普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

これまでとは違う、エボラ出血熱流行の形。

2014-08-26 23:47:12 | まあまあ社会<的>な
こんなことを書くと、あらぬ誤解を受けそうな気もするが、敢えて書く。

エボラ出血熱のことを書いた前々回の原稿に、ミミちゃんからコメントがあった。

それは、あのオーム真理教教祖が米軍の攻撃により感染したとする「Q熱リケッチア」は、エボラ出血熱の別名で、オームは兵器としてエボラ出血熱を開発しようとしていたという内容。なにか身近な所に、そうしたことと関わりのあるファクターがあったとのこと。

リケッチアはダニなどの微生物類による感染症でウィルス感染症であるエボラとは別のものだが、ミミちゃんの言いたいことは、どちらにしても作為的なものだということ。それは間違っていない。

西アフリカでのエボラ出血熱の流行、関連国内での戒厳令とでもいえそうな封じ込め政策と、綻び、ワクチンの開発・効果が取りざたされる中で、先進諸国から未認可のワクチン「Zmapp=アメリカ製」、「T705(アビガン)=日本製」などの提供も考慮され始める事態となっている。

ただ実際に「Zmapp」は感染者に投与されたが、3人の内2人は生還、一人は死亡という結果になっているという。

さまざまのエボラ関連の話をニュースなどから採取し総合的に考えてみるに、ミミちゃんがオームの話として書いてくれた内容はある意味真実で、実は今回のエボラ出血熱ウィルスは先進国のバイオ研究施設(それこそレベル4以上の開発・実験室)で作出され、西アフリカで故意に流行させられているものなのではないかという気がしてくる。

なぜなら、未承認の「Zmapp」の効能・効果を実証するためには、先進国国内の医療機関での実証実験は、プラセボ(偽薬)を与えられた患者が高い確率で死ぬことに対する倫理的な問題が発生するほど、不可能に近く、アフリカという壮大な実験施設で、まさに今実証実験中なのではないかという気がしてしまうのだ。

別株ともいわれるエボラ出血熱の感染・死者が中央アフリカのコンゴでも確認されたという(24日)。この先どうなっていくのか? 注視していたい。

わずか1ヶ月で、死者数が倍増。エボラ出血熱の猛威。

2014-08-24 00:55:29 | まあまあ社会<的>な
8月3日のこのブログで、エボラ出血熱のことを書いた。エボラ出血熱の発生が確認された4月から、7月27日までに730人の死者が出た、と書いた。

あれからわずか1ヶ月、エボラ出血熱による死者は、現在1,427人に上っている(8月20日現在)。まさに急激な倍増だ。患者数は2,500人を超えた。

これはパンデミックの兆し?

WHOは「ピークを越えた」と言うような発表をしたような気がするが、本当だろうか?

エボラ出血熱の拡大を防ぐために、関係国は隔離封鎖という、ある意味常識的な対応を取っているのだが、これが市民の怒りを買い、隔離された病院を武装集団が襲撃、隔離患者を「解放」したというようなニュースまで飛び込んできた。

殊にリベリアでことは深刻で、軍隊が貧民街を隔離封鎖などし、住民と小競り合いが続く。これはパニックに近い、政府の無策と言わざるを得ない。

事を荒立てている印象だ。

感染者数は少ないが、ナイジェリアでは二次感染(直接感染者に触れていない感染)が確認されている。

医療関係者の死者も100人近くなってきているのも、気になる。また各国の医療チームも感染リスク回避のために引き上げを余儀なくされ、現場の環境悪化は想像に難くない。

こうなると、現在の4ヶ国にとどまらない、それこそパンデミックという最悪のシナリオも、考えられるのではないかと、正直恐怖する。

アメリカに戻った医療チームの感染者は完治したそうだ。ワクチンの効果というような話だが、ここのところは正直、信用ならない。

その理由は、また次で。




自衛隊の思い出。災害救助、頑張ってください。

2014-08-23 15:31:00 | 東京「昔むかしの」百物語
広島のみならず、全国各地の水害による被災者の皆さん、救助活動をされている皆さんに心より祈りとエールを送ります。

ボクの父は、そこそこに名の知られた人だったのか、ボク自身は幼かったこともあって詳しくは覚えていないが、政治家先生の選挙などにもそれなりに力を貸したりしていたようだ。

