普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

老化、それは社会性の喪失と同義語なのかもしれない

2024-10-19 00:08:41 | 普通な人々<的>な
最近、様々な事件をNEWSなどで知るにつけ、闇バイトなどと言うワードと共に、事件の被害者がただただ老人であることの多さに驚く。

老人は肉体的には、若年者よりは劣る。一方で能力・知力に於いては、勝ることはありこそすれ、劣ることはない。

長い間「オレオレ詐欺」などと言う奇妙な事件が頻発したが、それは老人の能力・知力を、肉体同様若年者より劣るものと考えての犯罪だったのだろうか。

本来、老人の能力・知力は、その経験値や学びの時間の多さで、若年者に勝るはずなのだが、いともたやすく詐欺の被害者になり果てる。

なぜか。

犯罪に手を染める者たちは、かつては老人をどこかでリスペクトし、知力を持って老人の知力と対峙していたのではないかと思う。電話で息子を名乗ることで成立する犯罪など、正直想像もできなかった。どれほど巧妙に声色を使っても、息子に化けることなど本来はできないはずなのだ。親は子供の声を聴き間違えることなどないのだ。

だが、年に何十億という詐欺被害が、現にある。そこには老人の側にある種の問題があるのではないかと思う。それは老人になることで失われる社会性に起因するような気がする。

老人になるということは、年齢を重ねるということのポジティブな面もあるのだが、人間関係の希薄化が生じるというネガティブな面もある。

同じ時代を生きた仲間や家族、ことに自分より年行きの者たちの死を引き受けなければならなくなる。それはそれまでしっかりと結び合っていた糸が、一本一本切れていくようなもので、その喪失感は耐え難いものだ。そして年齢が行けば行くほど、糸は少なくなり、極端なことを言えば天涯孤独、一本の糸すらなくなってしまう。

老人は日々、そこに向かって生きていると言っても過言ではない。一本でも糸をつなぎとめておきたいと切望する。だから、仮に息子の声ではないとわかっていても、息子だと思い込みたい心理が働く。それがオレオレ詐欺が成立する土壌だと、ボクは思う。

犯罪者が老人をリスペクト、と書いたが、そんなことは本当ならあろうはずがない。だがそうした老人の心理を逆手に取っているのだとしたら、犯罪者はある種のリスペクトを抱いているということになるのではないかとも思う。

そこまでは、容認などできないが、許容範囲だった。命にかかわることではないから。だが、そうした能力・知力を駆使した、行ってみれば回りくどい詐欺犯罪より、頭など使わない圧倒的に優位に立てる肉体を使った強盗事件が多発し始めた。老人に対する若年者の遠慮会釈のない暴力的な犯罪だ。老人世帯を標的にした強盗事件が多発し始めた。ついには強殺事件まで起きてしまった。

なぜか。金を手に入れるのに回りくどい下準備や作業は面倒なのだ。バールで窓を叩き割り侵入し、殴って金品を奪う。最も簡単で優位なのだ。

こうなったら、終わりである。止め処なく老人に向けた暴力が振るわれる時代が、そこまで来ているのではないかと思う。

オレオレ詐欺の方が、まだましである。


世界線が微妙にずれ始めているような気がする

2023-10-26 18:32:39 | 普通な人々<的>な
皆さんは、何かこれまで自分の生きてきた歴史というか世界の在り様と、なんとはなしに違う次元に移行したのではないかと感ずることはないだろうか。

最近のボクはその思いが強い、というか実際になにか「ずれ」てきているような気がして仕方がないのだ。

例えば、分かりやすいところでは漢字だ。

ボクの若い頃というか、当然のように当用漢字を学び、少し古い書物などで戦前の漢字の使われ方、あるいは使われていた旧字を学ぶなどしたのだが、例えば饂飩で使われる偏は「食」であり、決して「𩙿」ではなかった。ところが今はいつの間にか餃子の偏も「𩙿」になっている。まだある。「辻」は一点「しんにゅう」だったはずなのに、二点「しんにゅう」になっている。校正の仕事をしていると、気になるというより気にしなければいけないわけで、戸惑うのだが、最近はそれほどのことではないらしい。名前ならいざ知らず、「高」という字も「髙」と混用されている。

