普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

運賃が1円単位?

2013-10-30 22:51:16 | まあまあ社会<的>な
大分前から、利用者とは無縁のどこかで、公共に近い乗り物の運賃を改定、1円単位にするという議論が行われていたようで、昨日、そのことに関する解説だかニュースだかをどこかでみた。

一見、なにか合理的に思えるし、便利そうな気もするか、釈然としない部分もある。

その一つが、1円単位で目的地までのチケットを、キャッシュで買えるのかということ。

当然、スイカやパスモ、その他の電子マネーを使用することを前提に据えた話しなのだろうが、日本には金本位制に基づく貨幣が存在するわけで、よもや、その貨幣が使えないシステムになるのではあるまいな、ということである。

はっきり言って、1円から使える自販機を導入することなど、端から考えていないと思う。

電子マネーやクレジットを意識的に使わない人もこの世には存在するし、クレジットなどは持つにもてない人もいるだろう。

こうしたシステムというよりは、何らかの構造を一企業、あるいは企業の連合体が民意を問うことなく変えてしまうことは、果たして許されることなのだろうか?

ボクには、少なくとも今のボクにはわからない。

ご意見を聞かせてほしい。

追記

2013-10-26 22:54:27 | 普通な人々<的>な
みのさんの子供に対するスタンス、正しいと思います。

手をあげる父親だとも言っていましたが、ボクも同じでした。それが愛だと思っていました。

自分の子供を自分の所有物のように思っているという難詰もありますが、親の子供への思いの一つに、そんな側面もあるとは思います。

最後に、みのさん、「バカやろー」と言っていましたが、あれは、息子への思いを口しながら、最後の質問者の無礼な質問への隠れたメッセージと、ボクは受け止めましたが、如何に?

みのもんた さん

2013-10-26 22:25:37 | 普通な人々<的>な
いま、テレビで、みのもんたさんの「謝罪会見」をやっていた。

色々言いたいことはあるが、まず。

最近の取材陣に多いのだが、詰問が質問だと思っている輩が多いと言っておきたい。代表質問者がそういう連中だと、イライラが募る。

それはさておき。

みのさんの会見は、素晴らしく、立派なものだった。

若い頃飲みに連れて行ってくれた、豪快みのさんそのままだった。

奥さんを亡くされたばかりのみのさんの、子供に対する思いもよくわかった。

それは、仕事を続けることとは無関係なのだが、会見での発言は、よくわかった。


ボクにも、子供がいるからね。

それにしても。大きな親の思いを感じさせてくれた会見でした。

地震です! けっこうでかい?

2013-10-26 02:17:21 | 極端な生活<的>な
揺れました! 速報をみたら、福島沖M7.3だそうです。

小石川のビルの11階で、あろうことかトイレにいました。

地震の時、一番嫌なシチュエーションの一つが、トイレでしゃがんでいること。

それに近いシチュエーションでした。

家の皆は無事でしょうか?

収まったみたいです。

福島は大丈夫でしょうか?

人気のないブログ

2013-10-24 07:21:25 | 普通な人々<的>な
「にんき」って読まないでね。「ひとけ」と読んで下さい。

最近ふと気づいたことがある。

ボクのブログの話。

できるだけ写真の一つも掲載しようと思うのだが、ボクのブログにはどうやら人間の影がない。

なぜかはわからないのだが、人の気配がない。

ほとんどが風景。

思うに、ボクは最もわかりやすい個人情報が「顔」だと思っているようだ。

だからできるだけ人を載せることを避けている。

これは、ある意味正解で、これからもきっと風景主体のヴィジュアルになることだろう。


それはそれとして。

ただいま。少し前に家に帰りつきました。

奥さんが出かける時間までに、余裕があったので、お弁当を作ってみました。

冷蔵庫になにもないので、から揚げと卵と昆布の佃煮と白菜の炒め物、それにたらこで捏造してみました。

おいしかったらいいのですが…。

乱雑なので、写真は載せません。

では、ボクはこれで、お休みなさい。

彩雲

2013-10-22 23:07:16 | 普通な人々<的>な
前回、きれいな雲を見た話を書いたときに、彩雲の写真を撮った記憶があると書いた。

実はボクは昨年の9月に、およそ10年間の原稿やら何やらのデータをすべて失った。パソコンがダウンし、バックアップしていたHDも同時にブレイク。

ものすごい喪失感を味わったのだが、その前にデータをバックアップしていた古いHDの存在を思い出した。

ほとんど何も残っていなかったし、残っているものも「これなんだったかな?」的なものだけだったが、なぜか昨日覗いたら、彩雲の写真があった!

