普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

東京「昭和な」百物語<その24>芸能

2017-04-27 23:50:24 | 東京「昔むかしの」百物語
昭和は、いまある音楽のすべての要素が生まれ、育ち、完成し、打ち壊された時代。

所謂ポピュラー・ミュージックは、そのすべてが昭和に生まれ、完成した。歌謡も同様だ。

いまや日本のポピュラー・ミュージックは、それが面白かったり、なにか影響力を持っているかどうかは別問題としても、さまざまな形で世界へ進出し、世界のミュージックシーンのある重要な部分を占めるまでになった。

昭和40年代から50年代後半の日本は、それまでの進駐軍経由のジャズや、アメリカン・エンターテインメントの王道・スタンダード・ミュージックに代わり、ラジオ(FENな!)やテレビを媒介にした新しい音楽が日本に流れ込んだ。一つは、アメリカのアイビーリーガーを中心に人気となったアメリカン・カントリー&フォークから誕生したキャンパスフォーク、それと並行にベトナム戦争への抵抗を歌に託した反戦フォークがあり、その一方でヨーロッパからは「イングリッシュ・インベンション」と呼ばれた、ビートルズやストーンズを中心にしたアメリカン・オールド・ミュージックともいえるブルースやカントリーをルーツにしたイギリスのグループの、アメリカへの進出を契機とした世界的な音楽潮流が生まれ、日本でも数多く聞かれるようになった。

いやに回りくどい物言いになったが、音楽にとっては爆発的な時代だったから。

それぞれが相互に影響し合い、新しい音楽の萌芽を生み出し続けた時代だった。当然日本の音楽シーンも影響を受けたのだが、まだ日本には興行主(有体に言えばヤクザ)が存在し、音楽の利権を独占していた時代で、彼らが良しとする作られたミュージシャンだけが、表に出ていた時代。

細かな記述は避けるが、音楽がヤクザときっぱり縁を切るのは、昭和50年代後半以降の話になる(いまでも興行主的存在は居続けているけどね)。

(時間切れ。この続きは明日書きます)
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雀の子

2017-04-21 19:46:10 | こんなことを考えた
今朝、仕事に出かけるのでバタバタと玄関を出て、ごみを出してマンションへの車の出入り口付近で、なにか違和感を感じ地面をよく見ると、雀の子がいました。

立っているのかうずくまっているのか、コロンと横になっているわけではないので生きているのだとは思いましたが、まったく動く気配がありません。

本来雀はちょこちょこと動き回るものですから、何かおかしいと思ってそっと近づいても、まったく動く気配がありません。

あまりにも可愛い姿に、遅刻しそうな塩梅だったのですが、ちょっとしゃがんで見入ってしまいました。そこは車の出入り口で、このままにしておくと確実に車に轢かれそうです。

そこで、そっと親指と人差し指で羽の付け根を挟むようにして持ち上げて、場所を移動することに。

ボクの記憶の中では、雀は籠のわなを仕掛けても一度たりとも捕まえることのできなかった生き物で、まさか手で触れ持ち上げることができるとは、思いもしませんでしたが、雀の子は暴れることもなく、少しだけボクの方に顔を向けただけで、されるがままにしていました。

写真に撮ろうかなと思いましたが、やめました。もしこの子が鳥インフルエンザだったり、車か何かにぶつかって動けなかったり、あるいは何らかの理由で死の瀬戸際だったりするかもしれない可能性を考えると、何か生命の尊厳を犯すような気にもなり、やめました。

気にはなるけれど、時間がありません。その時のボクにできるたった一つの事だと思い、そっと通路の端っこに移動して、元気でいるんだよと心で伝えながら、その場を離れました。

今帰宅しましたが、雀の子はいませんでした。

元気で飛び立った姿を、想像することにしました。
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記事が飛んだ。カモメも飛んだ。布団も吹っ飛んだ。

2017-04-17 00:12:22 | こんなことを考えた
昨日書いた記事が、途中で消えてしまいました。結構長文でしたので落ち込みました。自動バックアップ機能は生きていたはずなんですがね……。