以前にどこかで書いたが、お金に関しても不思議な気分になることがある。今では電子マネーが一般的になっているようだが、電子マネーを支える根拠が、ボクにはどうしても理解できない。紙幣や硬貨などの貨幣には金本位制というれっきとした根拠があるわけだが、電子マネーの根拠がボクには見えない。ビットマネーに至っては、昔昔に犯罪として摘発された「円天」と何が違うのか、まったく分からない。当時「円天」は疑似通貨と呼ばれ、とんでもない金融犯罪扱いだった。

こうした「事」もそうなのだが、「人」が激変していることに、ある種の違和感を覚えざるを得ない。誰もがしたり顔で、笑顔で、SNSなどに登場する。ニュースの街頭インタビューなどは、違和感を感じる最たるものだ。聞かれていることと答えの妙な乖離。

社会的な側面で言えば、他人を注意することもできない極度のコンプライアンスの重視も、気味が悪い。

それはそれでいいのだろうが、ボクには違和感しかない場合が多い。今の世界は、違和感を感じるボクが違和感の元なのかしらんと時に思うこともある。

世界はボクにとって、生きることの意味を教えてくれるハズのものだったが、最近はロシア×ウクライナ、イスラエル×イスラム過激派などの対立軸から漏れてくる発言を聞いていても、あまりにカオスでまったく理解できない。和平が訪れる気配も感じられない。

まぁこれは、ボクが阿保なのかもしれないが。

三回忌

2023-07-04 00:38:08 | 普通な人々<的>な
6月15日が、生井秀樹の三回忌だった。

生井と所縁のある人が集まって、三回忌を営むという連絡があった。

諸々の理由が重なって、残念ながらボクは参加できなかった。

だが、三回忌の数日前に、ボクは生井の夢を見た。それも二日続けて。

一日目は、なにか空港のラウンジのようなところで、生井のお別れ会に参加していた。どういった趣旨のお別れ会かと言えば、生井は「そろそろ旅立つ。あちこち行こうと思うがもう戻らない」と言うのである。

「もう戻らない」という言葉は、様々な意味でボクに迫ってきた。その時ボクは「あぁ、生井は記別を受けて成仏するのだな」と理解した。

生井は少し寂しそうな顔をしたが、「まあ、これで終わるわけでもなし」と言った風に、笑顔を見せた。

もちろん様々な出来事がありはしたのだが、覚えているのはこの件りだけだ。一日目はそれで終わり。

二日目は、階段を昇っていく生井の後姿を目で追っている自分視点の夢だった。

階段と思ったのは、ひょっとすると飛行機のタラップだったかもしれない。生井はその階段の先にある箱のようなものに乗り込んでいった。最後に振り返り左手をひょいと挙げて箱の中に消えた。

きっと生井は無明に至り、やがて新たな生を受けて、ボクの生活圏のどこかに生まれてくるのだろうなと思った。

ボクの生活圏というのは、ひょっとするとボクの来世での生活圏ということなのかもしれない。

だから、今世に出会ったようなまた新たな出会いがあるのだろうと思う。

あの夢が、今世での生井との最後の別れだったのだろうと思う。

そう思おうと思う。

在りし日の、生井。さらば。





孫しか勝たん

2023-03-26 22:00:23 | 普通な人々<的>な
2022年の9月に、息子夫婦に男の子が誕生した。孫はかわいいと、世間では通説になっているのだが、なぜか本当にかわいい。

ボクは元々子供が好きな方だと思う。電車の中で母親に甘える子供を見たりすれば、「あぁ、愛らしいな、かわいいな」と目じりが下がるのだが、孫は、もう比べものにならない。かわいらしさの度が違うのだ。他の子供がどれほどかわいらしかろうと愛らしかろうと、モデルにでもなりそうな美形の子供であろうと、孫と比べれば月と鼈なのである。

