前回、自分の目の話を書いたが、このくくりの文章としては、なんだかそぐわない感じがして仕方なかった。ただ書いたからには一応締めくくる。当時の隻眼写真は探したが、どこか深くに秘匿されているようで、見つからなかった。
実際ボクは、東京に出て東大病院で手術を受けるまでの2年と少しの間、7歳になる直前まで片目で生きていた。
そして、その時期が実は、人間が両眼視する訓練期間にあたっていた。したがってボクは両眼視ができない目になってしまったのだ。
それがどんなことになるのかをわかりやすく言うと、例えば野球でバッターボックスに立つ。それがどんなへなちょこ球でも、ボクにとってはすべて魔球になる。
どういうことかと言えば、ボクには片目で生きていたせいで広角というものが育たなかった。だから距離感もなければ立体感もない。もっと言うと、両目は見えるけれど、それぞれに見ている像が重ならない。目の幅でそれぞれに見える。だから、球も二個飛んでくる。魔球だ。スポーツマン金太郎だったか何だったか忘れたが、人気野球漫画で主人公が投げる魔球「たまたまボール」そのものだったのだ。
ボクには12打席連続三振という記録がある。小学校の時の記録。そこそこに野球は好きで、それなりにうまかったが、そんなわけで打てない守れない。投げることだけはかろうじてできたから、ピッチャーならできた。だが、それではレギュラーにはなれない。結構寂しい思いもした。
目という部位のある種の欠損は、ボクの大きなコンプレックスにもなった。芝居をしていても、目が気になって、普通に芝居ができない。人と話していても、相手の目を見て話せない。まあいろいろだった。
生活で困ることもあった。車の運転だ。ボクは免許を取ることを頑なに拒んだ。怖いのだ。なにしろ距離感がないし、車は常に倍の数走っている。
それでも実際のところ、ボクは傍から見れば自信満々で生きているように見えたと思う。そんなことはあまり気にもしていないように見えたと思う。だが、芝居をやめた大きな理由の一つではあった。
よく考えれば、障碍者手帳をもらってもおかしくないことだった。そんなこと考えもしなかったけどね。
だがその目が、なぜか劇的に修復される。それは昭和の終わり頃だった。両目それぞれに映る像が、急速に接近しはじめたのだ。少しのずれはあるが、あまり気にならなくなった。
それがなぜなのかはわからない。昭和と一緒にボクの負の部分も終わりにしてくれたのかもしれない。
42歳の時に免許も取った。普通に両眼視できるようになって、運転もできるようになったのだった。
だが、微妙な目のずれは残ったままで、それは今でも続いている。目は疲れやすい。普通の人より、目を使う仕事は向いていない。なのに、今のボクの生業は、校正の仕事だ。
これが何を意味するか、ボクは平成も終わろうとする今日この頃、考えているのです。
今回は、少しイレギュラーな原稿ですが、一応総括的に。
実際ボクは、東京に出て東大病院で手術を受けるまでの2年と少しの間、7歳になる直前まで片目で生きていた。
そして、その時期が実は、人間が両眼視する訓練期間にあたっていた。したがってボクは両眼視ができない目になってしまったのだ。
それがどんなことになるのかをわかりやすく言うと、例えば野球でバッターボックスに立つ。それがどんなへなちょこ球でも、ボクにとってはすべて魔球になる。
どういうことかと言えば、ボクには片目で生きていたせいで広角というものが育たなかった。だから距離感もなければ立体感もない。もっと言うと、両目は見えるけれど、それぞれに見ている像が重ならない。目の幅でそれぞれに見える。だから、球も二個飛んでくる。魔球だ。スポーツマン金太郎だったか何だったか忘れたが、人気野球漫画で主人公が投げる魔球「たまたまボール」そのものだったのだ。
ボクには12打席連続三振という記録がある。小学校の時の記録。そこそこに野球は好きで、それなりにうまかったが、そんなわけで打てない守れない。投げることだけはかろうじてできたから、ピッチャーならできた。だが、それではレギュラーにはなれない。結構寂しい思いもした。
目という部位のある種の欠損は、ボクの大きなコンプレックスにもなった。芝居をしていても、目が気になって、普通に芝居ができない。人と話していても、相手の目を見て話せない。まあいろいろだった。
生活で困ることもあった。車の運転だ。ボクは免許を取ることを頑なに拒んだ。怖いのだ。なにしろ距離感がないし、車は常に倍の数走っている。
それでも実際のところ、ボクは傍から見れば自信満々で生きているように見えたと思う。そんなことはあまり気にもしていないように見えたと思う。だが、芝居をやめた大きな理由の一つではあった。
よく考えれば、障碍者手帳をもらってもおかしくないことだった。そんなこと考えもしなかったけどね。
だがその目が、なぜか劇的に修復される。それは昭和の終わり頃だった。両目それぞれに映る像が、急速に接近しはじめたのだ。少しのずれはあるが、あまり気にならなくなった。
それがなぜなのかはわからない。昭和と一緒にボクの負の部分も終わりにしてくれたのかもしれない。
42歳の時に免許も取った。普通に両眼視できるようになって、運転もできるようになったのだった。
だが、微妙な目のずれは残ったままで、それは今でも続いている。目は疲れやすい。普通の人より、目を使う仕事は向いていない。なのに、今のボクの生業は、校正の仕事だ。
これが何を意味するか、ボクは平成も終わろうとする今日この頃、考えているのです。
今回は、少しイレギュラーな原稿ですが、一応総括的に。