが余りに強い陽射しで、何だか頭がボーとして、今にもめまいが起きそう。

気分が悪くなり、幾度も軒下の日陰に置かれたベンチに腰かけ、しばらく休憩。

またお掃除に励む。

そんな感じでした。

終わると、お線香を立て、祈りを捧げました。

夫に近況報告をし、感謝の気持ちをいっぱい伝え、名残惜しく思いながら、お墓を後にした私です。

 

 今回撮った数少ない写真の一枚です。
親戚のお宅に伺う前に一服。

ところが駅にタクシーで戻り、ホテルグランビアのロビーの一角にある喫茶で一服した時のこと。

写真を一枚も撮らなかったことに気が付きました。

とてもとても残念に思いましたが、引き返す気力も時間もありません。

お約束の時間を見計らって、親戚の先生宅に、今から伺いますとのお電話を入れました。

私が敬愛して止まない90代になられるご夫婦との、一年ぶりの再会です。

お変わりなくお元気でしょうか。

明日に続きます.

 

ライフスタイルとシニア日記ランキングに参加しています。

下のピンクのバナーに応援のポチッをいただけますと、励みになり大変嬉しいです。

 

にほんブログ村

ありがとうございました。

 

  

花のように泉のように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日帰りの墓参旅行~アンラッキーな出来事

2019-09-01 07:00:00 | 旅行

台風が近づき、今後の進路が気になって仕方ありませんでしたが・・・。

天候が荒れる前に、墓参のための帰広を何とか済ませられそう。

とても安堵した私です。

春、秋のお彼岸とお盆の墓参旅行は、すっかり私の年中行事になりました。

昨年の秋のお彼岸は、次女が出かけてくれましたが

今年も長女か次女が、交代してくれるでしょうか。

経済的負担が少し軽減されて、助かります。

 

毎回、どのくらいの支出があるのか、備忘録として、一度だけ書き留めておきますね。

この支出額は、毎回ほとんど変わりありません。

家計簿の記帳の内容をそのまま載せます。

ほぼ支払った順に、時系列で記しています。

早朝6時30分に家を出て、22時過ぎに帰宅しました。

 

 
往復切符代 49500円
お布施代10000円
お寺さんと親戚へのお土産代 6003円
親戚にはお花のブーケも2160円
タクシー代1540円(自宅からJRの最寄り駅まで いつもよりかなり割高 悪天候が予想されたので前日予約したせいでしょう。
駅弁とお茶代 1281円  1000円
供花代 8080円
お塔婆代 2500円
ホテルの喫茶室でのお茶代 720円
その他のタクシー代 560円 710円 1600円 910円
お土産代 2700円

合計 89264円 

 

同様の支出が年に数回となると、遺族年金暮らしの身には、結構大きな負担になります。

時たま、この経費を他の娯楽に当てられたらいいのに、なんて罰当たりのことを思うこともありますけれど。

少々経費が掛かっても、夫のお墓参りは、今後も欠かしたくありません。

毎年この日を、私はとても楽しみにしています。

今では、暮らしの大いなるリフレッシュにもなっています。

 

夫は、働き盛りの時でも、お盆の墓参は一度も休んだことがありませんでした。

ですから、その遺志を継ぐことで、夫への感謝の気持ちを一番伝えられる、と今の私は思っています。

 

 

過去の画像です。

今年はあまりの暑さで、頭がぼーっとしてしまって写真を撮り忘れてしまいました。

 

行きの新幹線のぞみは、私の乗る車両はすいていて、隣の席は終着の広島駅まで、ずっと空いていました。

ところが、この度の帰りは、予想以上の混みようでアンラッキー。

翌日からは、台風の影響でダイヤが乱れ、運行も怪しい状況でしたから。

予定を早めて上京する方が多かったのでしょう。

 

その上、隣席の人は、大柄の男性で、PCの画面に向かって、せわしく手が動き。

前の席も、やはり大柄な男の方。

シートの背をいっぱいに倒し、腰かけておられました。

 

いつも車窓の景色に目をやり、膝元で、読書など好きなデスクワークにゆったりと臨み、心地よい非日常の空間に浸るのですが。

この度の墓参旅行の帰りは、その実現は叶わない空気感でした。

いつも以上に疲れていたせいもあり、ほとんどうつらうつらして過ごしてしまった私です。

 

 

新幹線の車窓から眺めたマツダスタジアムは、ごちゃごちゃしていて、
あまりきれいな景観に思えませんでしたが・・・。
その印象を次女夫婦に伝えたところ、
「とんでもない。それはそれは素晴らしい球場よ。一度訪ねてみれば」と言われました。

 

時が、前後しましたが、いよいよ広島に到着。

広島と言えば、私も今夢中なカープの地元。(今年はもう優勝は絶望的 涙)

夫も熱烈なファンでしたから、新幹線の昇降口の窓から、マツダスタジアムの写真をしっかり撮りました。

改札口を出ると、すぐホテル・グランビア内にある花屋さんに直行。

夫のお墓用と、親戚のお墓のもの、二つ花束を用意してもらいました。

もう幾度も出かけているので、迷うこともなく実にスムーズに事が運びます。

 

思いがけず広島の空は、太陽がさんさんと輝き、猛烈な暑さ。

炎暑の夏空の下でのお墓参りは、高齢の身にはかなり厳しいです。

でも、頑張りましょう。

駅前から、タクシーに乗り込み、いよいよお寺へと向かった私です。

 

明日に続きます。

  

ライフスタイルとシニア日記ランキングに参加しています。

下のピンクのバナーに応援のポチッをいただけますと、励みになり大変嬉しいです。

にほんブログ村

ありがとうございました。

 

 

花のように泉のように


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年二度目の帰郷

2019-04-22 07:02:47 | 旅行

またしばらくお休みしてしまいました。

今年は春先から、いろいろとイベントがあり、忙しい日々が過ぎました。

いつもは、マイペースを重視した私の暮らしです。

少々大変だったようにも。

楽しいこと、寂しいこと、悲しいことと、感情の振れも大きく、気持ちが今一つ落ち着きませんでした。

 

新幹線の車窓から仰いだ富士山

 

実は、先週の木、金曜日は、また広島に一泊の旅に出ました。

親しい友、N君がが急逝し、そのお別れ会に参列するためです。

3月21日のお彼岸の中日には、孫息子と日帰りで帰郷し、夫の墓参を済ませたばかりですが。

今回も、もちろん夫の菩提寺にも赴きました。

感謝、懐かしさ、切なさなど、いろいろな思いがあふれる旅行となりました。

新幹線に乗ってまで出かけて、今は本当に良かった、と思っています。

 

夫の墓前にて
突然の来訪に、主人もびっくりではなかったでしょうか

 

イベントについては、できるだけ時系列に綴りたいので、この時の詳述は、後に回させていただきますね。

今後も、五月までに会食が三回ある予定でしたが・・・・・・。

その一つは、この度の友の訃報で、気を遣われたのか、中止になりました。

N君のお別れ会の前日に郷里で会った友H君も、上京し参加する予定で、楽しみにしていたようです。

彼が言うには、

「N君が亡くなったからこそ、みんなで集まって、彼を偲ぶ方がいいのになあ~」

と言って残念がっていました。

 

夫を介護している頃にも、お声をかけていただいたことがある私。

残念でしたが、その時はお断りしました。

ですから、今回はぜひ出席したく思っていたのですが。

 

