普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

新劇の巨人?

2013-08-31 00:08:44 | 普通な人々<的>な
戦後の演劇運動で、最大の潮流となったのは、俳優座、文学座、民藝を三本柱とする『新劇』と呼ばれる一派だった(いまは劇団四季の一人勝ち!)。

元をただせば戦前の、小山内薫らの築地小劇場を母体とする演劇運動と根を同じくするもので、プロレタリア演劇と言ってはいたが、決して思想性も政治性もなかった一派だった(戦中の活動を見れば分かる)。

それが戦後の左翼運動と連動し、ある種のプロパガンダ(日共と組したのだが、誰が何のためにと言う合目的性は希薄だった)を担っていた。

だが幾多の名優を輩出したのも、この新劇だった。

ことに、民藝の宇野重吉、文学座の杉村春子、そして俳優座の滝沢修は、まさに「新劇の巨人」だった。

その後、演劇界の大転回は70年安保の学生運動と連動する中で起こった。

小劇場運動から、今の大御所と呼ばれる俳優が数多輩出し、彼らの中には、明らかに新左翼系の集団から頭角を現してきた者も多い。

名前は伏せるが、日本を代表する演出家として名を馳せるNYなども中核系の新劇人反戦青年委員会のメンバーだった。

そういう意味では、そこそこのアイデンティティを持っていたと言えるのだが、結局、ファッションだったかな?

ま、結果よければ全て良しということで。

(なぜこんな原稿を書いたかと言うと、撮りだめていた「進撃の巨人」のVを観ていたから、つい)


藤圭子、佐井好子、宇多田ヒカル。そして、伊吹留香。まごうかたなきボクにとって4人目の、平成の歌姫。

2013-08-28 22:23:39 | 音楽にまつわる話<的>な
しつこいようだが、ボクには3人の歌姫がいる。

1960年代には、藤圭子。1970年代には、佐井好子。そして1990年代に、宇多田ヒカル。

そして、2000年代にはついに、この歌姫に遭遇する。

伊吹留香。

今日、彼女が自分の曲のリメイク音源を届けてくれた。

この春にリリースした『反面教師』(OMCA‐1161 2800円 オーマガトキ/コロムビア・マーケティング)の最後の曲「在りし日」のアコースティック版。

普段の、オチャツピーを装う「素敵な」伊吹とはまた違った、素に近い「素敵な」伊吹がここにいる。

彼女を、もっと聴きたいと、この曲を聴くと思う。

歌という表現は、いいなぁ……。そこに人がいるものなぁ……。



宇多田ヒカルが、やっとわかった。

2013-08-27 17:15:16 | 音楽にまつわる話<的>な
彼女がデビューしたのは、もう15年も前。

その時すでに、尋常ではないものを感じた。歌がどうのと言うより、わずか15歳の少女の、その佇まいがそんじょそこらの歌うたいと根本的に違ったのだ。

もう何年も前に、その居住まいが母である「藤圭子に似ている」と書いた記憶がある。

2008年3月『HEART STATION』(TOCT-26600/3059円 EMIミュージック・ジャパン)がリリースされた時に「音盤見聞録」で書いた原稿。

以下少し長いが転載する。

「出だしは、昔話。藤 圭子の話。1969年『新宿の女』でデビューした藤 圭子は、『怨歌』歌手として、今時の言い方をすれば大ブレークした。東北の片田舎で、浪曲師と三味線・瞽女(ごぜ)の母の間に生まれ、父と母の旅回りに同行し、雪深い地方を巡業して歩いた少女が、突如、東京という町に現れ一気に人々の心をわしづかみにした。
戦後という言葉が薄れかけ、全共闘世代が世界を相手に戦いを挑んでいた、戦後昭和の最もディープな時と景色の中に、藤 圭子は睨むような目で立っていた。そして『怨歌』を少しハスキーでドスの効いた声で歌った。まったく時代の申し子とでもいうべき歌手だった。70年に出した2枚のアルバムが連続37週オリコン・チャートの1位で在り続けたという途方もない記録も打ち立てている。
 宇多田ヒカルは、その藤 圭子の愛娘だが、両親が音楽家、アメリカで生まれ突如日本でデビューし大ブレークした。全くよく似ている。平成というバブル崩壊を痛み続ける時代の中で、宇多田は母がそうであったように、決して自分のスタンスを崩す事も失う事もなく、時代を切り取って歌う。
母は歌手・前川清と結婚・離婚を経験し、およそ10年の活動で引退、再デビューしたりもしたが、居をアメリカに移し宇多田照實と再婚、ヒカルを生んだ。宇多田もまた結婚・離婚を経験しているが、そこから先が母と違う。
宇多田の活動は、体調の悪化での小休止はあるものの、常に日本のミュージックシーンを引っ張り続けるもの。~(中略)~そして、5枚目のアルバムがこの『HEART STATION』。06年後半からのシングルを網羅し、宇多田の世界が揺ぎなく描かれている。聴いていると、これまでとはまた少し違う宇多田の素直でピュアな心根が見える。傑作です。これから先も、宇多田は、歌い続けるだろう。
話は変わるが、藤 圭子は実はカヴァー曲を歌う事が多かった。「夢は夜ひらく」だって、園マリのリメイクだった。楽曲を、オリジナルを超えた自分の世界のものにしてしまう歌う力を持っていたのだ。実は宇多田ヒカルも同じだ。尾崎豊を歌ったりする宇多田だが、完全に自分の歌にしてしまっている。そこは、やはりよく似ている~」