彩雲というよりは、空の一部が虹色、という感じの写真。

それがこれ。



あまりはっきりしていないが、よく見ると妙に不思議な感じがする。雲らしい雲もない空が、一部だけ虹色なのだ。

撮影日は2008年10月21日! なんと! ちょうど5年前の昨日だった!! 何の符号かと、ちょっと興奮。

きれいな雲

2013-10-17 16:44:02 | 普通な人々<的>な
今朝、家に戻る途中の高田馬場駅で、ふと空を見ると雲がきれいだった。

朝焼けに、一部分だけが赤く染まっている。それも雲の端っこというのではなく、ほぼ雲の真ん中が赤い。

あまりにきれいなので、スマホで1枚。

それがこれ。



昔、彩雲という虹色をした雲を写真に撮った記憶があるが、どこにあるのだろう?

あれは珍しかったが、これもボクの中では珍しい。

朝は、こんな楽しみがあるんだな。

ただし、仕事帰りだからこそ。通勤途中だったら、こんな雲に気を回している余裕はないかもしれない。


160000PV Over!!

2013-10-16 04:53:46 | 普通な生活<的>な
お早うございます。

さっき、明け方の4時を回った頃に、何気なくブログを見たら、160000PVを超えていました。

暴風雨の中、皆さん本当に感謝です!

台風26号の猛威は、そろそろ具体的になろうかという時間です。

雨の音は尋常ではありません。風の様子も、少し前までと打って変わった激しさです。

本当に今日の朝方は、気を付けてください。

ボクは運がいいのかわかりませんが、今日も夜の徹夜仕事。

したがって、これから寝て夜に出かけるわけです。

おそらく、風は強いかもしれませんが、雨は上がった後でしょう。

なんにせよ! 感謝の思いと、心配とがないまぜです。

ありがとう。気を付けて!!

川越!

2013-10-12 23:29:12 | 普通な人々<的>な
川越ビアフェストの話を、昨日の夜中に書いたが、この文章を書いて、仕事を終えて朝電車に乗っていたら、隣りにとても元気な男女(就職したばかりの元学友という感じ)が座っていて、とてもまじめに会社のあるべき姿の理想と、現実などを大きな声で話していた。

きっと、少し前まで飲んでいたか仲間と一緒だったかでテンションが上がっていたんだろう。

そのうち、突如「すごいフェスティバル!」と、話し始めたのが川越のビアフェスト。「すごい」という言葉の意味は、「良い」方ではなく「悪しき」方で、ボクが感じたのと、まったく寸分も違わぬ印象。

その先も全く同じ、受けた印象を語っていたが、ボクが「学生のイベント」と書いて、自粛した点を「運動会の役員テント」と、もっとわかりやすく言っていた!

本当に!

書いたばかりの自分のブログ記事と同じ話をする人に、親近感を覚えた。ボクの方が先に電車を降りる形になったが、心の中でアベックに向かって「ピース!」をしてしまった。

もちろん、来年以降のフェスティバルが、うまく運営されることを願って、だ。


古い話ですが、川越ワールドビアフェスティバル

2013-10-12 00:29:01 | 普通な人々<的>な
6日の日曜日、奥さんと川越ワールドビアフェスティバルなるモノに出向いた。
ビール好きの夫婦が、そんな催事のあるのを知れば、そりゃ出かけるって。

結論からいくと、学生の主催するイベントかと思えるほどの程度の低さ。花もなければお得感もない。

なにしろ、インフォメーションが、まばらで会場に行き着けない。行き着いた会場では、まだ昼を回ったばかりなのに、ビールが売り切れている、と言った案配で、ガッカリだよ!