お招きのスペシャリストと言ってもいい、外交官大使夫人を経験なさった彼女。

そのおもてなしの仕方と、お料理を見せていただくのを私も愉しみにしていました。

急逝したN君も、

「参加するからね」

と言って、その日を心待ちにしていたようです。

この度の中止のお知らせで、彼女のショックの大きさが伝わってくるようです

 

 手前向かって左が私、その後ろの男の子がH君、右上から二番目の男の子が、N君です。
この度、H君から頂いた懐かしい写真です。

N君のお母様のご実家のお庭にて

 

亡くなった実業家のN君、市政で大活躍したH君、外交官大使夫人を経験されたNさん。

一方、私はサラリーマンの夫を持った平凡な主婦ですが。

それぞれが歩んできた人生は異なりはすれど、小学校では、なんと6年間同じクラスで、同じ担任の先生。

中高も、付属のため同じ学校でした

母親同士が親しかったおかげもあり、いまだに固い絆の縁を感じてしまう私達です。

 

「親に感謝しないといけないね」とH君が、ホテルに送ってくれる道すがらいった言葉は、とても感慨深げでした。

 H君とは、N君の思い出話をたくさんしました。

この度の広島の思い出は、先ほどもお伝えしましたように、後日綴ります。

 

 お休みする前に、ざっと下書きした記事が数記事、放置したまま。

次回からは、それを先に更新することにいたします。

今回のお休み期間中は、私は、一言も記事を綴りませんでした。

いつもは、どんな時でも、最低30分は綴ることを日課にしています。

何故なら、書き慣れると、文章を書く苦手意識が薄れていき、良くも悪くも取り組みやすくなると、私は思っているからです。

今回は、珍しく完全にブログから離れ、久しぶりに書く私。

そのため訳の分からない不安と自信のなさが頭をもたげていますが。

今後ともお付き合いのほど宜しくお願いします。

 

ライフスタイルとシニアブログのランキングに参加しています。

下のバナーに応援のポチッをいただけますと、励みになり、大変嬉しいです。

 にほんブログ村

ありがとうございました。

 

花のように泉のように 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ帰路につきます

2018-09-10 07:07:59 | 旅行

駅に到着した私ですが、まだ乗車する「のぞみ」の到着時間までには十分時間がありました。

およそ一時間半。

この時点で、横浜と広島の日帰り往復が十分可能であることを確信した私です。

でもさすがに疲労困憊していました。

炎天下でのアクテイブな行動ゆえ、当然。

それを覚悟のうえで決行したことでした。

 

去年はホテルで一泊し、十分休養を取って、N先生のお宅に伺いました。

今年は、早朝に横浜を出発。

丸一日でやりたいことをすべてこなしたわけですから。

 

とにかく、何はさておいても休憩したい。

でも駅の雑踏の中はいや。

出かける前から決めていたことでしたが、駅に隣接したホテル、グランビアにまた入りました。

一階のロビーホールの窓際にある喫茶室へと。

 

冷たい飲み物をいただき、ほっと一息

 

そこのゆったりとしたシートに身をゆだね、冷たい飲み物を片手に、しばらく休みました。

ホテルの非日常のおしゃれな空間を泊り客でなくても、このように利用できるのは、本当に有難いことですね。

 

 

そこで、はたと考えました。

お夕食をどうしようかしら?

もう駅弁はいや。

さほどお腹は空いていないけれど、せっかくの旅行ですもの、多少の贅沢を愉しみたい、と。

和食好きの私ですが、その時は無性に洋食が食べたくて。

ホテルの最上階にレストランがあります。

そこに向かうエレベータの前で、通りかかったホテルマンに尋ねると、5時から開店とのこと。

それでは、六時ののぞみの乗車までにお食事を済ますのは無理。

お土産もまだ買っていませんでしたから。

 

 

仕方なくホテルを出て、駅に向かいました。

駅はいつ来ても、今までは工事中で雑然としていましたが、その工事はほぼ完成。

見違えるほど、すっきりとした構内になっていました。

まずはお土産を求め、その後、駅ビルの飲食ゾーンに入ると、どこのお店も大変な混みよう。

体が疲れ切っていたせいか、そんな喧噪の中に入る気分にはどうしてもなれなくて。

 

迷っているときに目についたのが、スターバックス。

このお店では、コーヒー以外の食べ物でも、私は期待を裏切られたことはありません。

サンドイッチも、心からいつも美味しい!と思う私。

そうだ、ここの食べ物をテイクアウトして、車内に持ち込んでしまおう。

ちょっと勇気がいりましたが、車内のシートは十分ゆとりがあるのでたぶん大丈夫、と思った私です。

 

 

それは大正解でした。

スパゲティーにチキンサラダが付いたデリボックスとサンドイッチ。

駅弁よりはるかに美味しくて、車内ゆえ、せかされることもなく、お腹が空いてから、ゆっくり頂くことができました。

 

そして、信じられないようなことにも遭遇した私です

その車両の乗客は、何と私一人だけ。

上りだと、お盆シーズンはこんなにがら空きになるのですね~。

結構な驚きでした。

 

 

車内でのんびりゆったり過ごせた私は、疲労もずいぶん和らぎ、助かりました。

新横浜に着き、家に戻ったのは11時近く。

その割には元気で、大きなお務めを無事に果たした満足感に浸りながら、安らかに眠ることができました。

ところがその翌日の朝、心霊現象のような不思議な出来事に遭遇した私です。

                                         続く

                                             

  

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八月の日記 私が目標とする高齢のご夫婦~清々しい明るいお人柄と凛とした佇まい

2018-09-09 07:16:29 | 旅行

墓参が終わり、次に向かったのが夫の親戚のお宅。

私の父方の親戚にも広島に在住の方がいらして、そちらにも、ご挨拶に伺わなくては、と思いつつ・・・・・・。

なぜかN先生のお宅に足が向いてしまいます。

 

90代の半ばにもうすぐなられる、ご高齢でいらっしゃること。

奥様は、幾度も重い病と闘い、入退院を繰り返しの歳月ながら、いつも気丈に頑張っていらっしゃること。

そのお姿に、強く心打たれてしまうせいかもしれません。

さらに、夫がお盆で帰郷した際、必ずN先生宅に寄っていました。

その遺志を継がなければ、との思いからです。

 

奥様は、広島では有名な老舗の和菓子屋さんのお嬢様でいらっしゃいました。

義父の世話で結ばれたお二人です。

今は度々襲い掛かる病のせいで、背中はすっかり丸くなられ、昔のようではもちろんありませんが。

凛ととし佇まいと品格はそのまま。

相変わらず、お美しいです。

その上、とてもおしゃれなお方。

この日も、エレガントなワンピースをお召しでした。

 

 これは去年の写真ですが、今年も全くお変わりない雰囲気でいらっしゃいました。

 

御主人さまは、元産婦人科医。

とても愛妻家でいらっしゃいます。

その矜持を心にもって、穏やかながら、奥様同様に、年齢に負けることなく、人生をしっかりと歩んでおられる先生。

 

数か月前、道路で転んで頭にけがを負われたとのこと。

その時、通りすがりの人が、「救急車を呼びましょう」と声をかけられたのに、お断りになったようです。

「僕は、医師です。この程度のことで、救急車を呼ぶことはできません」

とおっしゃって。

いかにもN先生らしい、と思い、笑って聞き流すしかなかった私です。

内心では、ご高齢なのだから、無理は禁物ですよ、と思いましたけれどね。

 