宇多田ヒカルと他の歌い手との違いは詞にありありとしてあって、愛を歌うのだが、なにか愛と言う意味にもダブルミーニングとでも言えばいいのか、ただの男と女の愛とは捉えきれないものがあったのだ。

ボクは、初期ではないが「Deep River」「Letters」「Colors」と言う3曲がことさらに好きで、なかでも「Letters」の、あの「書置きでしか思いを通じ合えない愛する人」が、宇多田ヒカルにとってどんな意味合いを持つ人なのか、知りたいと思ったものだ。

その人が誰なのか、母である藤圭子さんの死に対する宇多田ヒカルのコメントで、分かり過ぎるほどにわかった。

少し前に、藤圭子はボクにとって特別な「歌姫だった」と書いたが、実はもう二人特別な歌姫がいる。一人は佐井好子。

そしてもう一人。

彼女は音としてばかりでなく、負の言葉すら自分自身の思いとして前向きに伝えることのできる、本当の意味での音楽的才能を持っている。

この数年、彼女はボクたちの前からミュージシャン、アーティストとしては姿を消している。

その理由も、おぼろげに分かった。彼女はある女性の本当に素晴らしい娘として、この何年かを生きていたに違いない。

もちろんその歌姫は宇多田ヒカルだ。

いま、「Letters」を聴いている。

涙が止まらない。

150000PVを超えました!

2013-08-25 08:29:31 | 普通な人々<的>な
なんと!

2010年の10月から手探りで始めたこのブログ、3年目を前に15万PVを突破しました。

ひとえに皆さんのお陰と、感謝いたします。

いまだにブログとしての方向性も、物書きとしてのアイデンティティも定まらぬままではありますが、引き続きご来訪のほど、よろしくお願いします。

取り上げたテーマ、モチーフのひとつでも、あるいは、書いた言葉のワンフレーズでも、皆さんにとって、なにがしかを考える契機になれば、有り難いことです。

重ねて、よろしくお願いします。



痺れる人生

2013-08-24 15:24:12 | 普通な人々<的>な
ホイホイと気楽に生きる人もいる。

鬱々とハレる気のない日々を強いられる人もいる。

どちらも、幸せであり、不幸せでもあるだろう。端から見た印象とは、本人の感じ方も人生への挑み方も雲泥の相違があることだろう。

ボクにとって、人生は艱難辛苦の修養道場であり、ハレバレとしたことは一瞬間もない。

ところが、端から見るとノホホンと生きているように見えるらしい。

死ぬまで働かなくては、と言っても、誰もそうしないと死ぬとは思っていない。ところがボクの場合は、そうしなければ死ぬるのだ。

大袈裟でもなく、例え話でもなく、そう宿命付けられているようなのだ。

その結果が。今のボクを形作っているわけで。

それが嫌かと問われれぱ、確かに嬉しくはないが、泣いて地団駄を踏むほどではない。

痺れるような人生だとは思っている。

家族にも同じ境遇を味わわせているのは、慚愧に耐えない。

だが、この感じは、死ぬまで続くような気がする。

済まないな。泣いて畳を血が滲むほどかきむしる方が、境遇から脱することができそうな気もするが、ボクの専売ではないな、きっと。

そんなこんなで、今日も、痺れている。

藤圭子さん転落死

2013-08-23 09:20:45 | 音楽にまつわる話<的>な
ショックで言葉もない。

ただただ、ご冥福を祈るだけだ。

ボクの青春のど真ん中にいた歌姫の一人、いや、特別な歌姫だった。

あの歌声は、生涯忘れられない。痛を伴うような深い思いが、最初の一声で突き刺さってくる。

そして、彼女が歌っている間中、身動ぎもしないで聴くしかなかった。

陽気な美空ひばりと、対極にあってバランスを崩さずに居られた唯一の歌姫だと、ボクは今でも思っている。

合掌。


敗戦の日

2013-08-18 18:04:36 | 普通な人々<的>な
昔、8月15日を「終戦記念日」と呼ぶ人間は、かの戦争に負けたことを潔しとしない保守系の人間であるとされていた。

天皇を頂点に頂くヒエラルキーを維持し、決して太平洋戦争、第二次世界大戦を「負け」で終えたとは言わなかった。

もっと資源があっ「たら」、ドイツがあれほど早くに瓦解しなけ「れば」、日本のほうが先に「ピカドン」を作ってい「たら」、というような「言い訳」を胸のどこかに抱えていた人々ではあるが、彼らが今日の日本を経済成長させてきたのだ。

