普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

ちょっと怖い話⑥ 蛇な怖さ

2010-11-15 11:24:19 | 超常現象<的>な
 ボクの生まれた島根県松江市は、なんだか蛇が多かった記憶がある。
 ボクがまだ3歳か4歳頃の話。母親の叫び声で庭に出ると、角を生やした直径七㎝以上はありそうな、青大将がいたことがある。明らかに角を生やしていた。兜の角のような角。あれはいったいなんだったのか? 冷静に考えると、おそらく蛙を頭から飲み込みかけで、蛙の2本の後ろ足が角のように見えたのではないか。そう考えると、確かにそれが答えだと思える。
 また、家の庭に入る木戸の脇に井戸があった。この井戸には、よく兄たちが堀で釣った鯉や鮒が放してあり、それを見るのが僕は好きだった。
 ある日、前日に上の兄が大きな鯉を釣ったと自慢そうに話していた。僕は翌日早速、井戸を覗き込んだ。
 そこには骨だけの鯉が泳いでいた。死骸が浮いていたのではない、骨だけの鯉が確かに泳いでいたのだ。
 高級料亭で生き造りし、身を削いだ魚を水槽に泳がせたりするが、まさにあの光景だ。
 理由はわからないが、おそらく蛇の仕業だったに違いないと思っている。
 以前書いた風呂の話ではないが、天井の梁からとぐろを巻いた蛇が降ってくるなどということは、結構日常茶飯事だった。
 そして、口笛を覚えたての僕に、母が耳元でそっとこう囁いたことがある。
「夜道で口笛を吹くと、蛇に飲まれる『夢』を見るよ」
 その言葉の魔力は、この歳になっても消えない。「夢」なのにである。
 僕にとって、蛇は、忌むべき生き物のひとつになっている。
 東京では蛇などは動物園にでも行かなければお目にかかれないが、いまだに夜道では口笛を吹けない。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より抜粋>

ちょっと怖い話⑤ 白い靄

2010-11-10 13:08:52 | 超常現象<的>な
 昼日中、普通に生活していて金縛りにあったことが一度だけある。
 僕は、二十歳の頃は役者を志していて、仕事といえば声、今でいうナレーターのようなこともしていた。仕事のあるときは羽振りが良かったが、仕事がなければその日の飯にも事欠くような生活だった。
 それでも、物欲にはそれなりに支配されていて、ことに古道具屋、今で言えばアンティークショップによく通った。ある日八王寺に用事があって行ったのだが、そこである古道具屋の店先から少し入った店内に、桐の箪笥があるのが見えた。なんということもない普通の引き出し式の桐箪笥。通常上下に分かれて六段という形なのだろうが、上なのか下なのか三段だけ置いてあった。これが、取っ手の細工が龍を象ったもので、なかなかの代物だった。
 僕は店内に入ると、その前にじっと立って眺めた。ものの十秒も経たないうちに、厭だな、と感じ始めた。間もなく金縛りの状態になった。昼日中に立ったままの金縛りだ。そうこうするうちに、脂汗が背中を流れた。
 すると、桐の箪笥の一番下の引き出しがスーッと音もなくあき始めた。これはやばいと思うのだが、ピクリとも動けない。引き出しの中から長い白いけむりか靄のようなものがするすると湧き出してくる。そして、その煙は僕の足元から、まるでとぐろを巻いて獲物を絞め殺す蛇のように、僕の体に巻きついてくる。
 徐々に体全体が圧迫されるような息苦しさを感じ始め、とうとう靄が首の辺りまで来た。何とかしなけりゃと、焦りを覚えた瞬間、店の五十歳代半ばの主人が「どう? 結構いい細工でしょ?」と話しかけ、僕の肩に手を置いた。その瞬間に金縛りはとけ、靄は跡形もなく消え去った。引き出しも元の閉まった状態に戻っていた。
 脂汗を流しながら、僕は一目散にその場から離れた。
 さすがに日中の金縛りは、いくら慣れている僕でも、初体験であり、その気色の悪さといったらなかった。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より抜粋>