時々、息子夫婦が今住んでいる神奈川県のK市まで夫婦で遊びに出掛ける。息子夫婦が夫婦だけで出かけたいと言えばこれ幸いと孫に会いに出かける。

昨日も孫に会いに出かけた。7カ月になった孫は、早くも歩行器で家中を歩き回っている。その歩行器も、ジジババが買ったものだ。それほど高い買い物ではないが、あれやこれやと結構買わせてもらっている。惜しくもなんともない。「君の役に立つものを買わせていただいて、ありがとう」ってなもんだ。

本当に、孫しか勝たん。息子や娘が幸せに暮らしてくれることが老夫婦の望みであり、孫はそのバロメーターのようだと思う。子供に対しては何か言おうかなと思う場面もある。だが孫にはそんなことは1㎜たりとも思わない。ただ元気でいてくれればいいなとしか思わない。

新たに孫が、この夏娘夫婦に生まれる。あぁ、なんと嬉しいことなのだろうと思う。忙しくなりそうな気もするが、それはそれで嬉しさの方が勝る。

本当に、孫しか勝たん孫が二人になる。孫孫しか勝たん勝たんだ。

命日

2022-06-19 15:48:40 | 普通な人々<的>な
6月16日。生井秀樹の1周忌だった。

この1年、ボクはほとんど腑抜けだった。ほとんど誰にも会わなかった。楽しみはただただ家族と過ごす日々だけだった。

こんな日々が来るとは、1年前まで想像もしていなかった。端から見れば、この1年のボクの居住まい立ち居振る舞いは、まるで鬱のように見えたことだろう。まあ、見た人はそう多くはないのだが。

そうは言っても、日々の労働は必須で、そこでは顔なじみの人々に合う。だが、会話はほとんどないに等しかった。それも当たり前で、ボクの生業の一つは校正だから。しゃべりながら校正する人間は、ほとんどいない。

そんなこんなで、この1年を振り返ってみるのだが、やはり生井ロスは甚だしい。

正直なところ、これまで家族を失ってもこれほどの喪失感はなく、ただただ生井の喪失感が突出してボクを腑抜けにした。別に彼と愛し合っていたわけでも、切りがたい絆で結ばれていたわけではないのだが、どこか代えがたい人なのだった。

1周忌は、生井の親しかった人と令夫人が集まったと聞いたが、参加しなかった。

ボクの都合が悪かったということにしておく。

今も、生井の喪失感はボクに付きまとう。

こんなことを書いても誰も信用しないかもしれないが、6月15日の夕方、ボクのスマホに突然生井とボクが映っている写真が現れた。自撮り写真で、2人の間には生井の撮ったセックスピストルズのヴォーカル・ジョン・ライドンの写真があった。ボクのスマホは2021年から使い始めたもので、その写真は2018年に撮ったものだと記憶する。だからスマホには当然その写真はないはずで、よしんばクラウドから降りてきたものだとしても、その後にいくら検索しても出て来はしない。

そして、同じタイミングで普段全く使わないスマホのメールが突然反応したので見ると、次のような文面が。

生井「待ってます」

これは、生井が闘病中にボクが生井に対して退院を、そして再び呑み合える日が来るのを「待ってます」と送った文面なのだが、何の脈絡もなく突然画面に出てくると、違った印象を受ける。

前よりも鮮明に、生井と過ごした日々が蘇る。これは、全く抗いようのない、いつまでも続くことなのだろうと覚悟している。

お久しぶりです。

2021-08-17 22:53:07 | 普通な人々<的>な
生井ちゃんロスは、思ったよりずっと大きかった。
なんだか、少しも楽しくない。やる気が起きない。悲しいというのではない。だが、気怠い。