あっ、ひとつ訂正。学生のイベントの件は、大変に学生さんに失礼な表現でした。

なににせよ、思いの外ガッカリだったのだ。

三味線 吉原ときて、思い出した名前一つ 「弾左衛門」

2013-10-10 15:55:21 | こんなことを考えた
三味線 吉原ときて「弾左衛門」という名前を思い出した。

昔読んだものの本に「・の棟梁」というようなことが書いてあった。

「・」とは、江戸期の士農工商という身分外にあった「人に非ざる」「穢れ多き」人々という存在。それは決して自分からそうなりたくてなったのではないことは明らかな、あってはならない被差別的存在として歴史の裏側に刻まれているのだが、「」は武家社会につきまとう死にまつわる穢れの部分を引きうける者として鎌倉期から存在し、社会の裏側に押しやられた人々と言われる。「」は、同じように身分制度外の人々、つまりは「政」にまつろわぬ、犯罪者も含めたサンカといった漂泊の民などを指す。

その被差別的存在を、日本というくくりの中で支配したのが「弾左衛門」と言われているのだ。

その「弾左衛門」の住まい、というより「・」の統括組織が、遊郭「吉原」のあった浅草・浅草寺の北側一帯「千束」から真東に当たる、「今戸」の辺り、「山谷堀」沿いにあったと言われている。

この話を、何の本で読んだか定かでないのだが、それ以来どこか気になっていて、いつか吉原から「弾左衛門」のいたといわれる辺りを訪ねてみたいと思っていたことがあった。

それが、実に土曜に三味線の音を聞いてから、そのことが妙にボクの中でクローズアップされているのだ。

幸い、そう思いながらもほとんど訪れることもなかった下町一帯を、思えば最近は仕事で頻繁に訪れているではないか?

良きチャンスを狙って、近々に訪ねてみようと思った次第。

そうしたら、また探訪記でも書いてみよう。



三味線の音で、胸の塞ぎがハレた件

2013-10-10 08:25:08 | こんなことを考えた
我が家は、コの字型マンションの「二画目」3階の角部屋。

裏手に自転車を停めているので、裏階段を使って出入りする。

裏手にはおよそ10階建ての別のマンションがあり、彼我の距離30m(金網で互いの敷地は隔てられているが)の間のスペースにボクの使う自転車置き場があり、朝な夕なにその近辺をウロウロしている。

先週の土曜日。朝仕事から戻り、一寝入りして目覚めてすぐの夕方5時半過ぎに前回のブログの記事を書き、6時頃に買い物に出かけた。

そして6時半を回った頃合いの、降りはじめた夜の帳の中、裏の自転車置き場に自転車を停めた。

その時、どこからともなく三味線の音が聞こえた。マンションとマンションの間の空間を、三味線の音はゆっくりと行き交っていた。一気に世界が変わったような気がした。

どこから聞こえてくるのかわからない。

決して「うまい」という三味の音ではない。ただチントンシャンと「二上がり三下がり」そのままに、ゆっくりと爪弾いている音。

それなのに。

ボクは不覚にも涙を流した。

胸の鬱々とした曇りがハレたのだ。音を聞くだけで、ハレた。いや、あの三味の音はハレる「音」だったのだ。

ひょっとすると、ボクの過去世や古い記憶のどこかとストレートに繋がっているのではないかとさえ思った。

胸の奥から、ボクの記憶にまとわりつくすべての音の中から、それこそ、この音以上に心震える音はないという音が、そこにあったのだ。

その三味の音はあまりにも嫋やかで、例えようもないほど激しくボクの胸を揺さぶったのだった。懐かしく、艶めいて、ほんのりと温かで……。

……こんなことを書いても、わかってもらえないだろうか。

過去に、音を聞いてこれに近い感覚を持ったことがあるのを思い出した。

ディズニーランドの「カリブの海賊」。ゆったりとカリブの海の夕暮れの中を進むと、アンクル・トムの小屋のような海辺の小屋があり、そこでゆったりとしたバンジョーの音が聞こえてくる。

あの音を初めて聞いたとき(もう30年近くも前の話)にも、同じような印象を持った。あの音は「懐かしさ」を惹起するものではあったが、今回の三味線の音の伴うモノとは若干違うといえば違うのだが、あの感じに近いと言えば近い。

そして、同時に思い出したのが、樋口一葉の「たけくらべ」。吉原。

もちろん吉原とはかけ離れた静けさの中にある三味の音。だが、なぜか「色艶」という言葉を思い出したのだ。

薄暮の中、行燈に火が入り、仕舞屋風の二階の格子戸から揺れる灯りと共に漏れ聞こえてくる三味の音。

まったくそういう音なのだ。

だがなぜか、その時だけしか、三味線の音は聞こえない。幻聴? いやいや、そんなことはない……残念至極。

今度、自分で弾いちゃおうかな…!? それじゃ、どこかが違っちゃうかな……。




一週間、徹夜仕事。

2013-10-05 17:46:35 | 極端な生活<的>な
お早うございます。

さすがに夜を徹する仕事が1週間続くと、朝寝て昼過ぎに起きるという、とりあえずのセオリーが崩れ、今まで寝てしまった。

もう夜の6時前。

歳を取ると、体力を使う「寝る」という作業が意外に重労働で、睡眠時間は短くなるというが、確かに昨日までは4~5時間で十分だった睡眠時間が、今日は8時間半にもなっている。

疲労が蓄積していたということなのかな?

