普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

お久しぶりですが、皆さん如何お過ごしで?

2020-07-04 00:56:44 | 思いもよらない未来<的>な
本当に、ご無沙汰しています。

申し訳もありません。

ただ、近々に、意外に楽しいご報告ができるのではないかと、密かに思っています。

すでにその胎動は、あるSNS上で姿を表していますが、まだそれほどのクオリティーでないのが、残念です。

それはそれとして、乞うご期待! 

記憶は彼方へ。思いは鮮烈に。

2016-03-11 19:50:13 | 思いもよらない未来<的>な
1月17日も、3月11日も、忘れられません。

阪神淡路大震災。以前も書きましたが、おそらくボクは近畿圏以外で最も早く地震を知った人間の一人です。後に全壊指定地域となった神戸市灘区天城通に居住していた義母が、短縮ダイヤルを三木に居住していた義姉の電話と押し間違え、地震から1分も経たずに東京のわが家へ電話してきたからです。5時47分頃、寝ぼけ眼で義母の電話を受けたボクは、それほどの大事とは思わず、一言二言義母が叫ぶように話した声を聞き終えて「分かりました、後で電話かけさせます」などと、そっけなく電話を切ったかもしれなかったのです。寝ぼけていたせいか記憶はあいまいです。

東日本大震災。家で仕事していたボクの他に、娘も息子もなぜか家にいました。強い揺れに襲われましたが、揺れの方向が良かったせいか何一つ落ちることもなく、ただ地震の大きさに驚いていたのを思い出します。テレビを見れば、それから丸一日以上に渡り、恐ろしい惨状を映像として流し続けていましたっけ。その間に、仕事で日野市の豊田近辺にいた奥さんを車で迎えに行きました。後にとんでもない渋滞だったと知るのですが、ボクは裏道から裏道を華麗に走り抜け、立川駅によりながらも、いつもより(普段は往復40分程度)1時間多くかかった程度で無事帰りつきました。

阪神淡路大震災後、ボクは神戸に何度か入りました。取材でも個人的にもです。地震直後の惨状はいまだに脳裏から離れません。1階部分だけぺしゃんこになったマンションの1階で潰れている何台もの車、道を覆うように倒れ掛かっている家屋、波をうつアスファルトの道路、倒壊した阪神高速道路の傍まで行きました。カタストロフの巨大さはこの世のモノとも思えませんでした。
奥さんの実家まで、どこからでしたか(西宮北口からだったかな)歩いていきました。あまり覚えていません。あの風景は忘れられないのですが、具体的な風景は忘れています。記憶にあるのは風景から受け取った驚愕と恐怖の感情と、それを呼びさます幾たりかの印象としての風景です。

東日本大震災。毎日のように津波の映像を見続けていました。当たり前ですが、驚愕はありましたが恐怖はありませんでした。そして一度も被災地に足を踏み入れたことはありません。誘われましたが断りました。なにかとても怖いのです。東日本大震災の惨状を見るのが怖いのではなく、阪神淡路大震災の惨状を思い出すのが怖いのです。

最近、台湾、インドネシア、ニュージーランドと地震が起こったのを記憶していますか?
ボクは予言者ではありませんが、なにかざわざわとします。実は、日本のいずれの大震災の前後にも、同じ地域で地震があったのを覚えていませんか?
この地域以外に、カムチャッカ、アラスカ、そしてアメリカの西海岸で、同じ時期に大きな地震がありました。それがまだ起きていないと思っていたので、少し安心していたのですが、実はこれらの地域で、今年の初めに8000回を超える微細な地震が起きていたことを知り、足が震えました。

ひょっとすると、近いかな。日本を襲う大きな地震が近いかなと思う、今日この頃なんです。どこかは分かりません。でも年内に起きそうな気がします。
生き延びる準備だけは整えておいてください。お互い様に。


 

明るい(?)未来≪008≫ 腑に落ちないこと

2014-03-30 13:27:44 | 思いもよらない未来<的>な
腑に落ちない、という言葉がある。

納得がいかないという意味だが、たくさん腑に落ちないことはある。

個人的な営為の中でのそれは、まあ、割り勘の時に「少しだけ俺の割り当てが多くないか?」程度のことで、特段に不思議がることもなく、おおむねすぐに忘れても何の差しさわりもないものだが、社会的なあるグループに属する場合の「腑に落ちなさ」は、そうはいかない。