ちょっと怖い話④

2010-11-08 15:50:02 | 超常現象<的>な
 昭和二十年代後半の、幼い頃の体験である。断っておくが、霊的な体験ではない。
 当時、僕は小泉八雲の住まっていたことで名高い、島根県松江市に住んでいた。松江城の堀端沿いで、小泉八雲の居宅だったところから、四百メートルほど離れた、亀田橋という橋の近くだった。小泉八雲といえば『怪談』である。「耳なし芳一」である。何とはなしに「陰」を感じさせる地域ではあった。
 市内の繁華な一角から、松江大橋を渡り、茶町と呼ばれたあたりから県庁を抜け、城山をめぐる細い道を歩くと、やがて亀田橋に出る。
 この城山をめぐる細い道は、幼心に強烈な印象で残っている。城山での椎の実採りやどんぐり拾いは楽しかった思い出だ。だが、昼間でも木々に覆われた城山はほの暗く、冬には、道を歩く後ろでぽとりと椿の花が音を立てて落ちる。時折、かさこそと蛇が枯葉に埋もれた道を過ぎる。何の音だか得体の知れない音が、遠近から、季節ごとに聞こえてくるのだ。その音は、怪談に付き物の笛の音よりも恐ろしかった。
 そんな中で、僕の記憶に焼きついて離れないのは、ある寒い夜のたった一コマの映像と、その音だ。
 僕はまだ三歳くらいだったろう、五右衛門風呂に父に抱かれて入っていた。
風呂場の電気は仄暗く、壁に取り付けられた四〇w程の裸電球だった。その裸電球が、パキンと音を立てて割れた。その瞬間真っ暗になったが、突然雷光が輝き、続いてドンと落雷の音がした。その雷光が、風呂場の窓に映し出したのは、巨大な蛇の影だった。そして落雷の音と同時に、風呂場にボチャンボチャンとなにかが落ちてきた。父は僕を抱いたまま、ぎゃっと叫び声をあげて、風呂場を飛び出した。
五右衛門風呂の中には、数匹の蛇がのた打ち回っていた。
 あの蛇の影と、電球の割れるパキンという音は、鮮明なままだ。よく考えると、あまりにも季節外れの落雷で、僕の記憶違いかもしれないが、印象としては、冬に近い秋だったような気がする。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より抜粋>

UFO?

2010-11-03 17:40:47 | 超常現象<的>な
 いまから1時間ほど前に、家から西の空を眺めていたら、こんなものが目に入った。
 これはなんだろう? 雲かなとも思ったが、そうでもないらしい。安定した形だから。飛行機の良く飛ぶ空なのだが、飛行機でもなさそう。
 連続写真のように6枚だけ撮ったところで消えた。これがなにかわかる方は教えてください。複数枚写真の掲載の仕方がわからないので、6枚のうち一枚置きの3枚だけを、3回に分けて掲載します。

ちょっと怖い話③

2010-11-03 13:53:39 | 超常現象<的>な
 黄泉路という言葉がある。あの世へと向かう死者の辿る道である。想像の域を一歩も超えることはできないが、この道はあれこれと面白いテーマとモチーフを与えてくれる。
 だから文学というものが誕生してすぐに書かれた作品は、ほとんどがこの生と死を繋ぐ不可知領域をモチーフにしている。宗教の領域なのだ。そして現代の我々よりはるかに、過去の人々は不可思議なことに対して敏感だった。
 だから、黄泉路=夜道を恐れた。今、現代人は夜道の恐ろしさひとつとっても、まったく別の、痴漢やら暴漢やら引ったくりなどという、肉体やものに対する恐怖として捉える傾向が強い。どちらかといえば心の奥底の恐怖とは無縁になり、霊的なものというより、都市伝説的なものへとシフトしている。
 確かに心の奥の恐怖より、物理的な恐怖のほうが勝るかもしれない。なにしろ見えるのだから。
 それでも、ボクは心の奥の恐怖に惹かれる。なぜなら、それは人が森羅万象への畏敬を忘れていないという証でもあるからだ。
 というわけで、ボクは今日も「黄泉路のひとり歩き」に出かけるわけだ。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より>