ただ、そう嫌でもない。辛いということでもない。

楽しみにしていた早朝散歩も、5日間のうち2日だけ。

これも、早く帰りたいと思ったことと、天気が悪かったことが歩くのをやめさせた。

それにしても!

睡眠は偉大だな!

すっかり疲れがなくなっている! 

さあ、明日に備えて、寝るぞ!!

猫なで声

2013-10-03 15:02:44 | こんなことを考えた
我が家には、ワンコがいる。名前はココという。現在9歳。もうおばあちゃんの領域だ。

スムースのミニチュアダックスということで、元々はココアという名前だったが、彼女には17年生きたマルチーズのココという先輩ワンコがいた。

それで結局、ココと呼ばれるようになり、2代目ともいわれるようになった。

彼女は1歳の時に歩けなくなった。後ろの両脚ともに動かなくなったのだ。

突然のことで、驚き病院に出向いたが、どうやら脊椎の一部に損傷があるとのご託宣で、MRIを撮り、手術をしようということになった。

入院までして背中の短い毛までそられたが、少しだけ脚が動かせるような気配があって、手術は中止してもらった。できるだけ「金物」を身体に入れたくなかったのだ。

結論から言うと、それからおよそ1ヶ月後、彼女は奇跡的に歩けるまでに回復したのだ。手術をしなくて本当に良かった。

ただ、いつ再発するかわからない。爆弾を抱えているわけで、彼女はそれ以降、散歩をしないことになった。

家での高所へのジャンプも禁じられた。

およそつまらない生活のように思われるかもしれないが、これが意外に彼女の性に合っているみたいだ。

もともと引っ込み思案で、散歩をしていても他の犬との交流はほとんどせず、怖がりで神経質。おまけに甘ったれ。

ことに食事のおねだりは、半端なく、ワンコの身でありながらほとんど猫のような声を出す。

食事を上げるまで1時間でも泣き続ける。

うるさいくらいの、猫なで声。それでもものすごく愛らしく、可愛い。腰のことがあるから、余計に不愍がかかる。

爆弾は破裂せずに今日に至るが、油断はできない。

初代ココに倣えば、あと8年は生きる。

こちとらも70歳を優に超えている計算になる。

そんな意味でも、…頑張んなきゃな…。

そんなココの、一番好きな表情がこれ。食べ物を目の前にして、猫なで声を出しながら「待て」の解除を待っているときの顔。(7歳の誕生日のケーキを前にして)



韓国の自戒

2013-10-02 16:57:01 | まあまあ社会<的>な
「産経WEST」というNEWSをながめていたら、おもしろい記事があった。

朝鮮日報が掲載した記事「かっとなる韓国人」で、韓国社会が忍耐力を失い、かっとして衝動的な犯罪に至るケースを紹介しているというのだ。

そこには「帰省した時に母親に叱られ、腹いせに殺害した息子、『音を立てながら食べる』などと指摘した母親の首を絞めて殺した未婚の男性会社員、同じマンションに住む女性に『ブサイク』と言われ、そのまま殺害した男」などの事例が。

同じような事例は「放火」も含めて急増しているというのだ。

同記事で専門家は、利己主義がはびこっていることを指摘しつつ、「急激な経済的変化や社会的葛藤の中で、相手への思いやりや対話という文化が衰退している」と分析。また、別の有識者は「すぐに結果を出そうという韓国人特有のパルリパルリ(急げ急げ)文化によって、我慢し妥協するプロセスが持てなくなっている」と嘆いている、とあった。

今の日韓関係も同じ根のような気がする。

日本でも訳のわからない犯罪が増加している印象を受けるが、なにかこちらも根が同じように思える。

それが日本の場合、どこの根から生まれてきているのか? 以前このブログでも書いたが、日本の場合は、なにかこの20年くらいで顕著になった新しい傾向の犯罪という気がするのだが…。

何はともあれ、韓国で自分たち自身を顧みるメディアがまだあることが、救いだ。