腑に落ちないという言葉の意味するニュアンスに「騙されているのでは?」とか「不条理だ」とか「訳が分からない」といった部分がある。

突き詰めていっても、その先はあやふやになり、漠とした不明感だけが残る。

その最たるものが「ものの価値は誰が決めているのだ?」ということだろう。

例えば、北朝鮮という国家は、核開発というという一点でも国際的なルールを無視し、あまつさえ破るまでする犯罪国家だと、誰かが言う。だがよく考えると、核開発の善し悪しは別にして、核開発そのものはすでに多くの国が行っていて、兵器として使用した国さえもある。いまさら誰が開発に手を染めようが、四の五の言う権利などないはずだ。

兵器としての核を開発することの犯罪性は、いったい誰が言い出したことなのだ? と疑問に思っても不思議ではない。また犯罪者扱いに抗議することだって自由ではないか? と北朝鮮が思ったとしても決して悪くはない。

誰が核開発は犯罪であると言い出したのか? その一方で既に存在する兵器としての核を保有している国に、誰も異を唱えない。抑止力などというおためごかしが先行グループには通用する。「1万発は多いから、少し減らそうか?」などという誤魔化しが、まるで英断のように受け取られる。1発も1万発も、使われる側からすればなんら変わらない。

簡単に言えば、核という非常に大きな利権を独占したいグループが、後発のグループを牽制、あるいは恫喝しているという風にしか思えない。だが、誰が言い始めたことなのか、判然としない。世界的なコンセンサスだと思われている。

だが、そのコンセンサスそのものも国連という一つのグループ内のモノでしかなく、別のグループがあれば、何をどう判断するかわからない。

かつては、枢軸国と連合国、共産主義国家群と民主主義国家群という対比構造が存在し、異なる価値と権益を戦わせた。

それが、単一の構造へとシフトし、そこに乗り遅れる少数の国家を個別に叩いてきているのが、この30年の世界の歴史だ。

実はこの構造は、核という極端に思える例え以外でも、いくらでも出てくる。食糧、二酸化炭素、通常兵器、通貨、交易(TPPなど)、宇宙開発、新薬……腑に落ちないことだらけだ。

この腑に落ちなさの正体は、おそらく以前から指摘している通り個人に行きつくのだろう。世界規模の利権を持つ個人に。

その正体が明かされれば、腑に落ちなさは解消する気もする。


明るい(?)未来《007》 かわったビルの意味するもの

2014-01-29 23:22:42 | 思いもよらない未来<的>な
先日、仕事で青山に出向いた。
246沿いに表参道から渋谷方面に向かって歩いていると、少し前に「都市伝説」とやらでフリーメイソンとの関わりを指摘されていたビルがあった。

写真のビル。



このビルは、13階建てのピラミッド型。最上部には明らかにフリーメイソンのピラミッド図形と「プロビデンスの目」(国連の徽章が代用されている)が描かれている。

建物そのものは、国連大学のビルなのだが、どこからどう見てもフリーメイソン(それもNWO的、秘密結社的)の匂いがする

ビルの入り口の上には、フリーメイソンのシンボルマークの一つである「定規とコンパス」に表象としては非常によく似た図形が描かれている。本来なら上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)が重ねて描かれ、ダビデの星型を現しているが、そう見えないこともない図形が、確かに描かれている。

なぜ国連大学がこうしたスケッチを纏っているのか? なぜ13階建てなのか?

このビルが東京のど真ん中にあることの意味はわからないが、「なんでこんなところに、これほどあからさまに?」という疑問は持てる。

フリーメイソンがどんなものであるかは、多くの関係者の言でその全体像は理解できるが、こうした理解不能の表象があると、やはりかつてイタリアで起こった「P2事件」的な「フリーメイソンの裏側」を想起してしまう。

国連大学の目指すものが、フリーメイソン的未来ということであるならば、この表象はある程度理解可能だが、それにしてもあまりに露骨すぎやしないか? と思う。

あなたは? どう思う?


明るい(?)未来《006》 《004》および《005》の続き

2013-12-19 00:20:32 | 思いもよらない未来<的>な
《004》と《005》では、「強い者」「最高権力者」についてアバウトに書いたが、少しだけその先を書いてみよう。

この世の中で最も「強い者」とは誰のことだろう? どんな存在だろう?