ちょっと怖い話②

2010-10-30 23:51:41 | 超常現象<的>な
 7年ほど前の晩秋のある日。
 僕の乗降する都下の私鉄沿線・M駅は、おそらく都内で最も寂れた駅の一つだろう。M駅は結構夜中まで乗降客はいるのだが、駅前のコンビニで缶ビールを買って帰ると、この少しのタイムラグで、帰り道はまったく人気のないものになる。農道のような、車が一台通ればいっぱいいっぱいの道の両サイドには、林と呼ぶには空疎だが、十分に闇を感じさせる植栽用の「木の畑」がある。
 僕の前をやはり黒い服を着た女性が歩いていた。50mほど前を歩いていたのだが、突然ぴたりと立ち止まると、コートの前を掻き合わせているような仕種をした。
 振り向くでもなく、そこにやや猫背気味の姿勢でぴたりととどまっている。
 僕は歩くのを止めた。なにか、嫌な予感がしたのだ。だが、このまま僕が立ち止まっていたら、それこそ怪しい。やむを得ずややゆっくりと、彼女の様子を見ながら歩き始める。どんどんと彼女との距離は縮まる。彼女にはまったく動きがない。
 とうとう彼女の真横に並びかけた。
 女性は顔を背けるようにしながら「フフフフッ」と笑った。
 僕はその瞬間、走り始めた。走るしか能がなかったといっていい。後ろを振り返ると、真後ろに彼女がいそうな気がして、家の扉に飛び込むまで、ひたすら前を向いて走り続けた。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より>


ちょっと怖い話①

2010-10-29 10:59:13 | 超常現象<的>な
 17歳から32歳までのほぼ15年間、ボクは毎日のように「金縛り」にあっていた。
 こんなことを書くと、20年前には「精神に異常をきたした人」というレッテルを貼られたはずだが、最近では超常現象もオカルトもお化けもUFOも、普通に語られるモノになった。この20年でなにがどう変化したのかを検証するのは、また別の機会に譲るとして、この機に乗じてというわけではないが、ここで、これまであまり口にも文字にもできなかったコトを書こうと思う。UFOに続いて「金縛り」だ。
 金縛りにあい始めたきっかけは思い出せない。ただ17歳の夏休みに突然始まった。もしなにかそれまでと異なる状況があったとすれば、それは亡くなった母が新興宗教教団に入信したことだろうか。密教を標榜する教団だった。それはそれとして…。
 「金縛り」は、寝入りばなというより、寝るでもなく覚醒しているのでもない、非常にあいまいな精神状態にある瞬間に「ある種の恐怖感覚」と共に襲ってくる。背中を悪寒が走り一気に精神が覚醒し、身体が反応し硬くなる。動こうとしても動かない。動けない。そして恐怖感覚がつのってくる。それなのに、視覚だけははっきりと働く。夜目が利くかのようになんでも見える。
 よく極度の疲労が「金縛り」の原因などというが、それはあたらない。15年間も極度の疲労を抱えていたら、とうの昔に死んでいるだろう。
 そして「金縛り」にあい始めて3年間ほどは、ほぼ毎日、仰向けに寝たボクの腹の上に白装束の女性が座っていた。それが誰だかは判然としない。ただ「ある種の恐怖感覚」を伴ってその女性は顕れ、恐怖感覚がつのればつのるほど、輪郭がはっきりしたのを思い出す。
 実は、仰向けに寝るということが「金縛り」を助長すると気付き、ボクはうつ伏せに寝るようにした。だが、気付くと必ず仰向けになっていた。「しまった」と思うや否や「金縛り」は襲ってきた。とにかく怖かった。
 それでも徐々に慣れてくる。無理とに声を出せば「金縛り」は解けると気付きもしたし、なにか不都合なことがあるわけでもない。初期の頃は、夜中の突然死の原因は「金縛り」の延長線上にあるかもしれないなどと思ったが、しまいには「またきたか」と「金縛り」と共存するような感覚になった。
 32歳でなぜ「金縛り」から解放されたのか、その理由も判然としないが、その前年に結婚している。ただ、散発的には43歳まで「金縛り」は起きた。最後に「金縛り」にあったときボクの視界の中に、奇妙な生物がいてボクに向かって何かを投げつけていた。それはおそらく「その生物の排泄物」だったと思う。なぜなら強烈な匂いを感じたから。
 それが一体なんなのか? といわれれば「別になんでも」と答えるしかない。ただの思い出。
<拙文『黄泉路のひとり歩き』より>

