普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その40>喫茶店文化

2018-05-30 22:17:30 | 東京「昔むかしの」百物語
新宿に「TOPS」という喫茶店があった。今でも同じ場所にあるが、昭和の「TOPS」とはまるで違う。仕事の打ち合わせには静かで、コーヒーも旨く、まったく重宝な雰囲気と最高の立地条件を持っていた。

ボクの仕事はことさらにそうだったが、仕事の打ち合わせはほぼ100%事務所近くの喫茶店で行った。事務所近くの喫茶店は、応接室みたいなものだった。その喫茶店代は会社持ちだった。

それが良いか悪いかは時代背景によるところが大きいから、ここでは問題にしない。

会社の応接室代わりの喫茶店の多くは、個人経営のちょっと雰囲気のある喫茶店と相場は決まっていた。

喫茶店主がママの場合は、概ね何も言わなくてもいつも頼むコーヒーが登場した。

マスターの場合は、こちらから「いつもの」とオーダーしたものだ。

繁華街にあった昭和の喫茶店というのは、「ジャズ」「ロック」「クラシック」「歌声」「名曲」という音楽系、「同伴」「美人」「純」などの風俗系(?)などなど、最近の家系ラーメンみたいな系列があった。昭和の最後の頃には「ノーパン喫茶」なるものまで生まれた。

喫茶店はスペースとアトモスフェアを提供する業態だった。

もちろん前述の通り、個人経営の旨いコーヒーを飲ませる雰囲気の良い喫茶店もあったが、多くはなにかを連想させる名前が付けられていた。例えば「田園」「ウィーン」など。

喫茶店にコーヒーという飲み物そのものの価値を付加した最初は、東京では「POEM」じゃなかったかなと思う。阿佐ヶ谷にあったと記憶している。駅北口を降りて、高架下のゴールド街に沿って高円寺方面に行った直ぐ角にあった。

昭和40年代前半頃だったかな。

「POEM」が先鞭をつけた「おいしいコーヒー文化」が、その後の「ドトール」などの先駆けになったと思う。

ただ一つ、「POEM」の登場によって、喫茶店のアイデンティティがコーヒーがうまいか高級か、産地がどこかといった価値にシフトし、良い雰囲気のスペースでそこはかとなくゆったり時間を過ごすという価値は、失われていったように思う。

タイトルに「喫茶店文化」と書いたが、チェーン展開する今のコーヒーショップは、喫茶店ではもちろんない。ハッキリと、ママやマスターの姿はない。そこに彼らの作り出すアトモスフェアは存在しない。ただのコーヒーショップだ。

冒頭に新宿の「TOPS」を取り上げたが、昭和と平成のその際立った姿の差がハッキリとしている、数少ない現存する喫茶店のような気がするのだ。
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緑の中の、一点の赤

2018-05-26 00:06:13 | 普通な生活<的>な
時々、FBにふらりと歩いて目にした風景をUPしている。

今年の春、隅田川の畔を歩いていると、春めいた緑の中に、真っ赤な花が一輪咲いている。

それは、なかなかにドキリとする眺めで、カメラワークで言えば、この赤い花には何かあると、一気にクローズアップするような感じだった。

花は真っ赤なチューリップで、ボクは暫しその場にしゃがみこんで、つややかな花の赤さに見とれていた。



それから一カ月半ほど経った一週間ほど前、家の近くを散歩していると、30坪ほどの更地に生い茂った草の緑の中に、また一輪の真っ赤な花を見つけた。

更地の周囲には柵があり、近づくことができず花の種は分からずじまいだったが、やはりスーッと引き寄せられるような存在感があった。



先の真っ赤なチューリップ、そしてこの名もない真っ赤な花。二度あることは三度ある、とよく言うが、もう一度同じような風景に出あったら、なにか意味があるのではないかなとふと思った。

どんな意味なのかは判然とはしないが、決して悪い意味ではなさそうな気もした。

そして、昨日のこと。花ではないのだが、良く見かける生け垣の緑の中に、たったひとひらだけ真っ赤に変色した葉を見つけた。



とうとう三度目だなと観念した。

ちょっと変な感覚だが、観念した感じが一番近い。

だからと言って昨日今日と、何か変わったことが起きているわけでもない。トランプくんが我が儘を言ったくらいだ。長野で大きな地震もあったが、どちらも緑の中の赤が示唆するものとは違うようだ。

この一週間程度は、なにか緑の中の赤が意味することに、気を配りながら生活することにしようと思う。
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慶応義塾大学湘南キャンパス

2018-05-17 00:52:12 | 普通な生活<的>な
ボクは、早稲田大学Ⅱ文演劇科を中退した。昭和45年のことだ。

昭和42年に入学したが、大学紛争の真っただ中、2年間で種々の授業すべてで正味40数時間しか受けていない。革マルによるロックアウトで授業がなかったのだ。だから進級はテストではなく、すべて論文の提出だった。

従って友人など作りようもなかったが、御当人が覚えているかどうかはともかく、唯一できた友人が山本益博だった。食のエキスパートとして一世を風靡したあの山本益博だ。早稲田に通っていた。