初めは生井ちゃんロスとは思わなかったが、どう考えてもそれしか思い当たらない。

自分の誕生日である7月12日は、家族が祝ってくれた。大いに飲み食いして、楽しかったが、家族以外の人とその喜びを共有する気にはならなかった。

そうこうするうちに、体調が思わしくなくなった。腹の具合がどうもおかしい。

それが1か月近くも続いた。いよいよもって家にこもらざるを得なくなった。

八月はなんとか力強くと思ったが、身近にコロナ陽性者が出現し、その状況は継続中。

断っておくが、生井ちゃんロスと言っても、生井ちゃんがボクを誘いに来ているわけではない。
これは本当に、自分自身の気分の問題なのだ。

今は、ただただ高揚感が欲しい。

お久しぶりです 2ヶ月のご無沙汰です

2021-05-06 15:52:35 | 普通な人々<的>な
色々ありました。

友人が病に倒れる(コロナではありません)も、この嘘くさいコロナ禍を慮って見舞うことも会うこともままなりません。

別の友人がプロデュースした本の原稿を、ずっと書いておりました。その内、紹介いたします。

90歳を過ぎた、神戸の義母の見舞いにも行けません。

なにやら人の足を止め、家に籠らせることが、コロナを理由に推し進められているようですが、家に籠ることが必要な、コロナではない何らかの出来事が起こるのかなとも思っています。

ボクは昭和の人ですから、反骨精神を大事に生きています。ですから、こっそりと家を抜け出してどこぞへ出かけたりもしています。少し離れたスーパーとか、電車に乗って買い物とか……。

それも難詰されることであったりすると、ボクはよけいに大胆に何かをしたくなってしまいますが、しかし、そこはぐっと抑えています。ボクはそうだけれど、ボク以外はそうでもないので。

お久しぶりでしたが、近況報告でした。

夢の言葉

2017-04-05 01:53:10 | 普通な人々<的>な
昨日、夢を見ました。

ボクはほとんど夢を見ません。というより、起きた瞬間に忘れているというのが正解かもしれません。

それが、昨日は夢を見たことをはっきり覚えていました。ただ、内容は皆目わかりません。それは覚えていません。

それならなぜ、夢を見たと断言できるのかといえば、たった一つの言葉だけ、鮮明に覚えている、というわけです。意味が分かりません。

「スプータスクー」

2017-03-25 04:27:44 | 普通な人々<的>な
というわけで、「血」で思いついたのは、以下の言葉でした。

血道 血しぶき 血まみれ 血刀 血潮 血だらけ 血走る 血豆 血沸き肉躍る 血抜き 血で血を洗う 血みどろ……

次は「知」でいってみます。

それでは、おやすみなさい。

寝ながら考えます。

最近の、独り遊び

2017-03-25 03:54:07 | 普通な人々<的>な
最近密かに独りで楽しんでいることがある。

それは別に大したことではないのだが、自分的には大いに楽しんでいる。

このブログを始めたころ、回文をよく作っていた。今でも時々作るのだが、大した作品はできない。

そういう意味では、最近の楽しみも「言語遊び」で、なにやら物書きっぽい趣味ではある。

それはとても簡単で、何でも良いから漢字一字をピックアップする。

例えば「山」。これを使った熟語を作る。それだけ。ただし、「やま」と読むのだったら「やま〇〇」という熟語にする。「さん」と読むものは×だ。そして「〇〇やま」もダメ。必ず選んだ漢字が頭にくる。名前はダメ。

そうすると、山際とか山ほととぎすとか山津波とか山肌とか山なみとか山男とか……まあ幾つか思い浮かぶ、それをどうしても10個考える。時間も区切る。今ボクはおよそ30分を目途にやっている。