父の口から聞かされた記憶のある、関わりのある政治家の名前といえば、島根の竹下登、岩手の志賀健次郎、志賀節・父子、青森の津島雄二などと言った代議士の名前だった。

ボクがよく覚えているのは、志賀健次郎。彼は昭和37年7月~38年7月に防衛大臣を務めた。そしてその任期中の自衛隊観閲式に父と一緒に参加したことだ。

敗戦後まだ17~8年の頃の軍事装備を、小学生だったか中学生だったかのボクは、きっとキラキラと目を輝かせて見ていたに違いない。

そして問題はその観閲式の場所だ。おそらく今では朝霞などの自衛隊駐屯地で行われているのだろうが、ボクの記憶が間違いでなければ、昭和37年の自衛隊のパレード、観閲式は千駄ヶ谷の絵画館前だった。

今ではデート・スポットとして有名な絵画館前を、軍隊と呼べない軍隊が当時の最新装備を誇らしげに掲げながら、パレードしていたのだ。おそらく、戦後初の陸自最高装備と謳われた国産61式戦車なども、そこで実物を見たかもしれない。

その自衛隊というキーワードで、一つ思い出す苦い思い出。

それは昭和37年の観閲式を遡ることさらに5年、ボクが小学校2年のこと。当時は板橋区上板橋に住んでいた。小学校は文京区立窪町小学校に通っていたから、学校が終わり地下鉄の茗荷谷から池袋経由で東上線の上板橋下車、商店街を抜け、川越街道を渡って家にたどり着く。

だが、その日は学校からの帰り道、お腹が痛くなった。それでも家まではもう5分も歩けば辿り着く、と思った。

トイレに行きたいのを我慢して、もうじき家に着くその前に、川越街道を渡らなければならない。渡れば1分もかからない。

信号などという洒落たものなどまだそれほどなく、交通量もそれほどではない時代。普通に川越街道を渡れれば、なんということもなくトイレに駆け込めるはずだった。

それが!

あろうことか川越街道を大挙して戦車部隊が移動しているではないか! 自走砲やら装甲車の類まで、延々と東京の都心方向に移動していく。ボクのお腹は、残念ながら10分耐えるのが精いっぱいだった。おもらし。悲しくて惨めで、しばらく立ち上がれなかった。

ようやく川越街道を渡れたのは、おそらく20分ほど経ってからだったろう。

泣きながら帰宅したボクの有様を見て、母は「あらま」と言っただけで井戸端できれいに洗ってくれた。何も言われなかったことが、本当に救いだった記憶がある。

思うに、あの戦車の隊列は、間違いなく観閲式に向かうものだったに違いない。

そんなこんなで、広島の救助活動などを見ていて、思い出した、自衛隊のこと。




9・26 佐井好子、35年ぶりのライブ!!

2014-08-19 19:51:33 | 音楽にまつわる話<的>な
そりゃ、行くだろう!

佐井さんから久々の連絡。有り難いことで。そこでWOW! のニュース!!

皆さんにもお裾分け。ライブは以下の通りのスケジュール&メンツ。

タイトル:第2回「真夜中のヘヴィロック・パーティ」
出演アーティスト:アーバンギャルド / キノコホテル / コクシネル / 佐井好子 with HIROSHI(奇形児) / FUJIWARA(元サバートブレイズ) / HAJIMETAL(元ミドリ) / 岡野太(非常階段) / 蛸地蔵 / 非常階段 featuring ゆるめるモ! / THE 卍 (ROLLY / 佐藤研二 / 高橋 “ロジャー” 和久) featuring 加納秀人(外道) / LUI♢FRONTiC♦松隅JAPAN
日時:9月26日(金)
場所:マウントレーニア・ホール(澁谷)

佐井さんの言うことにゃ、「6曲歌います。バックバンドもついて、サックスの坂田明さんも2曲ほど参加してくださいます」!!!!

凄くねぇ!?

夜の10時頃が出番だと! 帰れないなぁ……。

まぁ、いっか!!!!!!

 

暑いのに、夏の匂いがしない。変だ?