健康には、医師の知識を生かして、存分に気を配られ、闘病中の奥様の体調管理も、徹底しておられるようでした。

お顔の色つやはよく、皺一つありません。

姿勢も実に良くていらっしゃいます

私には驚異に思えるほど。

感心するばかりでした。

ご高齢にもかかわらず、お二人の清々しい明るいお人柄と。凛とし佇まいは、私の今の目標です。

 

今回、いただいた御名刺。
サラリーマンは退職するとただの人ですが、90代になられても、こんな立派な肩書がついていました。

 

一時間半近くお邪魔したでしょうか、

そろそろお暇しなくてはならない時間に。

すると、お供えとタクシー券まで、また手渡してくださり、私は恐縮の至りでした。

次回からは、このようなお気遣いは決してなさらないでください、と強く申し上げました。

そうして頂きませんと、却ってご迷惑をかけてしまうようで、お邪魔しづらくなってしまいます。

 

タクシーのお迎えが来ました。

お玄関でお見送りくださるご夫婦に、車窓からいつまでも手を振って、お別れを惜しみました。

来年のお盆には、また元気なお姿を拝見できますように。

ひたすらそう祈りながら、駅に向かいました。

続く

 

  

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八月の日記 酷暑の中でのお墓参り 

2018-09-08 07:05:24 | 旅行

懐かしい広島に到着です。

昼食は早めの駅弁で済ませました。

 

 

新幹線を降りて、すぐ向かったのは駅に隣接するホテル、グランビアの花屋さん。

数度、宿泊で利用したこともあるので、慣れたものです。

改札を出ると、5~6分で到着。

供花の花束を二つこしらえてもらいました。

親戚用にも別に、もう二つ。

小型のキャリーバッグとその花をもって、タクシーに乗り込み、夫の菩提寺に向かいました。

 

夫の菩提寺

 

春のお彼岸以来、5か月ぶりのお寺訪問。

感慨がこみ上げてきました。

きっと、夫も私が来るのを待ち侘びてくれていたことでしょう。

 

寡黙で孤高の人。

弱音や愚痴を聞いたことが、一度もなく。

夫が、私に文句を言ったり、子供を叱った事さえも、私の記憶にはありません。

とても心が広くて強い人、と思い続けていた私でしたが・・・・・・。

 

意外にも寂しがり屋さんであることが、闘病中、看護しているときに、よく分かりました。

私が病室に来るのを、足音に耳をそばだてて、待っていてくれました。

看護師さんにも、

「ご主人が待ち焦がれておいででしたよ」

とよく言われたものです。

一時間以上かかる病院に、雨の日も風の日もほとんど連日、私は通い続けました。

 

そんな夫でしたから、きっと私の墓参を心から喜んでくれるに違いありません。

13日はお盆入りの日。

私は、夫を迎えに行く。

そんな心境でした。

 

毎日、お位牌に向かって、夫への感謝の言葉を忘れないようにしている私ですが・・・・・・。

もっと積極的な行動でもって、その気持ちを表したい。

それが私の場合、新幹線に乗車してまで通うお墓参りです。

 

夫が出張の際、寄ったスイスのお土産です。
「アルプスの少女ハイジ」がテレビで放映されていた頃のことです。
この番組を家族で心から愉しみ、まるでハイジ一色のような日々でした。
このテーマソングを聞かせて、子供たちを幼稚園に送り出したりしたものです。
夫の病室にはこのお人形を飾っていました。

 

気休めにすぎなくても、私の心が満たされるのですから、私には外せない一番大きな年中行事なんです。

お寺は、お墓参りの家族連れで賑わっていました。

夫の家のお墓にも、すでにお参りをしてくださった方たちが数名いらしたようで、小さなお塔婆が数本立てかけられていました。

 

お墓の前に立つと、まず夫や義父母様に声をかけ、感謝の気持ちを伝えます。

近況報告も。

それからは炎天下の下で、ひたすらやらなければならない諸事をこなしました。

お墓を磨き、草取り、周りのお掃除等々。

あまりに暑くて、頭がもうろうとしてくるようでした

15分毎くらいに、お寺さんの軒下にあるベンチで休憩して水分補給。

そうしないと確実に日射病になりそうな強い陽射しでした。

 

 

いつも二時間近くはお墓を離れられない私ですが、今日は日帰りとあって、そうもいかず、いつもより少し早めにお墓を後にしました。

そのあとは、住職さまにご挨拶。

お土産のお菓子折りを台にしてお布施もお渡ししました。

その時、異常な暑さに触れると、

「墓地が特に暑いのですよ。お墓からの照り返しや輻射熱を受けますから」と。

 

そしてお暇しようと、最後のご挨拶をし終わったとき、まだお若いご住職が、満面に優しい笑みをたたえ、嬉しそうにおっしゃいました。

「最近、子供が生まれました。男の子です」

 私が思わず返した言葉の、なんと失礼だったこと。

「まあ~おめでとうございます。

良かったですね~。

私も安心しました」

まるでこれでは、お姑さんの感想ですね~。(笑)

 

でも私は、本当にとても心配だったんです。

テレビ局のキャスターでいらした、それはそれはそれはお美しい素敵な奥様でしたが、なかなか子宝に恵まれないことを。

お寺さんにとっては、跡継ぎの問題は重大事でしょうから。

 

ご住職は、私の言葉を気になさる風もなく、本当に嬉しそうでいらっしゃいました。

義父は市の中心地で開業していましたから、このお寺は遠方にあたるのですが。

なぜか、かかりつけ医だったようです。

ですから、私も特別な親近感が沸いてきます。

 

 

父母の菩提寺のご住職は私はちょっと苦手だけれど(跡継ぎの息子さんは、ファンといってもいいほどなんですけれどね)。

こちらの住職さまには、私は親近感をとても持て、お好きな方です。

聖職の方に、好きとか苦手とか。

そんな選別のまなざしを向けては、罰があたりそうですが。

 

タクシーを呼びましょうか、と言われたので、お言葉に甘えてしまいました。

一息つく間もなく、タクシーで次に向かったのは、夫のいとこにあたる高齢のご夫婦宅です。

この時のお話は、次回にまた回させていただきます。

 

 

  

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日帰りの帰省を初めて決行

2018-09-07 07:28:19 | 旅行

お寺さん関連のお盆の行事が、すべて終わりました。

13日は、いよいよ私が1年間で一番楽しみにしている、夫のお墓参りのための帰省日です。

今年は、なんと初めて日帰りの計画を立てました。

最近、私だけでなく妹まで転倒し、心配事の連続でしたから、かなり疲労気味。

それでなくても、体力に自信がない私です。

果たして大丈夫でしょうか。

 

一旦、キャンセルして、一泊の予定に変更も可能でしたが・・・・・・。

今年は何かと出費が多く、私の予算通りに家計を賄うには、今後かなり締めなければなりません。

とはいっても、ホテル代が浮くだけ。

その代わり、患っている脚のことを考え、新幹線はグリーン車にしましたから、そんなに変わるわけではないのですが。

日帰りが可能か、一度試してみたかったのです。

 

一泊しなければ、準備がとても簡単。

街へ買い物に行く気楽さで、出かけられます。

旅行に行く前の準備ストレスは、いつも私は相当なものですから。

それを経験しないで済むのも嬉しい。

思い切って実行することにしました。

まだ痛む傷口には、バンドエイドを張ったままの、みっともない姿ですが。

 

お薬入れと、私が顔の怪我で使用した透明のバンドエイド。

 

私は60代になった年齢の節目に三度目の入院をし、体力が一気に弱った感じがしました。

それまでは、孫を一週間くらい預かるのも平気で、献身的に尽くしていたのに。

すっかり自信を失い、親子の力関係も、明らかに逆転。

でもその頃の頑張り屋さん気質の名残りが、時々まだ発揮されるようです。

今回もその表れでしょうか?