その問いへの答えで最も的を射ていると思えるのは、陰謀論でも語られる次の答えだろう。

「通貨を発行する権利を持つ者」

資本主義が崩壊しない限り、この答えは確かに生き続ける。

日本での通貨発行者は機関としての日本銀行(紙幣発行)と、政府(補助貨幣としての硬貨発行)だ。だが、日本国内だけの流通貨幣であり、それはローカルマネーに過ぎないわけで、限定的なものになる。言ってみれば井の中の蛙の通貨だ。

もっと言えば地球上のあらゆる国家は、各国がそれぞれに通貨を発行していた。だからドルや元や円、ポンド、フラン、マルクといった通貨単位がそれぞれにあった。だがそれらのいずれもが、本質的にはローカルマネーだった。

それが流通経済が地球規模で拡散した今では、世界通貨としてドルが市民権を得て、決して誰も正式には認めてはいないが世界通貨として存在している。

結果的に、現在の世界で最も強い者とは、仮とは言え世界通貨であるアメリカのドル発行元である「FRB(連邦準備制度理事会)」ということになる。

当然FRBへと皆の目が向くわけだが、そこで信じられないような現実に面食らう。

FRBは国家機関ではないという事実。単なる私企業の複合体であるという事実。

これが何を意味するかと言えば、結局「世界で最も強い者」は、私企業、有体に言えば「個人」なのだという事実。

この地球上の人間が作り出した世界は、ある意味個人が支配していると言って良いのだ。

ではその個人は特定できないのかと言えば、あっけなく特定できる。

陰謀論もくそもなく、NWO的いかがわしさもなく、ロックフェラー、ロスチャイルドなのだ。FRBを形成していた私企業は、ロックフェラー、ロスチャイルド傘下の組織なのだ。

何をか況やである。(この話はもう少し続けよう)

あかるい(?)未来 《005》 強きモノ

2013-12-13 00:54:41 | 思いもよらない未来<的>な
ボクは、小泉元首相をまったく評価していない。

最近は反原発を標榜し、なにか国民の側に立った善き理解者然とした振る舞いで、また政治家としての人気が復活してきているようでもある。

まるで、気候変動、二酸化炭素の温室効果による温暖化で世界を脅迫したアメリカのゴア元副大統領の日本版といった体だ。

何故ボクが小泉元首相を評価しないかと言えば、あの世紀の悪法「介護保険法」を国民に押し付けた政治家であり、「自己責任」という言葉をまるで「国民の義務の遂行」とでも読み替えたような政治家だったからだ。

独断と正義面した偏見をまとった政治家だと思っている。

まあ、ボクにどう思われてもどうということもないとは思うのだが、国民の中に一人や二人はこんな者もいるということは、政治家であれば覚えておいて欲しいものだ。

何故となれば、こうした因子がどこでどう変質するやもしれないからだ。明日ボクが大きな発言力を持たないとは誰も言えない。

小泉元首相ばかりではないが、政治家の大半が持つ妙な強気の自信は、いったいどこから来るのだろうか? ざっと眺めても、論理的あるいは哲学的根拠のある何事かをバックグラウンドに持った者はほとんどいない。

だが、最近の政治家は小振りになった、減ったとは言え、やはり大半が「良き」家柄にもまして、土地や資産というバックグラウンドを持った者だ。その代表格はかつての細川護煕であり、鳩山由紀夫だ。

そこでハタと思い当たるのだ。この世を動かすためには、資産がいるのだということを。

小泉元首相も、政治家一族から生まれた、ある意味土地や資産をバックグラウンドに誕生した政治家だ。昔なら俗に「地盤、看板、鞄」と三拍子そろった政治家。

そうしたものを持たずに、政治家になった者は、必ずと言って良いほど見事に足をすくわれる。最近では山本太郎クンが良い例だが、かつての田中角栄が良い例だ。成り上がりであることで、登り詰めさせておいて梯子を外された。

そういう出自の者は、政治家になったとしても、多くはさしたる働きもできずに消えていく。

活躍できるのは、資産を持った者。

そしてこの前提は、意外にどんなカテゴリーにも当てはまる。次は、そんな話を書こう。



明るい(?)未来 《004》 どこかにいる最高権力者

2013-12-03 01:49:51 | 思いもよらない未来<的>な
皆さんも一度や二度、この地球という世界の表層で蠢く人間の世界が、どんな構造になっているのか考えたことがあるだろう。