2014-08-19 00:17:24 | 普通な人々<的>な
そう思いませんか? なんだか暑いばかりで。

ふと鼻の裏をくすぐるような、降り始めた夕立に地面から巻上げられる乾いた土埃の匂いとか、陽に照らされて暑くなり汗まみれになった麦わら帽子の中の頭の汗の匂いとか、匂いではないけれどいきなりのかき氷でジーンと凍てついた鼻の奥の感じとか、夏を決定づけるようなファクターに一つも遭遇しない。

去年から気になっていたが、蝉の声も聴かない。啼くところでは啼いているのだろうが、ボクの暮らす生活エリアでは、耳にできない。

TVニュースを見れば、お初づくしの天変地妖。雨だ、嵐だ、ストームだ、川の決壊だ、と毎日どこかがこの国は雨風に晒され、ほら、そこでも土砂崩れ! これほどこの国は無防備な国だったか、と思わざるを得ない。

幼い頃、夏になれば騒ぎ出す欲求というものもあった。体を焼きたい、海に行きたい、水遊びがしたい、氷が食いたい、冷麦が良い、薬缶で煮出した麦茶が飲みたい、というような……。それらは今では多くが禁止事項だ。口にするものは衛生状態が心配で、遊びたければ必死で太陽との折り合いをつけるしかない。

さらにはいまや騒ぎを起こす者は集団から弾き出される。海べりに近づくこともできない。

声高に聞こえてくるのは、管理するという宣言の声。

選挙の、統一地方選のまえぶれのようなものなのか。

それにしても、本当に! 夏がいない。

いったいどこへ行ってしまったんだろう?

いや、待てよ? ひょっとして、ボクだけ夏がなくなっている可能性もあるなぁ。

ボクだけ、夏を感じるセンサーが弱まってしまったとか……。

そこんところ、どうなんだろうな……。





伊吹留香 「必ず最後は愛に負ける」

2014-08-16 17:35:59 | 音楽にまつわる話<的>な
伊吹留香の新しい書籍が、目の前にある。


(「必ず最後はに負ける」銀河書籍 \926+税)

新しいと言っても、これまでの彼女の歴史と、折々の言葉が綴られている。そういう意味では、伊吹留香の過去の集積だ。

ここでこの書籍について、解説したり読むことを勧めたりはしない。ただ、ボクの読んだ読後感だけを伝えたい。

実は、この書籍は7月12日に発刊されている。7月10日が彼女の誕生日だから、その日に合わせての発刊だったのだろう。それが! 7月12日はボクの誕生日であった! 別にどうでもいい情報ですが……。

実のところ、留香さんが書籍を送ってくれて、早くも1ケ月が経とうとしている。送ってもらって放っておいたわけではない。毎日出かける時に鞄に入れて、電車の中で開いて読み始めていたのだ。だが、昨日ようやく読み終えた。

分かるだろうか? この遅々として進まなかった読書の理由?

1ページも読まずに、涙が止まらんのよ。歳をとると涙もろくなるというけれど、そういう理由では断固ない。胸を突かれるのだよ。彼女の記している一つ一つのエピソードと、彼女の思いに、言葉に。

ボクは年齢的に、イジメやイジメラレとは縁がない。ボクらの時代には番町やら不良少年がいて、彼と彼の仲間に体育館の裏に呼び出されて、ぼこぼこにされるかと思いきや、意外に理路整然と話せば分かり合えたりするような、なんともいえない緩い時代だった。

それでも、留香さんの言葉に胸を突かれたのだ。不意に涙があふれてくる。ちょっとカッコ悪くて電車の中では、本当に遅々として読み進めなかった。だが、一番適当な読書環境で、それ以外は、昼休みなどに時間を割いて読むようだった。そこでもうっかりすると、涙しそうで、読書を中断したりしていたものだから、読了までにおよそ1か月もかかったのだ。

読み終えて、ボクが言えるのは一つだけ。この書籍には「癒し」などはない。だが「浄化」作用がある!! ボクの涙は、傍から見ればとてつもなくカッコ悪そうなのだが、ボク自身にとっては、流れることが嫌でない、清々しいとでもいえそうで……。

伊吹留香は、やっぱり良いなと。改めて感じて、いま『反面教師』[OMCA-1161 \2,800((値段変わったかな?)]を聴いている。

やっぱ良いな! 歌も言葉も。

STAP細胞は、ある! 小保方踏ん張れ!

2014-08-07 00:21:49 | まあまあ社会<的>な
5日朝、理化学研究所 発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が亡くなった。現在のところ自殺という所見ということのようだ。

まず、ご冥福を祈りたい。そして、深く哀悼の意を表したい。

笹井さんはネイチャー誌へのSTAP細胞論文提出の際の最後の形を整える、つまりは論文の最終チェック担当者、理研などは、有体に言えば「お前のチェックミスだ」と断罪した。マスコミも尻馬に乗って報道を続けた。

笹井さんは死に際し、4通の遺書を残されたそうだが、その一通は小保方さんに対するもので、そこには「(自分が死ぬのは?)あなたのせいではない」「STAP細胞を必ず再現してください」という内容が書かれていると言われる。

小保方さんへの思いやりと、STAP細胞そのものへ、この期に及んでなお期待されていたことを感じさせる内容で、笹井さん自身、STAP細胞でなければ考えられない現象のあることを知悉しておられて、小保方さんに後を委ねた形の遺言になったのだろう。

人は死の間際に、何を思い、何を考え、何を残そうとするものだろう? 