 

でも、やはり自分の行動には、もう自信が持てなくて・・・・・・。

帰省するときは、早々と家を出て、新幹線の駅には、発車時刻のほぼ一時間前には、いつも私は、到着してしまいます。

ですから、今回はいつもよりは多少遅く家を出たものの、早朝の6時半前にに、もう駅に着いていました。

娘も妹も呆れていますけれどね。

 

若いころは、何事も暢気に構える性格だったのですが。

今は途中で何が起きるかわからない。

何か起きても、私はもう迅速には対応できない。

そう思って、とても行動が慎重になってしまいます。

 

 

駅で45分くらい待って、私が乗る「のぞみ」が到着しました。

乗車し席につき、私は一安心。

初めて旅情に心行くまで浸れます。

新幹線の空間が、私は大好き。

そこはもう非日常の趣です。

車窓を流れる田園風景に目をやったり、読書をしたり・・・・・・、と

郷里の広島まで約4時間の行程です。

 

 

目的な二つ。

夫のお墓参りをすること。

夫の従兄弟にあたる、90代のご夫婦をお見舞いすること。

 

日帰りでこの目的をすべて滞りなく済ませるのはかなり大変だけれど。

私の頭の中には、計画が出来上がっていて、それに従って動けば大丈夫なはず。

 

さて無事に、懐かしい郷里で、思い通りの半日を過ごすことができるでしょうか。

明日に続きます。

 

 追記

 昨日の深夜に起きた北海道の震度7の地震。

 その報道に初めて接したとき、もう言葉を失うほどのショックを受けました。

 まだ関西方面を襲った巨大台風の爪痕に、茫然としているときでしたのに。

 その前には、西日本豪雨災害もありました。

 私は被災者でもないのに、なんとも情けない昨日の過ごし方でした。

 災害ストレスと言っていいのかもしれません。

 5~6年前に悩まされた息苦しさの症状に、また見舞われ、胃腸の調子もおかしくなり、体調をすっかり崩してしまいました。

 横になると、一時的にでも息苦しさは治まるので、日中、三度も横になり仮眠をとりました。

 自分の体たらくを思うにつけ、被災地の方々が、逞しく冷静に、目の前のことに臨んでおられる姿を見て、ただただ敬服するばかりです。

 私はおそらく腰が抜けて、何もできなくなってしまうことでしょう。

 被災地の皆様、お体にはくれぐれもお気をつけて、頑張ってくださいね。

 心よりお見舞いを申し上げます。

 

 今朝(9月7日)の朝焼けの空です。
穏やかな夜明けがいつまでも続きますように。

 

 

お立ち寄りいただきましてありがとうございます。
ランキングには参加していませんが、にほんブログ村のバナーを下方に貼り付けました。
応援のポチッ♪をいただけると嬉しく、励みになります。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しみじみしたひと時

2018-04-06 07:34:12 | 旅行

先日の広島行きは、お彼岸による夫の墓参が第一の目的でした。

けれど、それ以外にもう一つ、とても楽しみにしていることがありました。

昨日ご紹介したお手紙を下さった、K先生宅をお訪ねすることです。

 

前記事でもご紹介しましたが、先生は、ドイツ文学者で、或る国立大学の名誉教授でいらっしゃいました。

享年90歳で、一昨年の冬、亡くなられたのです。

教え子さんから、先生が編集をお手掛けになったらしい「私の教師遍歴」という題名の本が届くまで、私は先生の御逝去を知りませんでした。

 

 

その本に添えられた白い便せんに、先生の訃報が載っていたのです。

とてもとても驚き、その後数日は、悲しみに明け暮れて過ごしました。

若い頃から、私の憧れの、尊敬して止まない御夫妻でした。

数十年ぶりに再会を果たして以降は、私が目指したいお年寄りの佇まいの理想を具現したお方、と思い続けてきましたから。

 

 

最愛の奥様の十三回忌を済まされてのち、急にご容態が悪くなられたようです。

訃報に接する二年前の事。

年末に、心ばかりのものをお送りしたのですが、まったく音沙汰がなく、なんだか気になり、届いているか郵便局に確認の電話を入れたことがあります。

必ず、お電話やお手紙で知らせて下さる先生でしたので。

確かに届いていました。

今思えば、そのころからお具合が悪くなられたのかもしれません。

 

郷里に戻った日は、駅前のホテルグランビアに荷物を預け、迎えに来てくれた同窓生で幼馴染のN君の車に乗せて頂きました。

向かうは、K先生のお宅です。

五年前に伺った時は、数十年ぶりにお目にかかれる喜びと懐かしさで、心を弾ませたものでしたが。

今回は、残念ながら、家主のいらっしゃらない空き家をお訪ねする私達です。

お近くにお住いの御親戚の方が、鍵を開けて下さっているとのこと。

一時間ほど国道を走りぬけると、田園風景の小高い丘のすそ野に、先生のお宅がありました。

 

昨日と同じ写真でごめんなさい。
この度の訪問では、写真は撮りませんでしたので。
先生のお宅が写った唯一の画像です。

 

御親戚の方はまだ見えてなかったので、無断で中に入った私達です。

それが許される雰囲気が、確かにありました。

K先生は、私達の訪問を首を長くしてお待ちくださっていた、との思いがあったからです。

昨日ご紹介したお手紙の文面からも、その私達の心情は、ご理解いただけるのではないでしょうか。

 

お宅の中の雰囲気は、先生ご夫妻の日常の会話が、今にも聞こえてきそうな生活感にあふれていました。

どの部屋にも、本棚があり、蔵書が至る所に収まっています。

一室は書庫のようになっていました。

書籍の数は、おそらく千冊は軽く超えている事でしょう。

しばらくしてお見えになった御親戚の方のお話では、裏の蔵の中にも、本が一杯収められている、とのことでした。

 

「晴耕雨読の暮らしを送っています」といただいたお手紙に何時か書かれていましたが。

まさにその通りのお暮らしだったのでしょう。

若い頃から、自他共に認める文学青年。

学生時代には自ら詩や小説を創作し、文芸雑誌を作られたこともおありになったようです。

 

奥様も、国文学を大学では専攻され、ご主人様と同様に文学への造詣が深いお方でした。

とてもとてもお似合いのご夫婦。

知性と品性が匂い漂い、お人柄は、この上なく優しくて清らかな方達、と言えばいいでしょうか。

語彙不足の私には、このご夫婦の御人格の麗しさを、うまく表現できません。

 

 園芸も大好きな先生でしたので、私の庭の草花で、今日の記事は飾ることに致します。

 

そのお二人が新婚時代の時、私の実家の前のお宅にお住いになられたのです。

確か広島大学でドイツ文学の講師をなさっておられたのではないかと思います。

私はその当時、小学校の高学年。

中学生になると、先生のお宅の書斎で、英語の個人指導を受けるようになりました。

母親同士が仲が良く、我が家によく遊びに来てくれたN君も、曜日は違いましたが、同様にこの先生のお世話になりました。

 