UFOの正体見たり!

2010-10-25 10:20:16 | 超常現象<的>な
 10月21日にUPした「これもUFO?」という記事中に、第5番目の目撃例として「そしてちょうど一週間前の10月14日夜8時半頃、娘を八王子まで迎えに行き、16号と新滝山街道の交差点に差し掛かる時に、光を見た。それは白色の発光ダイオード的光で、まるで折れ線グラフのように空を走った。わずか数秒間」と書いたが、これはまさに「折れ線グラフのように並べられた発光ダイオード」だったことが判明した。なんのためのディスプレイなのかは判然としないが……。
 まったく人間の五感なんていい加減なもので、お騒がせしました。

 それはそれとして。UFOといえば最近の目撃例の中で結構な割合を示しているのが、ピラミッド型という四角錐を二つ重ねたような形をしたもの。ただこれはどう考えてもFAKE。「新世紀エヴァンゲリオン」の第五使徒ラミエルそのまんまだもの。

 してみると、エヴァは世界中で読まれているのだなと、その影響力に感心しきり。

僕は見た!あっけない、頓死の瞬間

2010-10-22 13:50:36 | 超常現象<的>な
 もう優に20年近く前のことだが、忘れられない一日があった。
 当時僕はフリーの編集者・ライターとして(いまもだが)、現在はドンキホーテの傘下に入ってしまっているが、老舗のホームセンター「ドイト」で「ドイト・クラブ」という販促誌を作っていた。本部のある与野本町に、月に数回打合せで出向いていた。
 そんなある1日の出来事。
 与野本町駅から17号線バイパス沿いの本部に向かって歩くと、一本手前に17号と並行して走る道に出る。
 その道を渡るために、信号待ちをしていると、左手方向から1人の中年男性が両手に大きな紙袋を提げ、とぼとぼと歩いてくるのが見えた。見るでもなくその男性を見ていたのだが、彼が突然両膝をつき、前に突っ伏した。尻を突き上げ、顔面と膝でバランスを取って突っ伏している。顔がこちらを向いていて、よく観察すると目を見開いているではないか! 
「あれ、危ないな」と、信号が変わるのを待ち、突っ伏している彼に近づき「どうしました?」と声を掛けた。「もしや?」とは思ってはいたのだが、やはり彼はまったく無反応だった。
 死を迎えると瞳孔が開くというが、そんな事までは判らない。周囲には人影がなかったが、ちょうどバイクで通りかかった青年がいた。僕は咄嗟に彼に合図をし、停まってもらうと「この人、死んでいるようだから警察と消防に電話をしたい。車がくると危険だからここで車を誘導して。彼に触れちゃダメだよ」と告げ、ちょうど向かいの店先に公衆電話があったので、そこからしかるべきところに電話をした。
 それからしばらくして、警察も救急車もやってきた。やはりその中年男性は死んでいた。正直、驚いた。だって、彼が普通に歩いて来るのを僕は見ていた。それほど辛そうでもなかった。なにか、例えば急に心臓が苦しくなってというような素振りもなかった。ただ、糸が突然切れたマリオネットの人形のように崩れ落ちただけなのだ。
 種々聴取もされ、解放されたのは1時間半後だった。打合せには大幅に遅れた。一応遅れる旨の電話は入れておいたのだが、遅れた理由を正直に話しても、誰も信用しなかった。それはそうだ、信用できない類いの作り話みたいだもの。
 