しかしながら、一度書いた文章というものは、これまではそこそこ忘れないものでしたが、今回はほぼほぼ忘れてしまいました。

内容は、風が吹けば桶屋が儲かる式のお話しでした。

どうかそれで想像しちゃってください。今回は、再度記事化の挑戦、できません。なぜなら割りに複雑な内容で、自分でも面白がってあちこち飛びまくっていたもので。

残念!
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3人の恩師

2017-04-10 01:05:53 | こんなことを考えた
ボクには3人の恩師がいます。いま、そのどなたとも音信がありません。恩師を裏切り続けるボクがいます。

高校の演劇部で顧問をしてくださっていた井関義久先生。以前このブログでも少し触れたことがありますが、桜美林大学の教授になられ、日本の古典芸能である狂言の世界では、大きな存在でもありました。高校卒業以来、一度お宅にお邪魔させていただきましたが、それ以来お手紙すらお出ししていません。

川内康範先生。廣済堂出版の「週刊時代」編集長としてボクを引き立ててくださいましたが、なんの恩に報いることもできないまま、亡くなられました。葬儀にも伺っていませんが、ボクはとても大きなものを頂いたというか、お預かりしたという思いで生きています。

そして3人目は、父・加藤千代三です。いまの若い人たちには「?」でしょうが、ボクには父というよりも、人として大きな存在です。なんの宣揚もできていません。

こういう存在を、恩師と呼べるのか否か、甚だ疑問ではありますが、齢68年を積み上げてきた加藤某にとっては、どう思われようと、恩師です。
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夢の言葉

2017-04-05 01:53:10 | 普通な人々<的>な
昨日、夢を見ました。

ボクはほとんど夢を見ません。というより、起きた瞬間に忘れているというのが正解かもしれません。

それが、昨日は夢を見たことをはっきり覚えていました。ただ、内容は皆目わかりません。それは覚えていません。

それならなぜ、夢を見たと断言できるのかといえば、たった一つの言葉だけ、鮮明に覚えている、というわけです。意味が分かりません。

「スプータスクー」
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東京「昭和な」百物語<その23>生きていたもの

2017-04-02 03:04:26 | 東京「昔むかしの」百物語
ボクの幼い頃、東京にもまだ小川というものが存在した。

一番記憶にあるのは、上板橋の我が家から子どもの足で30分ほども歩く距離にあった城北高校(?)に向かう道すがらに広がる、野原の真ん中を流れていた小川。よく網をもって魚や虫取りに行った。ボクが5~6歳頃の話だからかれこれ60年以上も前の話だ。
川縁をコンクリートで護岸工事などしていない、小川。それがどの川から流れ来るものか、あるいは流れ込んでいくものなのかなどは知る由もなかったが、清流で岸辺の流れの緩やかな辺りには、メダカが群れを成していたし、流れから取り残された水の溜まりにはアメンボが競って走り回っていた。ヤゴの姿だって見ることができたし、ゲンゴロウも泳ぎ回っていた。

一本の木の橋が両岸をつないでいた。それは見た目は同じ野原なのだが、まったく異なる世界をつなぐ一本の生命の橋のようにも感じられた。

両岸の春の野原は一面のレンゲソウだった。そこには少し早い時期のシジミに、モンシロチョウ、モンキチョウが続き、春を謳歌していた。晩夏になれば無数の赤とんぼが夕焼け空を埋め尽くした。

梅雨時の家の壁はナメクジが這いまわり、夜にはその跡が仄かに光っていた。夏には裸電球に鬱陶しいほどの虫たちが群がっていた。その中には驚くほど美しい色彩を持った玉虫がいたし、巨大なスズメガもいた。