戦前の日本の精神的土壌をそのまま継承しようとした人々と言い換えることができるかもしれない。

自民党しかり、三大新聞しかり、要は立法府も言論も、かの戦争に負けたとは思っていない人間たちが主導していたと言うこと。


一方で、8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶ人間もいた。それはかの戦争が間尺に合わないものであり、負けるべくして負けたとする人々だった。ある意味で革新系の人々であるとされていた。

事実、学生運動世代にとっては「敗戦」と「終戦」の言葉のセレクションは、その人間、集団を評価する重要な分水嶺と考えられていたが、新聞で公に「敗戦」という言葉を使うのは「赤旗」くらいだった。

ただそうした人々は、「敗戦」に伴う痛みを国民が共有し得るような前向きの方向性の提示をしたわけではなく、むしろ内側の戦争犯罪人を声高に弾劾するような姿勢に終始していた印象がある。その戦争犯罪人の最高責任者は「天皇」であると言いさえした。

日本人でありながら、日本の中で犯罪者を作ろうとし、責任をなすりつけようとさえした。

ボクは「敗戦」というスタンスを取り続けているが、あの姿勢は、まったく肯んじえないものだった。

ボクの「敗戦」は、明らかな負けの中からしか「勝ち」、すなわち「価値」は生み出せないと言う点から派生してきている。

若い頃、「心情右翼」の「行動左翼」と自称したが、「敗戦」に関わる思いもそこから生まれている。

戦争で「負け」て最早68年。だがそれ以降の日本は不戦という価値観の中で世界史レベルで最も偉大な足跡を残した国家と言っていい。

このことは、保守系であろうと革新系であろうと、自分たち自身を賛嘆することのできる大きな大きなファクターだ。

この期に及んでなお、やれ「歴史認識」などと言い募り、本当のところは「儲かった」だの「合理的」だのという自分中心の価値観を押し付けることでしか、人や集団、国家を判断できない「歴史認識」をもった国には、永遠に分かりようもない足跡と言えるだろう。

誤報は「あつい」です。

2013-08-09 23:30:27 | 普通な人々<的>な
暑い時は、「暑い!」と口にしてしまうのが一番。

それにしても。一昨日の地震予報の誤報騒ぎ。

ちょうどテレビを点けたところで、アナウンサーの極度の緊張感が伝わってきて、さてどうしたものかと思い、とりあえず家族全員にLINEで地震速報の内容を伝えた。

それからわずか10分ほどで「誤報」と伝えると、「アホか」とのお叱り。

まったく。

ただ、非常に良い訓練になった。

揺れが来たときには、しっかりと机やテーブルの下に避難し、振り飛ばされぬよう、机の脚などを握り、耐える。

とにかく、尋常ならざる出来事に耐え忍ぶ胆力が必要だとは、思った。

誤報とは捉えず、最高度の訓練だったと捉えればいい。

暑い一日が、かなりクールダウンしたとも思ったが、実際は、ヒートアップした。

ひたすら「熱」かった。

一昨日は「暑い」ではなく「熱い」が正解。

東電の体質は、この世からなくなるまで変わらない。

2013-08-08 00:39:32 | 普通な人々<的>な
汚染水の垂れ流しの実態が徐々に明らかになり、東電の企業としての悪しき体質が、さらに鮮明になりつつある今日この頃。

政府も最早東電にことの収束を委ね、任せておくことが危険であると漸く理解したのか、どうやらどこかのタイミングで、ことの収束を政府の手で行うことにしたようだ。

世界が危惧する放射能による海洋汚染は、実のところ「あの日」以来、ずっとなんらの対策もされず続いている。

2020年に「オリンピック開催を!」と元気に叫び続けて行きたいところだが、政情不安や経済不安などは原発事故による放射能汚染の前では、そう大した問題でもなく、オリンピックの東京開催は、夢のまた夢ということになりそうな気配も出てきた。

そんな表立ったことだけではなく、最近の日本での、これまでには見たことも聞いたこともないような犯罪に顕著な、人々の心の荒廃もまた、福島第一原発事故に収斂する。

結局、福島第一原発事故での東電のやること成すことすべてが招き寄せた、日本国、日本国民ばかりでなく世界規模で地球が被った損害は、やれ○○兆円などといった単位ですむわけもなく、仏教的数の概念でいえば「無量、大数」という宇宙の大きさに匹敵するほどのもの。

そのことに思いの至らない東電は、無くなる運命というよりは、無くならなければならないものというほかはない。

それでもまだ、企業として「儲かる」だの「損失」だのと言っているようであれば、東電は国民の合意として瞬殺すべきなのではなかろうか。

11日もご無沙汰だったんですね。

2013-08-05 23:46:41 | 普通な人々<的>な
前回のブログ更新から、11日が過ぎていたんですね。

この間、ボクは仕事をしていましたよ。ブログを更新できなかったのは、ただひたすら暑かったからでしょうか?

なにしろ、クーラーが入ったにもかかわらず、まったく使う気にならない。心頭滅却などと気取っているわけではなく、ただあの空気の流れが、気持ち悪い。

だからしっかりと暑い。

暑いと頭も回らない、そんなことでした。

また、ぜひこのブログを訪れてやってくださいやし。