素晴らしいご指導のお蔭で、英語だけは二人とも大得意。

成績も良かったです・

先生のお話によると、一番熱心で真面目な生徒だったのは、私の妹のようでしたけれどね。

私とN君は、よく宿題も忘れ、かなりいい加減な所のある生徒だったようです。(笑)

 

前回お訪ねして、お夕食を共にした時は、そのころの思い出話に花が咲き、とても懐かしい時間を過ごせましたが。

この度は、先生はもういらっしゃいません。

仏前に、用意したお供え物のお菓子とお花を手向けました。

遺影の笑顔が、優しく私たち二人を見守り、心から喜んでくださっているように感じられ、また胸が熱くなりました。

 

 

今の私でしたら、先生の薫陶を受けるべく、もっともっと努力をしたでしょう。

それは遅しで、今は叶えられない自分が本当に悲しいです。

 

でも、最後にお会いしたときの、先生の凛となさった清々しい佇まいと、お優しい柔らかな表情は、私の胸に深く刻まれています。

今も私の目標であることに変りありません。

K先生、本当に有難うございました、と心から申し上げ、今日の記事は終わりにします。

 

先生のもとに伺った時、何度もカメラのシャッターを押したい気持ちになりましたが・・・・・・。

とても神聖な場所に思え、その勇気が湧きませんでした。

そのため、残念ながら、その時の写真はありません。

 

下方にあるバナーに応援クリックして頂けると嬉しいです。
シニア日記にも参加しています。

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お墓参り~その後の私の体調

2018-04-04 06:59:56 | 旅行

何となく更新する気分になれなくて、そのまま放置の、2月中旬頃書いた記事がいくつかありました。

それも織りまぜながら、新しい記事の投稿もしてきた最近の私です。

そのため連続投稿も割と楽でしたが、その過去記事は、いよいよ尽きてきた感じ。

思いがけずたくさんの応援もいただき嬉しくて、それを励みに、いつまでも頑張れるといいのですが、何だかもう息切れ寸前。

ブログを綴る気力が次第に薄れつつあります。

 

もう少し頑張ってみようかな、と自分を鼓舞していますが。

その内に、断わりなく、突然お休みを取らせていただくかもしれません。

その節は、お訪ねくださる皆様への失礼、お許しくださいね。

 

或は、数日に一回の、のんびりペースもいいかな、と思うこのごろです。

無理は禁物と自分に言い聞かせています。

今日は、まだ想い出が鮮明なうちに、書いておきたいことを記します。

 

宿泊したホテルのロビーにて
生演奏も聴け、非日常の素敵な空間でした。

 

先日のお彼岸の時の事です。

私の暮らしにとり、すっかり恒例となった、夫の墓参のための、郷里広島行きを果たしました。

去年の秋のお彼岸は、脊柱管狭窄症の痛みは治まったものの、前々日、突然、ぎっくり腰に見舞われ、已む無く中止になりました。

それを除けば、春、秋のお彼岸、お盆、法要の度に、広島の菩提寺に出かけています。

いったい、私は何往復したのでしょう、

十往復近くにはなるかと思います。

 

 

遠方のため、物理的にも経済的にも負担はかなり大きいのですが、今の私にとっては、何にも替え難い大切な行為です。

それをこなすことで、私は、幾分でも夫への御恩返しができた満足感に浸れます。

それ以外で、良い恩返しの方法が見つけられなくて。

 

 

はるばるやってきて、墓前の前に佇むと、いつも胸に込み上げるものがあります。

夫がきっと喜んでくれているに違いない、と思えるからなのですが。

私はいつも旦那さまは身近にいて、私を見守ってくれていると信じています。

でも墓前では、特別な感慨が、新たに湧いて来るのですよね。

 

 

二時間くらいは、離れられないまま、その場にいます。

供花を手向け、お墓を磨き、お寺さんにもご挨拶に伺い、またお墓に戻り、後はのんびりと過ごすだけですが。

とてもとても心が潤い、落ち着くひと時です。

新たな英気が養われるような、気持ちにもなれます。

 

昨日、測定すると、広島からの帰宅時より、一歳年取っていました。

 

事実、元気を夫が与えてくれたのでしょうか。

帰宅した翌日、疲れはまだ残った体でしたのに、タニタのヘルスメーターに乗ると、体年齢が59歳に戻っていました。

「ビックリ!嬉しい~¡あなた、ありがとう!」でした。(笑)

 

ここ数か月、急に年齢が上がり、針は62~3歳をさすようになっていました。

私は、74歳になったばかりです。

実年齢より、12歳も若い体年齢62歳は、十分嬉しい事ですが。

元に戻ることはないだろうと諦めていたので、とても嬉しくて。

若返られたのは、きっと旦那さまからの贈り物と、勝手に思って喜んでいます。

 

体年齢は、帰省の前より数歳、若返ったものの、体調は今一つの私なのですけれどね。

心配した脚の方は、帰宅後、多少痺れの症状がありましたが、心配するほどではありません。

ご近所の方達とお花見を楽しんだ日は、体調はすこぶる良くて、とても楽しいひと時を過ごせました。

ところが翌日から、急に顔がむくみ、恥ずかしくて外出もできないほど。

体調も、またよくなくて・・・・・。

もしかして血圧が上がっているのでは、と思い、久しぶりに測定しました。

ところが、全く問題なし。

 

 

でも、顔のこのむくみは、ちょっと異常。

今日は、クリニックで診察を受けてきます。

血液検査を受けると、今までは、幾分貧血気味ですが、他の数値は全く異常なしと、言われ続けてきました、

今回は、どんな結果になるでしょう。

 

実は、今日(4月3日)は私の誕生日。

この年になると、嬉しい日とは言えなくて・・・・・・。

また一つ年を重ねてしまった、との感慨と、先行きへの不安が心をよぎりますが。

 

74歳になった自分を愛おしみつつ、新しい年齢の一年間の日々を、悔いなく健やかに過ごせますように、と祈るばかりです。

 

実は、この度のお墓参りの帰省では、他に忘れることのできない、心に染み入る素敵な思い出が、もう一つできました。

そのことについては、次回の記事で綴りたいと思います。

 

 

下方にあるバナーに応援クリックして頂けると嬉しいです。
シニア日記にも参加しています。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦秋の京都の旅 ~お天気の幸運にも恵まれて

2017-12-14 07:12:43 | 旅行

この度の法要では、その後広島に一泊し、翌日は京都に立ち寄る計画を立てた私達です。

理想は、京都の観光を半日思う存分楽しみ、その日は京都泊。

翌日の朝、広島に出かけるのが理想でしたが、お寺さんと娘の仕事の都合上、それは叶いませんでした。。

私が、これまでの墓参帰りで、いつも採ったコースです.