明け方の空には郭公の鳴き声が響き、軒下には毎年燕が巣を作った。

一体全体どのタイミングですべてが搔き消えてしまったのだろう。

ボクが少し大きくなり、興味の先がそうした生きものたちではなくなったということもあるだろうが、それにしてもあまりにも急激に生命の数々を見失ってしまった気がする。

昭和という時代は、そうした生き物たちを失っていくことに、なんの痛みも感じない時代の始まりを予感させる幕開けの時だったかもしれない。その原因の多くは農薬であり、環境汚染に違いなかったのだが、そうしたことに、大人でさえ気づかなかった。

もうどれ一つも取り返すことはできない生命。いま、そんな生命の息吹があちこちにあったことなど少しも知らない子どもたち(いや彼らの親世代の大人たちも知らないのだろう)が、この世界のなにかを作っている。

少し、不気味だ。

小川という概念もすでに失われている。水辺は危ない場所で、人がコントロールしているつもりの、コンクリートで固めた川岸が当たり前になっている。そこに昭和の昔ほどには生命など存在しない。

生きていたものたち……多くの生命の生きる舞台となった流れや野原も共に、昭和の頃には確かに生きていた。そして、気づけばそうした舞台もまた幕を下ろし、生命を育むこともできなくなっている。

生あるものは、変化し滅するとわかっているけれど、なお惜しい、昭和の頃の生あるものたちの、生命の営み。
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迷走、妄想、寒そう……韓国

2017-04-01 02:19:28 | 極端な人々<的>な
韓国は、踏まんで良い虎の尾を踏んだのではないか?

朴槿恵前大統領を罷免し、その上逮捕までした。

これまでにも全斗煥、盧泰愚といった大統領経験者が、辞めた途端に逮捕され犯罪者になってきた国だ。

もっと言えば、傍から見ればお馬鹿に見えるけれど、なんだか国のために頑張ってるように見えた大統領経験者、廬武鉉が自殺せざるを得ないような国だ。

そしてそのことに、国民が痛みを感じていないという、まったくもって不思議なお国柄だ。

そしてさらに、そうした過去の歴史を忘れたかのように、朴槿恵氏を逮捕し血祭りにあげようとしている。彼女がまともな神経を持っている女性であったら、おそらく逮捕された上、自殺せざるを得ない深みに追い込まれるような気がしてならない。

逮捕され自殺する初の大統領経験者ということになるのかもしれない。

問題は、民度の低さだ。韓国は民主主義国家でも何でもない。似非民主主義国家だ。気が付けば、北の似非社会主義国家と、似非同士の良い勝負をしているとしか思えない。

他の人の言葉に耳を傾けるという度量と、人を許すという人間としての器量、寛容の心がまったくない。

ボクは決して韓国が嫌いではなかったのだが、いま嫌いになり始めている。

踏まんで良い虎の尾とは、八門遁甲で言えば北東の鬼門を開けて逃げ場を作るという策を施すこともなく、囲い込んで徹底的にいたぶるしかできない、要は人の悲しみを助長し、恨みを生むことしかできない、無能で無策の、発展性も何もない空漠とした国家であることを世界に示した事を指す。そういう理解のされ方しかしなくなるということだ。

おそらくそんなこと、分かっていないのだろうな。きっと誰かが苦言を呈し助言したとしても、聞く耳はないのだろうな。

こんなこと書きたくないけど、つい書いてしまう。悪い癖だな。

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450000PV Over

2017-04-01 02:03:35 | 普通な生活<的>な
先ほど、このブログを訪れてくださる皆さんが眺めてくれた記事の総数(とは限らないか…)が45万を超えていました。

すごい数です。ありがとうございます。

そのお礼にといっては何ですが、さらに目標を高みに設定することにしました。

死ぬまでに200万PV、です。

あと155万もあるぞと言われればその通りですが、これまでのおよそ3倍強頑張れば良いわけです。

これまでに6年半を費やしてきましたから、およそあと20年。

結果僕は88歳の米寿、善き歳を迎えている計算になります。

それは2037年。巷で2036年から来た未来人という方が話題になっていましたが、そこを超えるわけですね。

その歳までは、物が考えられ、書けるようでありたいという思いも込めて……。
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