 今日ここでこんな昔話を書いているのは、この日がこれだけで終わらなかったということを思い出し、確認し記録しておこうと思ったからだ。
 予定より1時間半押しで打合せを終えた僕は、次の待ち合わせのために新宿に出向いた。もう暗くなっていた。そして新宿通りからバスに乗り、早稲田方面に向かった。僕は横長の座席の、ちょうど昇降口の前に座っていた。僕の乗った停留所から二駅目で、1人のご婦人がバスから降りた。そして彼女がバスから降りきった瞬間、彼女が消えた。
「!?」
 一瞬なにが起きたか判らなかったが、嫌な予感がした。僕は慌ててバスステップを降りて、左右を見回した。すると、5mほど先の道端に、彼女は倒れていた。直ぐに近づくと、彼女は頭から大量に出血し、息をしている風もなかった。彼女の倒れていた場所からさらに15mほど先に、バイクが倒れたまま置かれ、ライダースーツを着た若い青年が、走りよってきた。
 バスが、バス停から離れて停車し、バスと歩道の間が広く開いていたせいで、バイクが突っ込んできたことによる死亡事故だった。
 まだ終わらない。ようやく都内での作業を終え、なにかモヤッとした感じを抱え、帰路に着いた。そして当時住んでいた中央線日野駅を降り、家まで戻るたった10分間の間に車同士の出会い頭の事故を見た。その事故で人死にがあったかは、見ざる聞かざるということにした。

これもUFO?

2010-10-21 15:47:41 | 超常現象<的>な
 最近ネットでは、尖閣諸島の問題の方が遥かに大切なのだが、中国の「飛ぶ皿」事件報道もなかなか賑やかだ。それはそれ。ここでは僕の「飛ぶ皿」体験。
 僕はこれまで、都合5回なんだかわからないものを見たことがある。UFOというにはあまりにもUFOの定義そのものが不鮮明で、なんともいえないのだが、最初は中学の遠足かなにかで富士山の五合目にバスで登った時だ。当時はまだ雪渓が残っていた時代で、雪渓を越え、少し歩いて先に行ってみたのだが、なにか妙な感じに襲われた。周りには誰もおらず、僕は一人だった。ふと上を見上げると、洗面器の底が見えた。直径は10cmくらいに見えたが、どうしても洗面器の底だった。慌てて逃げた。
 2回目は20歳頃のこと。時期は不明。東名高速を車で走っていた。夕方で、赤い空をバックに黒々とした富士山がはっきり見えた。その富士山の中腹辺りを、光の玉がゆっくりと横断していった。
 3回目はつい5年前の夏の夕方。いま住んでいる都下T市のMという私鉄沿線の駅を降り、道を歩いていると、上空の離れた2点に同じような赤い光が点滅するでもなく浮いていた。この辺りは飛行場もある、ヘリコの基地もある。だがその光は音もなく突然ほぼ平行に動き始めた。そして平行のまま急激にスビードを上げ北の空に消えていった。
 4回目は、おそらく巨大な火球だろう。3年前の春先の夜。娘を乗せて我が家の駐車場まで後50mというところで、急に空が明るくなった気がした。運転しながらフロントガラスから見上げると、いままさに、巨大な火の球が北の空に流れていくところだった。
 そしてちょうど一週間前の10月14日夜8時半頃、娘を八王子まで迎えに行き、16号と新滝山街道の交差点に差し掛かる時に、光を見た。それは白色の発光ダイオード的光で、まるで折れ線グラフのように空を走った。わずか数秒間。
 と、まあ、なんの論評もなく、僕のUFO体験。