帰宅後の疲労が、一番軽くて済む行程と言えばいいでしょうか。

年を重ねた上、体力もない私の事。

旅行の予定を立てる時は、無理をし過ぎないように、と注意を払います。

 

けれど、今後は、果たしてこのような楽しみ方さえできるかのどうか、とてもおぼつかなくなってきました。

この度の旅行では、重い荷物はすべて娘や孫が代わりに持ってくれ、私は実に身軽でいられたので、助かりましたが。

また狭窄症が再発するようなことになれば、今度こそ杖の暮らしになるのでは、と言った怖さが、いまだに付きまとっています。

この度の旅行は、皆のお蔭で、無事に終えられ、感謝一杯でした。

 

 

さて、とても楽しかった半日の京都の旅の行く先は、どこだったでしょう。

一月ほど前になるでしょうか。

男友達の親友と言ってもいいような、H君が郷里から上京した際、私にお誘いの電話がありました。

お昼食を共にし、数時間ご一緒したとき、京都のお気に入りスポットを訪ねたところ、その一つに天龍寺を挙げられたのです。

京都やパリのような伝統のある街並みが大好きで、この両都市には、幾度も訪れているH君。

その彼が勧めてくれたので、間違いないでしょう。

その話をし、私の希望が天龍寺であることをみんなに伝えました。

快く了解してくれた娘達と妹、

 

嵐山界隈となると、京都の郊外のような印象で、そこにたどり着くまでの時間が気になりますが・・・・・・。

彼の言う通り、京都駅からJRの電車に乗ると、数十分といった近さでした。

紅葉シーズンゆえ、予想に違わず、電車も、天龍寺に通じる道も、大変な混み様。

そのうえ、その日は一段と冷え込み、京都の底冷えが身に沁みました。

長女が突然思いつき、ホカロンを購入し、みんなに手渡してくれ、大助かりでした。

 

厚かましくも、妹の画像を拝借

 

駅からは、娘達に何も考えないでついていくだけの気楽さ。

スマホで道順を既に調べているようでしたから。

沿道には、お土産屋さんや、食べ物屋さんが軒下を連ねています。

有名な神社や寺院の通りでは、よく見かける光景ですね。

少々残念。

静かな佇まいの町家や林を抜けると、忽然とお寺が現れる。

そんな風雅な情景こそ、なんといっても京都らしくて、一番素敵。

気持ちが落ち着きますもの。

 

大変混雑した道をそぞろ歩きで進むうちに、天龍寺に到着。

曹洞宗天龍寺総本山のこのお寺は、足利将軍家、後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山第一位にされてきたそうです。

古都京都文化財として、世界文化遺産にも登録されています。

 

 

参道を進み、辿りついた方丈の玄関先は、よく見かける佇まい。

同じ様式の建物を、私は、これまでにもいくつか見てきました。

豊臣の寧々様の御住い、高台院や竜安寺も、入り口はそっくり。

 

方丈に入り、廊下を抜けると、目に広々とした素晴らしい庭園が飛びこんできました。

深紅に染まった紅葉の樹木とそれを映す大きな池(曹原池)。

池泉回遊式の庭の何と美しい事。

遠くに見渡せる亀山と嵐山の山並みが借景となり、その庭の美しさを一層引き立てています。

H君が、縁側に座って、庭を眺めているだけで、とても心が落ち着くよ、と言っていましたが、まさにその通りの光景です。

今年初めて観たと言っていい,本格的な錦繍の秋の景色。

私は、大感激、大満足と言ったところでした。

 

 

ところが、その頃から、急に雲行きが怪しくなり、時に強い雨が、地面に打ち付けます。

まさかのお天気で、私達は雨具を、コインロッカーに預けた旅行バッグの中に入れたままです。

さて困りました。

 

厚い雨雲に強い雨脚
こんなお天気にも、一時的に遭いました 。

 

ところがその雨は降ったりやんだりで、薄日も幾度か差す気まぐれなもの。

私達が移動中の時は、雨に遭わないといった幸運に恵まれ、ほとんど濡れないで済みました。

残念ながら、時間的余裕もあまりなく、お天気が心配で、庭園散策は諦めましたが。

突然、陽が差し始めたときの、雨に洗われた紅葉の艶やかさは、特別な美しさでした。

 

 

 

天龍寺観光の後、向かったのは、かの有名な嵐山の渡月橋。

最初、目にした橋は通行路として仕切られた人工的な白い柵が目立っていて、実に情けないもの。

とてもがっかりした私です。

その細い通路が、人、人で溢れています。

橋の上に身を置けば、きっと新しい風景が開けることでしょう。

その期待から渡り切りたい気持ちに駆られましたが、他の皆は、混雑に少々うんざしている様子。

眺めるだけでいいと言って、譲りません。

 

でもそれは正解でした。

少し離れた河岸から望むと、人工的な内側に設置された白い柵が通行人の蔭になり全く目立ちません。

絵葉書や写真で見る渡月橋の風景そのままでした。

 

山の紅葉はまだこれからでしょうか。
くすんだレンガ色の山容でした。

 

私には決して忘れることのできない、印象的なこの風景。

貴重な一枚の両親の新婚旅行の写真が、ここで撮られているからで

両親が何て初々しい事。

美男美女?(笑)

この時を経て、私は生を授かったのかもしれません。

そう思うと、素晴らしい景色が、一層愛おしく、大切な物に思えてきます。

 

 

とても印象的な楽しい旅も、いよいよ終わりです。

長女親子は、もう少し回りたいところがあるからとかで、駅で別れ、私と妹、次女家族は先に新幹線に乗車しました。

かれんちゃんは、長女の娘、さくらちゃんと別れる時に涙が溢れ、しばらく泣き止みませんでした。

 

新幹線の車中で、次女のMちゃんは、感激した面持ちで言いました。

朝、早い出発で、かれんの御機嫌が少々心配だったけれど、とても元気で、本当に楽しい二日間だった、と

良かった!。

私も、Mちゃんの言葉をかみしめ、同じ思いに浸っていました。

妹も同様の気持ちのようでした。

お天気の幸運にも恵まれた私達。

旦那さまも、みんなの元気な姿を見て、さぞ喜び、安心したことでしょう。。

 

おじいちゃまが大好きだった、孫娘たち。
おじいちゃまとは、特別な睦まじさがありました。

 

次は七回忌。

まだ、大分あります。

その頃には、孫たちは、見違えるように成長していることでしょうね。

法要忌に限らず、毎年お墓参りで帰郷したい、と強く願っている私ですが。

今後の体調次第です。

 

七回忌ともなると、私は老け込んで、益々おばあさんに。

そうは、なりたくありません。(笑)

杖を突かずに闊歩できるほどの、健康寿命が保たれているでしょうか。

そう願っていますが、こればかりは、神さまのみぞ知るの領域。

先々の事を心配しても仕方ありません。

今日が一番素敵の思いで、毎日を丁寧に紡ぐことだけを心がけてまいります。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。
足跡代わりにポチッもして頂けると、大変嬉しいです。

   

  花のように泉のように

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三回忌法要のための女子旅

2017-12-13 07:17:49 | 旅行

11月の下旬、夫の三回忌の法要を、郷里の菩提寺にて無事に済ませました。

脊柱管狭窄症、そのあとぎっくり腰と立て続けに災難に見舞われ、秋のお彼岸の帰郷は、急遽、キャンセルせざるを得なかった私です。

ですから、今回は、無事に終えられたことが、殊更嬉しく、心から安堵しました。

 

孫息子たちは受験生のため、パパとお留守番で、唯一残念なことでしたが、それを除けば、とても充実した良い旅でした。

お天気は不安定な時もありました。

けれど幸いにも、雨には濡れず、うまく切り抜けられた私達。

その幸運は、きっと夫の見守りがあったお蔭でしょう。

 