結構ボケ防止に役立つ。あっ、ボクがぼけているという話ではないからね。言葉の綾ね、あや。

この言葉遊びは、ボクのオリジナルだと思うけれど、結構イラつきもし、すっきりもし、そこそこの達成感もある。

是非やってみてください。

今から、血(ち)をやってみようと思う。

血道だろ、血だらけだろ、血しぶきだろ……。

なんかスプラッターだな……。

ちょっと、立ち寄りな感じで

2017-02-14 01:50:03 | 普通な人々<的>な
昨日の日曜日、72歳と70歳と68歳の高齢者トリオで酒を飲みました。

このメンツでは半年ぶりくらいの邂逅です。

話の内容は……まるで20歳代の青年のような、明日を見据えた話ばかり。

すごいなと思いました。

これが二人で会っていると弱気な話になるのですが、三人寄ると明日の話になるわけです。

人間はどこまで行っても前を見て生きる生き物なのだと、つくづく感じました。

そして常に一歩でも前に進む限り、年齢は生きることにはまるで無関係であるということも自覚できるわけです。

とても良い一日でした。

ただ、三人でおよそワインを4本空けました。

帰りはグダグダでした。なにをしていたのかわかりませんが、普通なら1時間15分で帰るところを、2時間半もかかっていました。

よくぞご無事で、という感じです。

そうそう、前のこの原稿で「時間の経つのが遅い」と書きましたが、2月に入った途端、急激に早くなりました。2月に入ったばかりだと思っていたら、もう半ばです。

時間とはまったく不思議なものです。


6月20日の原稿への返答

2016-10-15 00:11:52 | 普通な人々<的>な
今日、奥さんと言い争った。

若いな、と思う。

要は、この世の実相とパラレルな世界観の認識の相違についての議論の果てのこと。

「の」ばかりが続く。申しわけない。

それはそれで……。

互いに聞く耳があればいいのだが、聞くより言いたいことの方が勝るのが一般的な議論。互いの主張は主張として、とはならない。

6月20日に「もう一度。僕の認知しない世界は存在しない」というタイトルで、概ね「~僕の知らない世界は、存在しない。この言葉には、二つの意味がある。一つは、僕が知りえない世界は存在しない世界も同然という意味であり、もう一つは僕はすべての世界を知っているという意味としても理解できる~」
というような内容だった。

これを思い出しながら、奥さんと話していたのだが、議論は決裂してしまった。

しかし……。

こんな話で熱くなれる夫婦って、嫌いじゃないなあ。



ある暇は お孫に会いに 軽井沢

2016-05-28 15:16:39 | 普通な人々<的>な
暇があって、先方の都合がつけば、車を駆って軽井沢です。

半年ぶりくらいのお孫クンは、すっかり背も伸び、お兄ちゃんになっていました。

ちょっと、久しぶりすぎて、ハンセツでした。

? 半分切ないという意味ですよ。半分は大喜び、歓喜ですが……。

ハンカンハンセツ、です。

でも、ハンカンの方が圧倒的ですがね。

子どもの成長は、思う以上に早いもので、月単位だと追いつけないほどです。

もう少し頻繁に会えたらいいのになと、思う今日この頃。

です。


ご無沙汰しました

2016-05-07 19:45:00 | 普通な人々<的>な
今年のGWは、なかなかに緊張の連続でありました。

車で1600㎞を走破しました。何年か前にもほぼ同じ距離を走りましたが、今年はさすがに一人での運転はきついものがあり、半分は息子君がしてくれました。

奥さんの84歳になるお母さんに会いに神戸へ。お元気そうで安心しつつ、その足で鳥取経由、ボクの生まれ故郷・島根に。

あれこれと神戸でも島根でもやることはありましたが、ひょっとすればもう二度と足を向けることができないかもしれない、奥さんとボクの故郷の風景を瞼に焼き付けに行った、そんな感じです。

もちろん奥さんの故郷・神戸は、母親はじめ親戚兄弟もいて、風景だけではない人の温もりのある故郷ですが、ボクの故郷はボクの郷愁の中にしかありません。それでも、自分の生家跡を訪ねたりもしました。泣けました。

その話はまた別立てで……。

とにかく、行っておかなければいけないという衝動にも似た思いが奥さん共々にあって、無理を承知の強行軍でしたが、これを旅というのであれば、非常に充実した、楽しい旅でした。

無事、事なきを得て(同じことだ!)帰京いたしました。

また、よろしくお願いします。