以前にも書いたが、おそらくは、笹井さんの気持ちとは裏腹に、STAP細胞はなかったものという結論ありきの検証が進められているのだろう。そのことは笹井さんも重々承知の上での遺書ではなかったかと、推察する。

その上で「STAP細胞を必ず再現して」と言い残された。これは正直に言ってSTAP細胞存在の大きな根拠となるのではないかと思う。あまりに情緒的すぎるかもしれないが、心底そう思う。小保方さん、踏ん張れ!

それにしても。マスコミは「笹井氏はなぜ死ななければならなかったのか?」という報道スタンス、論調だ。

開いた口がふさがらない。

はっきり言うが、問題とされてから以降であっても、STAP細胞は人が死ななければならない要素など、皆無だった。今日の「悲劇」を招いたのは、他ならぬ自分たち自身だということに思いも至らないマスコミに、唾を吐きかけてやりたいと、それこそ心底思ってしまったヨ。

パンデミック? エボラ出血熱

2014-08-03 15:53:18 | まあまあ社会<的>な
ちょうど2年前の8月30日に、アメリカでの「西ナイル熱」の流行に関する記事を書いた。

そして今年は、西アフリカ一帯で猛威を振るっているエボラ出血熱の記事を書こうとしているわけだ。

このエボラ出血熱は、映画『アウトブレイク』(ウォルフガング・ペーターゼン監督、1995年)のモチーフになっていて、必要以上に恐ろしい印象を我々は持っているのだが、実際のところ爆発的で際限のない感染には至らないというのが、世界的な見解。

というのもエボラ出血熱は、空気感染しないと言われ、体液などの接触感染が主だというのだ。ただ感染による致死率は50 - 90%と非常に高く、治癒しても重い後遺症(失明など)を残すとも。

それでもウィルス株に特段の変異でもない限り、体液などの接触感染である限り、感染経路は特定しやすいわけで、対処法もそれなりにあるということのようだ。アメリカの研究機関ではすでにワクチン(Zmapp)が完成しているとも言われ、日本でも開発されているとも聞く。

いまのところ、西アフリカの4ケ国(ギニア、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア)にとどまっている感染範囲を、これ以上に拡大させない措置として、関係諸国は隔離封じ込めを対処法として対応を始めた。シエラレオネなどでは、軍隊による感染重点地域の封鎖措置も取られているという。映画そのもの!

だが冷静に眺めてみると、パンデミックには至らないという見解が本当なのか、ちょっと信じられなくなってくる。まず直近の感染者数の激増ぶり。今年3月から7月27日までで、感染地域4カ国での死者は計730人に上っているのだが、この数週間、毎週100人前後が感染していると言われている。

対応治療にあたっていたアメリカの医師団の医師も感染死亡、一人は帰国治療という事態に至っている。

またCNNによれば、米疾病対策センター(CDC)は7月31日、感染被害が顕著なギニア、リベリア、シエラレオネへの渡航注意の水準レベルを2から3に引き上げた。CDCがこれまでレベル3を発令したのは2度。03年に中国などで大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)流行時と、10年に起きた中米ハイチの大規模地震時の2度のみ、だという。

西アフリカでの流行は、風土的な要因、宗教的な要因、先進医療への無理解など、それこそさまざまなファクターがあるとはいえ、日本はというと、なにか対岸の火事とまでもいかない呑気な父さんぶりで、そんなことが起こってるのくらいのものだが、接触感染とは言いながら、もしいったん感染者が日本に上陸すれば、その感染速度は西アフリカ諸国の比ではないだろう。

日本の感染症に対する水際作戦はこれまで見事に功を奏しているのだが、これから先もそうとは限らない。なにせ日本人の人間力は、確実に落ちているから。

人のことに目を向けられる人が、人の痛みに気付く人が、どんどん減っているからなぁ。

電車の中で、なにか辛そうな人を見たら、無視するのだけはやめて一声かけるくらいの人間力は保持していたいものですね、っと。