出発の日は、早朝6時半過ぎの新幹線に乗車。

お寺さんの事情、娘達の仕事の都合で、18日の土曜日、午前11時から、法要が営まれることに決まったからです。

早朝とは言え、家を出る時から次女が一緒でしたから、一人旅の時よりも、気分的には随分楽。

長女のMちゃんとは同駅で落ち合いました。

のぞみに乗車した時、東京からの妹は既に席に着いていて、これで女性ばかり6名が勢ぞろい。

私と妹、娘達、二人の孫娘達です・

 

法要のお出かけながら、三回忌ともなると、私達は、すっかり旅行気分。

とはいうものの、喪主として落ち度が無いように、準備するものを車中で、再確認したり。

妹に、お布施を渡すときのご挨拶の言葉を、スマホでもう一度調べてもらったり、と緊張感は多少ありました。

朝が早いため、墓参の供花は、次女が前日、会社の帰りに用意してくれたものを持参しての里帰りです。

 

 

広島に到着したのは、10時半頃。

もうあまり時間がありません。

ひと休みするゆとりもないまま、全員タクシーに乗り込み、お寺に向かいました。

広島の親戚は、私がよく存じ上げている二名の方だけ。

11時から始まった法要は、滞りなく終わり、ご住職様に私と娘達でご挨拶。

その後、本堂の裏の墓地で、お墓参りも済ませました。

 

秋のお彼岸は体調を崩し、急きょ、墓参が中止になりましたから、お盆以来の久々のお墓参りです。

自己満足かもしれませんが、遠方ながらお墓まで足を運ぶと、夫への御恩返しが少しできたよう充足感に私は浸れます。

娘達は、久し振り振りのお墓参り。

どんな感慨を抱いたことでしょう。

 

おじいちゃまの墓前にお線香をあげる孫たち

 

この後は、広島市の中心街に構えるリーガーロイヤルホテルに向かいました。

法要後の粗餐と宿泊の予約がしてあります。

 

クリスマスツリーが素敵!

 

50代の頃、帰広するたびに利用していたお気に入りのホテルでしたので、懐かしさで一杯に。

そのころから随分年月が経過し、古びた箇所が目に付くホテルになっていました。

入館するなり、そんな感想を家族に述べた私でしたが、25階の客室は落ち着いたインテリアで、眺望も素晴らしかったです。

 

予約をしてくれた次女がチェックインの手続きを。
後に立っているのは妹と、長女。
長女のMちゃんは、いつも私の荷物持ち。 

 

会食の席は、身内だけで、実に寛いだ時間になりました。

親戚の方々は、90近いご高齢だったㇼ、体調が思わしくなく御辞退なさったからです。

婿もいなくて女性ばかり。

余りにㇼッラックスした会食のひと時だったからでしょうか。

夫の思い出話以外、何を話題にしたのか全く思い出せません。

恐らくとりとめもない話しで、終始したのでしょう。

 

お料理は、お昼食なので、多少軽めにしました。

次女は、とても美味しい、と言って、満足のの面持ち。

昼食には、ちょうどよい量だったように思います。

参考になるので、お品書きも載せたいところですが、見当たらなくて残念です。

 

 

 

 

 

 

 お昼は、軽くて正解。

夕食の広島名物、お好み焼きがとても美味しく感じられ、お腹いっぱい頂けましたから。

その前に、娘達と妹、孫たちは、ライトアップした縮景園に出かけましたが。

私は、とても、みんなの元気な動きについていけず、一人、ホテルで寂しくお留守番。

朝も早かったせいでしょう。

もうぐったりしてしまい、客室のベッドに体を投げ出すようにして、寝入ってしまいました。

 

早朝起きたかれんちゃんはさすがにオネム。
でもとても良い子で、よく頑張りました、

 

そのお蔭で、私は元気復活。

一方、小学校一年生のかれんちゃんは、さすがにお疲れ気味。

3~40分待たされましたが、ホテルの隣のそごーデパートの階上のレストラン街にあるみっちゃんで食べたお好み焼きの、何と美味しかったこと。

以前、お彼岸のお墓参りで帰郷したとき、一人で、駅のレストラン街にあるみっちゃんで、お好み焼きを注文したことがありました。

久し振りに口にした時の印象は、やはり私は、苦手と思ったものです。

半分も食べられなくて。

 

でも今回は、違いました。

お好み焼きは、大勢でおしゃべりに花を咲かせ、賑やかん雰囲気の中でいただくものですね。

一人で食べたときとは、別のお料理のようにに美味しく感じられましたから。

 

  

 

これは長女の驕り。

Mちゃんご馳走さまでした♪

明日は京都に向かいます。

墓参の時、途中下車して数度訪れたことはありますが、紅葉シーズンの京都は久しぶり。

夕方仮眠をとったにもかかわらず、お腹いっぱいの私は、明日を楽しみに、入浴後、あっという間に眠りに就きました。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。
足跡代わりにポチッもして頂けると、大変嬉しいです。

   

 花のように泉のように

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日に続いてもう二組の素敵なご夫婦~新幹線の車中にて

2017-08-31 06:52:10 | 旅行

お盆時の旅行の話は、そろそろ皆さん飽きていらしたでしょうね~

話題の乏しい私は、一つの出来事から色々テーマを見付けて、タイトルにしては、綴ってごまかしているような。

そんな感じがしないでもありませんが。

丁寧に書いているということにして、大目に見て下さいね。

 

さて今日こそ、お盆の旅の最終章です。

昨日で終わりにしても良かったのですが、とりとめもない話題ながら、私の心にほのぼのとした余韻を残す、印象的なエピソードがありましたので。

それについて、二件綴ります。

仲睦まじいご夫婦のお話。

昨日も、親戚の素敵なご夫婦の事を話題にしましたので、三件になるでしょうか。

 

いよいよ画像が少なくなってきました。
またこんな写真で失礼します。

 

帰りの新幹線の席でも、二組の素敵なご夫婦と隣り合わせになりました。

夫を失って、まだ二年足らずの私には、羨ましくもあり、心にチョッピリ影を落とすひと時でもありましたが。

そのご夫婦たちの幸せのおすそ分けをさせてもらったような、温かな気持ちにもなりました。

 

広島駅で帰りの新幹線に乗車し、自分の席番号の前に来た時は、一瞬戸惑ったのですけれどね。

私の席にご婦人がすでに座っておられたからです。

私が困った顔で立ちすくんでいると、そのご婦人は、

「席を間違えました」と言われました。

そして荷物と共に、前のテーブルに乱雑に広げられた小物を抱きかかえるようにして、後ろの席に移られました。

不愛想な方で、笑顔もすみませんの一言もなく、いやに不機嫌そうな態度。

変わった方だわ、との印象を受けましたが。

それ以上気に留めることもなく、無事に空いたシートに腰かけることができた私です。

 

 

ところが、その人とは打って変わって、私の隣席は、とても柔らかな雰囲気の優しそうなご婦人でした。

私とさほど年齢が変わらない方のように見えました。

私が荷物を、足元に置こうとした時の事。

自分の前にも置いてください、と実に気さくな態度と笑顔で、優しいお言葉をかけて下さったのです。

ご親切な態度に感激しましたが、丁寧にお礼を申し上げ、自分の前に置くことにしました。

 