学生の頃は、農民詩人として知られた松永吾一宅に寄宿し、さまざまな文学的エッセンスを吸収していた記憶がある。

やがて卒業論文に書いた落語家「桂文楽の世界」がそのまま書籍化され、演芸評論家として世に出ることになったのだが、食への興味が昂じて食の評論家になった。この分岐点頃までは、よく家に連絡があった。

いわく「加藤の論文を使って教授が授業をしているぞ」とか、「本が出たから読んでくれ」とか……。

彼が卒業し社会人になり、疎遠になってしまった。

そんなことはともかく。

今日は、三田にしかないと思っていた慶応義塾大学の湘南キャンパスに行ってきた。出向いた理由はともかく、そのキャンパスはまるでアメリカ西海岸のLA辺りを思い起こさせる、広大な敷地とモダンな校舎。最近の大学は、かくもイカシタものなのかと、ちょっと驚いてしまった。

ボクの知りうる限りの大学は、都市型のそれで、狭い敷地にゴチャついた、まるで迷路のような建物の連なりだった。東京六大学の明治、立教、法政、東大、慶応、早稲田いずれもその例にもれなかった。

まあ、1960年代の終わりから70年代初頭にかけての印象しか記憶にないのだが。

学生、というより子どもの数が年間100万人を切ってしまった日本で、有名大学といえども学生を確保し教育環境を維持することが困難になってきているわけで、慶応義塾大学湘南キャンパスのような環境整備は必須のものなのかもしれないと、何とはなしに理解した、今日でした。

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東京「昭和な」百物語<その39>吉祥寺

2018-05-15 23:30:07 | 東京「昔むかしの」百物語
1961年、小学6年生の頃。荻窪に住んでいたボクは、なぜか友達と二人、高井戸まで家庭教師の下に通った。進学塾のようなものはまだなかった。小学校の教諭がアルバイトで家庭教師をしていた。

二人で荻窪から高井戸まで歩いて通った。

家庭教師の下に通ったからと言って、特段に中学受験をするわけでもなかった。二人とも区立中学に進学した。

通った先は、井の頭線の高井戸駅に近く、時々はそのまま井の頭線に乗り吉祥寺まで遊びに行った。水道道路と言われた吉祥寺まで続く幹線道路を歩いても行った。

なんとはなしに憧れのようなものがあった。

当時の吉祥寺は、北口にはサンロードが既にあり、まるで戦後の闇市のようなハモニカ横丁があった。上野のアメ横を、もう少しディープにしたような場所だった。確か伊勢丹もあったような気がする。

南口には前進座があり、井の頭公園(当時はなにやら酔っ払いだらけで胡散臭く感じていたが立ち飲みの伊勢屋もすでにあった)、井の頭動物園もあった。

どこに行くということもなく、井の頭公園を一周したり、西荻経由で歩いて帰ったりもした。

なにか散漫としているのだが、刺激的な印象があった。

新宿や澁谷、池袋などといった繁華街ではないのだが、なにか荻窪などとは違った大きな町然としていた記憶がある。デパートがあったせいかもしれない。

後に東京には珍しい近鉄百貨店ができた。プロ野球の近鉄バッファローズ・ファンだったボクは、それだけでも嬉しく、吉祥寺にはその後もよく遊びに行った。

デパートは近鉄、伊勢丹、丸井、東急と繁華街にはないラインナップだった。

吉祥寺好きは今でも続いている。

ただし大抵の場合、子どもの頃には胡散臭く感じていた、酔っ払いと化しているのだが。
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インタビュー 3連荘

2018-05-15 18:12:48 | 極端な生活<的>な
本当に久しぶりに、インタビューの3連荘です。

今日がその第一弾。いずれも当代一流の医師・医学研究者の方々です。

内容は披瀝できませんが、今日の印象では、非常に有益かつ楽しく軽やかなインタビューが続きそうで、内心ワクワクしています。

今日は新宿でしたが、明日は湘南某所。明後日は神田某所あたりでしょうか。

いずれにせよ、暑い夏の端緒の時期にふさわしいインタビューです。

変わった出来事でもあれば、またご報告します。

今日はこの程度で。
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ゴールデンウィークは関西

2018-05-06 23:31:46 | 普通な生活<的>な
2018年のGWは、関西におりました。PCは持参せず、更新できませんでした。

関西でのベースは、奥さんの実家がある神戸。

車で東京・神戸間を往復しました。久しぶりの運転で疲れましたが、気分は爽快でした。

これまで足を向けることのなかった奈良に出向き、大仏さんにお目通りしてきました。

でかい。

写真にするとその大きさをあまり感じ取れないのですが、その理由が非常に単純なことだと気づき、大いに納得しました。

要するに、周囲の法具なども同じようにでかいということでした。

2年前には京都中心に関西を楽しみましたが、今年は奈良、そして大阪中心に出向きました。道頓堀や黒門市場、法善寺横丁などなど、旅行者気分で歩きまわりました。

奈良・大阪・神戸の新三都物語でしょうか。

地元の神戸も、南京町やらセンター街、元町と完全な観光旅行気分。

古くからの友人にも会い、飲み交わしました。三宮の高架下の2階にあるそこそこディープな飲み屋をはしごして、大いに気分も盛り上がりました。

写真はたくさん撮りましたが未整理で、近々アップしようと思います。

またまた、ここから再出発いたします。




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