ボクも考えたことがある。初めてそのことに思いを致したのは、高校2年の時だった。そして処女戯曲「現代の戦い」を書いた。

その頃は、ある幻想が意識の大部分を占めていた。

「世界は変わる」

だがそれから数年もたたずに、世界が変わらないという現実に行く手を塞がれた。なにかに敗れたのだ。

70年安保闘争と、それに付随するかのように澎湃と沸き起こった「若者の反乱」と、急激に訪れた自壊ともいえる「挫折」に、一気に意識は萎んでしまったのだ。

ただこの時、日本の政治を司る政治・警察権力に敗れたとは思えなかった。なぜなら、彼らを支配するさらに大きな権力の一端が垣間見えたから。

その権力は、アメリカという世界の警察を自認する国家のように一度は思った。

だがそれもそれからおよそ20年後に、世界の勢力を2分していた一方の共産主義国家が音を立てて自壊したことで、かえってアメリカという国家の脆弱さが露わになり、別のさらに大きな権力が顔を覗かせたように思った。

そう、上には上がある。

この逆マトリューシカ人形のような世界の構造は、どこまで大きな外側を想定すればいいのだろう?

だがこの地球という限界を考えれば、それほど大きなものになるはずもない。

アメリカという国家を凌駕する権力、例えば国連のようなもの?

いやまてまて、まだ果てではない感じがする。

そう、このことを次は突き詰めて考えようと思う。


明るい(?)未来《003》 名前の不思議

2013-11-27 00:05:30 | 思いもよらない未来<的>な
不思議というと、ちょっとニュアンスが違うかもしれない。むしろ「当たり前」のことなのだが、名前と職業には密接な関係がある。

不思議だな思うのは例えば、宇宙飛行士の「星出彰彦」さん。

「星出」という苗字は、彼が宇宙飛行士になってから付けた名前ではもちろんなくて、彼の何代前かは知らないが、ご先祖様がそう名乗った名前なのだ。それなのにもうこれ以上フィットしようもないほどに、苗字が職業(というより、その人の持ち味、特徴・特技かな)を端的に言い表している。

もちろん偶然かもしれないが、やはり「星出」さんは確率的にも不思議な感じがする。

星出さんは例外としても、見回すと結構「名が体を表」わしている人が多いことに気づく。

大昔は人を呼ばわるときに、その人を端的に言い表すために職業を名前の副詞のように言葉にした。曰わく「蹈鞴の三次」と言った具合だ。

職業と同じように名前の前につけた苗字代わりのものに地名もあるが、それはまた別の機会に。

1870年(明治3年)の「平民苗字許可令」、1875年(明治8年)の「平民苗字必称義務令」によって国民の大多数が苗字を獲得することになる。

苗字を名乗らなければならなくなって、士分以外の農工商身分の者もこぞって苗字を付けるが、坊さんなどの多少の教養を持つと思われる輩や、地域の長などが、適当につけた苗字が横行する。農業を営む人の多くは「田」という字が付く人が多いというようなことだ。この時も、職業を苗字で端的に表現する形をとったのだ。

ただ、それ以前から苗字を名乗ることを許されていた家は、家柄といった家の歴史や伝来の田畑、山と言ったモノも含め多少とも古くからの財産を相続している。さらに歴史を遡れば、そうした家のほとんどは、支配する側に属していたことに気づくのだ。

そしてその構造は、地方へ行けばいくほど変わらない。

そしてよく観察すると、支配者の名前というものが存在し、支配されるものの名前もまたあるということにもまた、気づくのだ。(続)

明るい(?)未来《002》 地域のボス

2013-11-12 10:53:11 | 思いもよらない未来<的>な
 何年間か、東京の郊外で地域に密着したいわゆる「地方紙」の記者・編集者をしていたことがある。
 本当に、東京のみならず全国各地で展開されていた「地域メディア」の代表格であった「地方紙」の衰亡は激しく、筆者が関わっていた新聞も、いわゆるブランケット版(普通の新聞紙のサイズ)1枚の表裏という悲しいまでに質素なものになっていた。
 いまでもその新聞は発刊されているが、定期刊行は難しいようだ。

 そんな話は、横に置いて。

 当時地域内を取材して歩くと、本当に色々なことが目からウロコのようにわかった。
 例えば、市会議員選挙がある。
 筆者が住む地域はことにそうした傾向が強かったのだが、地域にもっとも古く(江戸期から明治期)から住み始めた住人が、おおよその地域の利権を握っていた。彼らの横の連携は強く、「住民」は一握りの古くからの居住民を指し、昭和40~50年代に振興の住居地として建設された一戸建ての住民ですら「新住民」と呼ばれていた。
 そしてこの20年ほどのマンション建設ラッシュ以降に移住してきた住民(筆者もここに属する)は「町内会」にも入れてはもらえず、ある種「住民外」の扱いを受けた。それは今でも変わらない。
 数でいえば圧倒的に最後発の住民が多いのだが、道路整備などの陳情や要求も、最後発住民の多い地域は後回しにされた。
 なぜならば、市会議員選挙に立候補する顔ぶれは「住民」の間で「持ち回り」であり、極端に言えば「次は○○の所のバカ息子にやらせとくか」といった感じで候補者が決まっていたのだ。そして立候補と同時に当選を意味する票割もできていたのだ。当然、彼らの利害が真っ先に優先される議会運営となり、市政になるのは当然の結果だった。

 ところが「住民外」住民が市会議員選挙の票をまとめることができるようになっていった。
 それは例えば創価学会の支える公明党であり、生活者ネットワークの台頭によってである。そうなると、これまでの選挙に対するアプローチの仕方は大きく変わらざるを得ず、中には「一抜けた」と言わんばかりに、そうした選挙利権構造から抜け出す者もあらわれた(ちょっと話は飛ぶが、実はこの人々がかつての民主党の支持母体になった)。

 ただ、実のところ古くからの「住民」が抱く「住民外」住民のイメージは、サラリーマン家庭などの土地とは無縁の非定着民であり、行政的には確かに「住民」として管理されている存在だが、地域としては定住者としては認めがたい存在であり、その感覚はある意味正しい。なぜなら、何時でも家庭や仕事の都合でその家から離れていく住民ばかりだから。

 筆者の居住する地域のボスは、かつては小作農だった農家を営む人々。彼らがボスとなった最大の理由は広大な土地・農地がいつの間にやら自分のものになったこと。
 戦後の1947(昭和22)~50年にかけて、GHQの指令によって行われた農地改革による。かつての地主は土地の所有を制限され、小作農が制限された地主の土地をタダ同然で所有することになったのだ。
 この瞬間から、彼らは「金を生む資産」を手に入れたのだ。そして戦後続いた農業への保護政策が彼らを地域のボスに仕立てていった。
 面白いことに、筆者の居住する地域の幼稚園、医者などはほとんど地域のボスの係累の経営である。この傾向は、よく観察すればどこの地域にも共通の実態だろう。

 こうした地域の構造は変わらない。日本中にこの構造は定着している。
 そして、それは国家的規模でも変わりはないのだ。

明るい(?)未来《001》  〈血筋〉、〈家柄〉

2013-11-09 16:26:46 | 思いもよらない未来<的>な
昔、お世話になった方に栗林さんという方がおられた。

栗林さんは、自動車黎明期の50~70年代にいすず自動車で営業に従事、No.1営業マンとして知られた人だった。

この方の地方での営業方法は、当時「目からウロコ」という感じで、栗林さん独特のものだった。

それは、簡単に言うと「その地域の過去を知る」ということだった。

栗林さんは営業で乗り込んだ地域で、まず初めに役所と図書館に行った。その地域のかつての支配階層である武家の屋敷エリア、名主など江戸期の支配階層がどこに居を構えていたかを調べる目的だ。

古地図なども眺めた。

その中から、今でも同じ地域に居を構える、いってみれば地域の殿様、かつての高級武士=官僚を探し当てると、そこをベースに営業を展開していったのだ。

百発百中。かつての殿様、高級官僚家を落とせば、その地域はほぼ一帯すべてが栗林さんの軍門に屈した。

「栗林という人が車を売りたいそうだ。俺は買ったが、そっちも話だけでいいから聞いてやってくれよ、俺の顔を立てて」

今でも殿様の影響力は大きいのだ。それは揺るぎようのない、確固としたヒエラルキーの存在を示すものだった。

そうした状況が良いとか悪いとかではなく、厳然と家柄や血筋の良し悪しが今でも地域の支配被支配の構造を決しているということなのだ。

もっと言えば、かつての支配者一族の言葉は、かつての被支配階層に対して今でも有効なのであり、それは当分有効であり続けると言って良い。

詰まる所、ドラスティックに昔の話と切り捨てるほどには、歴史の重みは振り払えないということと、家柄、血筋といった糞の役にも立ちそうもないことが、実は地域で生きる人間にとっては非常に重要な生きるための物差しでありファクターだということなのだ。

それだけみても、栗林さんの営業方法は、間違ったものではなかったということがわかるではないか。

その地域の特質は「過去を見る中に明らか」というのは、正しい判断なのだ。

家柄が良いというのは「金にし得る資産がある」ということであるし、血筋が正しいというのは「正当な支配者として(地域が)認める」ということに他ならない。

よく観察すれば、日本の何処に行っても市会議員の大半は、地域の有力者、すなわち「家柄が良い」、「血筋の正しい」者が大半を占めている。

支配の構造、システムは変わっても、それを支える「人」の部分は、そうそう変わらないのだということがよくわかるのである。




奥さんは魔女 その2

2010-12-03 15:38:35 | 思いもよらない未来<的>な
 ボクの奥さんは<医者>だと書いたが、もうひとつ事例を挙げておこう。
 あれは6~7年前だったか、奥さんが突然「病院に連れて行って」と言った。朝5時のことだ。ボクは眠い目をこすりながら、すぐに準備をした。奥さんがこう言う時は、かなり事態が悪化しているということなのだ。すぐに車に乗せ、はじめて「どうしたの?」と聞いた。なんだか大きな荷物を抱えて「喉が痛い」という。
 車で10分ほどのところに夜間診療の受付がある総合病院があった。そこに向かった。すると「他にないの?」と聞く。他のところは遠いし、夜間診療があるかも分らないと言うと、「仕方ないか…」とつぶやいた。
 殺風景で乱雑な病院の内部だった。どう見てもインターンとしか思えない宿直の青年医師が、20分も待たせた挙句現れた。眠そうな腫れぼったい目をしていた。
 なんだか乱雑な廊下のベンチで診察の終わるのを待つ。だが、いつまで経っても奥さんどころか病院関係者の姿すら見えない。およそ2時間が経った頃、さすがのボクも業を煮やした。あちこち歩き回り、ナースステーションを見つけると、眠そうな目をした看護士に「妻はどこか」と荒っぽく尋ねた。「入院」と眠そうに答えた。7時を回っていた。
「なんだって? どうした?」
 ベッドに横になり点滴を受けている奥さんに矢継ぎ早に聞く。
「なんだか、ヘンな病院」
 奥さんはポツリと言う。診察すると医師は眠気も覚めたように、説明もないまま「入院が必要」といったそうだ。「一度戻って入院準備を」と続けたそうだが、奥さんは「もうできてます」と大きな荷物を見せたという。即刻入院。
「多分溶レン菌にやられたんだと思う」と彼女は言った。2日も入院して点滴すれば治ると奥さんは言った。
「焦ることはないけれど、放っておいたらどうなっていたか分らない」と物騒なことも言った。
 それにしても! 早朝に病院に行ったボクたちだったが、本当に乱雑で汚らしい病院だったのだが、入院したその日の夕方に、仕事を終えて見舞いに行くと、ぴかぴかの病院になっていた。
「なんだか嫌な感じがしたんだけど、今日が病院の転居日なんだって。なんでまたよりによってそういう日にね……。今朝入院していた病室は前の建物、そしてここは新しい病室」
 きっちりと、朝の診療開始時間に、病室も移らされたそうだ。
 奥さんは結局、予言どおり、2日間入院して帰宅した。「家に抗生物質があれば、もしぶり返したとしても大丈夫だから」と、てんこ盛りのクスリをせしめて、戻ってきたのだった。


 

奥さんは魔女 その1

2010-11-27 03:51:57 | 思いもよらない未来<的>な
 ボクの奥さんは不思議な人だ。色々不思議な事もあるのだが、中でも一番の不思議は<医者>だということ。
 別に医師の国家試験を通ったと言う意味ではない。医学知識がハンパないのだ。それも、無意味なものではなく、例えば子どもの発熱がなにに起因しているのかをキチンと理解し対応する。医者に行かずにだ。
 それはボクの体の変調に対しても同じだ。「ほっとけば2日で治るよ」と言われれば、2日で治るし、3日といえば3日かかる。
 本人は別に不思議でもなく、当たり前に誰でも分るものだと思っている。自分だけの能力とは思っていないのだ。
 しかも、病名も的確に言う。誰かに教えられたわけでもない。ボクは彼女が19歳の時から知っているのだから、病気の知識を学んだのであれば、知っているはずだ。なにしろ彼女は音大のピアノ科出身だから、そんな病気の知識を学んだとしたら、学校を卒業してから。つまりボクと付き合ってからと言う事になるわけだが、そんな形跡はない。なにより付き合い始めたその時は既に、<医者>だった。
 色々エピソードもあるけれど、おいおいお話しするとしよう。