余りに第一印象が素敵なかたでしたので、お互いに初対面ながら、30分くらいおしゃべりに花をを咲かせました。

福岡にお住いのご長男家族のところに遊びに行かれた帰りとのこと。

その後も、ご夫婦の会話のやりとりが耳に入りましたが。

仲の良さが、すぐ私には見て取れました。

ご主人様は、温厚な雰囲気で口数が少なく、奥様がもっぱらお話を。

その話し方が、とてもお優しくてチャーミング。

素敵な奥様を持たれたご主人様の、幸せなお暮らしぶりが窺えるようでした。

神戸で下車されましたが、その余韻がいつまでも、私の心に残りました。

 

 そして次の停車駅、新大阪から私の隣席に、今度は若夫婦が着かれました。

まだ生活臭など全く感じられないような、清々しくて知的な雰囲気が漂う若々しいお二人。

ショートカットの横顔が美しく、お若いのに、とても落ち着いた佇まいでいらっしゃいました。

装いも、上品で。

ご主人様が、遠慮深げにそっと自分の手を奥様の手に重ねて、pcに向かっておられるのに、気が付いた私。

何だか見てはいけないものを見てしまったような・・・・・・。

つい、自分の新婚当時に思いを馳せました。

 

記事に関係ないですが、最近のお夕食
下のホテルのお料理を幾分意識して・・・。

 

 

優しそうな素敵な老夫婦と若夫婦が隣席され、リラックスできたせいでしょうか。

私は、新幹線に乗車中、時間の大半を、眠りこけて過ごしてしまいました。

余程、疲れていたのでしょう。

本当は、普段はかどらないデスクワークに、行きの車中の時と同様に集中したかったのですけれど。

 

最寄りの駅に着いたのが9時前。

夫のお墓参りと親戚のお宅のご挨拶を無事に済ますことができた安堵を胸に、家路を急ぎました。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

  ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。

    

花のように泉のように

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の目標~敬愛して止まない高齢の御夫婦

2017-08-29 07:25:39 | 旅行

今日は、原爆慰霊碑を訪ねホテルに戻り、チェックアウト後、束の間の時間でしたがお邪魔した、夫の親戚宅のお話を致します。

既に、前の記事で、このご夫婦への私の敬愛の情については触れましたが。

今日は、もう少し詳しく語りたいと思います。

 

旅行の荷物をすべて携え、タクシーでそのお宅に向かいました。

もちろん、すでにご挨拶に伺う旨、ご連絡がしてあります。

到着すると、N先生が、夫の一周忌の法要でお会いしたときと全く変わりない、お元気そうな姿と笑顔で、私を迎えてくださいました。

92歳になられますのに、お顔に皺が全くなくて、色つやも私より良く、羨ましくなるほど。

 

 

以前伺ったお話では、健康管理が徹底しておられるようでした。

感心することばかりだったのです。

ローヤルゼリーをワンスプーン、毎日飲んでいらっしゃるとも伺いました。

たしか普通のはちみつと混ぜて(?)

そうしないと飲みにくいようです。

うろ覚えですので、はちみつではなかったかもしれません。

私も、そろそろ試したいと思っていることなので、その内、もう一度伺ってみますね。

散歩も、もちろんなさっておられます。

他にもいろいろお聞きしたのですが、数年前の事ですので、よく覚えていません。

 

この記事の画像は、すべて平和記念公園で撮ったものです。

 

健康管理の知識がお詳しいのには、訳があります。

実は、親戚なのに、私が先生とお呼びするのは、80過ぎまで産婦人科の医師として活躍されたからです。

医学の専門知識に基づいたご自身の管理ゆえ、それは盤石でいらっしゃることでしょう。

 

とても美しい奥様は、度々の大病を乗り越えて、今に至っておられます。

九死に一生を得るようないきさつが数度おありでした。

そのたびに、N先生が、担当医とご相談しながら、渾身の治療にもあたり、手術室でも立ち会われたとのこと。

その努力の甲斐が実って、86のお歳になられても、とてもお元気そうです。

お優しい医師の旦那さまを持たれた奥様の境遇を、お話を伺うたびに、羨ましく思ったものでした。

 

久し振りにお目にかかったお二方様は、90歳近いご高齢にもかかわらず、かくしゃくとなさり、芯の通った明るい言動や態度に、私は唯々感心し、尊敬の念を懐くばかりです。

 

原爆の子の像

 

ところが、このN先生が、お目にかかるたびに口にされるのは、義父への感謝の言葉です。

更に、夫が幼かった頃、相手をした時の思い出話の数々を。

 

その理由は、先生から、幾度も伺ったお話から、わたしは知ったことでした。

N先生が医師の資格を得て、産科医の道を順調に歩むための環境を、義父が心を尽くして整え、面倒を見たようでした。

医学生の時は、開業医の義父の家に下宿させてもらい、まだ幼児だった夫の相手をよくしたとのこと。

夫が可愛くて利発だったことを、目を細めて話されます。

郷里の老舗の和菓子屋店のお嬢様であられた奥様を、N先生に紹介したのも、義父でした。

 

 

そのためでしょうか。

ご高齢にもかかわらず、長年にわたり、お盆、お彼岸には、 義父母のお墓参りを欠かさず、必ずして下さっているとのこと。

義父母も、N先生の律義な態度に、感謝していることでしょう。

 

夫が病に伏せるようになってからは、私達も、身に余る心遣いを色々受けました。

わざわざ、ご夫婦揃って、広島からお見舞いにも来てくださいました。

病状の事で、相談にも度々乗っていただいたものです。

 

義父が甥にあたるN先生をとてもかわいがったのは、N先生のお人柄の良さもあったことでしょう。

今でもお会いしてお話させていただくと、先生の温かなお人柄に抱かれるような心の安らぎを覚えますから。

 

いつまでもいつまでも、お元気でご長寿を全うされ、私の目標でいて下さい。

そして、励まし支え続けて頂きたく、心から願っています。

 

       

 

最後に、先生から伺った耳よりの情報をお知らせ致しますね。

皆様はパイオニアの「集音器」をご存じでいらっしゃいますか。

補聴器と同様の効力を発揮するもののようです。

但し補聴器より格安で、なんと一万円前後で求められます。

そのうえ、補聴器よりはるかに聞えがいいとのこと。

 

新聞でも、よく最近補聴器の広告を目にしますが。

安くても五万円以上。

数十万するのが一般的でしょうか

ドイツ製などとなると、五十万円くらいになるそうですが、決して聞こえ心地は良くないとの事。

 

安いパイオニアの集音器の方を、強くお勧めくださいました。

試しにネットの口コミを読むと、そこでもとても評判がいいようでした。

私は、会食のレストランで、席が少し離れた友人の声が聴き辛くて困ることがあります。

一万前後なら、一度試してみてもいいですね。

 

年を重ねると、いろいろ不自由なことがおき、人生の悲哀が一層身に沁みます。

耳の聞え云々だけでなく、私は最近、ちょとした爆弾宣告を医師から受けました。

その割には元気で、こうして淡々とブログも綴っています。

近いうちに、その話題にも触れたいと思いますが。

なるようにしかならない。

そんな気持ちで、割と冷静に受け止めていますが、元気かと思と急に不安になり、少し落ち込んだりと。

気持ちの揺れがいつになく大きいです。

 

皆さまも、くれぐれも、ご自分のお体をいたわって、良き日々をお過ごしくださいませ。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ 
にほんブログ村

 ご訪問、温かな応援、本当に有難うございます。

   

  花のように泉のように

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする