今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

続 マイホーム着工に至るまでの苦労話

2023-01-19 07:34:59 | 人生

自分が抱くイメージ何て実に千変万化。

くるくる変わるものです。

ですから決して焦ってはいけない。

この事が身に染みたマイホーム建築の体験でした。

 

数年間、住宅展示場を頻繁に見学。

買い求めた住宅雑誌は50冊を超えたと思います。

最初は住宅展示場の営業マンの話に軽く乗ってしまい、仮契約までいったことが二度ほどありました。

その時は、人任せで、余り自主性はなかったようにも、

最初に出会い、お話をどんどん進めた住友不動産のモデルハウスは、一目惚れだったのですけれどね。

我が家の柱や床の色は、それを真似、特注だったシステムキッチンも、同様の物を我が家にも取り付けてもらいましたが。

 

 

けれど、どうしても先に進めない壁が私にはありました。

その為、二度も仮契約を解約した私です。

二社とも、その一時金は確か戻りませんでした。

愚かとしか言いようのない行為でしたが、大きな買い物ゆえ、試行錯誤。

まだ若くて経験が浅かった私の未熟さが、その失敗の原因だったのでしょう。

しかし、結果的には、それは決して無駄な過程ではなかった、と思えるようになりました。

そのまま進めば、今とはまるで違う家が建っていたからです。

 

 

そんな苦労を重ねている時、M施工会社の営業マンが、百ページにわたる方眼用紙を私に手渡してくださったのです。

それを契機に、私の人頼みの心が一気に変わりました。

その後、娘の受験が終わるまで二年間にわたり、私は自力でマイホームの図面を描き続けたのです。

一時は、ノイローゼになりそうなほどのめり込んででしまい・・・。

これではいけないと・・・。

Mちゃんの中学入試の準備に協力をするために、住宅雑誌も方眼用紙も、手の届かない押し入れの奥に投げ入れたりしたこともあります。

 

私が日中過ごせる家事室のような多目的な部屋を作ったのは大正解でしたが、この和室もそうです。
将来、両親を介護する時のために、炊事する場所から和室が見えるようにしました。
これも正解で、孫の遊び場としても、大変重宝しました。

 

そんな苦労を重ね、自分で隅から隅まで描き挙げた我が家の見取り図を、自分で完成させました。。

それを、渋谷のモデルハウスを設計し、その住宅会社では一番人気が高かった設計士のYさんに見せたところ、

「申し分ありません。この図面通りに建てましょう」

と言われ、その様に建築されたのが今の我が家です。

後でYさんには、

「私が考えたのは屋根のかけ方と窓の大きさだけです」

と言われましたが。

それは、本当の事なんです

 

実は、私はYさんに一目惚れだったのですけれどね。

服装のセンスも良くて、実に格好いい優しい方でした。

営業マンのIさんも、いい方で、とてもお世話になりました。

キッチンや浴室のタイル、暖炉、その他あらゆる備品を揃える時、車でお店を紹介、案内して下さったものです。

設計士のYさんとは、未だに年賀状のやり取りをしています。

 

お風呂好きなので、タイルの選択にも一苦労しました。
野の花のイメージのこの柄が、今でも大好きです。

キッチンのこのタイルの柄も好きです。

 

二度仮契約した家は、まるで別物でしたので。

軽率に建てていたら、今の私の日々の暮らしは全く違ったものになっていたと思います。

 

私はこの経験を思い出す度に、自力で辿れた過程にはどうしても思えなくて。

大きな導きを思い、感謝しかありません。

 

マイホーム建築は一世一代の大仕事です。

業者任せで建てては余りにもったいない事。

自分の気持ちもどんどん変わりますから、熟慮に熟慮を重ね、数年くらいはかけてほしいです。

この珠玉の知恵を授けてくれた、私のマイホームの建築体験でした。

 

 

次女の話によるとマンションのリフォームをするそうです。

大掛かりなものではありませんが。

ママは、壁による閉塞感が多少気になるのだけれど・・・。

後で後悔しないように、よくよく考えて実行してね。

今日の記事は、これをMちゃんに伝えたくて書いたのかもしれません。

 

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マイホーム着工に至るまでの苦労話

2023-01-18 07:21:30 | 人生

いよいよ話題が無くなってしまいました。

私の暮らしは、実に平凡。

毎日変わりない日々が、穏やかに過ぎていくだけ。

それを退屈などと思ったことは一度もないので、奇特な人間なのでしょうか。

奇特には二つの意味があるようですが、私の場合は非常に珍しく不思議な様に当たります。(笑)

 

退屈という言葉は、私の暮らしでは死語。

平凡な日々でも、やりたいことは山ほどあるのに、それが思い通りに捗ったことなんてなくて・・・。

頑張って忙しく過ごしても、いつも消化不良気味。

要領が悪い私の暮らしは、一生こんな感じで過ぎていきそうです。

 

お出かけをもっとしたいと思うこともあるのだけれど・・・。

体力不足が私の大きなハンディー。

幼い時からずっとこのハンデイーを背負って生きてきた気がします。

後に私を見舞う疲労感が嫌で、外出は出来るだけ控えるようになってしまいました。

 

 

ですから我が家が、私のお城。

出来るだけ快適にしたいと思い、夢をいっぱい託して建てたのが今の家です。

数年かけました。

 

日中は、主人も娘達もいませんでした。
ですから、その日中、多目的ですべてがこなせる家事室のような自分の部屋が欲しい。
そう願ってこの部屋の図面を私は描きました。
それは大正解でした。

 

帰国後一年足らずで長女が中学受験。

その後、五年生になった次女の受験期も迫っていました。

その頃、マイホーム建築の目標を掲げた私でしたが・・・。

その時の優先順位は、長女、次女の受験でしたから。

娘達の受験が終わるまでは着工しない、と心に固く決めていました。

ですから、プランを立てたり考える時間の余裕が十分私にはありました。

この事については、明日、もう少し具体的に詳しく綴らせていただきます。

 

 

実はこの後もすでに、ざっと記述済みですが、短文で更新しませんと、もう連続投稿は限界になりそうですから。

しり切れトンボで申し訳ありませんが、明日に乞うご期待とさせていただきます。

 

 

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私の模範で目標だったご夫婦

2023-01-13 06:58:27 | 人生

前回の記事でお話ししたご高齢の夫婦について、今日はもう少し詳しく語ります。

昨年の春、亡くなられたようですが、私にその訃報が届いたのは喪中の葉書きによるものでした。

コロナ禍でなければ、もっと早くお知らせくださり、私は当然のように、郷里に駆け付けていたことでしょう。

コロナが流行する前は、私は毎年数度、郷里の広島に夫のお墓参りで帰省していました。

そしてお盆の帰省の時は、いつも叔父ご夫婦のお宅にご挨拶に伺っていました。

ところが夫の七回忌の時に、伺ったのが最後になろうとは、思いも及びませんでした。

 

喪中の葉書きが来たときは、とてもショックでしばらく呆然としてしまった私です。

N先生は享年95歳でいらっしゃいます。

奥様も80代の後半。

奥様は晩年、色々な病に侵され、入退院をくり返しておられました。

 

N先生はお医者さまでしたから、奥様の手術の際も、傍に立ち会われ、献身的に看護されていました。

その経緯からしても、奥様を先に見送られるのだろうと私は思っていました。

そんな奥様を遺しての旅立ちは、さぞ心残りでいらっしゃいましたことでしょう。

 

ご無沙汰に打ち過ぎ申し訳なく、精いっぱいの事をしたくて、上の供花もお届けしました。

 

何時お訪ねしても、服装を整えられ、優雅なワンピースを装われてた奥様とご一緒に、凛としお姿で私と相対してくださいました。

いつも笑顔でためになるお話を聞かせてくださった先生。

私の目標で模範のご夫婦でした。

今は心ばかりの物をお送りし、ひたすらご冥福をお祈り申し上げばかりです。

 

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願い

2023-01-07 07:03:38 | 人生

早朝の時間内に書き終えられたので、私にしては珍しい連日更新をしましたが・・・。

もういよいよ話題が無くなってきました。

去年はカメラが故障し、新しいものに取り替えたり・・・

パソコンのトラブルが悩ましかったりで・・・

年末の忙しい時にもかかわらず、書くことがそれなりにありました。

 

夫が8年前に亡くなり、一人暮らしになってからの私の日々は実に平凡ですが。

話題がなくても、自分の暮らしを退屈と思ったことは一度もありません。

家の中でも、取り組みたいことは山ほどあります。

でも暢気で、動作ものろいので、なかなか捗らなくて困ります。

 

先はもう決して長くない私。

頑張らなくては、私の思いを全て叶えるのは無理。

娘達に迷惑をかけないように、身辺整理にも、もっと力を入れたい、と思うのですけれど・・・。

 

私は余り物欲はなくて、その代わり欲しいものがあると、とことん厳選し、多少高くてもそれを購入。

そして一生大切にする。

そんな方針で暮らしてきました。

ですから家の中は割とすっきりしていて、娘にも褒められます。

 

娘家族達を見送り、居間に入った時、すぐに撮った写真です。
年末までツリーが飾られていたので、観葉植物の位置がいつもと違いますが、この配置も
なんだか気に入ってしまいました。

お正月花が素敵!
今右衛門の花瓶に生けました。

長女宅は、隔週で近所の花屋さんから、花束を届けてもらっているのですが
その花屋さんでアレンジしてもらい持ってきてくれた正月用のお花です。
これからは毎年ここにお願いしましょう。

 

とは言っても物欲がまったくなくなったわけではありません。

私の余生に夢を与え、潤いのある暮らしの手助けしてくれるものがあれば、やはり買いたい。

そう願っています。

夢は失いたくありませんから。

先の短い人生をどんな風に生きるか。

具体的な目標はもうないけれど、「一日一生」の気持ちで悔いのない日々を送りたいです。

 

私は観念的な事を書くのは苦手で、そんな高尚な人間でもありません。

実に現実的。

日々できる事に誠実に取り組む。

それが精一杯。

そんな人生を過ごしてきただけで、少々恥ずかしいのですが。

今年も良い年にしたい。

何よりも心身の健康を大切にして。

 

この歳になると邪気を抱くのは恥かしい事。

悪い言葉は口にしないで、清らかな気持ちで生きていきたい。

そう願っています。

 

もうすぐ、私にしては実に珍しい事なのですが、かなり詳しい身体検査に臨みます。

爆弾宣言があると嫌だなあ~

無事に通過できますように。

 

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狭心症の発作に又見舞われる

2022-11-12 07:23:44 | 人生

今日の記事は第三弾のトラブルなのですが、~弾の表現はオーバー過ぎて、次第に恥ずかしくなってきました。

ですからタイトルにこの字を使用するのは、今日から止しますね。

 

採血の結果が出て数日後の事です。

また狭心症の発作に見舞われてしまいました。

今回は、かってなかったほどその症状が長く続き、とても緊張した私です、

 

採血で悪い数値が出て、自分の心臓にすっかり自信を無くしてしまった私。

そこに見舞った、この度の発作。

恐らく、心因性が影響して、いつもより長引いたのでは。

そう思っています。

軟な情けない心です。

 

今迄だと、ニトロペンを二錠服用すると、必ずその発作は治まりました。

でも今回は、そうはならなくて・・・。

二錠服用しても、左胸から背中にかけて締め付けられるような違和感が続きました。

さすがに怖くなり、妹に電話をかけ相談。

救急車を呼べば、と妹はしきりに言います。

 

最近は朝食におかゆを食べるように。
胃の調子が悪くなってからの事ですが。
嗜好が変わってたかのようにパン食を、今は受け付けなくなっています。
右上の物は、前日こしらえたサラダを炒めました。

 

でも私は出来れば呼びたくない。

我が家の前に、救急車があのけたたましいサイレンを鳴らしてくれば・・・。

気が付いた近隣住民の方々は、どんなに驚かれることでしょう。

きっともう少し我慢をすれば治まってくれる。

そう思うのですが、暫くその発作が続き・・・。

15分くらい経過して、やっと元の正常な体になりました。

 

ホッと安堵し、しばらく呆然。

今日はクリニックに出かけ、診察を受けよう。

BNPの異常数値の事についても詳しく知りたいし・・・。

発作がなかなか収まらない時は、ニトロペンを三錠服用してもいいのか?

その点も尋ねてみようとも思いました。

 

東急のレーズンパンが今の私はお気に入り

元気な時の朝食はいつもこんな感じ

最近の残り物ばかりで準備した簡単夕食

 

ところが電話したところ、その日は先生は他の病院に出かけ、いらっしゃいませんでした。

翌日、先生からお電話をかけて下さるとのこと。

そして翌日の午後過ぎに、電話がありました。

 

先生の受け答えを聞いていると、思ったより淡白な印象でしたが・・・。

二錠服用しても治まらなかったら、迷わずすぐ救急車を呼んでください、と。

でも、救急車が来ると、きっと安心して私の発作は収まってしまいそう。

そうなったら恥ずかしいですものね~

呼ぶべきか、呼ばざるべきか、その見極めって本当に難しい。

同居人がいると、こういう状況の時、心強いのでしょうが。

 

膝の痛みの緩和のために求めた医薬品でしたが、その効果は今一つ。
徐々に良くなってきた感じはしていますが。

ところが肩こりと首のこりが、この医薬品のお蔭で見事とに改善。
ここひと月、色々なトラブルに見舞われ、デスクワークが多いのに、
肩こりと首のこりから無縁の暮らしをしています。
思いがけない効用に、とても喜んでいる私です。

 

私の場合、離れていても、妹が同居人のようなものかもしれません。

娘達は仕事中で、電話はしづらいですから。

妹は、時空は何のその。

それを飛び越えて、いつも私に寄り添い、いろいろ意見をしてくれますから。

これからも頼りない姉を宜しくお願いします。

世界に一つだけの姥花日記 (goo.ne.jp)

妹のブログです。

 

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第二弾~採血の或る結果数値に驚いた私だけれど

2022-11-10 07:01:45 | 人生

最近起きたトラブルの第二弾は、診察で出た採血結果の異常数値です。

BNP院内の数値は18.4以下が正常ですのに、私は132.0。

いくら鈍感な私でも、この数値には目が釘付けになりました。

先生は、採血の結果は貧血気味と出ていますが、血糖値、コレストロール値、他はすべて正常です、とおっしゃいました。

その後に、心臓の負荷率が高いようですね、の一言がありましたが。

余りに軽い一言でしたので、私はまるで気に留めなかったのですが・・・。

 

ネットで調べると、100を超えると心不全。

150を超えると、治療を要すると記されていました。

正常値は18.4以下。

私はその数値が135でしたから。

余りに高くて、さすがにショック。

 

 

でも過去に、思い当たることは色々ありました。

若い時から、階段の昇り降りは一苦労。

坂道も同様で息切れが酷くて、一気に上れない体でしたし・・・。

頑張り過ぎると異常に疲れてしまう。

夫が入退院を繰り返し始めた頃は、数年、息苦しさが続き、娘が心配の余り付き添って、診察を受けたり、と。

 

次女が中学受験が終わった直後の出来事は、私の人生で最大の危機だったかもしれません。

風邪をこじらし、暫く高熱が続きました。

臥せてしばらく経過した真夜中の事。

呼吸が虫の息になってしまい、運よくそこで目覚めた私。

夫に救急車を呼ぶように、自ら頼みました。

その時、上の血圧が30以下になっていたとのこと。

 

若し目覚めなければ、まだ小学生と中学2年生の可愛い娘達を遺して・・・。

誰にも気づかれないまま、息絶えていたかもしれません。

神様が私を目覚まして下さった、としか思えないような、運のいい出来事でした。

 

何か体に異常が生じると、何時も心臓が関連していました。

恐らく若い時から、心不全の傾向があったのかもしれませんね。

体力にはまるで自信がなくて、何時も気力で頑張ってきた人生でしたから。

 

でもMRP以外は、貧血気味を除けばすべて正常ですから。
コロナ禍の前、別のクリニックの医師に、若い人並の数値です。
余程食事がいいのでしょう、とお褒めの言葉をいただいたこともあります。

 

ですから、最近通い始めたクリニックの採血で、この数値が出たのは、今後のために、とても良い事だったのかもしれません。

妹夫婦は、私と違い、毎年人間ドッグで検査を受けていますが、その結果に、BNPなどと言った数値はなかったようです。

それから察するに、最新式の検査法なのでしょうか。

 

この検査結果で、過去の出来事も納得できて、今後注意すべきことが私なりに分かりましたから。

注意を払えば、長生きできるのかもしれませんが。

まだ三十代の時、血圧が下がり、虫の息にになってしまった時。

苦しくなくて、とても安らかな境地に居たことを今でもよく覚えています。

それ以来、あの時のような状況で死ねたらいいなあ~、とずっと思ってきた私です。

この願いが叶いますように。

 

ごめんなさい、何だか恥ずかしい終わり方になってしまいました。

笑って読み流してくださいね。

 

薬の効果は個人差があるでしょうから、心からお薦めしていいのか迷いますが・・・。
私は服用後ひと月位で効果が表れ、以前より視界がクリヤーになり、良く見えるようになりました。
この薬の効能で一生白内障から無縁でいたいものです。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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私の宝物~ご住職様から贈られた「歎異抄」

2022-10-29 07:08:58 | 人生

秋のお彼岸も、帰広しなかった私ですが・・・。

夫の菩提寺のご住職様には、認めたお手紙と共に、お布施をいつも同封し、お送りしてきました。

お布施は、ご供養していただいた後に手渡すのが、本来のしきたりでしょうが・・・。

コロナ禍にあり、遠方のお寺ゆえ、それが叶えられません。

そのため、失礼ながら、このようにしています。

 

お手紙を認める時は、とても気持ちが張り、一言一言、いつも以上に丁寧に文章を書くように心がけています。

お相手は、高尚なご住職様ですから。

でも実際にお会いすると、本当にもの柔らかな優しいお人柄で、親しみやすい御住職でいらっしゃいます。

とは言っても、私はやはり緊張してしまうのですよね。

 

無地の便箋を使用するのが礼儀に叶うのかもしれませんが、
今回、お礼状を書くに当たって、親しみも込め、この便箋を使用しました。

 

昨年、夫の七回忌で、帰広したときのこと。

娘家族は無論、妹も姪家族も参列してくれました。

法要が終わった後、私は代表でご住職様にお礼の挨拶をし、席を後にしたのですが・・・。

娘二人はその後、長い間、ご住職様と会話を交わしたようです。

そのあと、感激した面持ちで私に、「本当に立派なご住職様」と言って、只々敬服しきっている様子でした。

「そうでしょ。ママが何時も褒めている訳、納得いってくれたでしょ」

と言ったものです。

 

両親が眠っているこのお墓を、最終的には墓じまいし、両親も私も、
夫の菩提寺の墓地で眠るつもりです。

 

私の一生に於いて、このようなご住職様に巡り会えた幸運は、計り知れないものがあります。

私は、幼い時から、キリスト教に縁のある暮らしをしてきました。

大学もミッションスクールでした。

娘達の日本人学校もミッションスクールで、この時は週末には熱心に教会に通いました。

 

ところが帰国後は、教会に通う事もなく、今日に至っています。

そして晩年になった今、夫の菩提寺のご住職様と、お手紙のやり取りで、思いがけず、親しい交流ができるようになってきました。

 

私は宇宙の神様はお一人との信念があります。

風土や民族性により,宗教の形態が変わるのは仕方のない事。

宇宙の神様は、きっと寛大なお方で、それは容認なさっていらっしゃるに違いありません。

もちろん偽宗教には厳しい目を向けておいででしょうが。

 

 

母も私が幼い時は教会に通っていて、牧師さんの家に泊めていただいたこともありました。

でも最後は、両親とも、先祖の仏教の曹洞宗のお寺で今は眠っています。

では私はどうするか?

ずっと悩ましい問題でしたが、郷里の夫の菩提寺(浄土真宗)のご住職様が、私の願いをすべて受け入れて下さることになりました。

その願いとは、夫の菩提寺に新たなお墓を建てるか、あるいは永代供養でも構いません。

私と両親も、夫の遺骨と共に、そのお寺で供養してもらうことに。

 

 

秋のお彼岸の時、この件のお願いを認めたお手紙を差し上げたところ、快く承諾してくださいました。

そして、返信のお手紙と共に、歎異抄が同封されていました。

私が前からずっと読みたいと思っていた書物でしたが。

何だか敷居が高くて、まだ紐解いていませんでした。

尊敬して止まない、ご住職様が贈って下さったことで・・・。

私にはこれ以上、値打ちのあるものはない、と思えるほどの人生の宝物になりました。

聖書も我が家には数冊あって、同様なのですけれどね。

 

夫が導いてくれたのでしょう。

晩年のご住職様との親密な交流が、私の心を一層平安にしてくれています。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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人生運が割と強かった私

2022-10-04 07:02:40 | 人生

私はとても人生運が強い人間なのかもしれません。

過去を振り返ると、自分の力だけではとても乗り越えられなかった、或いは出逢えなかった、

と思うような幸運な出来事が幾多もありましたから。

小、中、高と素晴らしい担任の先生にも巡り会えました。

国立大学の付属で、小学校も6年間、中高も3年間同じ先生で、とてもお世話になりました。

前回の記事でも触れましたが、心からお慕いできるご住職様に出会えたことも正にそうです。

一番恵まれていたことは、尊敬できる素晴らしい多くの友人に出会えたことです。

私は、友のお蔭で成長できた、と本当に思っています。

 

余りに恵まれ過ぎ、それが私の人格形成に災いしたこともありますけれどね。

鍛えられないまま育ち、思春期の頃は、心が弱く結構苦労もしましたから。

今はその頃に比べると、人間が多少は成長し、随分逞しくなりました。

 

先週の木曜日に届いたHanaTomo定期便のお花です。
Mちゃん有難う。
ママはセンス良くアレンジされたこのお花たちに
とても元気づけられています。

 

三十代の後半の頃のことですが・・・。

妹家族がドイツから帰国し、その二年前に夫の海外赴任を終え、私も米国から帰国。

その私に久し振りに会った妹が、私を見て、

「まるで別人のよう」

と言ったものでした。

 

最近も、親友のFさんに、~さんはぶれない自分軸をしっかり持っている何て、言われましたが・・・。

それは少々疑わしいです。

しょっちゅう迷ってばかりいる私ですから。

でも今までは、とことん迷いながらも、選択肢を余り間違えずに人生を歩んで来れました。

未熟な私一人の力で出来たこととは、どうしても思えなくて・・・。

お導き下さった神様に、溢れるような感謝の気持ちを私は常に抱いています。

 

 

出逢い以外にも、幸運な出来事がいろいろありましたが、いつかまた、そのお話しもさせていただきますね。

今日は直近の事で、また運の強さをしみじみと感じたことをお話ししたいと思ったのですが・・・。

前置きが長くなり過ぎてしまいましたので、この続きは次回といたします。

 

お薬に頼らない暮らしがモットーの私でしたが、この度、思い切ってサプリメントを購入。
目の視力が急に落ち心配でしたから。
このサプリメントを服用し、半月経過後から視力が回復し、とても嬉しく思っています。
老化に因る目の病の予防にもなってくれると嬉しいのですが

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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お彼岸のお墓参りと今後の事 

2022-10-02 07:15:03 | 人生

記事の更新が前後してしまいました。

今日の記事は前回の記事の前に載せるべきでした。

この辺りはいつも実に適当。

その時、頭にひらめいたことを記事にしている私です。

 

23日のお彼岸の中日には、妹と一緒にお墓参りの出かけてきました。

その後、高島屋に出かけ、お気に入りのお店でランチを頂きながら、おしゃべりに花を咲かせた私達です。

 

 

実の両親とご先祖さまのお墓は、母が亡くなった時、郷里の広島から今の菩提寺に移しました。

妹と一緒に、お彼岸とお盆の季節になると、お墓参りを欠かしたことがない私ですが・・・。

いつも気になるのは夫のお墓の事。

コロナ禍になってからは、一度も帰広していません。

せめて、供養のお願いだけでもと思い、お布施を同封し、ご住職様宛に、お手紙を認めるようにしていますが。

このお手紙を書く時、私はとても緊張します。

 

まだお子様が就学前のお若いご住職様ですが、私も娘達も尊敬して止まないお方です。

私は心からお慕いもしています。

私が亡くなった時は、上京しお経をあげて下さるとのこと。

嬉しくて、感謝に堪えないでいます。

このお話を伺ってから、死ぬことが然程怖くなくなりました。

 

私の両親が眠るお墓

 

お父さま、お母さま、見てください。
体育祭におけるひ孫のK君の勇姿です♪

 

将来、私が亡くなった時は、このお寺の境内に、小さなお墓を立て、夫と私と私の両親の遺骨を埋蔵してほしい。

そう私は願っています。

私の代で、私の家は終わるので、永代供養でも一向に構いませんが。

娘達がご住職様と相談し決めてくれればいい事、と思っています。

 

但し、夫の先祖のお墓には入りたくない私なんです。

何故なら、夫は、家族で帰広しても、自分の実家には泊まらず、私の実家にずっと滞在していました。

ですから、私も夫の実家に泊まったことは一度もありません。

義父は開業医でした。

お母様は、夫が大学生の時に亡くなられました。

それで、薬剤師の資格を持つ脚の悪い妹の叔母が、兄の片腕となり、医師業のお手伝いをしていました

その叔母に負担をかけたくなかったのでしょう。

私たち家族が、私の実家に滞在することを、義父も心から喜んでくれていました。

ですから、私が亡くなっても、同様の暮らしがしたい。

今更、夫の祖先のお墓に眠るのは、肩身が狭く、どうしても抵抗がある私です。

 

 

どんな形であれ、私が心から尊敬しお慕い申し上げている、ご住職様のお寺で眠れる。

それだけで、私はとても幸せ。

良き友人にも多く恵まれ、人の出逢いでは、実に幸運な人生だったと、しみじみ思う私ですが・・・。

最後までこの幸運が、私の心を安らかにしてくれます。

実は、かかりつけ医の医師も、ついに理想の先生に巡り会うことができました。

このお話は、日を改めてさせていただきますね。

 

 

お薬に頼らない暮らしがモットーの私でしたが、この度、思い切ってサプリメントを購入。
目の視力が急に落ち心配でしたから。
このサプリメントを服用し、半月経過後から視力が回復し、とても嬉しく思っています。
老化に因る目の病の予防にもなってくれると嬉しいのですが

昨日は三商品、私のアマゾンの窓口からお買い求めくださいました。
わざわざ私の窓口をご利用いただき、本当にありがとうございます。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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亡くなられた稲盛和夫氏を悼む 

2022-09-22 07:06:15 | 人生

稲盛和夫氏が亡くなられましたね。

心からの哀悼の意を表し、お悔やみを申し上げます。

稲盛氏は、私が尊敬して止まない実業家のお一人でした。

 

 

いつか、もう随分前の事になりますが・・・

社会で活躍されている方達の中で特に私が尊敬して止まない人を、

三名、このブログで取り上げさせていただいたことがありました。

その人とは、稲盛和夫氏、安藤忠雄氏、丹羽宇一郎氏です。

この方達の随筆が新聞のコラムに一時期よく載っていたので、それを切り抜き、何度も熟読したものです。

その度に強い感銘を受け、何時までも忘れられない人になりました。

 

安藤忠雄氏は、独特の風貌でいらっしゃいますが、後のお二方は、人徳がにじみ出たような柔和なお顔付きでいらっしゃいますね

稲盛和夫氏の書物「生き方」は、とても感動し、一番年上の孫R君に高校生の時に贈ったほどです。

少々早過ぎたかもしれません。

恐らく読んでいないでしょう。

 

横の栞が挟んだままになっていました。

 

丹羽氏は、伊藤忠商事の社長を退任された後、一時期中国の全権大使になられましたよね。

日本と中国の関係が確か冷え切っている時ではなかったでしょうか。

さぞご苦労も多かったことでしょ、

退任する時、大使館に勤務している中国人が皆、泣いて別れを惜しんだと言う記事を目にして・・・

丹羽氏のお人柄の素晴らしさを再認識する思いがしたものです。

 

安藤氏の随筆も、苦労人でいらっしゃるだけに真に迫るものがあり、読むたびに孫にもにも読ませたいと思ったものでした。

残念ながら、稲盛氏は亡くなられましたが。あとのお二方は、今もお元気にご活躍のことでしょう。

いつか是非、この方達の書物をもっと読み、作品にも触れてみたい、と思っています。

 

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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多くの訃報に接し・・・

2022-08-09 07:31:52 | 人生

私には尊敬して止まない叔父叔母が幾人もいましたが、ほとんど全員旅立たれてしまいました。

敬愛して止まなかった友人にも、先を越され、逝ってしまった方達が何人もいます。

寂しい限りですが、これは世の常ですから・・・。

私がその日を迎えるのも、然程遠いことではないでしょう。

 

その訃報が届く度に、お通夜やお葬式に、時には新幹線で向かったり・・・。

都内や近隣県であれば、慣れない道のりをやっとの思いで辿り、通夜や葬儀に参列してきました。

幾年たっても、忘れ得ぬお別れの儀式ばかりでした。

 

 

友人と親戚のみを時系列に辿ると・・・。

私の大学時代の大親友あっちゃんの告別式があったのは、私がまだ50代の頃のことでした。

クリスマスシーズンで、瞬くイルミネーションがとても美しいカトリック教会の大聖堂で執り行われました。

信者で心がとても清らかだった友に相応しい式に、強く胸を打たれたものです。

 

お見舞いの内祝いに添えられていたカード。
今も私の宝物で、大切にしています。

 

松山で、正岡子規の博物館の館長となり、ご活躍された、高校担任のH先生の松山にての葬儀。

この時は訃報が届いた翌々日には、私は松山へと。

私が一方ならずお世話になった恩師でした。

 

そして、高校時代の親友、Iさんの葬儀。

親友と言っていいほど親しかったママ友さんTさんIさんの葬儀。

ママ友さん達は同じ沿線にお住まいでしたので、季節ごとにお食事会。

そんな仲で、彼女たちの麗しい人柄は、今も懐かしくて・・・。

まだ亡くなられたことが信じられないくらいです。

 

更に、小学校時代からの幼友達で、名前で呼び合えた男友達N君の盛大な告別式。

そしてコロナ禍になる少し前に、亡くなられた従兄のSさんと叔母のTさんの葬儀等々。

 

葬儀の写真は撮ったことはありませんが、上の画像は、
名前で呼び合えた幼友達N君の葬儀の前に撮影した珍しい画像です。

希望が平服とのことでしたので、インナーはシルクの柄のブラウスにしました。
実業家でいらっしたので、広島のリーガーロイヤルホテルの大広間を貸し切っての立派な式でした。
彼は、爆心地から一キロの所で被爆。
お母様は熱風に耐えられず、お宅の前を流れる川に赤子のN君を抱きしめて飛び込まれたようです。
それでも74年の生を全うし、活躍
そして最後は被爆が原因だったのでしょう。急性白血病で亡くなられました。
前の記事にも関連するので取り上げました。

二人で中学時代に家庭教師をしていただいたK先生を訪問した時の写真です。
先生は兵庫大学の名誉教授でドイツ文学が専門でいらっしゃいました。
先生も7~8年前に亡くなられ、その後ふたりでまた、弔問のためにこのお宅を訪ねました。

 

こんなことを綴っていると、何だか胸に迫るものがあり、悲しくなってきます。

自分の年齢を考えれば、当然のお別れだった人もいますが・・・。

皆さん、とてもお世話になった方達ばかり。

私は何か一つでもご恩返しができたかしら、と思うと、悔やまれることだらけです。

 

最近では、二年前に亡くなった従兄のSさのお別れも、惜別の思いがし、とても悲しい出来事でした。

私にとって憧れの人でしたから。

私が婚約時代の事。

Yさんとデートするために、徳川家の旧お屋敷を通り過ぎたすぐ先にある、目白の叔母のお宅に、度々泊めていただいたものですが・・・。

ご長男だったSさんがあまりに素敵で、浮気してしまいそうなくらいでした。(笑)

 

まだ乙女の頃からの憧れのお兄様で、一時は、私との結婚話も出たくらいでしたが・・・。

血縁関係で血が濃すぎるとかで、その話は進まなかったようです。

それだけに、Sさんの訃報は相当なショックだった私です。

 

 

最近届いた訃報もそれと同じくらい、ショックな出来事だったようにも・・・。

父の妹に当たる叔母さまの訃報です。

年齢は88歳になられていたので、驚くような報せではないのかもしれませんが。

郷里の広島では、娘時代、結構交流がありました。

祖父母の家に遊びに行くと、良く会いました。

 

国立大学で学んだ声楽を生かして、音楽の教師に。

とても聡明で明るくて、何故か、清少納言のような女性、と言われていた時も。

とても賢くて、ウイットに富み、話術が巧みでいらしたからでしょうか。

顔は私に似ていて、でも性格は妹にそっくりかな。

退職してからも、医療ボランテイア始め、多岐にわたって色々活動されていたようです。

 

専業主婦一筋の私と違い、高い能力を備えた叔母様を私は尊敬していました。

4年前、お姉さんに当たる叔母が99歳で亡くなられた時の事。

その葬儀で、広島から上京されたH叔母様に、私は久しぶりにお目にかかることが出来ました。

その時の私の印象は、年齢よりはるかに若々しくみえて、とてもお元気そう。

声楽で鍛えた通る声は相変わらずで、笑顔が美しいおばさまでした。

ですから、この度の突然の訃報はとても信じられなかった私です。

 

眠るように亡くなられたと伺い、随分心が慰められましたが。

コロナ禍でなければ、新幹線に乗り、妹と駆け付けていたことでしょう。

それが叶わず、妹ととりあえず弔電と、妹との連名で大きめの供花をお届けしました。

 

葬儀の時は、妹が色々手配してくれたので、四十九日におけるお悔やみのお手紙は私が認める事に。

妹との連名のお香典を添えて。

 

お手紙を認めるのに、時間がかかりました。
想いが溢れ、お悔やみの手紙なのに長文になってしまいました。

 

とてもお元気そうに見えた叔母の訃報に接し、妹も私も最初は言葉を失い・・・。

妹に、弘子お姉様(私たちはこう呼んでいました)と同じ年に亡くなるとしたら、お姉様は後十年の命よ、と。

そんなに長く生きられるかしら?

なんだか、死が急に近づいた気持ちになりましたが・・・。

今の私にとって大切なことは、残り少ない日々をいかに充実させ、悔いなく過ごすことが出来るか。

ある方のブログのタイトル、「だんだんと美しくなる人生」。

この言葉、大好きです。

そうありたいですが、私にとっては。あまりに高すぎる理想かな。

先の死を意識しても仕方ない事。

その日は、神様の御心に委ねることと致します。

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原爆の日 奇跡的に命拾いした両親と私

2022-08-07 07:22:17 | 人生

8月6日の原爆記念日を、わたしは今年も元気に迎えることが出来ました。

私がこの世に誕生し、一年半後に起きた壮絶な悲劇でした。

この日を迎える度に思う事は、生死を分けたこの日の我が家の命運です。

父の事は、少し前の記事でも触れましたが。

前日まで出張に出かけ、その翌日は30分出社を遅らせて良かったために、奇跡的に助かりました。

 

画像はすべてテレビの映像を撮影した物です

 

同様の事が母にも言えます。

我が家の後ろの通りの奥様たちは、全員亡くなられたようです。

何故なら、勤労奉仕の順番の日だったからです。

もし8月7日が、原爆投下の日であれば、我が家は全滅でした。

父は定時に出社し、母も私を背負って勤労奉仕に出かけていたでしょうから。

 

 

その当日、焦土と化した市内を通り抜け、会社まで出かけた父の脳裏には、その悲惨な状況が頭にこびりついて離れる事は、一生無かったでしょうに・・・。

私が物心ついてからも、父も母も原爆の日の話を詳しく語ることは、全くと言っていいほどありませんでした。

たまには話して聞かせてくれたのかもしれませんが、私の記憶に余りありません。

 

それが教育上、正しかたかどうか?

それは何とも言えませんが・・・。

私は聞かされないで育ったことは、幸いな事だったのかもしれない、と思っています。

その負い目を感じないで、成長できましたから。

 

幼い時から、虚弱体質の所があり、よく熱を出し学校も休みがちでしたが・・・。

その時も、被爆のせいと思ったことは一度もなくて。

心に被爆者の意識が影を落とすことなく、成長することができました。

 

 

ところが、ある時から、自分は被爆者で、放射線の影響をもろに受けている人間、と強く思うようになりました。

その契機は、東日本大震災です。

SNSが普及し、誰でもネット空間で自分の思いや意見を語れる時代ですから、やむを得ない事と思うのですが・・・

その当時は、専門家だけでなく一般の人も声高に放射線の恐怖を叫ぶようなりました。

東京脱出と言う人もいる程でしたから。

 

それを目や耳にするたびに、福島を始めその近隣県に住む人たちの不安を案じないではいられなかった私です。

専門家の分析に任せ、もう少し声を落として語れないものかと。

被爆者である私自身も、そのせいで、とても複雑な気持ちに、当時はなりました。

 

 

幸いにも、次女のお婿さんは、科学者でしたから、私は彼の話を聞き、随分不安が和らいだものです。

でもそれ以来、私は3キロの地点で被爆した人間といった意識は以前より遥かに強くなり、今日に至ります。

もし今、被爆が原因で癌などの病を患っても、もう十分人生を生きながらえられましたから、被爆者の負い目を感じる事は全くありませんが。

 

昨日の平和式典は、かってないほど真剣に視聴した私です。

今ほど、将来の平和に確信が持てないことは、今までにはなかったからです。

子供達、孫たちの代まで、核兵器の使用は無論、戦争のない平和な世の中がはたして続くでしょうか。

平和への願いに包まれた平和式典を見ながら・・・。

平和の鐘の音に耳を傾けながら、

 

 

今の穏やかな暮らしが、孫の世代になるまでも、ずっと続きますように、と真剣に私は祈りました。

今後も被爆国の日本は、核兵器廃絶の実現のために一層尽力していただきたいと、強く願っています。

 

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私の願い

2022-06-21 07:34:18 | 人生

私は、最後まで自立した暮らしをして、私の財産はすべて子供へ。

そう願っています。

子供に甘すぎる、と批判されそうだけれど。

 

でも今の世の中は、全財産を投入してでも、高齢者施設に入るのが当たり前。

そんな風潮で、抗しがたい物がありますよね。

 

介護保険制度が敷かれる前は、子供が親の面倒を見るのが当たり前でしたのに。

私は両親の介護を我が家でやり遂げました。

入退院を繰り返し、最期は病院で亡くなりましたが。

 

昨日、撮った画像ですが、パンジーが健気にまだ花を咲かせてくれています。
エリゲロン、チェリーセージは植え付けて数年になります。
地味ですが、野の花っぽい自然な風情に心惹かれています。、

 

母は認知症を患いましたが、妹の並々ならぬ協力もあって、穏やかな暮らしの中で、両親の介護ができた私です

病院から派遣される、訪問看護師さんののお世話にも随分なりました。

和室におかれた介護ベッドの枕元には、医療用品が一杯で、まるで病室のようでした。

 

何度もお伝えしてきたことですが、我が家の見取り図はすべて私が描きました。
その時、将来、親の介護がしやすい間取りが必須条件だったのですが、和室の位置は大正解。
母に声を掛けながら、いつも炊事ができましたから。

 

ところが国の方針で、世の中が一変。

そして、今は、介護施設入居のために、数千万の頭金が当たり前。

その上、入居すると毎月、3~50万の生活費を払い続けなければなりません。

 

娘のマンションから至近距離にあり、私が関心を抱いてる介護施設も、頭金が4千万を下りません。

これは前払い方式の場合です。

頭金を少なくし、毎月50万支払う方式もあるようです。

何時か参考までに、問い合わせしたところ・・・。

ほとんどの入居者が、家を売却し、その資金を元手にして利用されます、と言われましたが。

自分の老後のために、多額の準備金が必要なんて・・・。

それを払って入居するところが、私には幸せな場所とはとても思えないのに・・・。

 

そう思うと、その様なお金の使い方をするのが、とてもとても虚しく私には感じられてきます。

福祉国家のスウェーデンのように、税金は高いけれど、老後の生活は貧富に関係なく平等に恵まれてる。

そうでしたら、自然の成り行きで、納得できますが。

 

この階段は要注意。
細心の注意を払って昇るようにしています。

 

私は、自分の老後のために、貯蓄してきたわけではありません。

もう今更、贅沢な暮らしをしたいとも思わない。

コツコツ貯め築いた資産は、子供たちに遺したい。

甘い考えかもしれないけれど、私にとっては一番心が充たされ、幸せに思える事なんです。

 

ですから、私は終身保険に入れている資産が多いです。

死後の受取人は、もちろん娘です・

けれど解約もいつでも可能で、ドル建ての保険は、円安のお蔭で、解約金を支払っても元金が契約当時より既に増えています。

毎年、配当金もたくさん頂けるので、とても助かります。

 

甘い考えかもしれないけれど、娘達のために蓄えた資産。

そう思うと、一番心が充たされ、幸せになれる私。

子供に甘すぎる、と反論が一杯ありそう。

私の個人的思いに過ぎませんので、どうかご看過下さいね。

 

私は親の面倒を見ましたが、私自身は子供の世話に出来たらなりたくなくて。

介護制度を目いっぱい利用し、最後まで自立して、この家で暮らすのが一番幸せな事だと思っています。

親友のやっこちゃんと話した時も、希望が同じでした。

子供には一切迷惑をかけないで、死んでしまいたい。

音沙汰がしばらくないので実家に行くと、亡くなっていた。

それが理想だわ、と。

私も全く同じ願いなの、と言ったものです。

 

 

とは言え、やっこちゃんは旦那様がお医者様。

こんなに心強いことはないでしょう。

恐らく一人暮らしになった場合の話だったのでしょうが。

 

こんなことを願っても、呆けてしまったら、私の望みも何あありません。

子供たちがしたいように対応してくれればいいです。

 

私の母は、認知症が進んでも、いつもにこにこしてまるで仏様のようでした。

妹は、まるでお姉様の影のよう、と。

私の傍を決して離れようとしない人でした。

私は母のような可愛いおばあさんになれるでしょうか。

まるで自信がなくて・・・。

 

今一番望むことは、頑張って90過ぎまで長生きし、老衰で眠るように自宅で亡くなることです。

やっこちゃんの旦那様も、90歳になれば楽に死ねるよ、とおっしゃったとか。

そうありたいですが、先の事は神様におゆだねするしかありません。

将来のことをくよくよ心配するのは、よしましょう。

今日という日を精いっぱい充実させる。

その事だけを心がけて過ごしたく思います。

 

蚊取り線香を底にそのまま置くと、作夏、使用した時は、途中で火が消えてしまいましたので、金鳥の蚊取り線香に付いている蚊取り線香立てを私は使用しました。

 

30巻きもあるようです。

 

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大切な時計

2022-06-09 07:08:14 | 人生

時計は、私たちの暮らしにとっては、掛け替えのない大切な物。

この思いは、どなたもが、変わりなく抱く気持ちではなかったでしょうか。

人生で、時ほど貴重な物はない。

その貴重な時間を刻んでくれるのが、時計ですから。

 

マイホーム新築当時からある我が家の柱時計

 

ところが今のご時世では、スマホの時刻を見て過ごす方たちがいかに多いか。

私もその傾向があります

狂い無く正確に時を表示してくれますから、とても安心できますものね。

 

 

ここで、お話をお財布の紛失に気が付く前の、Fさんとの昼食のひと時に戻します。

その時、彼女の話題が、お嬢様が時計を購入される話になりました。

「実はAが、新しい時計を買いたいと言って、先日お店に連れていかれたの。

何とその価格がとんでもなく高い値で’(後で伺った話ですが、100万を超えた時計のようでした)私はびっくりしてしまって・・・。

もちろん、自分のお給料を充てるつもりのようだけど。

まだ小さい子供もいるのに。~さん、どう思う?」との彼女のお話。

余談ですが、彼女の一男二女のお子さんたち三人は、全員、早稲田大学を卒業し、社会人として活躍。

ご結婚もされています。

 

この話を聞き、すぐ私の頭にひらめいたのが、この度、お礼に差し上げた書物の事でした。

その本には次のような記述があります。

 

「一人の時間を楽しむお客様たちの手には、決まって、そのお客様らしい素敵な時計が優雅な時を刻んでいました。
「時計は大切な時間を刻むもの。素敵な針でカントされる人生は、きっと素敵な時間になると思わない?」。あるお客様が仰っていた言葉が、今も胸に残っています。
掛け替えのない時間を大切に、という願いを込めて選ばれた、特別な時計。この時計と共に過ごしてきた時間が、その方の雰囲気を作り上げているのだと思いました」

 

この内容には賛否両論あるでしょう。

今日の記事は優雅な物への憧れが割と強い、私の身の程しらずの内容ですので、適当に読み流してくださいね。

 

このお話を彼女にし、「掛け替えのない人生の時を刻んでくれる時計は、とても大切な物よ。

高価な時計を持つことは、決して無駄な買い物にはならない、と思うわ」と、私は話しました。

 

 

私は平凡なセイコーですが、その中では一番ランクが高い、クレドールシリーズの時計を身に付けています。

とは言っても、クレドールにも色々あって、私のは、恐らく一番低いランクの商品ですが。

電池切れで修理に出す度に、時計屋さんにはいつも褒められ、嬉しかった記憶があります。

 

その後のお出かけ時、私の大切な時のお守り役になってくれているこの時計。

はめる度に、今でも愛着はひとしおで・・・。

この時計を購入して良かった、としみじみ思います。

 

次女は、エルメス。

長女はカルティエの時計を愛用していますが・・・。

実は長女の時計は、義父母様が、最初の出産の後、お祝いとして贈って下さったもの。

その時、私は、「何て素敵なプレゼントをなさる義父母様たちなのでしょう」と感動し、感謝に堪えませんでした。

出産祝いと言えば、普通は、ベビー用品とかお祝い金をどなたも思いつくものではないでしょうか。

 

私はこの時、書物に書かれている内容と同じ気持ちを抱きました。

授かった子供と共に、掛け替えのない人生のひと時、ひと時を、この時計で大切に刻んでほしい。

義父母様が託されたそんな思いが。私に伝わってきました。

こんな素晴らしい贈り物は他にはないと、とてつもなく、私は感動したものです。

 

そう言えば、妹の所でも、姪の就職祝いに、カルテイエの時計を両家の祖父母様たちが贈ったそうです。

 

Fさんとお嬢様からの礼状
10歳以上年上の私に、一応敬意を表して下さっただけでしょう。
身に余る嬉しい言葉がありました。
私も、Fさんにいつも同じ思いでいます。

絵手紙は、Fさん以上に長いお付き合いの親友Kさんからです。
お人柄が良く似ていて、私が心から敬愛して止まない人達です。

腕時計がスマホの便利さにとって代わってしまうような世の中は、何だか味気ない。

そう思うのは私だけではないでしょう。

一刻千金。

私の年齢になると、時が人生で一番大切。

そんな思いをますます強くし、時計への愛着が増すこの頃です。

 

私がお贈りした本です

 

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思いがけない嬉しい電話

2022-06-05 07:07:14 | 人生

大切なものを失ったショックは相当なものですが・・・。

お財布となると、犯罪が被害を大きくしそうで、ますます怖くて。

クレジットの被害額は補償されることは知ってはいましたが。

 

家に辿り着いた時は、まだ放心状態のまま。

ファミリールームに入った時、最初に目に飛び込んできたのが、長女からの定期便のビビッドカラーのお花でした。

このお花から、とてもとても元気を貰えた私です。

何事が起きても、いつも冷静な長女に、励まされたような思いに一瞬なりました。

 

 

何度問い合わせても、その様な紛失物はありませんと言われ、もう半ば諦めかけていた私です。

明日は、カードからの自動引き落とし会社に連絡、といった後始末を色々しなければなりません。

何よりも悲しかったのは、お守りのように、お財布にしまっていた母と主人の写真を、二度と手にすることが出来ない事でした。

 

家事等、まるで手が付けられなくて・・・。

又、無くなってしまったお財布の事を思い出しては、嘆かわしい気持ちになり、私は沈痛な心持ちのままでいました。

すると、夜の8時過ぎの事です。

携帯の呼び出し音が鳴り・・・。

出ると、なんとその電話はクリニックから。

そして、「問い合わせのお財布がありました」と。

もちろん、私は最初、大感激!!!

 

 

でも、すぐその後、思ったことは・・・。

連絡が遅過ぎ。

何度も尋ねたのに、今頃になって知らせてくるなんて・・・。

カードはすべて、もう紛失届を提出し、二度と使えません。

多少腹が立たなくもありませんでしたが、落とした私が一番悪いのだから。

出てきた幸運を喜ぶことにしました。

そして何よりも感謝しなければいけないのは、Fさん。

バッグが落下した時に、バッグの傷が気になり、お財布が放り出されていたことに気が付かなかった、自分の浅ましさをを思い、又ちょっぴり恥ずかしくなった夜でした。

 

翌朝、すぐFさんに連絡。

共に、とても喜んで下さり…♪

その数日後、お財布を取りに出かける途中で、彼女とまた会う事にしました。

思いがけず、彼女が住む街にある、ミシュランガイドで二つ星を毎年受けているフレンチレストランで、感動する程に美味しい昼食をいただいた私達。

お財布が戻った祝杯!

この時のお料理の紹介と尽きなかった話題については、また次回でお話しさせていただきます。

 

庭の近景
今、紫陽花が満開です。

 

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